2007年10月15日
弟の結婚式
弟が結婚式を挙げた。
婚姻届は半年前に出しており、式とお披露目となった。二人とも社内結婚で多忙の中、身内としても素晴らしい式と披露宴だったと思う。
式は乃木神社にて神式で執り行われた。新郎は意外にも和装が似合い、新婦はしっとりとした白無垢で綿帽子が良く似合っていた。本当にきれいだった。式に先立って、親族紹介。父は私たち夫婦を紹介するときに「夫婦別姓です」と前置きをして、夫と私のフルネームを呼んでくれた。あまりに堂々としていたので、もしかしたら民法は改正されたのかしらと思ったかたもおられたかもしれない。新婦のお姉さんも仕事上は旧姓を使っておられるとのことだけれど、この場では戸籍名で名乗られた。
神式の結婚式は、雅楽の音色に鳥肌が立った。三々九度、親族固めの杯を経て、儀式を実感した。
場所を移動してロウリーズで披露宴。新郎新婦の友人達によるベリーダンスあり、Jazzありの楽しめる会だった。驚いたのは、新郎の最後の挨拶。スピーチを下さった方々に、その内容を踏まえて丁寧に言葉を述べ、同僚、友人、親族に心からの言葉が続いた。とりわけ、弟が相手のご親族に対して「これからは親族の一員として‥」と挨拶した言葉が心に残った。今までは私の家族としての弟しか知らなかったけれど、相手の家族・親族の一員としての弟の顔を見ることができた。
結婚って、片方の家への吸収合併では決してなくて、お互いの家族と親族が結びつくものだと思う。弟夫婦は、弟の名字をFamily Nameに選んだけれど、どちらの家族も大事に、新しい家庭を築いて欲しいし、実際その気持ちは二人から伝わってきた。
そんなわけで、家族が増えてうれしいです!
翌日、新しい妹から「お姉さん!」とメールをもらって、顔がゆるんでいたのでした。
婚姻届は半年前に出しており、式とお披露目となった。二人とも社内結婚で多忙の中、身内としても素晴らしい式と披露宴だったと思う。
式は乃木神社にて神式で執り行われた。新郎は意外にも和装が似合い、新婦はしっとりとした白無垢で綿帽子が良く似合っていた。本当にきれいだった。式に先立って、親族紹介。父は私たち夫婦を紹介するときに「夫婦別姓です」と前置きをして、夫と私のフルネームを呼んでくれた。あまりに堂々としていたので、もしかしたら民法は改正されたのかしらと思ったかたもおられたかもしれない。新婦のお姉さんも仕事上は旧姓を使っておられるとのことだけれど、この場では戸籍名で名乗られた。
神式の結婚式は、雅楽の音色に鳥肌が立った。三々九度、親族固めの杯を経て、儀式を実感した。
場所を移動してロウリーズで披露宴。新郎新婦の友人達によるベリーダンスあり、Jazzありの楽しめる会だった。驚いたのは、新郎の最後の挨拶。スピーチを下さった方々に、その内容を踏まえて丁寧に言葉を述べ、同僚、友人、親族に心からの言葉が続いた。とりわけ、弟が相手のご親族に対して「これからは親族の一員として‥」と挨拶した言葉が心に残った。今までは私の家族としての弟しか知らなかったけれど、相手の家族・親族の一員としての弟の顔を見ることができた。
結婚って、片方の家への吸収合併では決してなくて、お互いの家族と親族が結びつくものだと思う。弟夫婦は、弟の名字をFamily Nameに選んだけれど、どちらの家族も大事に、新しい家庭を築いて欲しいし、実際その気持ちは二人から伝わってきた。
そんなわけで、家族が増えてうれしいです!
翌日、新しい妹から「お姉さん!」とメールをもらって、顔がゆるんでいたのでした。
2005年08月12日
両立を求められるのは妻だけ?
「ワーキングマザーという言葉」(共同合宿所)を読んで、「仕事と家庭の両立」や結婚にまつわる男女の非対称性について考えていたのだが、今日の友人のブログ「納得いかない」(ほけほけ)が、まさにそれを良く表していると思った。育児がかかわってくると、夫婦だけのときとは比較にならないほど、家でやるべきことが増えているように思う。察するに、彼女(ほけほけ)も私も「片付いていないこと」「支度できていないこと」が夫(=男の子)よりも目につくように育てられてきているから(=女の子として)、いろいろなことに気づきにくい夫にストレスを感じるのではないかと。
特に共働きの家庭において、働いているお父さんは、「ワーキングファザー」と言われるだろうか?結婚した翌日から、新婚の男性は「家庭との両立が大変ね」と言われるだろうか?前提として両立を求められるのは、結局妻なのかな、と思う。加えて言えば、いくら夫が家庭での役割を果たしても(文字通り両立しても)、なかなか認められないように思う。
学生結婚だった私は、当時の指導教授からは「家庭との両立は?」と論文指導の時間に言われ、親しくない人には「主婦学生」と言われ、その語感の気持ち悪さが嫌でたまらなかった。夫も私もまったく同じ立場にもかかわらず、私にだけ両立が求められ、既婚=主婦というラベルを貼られることへの違和感だ。実家でも皿を洗っていたら「さすが主婦ね」と叔母に言われたが「家ではこれは夫の仕事なので実家くらいやらないと」と答えてしまった。
今でもしばしば聞かれる「だんなさんのご飯の支度、いいの?」。「今日はそれぞれ食べて帰りますから」と答えることもあるし、「先に帰った方がご飯だけ炊いておくので」と答えることもある。後者を答えると「だんなさんえらいですね」と言われるのだが、夫は「そのくらいやるのは普通だろう、ばかにすんな」と怒っていた。
とは言え、夫と私の家事の考え方は少し違う。私は、休みで家にいた人はある程度片付けなり支度なりするべきだ、と思っている。少なくとも移動時間の分外出していた人は疲れているわけで、家にいる人がその分やった方がいいと思う(自分ができているかというと偉そうなことは言えないが、疲れて帰ってきて家の中がめちゃくちゃでご飯の支度もできてないと「少しくらいやっといてよ」と思うことはある)。
一方夫は、家に居たって疲れたりすることもあるだろうから、家にいようが外出しようが関係なくできる人ができることをやればいいだろう、と考えている。なので、私が自宅で仕事してるときに何かしろとは言わないでいてくれる利点はある。
一応夫の名誉のために付け加えると、2人とも在宅してるときは彼の貢献は私以上だ。皿洗い、鍋磨き、排水溝の掃除など私がやりたがらないことを引き受けてくれる。私は洗濯やごみ分別、料理、アイロンなど。
特に共働きの家庭において、働いているお父さんは、「ワーキングファザー」と言われるだろうか?結婚した翌日から、新婚の男性は「家庭との両立が大変ね」と言われるだろうか?前提として両立を求められるのは、結局妻なのかな、と思う。加えて言えば、いくら夫が家庭での役割を果たしても(文字通り両立しても)、なかなか認められないように思う。
学生結婚だった私は、当時の指導教授からは「家庭との両立は?」と論文指導の時間に言われ、親しくない人には「主婦学生」と言われ、その語感の気持ち悪さが嫌でたまらなかった。夫も私もまったく同じ立場にもかかわらず、私にだけ両立が求められ、既婚=主婦というラベルを貼られることへの違和感だ。実家でも皿を洗っていたら「さすが主婦ね」と叔母に言われたが「家ではこれは夫の仕事なので実家くらいやらないと」と答えてしまった。
今でもしばしば聞かれる「だんなさんのご飯の支度、いいの?」。「今日はそれぞれ食べて帰りますから」と答えることもあるし、「先に帰った方がご飯だけ炊いておくので」と答えることもある。後者を答えると「だんなさんえらいですね」と言われるのだが、夫は「そのくらいやるのは普通だろう、ばかにすんな」と怒っていた。
とは言え、夫と私の家事の考え方は少し違う。私は、休みで家にいた人はある程度片付けなり支度なりするべきだ、と思っている。少なくとも移動時間の分外出していた人は疲れているわけで、家にいる人がその分やった方がいいと思う(自分ができているかというと偉そうなことは言えないが、疲れて帰ってきて家の中がめちゃくちゃでご飯の支度もできてないと「少しくらいやっといてよ」と思うことはある)。
一方夫は、家に居たって疲れたりすることもあるだろうから、家にいようが外出しようが関係なくできる人ができることをやればいいだろう、と考えている。なので、私が自宅で仕事してるときに何かしろとは言わないでいてくれる利点はある。
一応夫の名誉のために付け加えると、2人とも在宅してるときは彼の貢献は私以上だ。皿洗い、鍋磨き、排水溝の掃除など私がやりたがらないことを引き受けてくれる。私は洗濯やごみ分別、料理、アイロンなど。
2005年07月22日
夫婦別姓という言葉のマイナスイメージ
夫婦「別姓」という言葉から、夫婦がバラバラだというマイナスイメージを持たれることがあるようだ。私もあまりこの言葉は好きではなくて、「姓を変えていません」と言い換えることがたびたびある。
例えば、夫婦別姓(いつもひそかに生きてる、毎日控えめに生きてる)では、「なぜ別の姓を名乗るのか」と始められている。これには正直違和感。結果的には別の姓なのだけれど、私の場合は「2人とも改姓をしなかった」と言う方がしっくりくる。わざわざ別にする、という意図はない。一方で、このブログに書かれている家族観には共感できる。夫婦が別々の人生を歩いているのではなく、互いに支えあうから夫婦なのではないかと。
姓が違うから支えあえない、というのは少なくともわが家に対しては大きな誤解だ。以前私が大きな挫折をして身体を壊したときに支えてくれた夫との関係は、ままごとでもなければ、姓が違うからという理由で変わるものでもない。
言い方を変えれば、姓ぐらいで夫婦関係って変わるのでしょうか?家の中では姓で呼び合ったりしないし、お互いに名字が違うということを意識する場面はほとんどない。
…おっとっと。ちょっと熱くなりすぎてしまった。
夫婦で別姓という言葉の印象が、実際の姓を変えていない夫婦の実態とずれてしまってる、ということを書きたかったのだ。
なお、氏の使い分け指針(夫婦別姓を待つ身の溜息)では、「夫婦というのはもともと別々の氏を持つ二人の人間だったこと」を忘れずに、かつ時には同姓を通称として名乗ることで使い分けていけばどうか、と言う。この柔軟さが持てるのは、それぞれの姓についての合意が夫婦間でとれているからなのではないかな、と感じた。
例えば、夫婦別姓(いつもひそかに生きてる、毎日控えめに生きてる)では、「なぜ別の姓を名乗るのか」と始められている。これには正直違和感。結果的には別の姓なのだけれど、私の場合は「2人とも改姓をしなかった」と言う方がしっくりくる。わざわざ別にする、という意図はない。一方で、このブログに書かれている家族観には共感できる。夫婦が別々の人生を歩いているのではなく、互いに支えあうから夫婦なのではないかと。
姓が違うから支えあえない、というのは少なくともわが家に対しては大きな誤解だ。以前私が大きな挫折をして身体を壊したときに支えてくれた夫との関係は、ままごとでもなければ、姓が違うからという理由で変わるものでもない。
言い方を変えれば、姓ぐらいで夫婦関係って変わるのでしょうか?家の中では姓で呼び合ったりしないし、お互いに名字が違うということを意識する場面はほとんどない。
…おっとっと。ちょっと熱くなりすぎてしまった。
夫婦で別姓という言葉の印象が、実際の姓を変えていない夫婦の実態とずれてしまってる、ということを書きたかったのだ。
なお、氏の使い分け指針(夫婦別姓を待つ身の溜息)では、「夫婦というのはもともと別々の氏を持つ二人の人間だったこと」を忘れずに、かつ時には同姓を通称として名乗ることで使い分けていけばどうか、と言う。この柔軟さが持てるのは、それぞれの姓についての合意が夫婦間でとれているからなのではないかな、と感じた。
2005年03月03日
事実婚率は割と高い?
興味深いアンケートを見つけた。「結婚式について」(2004年6月)というアンケートレポートだ。これによれば、結婚するときに入籍した人(婚姻届を出した人)は83%程度だという。サンプルは関東と近畿が多いものの、わりと日本全国をカバーしているので、この数字は意外だった。
事実婚でも法律婚でも、結婚式や新婚旅行など、結婚にともなう行動は大体同じとか。
ウチの場合も、結婚式して、指輪を交換して、新婚旅行(伊豆高原)に行ったので、婚姻届提出というイベント以外はやっているのだ。むしろ、届けを出さないし改姓もしない分、「結婚したよ!」というアピールが重要だったかも。
事実婚夫婦の数や、それが夫婦のどのくらいの割合を占めるのかというデータを見たことがなかったのだが、このアンケートはその一面を表しているのかもしれない。決して少なくない数だと思う。少なくとも夫婦別姓が理由の事実婚夫婦としては、法改正を進めてほしいものだ。
事実婚でも法律婚でも、結婚式や新婚旅行など、結婚にともなう行動は大体同じとか。
ウチの場合も、結婚式して、指輪を交換して、新婚旅行(伊豆高原)に行ったので、婚姻届提出というイベント以外はやっているのだ。むしろ、届けを出さないし改姓もしない分、「結婚したよ!」というアピールが重要だったかも。
事実婚夫婦の数や、それが夫婦のどのくらいの割合を占めるのかというデータを見たことがなかったのだが、このアンケートはその一面を表しているのかもしれない。決して少なくない数だと思う。少なくとも夫婦別姓が理由の事実婚夫婦としては、法改正を進めてほしいものだ。
2004年11月30日
結婚記念日(鉄婚式)
6年目は鉄婚式と言うらしい。
イルサッジオにてイタリアンを食べに行った。かなりのボリュームで、しかも美味しかった。
夫からピエール・ラニエールのペンギンの時計を記念に貰った。

