2010年01月19日

アドボカシー

アドボカシー。NGO関係者はよく使う言葉。しばしば、「公共政策を変える、動かす、オルタナティブな代替案を実現する」諸活動の意味で用いられるけれど、よくよく考えてみれば、本来の意味合いがごそっと抜け落ちているような気が。

そもそも、さまざまな公共政策の策定〜実施のプロセスの中で、「最も弱い立場に『立たされた』人たち」の側に立ち、プロセスの中に参加できるようサポートしていくことが本来の意味合いであったはず。また、政策プロセスに働きかける側の活動のみでなく、政策プロセスそのものの「あり方」をも包含して指す意図も含まれていたはずだ。

どうも最近、「アドボカシー=政策提言」のような理解が広まる中で、NGO自身がいろいろな意味でアドボカシーを矮小化してはいまいか。政府とぶつかりあうことを忌避し、政策プロセスやそれを司るガバナンスのありようにタッチしないで、程々の政策提言で程々の成果を狙うような「ヌルい」活動になっていまいか。

研究会での先輩や師匠のコメントを聞きながら、そんなことを考えた。「公共政策を決定する要素に、権力やニーズではなく価値観を持ち込むとしたら、それは『〈最も弱く、小さくされた人々〉を想起すること』ではないか?」と大学の礼拝説教で問いかけた、師匠の同僚教員(政策ネットワーク論、カトリック信徒)の言葉を思い出した。
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2009年06月05日

拝啓、中田英寿さま

私は、とある国際協力NGOでアドボカシー活動を担当するものです。中田さんには、私たちが展開した、貧困撲滅のための国際キャンペーン「ほっとけない 世界のまずしさ」(G-CAP、ホワイトバンド)の際、大変お世話になりました。また、その後のご自分の活動の中で「チャリティ」を一つの柱に加えて熱心に取り組まれていること、敬意をもって拝見しております。

さて、昨日(6/4)放映の日本テレビ系『NEWS ZERO』で、アフリカ諸国で深刻な課題となっているマラリアの健康被害対策のため、あなたがコンゴ民主共和国で『オリセット』という、日本の住友化学が開発した薬剤を練り込んだ蚊帳を約3万張寄贈したことが報じられていました。マラリアは蚊が媒介する感染症であり、蚊帳が有用なのはよく知られたことです。

しかし、薬剤の練り込まれたオリセットには、別の問題があります。オリセットに練り込まれた薬剤「ペルメトリン」は、人体の脳・神経系への悪影響、特に発達途中の乳児や青少年への健康被害、発ガン性が疑われるとの研究結果が出されている薬剤です。中田さんは、アフリカ現地で活動されているNGOや専門家からの以下のような指摘について、ご存知でしょうか。
http://www.npo-supa.com/active/noyaku.html

また、『NEWS ZERO』の報道では、オリセットを素手で触る女性の映像が映っていました。オリセットを使用する際の注意として最も一般的なのが、「触った後は、かならず手を洗うこと」ですが、こうした注意について、寄贈先現地では果たして徹底され、遵守されうる環境(清浄な水が確保され、かつふんだんに使用できること)であるかどうかを確認なさいましたでしょうか。

また、住友化学の「社会貢献」の一環として、オリセットの生産工場がタンザニアに進出し、アフリカ現地で生産されるようになりましたが、にもかかわらず、現地の女性は「高くて、手が届かない」と『NEWS ZERO』中で発言しています。アフリカ現地で生産したとしても、現地の人が自らの収入で購入できず、結局「援助の金」で「与えられ」なければならないようなものを贈るというのは、理屈としておかしいな?と考えたことはなかったでしょうか。むしろ、あなたの社会的発言力をもって、住友化学に「現地のひとびとに手の届くコストダウン、技術移転を要請する」「そもそも、オリセットの生産、普及そのものに疑問を呈する」といった活動は思い付かれなかったでしょうか。

私たち国際協力NGOも、「ほっとけない 世界のまずしさ」で経験しましたように、著名人の方々が先頭に立って行うチャリティの有用性は深く認識するところです。また、既存のNGOやチャリティ組織に要請されるだけでなく、中田さんのように自らイニシアティブを取って、こうした活動に取り組まれることはより一層意味があると思います。一方で、自らイニシアティブを取るということは、自らの行った活動の「責任」を将来に渡って負うことを求められることになります。ある地域とこどもたちの「未来」を託される開発分野ならなお一層、です。

中田さんには、今後ともご自分の意志をもって活動に取り組まれることをお願いし、かつ、応援させていただくとともに、取り組まれる活動の「内実」や「背景」についても、深い洞察を深められた上で、取り組まれることを切に願うものです。

中田さんの今後の活動に幸多からんことを祈念しつつ、筆を措きます。

敬 具
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2009年01月03日

思い付くままに

どうもブログに書くようなネタや執筆力を本業に吸い取られてしまって、こちらをご無沙汰してしまううちに「メリークリスマス」も「明けましておめでとう」も過ぎてしまいましたが、みなさまお元気でしょうか?

日本でも世界でも、本当に物凄い勢いでいろんなことが巻き起こり、一人一人の人間はその奔流に飲み込まれていくような、そんなご時世でございます。世の中に何か良いことをしようという善意の心がヒトカケラあったとして、何ができようか・・・と立ちすくんでしまうような時代の空気ですが、こんな時こそ、身の回りで少し背伸びすればできる何か一つの「種まき」をしてみるのがいいんじゃないかと思います。まわりにアンテナを張って、ちょっと頑張ればできそうなこと、そこから世の中にアプローチしていくというのが、愚直なようで、意外と「流れ」を変えていくきっかけになるかもしれない、そういう時代に入ってきているように思います。ただ、これまで「どうせやっても仕方ない」「そんなことやっちゃっていいのかな」と思っていたことを、少し思い切ってやってみるのがポイントのようです。

政治・経済・社会のシステムを変えるとか、世の中の大枠を作り替えるとか、大言壮語している人がいますが、そういうことができる人もいるかもしれないなぁ・・・と思いつつも、あんまり信用してません。むしろ、そういう人がヘンな毒麦の種まきをしていないか、そして、私たち自身がそれに手を貸していないか、そのことに注意を向けるべきでしょう。

ま、そんなこんなで、今年も宜しくお願いします。
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2008年10月08日

キャンペイナーとしての芸能人

サイコロトークで有名な、昼過ぎのCX系『ごきげんよう』に昨日、女優の吉本多香美が出ていた。彼女は、いろいろとエコ系・国際開発系の運動周りに顔を出す芸能人として知る人は知っている存在だが、昨日の番組内でも、オープニングのかんたんな自己紹介トークのところで、それとなく「ロッカショ」の話をしていた。といっても、明確に「六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設」のことではなく「六ヶ所の森づくり」に関わっていて、これこれこういう方法で運動を進めている、というニュアンスでの話だったが。

とはいえ、少し世の中のことに関心がある人が「ロッカショ」という発音を耳にすれば「そのこと」を想起するわけだし、「森づくり」というカウンターな運動をしていることが、吉本自身のスタンスを明確に現わしているわけで、こういうバラエティー番組のノリの中に自然とキャンペーンの要素を忍ばせたセンスがちょっといいな、と思ったので、備忘録的に書いてみた。

とはいえ、その後のゲストの一人であった小林幸子の「まぁ、吉本さんっていろんな社会的な活動に関わっていらっしゃって、偉いわねぇ〜」という応答が、ちょっと皮肉にも聞こえて、若干嫌な感じがしたのだけれども、穿った見方だろうか。
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2008年10月06日

京都韓日教会合同礼拝

韓日礼拝2008


昨日(10/5)は、プロテスタントの枠を越えて、かなり広範なキリスト教諸教派で「世界聖餐日」として定められている、キリスト者・教会の交わりと一致をめざそうという日である。京都では、日本キリスト教団京都教区京都南部地区と在日大韓基督教会京都地区諸教会がこの日に合同礼拝を守るのが恒例となっている。

今年の会場は、最近新しい教会堂の献堂成った、在日大韓基督教会・京都教会。阪急の西院近くにあり、教会員のみなさんのパワフルさを反映して、会堂やその設備もなかなかの充実ぶり。礼拝堂には、日韓同時通訳で礼拝を守るための通訳設備・ブーズはもちろん、音響・照明のための調整室までついていた。あと、各部・各委員会・グループごとに専用室が作られているのも羨ましいところ。

礼拝では、これも恒例になっているが、各教会の聖歌隊員が集まって合同聖歌隊を結成して賛美奉仕を行う。今回も、日本語でよく知った賛美歌を改めて韓国語で歌わせてもらった。

ちなみに、礼拝の後では、京都教会の青年たちによるミュージカル仕立ての伝道劇が行われる。こういうことができるのが、韓国教会のパワフルなところ。我々の教会にも共通したトラディショナルなプロテスタント教会のスタイルと、韓国教会らしいパワフルさや現代感覚が混じり合った、独特の礼拝・教会体験をさせていただいた。

それより何より、この機会でないとなかなかお会いできない、在日大韓基督教会の方々との交歓が楽しかった。ある長老さん(といっても、教会の役職の「長老」ですから必ずしも「おじいさん」じゃないですよ)と、今年も無事一緒にバスのパートを守れて良かった、来年も一緒に歌いましょう、と約束して辞去。なかなかやまない雨を避けながら、帰宅。
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2008年10月02日

【報告】ODA改革パブリックフォーラム

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9/30(火)昼〜夜に東京のオリセンで開かれた「第1回ODA改革パブリックフォーラム」に、主催団体の一つを代表して出席してきた。報告というほど大層なものではないが、感想を。

火曜日という日程設定で、果たして「パブリック」といえるほど一般の人が来るのか・・・という不安があったが、やはり東京ということもあり、それなりに多様な層の人が集まっていた(ふつうのビジネスマンなども時間をやりくりして)。私も含め、発題する側は言わば国際協力、開発援助の専門家ばかりだったが、それでも、できるだけ議論を平易に、わかりやすくという心がけがなされて、とんがった結論や議論の収束はなかったものの、ODAをめぐる議論のありようの分布は見て取れるフォーラムになったような気がする。

一方で「外務省、JICA、学識者と手に手をとって、仲良しフォーラムをやって何が変わるのか」というNGO側からの苛立ちも表明されて、それに対する反論もNGO側からなされるなど、アドボカシーや政策形成ということについて、また、そういう場をどれほど一般の人たちに分かりやすく、加わりやすい場にしていくか、について、セクターを問わず人によって立場が分かれたような気がする。

また、私からはフォーラムの最後、全体会の結びのところで、参加者の立場を問わず東京の人たち向けに「東京で見聞きする情報や、行われる議論だけで決めるな。日本の地域の人々の声、途上国の人々の声を聞け。ここに本来はいるべきだが、参加できていない人のことを想起しながら議論しろ。」と挑発して帰ってきた。




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2008年09月28日

【宣伝】ODA改革パブリックフォーラム

宣伝です。あさって9/30(火)の午後〜夜にかけて、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センター(オリセン)のセンター棟で標記のイベントを行います。私も分科会の一つのコーディネーターを仰せつかっているので、東京まで出向いて働いてきます。東京近辺で、興味のある方はどうぞ。

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第1回 ODA改革パブリックフォーラムのご案内
***********************

 この度、国際協力NGOセンター、関西NGO協議会、ODA改革ネットワーク、名古屋NGOセンターの共催により、第1回ODA改革パブリックフォーラムを開催いたしますので、ご案内申し上げます。

 本フォーラムは、多様な市民が所属やセクターにとらわれず、それぞれがひとりの市民としてODAについて考え、発言する場として立ち上げられました。第1回目となる今回は10月の新JICAの発足を前に、ODAのあり方に注目が寄せられる中、特に「理念・原則」、「実施体制」、「市民参加」の三つの点に着目し、各方面からのご参加をいただき、意見を交わしたく考えております。皆様のご参加をお待ち申し上げます。

1.開催日時: 2008年9月30日(火)13:30−21:00
 第1部:13:30〜14:30 オープニング、基調講演
 第2部:14:45〜16:40 分科会
 第3部:18:30〜21:00 全体会

2.会場: 国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟
 (東京都渋谷区代々木神園町3-1)
 (地図)http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html

3.主催:(特活)国際協力NGOセンター、(特活)関西NGO協議会、ODA改革ネットワーク、(特活)名古屋NGOセンター

4.プログラム(予定)
【第一部】 13:30〜14:30 オープニング(於:センター棟405室)
13:30〜13:40 主催者による趣旨説明 
13:40〜14:30 基調講演及び質疑応答
       講演者:龍谷大学研究フェロー 中村尚司氏

【第二部】 14:45〜16:40 分科会(於:センター棟404、413、508室)
分科会1:「ODAの意義と役割は何か?〜国際協調とアジアの経験からの教訓」
コーディネーター: 高橋清貴 (ODA改革ネット)
リソースパーソン:竹内幸史氏 (朝日新聞編集委員)
         長瀬理英氏 (フィリピン開発問題研究家)
         熊岡路矢 (国際協力NGOセンター理事)
         ODA関係者または研究者(予定)

分科会2:「新生JICAはどのように生まれ変わるのか?〜NGOの視点から考える」
コーディネーター:下澤嶽 (国際協力NGOセンター 事務局長)
リソースパーソン:加藤宏氏 (国際協力機構(JICA)開発研究所準備室長)
         田辺有輝氏 (「環境・持続社会」研究センター(JACSES))
         山口誠史氏 (シェア=国際保健協力市民の会事務局長)
         山田順一氏 (国際協力銀行(JBIC)連携担当審議役)

分科会3:「開発の主役はだれか?〜「住民」参加と「市民」参加」(予定)
コーディネーター:加藤良太 (関西NGO協議会提言専門委員)
リソースパーソン:草野孝久氏 (国際協力機構JICA 地球ひろば所長)
         山中悦子氏 (草の根援助運動)

【第三部】 18:30〜21:00 全体会(於:センター棟309室)
三つの分科会の報告を受けて、ODAのめざすもの、具体的な課題、市民参加の意義とあり方などについて広く市民が参加して議論を行う。パネリストには一般市民、ODA関係者、議員、研究者、NGO関係者などが分かりやすく論を展開し、参加者からの質問・ディスカッションも交え、共に広く問題意識を共有することをめざす。

コーディネーター:大橋正明 (国際協力NGOセンター理事長)
パネリスト:大塚耕平氏 (参議院ODA 特別委員会筆頭理事)
      大野泉氏 (政策研究大学院教授)
      金子節志氏 (国際協力機構理事)(依頼中)
      小田克起氏 (外務省国際協力局審議官)
      庄野真代氏 (歌手/(特活)国境なき楽団代表理事)

5.参加費: 第1部+第2部 1,000円(学生500円)
第3部 1,000円(学生500円)
通し参加 2,000円(学生1,000円)

プログラムの詳細は以下のURLをご覧下さい。最新情報を随時掲載いたします。
http://www.janic.org/modules/eguide/event.php?eid=72

お問い合わせ先(事務局)
国際協力NGOセンター(JANIC)/ 担当:竹崎、宮下
TEL:03-5292-2911
FAX:03-5292-2912
E-mail: advocacy@janic.org

以上
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2008年09月20日

呆れ・確信・決意

今日(9/19)は霞ヶ関界隈へ。外務省との政策協議の発題を担うために行ったのだが、NGO的なガバナンス論、参加論が随分相手方を刺激したようで、古色蒼然とした「霞ヶ関スタイル民主主義」の原則論を縷々説明される。

・・・というか、そのモデルが耐用年数過ぎたから、市民社会の政策主体としてNGO/NPO(CSO)が台頭してきたっていうのに。代表制民主主義が多数決原理、授権された行政府の肥大化・正当化へと陳腐化してしまったからこそ、民主主義本来の「万機公論に決すべし」の対話とコンセンサスをラディカル(深化・進化)に進めるために、参加民主主義のスタイルが導入されようとしているのに。とはいえ、そんなことは、彼らも重々承知なのである。彼らの影響力・決定力が低下する中で、それでも彼らは自らの政策決定の正統性を手放したくないからこそ、NGO「ごとき」の「青臭い」発題にマトモに食い付いてくるのだろう。かつて、10年前のひ弱な日本のNGOがこんなことを語ろうものなら、適当にいなされていたのだから。

今日の政策協議で、ある意味で対話・協働相手としての外務省、外務官僚の発想と行動の限界を私個人としてはっきり得心したように思う。(わかっていたことではあるが、個人的な感情の面で。)個人レベルで、優れた発想の官僚もいないではないが、事はそういう問題ではないだろう。やはり、私たちが政策を枠組みそのものから変えるには、政治と組まざるを得ないと思う。とはいえ、これも従来型の政党や政治家との付き合い方では面白くない。NGOならではの、カウンターパートの変革をも齎すようなアプローチを前向きに考えてみたい。それでこそ、政治家にとってもNGOと組むメリットとなる。そして、NGOが根源的にそのフィールドとする、市民社会における世論喚起ももちろんのことである。

そういうことで、精神的にはうんざりしたものの、ODAアドボカシーに向けた重要な確信と決意が導かれたという意味で、収穫多き霞ヶ関詣でであったということにしよう。


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2008年06月25日

おサボり。

しばらくブログをさぼっていました。気軽なのもあって、何となくSNSの日記更新の方に気が取られていたんですね。そろそろ、こちらも復活させようと思います。

書かなきゃいけないこと、いろいろありすぎるので。
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2007年06月26日

霞ヶ関へ行く

7/13(金)に外務省で行なわれる、2007年度第1回NGO-外務省ODA政策協議会の事前打ち合わせのため、外務省に行ってきました。(さっき帰ってきました。午前様です。)双方が議案を事前に出しあい(大概はNGO側ですが)、それを読み合わせて事前にシェアできる事実関係、情報、データを出しあって、当日により密度の濃い議論をするために行なうのです。

私はNGO側のコーディネーターとして、それぞれのNGOが出す議題の中身には手は出しませんが、議論が議論として成り立つように調整はします。NGO-外務省双方がただ意見を言い合うだけになったり、予定調和をしたり、概念だけでものを言う空中戦になっては意味がありませんからね。また、NGOといってもいろいろな人たちが来るわけで、専門家だけが「分かったフリ」になるオタク議論もできるだけ分かりやすく話すよう、お願いすることもあります。

NGO-外務省の政策対話の場は、政策プロセスや政策改善の実益を得るための議論の場であると同時に、NGO-外務省がいま関心をもっていること、議論していることを世の中に公にする「ショーウィンドウ」でもあるわけです。理念的には市民社会組織であるNGOも、ある意味で専門家集団。蛸壺化したり、安易に援助コミュニティに絡み取られないように、情報開示、説明責任、挙証責任を果たしつつアドボカシーを行なっていきたいものです。
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2007年05月19日

川田龍平と。

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今日は、東京で私が運営委員をしている、みどりのテーブル総会に出席。川田君の参院東京選挙区での選挙支援をあらためて確認。

明日は14時から日本教育会館で1000人集めて決起集会。みんな集まれ!!
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2007年03月20日

真相判明

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昨年から、我が大学にシアトル系エスプレッソカフェが出店するという噂があり、真偽のほどがはっきりしたかったが、先ほど学生課へ行って掲示を見てはっきりした。

今年四月に、San Francisco Coffeeなる店の日本一号店として開業するらしい…。はてさて、どんなお店かな?
Posted by ryotak at 16:02  |Comments(0)TrackBack(0) | talks | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月15日

OECD/DAC議長との座談会など

昨日まで、1泊2日で東京に行ってきた。今回の東京出張はなかなか成果があったように思う。一日目(2/13)のOECD/DAC議長とのODA座談会は、市民対象と言いつつテクニカルタームの多い会議になったが、それでも、援助コミュニティー(国際機関、各国政府、援助機関、NGO、企業etc...)と一般市民、途上国の住民との意識乖離が喫緊の課題である、という点で、各セクターからの参加者が概ね賛意を示していたのは進歩。日本のアドボカシーNGO自身も、自身の能力向上に務めつつも安易な「専門化」に逃げない意識が必要だ。一般市民の生活の座から立ち上がってくる問題意識、共感に立ったODAへの変革を、どうコーディネートしていくかが問われているということだろう。

その後、ODAアドボカシー全般に関して、東京のNGO関係者といろいろな意見交換をすることができた。アドボカシーをめぐる戦略や組織のあり方、具体的なアクション等々について、一歩踏み込んだ話し合いができて、関西に持ち帰る「おみやげ」も多数できた。

夜は、川田選対のスタッフと四谷で食べ飲む。まずは腹ごしらえにベトナム料理をつまみながら、333やサイゴンビールを流し込み、その後はバーに流れて、久しぶりにスコッチ等々をいただく。このスタッフは同年代ということもあって、妙に気が合うし話も合う。ずけずけといろんなことを言い合って、親交を深めてきた。今度は、もう一人のスタッフも入れて飲みまくることを約束し、深夜3時過ぎに解散。

二日目(2/14)は、知り合いのNGO事務所をいくつか訪ねてご挨拶と情報交換をしたのち、同志社東京オフィスでたまったメールの処理や簡単な執筆をいくつか。東京駅前(日本橋口前)にあるので結構便利。丸の内近辺をぶらついた後、天気がヤバそうだったのでさっさと新幹線に乗り、帰洛。夕方に大学院の研究室に戻り、東京で入手した資料をあらかた整理して帰宅。

とりあえず、自分にごくろうさま。
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2007年01月14日

川田龍平キックオフ

一昨日、東京・渋谷で行なわれた友人・川田龍平の31歳の誕生日&チーム龍平キックオフパーティーに行ってきた。何でキックオフかと言えば、今年(2007年)の参議院議員選挙を彼がやるからだ。私も、彼の友人として、また、ともに「みどりのテーブル」運営委員を務める身として、参加してきた。

選挙というのは不思議なもので、勝ちそうな候補者やその集まり、あるいは選挙チームには、何とも言えない「息吹」を感じるのである。私も、これまで何回かの選挙に携わって、「息吹」を感じる時、そうでない時と両方体験してきたが、この直感は大抵ウソをつかない。今回は、その「息吹」を感じたのである。もちろん、川田君そのものが有名人でもあり、呼び掛け人の筆頭が坂本龍一(パーティーには参加せず)だったりということで、パーティー自体も華やかなものであったが、それだけではない、何かが起こりそうな息吹が渦巻いていたのである。

小さめのクラブに200人がびっしり入り、市民派、みどり系の地方議員やその候補から、NGO/NPO関係者、学者、川田君の純粋な友人・知人、大手メディア各社、そして、何人かの著名人・・・何となく、「選挙版『ホワイトバンド』キャンペーン」になりそうな予感がした。実際、ホワイトバンドのスタッフの一部やパブリシティーを担当したプロの人々が関わってくれそうなのである。巨額の広告費用でビジネス的に広告代理店を使ってメディア戦略に訴える選挙ではなく、「プロボノワーク」(専門家がその能力を使い、公共的な活動に自らの意志で参加・貢献すること)としてセレブやパブリシティーのプロが参加し、普通の人々も参加していく、新しい選挙の潮流ができてきたら、本当に面白いし、ぜひそうありたいなと思っている。

ちなみに、川田龍平を応援する会(チーム龍平)のウェブサイトは以下のとおり。事務所は四谷にある。メルマガを登録するとミーティングの予定などが分かり、特にパブリシティー関連のミーティングに参加すれば、第一線のクリエイターやアクティビストたちと一緒に仕事ができる機会があるかもしれない。ぜひご参加あれ!!
http://ryuheikawada.jp/
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2006年12月29日

八ツ場(やんば)ダム建設予定地へ行く

昨日まで、1泊2日の行程で、群馬県吾妻郡長野原町の八ツ場(やんば)ダム建設予定地へ行ってきた。というと、殺風景な建設現場の視察のように聞こえるが、当地は「川原湯温泉」(かわらゆおんせん)という温泉地で、私が所属しているNGO「ODA改革ネットワーク」の全国運営会議と1年間の慰労を兼ねて行ってきたのだ。

八ツ場ダム

八ツ場ダムは、計画から50年あまり、ダム予定地として新規の構築物や開発に制限が入ってから20年あまりと、長い期間にわたって建設か中止か、地元住民の激しい反対運動を軸にさまざまな動きがなされてきた。しかし、その間も地元地域はあたかも「真綿で首を絞められる」がごとく、展望の開けない中で追い詰められ、300戸あった世帯の3分の2は代替地計画を待たずに地域を離れ、仮に代替地に地域ごと移転したとしても、地域の再建が大変難しい状況に追い込まれている。また、観光地という地域特性上、借地で店舗を経営している住民も多く、土地所有者を前提とした保障策が実態に合っていないという問題もある。

もちろん、ダムそのものができることへの問題は大きく、それを問いつづけることも必要だが、それをするにはあまりに地域は疲れていた。それでも、反対運動の中核をされていた方の「いつかきっと、この地域もまた立ち直る時が来る」という、半ば達観、半ば希望という言葉を聞き、その背景にあるものの「凄み」を感じざるを得なかった。50年、生活といのちを掛けて、政府と対決してきた「重み」は、たとえ地域が疲れ衰えても、私たちに多くのものを伝えてくれたように思う。

ODA改革ネットワークの全国運営会議の内容については、また、おいおい現実の活動とともに書くことになるが、少なくとも、ODA、あるいは国際開発全体が、9・11「テロとの戦い」体制のツールとして絡めとられ、NGOが市民社会と離間させられ、プチコンサルとして体制側に組み込まれようとしている今、どういう立ち位置でODAアドボカシーをやっていくのか、NGOとして、ODA、国際開発をめぐる政治、政策形成にアプローチしていくのか、深く考えつつも立ち止まらずにやるべきことをやる必要性を痛感させられた。と同時に、川原湯温泉の人々との対話を通じて、政府と対峙していく「姿勢」を正された思いである。

参考)八ツ場ダムを考える会・ウェブサイト
http://www.yamba-net.org/
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2006年12月16日

21世紀型市民革命

昨日は、防衛「省」法案と、教育基本法の改定が一挙に参院で可決され、成立してしまった。もはや、中身を解説するのも憂鬱なことだが、この2006年12月15日という日は、これからの日本の一つの岐路となるべき日として、心に刻み付けておかねばなるまい。

アメリカに贈られた戦後民主主義は、結局のところ、日本の権力の根幹を何ら質的に転換することができなかったのかもしれない。これからは、私たち自身の手による「民主化」を勝ち取り、日本の権力構造そのものを「民主化」するための闘いが待っている。はっきり言おう。日本には、21世紀らしいカタチでの「市民革命」が必要だ。国家主義的な反動には、地道で漸進的変革だが不可逆的なラディカルをもって対抗しよう。ひとりひとりは、自己の良心を磨き、感性のアンテナを大いに拡げよう。

これからの闘いは、左派もリベラルも良心的保守も織り交ぜた、制度においてもエートスにおいても民主化された日本を作り上げる、「21世紀型市民革命」であるべきだ。
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2006年12月10日

「伝道」再考

キリスト者をやっていると、避けられないテーマがこの「伝道」である。何をもって「伝道」とするのか、日本で「伝道」がふるわない=キリスト者が増えない、のはなぜか・・・etc。私の所属教会が加盟する教団では、「伝道」の方針を巡って長年紛争を続けているくらいだから、結構重いテーマでもあったりする。

実は、最近では「伝道」という言葉に代わり、「宣教」や「福音化」という言葉が使われることも多い。どれも、英語で言えば「Mission」なのだが、日本語としては微妙にニュアンスが違うのだ。
「伝道」=ノンクリスチャンにキリスト教の教えを伝え、クリスチャンになるよう導くこと。
「宣教」=伝道の意味に加え、クリスチャンとしてキリスト教の教えを社会的に実践すること。(→キリスト教による社会運動、政治運動の根拠となる)
「福音化」=宣教と同じような意味で、カトリックが用いる用語。
※そういえば、かつて「布教」なんて言葉もあったけど、これはさすがに使いませんな。

私は、どちらかというと「宣教」のスタンスを取る者だが、教会での職分もあって、伝道的なことにも力を入れていると言えばそうだろう。ただ、伝道といってもどこかの新興宗教みたいに「引きずり込む」のではなくて、あくまで「求める人」を正しく福音へ近づけるための手助けをしていく、ということであって、それ以上のことができるとも思っていない。

しかし、である。この「伝道」にこだわる人たちは、数の上でキリスト教がふるわないことをやたら問題にする。そして、それを現にある教会の「信仰の貧しさ」「社会活動への傾倒」に理由づけて批判する。でも、それは本当だろうか。私はいくらも社会的な活動に熱心な教会を見てきたが、多くは教会としての礼拝や信仰的な活動をより熱心に行なっている所が多かった。一方で、教会的な活動に力を入れていても、社会的・地域的なつながりを持たず、教勢がふるわない教会というのも多い。本当に「信仰が足りない」「他のことにかまけている」から「伝道」が成り立たないのなら、これはおかしいことだ。

私は、これはやはり日本の社会的・文化的土壌の中で、「キリスト教的なもの」が理解されにくいという「壁」の存在が大きいように思う。神に乞い願うと、現世的なご利益が「降って」くる日本の宗教観からすれば、「神との真摯な対話と悔い改め」という重い信仰は、理解(というより受容)までに幾重もの「壁」を突き抜ける必要があるのだろう。その意味では、理屈での理解というよりもむしろ「感化」、感化というならば、人の生き様を通じてそれを伝えるしかない。とするならば、「伝道」というのはトラクトを配るとか、熱心に口説くというのではなく、キリスト者としての「生き様」を教会の内外で「晒していく」ことそのものではないのか。その意味で、宣教はまさに伝道なのではないか。

話は変わるが、現在私が学ぶ大学は「ミッションスクールでないキリスト教主義大学」を標榜している。つまり、学生に伝道はしないがキリスト教主義(?)で教育する、ということである。しかし、必須科目で聖書の中身を教えるとか、教会の歴史を教えることがキリスト教主義教育でもないし、ましてや各学部の専門科目をキリスト教主義的に教えるなんてことはできない。そうするならば、大学の雰囲気やキリスト者の教職員、先輩、後輩、同級生の姿勢を通じてキリスト教の「感化」を学生に及ぼす、それを受けて信ずるにせよ信じないにせよ、学生にキリスト教という「躓き」を与えて多いに悩んでもらう、そういうことしかないように思う。

学内では、しばしばキリスト教と創立者の掲げた「良心教育」の理念を切り離し、キリスト教なき良心教育の可能性を議論する向きもあるが、それはナンセンスであろう。所詮、理屈で考えた「良心」などありえない。「大いなるもの、抗えないもの」の「感化」を受け、それに自らの心を大いに揺さぶられ、悩み苦しみ、その中から紡ぎだすものが「良心」なのだ。霊的な働きのない哲学論争の中から「良心」など導きだせやしない。私の学校の場合は、その核心が「キリスト教」の「福音」であり、そこからの「感化」は学生各自の思想信条の如何に関わらず与えられるべきものである。「信ずる」「信じない」の二分論は陳腐な議論でしかない。この点で、私は非常に保守派なのかもしれない。

以上、とりとめもなく「伝道」について思うことを書いてみた。
Posted by ryotak at 03:08  |Comments(0)TrackBack(0) | christianity | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

忘れられない1年の終わりに・・・

萌黄企画のメンバーと「忘年会」の計画を立てている。そのやり取りの中で、メンバーの一人から「今年は忘れられない1年になりそうです」というコメントがあって、はっとした。教育基本法改定、共謀罪、防衛「省」・・・。どれ一つ取っても、苦々しい思いばかりが募ることばかり。政治は真剣な議論もなしにパロディーのように右傾化し、格差社会は拡大し、子どもたちは置き去りにされ、弱者は見捨てられる。本当にこんな1年でいいのか。こんな1年で終わらせていいのか。こんな思い出ばかりで忘れられない1年でいいのか。

これからは、このブログの趣旨にもあるように、ますます「怨み」を噛み締めて、しかし過激に走らず淡々と進む時代がしばらく続くのだろう。今年の「忘年会」は、そんな時代に立ち向かう仲間たちとともに、せめてひととき夢を語り合える場にしたいものだ。明日に向かう勇気を得るために。

来年は本当に闘いの1年になるのだから。
Posted by ryotak at 01:53  |Comments(0)TrackBack(0) | activity , talks | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月04日

ひとりひとりのデモクラシー

実践・研究の両面から「市民参加」を扱っているためか、私の場合、デモクラシーといっても世の中の制度や体制としてのそれよりも、ひとりひとりにとってのデモクラシーとは何か、を考えることが多いような気がする。

制度上、名目上、日本はデモクラシーの国である。しかし、個人の思考単位、行動単位でいけば、果たして本当にデモクラシーなのか、疑問に思うことはたくさんある。公共の場での政治的な意思表明が、社会的な制約を実質的に受けるということはもちろん、究極のデモクラシーの制度的行使である「投票」においても、浮き世の義理に流されたり、簡単に判断を他者に譲り渡したり、政治的に活発な筈の人がむしろ、自分の属する政治的組織に盲目的に従属したり、「ひとりひとり」の視点で見れば、とうていデモクラシーと言えないことの方が多いのではないか。

ひとりひとりのデモクラシーは、ある個人が公共的な言動をするに際し、自らの内心の決断のみにより、その政治的行動の一分一秒前までも干渉されずに行うことのできる自由が、相互に承認されている状態であると思う。もちろん、デモクラシーには公共性があり、行動に移した時点で他者の反駁や助言、否定を受けることもあるわけで、自侭な行動を貫けるわけではない。しかし、行動することを決するにあたって、助言的・参考的意見を他者が具申することはできても、彼の決断を束縛する権利は誰にもない。ただ、彼の内心のみである。

いまの日本では、左派や市民運動を標榜する輩に限って、むしろ個人の自由を束縛し、「団結」だの「連帯」だのを薄っぺらい行動レベルで強いる者が多いような気がする。どうして、個人は多様であるというごく当たり前のことを認められないのか。他人の決断する権利を奪うことに、本来デモクラシーを擁護すべき立場のものとして、自ら恥じる良心の疼きを感じないのか。この鈍感さ、この恥知らずさこそが、ありもしない英雄やデマゴーギーに淡い期待を寄せる大衆に、「本当に大切なことは何か」を伝えられない、リベラル・左派の「本質的弱さ」そのものではないかと思う。

私が、「みどりの政治」に取り組むのは、このことへの実践的応答を試みるためであるし、キリスト者である意味は、超越的なものへの信頼と応答に支えられた「良心」を発揮するとは何なのか、自ら示していくことではないかと、最近強く意識する次第である。
Posted by ryotak at 01:15  |Comments(0)TrackBack(0) | activity , christianity | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月01日

久しぶりの投稿

政治的・社会的なテーマでブログに書く意欲が失せていて、しばらくココを遠ざかっていた。でも、少しずつ書かなきゃならんだろう。書き続けなければならない程に、状況はますます悪くなっている。

誰かさん頼り、棚からボタモチ、他力本願はありえない。
Posted by ryotak at 01:20  |Comments(0)TrackBack(0) | society , activity | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする