2010年09月22日
オジさんのオバさん化
海に近い町に越したことを最大限に生かし、時間が
あれば釣り、釣りです。
とは言っても漁獲や大物に拘る本格的なものではなく
糸を垂れ、浮きを見ていれば満足の瞑想的、消極的な
釣り。
幸い砂浜、防波堤、磯と選り取りみどりの環境なこと
から時間やタイミングで決めています。
ぼんやりしたい時は砂浜の投げ、雰囲気に浸るには
磯、手っ取り早くは防波堤の具合。
朝や夕方ちょこっとやりたい時はもっぱら防波堤もし
くは港にはせ参じます。
ただ防波堤の場合は常連が多く一見で臨むには多少の
勇気が必要。
主に地元の人であり、小さい頃からや誰々の息子と言
った歴史が防波堤にはあります。
越して来た当初は「誰だこいつ。。」「見掛けないヤ
ツ。。」と言いたげな視線を浴び、やや遠慮がちな位
置を確保もやむを得ません、何と言っても新参者、防
波堤デビューですから。
通ううちにそうした視線も気にならなくなり出来るだ
けいい位置ににじり寄るわけですが
地元のオジさん達はなぜだかやたらしゃべる。
釣りは元来静かに海と対峙、孤独に浸るもの。。が私
の概念、親子連れならまだしも私と同じぐらいのオジ
さん達がオバさん顔負けにとにかくしゃべる。
瞑想しつつ浮きを見つめる私の釣りには甚だ適さない
環境が出来上がってしまう。
やや耳が遠いことも手伝ってか声も大きい。
どうでもいい話が延々と続くなか、静寂を破られたう
え一向に引こうともしないウキをただ見つめている私
の身にもなって欲しいと想う今日この頃ではある。。
オジさんは寡黙で然るべきなり。
2008年10月28日
時がくれたもの
小柄でひょうきん者の娘は年子の姉たちと6年ほど間をおいて生まれたことで家族に可愛がられ育った。父の私にも姉たちと異なる優しさを見せ、小三の頃雨の降り出した駅に傘を手に駆け寄って来る照れくさそうな笑顔をまだ鮮明に覚えている。誕生日には必ず手作りのカードをくれ、高校生の時には以前の話を覚えていたと油絵のセットを誕生日にくれたものだ。
娘が12歳の時に離婚して以来家族の絆をつないで来たのもこの娘。足りない時を埋めようとよく二人で車でも出掛け、幼い頃の習慣から19歳の時まで手をつないで歩いたものだ。私の趣味の写真に興味を持っていたか高校を卒業してからは大学進学を勧めたものの娘は希望する写真専門学校へと進み、写真を通じて語る機会も生まれた。
2年のちに学校の研修で6か月間を東南アジアの国々に過ごすことになったが、折しも鶏インフルエンザなどで騒いでいた時期、さらにマラリアなどの心配のある地域から果たして無事帰国出来るかを心配しながら送り出した。
心配に対してはブログを使って無事に過ごしていることを日々伝えてよこし、帰国後は様々な国での感動や人と知り合えた喜びを熱く話してくれた。
何かを悟ったらしく卒業後は写真を職とせずテレビ番組制作のプロダクションにADとして入社、最初の一年はそうした社会人生活に馴染めないようで度々辞めたいと漏らしていた。頭にはいつも東南アジアの中でも最も気に入っていたインドの小さな町の光景や素朴な暮らしがあったようで、その年の暮れには貯めた休暇を使いその町へと旅立った。
どうやら6か月の影響が大きく日常に脱し切れないようだった。
帰国後はさらに仕事への不満が強くなったが不況の中、さらに経験も少ないことから踏みとどまることを説得、上司に打ち明けたところ若干の希望が叶えられたとして継続となった。
翌年には仕事にも慣れ、研修で訪れた台湾へ今度は仕事で行く機会に恵まれ、やる気を持ったようだ。
夏の初め、付き合っている男性のいることを打ち明けられた。近い将来一緒になることも考えているとの話だった。
男親にとっては来るべき時が来たと言うだけの事だが、記憶に焼きつく姿が重なり戸惑った。
しばらくして突然に今夜付き合っている男性と一緒に食事はどうかの連絡があった。拒む理由が瞬時に見つからず3人で食事することになった。
駅に待ち合わせると娘の傍らに立つ男性がいた。すべて既成事実となっていることから言葉も浮かばず、ただ挨拶を交わした。
男としてはすでに逆の立場で体験済みのことだが私としては多少の反対が試金石として必要に考えていたがすでに娘の作戦の中にあってその機会を失った。家族には紹介済みと聞き私と会うのは最後の手続きに過ぎない。
そうした二人を前に飲む酒はほろ苦く、あまり居心地の良いものではないが、暮らしを共にしなかった私には娘はあの頃のまま、交際相手に会ってさえ何も実感させなかった。
8月、茅ヶ崎に住む長女の誘いで娘と花火大会を一緒に見に行くことにした。待ち合わせのホームの先から笑顔で走り寄って来る娘がいつかの姿と二重写しとなった。茅ヶ崎へ向かう電車でまたインドへ行きたくなって来たと言い、私もいつか行って見たいアジアの町の話をした。
花火大会から一週間ほどして来月休みをとれないかとの話があった、内容は期間が合えばインドはどうかだったが、言ってみただけのことのような気もした。
父親にとって一般的に娘と一緒の海外旅行など通常は叶わぬ夢、娘を誘ったところで傷付かない程度の理由をもって断られるものだ。
行きたくないはずもない誘いだが不況にあって仕事のことや日常に追われ今はそれどころではないのが本音だった。60歳を目前の世代となっては海外観光旅行などおよそ定年後の暇つぶしか、でなくとも優先順位としてはかなり下にありいつか将来と言っては実行されないことの筆頭に近い。
知らない国への好奇心はあれ今それを知ったところで生き方を変えられない年齢にあって娘が感動した風景をこの目で見たい気持ちは確かにあるがやはり現実的には捉えられず、インドは日数的に今年は無理なことを伝えた。その一方で来年になれば行ける根拠があるわけでもなく、更に気力も衰えていることも自分ながらに分かってもいた。
数日後、今度は私が見たいと言った町ではどうかと聞いて来た。私が話した所はベトナムの小さな町、ベトナムならインドへの約半分の距離、その日に着くことも出来そうでかろうじて確保出来る5日間でも足りないこともない、検討して見ると伝えておいた。
娘は10日の休みを取ったと言うことで、その期間内に私の旅行を入れ娘とインドの帰りに合流し一緒に帰国することも出来そうだった。
外国で待ち合わせ、駆け寄って来る笑顔に会ってみたい気持ちが高まって来た。例え一日であっても一緒に過ごせることを夢見た。
私も40代に欧米の大都市5か所は行っているが仕事がらみから複数のうえ通訳がいたりした。ベトナムとなれば初めての東南アジア、さらに初めての一人旅と言うことになり娘が研修に出かける際の治安や衛生などさまざまな懸念が今度は自らの問題となり多少の不安も感じ始めた。
そうした迷いを見事に払拭したのもまた娘、今回はインドを止め私に付き合うと連絡をよこした。となれば私が渋る理由は何もなく、思いがけず娘と二人の6日間の海外旅行が実現することになった。
友人に話すと奇跡に近いと羨ましがった。確かに娘にとり父親とは見掛けや匂いなどの理由もあるらしいが日常でも小言を言う疎ましい存在、となれば誰しも避けるのが当たり前で私の場合は一緒に暮らしていないことがどこか皮肉な作用をしているようにも思えた。
出来れば私もそうした一般的な存在で有りたかったし、それが娘への何か必要な務めにも思えた。私なりに誘われるがままで良いものかの迷いはあったが、ともかく実行に移すことにした。
私が積極的になるにつれ少しテンションの落ちて行く娘を感じた。24歳としてはそうした旅を言いだしたものの、実行することに躊躇いを感じ始めたのか事前の打ち合わせの時間がなかなか取れなかった。おそらく姉や母、友人などからの忠告から気が重くなったことは理解でき、私も一時は予約済の航空券をキャンセル、計画を見送ることも考えた、ある意味でここまでで十分と言う気もしたからだが、言葉によっては娘を傷つけることになりかねず、考えた末にとにかく行くことを決めた。
空港に向かうリムジンバスに乗り込むが早朝もあって娘はすぐに眠ってしまった。二人きりの時間は意識とは別にどこかぎこちなく始まったが、互いの年齢を考えると当たり前とも思えた。
ベトナム到着後私の希望で夜行の鉄道に乗ったが情報不足から思った以上に過酷な一夜を過ごすことになり日本の常識とは異なる東南アジアを実感させた。そうして辿り着いたのが私が見たかったベトナム中部の小さな町ホイアンだ。
最初のホテルは娘のために慎重に選んだが気に入ったようで喜んでくれた。だがツインとは言え一部屋、女性同士のようには行かないようで24歳の娘としては多少窮屈であったかも知れない。
町を観光に歩き居心地も良いことでさらに一泊することにした。翌日はお互いに自由行動とすることに決め、私は郊外のビーチまで歩いて見ることにした。
その日の夕食の時、娘は私に付き合いビーチへ行くと言った。ビーチについて詳しいことを知っているわけではなかったので娘をガッカリさせるものでない事を願った。天気が良かったことが歩くには少しキツかった、汗を拭きながら辿り着いたのは期待を裏切らない美しい砂浜だった。そこに立った娘の後姿を私は忘れることはないだろう。
娘がここに付き合うことにしたのはどうやら私が一人町を離れることへの不安もあったようで、どうやらお互いにそれぞれの年齢について考えているようだ。言葉に心配はあるものの一人で動けない歳でも度胸がないわけでもないが何かがあれば結局は娘に迷惑が及ぶことを思いこの旅については娘に従うことにした。
昼過ぎに町に戻り、夕食の待ち合わせを決めて自由行動することになった、町の中にいれば娘も安心のようだ。私は町を散策、娘は買い物とそれぞれの方向へ、思いがけず町には洋服や装飾の店が多かったことで娘は買い物が出来ることを楽しみに町へと向かった。さすがにそうした買い物に父親同伴もおかしい、姉や母が一緒であればさらに楽しいはずだった。
私はただ町を歩き、気に入ったカフェを見つけてはそこに時を過ごした。町の風景を眺めながらコーヒーを飲む、そうした無為な時間が何より寛がせるのも年齢にあってのものだ。娘と同じ頃にはじっとしている事など信じられないことだったが、ただゆったり流れる時間に身を沈め、娘と異国の町にいることを楽しんだ。
出発まであと何日と数えた日々が嘘のように、始まってしまえば時は駆け足となってすでに3日目、別れていなければこの隣の椅子に同じく年老いた妻がいたかも知れない、いやそうしたらこの国でなかったし、ビーチまで歩くことはなかった。別れたことで今があるように思え人の人生とはつくづく皮肉を作り出すものだと思った。
思い残すことなく時を過ごし待ち合わせの場所にいた。夕暮れの中、いずれの方向からか駆け寄って来る娘を待った。
ビーチへ歩いた疲れか駆け寄ることはなかったが娘が笑顔でやって来た。洋服をオーダーして来た話を聞きながら夕食の店へと向かった。
テラスの窓越しに日の暮れる風景に目をやり、この町最後の夕食の時を過ごした。ますます別れた妻に似て来た娘の横顔を見ているととても不思議な気分にさせた。24歳となった娘の瞳は何を見つめ、何を想っているのか胸の内を覗いて見たく思えた。
翌日ホーチミンに移動、当初は帰国前日逗留のみの予定でどこか他の町に立ち寄るつもりだったが移動の時間を考えると無理もあって一日早く向かうことにした。
昨夜までの小さな町とは一変しホーチミンは大都会だったが、美しい街並みに大きな貧富が共存している。
この街は研修の6か月の際に来ているとのことで勝手は知っているようだ。昨夜までの町はどちらかと言えば私のような者に向いていたが、大都会はやはり若い娘に似合う気がする。若い頃は私も渋谷、新宿などの街が好きで暇があれば出掛けたものだが街のエネルギーには多くの体力も必要なことから年齢と共に疎遠となってしまった。
インドの小さな町の素朴さに魅かれる内面ながら都会にいる姿が似つかわしく思わせるのはやはり若さと言うものだ。
この街はバイクの数が凄まじく信号や横断歩道も少なく道を渡るのも一苦労、また街ではスリ、引ったくりも多いとバッグの提げ方などに再三注意を受けた。
地の利を得ていることでこの街の滞在で娘は可能な限りの場所を案内してくれ、また娘の希望で戦争資料館へも行く事になった。短い時間の中ではもっぱら楽しみに時を充てるものだがベトナムにいる以上は見ておかなければと言う娘の気持ちとベトナム戦争は私の世代には無縁ではないことからそこに足を向けた。
やはり生々しい現実は浮ついた観光気分を沈めるものだったが、時を意味のあるものとした。
惜しみながら過ごした日々も終わり、ついに帰国の日を迎えた。
旅立った日に比べどこか娘との関係が変わっていることに気付き、こうしたことは過去にもあったことを思い出した。小学生の時分には帰宅すると必ず抱き上げ、娘もそれを喜んだものだが、ある日それを拒否された。また習慣的につないでいた手も19歳を境にしなくなった。変わる時は必ず来るものだが私たちは今回のベトナムでそれを迎えたようだ。
もしかすると娘にはそうした自覚を持つために今回の旅を思い立ったのではないか、男に会わせたこともその日がそう遠くはない事を私に言いたかったのではないか、あれこれを考えるとこの想い出が私への最後の贈り物のように思えた。
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2008年02月18日
匕首(あいくち)の報酬(6
「田中っ」
「はいっ」
「お前の意見を聞きたい。御手洗組のこれから、未来これから発展させる方法を何かお前考えられるか?」
珍しく田中は真剣な表情を作った。テーブルの一点を見つめ瞬きを止めた。
「ボス。実は一度僕も話さないととは思ってたんす」
唇を噛み締め、言葉を選んでいるようだった。
「このままでは、、」同時に出た言葉だった。俺は田中の話が聞きたかった。
「先に聞くぞ。言え」
「このままでは意味ないっす。バイトの元締めで上前はねたところでいくらにもならないし、だいいち本来商売じゃないす。儲けられる基本構造から作らないと現状維持、事務所あるだけでやっとすよ。まあ連中は組織あるってだけで嬉しいようだけど」
連中は中卒や高校中退の落ちこぼれ、田中がリーダーみたいなもので遊ばせてはいないが、確かにこれではただの落ちこぼれサークルだ。
「きっちりと稼げる方法考えるべきっす。御手洗組として」
頼んだ生チューが来ない事に気付いて手を上げると、さっきの赤い頬が飛んで来た。
「生チュー二つで〜」
「そうだ。早く持って来いっ」
言葉を荒げ商売の目を向けると、さすがに赤い頬もビビッた表情で、赤みが消えた。
「それっすよ。それ、商品になるっす」
俺は田中の言葉の意味が判らなかった。こんなのはこの商売のオハコだがこれやって金を取るんでは恐喝だ。さすがにそこまでは田中も知らないらしい。
「ですから恐喝にならんように、イメージで行くんす。イメージで」
「やくざをイメージでか?」
「そおっす。怖いつうイメージは強力っすよ〜」
「どうもおまちどおさまでした。生チュー二つです」
太った男は明らかにアルバイトではない態度で持って来た。表情はどこか怯えたような笑顔を作っていた。その後ろで4人ほどの学生らしい客がバイトに案内され、隣のテーブルに付くようだった。太った男はそれを規制し、バイトに何やら指示をしている。
「判りました。店長〜」
この男どうやら店長のようだ。それから店長はしきりに頭を下げ、無理に笑い戻って行った。
「これっす。これ」
田中の言っている意味がなんとなく分かった。怖い相手と思えば人は極端に態度を変える。要は甞める、甞められるのヤクザの世界そのままだ。
「ただこれで金も取れるか?そう甘く出来てはいないよ社会と言うのは」
「いや貰うんす。きちんと契約も交わして」
少しじれったさがあったが、今や田中なしでは組の存亡に関わる以上聞かざるを得ない。
「お前に任せると言ったら出来ると言うことか?」
さすがに田中も即答出来ないようで間を置いた。
「今のままじゃ無理、、っす。」
「ちゅうことは何でだ?おいっ、じれったいぞ。俺はこれでも気は長くねーんだ」
田中に凄んでもしようがないが、つい肩膝を立てた。結局俺たちはこうやって凄んで見せては自分側のペースを作る、それだけが特技のようなものだ。
「親分はどこまで変えようと思ってます?それに親分の案ってのは、、」
「何でも変えればいいさ、政治の世界のように聖域を設けずに。やくざを踏み外さずやれることなら、御手洗組は何をやったっていい。どこを変えたっていいさ田中、それがお前にやれる事だったらな」
クールビズのせいで、多少寒くなって来た。そろそろ目的の俺の話を聞かせ帰りたいところだ。
「組の名前も変えていいすか?」
田中の視線には迫力があった。負けずに俺のオハコの視線を向けてもそれをかわさなかった。こいつは真剣、こいつらの言葉で言うマジだと気付いた。
「田中、いいか簡単に言うなよ。これでも八代目になる屋号だ、俺が先代から貰った以上これを守って次に受け継ぐのが義理、人情と言うもんだ。それは俺の義務だ」
議論に夢中でいるうちにどうやらこっそり置いていったらしい。テーブルにはサイコロステーキやマグロ刺身があった。廊下の店長と目が会うと腰を低く、目一杯の作り笑顔でやって来た。クールビズが寒く、焼酎のボトルと湯をポットで頼むと復唱せず帰った。
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18:40
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2008年02月15日
匕首(あいくち)の報酬(3
普段は黒のシャツに派手目の花柄ネクタイにWのスーツと言う業界によくある格好だが、今夜からはもう田中に対し見せ方として変える必要があった。
ニュースでやっていた地球温暖化阻止、それは経費節約の意味もあることから御手洗組にもそのコンセプトの導入は必要だった。現代カタカナ文字の大半は実はインテリ田中に教えられたものだ。
早速と言うのは少し単純な気がしたが、黒のシャツにネクタイは辞め、白の丸首Tシャツにした。Wのスーツは業界人としてすぐ変えるのは予算の都合もあり無理だが、白の丸首Tシャツだけでもクールビズと言う時代のコンセプトには合致している。
少し時代遅れとなったサングラスをし、肩をいからせた。両手をポケットに突っ込んで窓のガラスに映すと、格好としては決まった。ひょっとするとクールビズを取り入れた最初のヤクザかも知れない。
出納帳の7千円を抜いて財布に入れる。総額1万1千円は少し心もとないが、相手は大して飲めない田中、チェーンの居酒屋ならこれで十分な予算のはずだ。本来は田中に出させたいところだが、俺の考えを理解、協力させるには今夜ぐらいは出しておくのがCEOのメンツと言うものだろう。
事務所の鍵を掛けて外に出ると、クールビズは少し寒い。腰の携帯が振動し、見ると田中のメールだ。
「まだすか?」
田中も口の利き方、言葉の使い方をそれなりの講座に通わせて直す必要がある、しなければならないことは数多くある。
駅の隅っこにしゃがみ込んだ田中は携帯を見つめていた。ガテンの帰りとは言え、だらしのない格好、これも今後改善を要す。片手を挙げ合図をすると田中は面倒くさそうに立ち上がった。軽く頭を下げたところを見ると一応の礼儀は判っているようだ。親に言われるまま大学行ったものの仕事に就かず、ついに親に勘当された。行き場を失って俺の組に転がり込んで来た男だ。
この業界に学歴はいらないが、これからの時代はそうも言ってられないとの俺の先見の明の採用だ。ただこの汚い格好でしゃがんでいる田中を見る限り、まだその期待に応えてはいない。やはりすべてはこれからだ。
その田中と肩を並べて歩く限り高校中退と言えどCEOの俺の方が明らかに立派に見えるわけで、その役には立っている気がする。
「よう。どうだっ」
軽く田中の肩を叩いた。
「あ、まあまあっす。あれ、寒くないすか?」
とりあえずクールビズの意味とその導入を伝えた。
「え?でももう10月ですよ」
寒く感じたのはそのせいと気がついたが、田中にはやはりもう少し言葉の使い方、配慮を学ぶ必要を感じた。
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15:46
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2008年01月07日
新年小話
どのスポーツが最もエコか娘とディベート
娘は道具を使わないレスリングを主張
私はフンドシだけの相撲を主張
しかし娘はフンドシも相手をつかむための道具だと言った。
確かにそうだ。。
いや、フンドシを外してもつかむところはある
だから相撲は男のスポーツなのだ。
今年もよろしくお願いします。
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17:49
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2007年11月01日
アバウトシュミット
GYAOでジャックニコルソン主演の「アバウトシュミット」と言う映画を見た。
定年を迎えた男が知る人生の裏表と言った内容が哀しくもコミカルに描かれ、ジャックニコルソンならではの味が生きています。
会社、友人、夫婦、家族、親子それぞれが散りばめられた誰にでもある日常がテーマではあるけれど、色々と考えされられました。
伏線の海外の孤児との交流。。 原作を読みたくなりました。
放映はあと数日のようです。
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11:23
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2007年10月31日
寂しさ
静かな一日
今日は休み明け一発目の仕事で9日ぶりに渋谷に来た。
会社までの一時間半、
誰とも言葉を交わすことなく、
誰とも笑顔を交わすことなく、目的地に着いた。
そうか、これが日常なんだな。
なんだかすごく独りぼっちな気がして、
どこかに笑っていたくて、
寂しくて涙が出そうになった。
今日一日中、私の顔は硬直してた。
裸足で歩きたい。
お昼の日差しをいっぱい浴びたい。
「How is your life?」
大切な人たちと近い距離で話したい。
名前を呼んで欲しい。
そしたら、
ああ、自分はここにいていいんだなって思える。
ここにいようって思える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の娘のブログ記事の転載です。
23の娘、写真学校を出て某放送プロダクションで働いています。
卒業前に東アジアを放浪たどり着いたインドの東、
プリーと言う町が気に入り、働いて貯めた金でまた会いに行って来ました。
そこは広がる砂浜の貧しい町だそうです。
だけど人々は皆笑顔にあふれ人なつっこく、
砂浜にいると必ず声を掛けて来るのだそうです。
日本。。かつてはそうでしたね。
求めながら失われたものがそこにあって
充電と言い、それに出会うために訪れては、
また寂しさを持ち帰る。。
もう少し続くようです。
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12:46
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2007年10月29日
そうなっている
人は自分の望むようになっている。
そんなことはない、誰もこんなこと望んじゃいない、まったく正反対の状態だ。
誰でもそう思うはずですが、そうとも言えないと気付くことがあります。
イメージしている自分と望む自分のズレと言うのでしょうか、望みは高いのにイメージしているのは結構だらしない、失敗した自分であったりします。
どちらが強いかだけのようで、イメージしたものが案外結果となってしまっている。
つまり望んだとおりになっていると言うことです。
宝くじを買う、どうせ当たるはずもない。。そのとおりになっていますよね。
望みが単に概念であることに気付くわけです。
イメージしている自分と言うものは深層心理の中にあって、そこに気づかないからいつも思い通りにならないと悩んでしまう。
スポーツ選手のイメージトレーニングは当然勝った自分であるはずですが,じつはそう簡単ではなく、どこか自信のない自分がいつも邪魔をする、そうした自分と闘っていると言うことでしょうか。
概念はただの考えに過ぎない、自分のあるべき姿をイメージに描ききれているかどうかがおのずと結果をもたらす。
これは残念ながら私の言葉ではないです。近頃申し込んだはずもないようなメルマガと言うものが届くようになりその他ゴミのようなメールと共に片っぱしから削除していますが、そうした文字の中にも時折何かの役に立ちそうな文を見つけることがあります。
どんな意図があっても文に罪はない。。そんな風に思いつつ役に立ちそうな言葉を拾っておきます。
そのままでは気持ちわるいので自分の文章にしているだけです。
イメージするものと自分の実態(深層心理)がかけ離れていると実態がどうやら優先して実現されるのは
何となく心当たりがあって。。いやですね。
過剰なまでに自分と言うものを肯定、自信を持つことがでイメージへと距離を縮め、それで想いが叶うものだとすれば。。どこか参考にはなります。
こう言ったことはもしかすると世界平和などにも影響しているかも知れません。どうせいつか戦争は起こる、そんな風に人類誰もが思っていればいつか実現されてしまうかも知れない怖さ、そんな気運を作らないためには平和を脳裏に描く訓練が必要なようです。
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2007年10月26日
形骸化の時代(2
住宅の在り方に興味を持っています。住宅つまり住まいと言うものは一戸建てやマンション問わず暮らしのステージとなっています。
そしてその時々、世代や時代を色濃く反映していると思います。昨日のニュースでしたが、米国のサブプライムローン問題の影響が日本にも波及し、大型液晶テレビが売れなくなったとのこと。どういう関係があるのか不思議だったのですが、日本の大型液晶テレビメーカーにとっては米国の分譲住宅への供給が結構大きかったようです。どこの国も変わらないなと思ったのですが、居間と言う空間の風情として、今は大型液晶テレビが必需品のようです。
最近買ったと言う知り合いの家にお邪魔しましたが、ソファーの正面にはやはり大型液晶テレビがドーンと置かれていました。
知り合いは色々とリモコンをいじりながら機能を教えてくれましたが、居間そのものがどこか間が抜けているのです。確かに新しいこともあってまるでショールームのように整然とされてはいるのですが、どこか寒々しい感じがしたわけです。簡単に言えばその空間に知り合い夫妻が似合っていないのですね。
まだ住み慣れていないこともありますが、これからご夫婦がインテリアに合わせて行くのか、インテリアが変わって行くのかに興味を持ちました。
知り合いの住宅は大手ハウスメーカーの分譲地内にあって街そのものが新品なわけです。やや奇抜な住宅の外観含め、ここはどこの国だと思うくらいに違和感があって、以前行ったことのある米国のビバリーヒルズあたりがモデルとなっているようです。一戸あたりの敷地からすると微バリーヒルズかなと思ったのですが、やはり街には何とかヒルズと言うタイトルがありました。
外はともかくとしてこの居間と言うものに興味があるのは、変わっていないからです。かつてはブラウン管のドでかいテレビが鎮座していた場所が頼りなげに薄いくせに大型の画面と変わりはしたものの居間の主役はやはりテレビ、目線を移すとその横にサイドボード的な家具があり、そしてやっぱり固定電話機があったのです。
さすがにレースのカバーなどはない最新デザインの電話でしたが。。
そうすると60年代あたりから居間の基本構成は何も変わっていないことになりますね、テレビや電話機の姿は激しく変わりましたが。
知り合いには三人の子供がいるわけですが、聞くとあまり家族が揃うことは少なく、週末の夕食時間ぐらいのようです。さらに食べ終えるとすぐそれぞれの部屋に引っ込んでしまうそう、つまり必要なことはその都度携帯で済むことで特に顔を揃えたからと言っても話題はないわけですね。
どうやら絵に描いたような一家団欒の時間と言うのはほぼ瞬間的なもののようです。
主にソファー座りテレビを見ているのは平日は専業主婦の妻、週末はご主人と言うことで居間が寒々しいのはどうやらそうしたことのようです。流行りのようで
天井もやけに高いことがなおさら間の抜けたものにしているのですが、時折ご主人の手元の携帯が鳴り、ベランダに出て話している後ろ姿も居間の風情には全然似合ってはいないのです。
20畳弱の広さなので掃除も大変と聞くと、この居間は一体何のために、誰のためにあるのかなと思ってしまいます。狭い家で家族がチャブ台を囲んでワイワイ
している方がよっぽど居間、いや茶の間だと時代錯誤を思ったりしてしまいます。
最近ではワンセグとか言うもので携帯でテレビすら見れるわけで大型でなければと言う意味はどうやらなくなってしまったようです。それにそれぞれがパソコン
などで何かしているわけですからこれでは居間の立場はまるでない事になってしまいます。
居間の在り方より形骸化してしまった家族、その在り方が実は問題なのだなと思ってしまいました。
個へのツールはさらに増えていくはずで、家族すらネットでつながるご時世にあって居間、大型テレビ、固定電話と言うものがどこか人気のない公園と、そこにあるブランコや公衆電話ボックスのような風景に思えてしまうのは私だけでしょうか。
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10:34
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2007年10月25日
形骸化の時代(1
つい最近のことです、飲み屋のカウンターで隣り合わせた二人のオジさん。私にも連れがいたのですが、そいつの話よりも聞こえて来る横のオジさんの話に気を取られていました。
商売をしていたらしいが失敗し、ノンバンクと言ってましたがどこかの貸金業者から長年借りているようです。よくある話ですが30数%とかの高利とのこと。その連れが面白いことを言って聞かせていました。
それだったらその債務を買い取るみたいなことを言っているわけです。その話では実は借金はゼロになりさらに相当の額が戻って来る、借金と思っていたものが実は預金に化けるのだそうです。
何年か前に利息制限法とかグレーゾーン金利と言うのが問題になったのですが、結果的に裁判の判決などで違法と判断され業者は違法分は返さないとならないそうです。オジさんはそれを聞いて興奮していました。
でもまだ未だに返済し続けていることが疑問のようでしたが、相方の説明では請求しないと返してはもらえず、また急がないと業者が倒産でもした場合戻るものも戻らなくなるとのこと。実はその方面現在、違法な分の返却に追われ大変な状況にあるとのこと。
連れとも何となくそうした話になって行ったが、どこかおかしな話で、違法でありながら請求しないと戻って来ない仕組みとはどう言うことだろう、すっとぼけていれば儲かると言うことになる。私の連れも以前事業に失敗の轍を踏んでいることでそのあたりは詳しい。世の中は手続き社会、何事も手続き手続き、つまり何事も知らないことは、どこでどんな損をしているかにも気付かず仕舞いと言う。
少なくとも良心に基づく法社会ではない、損をする者がいてこそ儲ける者がいる、損を損と知らずにいる人の方が多いことで経済は成り立っていることになる。
社会全体が詐欺的、知識のあるなしだけが損得を分けるだけになる。
法への思い違いもある。法は不利益を被った場合の手続きによって機能し、裁判により判断が下される。つまり未然に防ぐだの自浄だの良心に基づくようなことはほとんど期待出来ないことになる。庶民にとっては訴えるにも暇とカネが必要、そのため代行する司法書士などがかきいれ時と聞く。
すでに法も形だけ、形骸化しているとあってはもっと世の中の構図を冷静に俯瞰し対処する必要があるなとは連れとの結論でした。
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2007年10月24日
携帯アレルギー
元々があまり好きではない、と言うより嫌いな携帯。まだ携帯などない時代にはもっぱら留守番電話、その後現れたポケットベル、そうしたモノはまだ良かった。メッセージを確認してからなり手の空いた時にこちらの意思で連絡すれば良かったからだ。それでも外にいる時はポケットベルでさえどこか首に鎖を付けられたような気がしたものだ。
携帯を持ち歩くようになってからと言うものはまるでリモートコントロールされているロボットのような感覚で、情緒が不安定となってしまったまま。
やむなくマナーモードにして若干のタイムラグを確保してはいるが根本的な解決とはならない。
携帯は電話ばかりでなくメールと言う面倒くさい機能まで持っているものだからなおさらで、メールをよこした者へは返信しなければならないことがどこか義務となってしまっていて、返信がないと言ってまたメールが届く。これは一体誰が決めたのかは知らないが電話にせよ、メールにせよ出たり、返信の義務は憲法にもないはずだ。
退屈しのぎによこす電話やメールにいちいち対応してもいられないし、内容によっては朝から一日のペースが狂わされることだってある。
往々にして親、兄弟からの携帯は厄介な内容のことが多く、いい話であることは少ない。そのため着信のあるたびに心が震える。。
特に女性からのメールの返信の催促もとても煩わしい。そうしたコトをほかの人は一体どう解決しているのだろう。携帯のない頃の心の安らぎが懐かしい。
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2007年10月22日
人を動かすもの
結局人を動かしてくれるのは車と同じにアクセルとブレーキなんですね。
そうするとアクセルがポジティブでブレーキがネガティブに感じてしまいますが、実はそうではなくてその状況に応じてアクセルが必要な場合とブレーキが必要な場合があると思います。
それはドライブしている時とまったく同じで判断を誤るとクラッシュしかねません。何かしようとする時に賛成し励ましてくれる人がアクセル、反対する人がブレーキの役割と考えればやはりどちらも欠くことが出来ないと気付きます。
どちらが強いかも大事かも知れません、車の場合ではブレーキは強力であった方がいいですね、もしもの時に。
でも坂道や高速ではアクセル全開としたいところで、そのバランスがすごく大事なのだと思います。
ふと自分の周りの人がどちらかと考えてしまいます。友人はおおむねアクセルで兄弟はブレーキのよう、両親では私の場合母がアクセルで父がブレーキの役割だった気がします。
そのブレーキ役の父はすでに亡いことで少しバランスが悪いのです。
と言うよりも今は自分がその役割となっていて、娘に対する妻のアクセルを制御するのに必死です(笑)
残念ながら私と言うブレーキはかなりすり減っていて効きが悪くなっている今、どうやら大して効果はないようです。
娘が資格取得に学校へ行きたいと言い出したことで多額のローンを組みに動き出した妻。。結局返すのは誰と言ったところですが。。
本心ははたして使える資格なのかどうか、本当にそれに向いているのか、そうしたブレーキのつもりなのですが、どうやらただの反対、ケチとしか映ってはいないようです。
でもうちの場合はもう少しの間この効きの悪いブレーキを必死に踏み続ける必要ありと思っているところです。
資格、資格との時代ですが簡単に取れるもの、おカネで済む資格に実際使えるものは稀で、講師をしている関係でどうしても慎重にと思ってしまうのは仕方ありませんね。実際おカネで買える人生はないですから
今必要なのはアクセルかブレーキか、その判断は大切なことで、それをしてくれるのは周りにいてくれる人です。
今夜はあいつに会って少しアクセルを吹かしてもらわなければと思っているところです。
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2007年10月21日
心に描くこと
ふと読んだ啓発本で面白いことに気付きました。以前読んだものと言っていることはほぼ同じことでした。ただ以前に読んだ本では神が。。とあって
最近のは生身の人だったわけですが、すでに亡くなっています。ただ書かれた順序からすれば生身の人物のものがどうやら出典のようです。
言っていることは成功と失敗の原因についてですが、これには大いに興味と心当たりのあることです。
つまり成功者に共通するのは自己を知っていて改善する人であり、そうでない人は失敗を繰り返すとのことで、これはとても参考になります。
一体自分が何を求めどこへ向かっているかを知っているかどうか、それが成功と失敗の分かれ目となり、仕事であれ恋愛であれ暮らしであれ同じことのようです。
簡単に言えば目標イメージがあるかないかと言うことで、アスリートたちのイメージトレーニングがいい例としています。自分がトップでゴール
するイメージを持つことでそれが目標となる、目標がなくただトレーニングに汗水流したところで大した効果はなく、ただの自己満足に過ぎないとの
考え方は当たっているように思えます。到達目標が具体的に描けてさえいればすべての行動はそのためとなり必ず実現に近づく、
目標のない日々から何も得るものはない。。理解出来ることです。
ふとした数行によるインスピレーションですが、考えれば当たり前のことをしていないことに気づきました、やろうと思います。
Posted by reptile at
21:23
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