2006年07月10日

賞味期限のある美

apartment1.jpg土曜日、ハウス食品から出てる「ホワイトカレー」を作ってみました。せっかくなので、冷凍室で余ってた冷凍ブロッコリーを入れたのですが、これが失敗。鍋に入れた直後はよかったのですが、煮込んでいくうちに、ボロボロに大破。

画像は、そのカレー用の買い物のために行ったジャ○コの近くのアパート。こういう「機械」を見ると、無性にうきうきしてしまう私は、機械人間にでもなってしまったほうがいいのでしょうか。

ところで、以前「美」を扱った若手シンポジウムでも考えたことですが、「何をもって美とするか」という基準が時代的・文化的制約を受けた相対的なものである一方で、「当の美しいもの」もまた、時代の変化とともに変形していきます(それを「劣化」と呼ぶかどうかはともかく)。そして、ある時期においては「汚らしい」と感じられ、またある時期には「美しい」と感じられ、さらにある時期にはその存在そのものが忘れられる。この壁や機械がかもし出すうっすらとした「美しさ」(と私が感じるもの)もまた然り。

そう考えるならば、「美」を超時間的・無時間的なものとして捉えるのではなく、時間と共に/時間の中にあるものとして捉えるや否や、その美しいものには、必然的に「賞味期限」がつくはずです。その美しさは、いつまでも鑑賞に堪えうるものではなく、いつか「見えなくなくなってしまい、さらには、物質的に消えてしまう」という限界を孕んでいる。錆ていく鉄パイプなんかは、その典型です。

とするならば、「古い」文化財を単なる歴史的資料としてではなく、「古くて綺麗なもの」として捉えようとするならば、そのとき、それを「今の姿のまま」保存しようとすること、あるいは「ありし日の姿」に復元しようとすることは、そのもの自身と感じるその経験自身に逆らう越権行為なのではないか。

昨今、デジタル技術によって「古くて美しいもの」を永遠化させる技術は飛躍的に伸びているようですが、他方で、「古びて綺麗になっていつかなくなっていくもの」、言い換えれば「経年変化」そのものを展示するような空間(とするならば、その空間そのものにもまた賞味期限が必然的に伴う)というもの、しかもそれがいわゆる仮設展示(インスタレーション)にとどまるのではないような「それ自身が古びて綺麗になりいつかなくなっていく博物-美術館」というのもは不可能なのか。見てみたいなぁ、そんな場。
 

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 Pensie_log氏の「賞味期限のある美」というエントリーを読んでコメントを
美をめぐる矛盾【屋根裏部屋の思考】 at 2006年07月11日 00:35
この記事へのコメント
 共感です。私はここのところトタンに興味をもっていますが、トタンは、最初は実用重視で美とは無関係に見えますが、年を経る毎に不思議な味が出てきて、やがて「賞味期限」が切れると再び単に汚いものとして朽ちていきます。トタンに関する限り、その美しさはそうしたプロセスの中で、ある期間にのみ生じるものなので、「保存」という概念とは両立し得ないように思います。

 文化財を保存する態度は大切だと思う反面、保存されることでもはや美しくなくなってしまう類の美もあるのかも知れません。他方で、どこかの古墳のように、美の保存が美の鑑賞に優先されるために、ほとんど誰にも鑑賞されることのない美術品というものもあって、いろいろ考えさせられます。
Posted by 桶川利夫 at 2006年07月10日 17:37