2012年02月09日
時空を駆けて(7)ユーラシア群青のトライアングル(イスファハーン、サマルカンド、アーグラ)
*******セルジューク朝(B)*******
ここに、セルジューク朝という体制は、トゥルク系遊牧民アルブ アルスラーンと、ペルシャ人官僚ニザーム・アルムルクのゆるぎない絆を出現させた。
以降、彼は、アルブ アルスラーンばかりでなく、その息子マリク シャー(在位1072年〜1092年)の二人の君主のアター ベク(養育係)を務め、双方の宰相となってセルジューク朝を一気に盛り上げていく。
彼こそはセルジューク朝の黄金時代を創りあげた人だった。
ここで私は、ニザーム アルムルクがペルシャ人の官僚であったということが気になった。
両者の関係は、遊牧民オグズ族対ペルシャ人だったのだ。これが遊牧民オグズ族対アラブ人だったら、話も歴史も大きく変わっていたかもしれない。
ササン朝がアラブに敗れて以来、大半のペルシャ人が、生き残るためにイスラーム教を受け容れた。人間の考え方を、外の力によって変えるという行為には時として生命をかけた残虐な軋轢が生じる。
ゾロアスター教を国教と認めたササン朝の国家組織は、神官階級、戦士階級、農民階級から成っていた。最後まで生き残ったとされる神官階級は、最後まで抵抗したということだ。
ということは。。。
ここで妄想(!?)が始まる。
ニザーム アルムルクという人物は、混沌として定まらなかったゾロアスター教の神官階級の血を引く生き残りだったのではないだろうか?
待てよ、それはないだろう!?
セルジューク朝の宰相として、イスラーム教スンナ派の指導者として敢然と先頭を走った人こそ、誰あろうニザーム・アルムルクだったのだから。。。
彼の事は調べた限り、どの資料にもイラン東部のホラーサーン地方の都市、トゥース近くの町の地主の家に生まれたとだけある。
しかし。。。
仮にゾロアスター教の神官階級と直接の関係はないとしても、セルジューク朝で果たした彼の業績や足跡をたどる時、彼が生半可な知力、胆力の持ち主ではなかったことが分かってくる。
羽根を伸ばす私の妄想(!?)は留まることを知らない。
唐突ながら、ここでヤズドという町について話そう。
何故ならニザーム アルムルクが、アルブ アルスラーンやマリク シャーと共にしっかりと軸足をおいた町イスファハーンのすぐ近くにある町であり、今でも、ゾロアスター教を色濃く残す町だから。
私は、2010年この町の「沈黙の塔」と呼ばれる、少し前までゾロアスター教徒の墓場として使われたという丘を訪れた。
その時の記録を抜粋しながら進めよう。
>ヤズドの町は、土レンガの町だ。
この町を有名にしているのは、沈黙の塔である。それは小高いふたつの丘の上に、円筒形の土レンガで出来たものがのっているのですぐに分かった。そのうちのひとつの丘に登ることにする。
ヤズドは、イラン中央部ヤズド州の州都で人口は約50万人。ササン朝期から、ゾロアスター教文化の中心地となっていたと言われる。
それは、沈黙の塔「ダフネ」と呼ばれるソロアスター教徒の墓場とされている所に足を踏み入れるとよく分かる。
私が興味深かったのは、その丘の麓に点在する建物だった。
その昔、信者たちがここで葬儀を行ったという。
葬儀のために集ったと言われる建物の屋根に、私は今でもそれぞれ、そのまま乗っかっているあの玉葱形のドームを見つけた。
私がイスラーム モスクの原型と思い込んでいた丸いドーム形が、ゾロアスター教の施設のあちこちの屋根に乗っかっていた!
ドームを頂く方形の様式は、まるでイスラーム建築そのものではないか。ただし全て土レンガで出来ていた。
沈黙の塔まで上り詰めると、向こうにザクロス山脈の最高峰ミールクウ山が雪を冠った姿を見せている。地上は40度C近いというのに。。。
改めて下を見ると、確かにいくつもある葬儀場は、何度見てもそれぞれの建物はドームを冠っていた。
地形としてはここがキャヴィール砂漠とルート砂漠が交わる場所であることから、攻撃を受けにくく近隣のソロアスター教徒を初め、多くに人々がこの町に逃げて来たのだという。つまりイスラーム教からの避難場所となった町だった。
そんな町の近くイスファハーンに根を張った、イスラーム教スンナ派を掲げるセルジューク朝が、このヤズドの町を破壊し、イスラーム教徒を殺害したという記録を知らない。長い時間をかけて、かなりイスラーム化したとは言え、今でもヤズドはソロアスター教色を色濃く残している町だ。
それにしてもこの地は熱くて乾燥している。この地域が、世界最大とも言われるカナート(地下水トンネル)網を有するというのもうなずける。そう言えばダフネに入ってすぐ、大きな氷室があった。横にあった風の塔もすっかりおなじみになった。
もともとは火を神聖視するゾロアスター教が、死体が火を汚す事のないよう自然葬という形で始まったのだとか。
沈黙の塔の頂きにある大きな円筒型の場所に死体を置いて放置すると、風の流れで臭いを感じたミールクウ山のハゲタカやカラスが飛んできて死体をついばみ骨だけにしてしまうので、後に 鳥葬の場として知られるようになった。
骨は最後に塩酸で説かされて、管をとおって砂漠に消える。彼等は土も汚したくなかったのだ。
20世紀に入って前パーレビ国王がこれを禁じ、現在は土葬になっているという
(続)
ここに、セルジューク朝という体制は、トゥルク系遊牧民アルブ アルスラーンと、ペルシャ人官僚ニザーム・アルムルクのゆるぎない絆を出現させた。
以降、彼は、アルブ アルスラーンばかりでなく、その息子マリク シャー(在位1072年〜1092年)の二人の君主のアター ベク(養育係)を務め、双方の宰相となってセルジューク朝を一気に盛り上げていく。
彼こそはセルジューク朝の黄金時代を創りあげた人だった。
ここで私は、ニザーム アルムルクがペルシャ人の官僚であったということが気になった。
両者の関係は、遊牧民オグズ族対ペルシャ人だったのだ。これが遊牧民オグズ族対アラブ人だったら、話も歴史も大きく変わっていたかもしれない。
ササン朝がアラブに敗れて以来、大半のペルシャ人が、生き残るためにイスラーム教を受け容れた。人間の考え方を、外の力によって変えるという行為には時として生命をかけた残虐な軋轢が生じる。
ゾロアスター教を国教と認めたササン朝の国家組織は、神官階級、戦士階級、農民階級から成っていた。最後まで生き残ったとされる神官階級は、最後まで抵抗したということだ。
ということは。。。
ここで妄想(!?)が始まる。
ニザーム アルムルクという人物は、混沌として定まらなかったゾロアスター教の神官階級の血を引く生き残りだったのではないだろうか?
待てよ、それはないだろう!?
セルジューク朝の宰相として、イスラーム教スンナ派の指導者として敢然と先頭を走った人こそ、誰あろうニザーム・アルムルクだったのだから。。。
彼の事は調べた限り、どの資料にもイラン東部のホラーサーン地方の都市、トゥース近くの町の地主の家に生まれたとだけある。
しかし。。。
仮にゾロアスター教の神官階級と直接の関係はないとしても、セルジューク朝で果たした彼の業績や足跡をたどる時、彼が生半可な知力、胆力の持ち主ではなかったことが分かってくる。
羽根を伸ばす私の妄想(!?)は留まることを知らない。
唐突ながら、ここでヤズドという町について話そう。
何故ならニザーム アルムルクが、アルブ アルスラーンやマリク シャーと共にしっかりと軸足をおいた町イスファハーンのすぐ近くにある町であり、今でも、ゾロアスター教を色濃く残す町だから。
私は、2010年この町の「沈黙の塔」と呼ばれる、少し前までゾロアスター教徒の墓場として使われたという丘を訪れた。
その時の記録を抜粋しながら進めよう。
>ヤズドの町は、土レンガの町だ。
この町を有名にしているのは、沈黙の塔である。それは小高いふたつの丘の上に、円筒形の土レンガで出来たものがのっているのですぐに分かった。そのうちのひとつの丘に登ることにする。
ヤズドは、イラン中央部ヤズド州の州都で人口は約50万人。ササン朝期から、ゾロアスター教文化の中心地となっていたと言われる。
それは、沈黙の塔「ダフネ」と呼ばれるソロアスター教徒の墓場とされている所に足を踏み入れるとよく分かる。
私が興味深かったのは、その丘の麓に点在する建物だった。
その昔、信者たちがここで葬儀を行ったという。
葬儀のために集ったと言われる建物の屋根に、私は今でもそれぞれ、そのまま乗っかっているあの玉葱形のドームを見つけた。
私がイスラーム モスクの原型と思い込んでいた丸いドーム形が、ゾロアスター教の施設のあちこちの屋根に乗っかっていた!
ドームを頂く方形の様式は、まるでイスラーム建築そのものではないか。ただし全て土レンガで出来ていた。
沈黙の塔まで上り詰めると、向こうにザクロス山脈の最高峰ミールクウ山が雪を冠った姿を見せている。地上は40度C近いというのに。。。
改めて下を見ると、確かにいくつもある葬儀場は、何度見てもそれぞれの建物はドームを冠っていた。
地形としてはここがキャヴィール砂漠とルート砂漠が交わる場所であることから、攻撃を受けにくく近隣のソロアスター教徒を初め、多くに人々がこの町に逃げて来たのだという。つまりイスラーム教からの避難場所となった町だった。
そんな町の近くイスファハーンに根を張った、イスラーム教スンナ派を掲げるセルジューク朝が、このヤズドの町を破壊し、イスラーム教徒を殺害したという記録を知らない。長い時間をかけて、かなりイスラーム化したとは言え、今でもヤズドはソロアスター教色を色濃く残している町だ。
それにしてもこの地は熱くて乾燥している。この地域が、世界最大とも言われるカナート(地下水トンネル)網を有するというのもうなずける。そう言えばダフネに入ってすぐ、大きな氷室があった。横にあった風の塔もすっかりおなじみになった。
もともとは火を神聖視するゾロアスター教が、死体が火を汚す事のないよう自然葬という形で始まったのだとか。
沈黙の塔の頂きにある大きな円筒型の場所に死体を置いて放置すると、風の流れで臭いを感じたミールクウ山のハゲタカやカラスが飛んできて死体をついばみ骨だけにしてしまうので、後に 鳥葬の場として知られるようになった。
骨は最後に塩酸で説かされて、管をとおって砂漠に消える。彼等は土も汚したくなかったのだ。
20世紀に入って前パーレビ国王がこれを禁じ、現在は土葬になっているという
(続)

