2007年05月17日

比叡山麓音羽川砂防ダム群(3)

otowa_map3_1.jpg
第2回終わりで、音羽川砂防ダム群の探検も、ついに砂防学習ゾーン最奥までやってきました。

otowa34.jpg
そして、そこで出会ったのが、昭和15年築造、現地の石をそのまま使って造られた非コンクリ製の石積堰堤です(図の5)。これまでのコンクリ製堰堤の圧倒的質量感とはまた違う、やわらかい印象を受けます。これ、うつくしいなー。



【ダム5(石積堰堤)】
otowa35.jpg
もっと近づいてみてみましょう。排水用の穴もしっかり上下に設置されており、その部分は石の組み方が異なるなど、工法もしっかりしています。もう自然にとけこんだ逸品。これもまた、一つの近代化遺跡と呼んでいいでしょう。京都市内の山麓に、こんな知られざる風景が広がっていることは、もっと知られてもいいんじゃないかな。

otowa37.jpg
もう少し、石積堰堤を観察。新緑の季節と重なったこともあり、一帯の雰囲気は最高。数日大きな雨はなかったと思いますが、水量もなかなかのもの。堰堤手前には、水叩きの段差に相当する石の段があります。堰堤南翼は、現代のものと同様、上に高くなっています。現地でしっかり見なかったのですが、写真でみる限り、後年、そこだけ追加補強したように見えます。全体的に目立った崩壊もなく、もう70年以上、この川を守ってきたのです。

otowa36.jpg着水地点の水叩き部分。水が流れている凹部分は、もともとこうだったのか、それとも長年の侵食の結果なのか。付近はさすがに濡れてて滑りやすく、危うく足を取られそうになった場面も。にしても、もっと勉強すれば、この石の組み方や、一つ一つの石の形状から、何か技術的なことが分かるんだろうなぁ。うーむ、勉強不足。

otowa37b.jpg
北から堰堤を振り返る。いやー、堪能堪能。冬は少々淋しいかもしれませんが、それ以外の季節は、本当にお勧め。秋も紅葉がきれいだと思います。

さて、これで砂防学習ゾーンは終わり。前回の前哨戦でも、ここで引き返しました。しかし、その前哨戦の後、家でネットを使って一帯のことを調べていたとき、気になるwebページにひっかかりました。京都の滝・人跡探求というページです。曰く、
砂防学習施設の最奥には、昭和の始めに作られた石積の堰堤があり、その下部は小さな自然の滝である。秋には紅葉が彩りを添える。……
 音羽川の北の尾根から比叡山に続く山道が「雲母坂」である。この坂を上り、尾根の平坦な道を歩いていると、南の渓(音羽川)から滝音が聞こえてくる。渓を覗き込むと、治山堰堤が何基か見え、堰堤の下に渓流瀑らしき滝がうかがえる。
 この滝に到るには、砂防学習施設の石積堰堤からさらに3つの堰堤を越えなければならない。その先に、高さ20mほどの滝がある。四段の斜段瀑とも渓流瀑ともいえる姿の滝だ。
何、今いるこの石積堰堤の上流に、まだ滝があるのですか。これは、気になる。是非見てみたい。これまでそんなこと、聞いたこともなかったですから。


【学習ゾーンの上流へ】
otowa38.jpgというわけで、ここまでの「人工の自然」ゾーンの先にある未体験の地に、足を進めることにしました。石積堰堤の脇には、しっかりと上流へ進むための階段が設置されていましたので、それを上へと登ってみます。

otowa39.jpgその上には、人があまり入らないであろう沢が広がっていました。学習ゾーンとは異なり、沢には何の護岸工事もなされていません。盛り上がってまいりました。道は、散歩道と呼べるようなものはなく、踏み跡レベルのもののみ。それでも、ひどい藪にはなっていないので、何とか歩けます。もっとも、一部は崩落していましたし、蜘蛛の巣などもひどいので、あまり気軽に来れるレベルではないでしょう。

otowa40.jpg一帯の音羽川。こんな感じでなだらかに川状に流れているところと、岩が連なる小さな沢滝になっているところが交互に繰り返される感じです。

にしても、白川砂の産地だけあって、澄んだ水が流れる河床には白砂がたまり、ただでさえ明るい日曜午後の沢に、より一層明るい印象を与えています。さすがに飲みはしませんが、水は冷たく、いい気持ち。ここで、沢の石を飛んで渡って南岸へと移ります。ここから先、北岸を進むのは無理っぽいです。

otowa40b.jpg
あ、次の堰堤が見えてきた。


【ダム6】
otowa41.jpg沢に下りて、正面から堰堤をみてみます(これをダム6と呼ぶ)。またも石積みのようです。先ほどのものより、だいぶ茶色がかっています。もっと接近してみます。

otowa42.jpg
ダム6直下から見上げる図。やわらかい印象だった石積堰堤のダム5に比べると、やや直線的で鋭い印象を受けます。石積みは石積みでも、どうも先ほどの昭和初期の堰堤とは違い、石と石の間をコンクリで埋めているらしく、石の面の鋭さも全然異なります。建造年代が分からないのですが、昭和初期の石積堰堤ダム5と、昭和50年前後の学習ゾーンの完全コンクリダム群の間、昭和中期くらいでしょうか。石は、風化のためか、全体的に茶色になっており、おそらく、石積堰堤5の材料となった石とは別の産地のものだと予想されます。

otowa43.jpgこの堰堤6も、先ほどのものに負けず劣らず、すごいいい環境。北岸側から撮影。にしても、下流のダム1や2に比べて、だいぶ水流が多いです。水は途中で取水されて、水量が減っているのでしょうか。それとも、ダム4より下流の砂質の河床を流れる間に、大地に吸収されているのでしょうか。

otowa44.jpg見て分かるとおり、ダム6はけっこう落差が激しいです。こうした堰堤がなかった頃は、自然滝がたくさん連なる渓流だったのでしょう。が、この花崗岩質の音羽川一帯では、風化・浸食が恐ろしく進んでいたはずです。実際、この谷は、この川の規模にもかかわらず、現時点でも既にかなり深くえぐれた形になっています(地図が得意な人は、等高線を見てみてください)。


otowa45.jpg着水部の水叩き。コンクリ製ですが、中央部がだいぶ侵食されています。いつか、このコンクリは、鋭角を失い、平らな床へと変わっていくに違いありません。たしかに、砂防ダムは川の流れをせき止め、「本来の自然」を破壊する問題点も指摘されています。しかし、こうして侵食されるコンクリを見ると、そうしたダムもまた、時間をかけて「自然」の作用の中で「自然」へと帰っていくのが分かります。

otowa46.jpg
今回のベストショット。滝+新緑+苔、の王道的組み合わせ。(画像クリックで大きな画像になります)堰堤の造りから、滝が広く横に広がっているのが、また良い。

あー、よかったよかった。…ってわけにはいかない。目指すはこの先なのでした。さて、行くか。


…で、ここから先って、どうすればいいの?


【ダム6を超えろ】
otowa47.jpg堰堤の左右は完全に切り立った崖になっています。しかも、都合が悪いことに、土ではなく、岩です。土なら、急斜面でも樹木を手がかりにすればそれなりに何とかなるのですが、岩壁だとそうもいかない。木が生えてても細い潅木しかないですから、手がかり足がかりにするには頼りない。

ついでに、南岸の踏み跡を辿っていくと、堰堤の手前で山側に逸れ、完全に岩で囲まれた突き当りになっており、新しめの小さな観音菩薩が置かれていました。まさに「もうここが終点です」と明示しているようなものです。

otowa48.jpgこうした場合、少し戻って遠巻きに高度を稼ぐのが一般的ですが、上を見上げれば、10mクラスの切り立った岩崖。これは無理だ。「巻きますか、巻きませんか」とか考えてる場合じゃない。

逆に、堰堤を垂直に登ることも考えましたが、苔しか生えてない垂直約5mの高さを登るのも無理。堰堤南翼上端が少し高くなっているだけに、なおさら高く登らないといけない。石積の隙間は、指や足をかけるのも絶望的。どうしたらいいんだ、これ?まさか、北岸の雲母坂を登って、そこから降りてくるなんていう遠回りをするしかないのか?(それはそれで、帰り道が絶たれそうだ)

いかん、進路が絶たれた。

これは無理とやや諦めかけ、遠巻きルートは捨て、最後にもう一回、登攀可能なルートを探ってみました。そしたら、何か、ありました。

otowa49.jpg……ト、トラロープっすか…

どうも、これしかルートはないらしい。このロープワークから見て、山登り、もしくは沢登りのプロの仕事でしょう。ロープ以外には、この切り立った壁面に3本ほどの鉄釘が打ってあるだけ。明らかに、さっきまでの学習ゾーンとは異なり、来訪者を拒絶しています、この音羽川。こりゃ、無理だ。

 
 
 
 
otowa50.jpg

で、5分後の図↑。
どこよ、ここ。何やってんの、私。



…というわけで、トラロープを登りきり(登ったはいいけど、帰ってこれるのか?)、知られざる滝への探検は続きます。地図にて、現在地&これまでのルート(紫)を確認。(クリックでgoogle mapへ)

>第4回へotowa_map4.jpg
 

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/pensiero/tb.cgi/5611251
この記事へのトラックバック
第3回にて、「石積堰堤の先、さらに砂防堰堤を3つ超えた先には滝がある」という話をたよりに、石積堰堤(ダム5)の次のダム6横にかけられたトラロープをよじ登り、さらに音羽川上流を目指します。ダム上の水..
比叡山麓音羽川砂防ダム群(4)【pensie_log】 at 2007年05月19日 00:25
この記事へのコメント
無事生還を祈る
Posted by はや at 2007年05月17日 22:03
ありがとうございます。
この先、なかなか興味深い「遺構」群に出くわしました。
Posted by さとう at 2007年05月18日 01:58
すばらしい石積みダムですね。
とくに「5」は,自然石を使っているところがすごいです。
このダムを築かれた方々に関する情報はないのでしょうか? 
とても素人の築造とは思えないのですが。
Posted by watanabe at 2007年05月18日 18:21
第4回の記事でコメント取り上げさせていただきました。文献的に調査主体を調べる、といった歴史学的調査はまだしてないので分からないのですが、個人的には、「現地の石切職人」が関わったのではないか、と考えています。いつまでおこなわれていたのかは不明ですが、少なくとも、大正期頃までは、付近にて石切産業が栄えていたことが確認されています。
Posted by さとう at 2007年05月19日 01:28
ありがとうございます。
鹿児島では,明治以後のレンガ建築が少なく,替わりに石造建築がたくさん作られています。近世以来の石工集団が関係しているのではないかと想像していて,関心を持っているのです。
Posted by watanabe at 2007年05月19日 18:16