飯島愛さんが引退された。
理由は、病気になった時にいろいろ考えられたとか、
「身を削ってタレントを続けていくのは限界がある。
若い子もたくさん出てるし。。」
この先は、まだはっきり、
決まっていないみたいですが、
「カウンセリングもいいかな?」
との事らしいですね。
多分、頭のいい飯島さんの事なので、
きっちり決まってると思いますが、
ゆっくりしていただきたいですね。
引退か〜。
芸能界をきっちり公言して、
自ら引退される方がいます。
うちの師匠もそうでした。
「限界を感じて」の意味には、
2つあると思います。
ひとつは、
将来の自分のタレント性の限界です。
もう少し複雑に言うと、
タレントは、相手にどう映るかって事も含まれます。
もうひとつは、
逆に、芸能界自体の将来性に限界があると感じた。
この両方が交差する。
これは、本人にとっては、つらいですよ。
自分にも、芸能界にも将来の生きて行く価値が
自分の頭の中で将来が消滅してしまった
って事ですからね。
で、自らの引退って事は、
ある種、自決、自殺ですからね。
何も引退なんかしなくても、
ほっといたら、仕事なくなるのに、、
なんて軽く思うのですが、
本人にとっては、
そう簡単なもんではないんでしょうね。
自分がみじめなったと思う前に、
またみじめになったと思われる前に、
奇麗なまま凍らせ、終わりたい。
僕なんぞは、
「まだやってたんですか?」なんて、
言われるくらいです(笑)
なんなら引退したんちゃいまっか?
くらいの世間の評価なのに、
なんとか、しがみつきやっていってます。
これは、きっちり僕が、
まだ納得した成功してないからです(笑)
人生には2つのタイプがあります。
自分で決断し引退なさる方。
人に決断されて引退を余儀なくされる方。
これらは両方それぞれ、奇麗な引退だと思います。
スポーツ選手なんかは、成績がはっきりでて、
身体も衰えが数字にでてきます。
相手に、限界を感じられて引退を
余儀なくされる方が多いですね。
今を相手に否定されるって事です。
それはそれでくそーと、
次の人生は、とバネになりますが、
問題は、自ら引退する方ですよ。
これは、きっちり成功しはった方が多いですね。
栄光をファンの為にも自分の為にも
残したいと願うんでしょうね。
また望むファンもいる。
これは大変やなー。
だって、その方の後の人生が
その栄光より、大きな栄光は、なかなか作れないでしょうねー。
過去の栄光を超えられずに、抱えたまま、
未来を生きるって、辛いやろな〜。
タレント稼業は、
成績がわかりにくいんですよねー。
年いってからのほうがいい場合があるし、
身体には限界があるが、
脳には限界がないですからねー。
そう思うと、タレント稼業は、
相手に限界を感じられて
首きられるなんてのは、
やる気に、ならしてもらえる、
えさもらったのと同じですね。
それより、辛いのは、
ボカーンと、成功し自分のタレント性や芸能界自体に
未来の限界を自分が感じてしまうほうが、
またファンに栄光のままの姿を望まれるほうが、
ある種、辛いし、寂しいでしょうねー。
そう思うと、
人生の成功は、できるだけ遅いほうがいいか、
あっさり過去の栄光を捨て、
未来の険しい道にチャレンジするか、
相手に、理不尽に首を切られて、
またがんばれるってなんてのが、いいですね。
また、ファンにも世間にも何〜んにも望まれてない(笑)
のも、楽なもんで、いいですねー。
僕は、人に決断され、引退を余儀なくされても、
自分で決断し、まだ居残ろうとする
案外図々しい無責任なタイプで、
何も望まれていない、お気楽タレントですね。
それならそれで、
図々しく無責任にお気楽にやっていこうと思った今日この頃。
無責任でお気楽っていえば、、
植木さん亡くなられましたねー。
今日、追悼番組で、
インドの仏陀が悟りを開いた場所にいかれた
ドキュメント番組をやってましたが、
いや〜迫力あったなー。
この話、長くなるので、
はいこれまで!今日はおしまい!
