2009年07月19日
人工内耳と要約筆記とハリーポッター
久しぶりに映画館に行った。ハリーポッターの最新版。補聴器と人工内耳を付けて見る。人工内耳はアドロとASC。
How are you?(元気か?)とかいくつかの英語が耳に飛び込んできた。いずれも耳にしたり、発したことのある言葉だ。
言葉は、脳にその記憶がないと認識できない。
ダンブルドア校長の記憶が改竄されていた部分は、闇の魔法の名前だったが、(改竄のため)言葉になっていなかったので字幕にもなっておらず、聞き取れなかった。
しかし、聞こえるというのはその言葉が頭の中にすっと入ってくるのだ。これは人工内耳をして初めて体験した。
聞こえる人は、言葉がストレスなく脳の中に入ってくるので、聞きながら考えることが出来る。何でストレスなく頭にはいるのか、生まれたときから言葉を聞いて覚えるからだ。
しかし、聞こえた言葉をそのまま文字にしてもストレスなく頭にはいらない。文字による言葉は、かな漢字の読み、書き言葉の文法などを後天的に学習しなければならないからだ。
文字による情報保障は、その場の通訳と文字による読解的理解とを機能的に違うことを理解しなければならない。
裁判員制度の情報保障は両方必要になる。
ラビット 記
2009年07月12日
スクーリング時の要約筆記の利用方法
2年次のスクーリング前期が終わった。医学一般(前期)、介護概論(前期)、障害者福祉論、社会福祉演習(聴講)だ。
医学一般(後期)、介護概論(後期)、心理学、地方自治論と後4科目を残すのみとなった。
しかし、今年度卒業は断念せざるを得ない。介護実習演習が2週間かかるので、勤務先の都合が付かないからだ。
とりあえず、他の学科はこれまで全部履修した。
学んだことは難聴者の福祉施策の体系化に生かそう。
講義のノートテイクを受けていて、何で社会福祉関係者に難聴者支援施策の提案がないのかなどいろいろなことを考えたが、聞こえる人は聞きながら考えたり、ノートをとる。
「へえー、そういうことだったのかあ」
「なに、その場合は良いけれどもし出来ない場合はどうするんだ」
「これは前に聞いたことと関係がありそうだな、メモしておこう」など。
いま受講している講義の範囲では、ノートテイクは書かれたことをさっと見て、頭に浮かんだことをノートする。また書かれたことを見てレジメを見るというように、自分のノートを取る時間があった。
これがパソコンの文字入力で書かれた文字が多かったり、講師の話のまま入力された場合、講師の話し方によっては読み通すのに苦労すると思考がふくらまないし、ノートは取れないかもしれないと考えた。
ラビット 記
2009年06月19日
要約筆記のニーズに地域の違いはあるか
要約筆記は、各地域ごとに発展してきた。難聴者がそれぞれの地において、社会に難聴問題の理解と差別の解消を求めて同志を募った。どんな集団も集団討議が不可欠であり、難聴者の場合、要約筆記が大きな役割を果たした。
要約筆記が最初からあったわけではない。それまでは板書や筆談、大声で話し合っていたのだ。
その地の難聴者の活動の中で、要約筆記者が育っていった。その意味で難聴者協会の活動と要約筆記は一体で発展してきた。しかし、その地域の難聴者協会やその他の団体がどのような状況か、どのような活動をしてきたかで、要約筆記に求めるものは異なっているだろうか。
県下の市町村に協会や支部を設立してきたところと県組織の活動が中心の場合、社会経済活動が活発な地域とそうでもない地域では、個人派遣の量や派遣先など要約筆記の利用状況は異なる。
地域により、小規模の難聴者の集会とか企業への派遣など利用状況が違うだろう。でも、そこに必要な権利擁護の思想、通訳としての専門性は変わりないということを理解したい。
ラビット 記
2009年03月21日
パソコン要約筆記とリアルタイム文字入力の違い
裁判員制度や政見放送などで、「パソコン要約筆記」が注目されている。裁判員制度では、裁判所の電子速記システムを聴覚障害者の情報保障として、考える向きもある。
その場合、パソコン要約筆記とリアルタイム文字入力の違いを理解しなければならない。
電子速記システムやコンピュータソフトの音声認識の場合、発声された音声を漢字仮名交じり表記にして表示することが可能だ。
改行やケバ取りなどの加工はあるにしても、基本的に話された言葉の音(オン)を文字に変えていく。
これは、パソコン要約筆記が話された言葉の意味を伝えるために、表出された文章が理解しやすいように、積極的に要約筆記者の概念再構築による文章であるのと大きな違いだ。
つまり、リアルタイム文字入力はその表記された文字列が意味を伝えたかどうかは、責任を持たない。
ビートたけしの歌を初めて聞いたが、浅草時代の下積み時代の思いを歌ったものだという。
意外と高いキーも声が出ているし、照れながら歌っている様子が周囲への人への感謝の気持ちが表れていると思った。
おそらく、歌を文字にしただけでは、たけしの想いは伝わらないだろう。音声に加えて、テレビの映像の力は大きい。
歌は、音声があって、伝わる。字にしただけでは伝わらないものがあるように、話し言葉もそのまま文字にしただけでは伝わらないものがある。
難聴者は、それぞれの情報保障手段を対立させるのではなく、特徴、限界をよく理解して、利用しなくてはならない。
違いを理解すれば、パソコン要約筆記とリアルタイム文字表記は併用しても良いのだ。出来るかどうかは分からない部分がある。
ラビット 記
2009年01月07日
要約筆記奉仕員事業の「元」(2)
しかし、要約筆記が奉仕員事業として、スタートしたのはまだ要約筆記の専門性も整理されていない時分でやむを得ないが、それから30年近くも続いてきたことは長すぎる。要約筆記も手話通訳も聴覚障害者のコミュニケーション支援であることから、手話と同様に混同されているが、手話はろう者自身のコミュニケーション方法であり、他者と手話を通じてコミュニケーションする。地域でろう者が普通に生活するためには手話を理解した市民が大勢必要なことから、障害者明るい暮らし促進事業で手話講習会が開かれ、手話の普及を図った。これが社会参加促進事業としての手話奉仕員養成事業である。
これに対して、難聴者等自身のコミュニケーション方法は筆談で対面の会話を行うことにであるが、他の人の話をその場で書いて伝えるという本来高度なコミュニケーション支援方法が奉仕員養成事業と派遣事業として始まった。
長い間、奉仕員事業のままで推移してきたことには、難聴者側からの総括が必要である。
難聴者のニーズと社会的進出の遅れにも関係している。
社会福祉法改正で、手話通訳事業は相談支援事業などとともに障害者の権利擁護事業として、社会福祉法第二種事業になったことはこれまで再三指摘されている。
この時、要約筆記事業も同様に指定されたが、その時の関係者がその意味を十分に理解していたかというとそうではない。1999年に通知された要約筆記奉仕員養成カリキュラムはその理解の限界が現れている。
その本質的理解は2004年の全難聴の要約筆記者制度の確立に向けた事業まで待たねばならなかった。
「要約筆記通訳者制度への課題 〜要約筆記通訳者養成等に関する調査研究事業報告〜」
http://www.zennancho.or.jp/archive/H16f_report.pdf
ラビット 記
要約筆記奉仕員事業の「元」(1)
年賀状に、奉仕員カリキュラムと通訳課程養成カリキュラムの「いいとこ取り」を考えているとあった。養成された担い手の役割も事業の性格も全く違うので、どこをどうしたら折衷するという考えが出てくるのかを考えた。
まず、奉仕員の事業とはどこから出ているのか考えてみたい。
2000年の社会福祉法改正で、社会福祉の「形」が大きく変わった。社会福祉サービスは行政の措置からサービスの利用者がサービス提供事業者と対等な立場で選択出来るようになった。そのサービスは行政だけではなく、民間との協働を積極的に進めることとした。
この時、「社会福祉を目的とした事業」は、国や地方公共団体、社会福祉法人が担うこととされ、「社会福祉に関わる活動」の推進を市町村社会福祉協議会が中心になることを社会福祉法で位置づけた。つまり、「公」の責任とされる部分と民間の活動に委ねる部分を分けた。
「社会福祉に関わる活動」とはボランティアのことで、国の基本方針の通達もでている。その活動の意義の1番目に掲げられているのは活動に参加する人の満足感であることは公的な活動と反対の視点だ。
一方、「社会福祉を目的とする事業」に従事する人は社会福祉士、介護福祉士など福祉援助技術者で、その養成、研修は都道府県社会福祉協議会の役割とされている。
「都道府県社会福祉協議会の役割として社会福祉事業従事者の養成研修、社会福祉事業の経営指導を行うことを明確にすること。」(厚生労働省のHP)
http://www1.mhlw.go.jp/topics/sfukushi/tp0307-1_16.html#no4
この「社会福祉に関わる活動」と「社会福祉を目的とする事業」の基本的な性格の違いが、障害者自立支援法の地域生活支援事業の「社会参加促進事業の要約筆記奉仕員」と「コミュニケーション支援事業の要約筆記者」とに反映している。
おそらく、支援法制定時、実施要項制定時に法的な整合性の検討が加えられたと思われる。
奉仕員の担う要約筆記と要約筆記者の担う要約筆記はどうちがうのか。性格の違う事業の担い手の役割は当然異なる。
コミュニケーション支援事業の実施要項の派遣される「要約筆記奉仕員」は従って、要約筆記者が養成されるまでであり、奉仕員は改めて「者」としての研修が必要になる。
この役割の違いを認識していないことが「いいとこ取り」しようとした思想的背景だろう。
(続く)
ラビット 記
2008年10月31日
要約筆記の「団体派遣」は団体への支援ではない!
東京都は、来年度から要約筆記グループ派遣事業を止めようとしている。東京都は多くの区市からの難聴者等が集う場でのコミュニケーション支援は必要と考えつつも、要約筆記者派遣事業の区市による按分方式にこだわるのは、自立支援法施行後は団体に対する派遣はなくなり、個人への派遣に変わったと考えているからだ。
つまり都事業の要約筆記者派遣は団体に対してサービスや何らかの給付をしてきたと考えている。
しかし、これは大きな間違いだ。なぜならば団体の会議等の場に要約筆記者が派遣されるが要約筆記を利用するのは会議に参加している人だ。東京都のコミュニケーション支援サービスをその会議に出席している難聴者が利用する。
これは東京都中途失聴・難聴者協会が都の施設である東京都障害者会館の部屋を利用しているのと同じ。これを団体への支援とは言わない。
団体が何か知らの代価なり報酬が入ることもない。
それは協会の絵手紙や各種の会の活動を見ても、同じ障害を持つ難聴者が趣味を通じて交流し活きいきとした生活を送ることが目的であり、その場のコミュニケーション支援を必要としているだけだ。
団体はある目的をもった市民、国民の集団であり、自由な活動を憲法で保障されているものです。団体は人の自律的な活動の結節です。障害を理由にその活動に差別が持ち込まれてはならない。特に障害者団体は社会の理解が不十分な状況にあって、自主的に問題を解決したり、自立した生活を送ろうとしているもので、琵琶湖ミレニアム宣言でもこれを保障、推進させる必要があるとされている。
東京都の間違った解釈のために私たちは個人としての団体活動にも大きな支障を受けている。
障害者自立支援法は私たちの自立した生活、活動を保障するものであったはず。しかも厚生労働大臣は現行サービス水準を後退させないと国会答弁しており、厚生労働省もそのことを通知している。
東京都は支援法で市町村が実施できないときは都道府県が行うと定めてあるとおりに実施すべきだろう。
これらのことを都議会各党派にも他の障害者団体にも説明していこう。
ラビット 記

