2010年09月22日
オジさんのオバさん化
海に近い町に越したことを最大限に生かし、時間が
あれば釣り、釣りです。
とは言っても漁獲や大物に拘る本格的なものではなく
糸を垂れ、浮きを見ていれば満足の瞑想的、消極的な
釣り。
幸い砂浜、防波堤、磯と選り取りみどりの環境なこと
から時間やタイミングで決めています。
ぼんやりしたい時は砂浜の投げ、雰囲気に浸るには
磯、手っ取り早くは防波堤の具合。
朝や夕方ちょこっとやりたい時はもっぱら防波堤もし
くは港にはせ参じます。
ただ防波堤の場合は常連が多く一見で臨むには多少の
勇気が必要。
主に地元の人であり、小さい頃からや誰々の息子と言
った歴史が防波堤にはあります。
越して来た当初は「誰だこいつ。。」「見掛けないヤ
ツ。。」と言いたげな視線を浴び、やや遠慮がちな位
置を確保もやむを得ません、何と言っても新参者、防
波堤デビューですから。
通ううちにそうした視線も気にならなくなり出来るだ
けいい位置ににじり寄るわけですが
地元のオジさん達はなぜだかやたらしゃべる。
釣りは元来静かに海と対峙、孤独に浸るもの。。が私
の概念、親子連れならまだしも私と同じぐらいのオジ
さん達がオバさん顔負けにとにかくしゃべる。
瞑想しつつ浮きを見つめる私の釣りには甚だ適さない
環境が出来上がってしまう。
やや耳が遠いことも手伝ってか声も大きい。
どうでもいい話が延々と続くなか、静寂を破られたう
え一向に引こうともしないウキをただ見つめている私
の身にもなって欲しいと想う今日この頃ではある。。
オジさんは寡黙で然るべきなり。
あれば釣り、釣りです。
とは言っても漁獲や大物に拘る本格的なものではなく
糸を垂れ、浮きを見ていれば満足の瞑想的、消極的な
釣り。
幸い砂浜、防波堤、磯と選り取りみどりの環境なこと
から時間やタイミングで決めています。
ぼんやりしたい時は砂浜の投げ、雰囲気に浸るには
磯、手っ取り早くは防波堤の具合。
朝や夕方ちょこっとやりたい時はもっぱら防波堤もし
くは港にはせ参じます。
ただ防波堤の場合は常連が多く一見で臨むには多少の
勇気が必要。
主に地元の人であり、小さい頃からや誰々の息子と言
った歴史が防波堤にはあります。
越して来た当初は「誰だこいつ。。」「見掛けないヤ
ツ。。」と言いたげな視線を浴び、やや遠慮がちな位
置を確保もやむを得ません、何と言っても新参者、防
波堤デビューですから。
通ううちにそうした視線も気にならなくなり出来るだ
けいい位置ににじり寄るわけですが
地元のオジさん達はなぜだかやたらしゃべる。
釣りは元来静かに海と対峙、孤独に浸るもの。。が私
の概念、親子連れならまだしも私と同じぐらいのオジ
さん達がオバさん顔負けにとにかくしゃべる。
瞑想しつつ浮きを見つめる私の釣りには甚だ適さない
環境が出来上がってしまう。
やや耳が遠いことも手伝ってか声も大きい。
どうでもいい話が延々と続くなか、静寂を破られたう
え一向に引こうともしないウキをただ見つめている私
の身にもなって欲しいと想う今日この頃ではある。。
オジさんは寡黙で然るべきなり。
2008年11月04日
やれば出来る
28の娘にふと山歩きを口にしたところ同僚が教えてくれたと言う山梨県南部の三ツ峠と言う標高1750メートルほどの山に誘われた、山歩き程度の発想には少しハードルの高いものだった。
富士山を眺めるのが好きな娘は暇をみてはドライブに出掛けていたが、その三ツ峠から見る富士山は稜線がとても美しいと聞いたことで、運動のため登って見ようと言う気になったらしい。
私の山登りの経験は一度だけ、それも30年前10代の頃だが頂上に立った感激と登ることのハードさは未だに覚えている。
特に運動らしいこともしていない58の身と、初めての28の娘の不安はあったが日帰り可能な高さ、頂上まで辿り着けなくて良いとの気楽な気持ちで出掛けて見た。
河口湖側の登山道から入り三ツ峠駅側に抜けるのが標準のコースと聞いていたが、初めてと言うことと頂上までは体力的に無理だろうとの判断で距離の近い三ツ峠駅側からにした。
季節的に午後4時には日も暮れかかり、山頂往復に7時間と聞いていたことからもせいぜい7合目程度登られれば良しと話していた。方向的にその辺りからでも富士山は見えそうだった。
車を登山道近くの駐車場に停めリュックを背にすると二人の気分だけは一丁前だった。
登山道入り口までの舗装された坂を登るだけですでにふくらはぎが痛い。これではと笑いながらせめて登山道を歩いて見なければと足を進めた。
そうして登山道入り口に入るとようやく登山らしい気分になって来た。
狭く岩だらけの山道は思ったより傾斜もキツかった。どこで下山を決心するかだけだと冗談を交わしながら一時間ほど登った辺りで富士山の姿が見えた。曇りのち晴れの天気予報通りに薄いモヤは掛かっているものの全景を見ることが出来た。頂上にはところどころ冠雪も見え頂上にはわずかに雲が掛かっていた。
娘はさっそくカメラに収め、一応の目的は達せたと喜んだ。右側の空が明るくこれからさらに晴れることを窺がわせ、もう少し登っているうちに雲もとれそうと言うことでさらに登り始めたが、さすがに足が重くなって来た。
下山する人達と挨拶を交わしながら進むがペースはかなり落ち息も切れて来た。娘はしきりに私を案じ始めたが登り始めて2時間が経過、ほぼ半分を過ぎたことが引き返す気持ちにさせなかったようだ。また随所から見ることの出来る富士の姿が時間を追うごとに雲も薄らいで来ることにも励まされた。
一つの山と言うものでなくいくつかの山が折り重なった所にある山道らしく頂上に見えたその裏にさらに高い山がある。娘も少し口数が少なくなりながらも双方引き返そうとは口に出せないままに小休止。この先の山が辺りで一番高いことからあれだろうとの目測は付けたがまだ相当ありそうだった。途中に切り立った断崖がありそこからクライミングする人もいるとの話から娘はそれを見て見たいのが当面の目標だった。
登っていた道が先で裏側に回り込んでいた。先に歩いた娘がその稜線辺りに立って笑顔を見せた。息を切らしてそこに着くと先にある山肌に見事な絶壁が見え、クライマーらしい姿もあった。不思議な事にさっきまで重かった足が軽くなっていた、娘も同様らしい。
崖とクライマーに誘われるようにその崖下まで一気に歩いた。真下から見るその切り立った崖の荒々しい岩肌と自然の迫力に圧倒され、娘は呆れたように仰いでいた。
切り立った岩肌にハーケンを打ち込み登り始める中年夫婦と思しき二人、岩肌をまさぐるように手足を掛けよじ登る姿に、何がこの人たちを掻き立てるのかなどと語りながらただ感心して見ていた。
反対側へ回るとさらに崖は続き、いくつかの青年たちのグループがその頂上を目指してよじ登っていた。
つまり山頂はこの崖の上と確認し、この山道からもうそう遠くないことが分かった。崖を登る人たちの姿に励まされ戻ることはすでに頭にはなく山頂に立つ喜びだけに向かっていた。
道はかなり急となり励まし合いつつそれを越えると山頂らしい辺りに建物の姿が見え、どうやら山小屋らしい。もう一息と声を掛け合い進むと道は急斜面に階段状となりいよいよ最後の道となった。
なぜか軽くなっていた足に最後の階段はダメ押しとなった。急なうえに段が高く足がまるで上がらない。今までの山道には足が慣れたことで軽くなったようだ、しかし階段となればかなり勝手が違った。思うように足が持ち上がらず太ももが痛い、さらにかなりの段数もあった。よじ登るように一段ずつ体を持ち上げ、娘はこれでもクライミングよりは楽かもと笑った。
汗だくになりながらついに登りつめ平坦な場所に立つと「やったー」と娘の満足げな一声を聞いた。
荒くなった息を鎮め周りを見ると山荘の建物と周りにベンチが置かれて、そこに腰を降ろして娘のよこした水をもらい一息ついた。
山荘の脇は小高い丘となっていて石碑のようなものがある、どうやらそこが山頂のようだった。
そこで記念写真を撮ろうと移動、鎖で繋がれた大きな白い犬に娘は気を取られていた。
岩をコンクリートで固めた円筒形のものが頂上の碑を窺わせそこに娘を立たせ、数本の木が邪魔ながら富士を背景に写真を撮るとさすがにいい表情を見せた。
丘の向こうにももう一軒の山荘らしい建物があり展望しやすいようでさらに移動。木立に遮られない富士の絶景を目にした。こうした登頂達成を前提としていなかったせいで何の準備もなかったことを笑い、娘が作って来たと言うにぎりめしで祝うことにした。
近くに座れそうな場所がないことでさっきの山荘のベンチで食べることにした。
さっきの碑を通ると先のさらに高い位置の放送施設のようで建物と大きなアンテナが見えた。
そう言えば娘を記念写真に収める時にふと気になることがあった。
碑ではあるが山頂とも何とも文字がなく記念写真としてはやや気になった、通常は写真で分かりやすい表示があるからだ。
娘に言うと本を開いて調べ始めたが詳しい記載がないようだった。
アンテナの方を眺めていた娘が登って行く人がいると叫んだ。握り飯を持ったまま山荘の案内板を見ると山頂へと矢印の看板があり15分と書かれていた。
ここが山頂と信じた身にさらに登るのはキツいが15分とあれば行くしかないことだった。
知らずに降りていたら悔しい思いとなることで、にぎりめしは正しい山頂で食おうと言いその道に向かった。
ここまでのどこよりも苦痛な気がした。目の先に行く手は見え、確かに通常の山道なら15分かも知れないがかなり急な砂利のような斜面かあの苦痛な階段かの選択となっている。結局階段となるが一度山頂と思ってしまった身には足もやる気を失っていて横にあるNHKの表示施設と言い非常に気分を害する行程となった。
同日二度目の登頂を味わう。
思っていた通りに今度は三ツ峠山頂標高1760Mと具体的な石碑があり、これが何よりの証拠と再記念撮影をした。
多少形の崩れてしまったにぎりめしをほお張りながら街に帰って知った無念さを思えば言うことはなしと再度娘と登頂成功を祝い、この一部始終を見て来た富士がどう思っているかと笑った。
ドラマチックな登頂達成に想定外の時間を費やしたことで下山はかなり急ぐ必要に迫られた。同じルートを戻ることでただ急ぎさえすればいいようなものだが登りと下りは見える景色も異なり、さらに使う足の筋肉も違うようだ。登りのノンビリさと比べればまるで駆け降りてでもいるようなのはすでに日没にあるからだ。娘の同僚の言っていたと言う熊避けの鈴もない二人とあっては急ぐ以外に方法はなかった。
ようやく麓の平坦な道に辿り着くとすでにトップリと日は暮れ娘の顔も見えないほど。駐車場の車の前で娘と握手し何はともあれの今日の成果を確かめ合った。
二人して面白く感じたのは、当初どうしても登頂との根性で臨んだわけでもないものの、引き返そうと言う言葉を待っていながらどちらも口に出さなかったことで結局頂上まで行かせたと言うことだった。
無謀への反省や準備不足はあるが、やれば出来ることを身をもって知った成果を笑いながら帰途に就いた。
富士山を眺めるのが好きな娘は暇をみてはドライブに出掛けていたが、その三ツ峠から見る富士山は稜線がとても美しいと聞いたことで、運動のため登って見ようと言う気になったらしい。
私の山登りの経験は一度だけ、それも30年前10代の頃だが頂上に立った感激と登ることのハードさは未だに覚えている。
特に運動らしいこともしていない58の身と、初めての28の娘の不安はあったが日帰り可能な高さ、頂上まで辿り着けなくて良いとの気楽な気持ちで出掛けて見た。
河口湖側の登山道から入り三ツ峠駅側に抜けるのが標準のコースと聞いていたが、初めてと言うことと頂上までは体力的に無理だろうとの判断で距離の近い三ツ峠駅側からにした。
季節的に午後4時には日も暮れかかり、山頂往復に7時間と聞いていたことからもせいぜい7合目程度登られれば良しと話していた。方向的にその辺りからでも富士山は見えそうだった。
車を登山道近くの駐車場に停めリュックを背にすると二人の気分だけは一丁前だった。
登山道入り口までの舗装された坂を登るだけですでにふくらはぎが痛い。これではと笑いながらせめて登山道を歩いて見なければと足を進めた。
そうして登山道入り口に入るとようやく登山らしい気分になって来た。
狭く岩だらけの山道は思ったより傾斜もキツかった。どこで下山を決心するかだけだと冗談を交わしながら一時間ほど登った辺りで富士山の姿が見えた。曇りのち晴れの天気予報通りに薄いモヤは掛かっているものの全景を見ることが出来た。頂上にはところどころ冠雪も見え頂上にはわずかに雲が掛かっていた。
娘はさっそくカメラに収め、一応の目的は達せたと喜んだ。右側の空が明るくこれからさらに晴れることを窺がわせ、もう少し登っているうちに雲もとれそうと言うことでさらに登り始めたが、さすがに足が重くなって来た。
下山する人達と挨拶を交わしながら進むがペースはかなり落ち息も切れて来た。娘はしきりに私を案じ始めたが登り始めて2時間が経過、ほぼ半分を過ぎたことが引き返す気持ちにさせなかったようだ。また随所から見ることの出来る富士の姿が時間を追うごとに雲も薄らいで来ることにも励まされた。
一つの山と言うものでなくいくつかの山が折り重なった所にある山道らしく頂上に見えたその裏にさらに高い山がある。娘も少し口数が少なくなりながらも双方引き返そうとは口に出せないままに小休止。この先の山が辺りで一番高いことからあれだろうとの目測は付けたがまだ相当ありそうだった。途中に切り立った断崖がありそこからクライミングする人もいるとの話から娘はそれを見て見たいのが当面の目標だった。
登っていた道が先で裏側に回り込んでいた。先に歩いた娘がその稜線辺りに立って笑顔を見せた。息を切らしてそこに着くと先にある山肌に見事な絶壁が見え、クライマーらしい姿もあった。不思議な事にさっきまで重かった足が軽くなっていた、娘も同様らしい。
崖とクライマーに誘われるようにその崖下まで一気に歩いた。真下から見るその切り立った崖の荒々しい岩肌と自然の迫力に圧倒され、娘は呆れたように仰いでいた。
切り立った岩肌にハーケンを打ち込み登り始める中年夫婦と思しき二人、岩肌をまさぐるように手足を掛けよじ登る姿に、何がこの人たちを掻き立てるのかなどと語りながらただ感心して見ていた。
反対側へ回るとさらに崖は続き、いくつかの青年たちのグループがその頂上を目指してよじ登っていた。
つまり山頂はこの崖の上と確認し、この山道からもうそう遠くないことが分かった。崖を登る人たちの姿に励まされ戻ることはすでに頭にはなく山頂に立つ喜びだけに向かっていた。
道はかなり急となり励まし合いつつそれを越えると山頂らしい辺りに建物の姿が見え、どうやら山小屋らしい。もう一息と声を掛け合い進むと道は急斜面に階段状となりいよいよ最後の道となった。
なぜか軽くなっていた足に最後の階段はダメ押しとなった。急なうえに段が高く足がまるで上がらない。今までの山道には足が慣れたことで軽くなったようだ、しかし階段となればかなり勝手が違った。思うように足が持ち上がらず太ももが痛い、さらにかなりの段数もあった。よじ登るように一段ずつ体を持ち上げ、娘はこれでもクライミングよりは楽かもと笑った。
汗だくになりながらついに登りつめ平坦な場所に立つと「やったー」と娘の満足げな一声を聞いた。
荒くなった息を鎮め周りを見ると山荘の建物と周りにベンチが置かれて、そこに腰を降ろして娘のよこした水をもらい一息ついた。
山荘の脇は小高い丘となっていて石碑のようなものがある、どうやらそこが山頂のようだった。
そこで記念写真を撮ろうと移動、鎖で繋がれた大きな白い犬に娘は気を取られていた。
岩をコンクリートで固めた円筒形のものが頂上の碑を窺わせそこに娘を立たせ、数本の木が邪魔ながら富士を背景に写真を撮るとさすがにいい表情を見せた。
丘の向こうにももう一軒の山荘らしい建物があり展望しやすいようでさらに移動。木立に遮られない富士の絶景を目にした。こうした登頂達成を前提としていなかったせいで何の準備もなかったことを笑い、娘が作って来たと言うにぎりめしで祝うことにした。
近くに座れそうな場所がないことでさっきの山荘のベンチで食べることにした。
さっきの碑を通ると先のさらに高い位置の放送施設のようで建物と大きなアンテナが見えた。
そう言えば娘を記念写真に収める時にふと気になることがあった。
碑ではあるが山頂とも何とも文字がなく記念写真としてはやや気になった、通常は写真で分かりやすい表示があるからだ。
娘に言うと本を開いて調べ始めたが詳しい記載がないようだった。
アンテナの方を眺めていた娘が登って行く人がいると叫んだ。握り飯を持ったまま山荘の案内板を見ると山頂へと矢印の看板があり15分と書かれていた。
ここが山頂と信じた身にさらに登るのはキツいが15分とあれば行くしかないことだった。
知らずに降りていたら悔しい思いとなることで、にぎりめしは正しい山頂で食おうと言いその道に向かった。
ここまでのどこよりも苦痛な気がした。目の先に行く手は見え、確かに通常の山道なら15分かも知れないがかなり急な砂利のような斜面かあの苦痛な階段かの選択となっている。結局階段となるが一度山頂と思ってしまった身には足もやる気を失っていて横にあるNHKの表示施設と言い非常に気分を害する行程となった。
同日二度目の登頂を味わう。
思っていた通りに今度は三ツ峠山頂標高1760Mと具体的な石碑があり、これが何よりの証拠と再記念撮影をした。
多少形の崩れてしまったにぎりめしをほお張りながら街に帰って知った無念さを思えば言うことはなしと再度娘と登頂成功を祝い、この一部始終を見て来た富士がどう思っているかと笑った。
ドラマチックな登頂達成に想定外の時間を費やしたことで下山はかなり急ぐ必要に迫られた。同じルートを戻ることでただ急ぎさえすればいいようなものだが登りと下りは見える景色も異なり、さらに使う足の筋肉も違うようだ。登りのノンビリさと比べればまるで駆け降りてでもいるようなのはすでに日没にあるからだ。娘の同僚の言っていたと言う熊避けの鈴もない二人とあっては急ぐ以外に方法はなかった。
ようやく麓の平坦な道に辿り着くとすでにトップリと日は暮れ娘の顔も見えないほど。駐車場の車の前で娘と握手し何はともあれの今日の成果を確かめ合った。
二人して面白く感じたのは、当初どうしても登頂との根性で臨んだわけでもないものの、引き返そうと言う言葉を待っていながらどちらも口に出さなかったことで結局頂上まで行かせたと言うことだった。
無謀への反省や準備不足はあるが、やれば出来ることを身をもって知った成果を笑いながら帰途に就いた。
2008年10月30日
一期一会
故郷の友人Mより電話があり、出張で上京しているので明日夜渋谷辺りでどうかとのことだった。宮城からTも来ると言うことで私も東京に住む友人Sを誘っておくことにした。
我々4人は故郷の高校時代からの友人でMとは3年ぶり、宮城から来ると言うTとはもう30年近く会ってはいなかった。
50代も半ばを過ぎると同窓会などもいささか面倒になる。特にほのかな憧れを抱いていた同級の女性とは再会の喜びよりも後悔が大きいのは会う寸前まで脳裏にあったイメージが上書きされるため、誰のせいでもないが大方の場合帰宅の足取りを重くさせ、二度目からは退屈でしかない。
今回は男ばかりのうえ30年ぶりのTに会えることに多少の楽しみがあった。4人共に同じ高校を卒業し進学でしばらく東京にいた、さらにTとは数年下宿の同じ部屋に過ごした仲だ。
さすがに30年ぶり、同じ町内一裕福な家に育った当時はスマートだった坊ちゃんTの下っ腹の出た姿に驚いた。
Tが結婚直後父親の経営する会社が倒産、女房の実家宮城に移り住むことになったと消息には聞いていた。面影を残したTの人知れずの苦労や歳なりの体調、下宿当時の思い出や付き合っていた女のことなど結局終電間際までTとの話に花が咲き、またいつかを言葉に駅で別れた。
翌年の師走、Sから電話がありMが上京しているので明日の夜どうかとの事、Tも来るそうだった。
私は多少の都合もあり、多分行けるとの返答をしておいた。
翌日用事は早く終えたがどこか気乗りのしない理由に気付いた。昨年の感動のあとに特に話したいような何があったわけではなかったからだ。
結局私は失礼のない程度の用事を理由に私はその夜の誘いは断った。
昨年のTとの30年ぶり、今生の別れを意識してか忘れられないものとなった一夜の記憶、それ以上のものが今夜にあるとは思えなかったからだ。
人生には一度きりだからこそ美しく感動させることが多く、特に青春の記憶とは美しくも脆い、扱いを誤れば永久に失うものだ。私にとって人生とは一過性のもの、歳を経ての夢よもう一度とかいつまでも青春と言う言葉はあまり好きではない。
私もあの彼らと十代にバンドをやっていたことがあるが市民祭などのオヤジバンドをやりたいとは思わない、楽しそうだからこそ私には悲しく映る。
テレビにも同じ趣旨の番組が多いが面白さの後に来る虚しさ、悪趣味に上書きされたものはもう元には戻せない。青春時代のアイドルは記憶にあって美しく、あの人もあの頃の記憶にあって輝く。
私は一度だけを大切にしたい。
我々4人は故郷の高校時代からの友人でMとは3年ぶり、宮城から来ると言うTとはもう30年近く会ってはいなかった。
50代も半ばを過ぎると同窓会などもいささか面倒になる。特にほのかな憧れを抱いていた同級の女性とは再会の喜びよりも後悔が大きいのは会う寸前まで脳裏にあったイメージが上書きされるため、誰のせいでもないが大方の場合帰宅の足取りを重くさせ、二度目からは退屈でしかない。
今回は男ばかりのうえ30年ぶりのTに会えることに多少の楽しみがあった。4人共に同じ高校を卒業し進学でしばらく東京にいた、さらにTとは数年下宿の同じ部屋に過ごした仲だ。
さすがに30年ぶり、同じ町内一裕福な家に育った当時はスマートだった坊ちゃんTの下っ腹の出た姿に驚いた。
Tが結婚直後父親の経営する会社が倒産、女房の実家宮城に移り住むことになったと消息には聞いていた。面影を残したTの人知れずの苦労や歳なりの体調、下宿当時の思い出や付き合っていた女のことなど結局終電間際までTとの話に花が咲き、またいつかを言葉に駅で別れた。
翌年の師走、Sから電話がありMが上京しているので明日の夜どうかとの事、Tも来るそうだった。
私は多少の都合もあり、多分行けるとの返答をしておいた。
翌日用事は早く終えたがどこか気乗りのしない理由に気付いた。昨年の感動のあとに特に話したいような何があったわけではなかったからだ。
結局私は失礼のない程度の用事を理由に私はその夜の誘いは断った。
昨年のTとの30年ぶり、今生の別れを意識してか忘れられないものとなった一夜の記憶、それ以上のものが今夜にあるとは思えなかったからだ。
人生には一度きりだからこそ美しく感動させることが多く、特に青春の記憶とは美しくも脆い、扱いを誤れば永久に失うものだ。私にとって人生とは一過性のもの、歳を経ての夢よもう一度とかいつまでも青春と言う言葉はあまり好きではない。
私もあの彼らと十代にバンドをやっていたことがあるが市民祭などのオヤジバンドをやりたいとは思わない、楽しそうだからこそ私には悲しく映る。
テレビにも同じ趣旨の番組が多いが面白さの後に来る虚しさ、悪趣味に上書きされたものはもう元には戻せない。青春時代のアイドルは記憶にあって美しく、あの人もあの頃の記憶にあって輝く。
私は一度だけを大切にしたい。
2008年10月28日
時がくれたもの
小柄でひょうきん者の娘は年子の姉たちと6年ほど間をおいて生まれたことで家族に可愛がられ育った。父の私にも姉たちと異なる優しさを見せ、小三の頃雨の降り出した駅に傘を手に駆け寄って来る照れくさそうな笑顔をまだ鮮明に覚えている。誕生日には必ず手作りのカードをくれ、高校生の時には以前の話を覚えていたと油絵のセットを誕生日にくれたものだ。
娘が12歳の時に離婚して以来家族の絆をつないで来たのもこの娘。足りない時を埋めようとよく二人で車でも出掛け、幼い頃の習慣から19歳の時まで手をつないで歩いたものだ。私の趣味の写真に興味を持っていたか高校を卒業してからは大学進学を勧めたものの娘は希望する写真専門学校へと進み、写真を通じて語る機会も生まれた。
2年のちに学校の研修で6か月間を東南アジアの国々に過ごすことになったが、折しも鶏インフルエンザなどで騒いでいた時期、さらにマラリアなどの心配のある地域から果たして無事帰国出来るかを心配しながら送り出した。
心配に対してはブログを使って無事に過ごしていることを日々伝えてよこし、帰国後は様々な国での感動や人と知り合えた喜びを熱く話してくれた。
何かを悟ったらしく卒業後は写真を職とせずテレビ番組制作のプロダクションにADとして入社、最初の一年はそうした社会人生活に馴染めないようで度々辞めたいと漏らしていた。頭にはいつも東南アジアの中でも最も気に入っていたインドの小さな町の光景や素朴な暮らしがあったようで、その年の暮れには貯めた休暇を使いその町へと旅立った。
どうやら6か月の影響が大きく日常に脱し切れないようだった。
帰国後はさらに仕事への不満が強くなったが不況の中、さらに経験も少ないことから踏みとどまることを説得、上司に打ち明けたところ若干の希望が叶えられたとして継続となった。
翌年には仕事にも慣れ、研修で訪れた台湾へ今度は仕事で行く機会に恵まれ、やる気を持ったようだ。
夏の初め、付き合っている男性のいることを打ち明けられた。近い将来一緒になることも考えているとの話だった。
男親にとっては来るべき時が来たと言うだけの事だが、記憶に焼きつく姿が重なり戸惑った。
しばらくして突然に今夜付き合っている男性と一緒に食事はどうかの連絡があった。拒む理由が瞬時に見つからず3人で食事することになった。
駅に待ち合わせると娘の傍らに立つ男性がいた。すべて既成事実となっていることから言葉も浮かばず、ただ挨拶を交わした。
男としてはすでに逆の立場で体験済みのことだが私としては多少の反対が試金石として必要に考えていたがすでに娘の作戦の中にあってその機会を失った。家族には紹介済みと聞き私と会うのは最後の手続きに過ぎない。
そうした二人を前に飲む酒はほろ苦く、あまり居心地の良いものではないが、暮らしを共にしなかった私には娘はあの頃のまま、交際相手に会ってさえ何も実感させなかった。
8月、茅ヶ崎に住む長女の誘いで娘と花火大会を一緒に見に行くことにした。待ち合わせのホームの先から笑顔で走り寄って来る娘がいつかの姿と二重写しとなった。茅ヶ崎へ向かう電車でまたインドへ行きたくなって来たと言い、私もいつか行って見たいアジアの町の話をした。
花火大会から一週間ほどして来月休みをとれないかとの話があった、内容は期間が合えばインドはどうかだったが、言ってみただけのことのような気もした。
父親にとって一般的に娘と一緒の海外旅行など通常は叶わぬ夢、娘を誘ったところで傷付かない程度の理由をもって断られるものだ。
行きたくないはずもない誘いだが不況にあって仕事のことや日常に追われ今はそれどころではないのが本音だった。60歳を目前の世代となっては海外観光旅行などおよそ定年後の暇つぶしか、でなくとも優先順位としてはかなり下にありいつか将来と言っては実行されないことの筆頭に近い。
知らない国への好奇心はあれ今それを知ったところで生き方を変えられない年齢にあって娘が感動した風景をこの目で見たい気持ちは確かにあるがやはり現実的には捉えられず、インドは日数的に今年は無理なことを伝えた。その一方で来年になれば行ける根拠があるわけでもなく、更に気力も衰えていることも自分ながらに分かってもいた。
数日後、今度は私が見たいと言った町ではどうかと聞いて来た。私が話した所はベトナムの小さな町、ベトナムならインドへの約半分の距離、その日に着くことも出来そうでかろうじて確保出来る5日間でも足りないこともない、検討して見ると伝えておいた。
娘は10日の休みを取ったと言うことで、その期間内に私の旅行を入れ娘とインドの帰りに合流し一緒に帰国することも出来そうだった。
外国で待ち合わせ、駆け寄って来る笑顔に会ってみたい気持ちが高まって来た。例え一日であっても一緒に過ごせることを夢見た。
私も40代に欧米の大都市5か所は行っているが仕事がらみから複数のうえ通訳がいたりした。ベトナムとなれば初めての東南アジア、さらに初めての一人旅と言うことになり娘が研修に出かける際の治安や衛生などさまざまな懸念が今度は自らの問題となり多少の不安も感じ始めた。
そうした迷いを見事に払拭したのもまた娘、今回はインドを止め私に付き合うと連絡をよこした。となれば私が渋る理由は何もなく、思いがけず娘と二人の6日間の海外旅行が実現することになった。
友人に話すと奇跡に近いと羨ましがった。確かに娘にとり父親とは見掛けや匂いなどの理由もあるらしいが日常でも小言を言う疎ましい存在、となれば誰しも避けるのが当たり前で私の場合は一緒に暮らしていないことがどこか皮肉な作用をしているようにも思えた。
出来れば私もそうした一般的な存在で有りたかったし、それが娘への何か必要な務めにも思えた。私なりに誘われるがままで良いものかの迷いはあったが、ともかく実行に移すことにした。
私が積極的になるにつれ少しテンションの落ちて行く娘を感じた。24歳としてはそうした旅を言いだしたものの、実行することに躊躇いを感じ始めたのか事前の打ち合わせの時間がなかなか取れなかった。おそらく姉や母、友人などからの忠告から気が重くなったことは理解でき、私も一時は予約済の航空券をキャンセル、計画を見送ることも考えた、ある意味でここまでで十分と言う気もしたからだが、言葉によっては娘を傷つけることになりかねず、考えた末にとにかく行くことを決めた。
空港に向かうリムジンバスに乗り込むが早朝もあって娘はすぐに眠ってしまった。二人きりの時間は意識とは別にどこかぎこちなく始まったが、互いの年齢を考えると当たり前とも思えた。
ベトナム到着後私の希望で夜行の鉄道に乗ったが情報不足から思った以上に過酷な一夜を過ごすことになり日本の常識とは異なる東南アジアを実感させた。そうして辿り着いたのが私が見たかったベトナム中部の小さな町ホイアンだ。
最初のホテルは娘のために慎重に選んだが気に入ったようで喜んでくれた。だがツインとは言え一部屋、女性同士のようには行かないようで24歳の娘としては多少窮屈であったかも知れない。
町を観光に歩き居心地も良いことでさらに一泊することにした。翌日はお互いに自由行動とすることに決め、私は郊外のビーチまで歩いて見ることにした。
その日の夕食の時、娘は私に付き合いビーチへ行くと言った。ビーチについて詳しいことを知っているわけではなかったので娘をガッカリさせるものでない事を願った。天気が良かったことが歩くには少しキツかった、汗を拭きながら辿り着いたのは期待を裏切らない美しい砂浜だった。そこに立った娘の後姿を私は忘れることはないだろう。
娘がここに付き合うことにしたのはどうやら私が一人町を離れることへの不安もあったようで、どうやらお互いにそれぞれの年齢について考えているようだ。言葉に心配はあるものの一人で動けない歳でも度胸がないわけでもないが何かがあれば結局は娘に迷惑が及ぶことを思いこの旅については娘に従うことにした。
昼過ぎに町に戻り、夕食の待ち合わせを決めて自由行動することになった、町の中にいれば娘も安心のようだ。私は町を散策、娘は買い物とそれぞれの方向へ、思いがけず町には洋服や装飾の店が多かったことで娘は買い物が出来ることを楽しみに町へと向かった。さすがにそうした買い物に父親同伴もおかしい、姉や母が一緒であればさらに楽しいはずだった。
私はただ町を歩き、気に入ったカフェを見つけてはそこに時を過ごした。町の風景を眺めながらコーヒーを飲む、そうした無為な時間が何より寛がせるのも年齢にあってのものだ。娘と同じ頃にはじっとしている事など信じられないことだったが、ただゆったり流れる時間に身を沈め、娘と異国の町にいることを楽しんだ。
出発まであと何日と数えた日々が嘘のように、始まってしまえば時は駆け足となってすでに3日目、別れていなければこの隣の椅子に同じく年老いた妻がいたかも知れない、いやそうしたらこの国でなかったし、ビーチまで歩くことはなかった。別れたことで今があるように思え人の人生とはつくづく皮肉を作り出すものだと思った。
思い残すことなく時を過ごし待ち合わせの場所にいた。夕暮れの中、いずれの方向からか駆け寄って来る娘を待った。
ビーチへ歩いた疲れか駆け寄ることはなかったが娘が笑顔でやって来た。洋服をオーダーして来た話を聞きながら夕食の店へと向かった。
テラスの窓越しに日の暮れる風景に目をやり、この町最後の夕食の時を過ごした。ますます別れた妻に似て来た娘の横顔を見ているととても不思議な気分にさせた。24歳となった娘の瞳は何を見つめ、何を想っているのか胸の内を覗いて見たく思えた。
翌日ホーチミンに移動、当初は帰国前日逗留のみの予定でどこか他の町に立ち寄るつもりだったが移動の時間を考えると無理もあって一日早く向かうことにした。
昨夜までの小さな町とは一変しホーチミンは大都会だったが、美しい街並みに大きな貧富が共存している。
この街は研修の6か月の際に来ているとのことで勝手は知っているようだ。昨夜までの町はどちらかと言えば私のような者に向いていたが、大都会はやはり若い娘に似合う気がする。若い頃は私も渋谷、新宿などの街が好きで暇があれば出掛けたものだが街のエネルギーには多くの体力も必要なことから年齢と共に疎遠となってしまった。
インドの小さな町の素朴さに魅かれる内面ながら都会にいる姿が似つかわしく思わせるのはやはり若さと言うものだ。
この街はバイクの数が凄まじく信号や横断歩道も少なく道を渡るのも一苦労、また街ではスリ、引ったくりも多いとバッグの提げ方などに再三注意を受けた。
地の利を得ていることでこの街の滞在で娘は可能な限りの場所を案内してくれ、また娘の希望で戦争資料館へも行く事になった。短い時間の中ではもっぱら楽しみに時を充てるものだがベトナムにいる以上は見ておかなければと言う娘の気持ちとベトナム戦争は私の世代には無縁ではないことからそこに足を向けた。
やはり生々しい現実は浮ついた観光気分を沈めるものだったが、時を意味のあるものとした。
惜しみながら過ごした日々も終わり、ついに帰国の日を迎えた。
旅立った日に比べどこか娘との関係が変わっていることに気付き、こうしたことは過去にもあったことを思い出した。小学生の時分には帰宅すると必ず抱き上げ、娘もそれを喜んだものだが、ある日それを拒否された。また習慣的につないでいた手も19歳を境にしなくなった。変わる時は必ず来るものだが私たちは今回のベトナムでそれを迎えたようだ。
もしかすると娘にはそうした自覚を持つために今回の旅を思い立ったのではないか、男に会わせたこともその日がそう遠くはない事を私に言いたかったのではないか、あれこれを考えるとこの想い出が私への最後の贈り物のように思えた。
娘が12歳の時に離婚して以来家族の絆をつないで来たのもこの娘。足りない時を埋めようとよく二人で車でも出掛け、幼い頃の習慣から19歳の時まで手をつないで歩いたものだ。私の趣味の写真に興味を持っていたか高校を卒業してからは大学進学を勧めたものの娘は希望する写真専門学校へと進み、写真を通じて語る機会も生まれた。
2年のちに学校の研修で6か月間を東南アジアの国々に過ごすことになったが、折しも鶏インフルエンザなどで騒いでいた時期、さらにマラリアなどの心配のある地域から果たして無事帰国出来るかを心配しながら送り出した。
心配に対してはブログを使って無事に過ごしていることを日々伝えてよこし、帰国後は様々な国での感動や人と知り合えた喜びを熱く話してくれた。
何かを悟ったらしく卒業後は写真を職とせずテレビ番組制作のプロダクションにADとして入社、最初の一年はそうした社会人生活に馴染めないようで度々辞めたいと漏らしていた。頭にはいつも東南アジアの中でも最も気に入っていたインドの小さな町の光景や素朴な暮らしがあったようで、その年の暮れには貯めた休暇を使いその町へと旅立った。
どうやら6か月の影響が大きく日常に脱し切れないようだった。
帰国後はさらに仕事への不満が強くなったが不況の中、さらに経験も少ないことから踏みとどまることを説得、上司に打ち明けたところ若干の希望が叶えられたとして継続となった。
翌年には仕事にも慣れ、研修で訪れた台湾へ今度は仕事で行く機会に恵まれ、やる気を持ったようだ。
夏の初め、付き合っている男性のいることを打ち明けられた。近い将来一緒になることも考えているとの話だった。
男親にとっては来るべき時が来たと言うだけの事だが、記憶に焼きつく姿が重なり戸惑った。
しばらくして突然に今夜付き合っている男性と一緒に食事はどうかの連絡があった。拒む理由が瞬時に見つからず3人で食事することになった。
駅に待ち合わせると娘の傍らに立つ男性がいた。すべて既成事実となっていることから言葉も浮かばず、ただ挨拶を交わした。
男としてはすでに逆の立場で体験済みのことだが私としては多少の反対が試金石として必要に考えていたがすでに娘の作戦の中にあってその機会を失った。家族には紹介済みと聞き私と会うのは最後の手続きに過ぎない。
そうした二人を前に飲む酒はほろ苦く、あまり居心地の良いものではないが、暮らしを共にしなかった私には娘はあの頃のまま、交際相手に会ってさえ何も実感させなかった。
8月、茅ヶ崎に住む長女の誘いで娘と花火大会を一緒に見に行くことにした。待ち合わせのホームの先から笑顔で走り寄って来る娘がいつかの姿と二重写しとなった。茅ヶ崎へ向かう電車でまたインドへ行きたくなって来たと言い、私もいつか行って見たいアジアの町の話をした。
花火大会から一週間ほどして来月休みをとれないかとの話があった、内容は期間が合えばインドはどうかだったが、言ってみただけのことのような気もした。
父親にとって一般的に娘と一緒の海外旅行など通常は叶わぬ夢、娘を誘ったところで傷付かない程度の理由をもって断られるものだ。
行きたくないはずもない誘いだが不況にあって仕事のことや日常に追われ今はそれどころではないのが本音だった。60歳を目前の世代となっては海外観光旅行などおよそ定年後の暇つぶしか、でなくとも優先順位としてはかなり下にありいつか将来と言っては実行されないことの筆頭に近い。
知らない国への好奇心はあれ今それを知ったところで生き方を変えられない年齢にあって娘が感動した風景をこの目で見たい気持ちは確かにあるがやはり現実的には捉えられず、インドは日数的に今年は無理なことを伝えた。その一方で来年になれば行ける根拠があるわけでもなく、更に気力も衰えていることも自分ながらに分かってもいた。
数日後、今度は私が見たいと言った町ではどうかと聞いて来た。私が話した所はベトナムの小さな町、ベトナムならインドへの約半分の距離、その日に着くことも出来そうでかろうじて確保出来る5日間でも足りないこともない、検討して見ると伝えておいた。
娘は10日の休みを取ったと言うことで、その期間内に私の旅行を入れ娘とインドの帰りに合流し一緒に帰国することも出来そうだった。
外国で待ち合わせ、駆け寄って来る笑顔に会ってみたい気持ちが高まって来た。例え一日であっても一緒に過ごせることを夢見た。
私も40代に欧米の大都市5か所は行っているが仕事がらみから複数のうえ通訳がいたりした。ベトナムとなれば初めての東南アジア、さらに初めての一人旅と言うことになり娘が研修に出かける際の治安や衛生などさまざまな懸念が今度は自らの問題となり多少の不安も感じ始めた。
そうした迷いを見事に払拭したのもまた娘、今回はインドを止め私に付き合うと連絡をよこした。となれば私が渋る理由は何もなく、思いがけず娘と二人の6日間の海外旅行が実現することになった。
友人に話すと奇跡に近いと羨ましがった。確かに娘にとり父親とは見掛けや匂いなどの理由もあるらしいが日常でも小言を言う疎ましい存在、となれば誰しも避けるのが当たり前で私の場合は一緒に暮らしていないことがどこか皮肉な作用をしているようにも思えた。
出来れば私もそうした一般的な存在で有りたかったし、それが娘への何か必要な務めにも思えた。私なりに誘われるがままで良いものかの迷いはあったが、ともかく実行に移すことにした。
私が積極的になるにつれ少しテンションの落ちて行く娘を感じた。24歳としてはそうした旅を言いだしたものの、実行することに躊躇いを感じ始めたのか事前の打ち合わせの時間がなかなか取れなかった。おそらく姉や母、友人などからの忠告から気が重くなったことは理解でき、私も一時は予約済の航空券をキャンセル、計画を見送ることも考えた、ある意味でここまでで十分と言う気もしたからだが、言葉によっては娘を傷つけることになりかねず、考えた末にとにかく行くことを決めた。
空港に向かうリムジンバスに乗り込むが早朝もあって娘はすぐに眠ってしまった。二人きりの時間は意識とは別にどこかぎこちなく始まったが、互いの年齢を考えると当たり前とも思えた。
ベトナム到着後私の希望で夜行の鉄道に乗ったが情報不足から思った以上に過酷な一夜を過ごすことになり日本の常識とは異なる東南アジアを実感させた。そうして辿り着いたのが私が見たかったベトナム中部の小さな町ホイアンだ。
最初のホテルは娘のために慎重に選んだが気に入ったようで喜んでくれた。だがツインとは言え一部屋、女性同士のようには行かないようで24歳の娘としては多少窮屈であったかも知れない。
町を観光に歩き居心地も良いことでさらに一泊することにした。翌日はお互いに自由行動とすることに決め、私は郊外のビーチまで歩いて見ることにした。
その日の夕食の時、娘は私に付き合いビーチへ行くと言った。ビーチについて詳しいことを知っているわけではなかったので娘をガッカリさせるものでない事を願った。天気が良かったことが歩くには少しキツかった、汗を拭きながら辿り着いたのは期待を裏切らない美しい砂浜だった。そこに立った娘の後姿を私は忘れることはないだろう。
娘がここに付き合うことにしたのはどうやら私が一人町を離れることへの不安もあったようで、どうやらお互いにそれぞれの年齢について考えているようだ。言葉に心配はあるものの一人で動けない歳でも度胸がないわけでもないが何かがあれば結局は娘に迷惑が及ぶことを思いこの旅については娘に従うことにした。
昼過ぎに町に戻り、夕食の待ち合わせを決めて自由行動することになった、町の中にいれば娘も安心のようだ。私は町を散策、娘は買い物とそれぞれの方向へ、思いがけず町には洋服や装飾の店が多かったことで娘は買い物が出来ることを楽しみに町へと向かった。さすがにそうした買い物に父親同伴もおかしい、姉や母が一緒であればさらに楽しいはずだった。
私はただ町を歩き、気に入ったカフェを見つけてはそこに時を過ごした。町の風景を眺めながらコーヒーを飲む、そうした無為な時間が何より寛がせるのも年齢にあってのものだ。娘と同じ頃にはじっとしている事など信じられないことだったが、ただゆったり流れる時間に身を沈め、娘と異国の町にいることを楽しんだ。
出発まであと何日と数えた日々が嘘のように、始まってしまえば時は駆け足となってすでに3日目、別れていなければこの隣の椅子に同じく年老いた妻がいたかも知れない、いやそうしたらこの国でなかったし、ビーチまで歩くことはなかった。別れたことで今があるように思え人の人生とはつくづく皮肉を作り出すものだと思った。
思い残すことなく時を過ごし待ち合わせの場所にいた。夕暮れの中、いずれの方向からか駆け寄って来る娘を待った。
ビーチへ歩いた疲れか駆け寄ることはなかったが娘が笑顔でやって来た。洋服をオーダーして来た話を聞きながら夕食の店へと向かった。
テラスの窓越しに日の暮れる風景に目をやり、この町最後の夕食の時を過ごした。ますます別れた妻に似て来た娘の横顔を見ているととても不思議な気分にさせた。24歳となった娘の瞳は何を見つめ、何を想っているのか胸の内を覗いて見たく思えた。
翌日ホーチミンに移動、当初は帰国前日逗留のみの予定でどこか他の町に立ち寄るつもりだったが移動の時間を考えると無理もあって一日早く向かうことにした。
昨夜までの小さな町とは一変しホーチミンは大都会だったが、美しい街並みに大きな貧富が共存している。
この街は研修の6か月の際に来ているとのことで勝手は知っているようだ。昨夜までの町はどちらかと言えば私のような者に向いていたが、大都会はやはり若い娘に似合う気がする。若い頃は私も渋谷、新宿などの街が好きで暇があれば出掛けたものだが街のエネルギーには多くの体力も必要なことから年齢と共に疎遠となってしまった。
インドの小さな町の素朴さに魅かれる内面ながら都会にいる姿が似つかわしく思わせるのはやはり若さと言うものだ。
この街はバイクの数が凄まじく信号や横断歩道も少なく道を渡るのも一苦労、また街ではスリ、引ったくりも多いとバッグの提げ方などに再三注意を受けた。
地の利を得ていることでこの街の滞在で娘は可能な限りの場所を案内してくれ、また娘の希望で戦争資料館へも行く事になった。短い時間の中ではもっぱら楽しみに時を充てるものだがベトナムにいる以上は見ておかなければと言う娘の気持ちとベトナム戦争は私の世代には無縁ではないことからそこに足を向けた。
やはり生々しい現実は浮ついた観光気分を沈めるものだったが、時を意味のあるものとした。
惜しみながら過ごした日々も終わり、ついに帰国の日を迎えた。
旅立った日に比べどこか娘との関係が変わっていることに気付き、こうしたことは過去にもあったことを思い出した。小学生の時分には帰宅すると必ず抱き上げ、娘もそれを喜んだものだが、ある日それを拒否された。また習慣的につないでいた手も19歳を境にしなくなった。変わる時は必ず来るものだが私たちは今回のベトナムでそれを迎えたようだ。
もしかすると娘にはそうした自覚を持つために今回の旅を思い立ったのではないか、男に会わせたこともその日がそう遠くはない事を私に言いたかったのではないか、あれこれを考えるとこの想い出が私への最後の贈り物のように思えた。
2008年10月25日
置いて行くべきもの
旅の響きに魅かれベトナム行きを思い立ったのは先月のこと、行くと決めさえすれば今の時代は何もが手軽で簡単で厄介なのは本人の決断だけ、それに2年も費やした。
ネットを操れば世界のどこについても情報を得られ、航空券から宿の予約まで人の手を煩わすことなくパソコンで済むとは聞いていたがやって見るとその呆気なさは不安が残るほど、これでは失業率が上昇するのも当たり前だ。
また海外でありながら格安航空券では国内の故郷に行くよりも安いとは理屈はともかく実に摩訶不思議な時代だ。
旅らしくの勧めもあり歳甲斐もなくリュックを購入、勢いから季節に合わせ足元はスニーカーと軽装にまとめた。詰め込んだリュックを背負っては降ろし挙句の果てに眠れない、さしずめ遠足前日の小学生だ。
早朝のリムジンバスに乗り込むが所要二時間、成田空港までがすでに旅のようなこの国の事情に不満をえながら退屈を持て余し切った頃ようやくリムジンバスが停まり解放された。
チェックインカウンターはすでに行列、申し込みや手配が瞬時に完了する時代にあっても人がする窓口業務は相変わらず時間を浪費させさらに苛立たせる。
性悪説に基づくのかイミグレーション、手荷物検査、ボディチェックと効果はともかくさらに物々しい。
善人を証明する手続きをすべて終えてようやく機上の人となる。格安航空券の羞恥心と不安は席に着くと解消、椅子の種類に違いはなくアテンダントの対応もフェアだ。
搭乗は台湾経由の便、直行もあるが見知らぬ国を窓から覗ける好奇心を優先させた。国際線、長距離、エコノミーと言う退屈の恐怖を体験済みの身に6時間の片道は手頃、かつ中間の台湾で一息付けるのはもって来いだ。
ベトナムは初めて渡る国、50年代生まれにとっては何より戦争の記憶が強いが現在は東南アジア屈指の経済発展上にあると言う。社会主義国家の経済成長に多少の違和感は伴うがすべて時代の潮流と言うものだ。
目的地は中部の小さな町ホイアンで世界遺産としてNHKの番組で知ったと言うミーハーな動機だ。
そのホイアンへの道筋に旅らしさとして鉄道を加えたのがこの旅唯一の独自性、到着地ホーチミンより中部の都市ダナンへベトナム唯一の鉄道南北統一鉄道で行き、そこからホイアンに向かう計画だ。
現代のようにテレビ取材で地球のありったけの場所を紹介されるとどこへ行こうがさほど珍しくない、どうやって行くかが大事と考えた。飛行機で1時間の距離をわざわざ鉄道で16時間掛けて行くのは時間の無駄と思えたが、あまり人がしない事をする意味であえてその方法を選んで見た。
航空機は飛びさえすれば墜落やテロでもない限り到着は保証されているようなものだが問題はそれから先、統一鉄道は日本で予約の方法もあるらしいが分からず仕舞い、今となっては現地調達しかない。
台湾の桃園空港に着いた、30分ほどの待ち時間を窓からの風景に過ごす。緯度の違いを感じるヤシの樹影が南国のムードを漂わせるが、空港内に限っては日本人が多く漢字と英語と言うことで雰囲気は成田とそう違わない。
ここまでは360人乗りのエアバスだったが乗り換え機は席数半分のボーイング機、向かうベトナムは時期もあるのか行く人は少ないようだ。
台湾を離陸、あとはただ3時間のカウントダウンのみだが鉄道について満席、予約要などの場合を想定していないことが次第に不安となって来た。
ほぼ予定時刻にベトナムはホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着したが鉄道の発車時間まであまり余裕がないことで初めて踏むベトナムの感動も束の間、タクシー乗り場に急いだ。
リュックを背負った旅姿に待っていたかのように客引きらしい男がすぐに寄って来た。サイゴンを繰り返すと通じたようだ。
道に不慣れなのか遠回りしているのかは分からないが運転手は狭い渋滞の道ばかりに入る。街に入り驚かされたのは夥しい数のバイクが道を埋めて走る光景だ。そこにタクシーが進入して身動きも出来ない状態、空気も悪いようでヘルメットに口をタオルで塞いだ姿が多い。これを見る限りでは温暖化ガス云々を騒ぐ先進国との温度差は激しい。
町は淡い色の塗り壁の建物が並び、看板などの文字はアルファベットながら上下のマークもあってまるで読めず異文化に在ることを感じさせる。英語さえカタコトがやっとと来ては果たして駅でまともに意思が伝わるか、不安と共に万が一の分母が次第に減って行く気がした。
車はようやくサイゴン駅に到着、言葉が通じれば怒鳴ってやっただろう運転手にカネを渡す。
駅は予想外に質素だった。ホーチミンはベトナム最大の都市と言うことで上野駅程度を想定していたが旧国鉄ローカル駅の規模でしかなくSLの音がしてもおかしくない雰囲気だ。意外ながらもしSLに乗れるならこの旅にはむしろ打ってつけとも思えた。
駅に入ると天井の高い待合ロビーにプラスチックのベンチが並び普段着の地元の人たちの姿があってやはりひと時代前の駅と言う雰囲気、感心するより切符が先決と思いながら戸惑った。ありふれたはずの切符売場が見当たらず時刻表や電光掲示板など駅にあるべきものもない。一瞬タクシー運転手の間違いかと思ったが駅の看板にはアルファベットでサイゴンと確かにあった。
中央にカウンターを見つけ近寄ったが、二人の女性とその手元にノートパソコンがあるだけで観光案内所のようにしか見えない。
ガラスに丸穴の見慣れた窓口がないことから別の場所とも思えてカウンターの女性に聞いた。
チケット売場はどこ?のつもりの英語はまったく通じず、女性が何かと聞くので筆話のつもりで発車時刻と行先のダナンを紙に書き、そのチケットを買いたいと身振りで訴えた。
窮して通じたようでベッド?シート?と聞かれソフトシートと答えた。情報では背もたれ直立のハードとリクライニングがあるとのこと。
女性はもう一人の女性としゃべりながらノートパソコンを操作して数字を書いたメモをよこした。数字は運賃でどうやら乗れるらしいと分かりホッとした。
定期券の大きさの切符を差し出されたのであわててカネを渡す、切符売場はここを知ったが先入観とはこうした場合に大変に邪魔をするものだ。
ともかく一件落着したことでベンチに腰を降ろし、レトロな印刷の切符を詳しく見た。
乗るのはSEと言う最も停車駅が少ない特急の夜行列車、ソフトシートはリクライニング付き、エアコン付き、テレビ付き、食事付きの高級車輌と言うことになっていた。
最高級の旅をするつもりはないが出来れば快適な方が良い。同じ頂上を目指すにしても登山道でなく断崖を選ぶ人もいるが、敢えて過酷な道を求めるつもりはない。飛行機ではなく鉄道を選んだのはただ窓に雲海ではなく地上の景色をゆっくりと見たいため。
SLに引かれたのどかなテレビ番組のようなシーンを頭に描いているとはしゃいだ子供の声がして周りのベンチには家族連れが増えていた。
アナウンスやチャイムは気付かなかったが待合の人々が改札に向かい始めたことでそれに従った。予備知識ではこの時刻の発車は一本のみ、サイゴンが始発と言うことで間違いはない。
駅員に切符を見せ改札を通過、ホームはなくいきなり地べたの錆色のレールに薄汚れた旧式列車が停まっていた。乗るべきは何番線かと表示を探したが、人々はそれぞれに目の前の列車に乗り込んで行く、どうやらSEはこの列車らしい。
古いながらも磨かれた重厚な列車を想像していた私は錆や汚れの目立つ目の前の現実に少し戸惑った。さらに先頭を見るとどうやらディーゼル列車のようだ。
とは言えもう選択の余地はない、駅員に切符を見せるとさらに先の車輌を指差された。
残る期待は手に入れたのが快適な高級車輌の席と言うことだった。
ところが切符にある番号の車輌に着いたものの見てくれは変わらず、諦めてタラップを上るがメッキの金属手すりなどすべてに汚れと埃が目立つ、メッキも光沢はなく塗装も色褪せた状態だ。
重い足で車内に入ると約束通りにそれぞれ独立のソフトシートではあった。だが掛けられた白いシートカバーも洗濯されていないようでどこか薄汚れている。
エアコンは効き過ぎのようで少し肌寒く、天井には確かに液晶テレビが吊るされていた。席に腰を降ろし背を操作をすると確かにリクライニングもする。あとは食事が出れば情報に特に嘘はない、この惑いはまた私の先入観が生んだもののようだ。
気がつくと列車はすでに動き始めていた。リクライニングは少し調子が悪く、起こした状態でも体重を掛けるとゆっくりと倒れてしまう。何度かいじっては見たが直らないことから寝る分には問題はないと諦めた。
車内は話声や笑い声、誰かがかける音楽や携帯の音、それに勝手に映っている天井のテレビでかなり賑やか、乗り合いのはずがまるで修学旅行や慰安旅行の車内のよう、これで眠れるのか不安にもなった。
日本の公共交通では静粛が当たり前、放歌、放言は慎まなければならない。音楽は音を漏らさぬよう、携帯は電源を切ることで互いに静寂を守るのがルール。それにより車内とは子供の泣き声、咳すらはばかる沈黙の場所と言うことになっている。
思っていた旅情と異なることに憮然としたが、慣れるに従い騒がしさもいつしか心地よくなって来た。テレビのお笑い番組では車内がドッと沸き、意味がわからないまでもそうした空気に巻き込まれているとかつて汽車の旅とは日本でもそうしたものだったと思い出し、忘れかけた人間的な時代へタイムスリップした気分になっていた。
ほぼ満席の車内は子連れの家族も多く故郷の実家へ帰る風情、どうやらこの統一鉄道とは地元生活者の足であり、外国人観光客を意識したものではまったくない。比べようはないが運賃もおそらくかなり安いに違いない。この車輌が最高級と言うのも嘘ではなくエアコンなし、背が直立の席の車輌も連結され、おそらくその車輌の方が多いはずだ。日本の旧国鉄にも1等から3等まであった事を思い出すと列車がその頃の状況にあることが分かる。
おそらくはいわゆる赤字路線でメンテナンス、清掃などの費用も出せないが生活の足として維持し走らせていると言うことだろう。経済成長とは言っても生活基盤の充実にはまだまだ時間を要するもののよう、現代日本の価値観では語れないことをさらに気付いた。
だが頭で理解したとしても長年培われた常識に抗ずるのはなかなか困難なこと、約束の食事を運ぶワゴンがやって来たが湯気を上げ旨そうな匂いに誘われはするもののワゴンに積まれた保温器、鍋、食器それぞれの汚れがどうにも気になり衛生の予備知識が作用し手を出せなかった。
賑やかさや汚れは慣れが解消させはするが衛生についてはさらに修練を要するようで、推して知るべしの車輌のトイレや洗面には閉口させられた。
夜になると車内も次第に静かになり、照明が落ちてテレビも消された。リクライニングはさすがに眠るには良かったが、前席の倒された背もたれが膝に当たり足の窮屈さが時々目を覚まさせた。
深夜に目覚めた時、傍らに立つ人の気配に気づいた。暗がりに女が立っていて少しの危険を感じたが、女は小声で何か言いながらその手を差し出した。目の前にはビニール袋に入った5枚ほどのスルメ、どうやらそれを買ってくれとのことのようだ。
首を横に振るとすぐに去っては行ったが、深夜の車内でおいそれと売れるとも思えないが
おそらくモグリの商売としてこうした深夜にわずかな収入を得ているようだ。
何度目かに目覚めると窓の外が明るくなり始めていた。流れる景色は地平まで続き緑の草原や畑、水田が次々に展開して行く。遥かに霞む山の向こうはおそらくカンボジア、国境を目にすることのない者にとってはそうした大陸の風景は羨ましくもある。
線路に沿って立つバナナやヤシの木越しの風景はまるで童話の世界にでもいるように錯覚させ、つくづくと陸のコースを選んだ喜びを感じた。
時おり線路際に集落を見ることが出来る。パステル色の塗り壁が緑に鮮やかでそれぞれの建物は小さく可愛らしく、家の周りには必ずバナナやヤシがあって実を付けていたりする。庭には犬や鶏が遊び軒先に吊るされた洗濯物、農家と思われるその暮らしはとても素朴なもののようだ。
朝が明けると共に水田や畑には笠をかぶった人の姿や水牛の姿も加わるが、トラクターなどの農機具は目にしない、家畜と人力だけのいつかの懐かしい農村の風景だ。
流れ行く風景を目にタイムスリップしていると朝食らしくワゴンがやって来た。朝食はどうやら粥らしく湯気を上げて器に盛り分けているがやはり夕食と同じ理由で見送った。そうした姿勢は客観的には失礼と思うのだが、旅の先を考え大事を取っているだけだ。
思ったほど腹が空かないのはリムジンバス以来体も動かさないままの2度の機内食のせいに違いない。
窓の両側に建物が並び、列車が減速を始めた。時間的にどうやらダナン手前の停車駅に着くようだ。ブレーキを軋ませて列車が停止すると何人かの乗客が手ぶらで降り始め、私も外の空気を吸いに降りて見ることにした。ここまでにも数か所停車したはずだが深夜もあってどれにも気付かなかった。
出て見るとやはり地べたでさらに2本の錆びた線路があった。さすがに久しぶりの外は気持よく、思いっきり背筋を伸ばして見た。
線路の上には数人が首から箱を下げ大きな声を上げ、どうやら駅弁売りの様子。駅の建物はサイゴンとそれほど変わらない規模で大きな文字でGA DIEUとある。読めはしないがGAは駅と言う意味のはずだ。
こうした光景もどこか日本の昔を感じさせ懐かしい。アナウンスなどがないようなので置いて行かれないよう急いで駅側の売店でペットボトルの水を買い列車に戻った。
ここを過ぎればあと2時間ほどで私の降りるダナンに着くが、南のホーチミンと北のハノイを結ぶこの統一鉄道のほぼ中間地点に過ぎない。全長2000キロ近い距離はこのSEでも36時間2泊3日と言うことになりかなり乗り応えはあるようだ。機会があれば車内食を含め挑戦して見たいもの、南北に長い国土から北側はまた違う風景が広がるに違いない。
残り少ない時間を流れ去る風景に費やしているとあちこちで網棚から荷物を降ろしたりと車内が次第に慌ただしくなって来た。まだ時間はあるはずと思いながらも人の動きに合わせ足元の整理を始めた。
間もなく窓の両側に建物が迫ると通路に人が並び始め、どうやらここがダナンらしい。脇に立つ男性にダナン?と聞くと黙って頷いた。
定刻よりも30分も早い到着だ、あと30分風景を見たかった悔しさと自由になれる喜びが半々の気分だ。
統一鉄道はやはり期待通りに空の旅では見ることのない風景や暮らしを見せてくれ、タイムスリップに遊ぶことも出来た。先入観さえ捨てれば車輌の汚れさえそうした感動を妨げるものではない。
旅にあたってはリュックに荷物を詰め込む一方で置いて行くべき荷物もたくさんあると実感しながら16時間の鉄道の旅を終えた。
ネットを操れば世界のどこについても情報を得られ、航空券から宿の予約まで人の手を煩わすことなくパソコンで済むとは聞いていたがやって見るとその呆気なさは不安が残るほど、これでは失業率が上昇するのも当たり前だ。
また海外でありながら格安航空券では国内の故郷に行くよりも安いとは理屈はともかく実に摩訶不思議な時代だ。
旅らしくの勧めもあり歳甲斐もなくリュックを購入、勢いから季節に合わせ足元はスニーカーと軽装にまとめた。詰め込んだリュックを背負っては降ろし挙句の果てに眠れない、さしずめ遠足前日の小学生だ。
早朝のリムジンバスに乗り込むが所要二時間、成田空港までがすでに旅のようなこの国の事情に不満をえながら退屈を持て余し切った頃ようやくリムジンバスが停まり解放された。
チェックインカウンターはすでに行列、申し込みや手配が瞬時に完了する時代にあっても人がする窓口業務は相変わらず時間を浪費させさらに苛立たせる。
性悪説に基づくのかイミグレーション、手荷物検査、ボディチェックと効果はともかくさらに物々しい。
善人を証明する手続きをすべて終えてようやく機上の人となる。格安航空券の羞恥心と不安は席に着くと解消、椅子の種類に違いはなくアテンダントの対応もフェアだ。
搭乗は台湾経由の便、直行もあるが見知らぬ国を窓から覗ける好奇心を優先させた。国際線、長距離、エコノミーと言う退屈の恐怖を体験済みの身に6時間の片道は手頃、かつ中間の台湾で一息付けるのはもって来いだ。
ベトナムは初めて渡る国、50年代生まれにとっては何より戦争の記憶が強いが現在は東南アジア屈指の経済発展上にあると言う。社会主義国家の経済成長に多少の違和感は伴うがすべて時代の潮流と言うものだ。
目的地は中部の小さな町ホイアンで世界遺産としてNHKの番組で知ったと言うミーハーな動機だ。
そのホイアンへの道筋に旅らしさとして鉄道を加えたのがこの旅唯一の独自性、到着地ホーチミンより中部の都市ダナンへベトナム唯一の鉄道南北統一鉄道で行き、そこからホイアンに向かう計画だ。
現代のようにテレビ取材で地球のありったけの場所を紹介されるとどこへ行こうがさほど珍しくない、どうやって行くかが大事と考えた。飛行機で1時間の距離をわざわざ鉄道で16時間掛けて行くのは時間の無駄と思えたが、あまり人がしない事をする意味であえてその方法を選んで見た。
航空機は飛びさえすれば墜落やテロでもない限り到着は保証されているようなものだが問題はそれから先、統一鉄道は日本で予約の方法もあるらしいが分からず仕舞い、今となっては現地調達しかない。
台湾の桃園空港に着いた、30分ほどの待ち時間を窓からの風景に過ごす。緯度の違いを感じるヤシの樹影が南国のムードを漂わせるが、空港内に限っては日本人が多く漢字と英語と言うことで雰囲気は成田とそう違わない。
ここまでは360人乗りのエアバスだったが乗り換え機は席数半分のボーイング機、向かうベトナムは時期もあるのか行く人は少ないようだ。
台湾を離陸、あとはただ3時間のカウントダウンのみだが鉄道について満席、予約要などの場合を想定していないことが次第に不安となって来た。
ほぼ予定時刻にベトナムはホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着したが鉄道の発車時間まであまり余裕がないことで初めて踏むベトナムの感動も束の間、タクシー乗り場に急いだ。
リュックを背負った旅姿に待っていたかのように客引きらしい男がすぐに寄って来た。サイゴンを繰り返すと通じたようだ。
道に不慣れなのか遠回りしているのかは分からないが運転手は狭い渋滞の道ばかりに入る。街に入り驚かされたのは夥しい数のバイクが道を埋めて走る光景だ。そこにタクシーが進入して身動きも出来ない状態、空気も悪いようでヘルメットに口をタオルで塞いだ姿が多い。これを見る限りでは温暖化ガス云々を騒ぐ先進国との温度差は激しい。
町は淡い色の塗り壁の建物が並び、看板などの文字はアルファベットながら上下のマークもあってまるで読めず異文化に在ることを感じさせる。英語さえカタコトがやっとと来ては果たして駅でまともに意思が伝わるか、不安と共に万が一の分母が次第に減って行く気がした。
車はようやくサイゴン駅に到着、言葉が通じれば怒鳴ってやっただろう運転手にカネを渡す。
駅は予想外に質素だった。ホーチミンはベトナム最大の都市と言うことで上野駅程度を想定していたが旧国鉄ローカル駅の規模でしかなくSLの音がしてもおかしくない雰囲気だ。意外ながらもしSLに乗れるならこの旅にはむしろ打ってつけとも思えた。
駅に入ると天井の高い待合ロビーにプラスチックのベンチが並び普段着の地元の人たちの姿があってやはりひと時代前の駅と言う雰囲気、感心するより切符が先決と思いながら戸惑った。ありふれたはずの切符売場が見当たらず時刻表や電光掲示板など駅にあるべきものもない。一瞬タクシー運転手の間違いかと思ったが駅の看板にはアルファベットでサイゴンと確かにあった。
中央にカウンターを見つけ近寄ったが、二人の女性とその手元にノートパソコンがあるだけで観光案内所のようにしか見えない。
ガラスに丸穴の見慣れた窓口がないことから別の場所とも思えてカウンターの女性に聞いた。
チケット売場はどこ?のつもりの英語はまったく通じず、女性が何かと聞くので筆話のつもりで発車時刻と行先のダナンを紙に書き、そのチケットを買いたいと身振りで訴えた。
窮して通じたようでベッド?シート?と聞かれソフトシートと答えた。情報では背もたれ直立のハードとリクライニングがあるとのこと。
女性はもう一人の女性としゃべりながらノートパソコンを操作して数字を書いたメモをよこした。数字は運賃でどうやら乗れるらしいと分かりホッとした。
定期券の大きさの切符を差し出されたのであわててカネを渡す、切符売場はここを知ったが先入観とはこうした場合に大変に邪魔をするものだ。
ともかく一件落着したことでベンチに腰を降ろし、レトロな印刷の切符を詳しく見た。
乗るのはSEと言う最も停車駅が少ない特急の夜行列車、ソフトシートはリクライニング付き、エアコン付き、テレビ付き、食事付きの高級車輌と言うことになっていた。
最高級の旅をするつもりはないが出来れば快適な方が良い。同じ頂上を目指すにしても登山道でなく断崖を選ぶ人もいるが、敢えて過酷な道を求めるつもりはない。飛行機ではなく鉄道を選んだのはただ窓に雲海ではなく地上の景色をゆっくりと見たいため。
SLに引かれたのどかなテレビ番組のようなシーンを頭に描いているとはしゃいだ子供の声がして周りのベンチには家族連れが増えていた。
アナウンスやチャイムは気付かなかったが待合の人々が改札に向かい始めたことでそれに従った。予備知識ではこの時刻の発車は一本のみ、サイゴンが始発と言うことで間違いはない。
駅員に切符を見せ改札を通過、ホームはなくいきなり地べたの錆色のレールに薄汚れた旧式列車が停まっていた。乗るべきは何番線かと表示を探したが、人々はそれぞれに目の前の列車に乗り込んで行く、どうやらSEはこの列車らしい。
古いながらも磨かれた重厚な列車を想像していた私は錆や汚れの目立つ目の前の現実に少し戸惑った。さらに先頭を見るとどうやらディーゼル列車のようだ。
とは言えもう選択の余地はない、駅員に切符を見せるとさらに先の車輌を指差された。
残る期待は手に入れたのが快適な高級車輌の席と言うことだった。
ところが切符にある番号の車輌に着いたものの見てくれは変わらず、諦めてタラップを上るがメッキの金属手すりなどすべてに汚れと埃が目立つ、メッキも光沢はなく塗装も色褪せた状態だ。
重い足で車内に入ると約束通りにそれぞれ独立のソフトシートではあった。だが掛けられた白いシートカバーも洗濯されていないようでどこか薄汚れている。
エアコンは効き過ぎのようで少し肌寒く、天井には確かに液晶テレビが吊るされていた。席に腰を降ろし背を操作をすると確かにリクライニングもする。あとは食事が出れば情報に特に嘘はない、この惑いはまた私の先入観が生んだもののようだ。
気がつくと列車はすでに動き始めていた。リクライニングは少し調子が悪く、起こした状態でも体重を掛けるとゆっくりと倒れてしまう。何度かいじっては見たが直らないことから寝る分には問題はないと諦めた。
車内は話声や笑い声、誰かがかける音楽や携帯の音、それに勝手に映っている天井のテレビでかなり賑やか、乗り合いのはずがまるで修学旅行や慰安旅行の車内のよう、これで眠れるのか不安にもなった。
日本の公共交通では静粛が当たり前、放歌、放言は慎まなければならない。音楽は音を漏らさぬよう、携帯は電源を切ることで互いに静寂を守るのがルール。それにより車内とは子供の泣き声、咳すらはばかる沈黙の場所と言うことになっている。
思っていた旅情と異なることに憮然としたが、慣れるに従い騒がしさもいつしか心地よくなって来た。テレビのお笑い番組では車内がドッと沸き、意味がわからないまでもそうした空気に巻き込まれているとかつて汽車の旅とは日本でもそうしたものだったと思い出し、忘れかけた人間的な時代へタイムスリップした気分になっていた。
ほぼ満席の車内は子連れの家族も多く故郷の実家へ帰る風情、どうやらこの統一鉄道とは地元生活者の足であり、外国人観光客を意識したものではまったくない。比べようはないが運賃もおそらくかなり安いに違いない。この車輌が最高級と言うのも嘘ではなくエアコンなし、背が直立の席の車輌も連結され、おそらくその車輌の方が多いはずだ。日本の旧国鉄にも1等から3等まであった事を思い出すと列車がその頃の状況にあることが分かる。
おそらくはいわゆる赤字路線でメンテナンス、清掃などの費用も出せないが生活の足として維持し走らせていると言うことだろう。経済成長とは言っても生活基盤の充実にはまだまだ時間を要するもののよう、現代日本の価値観では語れないことをさらに気付いた。
だが頭で理解したとしても長年培われた常識に抗ずるのはなかなか困難なこと、約束の食事を運ぶワゴンがやって来たが湯気を上げ旨そうな匂いに誘われはするもののワゴンに積まれた保温器、鍋、食器それぞれの汚れがどうにも気になり衛生の予備知識が作用し手を出せなかった。
賑やかさや汚れは慣れが解消させはするが衛生についてはさらに修練を要するようで、推して知るべしの車輌のトイレや洗面には閉口させられた。
夜になると車内も次第に静かになり、照明が落ちてテレビも消された。リクライニングはさすがに眠るには良かったが、前席の倒された背もたれが膝に当たり足の窮屈さが時々目を覚まさせた。
深夜に目覚めた時、傍らに立つ人の気配に気づいた。暗がりに女が立っていて少しの危険を感じたが、女は小声で何か言いながらその手を差し出した。目の前にはビニール袋に入った5枚ほどのスルメ、どうやらそれを買ってくれとのことのようだ。
首を横に振るとすぐに去っては行ったが、深夜の車内でおいそれと売れるとも思えないが
おそらくモグリの商売としてこうした深夜にわずかな収入を得ているようだ。
何度目かに目覚めると窓の外が明るくなり始めていた。流れる景色は地平まで続き緑の草原や畑、水田が次々に展開して行く。遥かに霞む山の向こうはおそらくカンボジア、国境を目にすることのない者にとってはそうした大陸の風景は羨ましくもある。
線路に沿って立つバナナやヤシの木越しの風景はまるで童話の世界にでもいるように錯覚させ、つくづくと陸のコースを選んだ喜びを感じた。
時おり線路際に集落を見ることが出来る。パステル色の塗り壁が緑に鮮やかでそれぞれの建物は小さく可愛らしく、家の周りには必ずバナナやヤシがあって実を付けていたりする。庭には犬や鶏が遊び軒先に吊るされた洗濯物、農家と思われるその暮らしはとても素朴なもののようだ。
朝が明けると共に水田や畑には笠をかぶった人の姿や水牛の姿も加わるが、トラクターなどの農機具は目にしない、家畜と人力だけのいつかの懐かしい農村の風景だ。
流れ行く風景を目にタイムスリップしていると朝食らしくワゴンがやって来た。朝食はどうやら粥らしく湯気を上げて器に盛り分けているがやはり夕食と同じ理由で見送った。そうした姿勢は客観的には失礼と思うのだが、旅の先を考え大事を取っているだけだ。
思ったほど腹が空かないのはリムジンバス以来体も動かさないままの2度の機内食のせいに違いない。
窓の両側に建物が並び、列車が減速を始めた。時間的にどうやらダナン手前の停車駅に着くようだ。ブレーキを軋ませて列車が停止すると何人かの乗客が手ぶらで降り始め、私も外の空気を吸いに降りて見ることにした。ここまでにも数か所停車したはずだが深夜もあってどれにも気付かなかった。
出て見るとやはり地べたでさらに2本の錆びた線路があった。さすがに久しぶりの外は気持よく、思いっきり背筋を伸ばして見た。
線路の上には数人が首から箱を下げ大きな声を上げ、どうやら駅弁売りの様子。駅の建物はサイゴンとそれほど変わらない規模で大きな文字でGA DIEUとある。読めはしないがGAは駅と言う意味のはずだ。
こうした光景もどこか日本の昔を感じさせ懐かしい。アナウンスなどがないようなので置いて行かれないよう急いで駅側の売店でペットボトルの水を買い列車に戻った。
ここを過ぎればあと2時間ほどで私の降りるダナンに着くが、南のホーチミンと北のハノイを結ぶこの統一鉄道のほぼ中間地点に過ぎない。全長2000キロ近い距離はこのSEでも36時間2泊3日と言うことになりかなり乗り応えはあるようだ。機会があれば車内食を含め挑戦して見たいもの、南北に長い国土から北側はまた違う風景が広がるに違いない。
残り少ない時間を流れ去る風景に費やしているとあちこちで網棚から荷物を降ろしたりと車内が次第に慌ただしくなって来た。まだ時間はあるはずと思いながらも人の動きに合わせ足元の整理を始めた。
間もなく窓の両側に建物が迫ると通路に人が並び始め、どうやらここがダナンらしい。脇に立つ男性にダナン?と聞くと黙って頷いた。
定刻よりも30分も早い到着だ、あと30分風景を見たかった悔しさと自由になれる喜びが半々の気分だ。
統一鉄道はやはり期待通りに空の旅では見ることのない風景や暮らしを見せてくれ、タイムスリップに遊ぶことも出来た。先入観さえ捨てれば車輌の汚れさえそうした感動を妨げるものではない。
旅にあたってはリュックに荷物を詰め込む一方で置いて行くべき荷物もたくさんあると実感しながら16時間の鉄道の旅を終えた。
2008年05月06日
環境問題のジレンマ
どこかの県で温暖化防止対策を備えた新エコ住宅街が開発、建設されるニュースがあった。
太陽光発電などのエネルギー対策を全戸に導入、環境に優しい住宅街として売り出す予定と言う、状況に見合った素晴らしい計画のように聞こえるが、考えて見ると良く分からない計画だ。
既存の資源を活用、自然を守り廃棄物の抑制が必要はずの環境保護の趣旨にはまるで逆行しているように思う、元より建築には多くの資材とエネルギーを必要とし、さらにたくさんの廃棄物を生む、また大規模宅地開発とは山林など自然環境の破壊を意味するわけで、そうして造ったものを環境に優しい住宅街として売り出すことはどこか本末転倒の気がしてならない。
かつて開発で作られたニュータウンに住み環境云々を語ることの是非が問われたが、さらに地球環境は悪化、火急な対策が必要として家庭ゴミのひとつからの意識が叫ばれている中にあって対策と称した原因作りがまた繰り返されるのはいかがなものか、既存の住宅街を改修し省エネの街にすると言うのであれば環境対策と言えなくはない。
しかし残念ながらそれでは宅地開発、住宅産業関連は成り立たなくなるのが現実の壁、あらゆる産業は新たな何かを生産し続けることが経済活動となっていて、リサイクル業だけで経済が成り立つわけはない。
つまり環境問題とはそうした経済の仕組みが生み出す問題なのだ。生産を伴わないのは金融業ぐらいでしかないが産業がなければ金融も成り立たず、この辻褄をどう合せるかが環境問題のジレンマ、産業活動を停止すれば環境問題は解決するのだけは確か。
いっそ生産は中国、インドに任せ、かつて経済発展を謳歌、環境破壊当事者の先進諸国は今後リサイクル立国として役割分担してはどうだろう、少なくとも温暖化ガスの総排出量だけは減る。
太陽光発電などのエネルギー対策を全戸に導入、環境に優しい住宅街として売り出す予定と言う、状況に見合った素晴らしい計画のように聞こえるが、考えて見ると良く分からない計画だ。
既存の資源を活用、自然を守り廃棄物の抑制が必要はずの環境保護の趣旨にはまるで逆行しているように思う、元より建築には多くの資材とエネルギーを必要とし、さらにたくさんの廃棄物を生む、また大規模宅地開発とは山林など自然環境の破壊を意味するわけで、そうして造ったものを環境に優しい住宅街として売り出すことはどこか本末転倒の気がしてならない。
かつて開発で作られたニュータウンに住み環境云々を語ることの是非が問われたが、さらに地球環境は悪化、火急な対策が必要として家庭ゴミのひとつからの意識が叫ばれている中にあって対策と称した原因作りがまた繰り返されるのはいかがなものか、既存の住宅街を改修し省エネの街にすると言うのであれば環境対策と言えなくはない。
しかし残念ながらそれでは宅地開発、住宅産業関連は成り立たなくなるのが現実の壁、あらゆる産業は新たな何かを生産し続けることが経済活動となっていて、リサイクル業だけで経済が成り立つわけはない。
つまり環境問題とはそうした経済の仕組みが生み出す問題なのだ。生産を伴わないのは金融業ぐらいでしかないが産業がなければ金融も成り立たず、この辻褄をどう合せるかが環境問題のジレンマ、産業活動を停止すれば環境問題は解決するのだけは確か。
いっそ生産は中国、インドに任せ、かつて経済発展を謳歌、環境破壊当事者の先進諸国は今後リサイクル立国として役割分担してはどうだろう、少なくとも温暖化ガスの総排出量だけは減る。
2008年05月03日
アラ探し
どんな人にも欠点の一つや二つは必ずあり、それを探すのがもっかの暇つぶしだ。などと言えばきわめて嫌な性格を持ち、出来れば知り合いにならないで済ませたいと思われるのがオチだが、探しているのは人のではなく魚のアラ、要は魚を捌いて商品となる正肉や卵巣などを取った残りの部分のことである。
有名なのはマグロやブリのカマと言ったところだが、有名ではあるが好みではない。第一にこれらは上品過ぎるし当然値も張る。アラとは本来商品とはしない部分で料亭なら賄い飯に使うか廃棄される部分でありそれらに真っ当な値段を付けられたのでは面白くないし価値がないと拳を上げては見るが、高いと買えないだけのことだ。
魚に目がなく、仕事の途中でもスーパーなどを見かけるとつい立ち寄って鮮魚売り場を覗いてしまう。ただ近頃のスーパーと来たらまるで面白くも何ともなく、スーパーの名称が違うだけでカルテルでも結んでいるように内容がほとんど変わらない。鮮魚売り場を覗く面白さは水族館の様に多種多様な品揃えと季節ごとの旬があるからで、鶏、豚、牛と決まっていて季節も旬もない精肉売り場のつまらなさとは一線を画す。
ところが不景気のせいか資源のせいか、おそらく両方のせいと思うが、品揃えがワンパターンと化し誠に面白くも何ともない。本当は市場のような魚屋さんが望ましいのだが近くにはなく、町の魚屋もシャッターを降ろしたままでは致し方ない。スーパーは売れ筋主体で5月に入ったばかりのこの季節はろくな魚がなく、刺身となると定番の真アジかイナダ、イカ程度で旬を迎えるカツオはまだ高くて買えない。
この品揃えでは探しているアラがあるはずもないが、アラは通の食材であり見つけた時の喜びもまたひとしおだ。
最近スーパーよりも百貨店の鮮魚売り場が穴場であることを発見した。本来法外の値段を付けて売っている百貨店の魚屋など相手にしたくないところだが、ことアラに限っては百貨店を評価出来る。百貨店では多くの場合テナントの魚屋が出店、リッチな客だけを相手にしているだけあって品揃えも見事だ。庶民的なアジ、サバなどもどこか上品な顔をしていてその分アジ、サバではないような値段が付いている。スーパーでは売れない種類の魚でも百貨店では売れるようで、その種類もヒラメ、真鯛、カサゴ、キンキ、ホウボウ、コチ、サヨリ、カワハギその他大勢の種類がある。大体その売り場の隅あたりにカゴに乗せてあるのが目的のアラ、なぜか値段がついていない場合が多い。見ていると馴染みの金持ち風の客とのやりとりで何か高価な魚を買えばオマケに付けてあげてもいるようで、あまり単独で売る気はないようだ。
さすがにリッチな客相手だけに品質、鮮度と言うのもすこぶる良い。マグロのカマはスーパーで売っているのでも良い、それは多くの場合元から冷凍でさほど差がないからだ。しかしタイミングが良いと生マグロのカマに出会うこともある。このあたりはさすがに百貨店で、生マグロを一本丸ごと解体の実演をして売っていることがあり、それらのカマと来たら驚きの安値で売られる。外されたカマがまな板の上にあるうちに客から声が掛り、威勢のいいオジさんが気前のいい値段を言うのだが、多くの場合声を掛けた客はすでに大トロあたりも手にしている場合が多く、そうした駆け引きがやや難しい。取りあえずダミーに何かを手にし生マグロのカマを手に入れるのが嫌な思いをしないテクニックだ。これはスーパーででもそうだがアラだけをカゴに入れレジに並ぶのは見栄と言うものを外してもやはりどこか卑屈になってしまう自らの問題であるかも知れない。
こうして百貨店で生マグロのカマを手に入れた日は極めて得をした気分となる。
マグロなどは北洋などで捕ったすぐに急速冷凍されることで味も落ちないと言われてはいるがやはり味は落ち、やはり魚は生に限る。冷凍の輸入魚はスーパーの定番で子持ちカレイやメカジキの切り身、ギンダラや正体不明の魚があるが、食べて美味かった試しがない。
冷凍カレイで作った煮ガレイなどは身がパサつき食べて後悔する食感だ。
アラを好むのは箸でいじくる楽しみと正肉とは違う食感があるからで、決して値段だけのことではない。マグロのホオ肉と言うのが単独で売られる場合もある、単独では結構な値段が付くがアラとして手に入れるともちろんホオ肉込みでありお買い得だ。大きな鍋で煮るか場所があれば網を載せた七輪で焼くのが美味い。目玉周りのゼリー状の脂肪はかの有名なDHA豊富であるし、ホオ肉や骨の間にある結構な量の歯ごたえのある肉は絶品でこれだけで腹いっぱいになってしまう。
同じように冬の時期にはブリのアラを探す、この場合は焼くよりブリ大根だ。これも正肉の切り身で作るものとはまるで違い安く、かつ美味いのだが多くの客がそれに気付いたのかスーパーのブリのアラが正肉と変わらない値付けとなっているのは腹立たしい。
珍しいものにアラのアラと言うものがある。最初のアラが魚名で別名はクエと言う鍋に美味しい大型の魚で、それのアラと言うことだ。白身でモッチリとした食感は煮物に良いが漁獲量も少ないらしく入手は運次第と言ったところだ。
タラのアラと言うのは真鱈のアラのことで、冬の鍋ものの定番だが本来真鱈の頭は人の頭ぐらいになり、それを出刃包丁で叩き割って作る北海道の三平汁などは絶品で正肉の切り身で出せる味ではない。この三平汁を作りたく探すのだが、例え見つけても頭ははなはだ小さくて使えるものではない。育つ前に捕るせいか数が少なくなったのかは分からないがアラと言うのは大きいほど美味く、小さくては醍醐味そのものがない。北海道にはさらにカジカと言う体の半分が頭部のような魚がいて、これもかなり大きいものがいて頭部と肝などを味噌汁で食べる、身こそ少ないが皮がまたたまらなく美味いが東京でまだ目にしたことはない。
北海道には巨大なヒラメでオヒョウと言うのがある。全長が1メートルにもなるヒラメだが乱獲かどうか分からないが北海道でも出会うのは少ないようだ。ヒラメと言えばエンガワと言う鰭の根元部分だが、通常の魚ではアラと扱われる部分が珍重され鮨屋でも値の張る珍しい例だ。
幸い無名の著者なので問題ないが、この手のことを教えるのはリスクもある。それは美味いことを知られ需要が増えることにより値段が高くなってしまうことで、アラと言う部分は通常正肉よりも量が少なく頭部は当然一匹に一つしかない関係で、へたをするとただでさえ手に入り難い現状が悪化し庶民には手に入れられなくなる可能性さえある。それが危惧されるのだが、そうなると高級品としてアラひとつだけでレジに並ぶこともステータスとなるかも知れない。
有名なのはマグロやブリのカマと言ったところだが、有名ではあるが好みではない。第一にこれらは上品過ぎるし当然値も張る。アラとは本来商品とはしない部分で料亭なら賄い飯に使うか廃棄される部分でありそれらに真っ当な値段を付けられたのでは面白くないし価値がないと拳を上げては見るが、高いと買えないだけのことだ。
魚に目がなく、仕事の途中でもスーパーなどを見かけるとつい立ち寄って鮮魚売り場を覗いてしまう。ただ近頃のスーパーと来たらまるで面白くも何ともなく、スーパーの名称が違うだけでカルテルでも結んでいるように内容がほとんど変わらない。鮮魚売り場を覗く面白さは水族館の様に多種多様な品揃えと季節ごとの旬があるからで、鶏、豚、牛と決まっていて季節も旬もない精肉売り場のつまらなさとは一線を画す。
ところが不景気のせいか資源のせいか、おそらく両方のせいと思うが、品揃えがワンパターンと化し誠に面白くも何ともない。本当は市場のような魚屋さんが望ましいのだが近くにはなく、町の魚屋もシャッターを降ろしたままでは致し方ない。スーパーは売れ筋主体で5月に入ったばかりのこの季節はろくな魚がなく、刺身となると定番の真アジかイナダ、イカ程度で旬を迎えるカツオはまだ高くて買えない。
この品揃えでは探しているアラがあるはずもないが、アラは通の食材であり見つけた時の喜びもまたひとしおだ。
最近スーパーよりも百貨店の鮮魚売り場が穴場であることを発見した。本来法外の値段を付けて売っている百貨店の魚屋など相手にしたくないところだが、ことアラに限っては百貨店を評価出来る。百貨店では多くの場合テナントの魚屋が出店、リッチな客だけを相手にしているだけあって品揃えも見事だ。庶民的なアジ、サバなどもどこか上品な顔をしていてその分アジ、サバではないような値段が付いている。スーパーでは売れない種類の魚でも百貨店では売れるようで、その種類もヒラメ、真鯛、カサゴ、キンキ、ホウボウ、コチ、サヨリ、カワハギその他大勢の種類がある。大体その売り場の隅あたりにカゴに乗せてあるのが目的のアラ、なぜか値段がついていない場合が多い。見ていると馴染みの金持ち風の客とのやりとりで何か高価な魚を買えばオマケに付けてあげてもいるようで、あまり単独で売る気はないようだ。
さすがにリッチな客相手だけに品質、鮮度と言うのもすこぶる良い。マグロのカマはスーパーで売っているのでも良い、それは多くの場合元から冷凍でさほど差がないからだ。しかしタイミングが良いと生マグロのカマに出会うこともある。このあたりはさすがに百貨店で、生マグロを一本丸ごと解体の実演をして売っていることがあり、それらのカマと来たら驚きの安値で売られる。外されたカマがまな板の上にあるうちに客から声が掛り、威勢のいいオジさんが気前のいい値段を言うのだが、多くの場合声を掛けた客はすでに大トロあたりも手にしている場合が多く、そうした駆け引きがやや難しい。取りあえずダミーに何かを手にし生マグロのカマを手に入れるのが嫌な思いをしないテクニックだ。これはスーパーででもそうだがアラだけをカゴに入れレジに並ぶのは見栄と言うものを外してもやはりどこか卑屈になってしまう自らの問題であるかも知れない。
こうして百貨店で生マグロのカマを手に入れた日は極めて得をした気分となる。
マグロなどは北洋などで捕ったすぐに急速冷凍されることで味も落ちないと言われてはいるがやはり味は落ち、やはり魚は生に限る。冷凍の輸入魚はスーパーの定番で子持ちカレイやメカジキの切り身、ギンダラや正体不明の魚があるが、食べて美味かった試しがない。
冷凍カレイで作った煮ガレイなどは身がパサつき食べて後悔する食感だ。
アラを好むのは箸でいじくる楽しみと正肉とは違う食感があるからで、決して値段だけのことではない。マグロのホオ肉と言うのが単独で売られる場合もある、単独では結構な値段が付くがアラとして手に入れるともちろんホオ肉込みでありお買い得だ。大きな鍋で煮るか場所があれば網を載せた七輪で焼くのが美味い。目玉周りのゼリー状の脂肪はかの有名なDHA豊富であるし、ホオ肉や骨の間にある結構な量の歯ごたえのある肉は絶品でこれだけで腹いっぱいになってしまう。
同じように冬の時期にはブリのアラを探す、この場合は焼くよりブリ大根だ。これも正肉の切り身で作るものとはまるで違い安く、かつ美味いのだが多くの客がそれに気付いたのかスーパーのブリのアラが正肉と変わらない値付けとなっているのは腹立たしい。
珍しいものにアラのアラと言うものがある。最初のアラが魚名で別名はクエと言う鍋に美味しい大型の魚で、それのアラと言うことだ。白身でモッチリとした食感は煮物に良いが漁獲量も少ないらしく入手は運次第と言ったところだ。
タラのアラと言うのは真鱈のアラのことで、冬の鍋ものの定番だが本来真鱈の頭は人の頭ぐらいになり、それを出刃包丁で叩き割って作る北海道の三平汁などは絶品で正肉の切り身で出せる味ではない。この三平汁を作りたく探すのだが、例え見つけても頭ははなはだ小さくて使えるものではない。育つ前に捕るせいか数が少なくなったのかは分からないがアラと言うのは大きいほど美味く、小さくては醍醐味そのものがない。北海道にはさらにカジカと言う体の半分が頭部のような魚がいて、これもかなり大きいものがいて頭部と肝などを味噌汁で食べる、身こそ少ないが皮がまたたまらなく美味いが東京でまだ目にしたことはない。
北海道には巨大なヒラメでオヒョウと言うのがある。全長が1メートルにもなるヒラメだが乱獲かどうか分からないが北海道でも出会うのは少ないようだ。ヒラメと言えばエンガワと言う鰭の根元部分だが、通常の魚ではアラと扱われる部分が珍重され鮨屋でも値の張る珍しい例だ。
幸い無名の著者なので問題ないが、この手のことを教えるのはリスクもある。それは美味いことを知られ需要が増えることにより値段が高くなってしまうことで、アラと言う部分は通常正肉よりも量が少なく頭部は当然一匹に一つしかない関係で、へたをするとただでさえ手に入り難い現状が悪化し庶民には手に入れられなくなる可能性さえある。それが危惧されるのだが、そうなると高級品としてアラひとつだけでレジに並ぶこともステータスとなるかも知れない。
2008年05月02日
ながら考
時代の価値観の変化とは面白い、カッコ良さの変化と言うものかも知れない。
それで気が付く○○しながら○○する「ながら」スタイルだ。
きっかけは歌を歌い「ながら」アクションを付けるチャックベリーやプレスリーのスタイルがカッコ良く、それはそのまま現在のポピュラーミュージックに引き継がれている。
その以前の歌謡曲は直立不動で歌い、聞く側もじっとそれを聞いていた。
日本では古来この「ながら」は行儀が悪いとされ、晩御飯なども話すこともなく黙々と食べるが善しとされていたがテレビの普及、外国人の食事の光景を知ることで受け入れられ、晩御飯はテレビ見「ながら」しゃべり「ながら」がごく普通となった。
この「ながら」がカッコ良く、日本もその後単一から複合へスタイルを変え始め、ウオークマンなどはそうして生まれた商品で歩きながら走りながら音楽をいつでも聞けるものとした。
若者がシビレたロックは体を激しく動かしつつ歌い、タバコや酒も飲み「ながら」がブレイクした。タバコは歩きながら、飲みながら、しゃべりながら、寝ながらと言うものが何かカッコ良く思え、それは当時の映画などにはそうしたシーンは三船、裕次郎にも頻繁に出てきた。
それが今日は寝タバコ禁止、歩きタバコ禁止、禁止になってはいないがロックバンドもステージでタバコ吸いながらの演奏もなく行儀が良い。
昨年新宿区大久保あたりで歩きタバコをしていると、見知らぬオジさんに灰皿を差し出された。千代田区の実施は知っていたのでてっきり罰金かと思ったら、禁止しているので消して下さいとのなかなか紳士的対応の担当員だった。
確かに時代は歩行禁煙、区ごとの対応の違いはあれ、都内はもうすでに歩きタバコが出来る状況にはなく、そのお情け対策として駅周辺に喫煙所が設けられている。渋谷のハチ公前などのスペースだが、吸い殻入れの前で大勢がただ黙々と吸っている光景も何だかおかしい。横浜駅西口では喫煙用に小さな建物が設置されていて雨天でもタバコが吸える、だから横浜が渋谷より親切。。かどうかは分からない
4畳半ほどの建物の中はすし詰め状態で燻製工場のように煙まみれ状態、そこで義務のようにそれぞれが黙々と吸うタバコがうまい訳がない。まして空港の喫煙室に至ってはほとんど病気にしか見えない。
歩きタバコと言うのはそもそも指に挟んだタバコがアクセサリーのようなもので、実際はさほど吸ってはいない、足で踏み消すのもしてみたかった仕草だが、もちろん今はご法度。喫煙スペースに入ると義務のような気分で吸いつくす、あえてタバコに火を付ける必要もないほどに喫煙室は煙にあふれていてもだ。
これではどのような意味でも身体にいいはずもなく、決められた場所で義務的に吸うのはとてもカッコと言うものではなくなった。
コーヒーショップ然り、レストラン然り喫煙者差別の時代となり裕次郎の時代が羨ましい。さらにもうじきあるカードを持っていないと自販機でタバコが買えなくなると聞く、真綿で首を絞めるとはこのこと、いっそタバコの販売を禁止すれば気が済むものを国の税収が減るのでそうも出来ないとあっては落ち着きようのない立場である。
そうしてタバコ規制も一段落したのか、今のやり玉は携帯だ。本来「ながら」前提に普及のはずだが、電車では電源を切れとアナウンスがやかましく、病院で使うと誰かが死ぬと脅され、車の運転中では法外な罰則、自転車でウオークマンもダメとなるらしい。このままでは喫煙所のごとくすべて指定の場所でしか使えないようになるかも知れず、その目的で誰も使わない公衆電話BOXが依然残されているのかも知れない。
さらには運転しながらのタバコ禁止も時間の問題だろう、タクシーではほぼ禁煙のうえ実際運転中は携帯よりもタバコに火を付ける、消す時と言うのは結構危ない。
どこかつまらなくカッコ付かない時代となったように思える一方、世間では効果がどうかはどうでも良いほどにエコブーム、環境に良いとマイバックがもてはやされている。
レジ袋の以前もっぱら薄茶の紙袋が使われていた。今のレジ袋のように持つところのない厚手の紙袋に店名が印刷され、ぶら下げるのではなく胸に抱えるものだった。スタイルとして見てもなぜかこの胸に抱えた姿の方がカッコよく思え、ビニールのレジ袋を両腕にぶら下げているのはなぜか風情を感じない。時代は紙袋の時代よりも豊かになったかも知れないが両腕に袋をぶら下げたトボトボ歩きはどこか貧乏臭さを感じる。
歩行禁煙となって喫煙所で身体に悪いほど集中的真剣にタバコを吸い、マイバッグ持たないばかりに高くつく。。と言う時代遅れ、これからも「ながら」は禁止傾向にあり、ながらをしておくなら早目のうちか。
それで気が付く○○しながら○○する「ながら」スタイルだ。
きっかけは歌を歌い「ながら」アクションを付けるチャックベリーやプレスリーのスタイルがカッコ良く、それはそのまま現在のポピュラーミュージックに引き継がれている。
その以前の歌謡曲は直立不動で歌い、聞く側もじっとそれを聞いていた。
日本では古来この「ながら」は行儀が悪いとされ、晩御飯なども話すこともなく黙々と食べるが善しとされていたがテレビの普及、外国人の食事の光景を知ることで受け入れられ、晩御飯はテレビ見「ながら」しゃべり「ながら」がごく普通となった。
この「ながら」がカッコ良く、日本もその後単一から複合へスタイルを変え始め、ウオークマンなどはそうして生まれた商品で歩きながら走りながら音楽をいつでも聞けるものとした。
若者がシビレたロックは体を激しく動かしつつ歌い、タバコや酒も飲み「ながら」がブレイクした。タバコは歩きながら、飲みながら、しゃべりながら、寝ながらと言うものが何かカッコ良く思え、それは当時の映画などにはそうしたシーンは三船、裕次郎にも頻繁に出てきた。
それが今日は寝タバコ禁止、歩きタバコ禁止、禁止になってはいないがロックバンドもステージでタバコ吸いながらの演奏もなく行儀が良い。
昨年新宿区大久保あたりで歩きタバコをしていると、見知らぬオジさんに灰皿を差し出された。千代田区の実施は知っていたのでてっきり罰金かと思ったら、禁止しているので消して下さいとのなかなか紳士的対応の担当員だった。
確かに時代は歩行禁煙、区ごとの対応の違いはあれ、都内はもうすでに歩きタバコが出来る状況にはなく、そのお情け対策として駅周辺に喫煙所が設けられている。渋谷のハチ公前などのスペースだが、吸い殻入れの前で大勢がただ黙々と吸っている光景も何だかおかしい。横浜駅西口では喫煙用に小さな建物が設置されていて雨天でもタバコが吸える、だから横浜が渋谷より親切。。かどうかは分からない
4畳半ほどの建物の中はすし詰め状態で燻製工場のように煙まみれ状態、そこで義務のようにそれぞれが黙々と吸うタバコがうまい訳がない。まして空港の喫煙室に至ってはほとんど病気にしか見えない。
歩きタバコと言うのはそもそも指に挟んだタバコがアクセサリーのようなもので、実際はさほど吸ってはいない、足で踏み消すのもしてみたかった仕草だが、もちろん今はご法度。喫煙スペースに入ると義務のような気分で吸いつくす、あえてタバコに火を付ける必要もないほどに喫煙室は煙にあふれていてもだ。
これではどのような意味でも身体にいいはずもなく、決められた場所で義務的に吸うのはとてもカッコと言うものではなくなった。
コーヒーショップ然り、レストラン然り喫煙者差別の時代となり裕次郎の時代が羨ましい。さらにもうじきあるカードを持っていないと自販機でタバコが買えなくなると聞く、真綿で首を絞めるとはこのこと、いっそタバコの販売を禁止すれば気が済むものを国の税収が減るのでそうも出来ないとあっては落ち着きようのない立場である。
そうしてタバコ規制も一段落したのか、今のやり玉は携帯だ。本来「ながら」前提に普及のはずだが、電車では電源を切れとアナウンスがやかましく、病院で使うと誰かが死ぬと脅され、車の運転中では法外な罰則、自転車でウオークマンもダメとなるらしい。このままでは喫煙所のごとくすべて指定の場所でしか使えないようになるかも知れず、その目的で誰も使わない公衆電話BOXが依然残されているのかも知れない。
さらには運転しながらのタバコ禁止も時間の問題だろう、タクシーではほぼ禁煙のうえ実際運転中は携帯よりもタバコに火を付ける、消す時と言うのは結構危ない。
どこかつまらなくカッコ付かない時代となったように思える一方、世間では効果がどうかはどうでも良いほどにエコブーム、環境に良いとマイバックがもてはやされている。
レジ袋の以前もっぱら薄茶の紙袋が使われていた。今のレジ袋のように持つところのない厚手の紙袋に店名が印刷され、ぶら下げるのではなく胸に抱えるものだった。スタイルとして見てもなぜかこの胸に抱えた姿の方がカッコよく思え、ビニールのレジ袋を両腕にぶら下げているのはなぜか風情を感じない。時代は紙袋の時代よりも豊かになったかも知れないが両腕に袋をぶら下げたトボトボ歩きはどこか貧乏臭さを感じる。
歩行禁煙となって喫煙所で身体に悪いほど集中的真剣にタバコを吸い、マイバッグ持たないばかりに高くつく。。と言う時代遅れ、これからも「ながら」は禁止傾向にあり、ながらをしておくなら早目のうちか。
2008年03月28日
鯨と文化
私の子供の頃、40年ほど昔には鯨肉と言うのがよく食卓にのぼり赤身を焼肉にして食べていた。部位にもよると思うが筋っぽくて固かった印象がある。
鯨肉を使ったのは豚や牛よりも安いと言うごく単純な理由と後に親から聞かされ、経済的に家庭で日常食える値段の肉だったようだ。
鯨肉の加工品にはベーコンと言われるものや、オバケと言う薄い脂身のチリメン状のものもあった。
スライスされたベーコンは2/3は脂身で残りわずかに赤身が付いていて、なぜだか脂身の縁は赤く着色されていた。
私たちは鯨のそれがベーコンだと信じていて、本来は豚肉の加工品と知ったのは随分後になってからのことだ。鯨ベーコンはどこかゴムのような食感で子供の歯ではなかなか噛み切れなかった記憶がある。
オバケに至ってはそのもの自体にはほとんど味がなく酢味噌の味だけ、つまり鯨はタンパク源の肉として食卓で豚、牛肉の代わりを務めていたわけだ。
食べ物の味と言うのはいつまでも記憶に残るもので、今さらながらに子供の頃の駄菓子さえ懐かしく思い出してしまう。かつての駄菓子は毒々しい色のものが多く、中には色素で舌の表面が真赤になってしまうものもあり、その赤い舌で悪ふざけしたものだ。
ジュースなどの飲料も粉末のものが多く、それでも子供には甘く、おいしいと感じていた。
しかし時代が豊かになると共に安全性が問題となり、有害色素や人工甘味料で作られたこれらの駄菓子は姿を消した。これらは貧しい時代の代用おやつだったと言うことだ。
つまり食べ物とはその時代を反映するものであり、懐かしさは懐かしさのままで良いのだと思う。
例えば戦時中には芋やカボチャ、スイトンで飢えを凌いだだけのものでさえ戦中世代には懐かしい味の記憶に違いない。
暮らしの一時期を支えた食べ物は確かに食文化のひとつには違いないが、後世に継承しなければならないものかどうか、ノスタルジーとは分けて考える必要があるように思う。
かつて肉として兎、鹿、猪、キジ等々あらゆる野生動物が食べられていた。それらを食べなくなったのは鶏、豚、牛の飼育により十分においしい肉にありつける事が出来るようになったからで、兎、鹿、猪、キジにはまた別の味わいがあるにしてもそれを食文化とする必要はないことになる。言うなれば元々は肉を食べないのが日本人の民族的な食文化のはずだが、今となってそれを守ろうと主張する人はいない。
文化とは変わり続けるもの、今の時代にあっても鯨を食べなければいけない理由はどこにもない、
かつての貧しい時代に食用として乱獲した鯨を今度は保護し守ろうとする考えの方がどれだけ自然だろう。
スーパーに行けば鶏、豚、牛など、肉に不自由することのない時代にありながら鯨を食べるのが文化だと主張する風潮がある。
かつての使い捨て、消費が美徳とした時代からリサイクル、もったいないと言う価値観へと意識が変貌したように文化とは価値観であり、鯨を食す欲求はノスタルジーとして文化と履き違えてはいけないと思われる。
今や国際的にも鯨を保護し観光資源として活かそうとする趨勢にあって依然鯨を食糧としてしか見ることの出来ない日本、その意識の隔たりはとても大きく思える。
近頃は黒マグロの激減が問題とされている。
日本が世界の水産資源を独り占め出来ていた時代も変わり、ヘルシー食材として欧米の需要も高まり、中国やインドで人口が増加の一途を辿る中、すでに日本がすべて独占出来る時代ではない。
鯨へのコダワリを今捨て去ることが出来なければマグロを気軽に食べられなく時代にはとても対応不可能な気がする。
握り寿司が日本の伝統であることは国際的に認知され、外国人にも評価は高い。
こればかりは私も日本人、どうしても守りたい食文化ではある。そのためには総量規制などの資源保護はもちろん、養殖、人工孵化などの新たな知恵が必要になると思う。その意味で鯨への執着はむしろマグロに向けるべきと考えるのは私だけだろうか。
調査捕鯨と言うややゴリオシの活動よりもマグロの生態や資源調査にエネルギーを向ける方が真の伝統、食文化を守る活動と言えるのではないだろうか。
鯨肉を使ったのは豚や牛よりも安いと言うごく単純な理由と後に親から聞かされ、経済的に家庭で日常食える値段の肉だったようだ。
鯨肉の加工品にはベーコンと言われるものや、オバケと言う薄い脂身のチリメン状のものもあった。
スライスされたベーコンは2/3は脂身で残りわずかに赤身が付いていて、なぜだか脂身の縁は赤く着色されていた。
私たちは鯨のそれがベーコンだと信じていて、本来は豚肉の加工品と知ったのは随分後になってからのことだ。鯨ベーコンはどこかゴムのような食感で子供の歯ではなかなか噛み切れなかった記憶がある。
オバケに至ってはそのもの自体にはほとんど味がなく酢味噌の味だけ、つまり鯨はタンパク源の肉として食卓で豚、牛肉の代わりを務めていたわけだ。
食べ物の味と言うのはいつまでも記憶に残るもので、今さらながらに子供の頃の駄菓子さえ懐かしく思い出してしまう。かつての駄菓子は毒々しい色のものが多く、中には色素で舌の表面が真赤になってしまうものもあり、その赤い舌で悪ふざけしたものだ。
ジュースなどの飲料も粉末のものが多く、それでも子供には甘く、おいしいと感じていた。
しかし時代が豊かになると共に安全性が問題となり、有害色素や人工甘味料で作られたこれらの駄菓子は姿を消した。これらは貧しい時代の代用おやつだったと言うことだ。
つまり食べ物とはその時代を反映するものであり、懐かしさは懐かしさのままで良いのだと思う。
例えば戦時中には芋やカボチャ、スイトンで飢えを凌いだだけのものでさえ戦中世代には懐かしい味の記憶に違いない。
暮らしの一時期を支えた食べ物は確かに食文化のひとつには違いないが、後世に継承しなければならないものかどうか、ノスタルジーとは分けて考える必要があるように思う。
かつて肉として兎、鹿、猪、キジ等々あらゆる野生動物が食べられていた。それらを食べなくなったのは鶏、豚、牛の飼育により十分においしい肉にありつける事が出来るようになったからで、兎、鹿、猪、キジにはまた別の味わいがあるにしてもそれを食文化とする必要はないことになる。言うなれば元々は肉を食べないのが日本人の民族的な食文化のはずだが、今となってそれを守ろうと主張する人はいない。
文化とは変わり続けるもの、今の時代にあっても鯨を食べなければいけない理由はどこにもない、
かつての貧しい時代に食用として乱獲した鯨を今度は保護し守ろうとする考えの方がどれだけ自然だろう。
スーパーに行けば鶏、豚、牛など、肉に不自由することのない時代にありながら鯨を食べるのが文化だと主張する風潮がある。
かつての使い捨て、消費が美徳とした時代からリサイクル、もったいないと言う価値観へと意識が変貌したように文化とは価値観であり、鯨を食す欲求はノスタルジーとして文化と履き違えてはいけないと思われる。
今や国際的にも鯨を保護し観光資源として活かそうとする趨勢にあって依然鯨を食糧としてしか見ることの出来ない日本、その意識の隔たりはとても大きく思える。
近頃は黒マグロの激減が問題とされている。
日本が世界の水産資源を独り占め出来ていた時代も変わり、ヘルシー食材として欧米の需要も高まり、中国やインドで人口が増加の一途を辿る中、すでに日本がすべて独占出来る時代ではない。
鯨へのコダワリを今捨て去ることが出来なければマグロを気軽に食べられなく時代にはとても対応不可能な気がする。
握り寿司が日本の伝統であることは国際的に認知され、外国人にも評価は高い。
こればかりは私も日本人、どうしても守りたい食文化ではある。そのためには総量規制などの資源保護はもちろん、養殖、人工孵化などの新たな知恵が必要になると思う。その意味で鯨への執着はむしろマグロに向けるべきと考えるのは私だけだろうか。
調査捕鯨と言うややゴリオシの活動よりもマグロの生態や資源調査にエネルギーを向ける方が真の伝統、食文化を守る活動と言えるのではないだろうか。
2008年03月11日
匕首(あいくち)の報酬(28 完
「どうしたのこんな所で。。」
「いや、ちょっとな。ヤクザがヤクザでいられた頃を思い出していた」
「そう。確かにもうこの街も面影ないし、ヤクザの生きられる場所ではなくなったかもね。まあ、時代ってものよ。それでもまだこの街で組を続ける?」
「俺にはそれしかねえ、どう転んでも。。」
後ろに人の気配がした。いろんな出来事があっただけに過剰に反応する癖が付いた。
「会長、姉さん。姿見えないんで探しました。社員のバンドやらで盛り上がってますんで、見てやって下さい」
「馬鹿、俺がそんなの見て腰振ってどうするんだ。若いのはてめえが面倒見てりゃあいいんだ。後で行くからてめえもたまに騒いでいろ」
「そうよ今日は無礼講ってことで田中も少し気を抜きなさい。ま、改めて言うけど良くここまで頑張ったわ。うちの会社しかり田中の力なかったら今頃潰れていたもの」
「いや。やらせてくれたからです、金も何にも持ってない俺に。。。」
感極まったように言葉を詰まらせた、これは田中の演技かも知れない。
「ま上等だ。てめえの頭撃ちぬくことも俺の腹を切り裂くこともなく、こうやって自社ビル屋上に立つってのはてえしたもんだ」
「え?頭を撃ちぬく?腹を切る?一体何の話なの」
「ハハハ、田中と俺だけの内緒の話よ」
田中の肩を叩くと泣きながら笑った。
「お前にこれを渡す」
俺はポケットから3階事務所の鍵を出し、田中の手に握らせた。
「えっ?あの、これ何ですか?」
「3階も使いな。どうも窮屈そうで見てられねえや」
「いや、あれぐらいで十分ですよ。だいいち会長どうするんですか?」
「俺か、俺はこの街を出ることにした。まだ俺みたいのが生き残れる場所どこかにあるだろう。旅でもしながらゆっくり探す。3階も使え、もっと若いのを拾ってやって会社でかくしろ。御手洗組は俺が持って行く、ミライカンパニーは若者の未来カンパニーだ」
意味が分からなかったようで、田中も明子も固まっていた。
一週間後、少し離れた位置からビルを見ていた。十年ぶりぐらいの旅行に出かける。洋服も新調し帽子や皮の旅行カバンまで買った。中には晒に巻いた真っ黒の匕首が入っている。俺にとってはたったひとつの財産と言えるものだ。
3階の窓の上に誇らしげに英語でMIRAI&COと看板が据えられているミライアンドコだ。制服も作ったとかでいろんな色の髪をした若い連中が出たり入ったりと活気は申し分ない。
さて出掛けようと後ろを振り向くと男が立っていて、俺は心臓が止まりそうだった。
それは田中で、やっぱり旅行カバンを持っていた。
「何だ、てめえ脅かすんじゃねえ。その格好は何だ?てめえもどこか旅行か?」
「あの、一緒させて下さい」
「一緒って、田中てめえ会社どうするんだ。ふざけたこと抜かすんじゃねえよ」
「いや、もう大丈夫です俺がいなくとも。今度こそボスの手伝いしたいんっス」
「てめえまた明子に言われたな、この野郎」
「いや今度はお願いしたんです。これからは姉さんの方がいいんです、もうしばらくヤクザをボスの元で勉強させてもらいます、俺はどうしてもヤクザをやりたいんです」
またここにどうしようもない大卒の馬鹿がいた。
そして明子から預かったと言う手紙をポケットから出して渡された。
「丈治会長様
あなたを許します。道中御健康に留意のこと、もうあなた一人の身体ではありません。
つきましては同封の書類に記名、捺印のうえ投函されますよう。予定日は今年12月です。
明子 」
ヤラレタ、、同封されていたのは明子の記名捺印のされた婚姻届だった。
「いや、ちょっとな。ヤクザがヤクザでいられた頃を思い出していた」
「そう。確かにもうこの街も面影ないし、ヤクザの生きられる場所ではなくなったかもね。まあ、時代ってものよ。それでもまだこの街で組を続ける?」
「俺にはそれしかねえ、どう転んでも。。」
後ろに人の気配がした。いろんな出来事があっただけに過剰に反応する癖が付いた。
「会長、姉さん。姿見えないんで探しました。社員のバンドやらで盛り上がってますんで、見てやって下さい」
「馬鹿、俺がそんなの見て腰振ってどうするんだ。若いのはてめえが面倒見てりゃあいいんだ。後で行くからてめえもたまに騒いでいろ」
「そうよ今日は無礼講ってことで田中も少し気を抜きなさい。ま、改めて言うけど良くここまで頑張ったわ。うちの会社しかり田中の力なかったら今頃潰れていたもの」
「いや。やらせてくれたからです、金も何にも持ってない俺に。。。」
感極まったように言葉を詰まらせた、これは田中の演技かも知れない。
「ま上等だ。てめえの頭撃ちぬくことも俺の腹を切り裂くこともなく、こうやって自社ビル屋上に立つってのはてえしたもんだ」
「え?頭を撃ちぬく?腹を切る?一体何の話なの」
「ハハハ、田中と俺だけの内緒の話よ」
田中の肩を叩くと泣きながら笑った。
「お前にこれを渡す」
俺はポケットから3階事務所の鍵を出し、田中の手に握らせた。
「えっ?あの、これ何ですか?」
「3階も使いな。どうも窮屈そうで見てられねえや」
「いや、あれぐらいで十分ですよ。だいいち会長どうするんですか?」
「俺か、俺はこの街を出ることにした。まだ俺みたいのが生き残れる場所どこかにあるだろう。旅でもしながらゆっくり探す。3階も使え、もっと若いのを拾ってやって会社でかくしろ。御手洗組は俺が持って行く、ミライカンパニーは若者の未来カンパニーだ」
意味が分からなかったようで、田中も明子も固まっていた。
一週間後、少し離れた位置からビルを見ていた。十年ぶりぐらいの旅行に出かける。洋服も新調し帽子や皮の旅行カバンまで買った。中には晒に巻いた真っ黒の匕首が入っている。俺にとってはたったひとつの財産と言えるものだ。
3階の窓の上に誇らしげに英語でMIRAI&COと看板が据えられているミライアンドコだ。制服も作ったとかでいろんな色の髪をした若い連中が出たり入ったりと活気は申し分ない。
さて出掛けようと後ろを振り向くと男が立っていて、俺は心臓が止まりそうだった。
それは田中で、やっぱり旅行カバンを持っていた。
「何だ、てめえ脅かすんじゃねえ。その格好は何だ?てめえもどこか旅行か?」
「あの、一緒させて下さい」
「一緒って、田中てめえ会社どうするんだ。ふざけたこと抜かすんじゃねえよ」
「いや、もう大丈夫です俺がいなくとも。今度こそボスの手伝いしたいんっス」
「てめえまた明子に言われたな、この野郎」
「いや今度はお願いしたんです。これからは姉さんの方がいいんです、もうしばらくヤクザをボスの元で勉強させてもらいます、俺はどうしてもヤクザをやりたいんです」
またここにどうしようもない大卒の馬鹿がいた。
そして明子から預かったと言う手紙をポケットから出して渡された。
「丈治会長様
あなたを許します。道中御健康に留意のこと、もうあなた一人の身体ではありません。
つきましては同封の書類に記名、捺印のうえ投函されますよう。予定日は今年12月です。
明子 」
ヤラレタ、、同封されていたのは明子の記名捺印のされた婚姻届だった。
2008年03月10日
匕首(あいくち)の報酬(27
さらに三日後。田中が会いたいとメールをよこし、その夜バーで落ち合った。
「分かりましたよ、撃った犯人」
「うん?誰だ?」
「俺の中学の同期なんです。前に撃たれた時逃げた車あったでしょう、乗ってたのがどうも見たことある顔だったんですよ、それで思い出して」
「で、そいつ今どこだ?早速行って落とし前付けてやる」
「今日自首しました」
「あん?自首?それじゃ落とし前付けられねえじゃないか」
「姉さんに言われてたんです。会長に手を汚させるなと、絶対にそれだけはさせるなと」
「てめえ、明子の話なら何でも聞くのか?俺が筆頭株主なんだぞ、分かってるのか」
「そうですよ。だからこそ会長が手を出して捕まりでもしたらミライカンパニーも姉さんのところも大変なことになるんで」
「てめえらの都合ばかりかよ。おい、それじゃ一体御手洗組のメンツってのはどうなる?考えたことあるか?垂井組に潰されたメンツをどうする気だ」
「いや大丈夫です。垂井組ってのは三年前に事業に失敗して倒産、もうないんです。同期の垂井ってのは中学でも教師に暴力を振ったりしたするどうしようもないヤツで、どうやら家庭に問題あったらしいんです。だから出所したら何とか使ってやりたいんですよ」
「てめえはそれでカッコが付くだろうが。怪我をした明子や、焼かれた事務所はどうなる?それじゃ腹の虫が納まらねえ」
「ええ、ただそうしろって言ったのは姉さんなんです、もうこれで抗争に終止符を打てと」
「あん?被害者の明子がか、銃で命を落としたかも知れねえってのにか?」
「はい。ただ銃と言っても改造エアガンで、ちょうど事務所の看板の工事やってた時でガラスを狙った、その場の思いつきらしいです」
「てめえと来たら、明子に言われると何でも言うこと聞くんだな。明子はそうでも事務所焼かれた俺の気はそう簡単に済まねえぞ」
「火事に垂井は関係ないそうです、警察が言ってました。あの日事務所の前にタムロしていたヤンキーがいたらしく、そいつらのタバコの不始末らしいです」
「おい、それじゃ被害者の俺の気持ちはどう始末してくれるんだ。御手洗の御の字を巡る抗争ってのをてめえが知らないだけだ。ヤンキーが雇われたに決まっている」
「いや同期の垂井自体、垂井組も何も知らないそうで直接関係ないようです」
「何だよ紛らわしいなったく。ただ誰がやったにしても腹の虫が。。」
「あの。火災保険で二千万降りるので新築の事務所に入れます。土地を地主から買い取れば3階建てぐらいのビルにも出来るそうですが」
「ふーん。何かスッキリしねえが、自社ビルか、ま好きにしろ」
結局炭になった俺のドスだけを残し、ともかく事件は落着した。撃った犯人も明子の計らいで情状酌量、釈放され田中が身を預かった。垂井組の垂井ではなくその男は樽井、抗争に関係のないことも分かった。事務所の土地はミライカンパニーが買い取り、3階建ての自社ビルを建てることとなり、明子の会社はミライカンパニーに吸収合併して1、2階に、俺の事務所が3階に出来ることになった。
今日はビルの落成式。合併で40人近い社員の会社となって、見るからに窮屈な所帯ではあった。式典を適当に済ませ、屋上に出て見た。チンピラだった俺を先代が拾ってくれた頃に比べ、もうほとんど街の面影もなくビルばかりになっている。同じ様に大卒のチンピラだった田中が今では会社の社長、3年のうちに自社ビルまで建てた。会長CEOであるとは言え俺が何をした結果でもなかった、すべて田中の裁量と明子の協力にあることが嬉しくも悲しく思えた。手すりにもたれぼんやりと街を見ているといきなり背中を押され、危なく屋上から落ちそうになった。振り返ると明子がいて少し殺意を感じる目をした。明子との過去の因縁は消えてはいないので完全に油断は出来ない。
「分かりましたよ、撃った犯人」
「うん?誰だ?」
「俺の中学の同期なんです。前に撃たれた時逃げた車あったでしょう、乗ってたのがどうも見たことある顔だったんですよ、それで思い出して」
「で、そいつ今どこだ?早速行って落とし前付けてやる」
「今日自首しました」
「あん?自首?それじゃ落とし前付けられねえじゃないか」
「姉さんに言われてたんです。会長に手を汚させるなと、絶対にそれだけはさせるなと」
「てめえ、明子の話なら何でも聞くのか?俺が筆頭株主なんだぞ、分かってるのか」
「そうですよ。だからこそ会長が手を出して捕まりでもしたらミライカンパニーも姉さんのところも大変なことになるんで」
「てめえらの都合ばかりかよ。おい、それじゃ一体御手洗組のメンツってのはどうなる?考えたことあるか?垂井組に潰されたメンツをどうする気だ」
「いや大丈夫です。垂井組ってのは三年前に事業に失敗して倒産、もうないんです。同期の垂井ってのは中学でも教師に暴力を振ったりしたするどうしようもないヤツで、どうやら家庭に問題あったらしいんです。だから出所したら何とか使ってやりたいんですよ」
「てめえはそれでカッコが付くだろうが。怪我をした明子や、焼かれた事務所はどうなる?それじゃ腹の虫が納まらねえ」
「ええ、ただそうしろって言ったのは姉さんなんです、もうこれで抗争に終止符を打てと」
「あん?被害者の明子がか、銃で命を落としたかも知れねえってのにか?」
「はい。ただ銃と言っても改造エアガンで、ちょうど事務所の看板の工事やってた時でガラスを狙った、その場の思いつきらしいです」
「てめえと来たら、明子に言われると何でも言うこと聞くんだな。明子はそうでも事務所焼かれた俺の気はそう簡単に済まねえぞ」
「火事に垂井は関係ないそうです、警察が言ってました。あの日事務所の前にタムロしていたヤンキーがいたらしく、そいつらのタバコの不始末らしいです」
「おい、それじゃ被害者の俺の気持ちはどう始末してくれるんだ。御手洗の御の字を巡る抗争ってのをてめえが知らないだけだ。ヤンキーが雇われたに決まっている」
「いや同期の垂井自体、垂井組も何も知らないそうで直接関係ないようです」
「何だよ紛らわしいなったく。ただ誰がやったにしても腹の虫が。。」
「あの。火災保険で二千万降りるので新築の事務所に入れます。土地を地主から買い取れば3階建てぐらいのビルにも出来るそうですが」
「ふーん。何かスッキリしねえが、自社ビルか、ま好きにしろ」
結局炭になった俺のドスだけを残し、ともかく事件は落着した。撃った犯人も明子の計らいで情状酌量、釈放され田中が身を預かった。垂井組の垂井ではなくその男は樽井、抗争に関係のないことも分かった。事務所の土地はミライカンパニーが買い取り、3階建ての自社ビルを建てることとなり、明子の会社はミライカンパニーに吸収合併して1、2階に、俺の事務所が3階に出来ることになった。
今日はビルの落成式。合併で40人近い社員の会社となって、見るからに窮屈な所帯ではあった。式典を適当に済ませ、屋上に出て見た。チンピラだった俺を先代が拾ってくれた頃に比べ、もうほとんど街の面影もなくビルばかりになっている。同じ様に大卒のチンピラだった田中が今では会社の社長、3年のうちに自社ビルまで建てた。会長CEOであるとは言え俺が何をした結果でもなかった、すべて田中の裁量と明子の協力にあることが嬉しくも悲しく思えた。手すりにもたれぼんやりと街を見ているといきなり背中を押され、危なく屋上から落ちそうになった。振り返ると明子がいて少し殺意を感じる目をした。明子との過去の因縁は消えてはいないので完全に油断は出来ない。
2008年03月09日
匕首(あいくち)の報酬(26
事務所に着くと消防車が数台に野次馬でごった返していた。すでに鎮火した事務所は無残に崩れ、焼け焦げ炭となった柱などから白い煙が昇り、人ごみを掻き分け近づくと田中と若い社員が集まっていた。
俺の姿を見て堅い表情で駆け寄って来た。
「会長、すいません、こんなことになって。もう少し早く気が付けば良かったんですが。すいませんっ」
そう言って深く頭を下げた。ススで汚れた顔、頬からは血が流れ、服さえも焼け焦げていた。
「どうしたのお前その顔。まさか中に入った?」
明子が田中にハンカチをあてがいながらその手を取った。焼け焦げた黒い棒を握り締めていた。
「田中、何だその汚いのは?」
よく見るとそれは俺の匕首だった。俺は思わず田中の肩を引き寄せ抱きしめてしまった。
「お前、これを取りに火に入ったのか。この馬鹿野郎が。。」
俺の目には後から後から涙が湧いて来た。田中は俺から身体を離すと、明子がよこした汚れたハンカチで俺の顔を拭いた。
「すいませんっ。これしか持ち出せませんでしたっ」
「馬鹿野郎、まったくお前って男は。。」
よく考えても事務所で大事なものはそれぐらいしかなかった。それを受け取るがもう炭のようになっていて使えそうもなかったが、田中のその気持ちが嬉しかった。床下に隠しておいたハジキが気になったが、消防や警察のいる中、そこを掘る訳にもいかなかった。
「一体どこのヤツなんですか。このあいだのことと言い、知っていたら教えて下さい。このままでは御手洗の恥です、若いのもいますから」
田中の向かい側に立つ体格のいい男四人を見た。
「オッスッ」
一斉に頭を下げた。顔を見ると頭は坊主とパンチ、サッカーの中田に似たのもいた。みんな一重まぶたの細い目をして、俺が見ても怖かった。
「老人の相手を担当している、新入社員です」
確かにこいつらならお礼参りぐらいは出来そうで、俺は手のひらを顎に当てて策を練ろうとした。
「タライの仕業らしい」
連中の細い目が一瞬点のようになった。
「た、たらいって何ですか」
明子が俺の腕を強く握った。
「あんた。何を考えているの、馬鹿なことでこの子たち使うのは私が許しません」
明子に許してもらう必要もない、第一すでに明子の会社は俺が筆頭株主で、すべて俺の自由に出来るはずだった。だが力を込め握られた腕の痛さが冷静にさせた。
「分かっている、組のことはあくまでも俺の問題だ。いいか田中、前に言ったようにここはおめえと何の関係もない。立ち入るなとも言ったはずだが、今度ばかりはこいつを救ってくれた義理で許す。あとはこっちで考えるからもういい、みんな連れて帰んな。おめえの誕生日にこのザマは詫びる、どっかでこいつらと飲んでいけ。領収書忘れるな」
田中たちが帰ると、野次馬も少なくなった。
焦げ臭い焼け跡からはまだ湯気が立ち上っていた、消防や警察の事情聴取を受け、明日また警察に出頭することになった。暇を持て余してはいたので好都合ではある。
大概が引き払って、明子と何もなくなった焼け跡に立っていると、悔しさよりもどこか吹っ切れたと言うのかスッキリした感じがした。飲みなおそうと明子に誘われ、その後にまたベッタリとした視線に誘われ夜を共にしてしまった。
三日後、現場の後始末をミライカンパニーに依頼し、ゴミの処分などに立ち会っていたら、最も怖い目をした若いのが何かを見つけて持って来た。赤錆にまみれ古代の古墳から出土したようなそれは、よく見ると俺の隠しておいたハジキだった。おそらくそれが分かるのは俺ぐらいと思えるほど原型を留めていなかった。怖い目の男にそれは燃えないゴミに分別するように言った。田中が気を利かせ火災保険に、と言ってもミライカンパニーが代理店を始めた最初の客として加入したのだが、それで被害は賄えることになった。賃貸なので建て替える訳だが再びここを借りるかは考えている途中だ。
俺の姿を見て堅い表情で駆け寄って来た。
「会長、すいません、こんなことになって。もう少し早く気が付けば良かったんですが。すいませんっ」
そう言って深く頭を下げた。ススで汚れた顔、頬からは血が流れ、服さえも焼け焦げていた。
「どうしたのお前その顔。まさか中に入った?」
明子が田中にハンカチをあてがいながらその手を取った。焼け焦げた黒い棒を握り締めていた。
「田中、何だその汚いのは?」
よく見るとそれは俺の匕首だった。俺は思わず田中の肩を引き寄せ抱きしめてしまった。
「お前、これを取りに火に入ったのか。この馬鹿野郎が。。」
俺の目には後から後から涙が湧いて来た。田中は俺から身体を離すと、明子がよこした汚れたハンカチで俺の顔を拭いた。
「すいませんっ。これしか持ち出せませんでしたっ」
「馬鹿野郎、まったくお前って男は。。」
よく考えても事務所で大事なものはそれぐらいしかなかった。それを受け取るがもう炭のようになっていて使えそうもなかったが、田中のその気持ちが嬉しかった。床下に隠しておいたハジキが気になったが、消防や警察のいる中、そこを掘る訳にもいかなかった。
「一体どこのヤツなんですか。このあいだのことと言い、知っていたら教えて下さい。このままでは御手洗の恥です、若いのもいますから」
田中の向かい側に立つ体格のいい男四人を見た。
「オッスッ」
一斉に頭を下げた。顔を見ると頭は坊主とパンチ、サッカーの中田に似たのもいた。みんな一重まぶたの細い目をして、俺が見ても怖かった。
「老人の相手を担当している、新入社員です」
確かにこいつらならお礼参りぐらいは出来そうで、俺は手のひらを顎に当てて策を練ろうとした。
「タライの仕業らしい」
連中の細い目が一瞬点のようになった。
「た、たらいって何ですか」
明子が俺の腕を強く握った。
「あんた。何を考えているの、馬鹿なことでこの子たち使うのは私が許しません」
明子に許してもらう必要もない、第一すでに明子の会社は俺が筆頭株主で、すべて俺の自由に出来るはずだった。だが力を込め握られた腕の痛さが冷静にさせた。
「分かっている、組のことはあくまでも俺の問題だ。いいか田中、前に言ったようにここはおめえと何の関係もない。立ち入るなとも言ったはずだが、今度ばかりはこいつを救ってくれた義理で許す。あとはこっちで考えるからもういい、みんな連れて帰んな。おめえの誕生日にこのザマは詫びる、どっかでこいつらと飲んでいけ。領収書忘れるな」
田中たちが帰ると、野次馬も少なくなった。
焦げ臭い焼け跡からはまだ湯気が立ち上っていた、消防や警察の事情聴取を受け、明日また警察に出頭することになった。暇を持て余してはいたので好都合ではある。
大概が引き払って、明子と何もなくなった焼け跡に立っていると、悔しさよりもどこか吹っ切れたと言うのかスッキリした感じがした。飲みなおそうと明子に誘われ、その後にまたベッタリとした視線に誘われ夜を共にしてしまった。
三日後、現場の後始末をミライカンパニーに依頼し、ゴミの処分などに立ち会っていたら、最も怖い目をした若いのが何かを見つけて持って来た。赤錆にまみれ古代の古墳から出土したようなそれは、よく見ると俺の隠しておいたハジキだった。おそらくそれが分かるのは俺ぐらいと思えるほど原型を留めていなかった。怖い目の男にそれは燃えないゴミに分別するように言った。田中が気を利かせ火災保険に、と言ってもミライカンパニーが代理店を始めた最初の客として加入したのだが、それで被害は賄えることになった。賃貸なので建て替える訳だが再びここを借りるかは考えている途中だ。
2008年03月08日
匕首(あいくち)の報酬(25
その後は特に何も事件もなく、やはり退屈な日々が三ヶ月ほど続いた。
ミライカンパニーは社員を増やしたことが成功し警備と言うよりは老人相手の便利屋みたいなものらしいが、孫のような社員が評判を呼んで契約を増やした。歌や楽器など特技を持つ連中は明子の会社と提携してデビュー、力仕事から出来ることは何でもやった事が幸いしたようで若者達の会社と新聞にも紹介され、さらに仕事を増やした。俺の報酬も徐々に増え新しいスーツで銀座、六本木あたりに出入りするようになった。ベントレーも分割か中古にすれば買えないこともなかったが、すでにその必要もなかった。
好事魔多しとも言うように、ミライカンパニーが順調と反対に明子の会社が思わしくなくなった。田中の提案でミライカンパニーの株をほぼ倍の値段で全て買い取ることにした。その上で俺が明子の会社の株を20%手に入れ、筆頭株主となった。つまり憧れた企業買収が実現したわけだ。その上で田中は明子の希望で会社の役員として就任、何とか再建も果たした。
「ほんと、どうなるか分からないものよね。丈治と田中に感謝するわ」
「ま、お互い様だ。明子がいなかったら事務所は畳んでいたし、ミライカンパニーもなかったわけだ。明子の先見の明で、言わば先手打っていたようなものさ。それにしても俺は本当に何をした訳でもなく、ただ見ていただけだもんな。我ながら嫌になって来るよ手厚く保護されたヤクザ、動物園のパンダみたいなものだ」
今夜は田中の誕生日と言うことで、明子とその労をねぎらう事としていた。
その時マナーモードにしていた携帯が振動してテーブルの上を移動した。蓋を開けると田中だった。場所だけに口を手で覆い小さな声で怒鳴った。
「てめえ、時間は守れよ。いつまで待ちぼうけ食わせる気だ。。」
「そ、それが。会長、焼かれました、事務所。火を付けられました。。」
「な、何っ!」
でかい声で突然立ち上がった事でワインのグラスとボトルが倒れ、ズボンを濡らした。
客と従業員の視線が俺に集中した。
「だ、誰が一体。。」
明子は自体を察知したらしく、俺のズボンをハンカチで拭きながら俺の腕を掴み、俺はまるで引っ張ってられて行く駄々っ子の様に携帯に叫びながら席を後にした。
明子は訳の分からなくなった俺から携帯を取り上げ、静かに田中に言った。
「いいわ。とにかくこれから行くから、じゃ」
それだけ言って携帯を閉じると、俺のポケットに戻した。
息の荒くなっている俺の背中を擦りながら金を払い、引っ張られながら店を出た。
外へ出ると、明子はすぐに手を上げタクシーを拾った。俺は席に押し込められてドアが閉まった。両手を強く握ると身体の震えが分かった。
「お、おい。火を付けられたそうだ。。」
タクシーの運転手は自分に話しかけられたと思ったようだ。
「は?何が、どこに?」
「うるせえ。てめえに言ってるんじゃねえ」
明子が執り成した。
「内容は聞いていて分かった。火付けとはね随分汚い手を使う。。」
「一体どこの野郎だ。我慢ならねえ、絶対にぶっ殺すっ!」
タクシーが一瞬横に揺れた。
「てめえ、あぶねえじゃねえか。しっかり走れっ」
明子はまっすぐ前を見ながら、俺の膝に手を置いてあやした。
「大体の目星は付くわ。きっとあの垂井の仕業、この間の発砲も」
息の荒い俺に冷静な声で言った。
「タライ?ん、誰だそれ?垂井順一郎のことか?三年前に確か亡くなっているだろう、まさか亡霊?」
「馬鹿ね。手下が残っている。そいつらの仕業よ、きっと」
「一体何の恨みだ?」
「丈治はあまり知らないけど。先々代からの抗争があったのよ、家名を巡ってね」
「家名って、御手洗と垂井?何だそれ」
「歴史としては垂井が古いらしいの。御手洗が後で出来たくせに御が付くのが気に入らなかったらしいわ、それは先々代から引きずった因縁なの」
「御ってミタライのミか?」
「そう、後発のくせに偉そうだと、取るか金を出すかと散々争ったらしい。ただ先々代は取ると手洗になると言うので断ったそうなの」
「手洗組か、そりゃそうだ確かに迫力がない」
タクシーの運転手の笑った顔がバックミラーに映った。身を乗り出そうとするのを明子の膝の手が抑えた。
「ミタライ、タライ。ま、どっちもどっち、くだらないと言ってしまえばそれまでだけど。ヤクザの抗争の原因なんて所詮その程度のものよ」
ミライカンパニーは社員を増やしたことが成功し警備と言うよりは老人相手の便利屋みたいなものらしいが、孫のような社員が評判を呼んで契約を増やした。歌や楽器など特技を持つ連中は明子の会社と提携してデビュー、力仕事から出来ることは何でもやった事が幸いしたようで若者達の会社と新聞にも紹介され、さらに仕事を増やした。俺の報酬も徐々に増え新しいスーツで銀座、六本木あたりに出入りするようになった。ベントレーも分割か中古にすれば買えないこともなかったが、すでにその必要もなかった。
好事魔多しとも言うように、ミライカンパニーが順調と反対に明子の会社が思わしくなくなった。田中の提案でミライカンパニーの株をほぼ倍の値段で全て買い取ることにした。その上で俺が明子の会社の株を20%手に入れ、筆頭株主となった。つまり憧れた企業買収が実現したわけだ。その上で田中は明子の希望で会社の役員として就任、何とか再建も果たした。
「ほんと、どうなるか分からないものよね。丈治と田中に感謝するわ」
「ま、お互い様だ。明子がいなかったら事務所は畳んでいたし、ミライカンパニーもなかったわけだ。明子の先見の明で、言わば先手打っていたようなものさ。それにしても俺は本当に何をした訳でもなく、ただ見ていただけだもんな。我ながら嫌になって来るよ手厚く保護されたヤクザ、動物園のパンダみたいなものだ」
今夜は田中の誕生日と言うことで、明子とその労をねぎらう事としていた。
その時マナーモードにしていた携帯が振動してテーブルの上を移動した。蓋を開けると田中だった。場所だけに口を手で覆い小さな声で怒鳴った。
「てめえ、時間は守れよ。いつまで待ちぼうけ食わせる気だ。。」
「そ、それが。会長、焼かれました、事務所。火を付けられました。。」
「な、何っ!」
でかい声で突然立ち上がった事でワインのグラスとボトルが倒れ、ズボンを濡らした。
客と従業員の視線が俺に集中した。
「だ、誰が一体。。」
明子は自体を察知したらしく、俺のズボンをハンカチで拭きながら俺の腕を掴み、俺はまるで引っ張ってられて行く駄々っ子の様に携帯に叫びながら席を後にした。
明子は訳の分からなくなった俺から携帯を取り上げ、静かに田中に言った。
「いいわ。とにかくこれから行くから、じゃ」
それだけ言って携帯を閉じると、俺のポケットに戻した。
息の荒くなっている俺の背中を擦りながら金を払い、引っ張られながら店を出た。
外へ出ると、明子はすぐに手を上げタクシーを拾った。俺は席に押し込められてドアが閉まった。両手を強く握ると身体の震えが分かった。
「お、おい。火を付けられたそうだ。。」
タクシーの運転手は自分に話しかけられたと思ったようだ。
「は?何が、どこに?」
「うるせえ。てめえに言ってるんじゃねえ」
明子が執り成した。
「内容は聞いていて分かった。火付けとはね随分汚い手を使う。。」
「一体どこの野郎だ。我慢ならねえ、絶対にぶっ殺すっ!」
タクシーが一瞬横に揺れた。
「てめえ、あぶねえじゃねえか。しっかり走れっ」
明子はまっすぐ前を見ながら、俺の膝に手を置いてあやした。
「大体の目星は付くわ。きっとあの垂井の仕業、この間の発砲も」
息の荒い俺に冷静な声で言った。
「タライ?ん、誰だそれ?垂井順一郎のことか?三年前に確か亡くなっているだろう、まさか亡霊?」
「馬鹿ね。手下が残っている。そいつらの仕業よ、きっと」
「一体何の恨みだ?」
「丈治はあまり知らないけど。先々代からの抗争があったのよ、家名を巡ってね」
「家名って、御手洗と垂井?何だそれ」
「歴史としては垂井が古いらしいの。御手洗が後で出来たくせに御が付くのが気に入らなかったらしいわ、それは先々代から引きずった因縁なの」
「御ってミタライのミか?」
「そう、後発のくせに偉そうだと、取るか金を出すかと散々争ったらしい。ただ先々代は取ると手洗になると言うので断ったそうなの」
「手洗組か、そりゃそうだ確かに迫力がない」
タクシーの運転手の笑った顔がバックミラーに映った。身を乗り出そうとするのを明子の膝の手が抑えた。
「ミタライ、タライ。ま、どっちもどっち、くだらないと言ってしまえばそれまでだけど。ヤクザの抗争の原因なんて所詮その程度のものよ」
2008年03月07日
匕首(あいくち)の報酬(24
一年が過ぎた。
正月早々だが、社員が20人近くなって窮屈なことから近くのビルに越すことになって荷物を運び出していた。俺はもちろんここで御手洗組を続ける。ひょんなことで、若い社員の何人かでバンドを作ったら、行けると言うことで明子の会社が売り出しに動き、ミライ組と言う名でデビューすることになった。利益は50/50の取り決めで双方の応援だが、そうなれば若いのばかりのミライカンパニーは強い。落ちこぼれ同士のネットワークが応援しもうじきTVデビューともなる。
ごった返した昨日までと一変、石油ストーブに置いたヤカンの音が聞こえる静けさの中で机に肘を付きテレビを見ている。戸のガラスは看板屋が二人でミライカンパニーを剥がし、金色の御手洗組と言う文字を貼っている最中だ。
そのガラスの向こうから明子がやって来た。株主であり渡世の義理もある、立ち上がって深く頭を下げた。
その時だ「パーン」と同時にガラスの割れる乾いた音、看板屋の叫び声が響いた。俺のすぐ後ろの壁を何かが貫いた。更にガラスが飛び散った時、明子の悲鳴は同時だった。止めてあった白い車が急発進した。うずくまった明子に駆け寄り抱き寄せると、左の肩に血が流れていた。
「おいっ。しっかりしろ」
「あ、ああ、丈治。大丈夫だった?」
車の走り去る向こうから血相を変え田中が走って来た。
「姉さんっ、姉さんっ、大丈夫っすか?」
田中は俺には聞かなかった。
「あ。大丈夫かすり傷よ」
うろたえる看板屋に田中が言った。
「てめえらぼんやりしてねえで仕事しろいっ」
明子を事務所に入れ、ソファーに座らせた。
「ありがとう。大丈夫、かすっただけよ。ただ田中はここに来てはだめ、御手洗組の者と思われてしまう。いい?あまり出入りしないことよ」
「はい。ただ一体誰が。。。」
「きっと昔の抗争相手のチンピラよ。手柄欲しさってとこでしょう、先代の頃の傷はまだ残っているようね」
「さっきの白い車っすか?」
「ああそうらしい。すぐ走り去ったところを見るとあれだろう」
「どこかで見た顔だな」
明子は平静を取り戻し田中に言った。
「田中には関係のないこと、いいから仕事に戻りなさい。これは私の命令よ、そして絶対に関わらないこと、分かったわね」
田中は深々と頭を下げ背中を向けると遠ざかって行った。
壁に当たった弾はカレンダーの女優の鼻に命中していた、ちょうど俺の顔の位置でもあって身体が震えた。
幸い傷は浅く傷薬を付け応急処置をした。少し前の一夜もあり、多少まずい感じもあった。
「これでも組をやる気?」
「も、もちろんさ、ハハハ」
「無理しないで、何のためかもう一度ゆっくり考えて。守るべきものを」
中年女の貼り付くような視線、何を言っているか分からなかった。
「守るのは御手洗組の名と俺のプライドさ」
「そうじゃないわ。今丈治に大切なのは、あなたを慕う田中と若い子たちと、その組織ミライカンパニーを軌道に乗せてあげることよ。それに、あ、いけない花。。」
「うん?花?」
「お祝いに花を持って来たのに。。」
外を見るとさっき明子が撃たれたところに花束が落ちていた。それはすでに踏み潰されて平らになってしまっていた。おそらく田中も踏んでいったものと思う。それを拾い上げた。
「あーあ。こんななっちまった。まあ、気持ちだけは貰っておく、ハハ。。」
看板屋も仕事を終え、明子も帰った。一人になった事務所で机に足を放って見たものの、さてと言っても当面は何もすることがなかった。電話が鳴った、田中だった。
「会長、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。ほらこの通りだ、心配はいらん。それより田中、てめえはカンパニーの方だけ考えろ。しばらくはこっちへ来るな、いいなこれは俺の命令だ」
明子の言葉を借りた。
「どうしてですか?また狙われるかも知れないですよ。新しく入れたのには体育会系のゴツイのが何人かいます、警備にでも就けられますが」
「馬鹿野郎。ヤクザが堅気に守られてどうするんだ、少し考えてものを言え」
「しかし。。相手はなんか心当たりでもあるんですか。恨みを買うような」
「いいか。俺たちの商売は切った貼っただ、仕返しの連続よ。先代の頃のしがらみがまだ残っているんだ。多分先代が縁を切ったことに恨みを持つ連中だろう。いづれにしても後は俺の仕事だ、余計な首を突っ込むな。いいかそっちの会社でとにかく稼げ、俺もいまのところ会長のカネが頼りだ」
「へい。分かりました、何かあったら呼んで下さい、いつでも駆けつけます」
正月早々だが、社員が20人近くなって窮屈なことから近くのビルに越すことになって荷物を運び出していた。俺はもちろんここで御手洗組を続ける。ひょんなことで、若い社員の何人かでバンドを作ったら、行けると言うことで明子の会社が売り出しに動き、ミライ組と言う名でデビューすることになった。利益は50/50の取り決めで双方の応援だが、そうなれば若いのばかりのミライカンパニーは強い。落ちこぼれ同士のネットワークが応援しもうじきTVデビューともなる。
ごった返した昨日までと一変、石油ストーブに置いたヤカンの音が聞こえる静けさの中で机に肘を付きテレビを見ている。戸のガラスは看板屋が二人でミライカンパニーを剥がし、金色の御手洗組と言う文字を貼っている最中だ。
そのガラスの向こうから明子がやって来た。株主であり渡世の義理もある、立ち上がって深く頭を下げた。
その時だ「パーン」と同時にガラスの割れる乾いた音、看板屋の叫び声が響いた。俺のすぐ後ろの壁を何かが貫いた。更にガラスが飛び散った時、明子の悲鳴は同時だった。止めてあった白い車が急発進した。うずくまった明子に駆け寄り抱き寄せると、左の肩に血が流れていた。
「おいっ。しっかりしろ」
「あ、ああ、丈治。大丈夫だった?」
車の走り去る向こうから血相を変え田中が走って来た。
「姉さんっ、姉さんっ、大丈夫っすか?」
田中は俺には聞かなかった。
「あ。大丈夫かすり傷よ」
うろたえる看板屋に田中が言った。
「てめえらぼんやりしてねえで仕事しろいっ」
明子を事務所に入れ、ソファーに座らせた。
「ありがとう。大丈夫、かすっただけよ。ただ田中はここに来てはだめ、御手洗組の者と思われてしまう。いい?あまり出入りしないことよ」
「はい。ただ一体誰が。。。」
「きっと昔の抗争相手のチンピラよ。手柄欲しさってとこでしょう、先代の頃の傷はまだ残っているようね」
「さっきの白い車っすか?」
「ああそうらしい。すぐ走り去ったところを見るとあれだろう」
「どこかで見た顔だな」
明子は平静を取り戻し田中に言った。
「田中には関係のないこと、いいから仕事に戻りなさい。これは私の命令よ、そして絶対に関わらないこと、分かったわね」
田中は深々と頭を下げ背中を向けると遠ざかって行った。
壁に当たった弾はカレンダーの女優の鼻に命中していた、ちょうど俺の顔の位置でもあって身体が震えた。
幸い傷は浅く傷薬を付け応急処置をした。少し前の一夜もあり、多少まずい感じもあった。
「これでも組をやる気?」
「も、もちろんさ、ハハハ」
「無理しないで、何のためかもう一度ゆっくり考えて。守るべきものを」
中年女の貼り付くような視線、何を言っているか分からなかった。
「守るのは御手洗組の名と俺のプライドさ」
「そうじゃないわ。今丈治に大切なのは、あなたを慕う田中と若い子たちと、その組織ミライカンパニーを軌道に乗せてあげることよ。それに、あ、いけない花。。」
「うん?花?」
「お祝いに花を持って来たのに。。」
外を見るとさっき明子が撃たれたところに花束が落ちていた。それはすでに踏み潰されて平らになってしまっていた。おそらく田中も踏んでいったものと思う。それを拾い上げた。
「あーあ。こんななっちまった。まあ、気持ちだけは貰っておく、ハハ。。」
看板屋も仕事を終え、明子も帰った。一人になった事務所で机に足を放って見たものの、さてと言っても当面は何もすることがなかった。電話が鳴った、田中だった。
「会長、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。ほらこの通りだ、心配はいらん。それより田中、てめえはカンパニーの方だけ考えろ。しばらくはこっちへ来るな、いいなこれは俺の命令だ」
明子の言葉を借りた。
「どうしてですか?また狙われるかも知れないですよ。新しく入れたのには体育会系のゴツイのが何人かいます、警備にでも就けられますが」
「馬鹿野郎。ヤクザが堅気に守られてどうするんだ、少し考えてものを言え」
「しかし。。相手はなんか心当たりでもあるんですか。恨みを買うような」
「いいか。俺たちの商売は切った貼っただ、仕返しの連続よ。先代の頃のしがらみがまだ残っているんだ。多分先代が縁を切ったことに恨みを持つ連中だろう。いづれにしても後は俺の仕事だ、余計な首を突っ込むな。いいかそっちの会社でとにかく稼げ、俺もいまのところ会長のカネが頼りだ」
「へい。分かりました、何かあったら呼んで下さい、いつでも駆けつけます」
2008年03月06日
匕首(あいくち)の報酬(23
「ありがとう。よーく分かった。晴れ晴れした気持ちだ。おかげで決心が着いた、俺は会長を辞めて、また御手洗組を始める。ミライカンパニーは名実共に田中のものだ、これで問題はすべて解決した」
明子は口を押さえ笑って言った。
「そんなことで悩んでいたわけ?呆れた。それにヤクザの世界がそんなに気に入っているのが私としては嬉しいやら悲しいやら。御手洗組も組長丈治も消えても、死んでもいないわ」
笑いを飲み込み手のひらを見せると少し間を置いた。
「会長を辞めるのはだめ、収入はなんでも確保しておくべきよ。言っておきますけど私の手元にある借用書は丈治の名前、私は本来の株主ではないのよ。設立時の名目ではミライカンパニーの筆頭株主は丈治になっているわ。私は丈治にとって取り決めのないただの金貸し。そう言う順序」
簡単に整理出来る順序ではないが、仕組みは分かった気がした。
「仕事の話はもう辞めない?」
もう若くない明子の視線がベットリと俺に張り付いた。
明子に引きずられ一緒の夜を過ごし、そのまま事務所に行った。俺の机だけは御手洗組のまま、やはりここで考えるのが落ち着く。足を机に腕を頭の後ろに回す。目をつぶると半年前の俺が甦った。御手洗組をこの机の上から一人でもう一度やりなおす、そのことで頭は一杯だった。
「会長、会長っ」
揺り動かされ目を開けると田中だった。
「だめですよ。風邪引きますよ」
時計に目をやるとまだ8時手前、田中は石油ストーブをいじり始めた。大きな欠伸をすると大粒の涙が出た。
「何だ。ずいぶん早いな」
石油ストーブの臭いが立ち込めた。
「若いのの相手してると書類やら始末出来ないんで。。」
「そうか。ちょうどいい、朝っぱらから何だが。話したいことがあった。あ、お前の仕事してていい、耳だけ貸しておけ」
田中を制しお湯を沸かしながら話した。
「なあ田中。俺はまた御手洗組を始める、ま、休んでいただけだから活動再開だ。俺一人からまた始める。ミライカンパニーの株主の了解も取った。ここの会長兼任ってことになる。うまく言えないが俺も株主もお前を十分評価している。お前の考えのままでいい、全て任すから思うようにやれ。責任はこの間の話のままだ」
田中は書類の手を止めて聞いていた。
「あ、あの。それは本当っス、いや、ですか?」
「ああ、株主の明子にも言った。会長なんてのはどうも俺には向いてない、だけどすべてお前にしょわせるのもなんだ。だから組長と会長両方掛け持つ。そういうことだ」
田中は椅子を立って顔を緩めた。
「そうですか、嬉しいです。組長助けますんで、これからもよろしくお願いします」
明子は口を押さえ笑って言った。
「そんなことで悩んでいたわけ?呆れた。それにヤクザの世界がそんなに気に入っているのが私としては嬉しいやら悲しいやら。御手洗組も組長丈治も消えても、死んでもいないわ」
笑いを飲み込み手のひらを見せると少し間を置いた。
「会長を辞めるのはだめ、収入はなんでも確保しておくべきよ。言っておきますけど私の手元にある借用書は丈治の名前、私は本来の株主ではないのよ。設立時の名目ではミライカンパニーの筆頭株主は丈治になっているわ。私は丈治にとって取り決めのないただの金貸し。そう言う順序」
簡単に整理出来る順序ではないが、仕組みは分かった気がした。
「仕事の話はもう辞めない?」
もう若くない明子の視線がベットリと俺に張り付いた。
明子に引きずられ一緒の夜を過ごし、そのまま事務所に行った。俺の机だけは御手洗組のまま、やはりここで考えるのが落ち着く。足を机に腕を頭の後ろに回す。目をつぶると半年前の俺が甦った。御手洗組をこの机の上から一人でもう一度やりなおす、そのことで頭は一杯だった。
「会長、会長っ」
揺り動かされ目を開けると田中だった。
「だめですよ。風邪引きますよ」
時計に目をやるとまだ8時手前、田中は石油ストーブをいじり始めた。大きな欠伸をすると大粒の涙が出た。
「何だ。ずいぶん早いな」
石油ストーブの臭いが立ち込めた。
「若いのの相手してると書類やら始末出来ないんで。。」
「そうか。ちょうどいい、朝っぱらから何だが。話したいことがあった。あ、お前の仕事してていい、耳だけ貸しておけ」
田中を制しお湯を沸かしながら話した。
「なあ田中。俺はまた御手洗組を始める、ま、休んでいただけだから活動再開だ。俺一人からまた始める。ミライカンパニーの株主の了解も取った。ここの会長兼任ってことになる。うまく言えないが俺も株主もお前を十分評価している。お前の考えのままでいい、全て任すから思うようにやれ。責任はこの間の話のままだ」
田中は書類の手を止めて聞いていた。
「あ、あの。それは本当っス、いや、ですか?」
「ああ、株主の明子にも言った。会長なんてのはどうも俺には向いてない、だけどすべてお前にしょわせるのもなんだ。だから組長と会長両方掛け持つ。そういうことだ」
田中は椅子を立って顔を緩めた。
「そうですか、嬉しいです。組長助けますんで、これからもよろしくお願いします」
2008年03月05日
匕首(あいくち)の報酬(22
今日は事務所には行かない。ただ会長の名目で年金のようにカネを貰うのは違うと思ったからだ。社長の田中で会社は動いている、俺には俺のすることがあるそう思ったからだ。全てを知るため、俺は恥を忍び株主の明子に会う決意をした。
電話をすると多分この間の事務員、俺の声を聞くなり今度は丁重になった。留守と言うことで電話をもらうことになった。パチンコ屋に入る直前に携帯が震えた。それは明子だった。
「今夜時間があれば株主の明子に相談したいことがある」
仕事ならもちろん時間は作ると明子は応じた。
六本木の同じ店。ジャズが流れ、明子と二人ではタイムスリップした気もする。
「順調に行っているじゃない。大したものだわ」
「ま、八割だから、威張れんだろう」
「目標は目標。誰でもそりゃ高みに置くわ。この目標に掲げた数字の八割達成が難しいのよ」
しょっぱなから蚊帳の外となってしまった。
「まだ半年よ、ゼロベースから始めて。。あまり厳しく見ないで見守るのが大事」
大事も何も見守るしかない。
「でどうしたの?相談って。丈治らしくないので気になったけど」
確かに明子に対して相談を持ちかけた事はかつてなかった。
苦し紛れの余裕を繕い、極力穏やかな口調にした。今夜は明子の真意を探る目的があった。
「らしくないか。ハハ、そうだな初めてのことだ。なにせ俺は極道、経営も何も知識がないんでね」
「知識じゃないわ。人を呼び人を動かす力ただそれだけよ、丈治が田中を引き寄せ、田中が若い連中を動かしている、すごいことだわ。普通それが出来ないから給料やら条件で吊っているのに」
「分かっているさ。田中はすごい、評価している。でもな、俺は満足できねえんだよ。こんな年金暮らしをしたかった訳じゃねえ。血のひとつも流しながら生きている実感が欲しいんだ」
「。。。。。。」
「相談の前に聞いておきたいことがあるんだ」
「ん?何を?」
明子が不機嫌になったことは目の動かない表情で分かった。
「明子は俺の組を買った気でいるか?」
「どう言う意味で聞いてるの?」
「俺の御手洗組はミライカンパニーってのになった。何と言うかその経営権を握っているのは筆頭株主の明子と言うことになる」
「ちょっとちょっと。使い慣れない言葉をあまり出さない方がいいわ。つまり私の下の丈治と言うのが気に入らないと言いたいわけね?」
「ま簡単に言えばそう言うことだ。俺が知らなかっただけだが。。」
明子は口を押さえ笑った。反射的に俺は手に力が入った。
「なるほど、分かったわ。女の、それも別れた女のお情けにすがっている自分がなさけないとそう言うことね」
そう言うと明子は息を大きく吐いた。
「じゃ聞くわ。丈治は一体誰のためにやって来たの?御手洗組もミライカンパニーも」
「誰のためって、そりゃ他の人間や俺の食うためだろう」
「そうでしょ?今みんなもあなたも食えている。それでさらに今度はプライドを満たしたい?」
「プライドか何か詳しい事は知らん。ただこんな毎日が飽き飽きなのは確かだ。俺にはこんな会長だとかより手で何かをもぎ取る実感が欲しいんだ」
「そう。それでどうしたいの?それが相談ってこと?」
「俺のことを相談する気はない。田中のミライカンパニーを引き取ってやってもらえないか?それと御手洗組をどうすれば買い戻させてくれるか?いくらだ?」
「引き取るもなにも私が100%出資しているわけで変わらない。今は任せて口を出していないだけ。それと丈治、ミライカンパニーと御手洗組は何の関係もないの、法人でもない組は名前だけだから消えるも消えないもない。考えようによっては潰れようがないのよ。御手洗組をミライカンパニーにしたわけではないの」
俺は御手洗組が消えていないことに耳を疑い、聞き直した。
「つまりい。いい?丈治は半年前の御手洗組組長を続けてもいい、と言うよりそのままよ。その組長はミライカンパニーの会長でもあるってこと」
久しぶりに聞く組長はまだ健在であることが嬉しく、顔が緩んだ。
「これは良く考えないと分かり難いけど、ミライカンパニーは資金は100%私で人材、人的資産は100%丈治なのよ。どっちがなくても出来ないこと、その意味で完全なる共同事業と言うこと。私と丈治は対等の関係」
俺はまるで温泉に首まで漬かった時のように半年の疲れが抜けて行くのが分かった。田中を意味なく怒鳴ったりしたことが悔やまれた。
電話をすると多分この間の事務員、俺の声を聞くなり今度は丁重になった。留守と言うことで電話をもらうことになった。パチンコ屋に入る直前に携帯が震えた。それは明子だった。
「今夜時間があれば株主の明子に相談したいことがある」
仕事ならもちろん時間は作ると明子は応じた。
六本木の同じ店。ジャズが流れ、明子と二人ではタイムスリップした気もする。
「順調に行っているじゃない。大したものだわ」
「ま、八割だから、威張れんだろう」
「目標は目標。誰でもそりゃ高みに置くわ。この目標に掲げた数字の八割達成が難しいのよ」
しょっぱなから蚊帳の外となってしまった。
「まだ半年よ、ゼロベースから始めて。。あまり厳しく見ないで見守るのが大事」
大事も何も見守るしかない。
「でどうしたの?相談って。丈治らしくないので気になったけど」
確かに明子に対して相談を持ちかけた事はかつてなかった。
苦し紛れの余裕を繕い、極力穏やかな口調にした。今夜は明子の真意を探る目的があった。
「らしくないか。ハハ、そうだな初めてのことだ。なにせ俺は極道、経営も何も知識がないんでね」
「知識じゃないわ。人を呼び人を動かす力ただそれだけよ、丈治が田中を引き寄せ、田中が若い連中を動かしている、すごいことだわ。普通それが出来ないから給料やら条件で吊っているのに」
「分かっているさ。田中はすごい、評価している。でもな、俺は満足できねえんだよ。こんな年金暮らしをしたかった訳じゃねえ。血のひとつも流しながら生きている実感が欲しいんだ」
「。。。。。。」
「相談の前に聞いておきたいことがあるんだ」
「ん?何を?」
明子が不機嫌になったことは目の動かない表情で分かった。
「明子は俺の組を買った気でいるか?」
「どう言う意味で聞いてるの?」
「俺の御手洗組はミライカンパニーってのになった。何と言うかその経営権を握っているのは筆頭株主の明子と言うことになる」
「ちょっとちょっと。使い慣れない言葉をあまり出さない方がいいわ。つまり私の下の丈治と言うのが気に入らないと言いたいわけね?」
「ま簡単に言えばそう言うことだ。俺が知らなかっただけだが。。」
明子は口を押さえ笑った。反射的に俺は手に力が入った。
「なるほど、分かったわ。女の、それも別れた女のお情けにすがっている自分がなさけないとそう言うことね」
そう言うと明子は息を大きく吐いた。
「じゃ聞くわ。丈治は一体誰のためにやって来たの?御手洗組もミライカンパニーも」
「誰のためって、そりゃ他の人間や俺の食うためだろう」
「そうでしょ?今みんなもあなたも食えている。それでさらに今度はプライドを満たしたい?」
「プライドか何か詳しい事は知らん。ただこんな毎日が飽き飽きなのは確かだ。俺にはこんな会長だとかより手で何かをもぎ取る実感が欲しいんだ」
「そう。それでどうしたいの?それが相談ってこと?」
「俺のことを相談する気はない。田中のミライカンパニーを引き取ってやってもらえないか?それと御手洗組をどうすれば買い戻させてくれるか?いくらだ?」
「引き取るもなにも私が100%出資しているわけで変わらない。今は任せて口を出していないだけ。それと丈治、ミライカンパニーと御手洗組は何の関係もないの、法人でもない組は名前だけだから消えるも消えないもない。考えようによっては潰れようがないのよ。御手洗組をミライカンパニーにしたわけではないの」
俺は御手洗組が消えていないことに耳を疑い、聞き直した。
「つまりい。いい?丈治は半年前の御手洗組組長を続けてもいい、と言うよりそのままよ。その組長はミライカンパニーの会長でもあるってこと」
久しぶりに聞く組長はまだ健在であることが嬉しく、顔が緩んだ。
「これは良く考えないと分かり難いけど、ミライカンパニーは資金は100%私で人材、人的資産は100%丈治なのよ。どっちがなくても出来ないこと、その意味で完全なる共同事業と言うこと。私と丈治は対等の関係」
俺はまるで温泉に首まで漬かった時のように半年の疲れが抜けて行くのが分かった。田中を意味なく怒鳴ったりしたことが悔やまれた。
2008年03月04日
匕首(あいくち)の報酬(21
「そこに座れ、聞きたいことがある」
椅子を引っ張って来ると緊張の面持ちで腰掛けた。
「今会社にいくらカネがある?」
「え?どう言うことで?」
「聞いたことに答えろ。いくらだっ」
俺は右手で思い切り机を叩いた、相当に痛かった。
「えと、かき集めて一千200ほど、、、」
「あん?減っているじゃねえか。二千から」
「そう言われても、やつらの給料分やら含めるとあと200ちょいはありますが」
「それで一千四00か。くそ足りねえな」
「え、何かカネ必要になったんですか」
「いい。とりあえずありったけ集めて返して来い」
「え?あの、どこへ」
「決まってるだろ明子のとこだ。くそ冗談じゃねえ」
「あの、何か姉さんと」
「何もねえ。つうよりてめえに聞きたい。てめえは知ってたのか?返事によっては。。」
右手をドスに掛けた。
「何をです?」
田中も表情を変えたが、ここで迫力を抜く訳には行かない。
「ここの社長はてめえだ。そして経営権は誰だ?」
「ですから会長が最高経営責任者CEOってことになってます」
「責任だけか?権利は?経営権はっ?」
「経営権となれば出資者。つまり今は姉さんになりますが、それが何か?」
逆に聞き返す言い方が神経を逆撫でした。俺はいきなり匕首を抜くと机に立てたが、すぐに倒れ、やり直すと何とか立った。
「知ってたのか?そういうことを」
「知ってるもなにも会長の見ているままですよ。二千万を出して貰い始めたわけです」
「だとするとだな。俺たち、いや俺だけかも知れんが明子にまんまとやられたことになる」
田中はしきりに首を傾げ意味が分からないようだ。
「御手洗組は明子に乗っとられた。。二千万でな」
話の意味が分かったか、田中はしきりに目をこすりながら答えた。
「それは見方です。出資と見るか買ったと見るか、いいですか二千万出したのが姉さんでなく銀行でも複数の株主でも見方を変えると借金であることは変わりません。返せと言われて返せないと持ってかれます、権利は向こうにあるんですから」
「と言うことは、、」
「姉さんから資金を引き上げると言われたらお終いってことです。もしや姉さんから?」
「いや、そうじゃない。企業買収のニュースで知った。。」
声が小さくなってしまった。田中に言われると確かにもっともだった、上げた刀の降ろし場所がなかった。
「だから権利を前面に出して好きなようにしようとするのを敵対的買収と言うんで、ただ出資元が変わるだけなら問題ないわけです」
「でもな。つまり実質ここの持ち主は明子なんだな?」
「今のところはもちろんそうです。何しろ自己資本無しで始めた訳ですから」
人の金で始めた会社、確かにそうだった。俺は目の前に立っているドスが邪魔だった。冷静さを装い言葉のついでに仕舞うことにした。
「俺は一体何なんだろうな?」
黄昏て行く自分の後姿が見えた気がした。
「カネの権利で言えば姉さんですが。ここは会長の会社です、カネだけで会社が成り立つわけじゃないです。社長だから集まった俺やみんな、それがこの会社っす」
やはり、何も言えなかった。
「姉さんに仮に返しても成り立つようになればすべての権利は会長に、会長の会社となるわけです。でもどこの企業でも株主の資金運用して経営に当たっているわけです。配当が出せればお互い様で、それでいいんです。権利なんかどうでも」
賢くなって行く自分と言うのを感じた。その利益を出すために田中が奔走し、拡張やら考えていることにようやく理解が出来た。引っ込みが付かず話を唐突に変えた。
「で、募集は集まったのか。ずいぶん来ていたようだが」
田中は大きく息を吐いた。
「ええ、数はいますがみんなバイト気分なんでもっとヤクザな連中が欲しいです」
「もっとヤクザ?」
「ええ。給料がどう休みがどうばかりで。もっといいことも悪いことも含めて人に生きることを考える人間を探しています」
眠そうな田中に帰って寝るように言ったが、書類の整理があると机に戻った。おれは匕首を元の位置に仕舞い、軽く声を掛けて事務所を出た。もう肩で風を切る元気はなかった。
椅子を引っ張って来ると緊張の面持ちで腰掛けた。
「今会社にいくらカネがある?」
「え?どう言うことで?」
「聞いたことに答えろ。いくらだっ」
俺は右手で思い切り机を叩いた、相当に痛かった。
「えと、かき集めて一千200ほど、、、」
「あん?減っているじゃねえか。二千から」
「そう言われても、やつらの給料分やら含めるとあと200ちょいはありますが」
「それで一千四00か。くそ足りねえな」
「え、何かカネ必要になったんですか」
「いい。とりあえずありったけ集めて返して来い」
「え?あの、どこへ」
「決まってるだろ明子のとこだ。くそ冗談じゃねえ」
「あの、何か姉さんと」
「何もねえ。つうよりてめえに聞きたい。てめえは知ってたのか?返事によっては。。」
右手をドスに掛けた。
「何をです?」
田中も表情を変えたが、ここで迫力を抜く訳には行かない。
「ここの社長はてめえだ。そして経営権は誰だ?」
「ですから会長が最高経営責任者CEOってことになってます」
「責任だけか?権利は?経営権はっ?」
「経営権となれば出資者。つまり今は姉さんになりますが、それが何か?」
逆に聞き返す言い方が神経を逆撫でした。俺はいきなり匕首を抜くと机に立てたが、すぐに倒れ、やり直すと何とか立った。
「知ってたのか?そういうことを」
「知ってるもなにも会長の見ているままですよ。二千万を出して貰い始めたわけです」
「だとするとだな。俺たち、いや俺だけかも知れんが明子にまんまとやられたことになる」
田中はしきりに首を傾げ意味が分からないようだ。
「御手洗組は明子に乗っとられた。。二千万でな」
話の意味が分かったか、田中はしきりに目をこすりながら答えた。
「それは見方です。出資と見るか買ったと見るか、いいですか二千万出したのが姉さんでなく銀行でも複数の株主でも見方を変えると借金であることは変わりません。返せと言われて返せないと持ってかれます、権利は向こうにあるんですから」
「と言うことは、、」
「姉さんから資金を引き上げると言われたらお終いってことです。もしや姉さんから?」
「いや、そうじゃない。企業買収のニュースで知った。。」
声が小さくなってしまった。田中に言われると確かにもっともだった、上げた刀の降ろし場所がなかった。
「だから権利を前面に出して好きなようにしようとするのを敵対的買収と言うんで、ただ出資元が変わるだけなら問題ないわけです」
「でもな。つまり実質ここの持ち主は明子なんだな?」
「今のところはもちろんそうです。何しろ自己資本無しで始めた訳ですから」
人の金で始めた会社、確かにそうだった。俺は目の前に立っているドスが邪魔だった。冷静さを装い言葉のついでに仕舞うことにした。
「俺は一体何なんだろうな?」
黄昏て行く自分の後姿が見えた気がした。
「カネの権利で言えば姉さんですが。ここは会長の会社です、カネだけで会社が成り立つわけじゃないです。社長だから集まった俺やみんな、それがこの会社っす」
やはり、何も言えなかった。
「姉さんに仮に返しても成り立つようになればすべての権利は会長に、会長の会社となるわけです。でもどこの企業でも株主の資金運用して経営に当たっているわけです。配当が出せればお互い様で、それでいいんです。権利なんかどうでも」
賢くなって行く自分と言うのを感じた。その利益を出すために田中が奔走し、拡張やら考えていることにようやく理解が出来た。引っ込みが付かず話を唐突に変えた。
「で、募集は集まったのか。ずいぶん来ていたようだが」
田中は大きく息を吐いた。
「ええ、数はいますがみんなバイト気分なんでもっとヤクザな連中が欲しいです」
「もっとヤクザ?」
「ええ。給料がどう休みがどうばかりで。もっといいことも悪いことも含めて人に生きることを考える人間を探しています」
眠そうな田中に帰って寝るように言ったが、書類の整理があると机に戻った。おれは匕首を元の位置に仕舞い、軽く声を掛けて事務所を出た。もう肩で風を切る元気はなかった。
2008年03月03日
匕首(あいくち)の報酬(20
撃つと言っても昔貰ったハジキ。床下に隠してはおいたが手入れもしてないので錆びて使えないかも知れないうえ、弾があるかどうかも定かでない。新しいのを手に入れるにもルートが厄介で下手をすると銃刀法で捕まることになり、目的が果たせない。考えれば面倒くさい話だ。もう一度話して腹を切るのに変えさせたくなった、その方が簡単で俺が殺人を犯す必要もない。
刺身と肉ジャガで満腹になってしまったのと、ほとんど一人で三本を空けた。することもなくなって腰を上げた。意味不明の婆さんの笑顔、税込み9800円を払って店を出ると、もう11時近い、あの店に3時間ほとんど一人でいたことになる。フラフラと歩き始めると婆さんが呼んだ。まだ何の用だと振り返ると若い人に言われたと領収書をよこした。まったくよく気の利く田中ではある。
多少の酔いの残る頭で昼過ぎに事務所に顔を出した。募集のビラがもう貼られ、中では田中が面接のようなことをしている。金髪にタヌキのような化粧の女や、爆発したような髪に耳飾りを付けた男などがいる。かつての御手洗組には有り得ない光景だが、これも時代と諦めた。
田中が会釈し、奥のソファーに掛けると自動的に漫画のような顔の娘が茶を出す。少し考え事をしているフリをして席を立ち出掛ける。ここ数ヶ月そんな毎日だが、確かに訳は分からないが事務所は活気があって、ひっきりなしに電話も鳴っている。それがさらに俺を居にくくしている。つまり若い連中の居場所を作ったと感謝されている反面で、俺は自分の居場所を無くしていた。
今日はとりあえず都内に出て仁侠映画でも見てくる事にした。カンパニーだか何だか知らないが俺としてはもっと毎日が命がけの家業の方が向いている。そんな欠落した思いを任侠映画で埋め合わせしていた。インターネットだデジタルだと言う時代に義理だ人情だ切った貼ったは共存は難しいが、鶴田浩二の二本立てを見て劇場を出ると日も暮れ掛かり、人ごみを充電されたロボットのように肩で風を切っている俺に戻れる。今後の事と次第では俺と田中は血に塗れる訳で、そういう場面としては相手に取って不足はない。
「田中、覚悟はいいか。憎くて撃つんじゃねえ、これも渡世の義理だ」
「兄貴。世話んなりやした、思い切り撃ってやっておくんなさい」
少し国定忠治だが、そういう結末を思った。そう言えば拡張やらのうまく行った場合を聞いていなかった。おそらく月給が増えリッチになり自社ビルが建ち、その先では企業買収やらCEOの出番が待っているはずだ。となると田中には一層頑張って欲しい、身勝手な妄想を笑った。
たまには銀座で女のいる店にでも入ろうと大通りを歩くと、ビルの屋上に電光掲示板がニュースを流していた。
○○ファンド○○放送の株20%を取得し、筆頭株主に。○○放送の経営権を握る・・。ほうやるもんだ。ウチも早くでかくなってそこらへんの有名企業を傘下に収めたいものだ、球団、放送局、、ベントレーすべて田中次第、脅すよりはうまくあいつを動かすのが正しい気がして来た。多少言葉にも気をつけよう。ニュースを見ながら歩いたが、背中に少し寒気を感じ足を止めた。
20%の株を取得して傘下に、、筆頭株主、、経営権、、ん?20%で?俺の会社はどうだ。株主は明子、20%どころか全額出資の筆頭株主。ってことは明子が経営権。俺は身体が震えて来た。じゃ俺は何なんだ、経営権が明子で田中が社長。CEOでも会長でもいいが何の権限が、、、。
田中に電話をして、これから事務所で会うことにした。野郎、明子と結託して御手洗組を乗っ取った、その構図に気付いた。
事務所に戻ると田中がいた。挨拶には答えずに椅子に掛け、両足を机に投げ出した。下の引き出しから匕首を取り出して机に置いた。
「来いっ。」
「え、はい。すぐ」
何やら書類に手を取られている田中に、再度怒鳴った。
「呼ばれたらすぐ来いっ。なめんじゃねえぞおいっ」
さすがに田中も何事かと思ったらしく、走り寄って来た。
机の匕首に目をやるといきり立った。
「何かありましたかっ?出入りですかっ」
俺は平静を装った。
刺身と肉ジャガで満腹になってしまったのと、ほとんど一人で三本を空けた。することもなくなって腰を上げた。意味不明の婆さんの笑顔、税込み9800円を払って店を出ると、もう11時近い、あの店に3時間ほとんど一人でいたことになる。フラフラと歩き始めると婆さんが呼んだ。まだ何の用だと振り返ると若い人に言われたと領収書をよこした。まったくよく気の利く田中ではある。
多少の酔いの残る頭で昼過ぎに事務所に顔を出した。募集のビラがもう貼られ、中では田中が面接のようなことをしている。金髪にタヌキのような化粧の女や、爆発したような髪に耳飾りを付けた男などがいる。かつての御手洗組には有り得ない光景だが、これも時代と諦めた。
田中が会釈し、奥のソファーに掛けると自動的に漫画のような顔の娘が茶を出す。少し考え事をしているフリをして席を立ち出掛ける。ここ数ヶ月そんな毎日だが、確かに訳は分からないが事務所は活気があって、ひっきりなしに電話も鳴っている。それがさらに俺を居にくくしている。つまり若い連中の居場所を作ったと感謝されている反面で、俺は自分の居場所を無くしていた。
今日はとりあえず都内に出て仁侠映画でも見てくる事にした。カンパニーだか何だか知らないが俺としてはもっと毎日が命がけの家業の方が向いている。そんな欠落した思いを任侠映画で埋め合わせしていた。インターネットだデジタルだと言う時代に義理だ人情だ切った貼ったは共存は難しいが、鶴田浩二の二本立てを見て劇場を出ると日も暮れ掛かり、人ごみを充電されたロボットのように肩で風を切っている俺に戻れる。今後の事と次第では俺と田中は血に塗れる訳で、そういう場面としては相手に取って不足はない。
「田中、覚悟はいいか。憎くて撃つんじゃねえ、これも渡世の義理だ」
「兄貴。世話んなりやした、思い切り撃ってやっておくんなさい」
少し国定忠治だが、そういう結末を思った。そう言えば拡張やらのうまく行った場合を聞いていなかった。おそらく月給が増えリッチになり自社ビルが建ち、その先では企業買収やらCEOの出番が待っているはずだ。となると田中には一層頑張って欲しい、身勝手な妄想を笑った。
たまには銀座で女のいる店にでも入ろうと大通りを歩くと、ビルの屋上に電光掲示板がニュースを流していた。
○○ファンド○○放送の株20%を取得し、筆頭株主に。○○放送の経営権を握る・・。ほうやるもんだ。ウチも早くでかくなってそこらへんの有名企業を傘下に収めたいものだ、球団、放送局、、ベントレーすべて田中次第、脅すよりはうまくあいつを動かすのが正しい気がして来た。多少言葉にも気をつけよう。ニュースを見ながら歩いたが、背中に少し寒気を感じ足を止めた。
20%の株を取得して傘下に、、筆頭株主、、経営権、、ん?20%で?俺の会社はどうだ。株主は明子、20%どころか全額出資の筆頭株主。ってことは明子が経営権。俺は身体が震えて来た。じゃ俺は何なんだ、経営権が明子で田中が社長。CEOでも会長でもいいが何の権限が、、、。
田中に電話をして、これから事務所で会うことにした。野郎、明子と結託して御手洗組を乗っ取った、その構図に気付いた。
事務所に戻ると田中がいた。挨拶には答えずに椅子に掛け、両足を机に投げ出した。下の引き出しから匕首を取り出して机に置いた。
「来いっ。」
「え、はい。すぐ」
何やら書類に手を取られている田中に、再度怒鳴った。
「呼ばれたらすぐ来いっ。なめんじゃねえぞおいっ」
さすがに田中も何事かと思ったらしく、走り寄って来た。
机の匕首に目をやるといきり立った。
「何かありましたかっ?出入りですかっ」
俺は平静を装った。
2008年03月02日
匕首(あいくち)の報酬(19
「会長の言う通りです。目標の八割に甘んじているのは間違いなく俺の責任です」
俺の言葉を相当に重く受け止めたようだ。
「で、拡張ってのは?」
「人を増やしたいんです。あと五人ほど入れて個人警備の仕事増やすのと。歌と楽器で出来るやつらのマネージャー役を付けて売ってやりたいんです」
「仕事でなく、人を五人?ってことは五人分の出費が増えるわけだろ?考えてるのと逆じゃねえのか?」
「今の人数だけでは今の仕事でやっとです。体制を作らないと」
「そうすれば仕事も増えて売り上げも伸びることになるってのか?」
「その前提で考えてます、やってみないと何とも言えませんが」
「で、結果今より悪くなったらどうするんだ、あ〜?」
「責任取ります」
田中を追い詰めていることに気付いたが、俺の言葉が勝手に出た。
「簡単に言うなよ。最初に言ったように最終的に俺の責任だ。俺は、、何だたっけ」
「最高経営責任者です」
「そだ、最高の責任は俺が取ることになるんだぞ、おい。分かってるのか」
俺は思い出していた。最後には俺が責任を取ると明子に啖呵を切ったこと、それが腹を切る内容だったことを。俺の右手は無意識に腹の辺りを撫でていた。
「社長としての責任、俺としての会長への責任、姉さんへの責任、取ります。だからやらして下さい、拡張」
「責任、責任と言葉は達者だが、てめえの責任の取り方ってのを聞いておく必要があるな」
「出来れば」
「うん?出来れば、腹でも切るか?」
「会長に撃たれて」
俺は言葉に詰まった、と言うより田中が怖かった。俺が腹を切る以上の迫力を感じた。ヤクザの世界では指を詰めるとか、腹を切るとか自分でやる古典的な方法が常套のセリフ、撃たれるという田中の言葉は初めて聞くものだった。使える言葉だと思った。
「お、俺に撃たれるか、ま、まあいいだろう。しっかりと覚えておく。二言はないな後で撤回は出来ないぞ」
「もちろんです。会長に撃たれれば本望です」
「よしっ。そこまで言うんならやれ何も言わねえ」
つまり田中の失敗の責任で俺が初めての殺人を犯す。そのあとで俺が最高責任なんとかとして腹を切るシナリオ、得なのか損なのか分からない結末が俺を待っていることになる。ただヤクザ家業に身を投じた者としてはそういう血に塗れた最期もふさわしい気もした。
気のせいか身体が震えていた、もしかすると風邪を引いたかも知れない。
「ありがとうございます。じゃ早速明日からでも募集開始します」
言葉と裏腹のこの田中の清々しさは何なのか、やっぱりよく分からない男だった。
「まあ、冷めてしまう食べた方がいい」
手付かずの刺身を奨めた。銚子を振るとまだ十分に残ってはいたが冷たく、婆さんを呼ぼうと襖に手を掛けると勝手に開いた。
「あり、まだ料理食ってないすか。酒どうします?酒」
婆さんに言われ田中に目をやると中腰になっていた。てっきりトイレにでもと思ったがマグロを食いながら言った。
「明日早いんで帰ります、すいませんごちそうになりました」
「うん?まだお前、、」
「時間取らせてすいません。あ、領収書貰っておいて下さい」
田中の言葉が早かった。
「もうお帰りっすか。まあ忙しそうで、ま若いうちは、、」
婆さんが何か勘違いしている気がした。田中の後姿を見送り開けっ放しの襖を自分で閉めた。
一人となり残った刺身、肉ジャガをつまみながら手酌で考えた。
俺に撃たれるか、、確かに俺にとっては殺し文句うまい言葉だ、腹を切るよりは死に方としては楽だ。以前腹を切るのに失敗し救急車の世話になった男を知っているが、腹を刺したからと言って即死する訳ではない。麻酔している訳ではないので激痛の末の失血死の道を歩む。その為に忠臣蔵のような侍の場合には介助と言う役が首を落とす訳だ。首さえ飛べば痛いも痒いもなく一瞬で終わる。ただその介助の腕が相当でなければ一発で済まず厄介らしい。それに比べると銃であえば銃口を頭にしっかり当てればそう間違いはなく即死の道を選べる。そう考えると死ぬにしても田中に比べ俺の方が痛く、苦しみも長い。社長と最高責任なんとかの地位の差としても給料が同じ今のまま死ぬのは、何だか俺の方が相当に損な気がした。撃たれる方を選んだ田中の方がしたたかに賢い。
2本の銚子を転がし、残りに手を付ける。
俺の言葉を相当に重く受け止めたようだ。
「で、拡張ってのは?」
「人を増やしたいんです。あと五人ほど入れて個人警備の仕事増やすのと。歌と楽器で出来るやつらのマネージャー役を付けて売ってやりたいんです」
「仕事でなく、人を五人?ってことは五人分の出費が増えるわけだろ?考えてるのと逆じゃねえのか?」
「今の人数だけでは今の仕事でやっとです。体制を作らないと」
「そうすれば仕事も増えて売り上げも伸びることになるってのか?」
「その前提で考えてます、やってみないと何とも言えませんが」
「で、結果今より悪くなったらどうするんだ、あ〜?」
「責任取ります」
田中を追い詰めていることに気付いたが、俺の言葉が勝手に出た。
「簡単に言うなよ。最初に言ったように最終的に俺の責任だ。俺は、、何だたっけ」
「最高経営責任者です」
「そだ、最高の責任は俺が取ることになるんだぞ、おい。分かってるのか」
俺は思い出していた。最後には俺が責任を取ると明子に啖呵を切ったこと、それが腹を切る内容だったことを。俺の右手は無意識に腹の辺りを撫でていた。
「社長としての責任、俺としての会長への責任、姉さんへの責任、取ります。だからやらして下さい、拡張」
「責任、責任と言葉は達者だが、てめえの責任の取り方ってのを聞いておく必要があるな」
「出来れば」
「うん?出来れば、腹でも切るか?」
「会長に撃たれて」
俺は言葉に詰まった、と言うより田中が怖かった。俺が腹を切る以上の迫力を感じた。ヤクザの世界では指を詰めるとか、腹を切るとか自分でやる古典的な方法が常套のセリフ、撃たれるという田中の言葉は初めて聞くものだった。使える言葉だと思った。
「お、俺に撃たれるか、ま、まあいいだろう。しっかりと覚えておく。二言はないな後で撤回は出来ないぞ」
「もちろんです。会長に撃たれれば本望です」
「よしっ。そこまで言うんならやれ何も言わねえ」
つまり田中の失敗の責任で俺が初めての殺人を犯す。そのあとで俺が最高責任なんとかとして腹を切るシナリオ、得なのか損なのか分からない結末が俺を待っていることになる。ただヤクザ家業に身を投じた者としてはそういう血に塗れた最期もふさわしい気もした。
気のせいか身体が震えていた、もしかすると風邪を引いたかも知れない。
「ありがとうございます。じゃ早速明日からでも募集開始します」
言葉と裏腹のこの田中の清々しさは何なのか、やっぱりよく分からない男だった。
「まあ、冷めてしまう食べた方がいい」
手付かずの刺身を奨めた。銚子を振るとまだ十分に残ってはいたが冷たく、婆さんを呼ぼうと襖に手を掛けると勝手に開いた。
「あり、まだ料理食ってないすか。酒どうします?酒」
婆さんに言われ田中に目をやると中腰になっていた。てっきりトイレにでもと思ったがマグロを食いながら言った。
「明日早いんで帰ります、すいませんごちそうになりました」
「うん?まだお前、、」
「時間取らせてすいません。あ、領収書貰っておいて下さい」
田中の言葉が早かった。
「もうお帰りっすか。まあ忙しそうで、ま若いうちは、、」
婆さんが何か勘違いしている気がした。田中の後姿を見送り開けっ放しの襖を自分で閉めた。
一人となり残った刺身、肉ジャガをつまみながら手酌で考えた。
俺に撃たれるか、、確かに俺にとっては殺し文句うまい言葉だ、腹を切るよりは死に方としては楽だ。以前腹を切るのに失敗し救急車の世話になった男を知っているが、腹を刺したからと言って即死する訳ではない。麻酔している訳ではないので激痛の末の失血死の道を歩む。その為に忠臣蔵のような侍の場合には介助と言う役が首を落とす訳だ。首さえ飛べば痛いも痒いもなく一瞬で終わる。ただその介助の腕が相当でなければ一発で済まず厄介らしい。それに比べると銃であえば銃口を頭にしっかり当てればそう間違いはなく即死の道を選べる。そう考えると死ぬにしても田中に比べ俺の方が痛く、苦しみも長い。社長と最高責任なんとかの地位の差としても給料が同じ今のまま死ぬのは、何だか俺の方が相当に損な気がした。撃たれる方を選んだ田中の方がしたたかに賢い。
2本の銚子を転がし、残りに手を付ける。
2008年03月01日
匕首(あいくち)の報酬(18
それからのミライカンパニーは田中のこまめな営業で、予定通りではないが8割がたの達成だった。俺は特にすることはなく、十件ほどの警備の仕事でゴタゴタが発生した時にすごみを効かせる役ぐらいだった。
半年後田中の説明を聞いたが、残念ながら目標には届かず、株主への配当を出せる利益とはなっていなかった。それよりも俺自身、一体何をしているのかと言う疑問が湧いて来た。役員報酬として月々受け取り、とりあえず食うに困りはしない分、生きている実感をあまり感じなくなった。会長職として適当に事務所に顔を出したり、田中から報告受けたり、若いのに声を掛けたりと言わば家庭におけるジジイの役割に過ぎない。田中を筆頭に若いやつらなりに確かに頑張っている分活気もあり、カネも何とか回っているようだ。これも田中の才覚であり、俺が何をしたでもない。
俺は自分がまるで現役を引退し年金生活にある者の気がして、田中の才覚に嫉妬を覚えたり、田中の策略で乗っ取られたような被害妄想に駆られ始めていた。大した給与ではないが元々が窮々とした日々に慣れていたことから、平和と言うものの退屈を感じていた。飼い馴らされた闘犬はそのうち牙を見せることも忘れるかも知れない、言わば本能を失う恐怖に駆られ、その対象を仮想敵国として田中を見るようになった。義経を陥れた頼朝の胸中も同じであったかも知れない。
評価しながらも次第に過大な要求を田中に見せるようになった。
「田中、いいか。若いもの同士のサークル活動じゃねえんだ。楽しくやってます、充実してますだけでいい訳じゃねえ。もっと積極的に展開してだな、会社をもっとでかくして欲しいんだ。現状に満足してるようじゃすぐに先細りになる」
まるで姑の言葉のように、重箱の隅をほじくり始めた。勘のいい田中は俺の意識が変わりつつあることに気付いたようだ。
「会長。少し話したいことがあります。明日の夜でも時間をとって欲しいんですが」
時間はいくらでもあった。その申し出を受け入れ、翌日夜会社の経費で多少気の利いた小料理屋で会談をすることにした。
小料理屋の座敷で約束の時刻に田中が現れない。俺は記憶の自信がなく、手帳を確かめた。10分ほど遅れ田中がやって来た。
「あ、すいません。仕事先で捕まってしまって」
「言い訳はするな、とにかく時間を守れ。お前が作った用事で来ているんだ、俺は暇じゃねえ」
十分遅刻と言う重箱の隅を俺は陰険に突き、忙しさを装った。とは言えおそらく田中に読まれていること、それがまた厭でもあった。
「はい、すいません」
「ま、いい。座れ」
俺が店のものを呼ぶため手を叩こうとするとすぐ後ろに愛想笑顔の婆さんがいた。
「あ、あのな。お銚子二本と刺身の盛り合わせ」
「へっ。何?」
「あのなー。お銚子二本と刺身の盛り合わせだ」
苛立ちただ声をでかくしたが、田中が手振りで伝えるとメモを取って襖を強く閉めた。
「へいっ。お銚子一本、マグロの刺身っ」
婆さんの声が聞こえた。
「ったく。で、田中話しってのは何だ?」
胡坐から正座にしようとする田中、俺はどこか深刻な内容と迫力を感じた。
「おい。かしこまるな、俺とお前の関係だ足を崩せ」
気勢を削ぐ目的で言ったが、田中は素直にそれに応じた。
「ま、時間はたっぷりある。ゆっくり聞こう」
辻褄の合わない言葉に気付いたが、遅かった。
「実はもちろん仕事のことなんですが、もう少し拡張しようと思うんです」
「おお、そうか何かでかい話でも舞い込んで来たか?」
「そうじゃないんですけど。このままでは忙しいだけで肝心の利益が、、」
「うん?肝心の利益が、どうした?田中、話は分かりやすく最後まで、、」
隙間風と思ったのは襖が開いたせいだった。婆さんの顔が覗き、銚子と刺身が差し出された。
「あ、銚子もう一本と、盛り合わせの刺身追加」
田中が言うと今度は簡単に話が通じた。
「何とか維持は出来てますが、まだ姉さんへの配当や、それに会長の報酬を上げられるとこまで行ってません」
「まあ、半年黙って見ては来たがな。俺はもっと田中なら劇的にでかい仕事をやると思っていた、少し期待しすぎたかと思っているところだ」
俺は心にも無いことを言った。半年前に潰れていたはずの組が会社となり一応は俺も安泰の身にあることを重々承知しながら、嫉妬心が言わせた。
「はい。十分期待に応えてないことは分かってます、出来る努力はしてるつもりですが」
「結果だよ、結果。それを出せないと能力不足と言われても仕方ねえだろ?若いやつらの遊戯見ている訳じゃねえ」
言っているのが自分ではない気もした。さすがに田中にも応える言葉だったようだ。
沈黙を破ったのは襖と婆さんの顔だった。
「えと。これで揃ったかの〜。はい、ごゆっくり〜」
銚子2本、刺身盛り合わせ、肉ジャガが置かれ、強く襖が閉められた。
「ま、とりあえず飲め」
銚子を差し出すと両手でチョコを出して受け、それを一気に飲んだ。いい飲みっぷりではあった。
半年後田中の説明を聞いたが、残念ながら目標には届かず、株主への配当を出せる利益とはなっていなかった。それよりも俺自身、一体何をしているのかと言う疑問が湧いて来た。役員報酬として月々受け取り、とりあえず食うに困りはしない分、生きている実感をあまり感じなくなった。会長職として適当に事務所に顔を出したり、田中から報告受けたり、若いのに声を掛けたりと言わば家庭におけるジジイの役割に過ぎない。田中を筆頭に若いやつらなりに確かに頑張っている分活気もあり、カネも何とか回っているようだ。これも田中の才覚であり、俺が何をしたでもない。
俺は自分がまるで現役を引退し年金生活にある者の気がして、田中の才覚に嫉妬を覚えたり、田中の策略で乗っ取られたような被害妄想に駆られ始めていた。大した給与ではないが元々が窮々とした日々に慣れていたことから、平和と言うものの退屈を感じていた。飼い馴らされた闘犬はそのうち牙を見せることも忘れるかも知れない、言わば本能を失う恐怖に駆られ、その対象を仮想敵国として田中を見るようになった。義経を陥れた頼朝の胸中も同じであったかも知れない。
評価しながらも次第に過大な要求を田中に見せるようになった。
「田中、いいか。若いもの同士のサークル活動じゃねえんだ。楽しくやってます、充実してますだけでいい訳じゃねえ。もっと積極的に展開してだな、会社をもっとでかくして欲しいんだ。現状に満足してるようじゃすぐに先細りになる」
まるで姑の言葉のように、重箱の隅をほじくり始めた。勘のいい田中は俺の意識が変わりつつあることに気付いたようだ。
「会長。少し話したいことがあります。明日の夜でも時間をとって欲しいんですが」
時間はいくらでもあった。その申し出を受け入れ、翌日夜会社の経費で多少気の利いた小料理屋で会談をすることにした。
小料理屋の座敷で約束の時刻に田中が現れない。俺は記憶の自信がなく、手帳を確かめた。10分ほど遅れ田中がやって来た。
「あ、すいません。仕事先で捕まってしまって」
「言い訳はするな、とにかく時間を守れ。お前が作った用事で来ているんだ、俺は暇じゃねえ」
十分遅刻と言う重箱の隅を俺は陰険に突き、忙しさを装った。とは言えおそらく田中に読まれていること、それがまた厭でもあった。
「はい、すいません」
「ま、いい。座れ」
俺が店のものを呼ぶため手を叩こうとするとすぐ後ろに愛想笑顔の婆さんがいた。
「あ、あのな。お銚子二本と刺身の盛り合わせ」
「へっ。何?」
「あのなー。お銚子二本と刺身の盛り合わせだ」
苛立ちただ声をでかくしたが、田中が手振りで伝えるとメモを取って襖を強く閉めた。
「へいっ。お銚子一本、マグロの刺身っ」
婆さんの声が聞こえた。
「ったく。で、田中話しってのは何だ?」
胡坐から正座にしようとする田中、俺はどこか深刻な内容と迫力を感じた。
「おい。かしこまるな、俺とお前の関係だ足を崩せ」
気勢を削ぐ目的で言ったが、田中は素直にそれに応じた。
「ま、時間はたっぷりある。ゆっくり聞こう」
辻褄の合わない言葉に気付いたが、遅かった。
「実はもちろん仕事のことなんですが、もう少し拡張しようと思うんです」
「おお、そうか何かでかい話でも舞い込んで来たか?」
「そうじゃないんですけど。このままでは忙しいだけで肝心の利益が、、」
「うん?肝心の利益が、どうした?田中、話は分かりやすく最後まで、、」
隙間風と思ったのは襖が開いたせいだった。婆さんの顔が覗き、銚子と刺身が差し出された。
「あ、銚子もう一本と、盛り合わせの刺身追加」
田中が言うと今度は簡単に話が通じた。
「何とか維持は出来てますが、まだ姉さんへの配当や、それに会長の報酬を上げられるとこまで行ってません」
「まあ、半年黙って見ては来たがな。俺はもっと田中なら劇的にでかい仕事をやると思っていた、少し期待しすぎたかと思っているところだ」
俺は心にも無いことを言った。半年前に潰れていたはずの組が会社となり一応は俺も安泰の身にあることを重々承知しながら、嫉妬心が言わせた。
「はい。十分期待に応えてないことは分かってます、出来る努力はしてるつもりですが」
「結果だよ、結果。それを出せないと能力不足と言われても仕方ねえだろ?若いやつらの遊戯見ている訳じゃねえ」
言っているのが自分ではない気もした。さすがに田中にも応える言葉だったようだ。
沈黙を破ったのは襖と婆さんの顔だった。
「えと。これで揃ったかの〜。はい、ごゆっくり〜」
銚子2本、刺身盛り合わせ、肉ジャガが置かれ、強く襖が閉められた。
「ま、とりあえず飲め」
銚子を差し出すと両手でチョコを出して受け、それを一気に飲んだ。いい飲みっぷりではあった。





