2009年03月31日
メープルシロップをつくったこと。
3月下旬、メープルシロップの季節にメープルシロップのことをたまたま思い出し、はじめてメープルシロップを作ることができた。
北海道に自生するイタヤカエデからシロップがつくれるということは、だいぶ以前から知ってはいた。しかし、年にわずか3週間ほどしかない樹液採取のタイミングを、毎年毎年逃がし続けてきたのだ。いや、逃がし続けてきた、というほどの積極的な違失ではない。毎年毎年ただ忘れてる間にその時季が過ぎてしまっていた、というのが正確な表現。ものすごく大好きな甘味料というわけでもないメープルシロップのことは、ふだんはまず考えてないですからね…。
ところが今年の3月中旬、町の図書館でたまたま手に取った絵本に、アメリカバーモント州の昔のメープルシロップづくりの一場面が楽しそうに描かれていて、「そういえばメープルシロップの季節だ」と、はじめてジャストタイミングに思い出すことができたのだ。
メープルシロップは、ふつう、カナダ国旗の楓「サトウカエデ」の樹液を煮詰めて作る。サトウカエデの自生地、カナダ南西部(ケベック州など)やアメリカ北東部(ニューイングランド州など)が、昔も今も主な産地となっている。しかし、サトウカエデよりも樹液の含糖量は低いみたいだが、他のどの種類のカエデの樹液からもシロップを作ることができるらしい。
硫酸山の近辺には、イタヤカエデがたくさん自生している。イタヤカエデは北海道の自生種では最も大きく生長するカエデ科カエデ属の樹木で、家のすぐ近くの森にも直径40センチほどの大きなイタヤカエデが何本かまとまって生えている。
3月下旬の晴れて穏やかな日、ものすごくノリノリ、というわけでもない父と娘は、森へ向ってのんびりと樹液採取に出発した。

写真右側の太い樹と少し小ぶりの樹、いずれもイタヤカエデである。
樹液は、胸の高さの直径が25センチ以上の樹から採取する。
まずはドリルを使って幹に小さな穴を穿つ。穴の直径は、使用するビニールチューブがぴったり収まる径7ミリ、深さは4センチとした。
カナダなど本場では1本の木に2か所あけた穴から同時に樹液を採取し、毎年穴の位置を変えていくそうだ。ちょっとかわいそうな感じもするが、この穴は数ヶ月で完全にふさがり、樹を枯らしたりすることはないらしい。今回も、穴を開けてから48時間後には、すでに穴からの樹液の溢れ出しは完全に止まっていた。
直径40センチくらいの大きなイタヤカエデ2本にそれぞれ1か所の穴を開けてビニールチューブをセットした。
穿った穴にチューブを差し込むと、その瞬間からかなりまとまった量の樹液が流れ出した。点滴のようなポタ、ポタ、ではなく、水道を極細くして流し放しているような、わりと連続した感じの出かたで、カエデの樹液がポリタンクに流れ込みはじめた。
見ていると、10リットルのポリタンクに意外と早くたっぷりと貯まりそうな感じがし、また、樹が水をじゃんじゃん上げている様が、春だなあという雰囲気も醸し、なんだか楽しい気分になってきた。
樹液採取が可能な時季は、冬が終わりかけて、でもまだ春ではない、ほんの3週間くらいに限られるのだという。(北海道のこのあたりだと、3月中旬〜下旬か)
その時季のカエデは、根からたっぷりの水を吸い、そして大量の樹液を小枝の隅々まで供給し、春の新葉の展開の準備を開始させているのだろう。
少し調べてみたら、樹液が多く採れるのは期間中の午前10時から午後3時くらいまでだとか、また本当かどうかは不明だけれど、樹液の量は、お月さまの月齢によっても変化する、などの記述もあった。
今回1回の経験だけからはよくわからなかったが、昼間の方が夜間よりずっと多くの樹液が出ていたことは自分でも確認することができた。
結局、1本の木から48時間で約7リットル、2本合わせて15リットル近くの、たっぷりの樹液がとれた。
少し飲んでみると、ごくわずかな甘味を感じるような気がするだけの、別においしくはない水溶液だ。この、どちらかというとただの水みたいなものが本当にメープルシロップになるのだろうか、父娘共かなり疑わしく思った。
採取した樹液を家に持ち帰り、簡単に濾してから鍋に入れて薪ストーブの上にかけた。これを、煮詰めて煮詰めて煮詰めなければならない。サトウカエデからつくるメープルシロップは、樹液を40分の1になるまで煮詰めるそうだから、それより含糖量が低いであろうイタヤカエデだと、もっともっと煮詰めなければならないかもしれない。
絵本では、「砂糖小屋」というシロップづくり専用の部屋で、薪を燃料にした大きな蒸発装置みたいなものをフル稼働して煮詰め作業を行っている風だったり、また別の絵本では、屋外の焚き火の上にセットされた大きな鉄鍋で樹液がグラグラと沸かされ続けている。いずれも、ものすごく大きな火力を必要とするように見えた。
さて、我が家の自慢の薪ストーブだが、春が近くなった3月下旬には、残念ながら、真冬と違って、大きな火を焚かなくても、しょぼしょぼの小さな火を燃すだけで部屋の暖をとるには充分なのである。だから、鍋をストーブにかけておいても、樹液がぐらぐら沸き続ける状態はつくれない。2日以上時間をかけたが量はほとんど減ってこない。3日目でようやく、浅い鍋の方をやっと10分の1くらいまで蒸発させることができた。まず実験的に小さい鍋だけ仕上げてみようと思い、ちょっと邪道な感じがしたが、ガス台に移して仕上げの煮詰め作業を行った。
ストーブの上で10分の1までになっていた樹液は、最初よりだいぶ甘味を感じるようにはなっていたが、相変わらず無色透明でさらりとした、やはり限りなく水に近い液体のままであった。しかし、ガス台に移してほんの数分で、突然感動的なクライマックスがおとずれた。
なべ底にほんの少しの量に減ってきた樹液がふつふつと沸きながら急激に粘性を増し、そして、琥珀色、あのメープルシロップ色に美しく色づいてきたのだ。最後の変化はものすごく急激に、30秒くらいの間に起きた。写真を撮る間もなく、また、よく観察する余裕も全くなく、ここで絶対焦げ付かせるわけにはいかない、という切迫した気持ちが最高潮に達したとき、我が家のメープルシロップは完成した。
なんとなく、琥珀色が濃い方が良いのではないかと思って、ぎりぎりがんばってみたのだが、あとで知ったところでは、色の薄いものの方がシロップとしてのグレードが高いそうだ。
容器に移してみる。およそ30ml、大さじ2杯くらいだろうか。元の樹液の50分の1、量はとてもわずかだが、でも本物の、正真正銘のメープルシロップができた。香りも、もちろん甘味も、最高級品の味がした。(最高級品はぜんぜん知らないのだけれど…)
終始たんたんと作業を進めてきた父娘であったが、クライマックスの30秒はふたりともかなり昂揚し、最後、「メープルシロップってこうやってできるんだ!」と感心して話しかけてくる娘にうなずきながら、(メープルシロップってこうやってできるのか)と、私も生まれてはじめて知ることができたのでした。
メープルシロップの季節到来を偶然思い出させてくれたすてきな絵本
『夜明けまえから 暗くなるまで』
絵:メアリー・アゼアリアン、文:ナタリー・キンジー‐ワーノック 訳:千葉茂樹
BL出版
やはりメープルシロップづくりの描写が登場するすばらしい絵本
『にぐるま ひいて』
絵:バーバラ・クーニー、文:ドナルド・ホール、訳:もき かずこ
ほるぷ出版
北海道に自生するイタヤカエデからシロップがつくれるということは、だいぶ以前から知ってはいた。しかし、年にわずか3週間ほどしかない樹液採取のタイミングを、毎年毎年逃がし続けてきたのだ。いや、逃がし続けてきた、というほどの積極的な違失ではない。毎年毎年ただ忘れてる間にその時季が過ぎてしまっていた、というのが正確な表現。ものすごく大好きな甘味料というわけでもないメープルシロップのことは、ふだんはまず考えてないですからね…。ところが今年の3月中旬、町の図書館でたまたま手に取った絵本に、アメリカバーモント州の昔のメープルシロップづくりの一場面が楽しそうに描かれていて、「そういえばメープルシロップの季節だ」と、はじめてジャストタイミングに思い出すことができたのだ。
メープルシロップは、ふつう、カナダ国旗の楓「サトウカエデ」の樹液を煮詰めて作る。サトウカエデの自生地、カナダ南西部(ケベック州など)やアメリカ北東部(ニューイングランド州など)が、昔も今も主な産地となっている。しかし、サトウカエデよりも樹液の含糖量は低いみたいだが、他のどの種類のカエデの樹液からもシロップを作ることができるらしい。
硫酸山の近辺には、イタヤカエデがたくさん自生している。イタヤカエデは北海道の自生種では最も大きく生長するカエデ科カエデ属の樹木で、家のすぐ近くの森にも直径40センチほどの大きなイタヤカエデが何本かまとまって生えている。3月下旬の晴れて穏やかな日、ものすごくノリノリ、というわけでもない父と娘は、森へ向ってのんびりと樹液採取に出発した。

写真右側の太い樹と少し小ぶりの樹、いずれもイタヤカエデである。
樹液は、胸の高さの直径が25センチ以上の樹から採取する。
まずはドリルを使って幹に小さな穴を穿つ。穴の直径は、使用するビニールチューブがぴったり収まる径7ミリ、深さは4センチとした。カナダなど本場では1本の木に2か所あけた穴から同時に樹液を採取し、毎年穴の位置を変えていくそうだ。ちょっとかわいそうな感じもするが、この穴は数ヶ月で完全にふさがり、樹を枯らしたりすることはないらしい。今回も、穴を開けてから48時間後には、すでに穴からの樹液の溢れ出しは完全に止まっていた。
直径40センチくらいの大きなイタヤカエデ2本にそれぞれ1か所の穴を開けてビニールチューブをセットした。
穿った穴にチューブを差し込むと、その瞬間からかなりまとまった量の樹液が流れ出した。点滴のようなポタ、ポタ、ではなく、水道を極細くして流し放しているような、わりと連続した感じの出かたで、カエデの樹液がポリタンクに流れ込みはじめた。見ていると、10リットルのポリタンクに意外と早くたっぷりと貯まりそうな感じがし、また、樹が水をじゃんじゃん上げている様が、春だなあという雰囲気も醸し、なんだか楽しい気分になってきた。
樹液採取が可能な時季は、冬が終わりかけて、でもまだ春ではない、ほんの3週間くらいに限られるのだという。(北海道のこのあたりだと、3月中旬〜下旬か)その時季のカエデは、根からたっぷりの水を吸い、そして大量の樹液を小枝の隅々まで供給し、春の新葉の展開の準備を開始させているのだろう。
少し調べてみたら、樹液が多く採れるのは期間中の午前10時から午後3時くらいまでだとか、また本当かどうかは不明だけれど、樹液の量は、お月さまの月齢によっても変化する、などの記述もあった。
今回1回の経験だけからはよくわからなかったが、昼間の方が夜間よりずっと多くの樹液が出ていたことは自分でも確認することができた。
結局、1本の木から48時間で約7リットル、2本合わせて15リットル近くの、たっぷりの樹液がとれた。
少し飲んでみると、ごくわずかな甘味を感じるような気がするだけの、別においしくはない水溶液だ。この、どちらかというとただの水みたいなものが本当にメープルシロップになるのだろうか、父娘共かなり疑わしく思った。
採取した樹液を家に持ち帰り、簡単に濾してから鍋に入れて薪ストーブの上にかけた。これを、煮詰めて煮詰めて煮詰めなければならない。サトウカエデからつくるメープルシロップは、樹液を40分の1になるまで煮詰めるそうだから、それより含糖量が低いであろうイタヤカエデだと、もっともっと煮詰めなければならないかもしれない。絵本では、「砂糖小屋」というシロップづくり専用の部屋で、薪を燃料にした大きな蒸発装置みたいなものをフル稼働して煮詰め作業を行っている風だったり、また別の絵本では、屋外の焚き火の上にセットされた大きな鉄鍋で樹液がグラグラと沸かされ続けている。いずれも、ものすごく大きな火力を必要とするように見えた。
さて、我が家の自慢の薪ストーブだが、春が近くなった3月下旬には、残念ながら、真冬と違って、大きな火を焚かなくても、しょぼしょぼの小さな火を燃すだけで部屋の暖をとるには充分なのである。だから、鍋をストーブにかけておいても、樹液がぐらぐら沸き続ける状態はつくれない。2日以上時間をかけたが量はほとんど減ってこない。3日目でようやく、浅い鍋の方をやっと10分の1くらいまで蒸発させることができた。まず実験的に小さい鍋だけ仕上げてみようと思い、ちょっと邪道な感じがしたが、ガス台に移して仕上げの煮詰め作業を行った。
ストーブの上で10分の1までになっていた樹液は、最初よりだいぶ甘味を感じるようにはなっていたが、相変わらず無色透明でさらりとした、やはり限りなく水に近い液体のままであった。しかし、ガス台に移してほんの数分で、突然感動的なクライマックスがおとずれた。
なべ底にほんの少しの量に減ってきた樹液がふつふつと沸きながら急激に粘性を増し、そして、琥珀色、あのメープルシロップ色に美しく色づいてきたのだ。最後の変化はものすごく急激に、30秒くらいの間に起きた。写真を撮る間もなく、また、よく観察する余裕も全くなく、ここで絶対焦げ付かせるわけにはいかない、という切迫した気持ちが最高潮に達したとき、我が家のメープルシロップは完成した。
なんとなく、琥珀色が濃い方が良いのではないかと思って、ぎりぎりがんばってみたのだが、あとで知ったところでは、色の薄いものの方がシロップとしてのグレードが高いそうだ。
容器に移してみる。およそ30ml、大さじ2杯くらいだろうか。元の樹液の50分の1、量はとてもわずかだが、でも本物の、正真正銘のメープルシロップができた。香りも、もちろん甘味も、最高級品の味がした。(最高級品はぜんぜん知らないのだけれど…)終始たんたんと作業を進めてきた父娘であったが、クライマックスの30秒はふたりともかなり昂揚し、最後、「メープルシロップってこうやってできるんだ!」と感心して話しかけてくる娘にうなずきながら、(メープルシロップってこうやってできるのか)と、私も生まれてはじめて知ることができたのでした。
メープルシロップの季節到来を偶然思い出させてくれたすてきな絵本
『夜明けまえから 暗くなるまで』
絵:メアリー・アゼアリアン、文:ナタリー・キンジー‐ワーノック 訳:千葉茂樹
BL出版
やはりメープルシロップづくりの描写が登場するすばらしい絵本
『にぐるま ひいて』
絵:バーバラ・クーニー、文:ドナルド・ホール、訳:もき かずこ
ほるぷ出版
2009年01月29日
真冬の尻別川を下ったこと。
硫酸山の我が家から尻別川まで、クロスカントリースキー(歩くスキー)を使うと1分で到着する。
晴れた日の朝、歩くスキーで河畔に散歩に出た。霧氷に覆われた河畔の木々の枝が朝日を浴びてキラキラと輝いている。川面は穏やかで、夏よりも透明度が高いようにみえる。
時おり、シャーベット状の大きな白い氷塊がゆっくりと目の前を流れ過ぎる。
広漠として美しい冬の河を見ていたら、なんだかボートに乗って下ってみたい気分になってきた。
夏から秋のシーズンには、WWOOFerなどのお客さんが来るたび、みんなで尻別川の川下りを楽しんでいた。
ときどき水に入って冷んやり感を楽しんだり、なかには、ボートに並行して3Kmあまりを泳ぎ下った元気な若者もいた。
夏の川下りは、とても面白い。
しかし、今、季節は真冬。
いちおう、水温チェックのため水に手を入れてみた。
おおきな氷塊が流れ下る、その、見た通りの冷たさであった。刺すように冷たい、ということです。
一瞬気持ちは萎えかけたが、今日は真冬には珍しいすばらしい快晴…、風もぜんぜんないし…。
よし!
家に引き返して万全の準備をし、車で上流まで運んでもらった。
そして、雪の上でゴムボートを膨らませ、ひとり氷水の河に漕ぎだした。
尻別川の上流域には、ラフティングが楽しめるような激流箇所もあるのだが、今回は、絶対に濡れたくない、というか、絶対濡れてはいけないので、中流域の、もっとも穏やかな3km区間を下ることにした。
漕ぎ始めて一瞬後、ほんのちょっとだけ抱いていた恐怖感はすぐに霧散した。
たとえば巨大な氷塊とぶつかってタイタニックみたいに沈没、なんていうシチュエーションは絶対にありえない、と、すぐにわかって笑えてきた。
流れの様子も水量も、夏とそれほど変わっていない。
違うことといえば、ボートの脇を大きくて白いシャーベットが一緒に流れていくことくらいだ。
夏の間何回も下っていたおかげで、コースどりや浅瀬の場所、はては倒木など障害物が沈んでいる箇所までも、とてもよく覚えていた。
なので、「この先もしや巨大な滝が…」みたいな冒険小説的不安はもちろん皆無。勝手知った河の流心でボートをクルクルっとまわして前後左右を眺めたり、写真を撮ったり、すぐに真冬の河の景観と空気を存分に楽しむ余裕モードに入った。
冬の河は、夏よりもずっと静かだろうと予想したが、その予想のとおりだった。
川岸や河川敷や堤防にふんわり積った雪があらゆる音を吸収してしまうのか、河面には静寂の世界が広がっていた。
時々、突然現れた人間に驚いた水鳥たちが、一声発して水面を蹴って飛び去っていく。川岸の大きい木のてっぺんからは巨大なオジロワシが音も無く青空へ舞い上がっていった。少し遠くの森から聞こえてくるクマゲラの鳴き声は、なぜだかこちらは逆にとても大きな声で迫力を持って響いてくる。
堤防の向こうはすぐに道路なのだと良くわかっているのだが、何やらカムチャッカとかアラスカとか辺境を探検しているような気分になって実に爽快な川下りを楽しむことができた。
静寂というすばらしい音環境に加え、コンクリート護岸やテトラポットのような人工構造物が、雪によって真っ白に真っ平らに、ナチュラルに化粧されていることも、カムチャッカ気分が盛りあがった大きな要因と思う。
硫酸山の直下の大きなカーブを曲がり、さらに1kmほど下るとゴール予定地点は間もなくだ。
川幅は100mほどにも広がり、流れも緩やかになる。小さな湖のようなすてきな雰囲気の場所だ。この「小さな湖」には何百羽もの水鳥たちが羽を休めていた。そーっとそーっとボートを流していったのだが、やはり全員を驚ろかせてしまったようで、すべての鳥たちは啼きながらどこかに飛び去ってしまった。
上陸予定地の直前で、ちょっとした問題に出くわした。ボートを接岸させる付近の河面が全面結氷してしまっていたのだ。
厳冬の尻別川には、主に下流域に、河面が完全に凍ってしまう場所が何箇所かある。
山の上などから眺めると、黒々と太く連続している流れが突然ぷつっと途切れて、河が真っ白な雪原に完全に同化してしまっている面白い景色が見られる。昔は凍った河の上を歩いて対岸まで渡れたんだ、なんていう話も聞いたことがある。本当だとすれば、現在よりも冷え込みはよほど厳しかったのだと思う。
今回の川下りのゴール地点もそのような河が結氷しやすい場所の一つということなのだろう。
仕方がないので少し引き返して氷の薄いところを慎重に選び、最後は薄氷をパリパリと割りながら前進し、そして雪原に上陸した。
ちょっとした真冬の探検は、それほど寒い思いもすることなく(むしろ漕ぎ続けていたので体は常に心地よい程度に暖かく)無事に終了した。
新たなる大発見は特になかったけれど、真冬の河もいいもんだなあ、とか、尻別川はいい河だなあ、なんて改めて思いながら、この河のすぐそばにある我が家に帰ってきました。

晴れた日の朝、歩くスキーで河畔に散歩に出た。霧氷に覆われた河畔の木々の枝が朝日を浴びてキラキラと輝いている。川面は穏やかで、夏よりも透明度が高いようにみえる。時おり、シャーベット状の大きな白い氷塊がゆっくりと目の前を流れ過ぎる。
広漠として美しい冬の河を見ていたら、なんだかボートに乗って下ってみたい気分になってきた。
夏から秋のシーズンには、WWOOFerなどのお客さんが来るたび、みんなで尻別川の川下りを楽しんでいた。ときどき水に入って冷んやり感を楽しんだり、なかには、ボートに並行して3Kmあまりを泳ぎ下った元気な若者もいた。
夏の川下りは、とても面白い。
しかし、今、季節は真冬。
いちおう、水温チェックのため水に手を入れてみた。おおきな氷塊が流れ下る、その、見た通りの冷たさであった。刺すように冷たい、ということです。
一瞬気持ちは萎えかけたが、今日は真冬には珍しいすばらしい快晴…、風もぜんぜんないし…。
よし!
家に引き返して万全の準備をし、車で上流まで運んでもらった。
そして、雪の上でゴムボートを膨らませ、ひとり氷水の河に漕ぎだした。
尻別川の上流域には、ラフティングが楽しめるような激流箇所もあるのだが、今回は、絶対に濡れたくない、というか、絶対濡れてはいけないので、中流域の、もっとも穏やかな3km区間を下ることにした。漕ぎ始めて一瞬後、ほんのちょっとだけ抱いていた恐怖感はすぐに霧散した。
たとえば巨大な氷塊とぶつかってタイタニックみたいに沈没、なんていうシチュエーションは絶対にありえない、と、すぐにわかって笑えてきた。
流れの様子も水量も、夏とそれほど変わっていない。
違うことといえば、ボートの脇を大きくて白いシャーベットが一緒に流れていくことくらいだ。
夏の間何回も下っていたおかげで、コースどりや浅瀬の場所、はては倒木など障害物が沈んでいる箇所までも、とてもよく覚えていた。なので、「この先もしや巨大な滝が…」みたいな冒険小説的不安はもちろん皆無。勝手知った河の流心でボートをクルクルっとまわして前後左右を眺めたり、写真を撮ったり、すぐに真冬の河の景観と空気を存分に楽しむ余裕モードに入った。
冬の河は、夏よりもずっと静かだろうと予想したが、その予想のとおりだった。
川岸や河川敷や堤防にふんわり積った雪があらゆる音を吸収してしまうのか、河面には静寂の世界が広がっていた。
堤防の向こうはすぐに道路なのだと良くわかっているのだが、何やらカムチャッカとかアラスカとか辺境を探検しているような気分になって実に爽快な川下りを楽しむことができた。
静寂というすばらしい音環境に加え、コンクリート護岸やテトラポットのような人工構造物が、雪によって真っ白に真っ平らに、ナチュラルに化粧されていることも、カムチャッカ気分が盛りあがった大きな要因と思う。
硫酸山の直下の大きなカーブを曲がり、さらに1kmほど下るとゴール予定地点は間もなくだ。
川幅は100mほどにも広がり、流れも緩やかになる。小さな湖のようなすてきな雰囲気の場所だ。この「小さな湖」には何百羽もの水鳥たちが羽を休めていた。そーっとそーっとボートを流していったのだが、やはり全員を驚ろかせてしまったようで、すべての鳥たちは啼きながらどこかに飛び去ってしまった。上陸予定地の直前で、ちょっとした問題に出くわした。ボートを接岸させる付近の河面が全面結氷してしまっていたのだ。
厳冬の尻別川には、主に下流域に、河面が完全に凍ってしまう場所が何箇所かある。山の上などから眺めると、黒々と太く連続している流れが突然ぷつっと途切れて、河が真っ白な雪原に完全に同化してしまっている面白い景色が見られる。昔は凍った河の上を歩いて対岸まで渡れたんだ、なんていう話も聞いたことがある。本当だとすれば、現在よりも冷え込みはよほど厳しかったのだと思う。
今回の川下りのゴール地点もそのような河が結氷しやすい場所の一つということなのだろう。
仕方がないので少し引き返して氷の薄いところを慎重に選び、最後は薄氷をパリパリと割りながら前進し、そして雪原に上陸した。ちょっとした真冬の探検は、それほど寒い思いもすることなく(むしろ漕ぎ続けていたので体は常に心地よい程度に暖かく)無事に終了した。
新たなる大発見は特になかったけれど、真冬の河もいいもんだなあ、とか、尻別川はいい河だなあ、なんて改めて思いながら、この河のすぐそばにある我が家に帰ってきました。

2009年01月03日
2009年 あけましておめでとうございます。
pH2〜3という極強酸性の広大な不毛の地を前に、当初は毎日ただ途方に暮れるばかりであったのだが、さすがに5シーズンも試行錯誤を重ねる中で、徐々に「恐怖の土」酸性硫酸塩土壌の特性やその対処法がわかってきた。
そしてこの荒れ山に植物を定着させる術を、少しずつだが体得してきた。
最近では、「恐怖の土」という枕詞が自分の中でなんとなくなじまなくなってきている。「不思議な土・面白い土・興味の尽きない土」そんなところだろうか。5年間でずいぶんと印象が変わってきたものだ。
土から天然の硫酸が生成される「硫酸山」の土は、本当に不思議で奥深く、そして面白い、と思う。
この不思議な土から私は実にいろいろなことを学ぶことができたしユニークな経験もできた。「土」を介して多くの人と新しく出会うことさえできた。
さらに最近は、自然自らに強烈な再生の意志でもあるかの如きのすばらしい自然の回復を日々目の当たりにすることができ、その都度自分が勇気づけられるような、元気をもらえるような、そんなすてきな感覚を、この新しい緑の山から受け取っている気がしている。
今はちょっと「元・恐怖の土」に深謝したいような気分でもあるのだ。
こんな具合に気持ちの上でだいぶ余裕も生まれてきたので、昨シーズンは、荒れ地の緑化だけではなく、裏山での「森づくり」などにも力を入れることができた。

その「森づくり」の過程でたくさん出た間伐材を薪にして、この冬は念願の薪ストーブ復活も実現した。
今冬、我が家は久しぶりに薪の炎の心地よい暖かさに満たされている。
薪ストーブの暖かさは他の暖房器のそれより、なぜだか格別に上質で、ほんわかと優しく感じられる。それはたぶん輻射熱の出かたとか熱力学的な問題なのかもしれないけれど、気分的には、薪の火が、ヒトの遺伝子か何かに刻まれて残存している原始の洞窟暮らしの記憶みたいな部分をじわじわじわっと暖め蘇らせるからなのではないか、とか、あるいは自身で汗して伐って切って割って乾かして積んで備えた、たかが冬の暖のためだけに注いだ幾重もの手間への思いやそれら作業の充足感から来るほかほか感覚なのだろうか、なんて思ったりもする。兎にも角にも実にいい暖かさなのだ。再び薪ストーブの暮らしに戻れて本当によかったよかった。
ところで、薪ストーブで暖をとるために必要な「薪の準備」は結構な大仕事である。
去年、薪の準備では、大勢の若い人たちのお世話になった。
硫酸山を訪れたWWOOFer(ウーファー)という旅の若者たちが「薪割り」をやってみたいと積極的に手を挙げ、そしてたくさんの薪を割ってくれたのだ。
薪の準備だけではなく、硫酸山の緑化の作業や菜園の作業、その他ここでの多くの作業を遠くから訪れてくれた若い人たちが共にこなしてくれた。
その頼もしい旅の若者たち、WWOOFerのことを書いてみたい。
屋根の上で薪ストーブの太い煙突を固定しようと待ち構えているふたり。遠く長崎県と、もっと遠くの韓国から、硫酸山の緑化やその他諸々の作業を手伝うためにはるばるやって来てくれた20代のWWOOFerだ。
硫酸山は07年からWWOOFのホストとして登録している。WWOOFとは、「Willing Workers On Organic Farms」の略で「有機農場で働きたい人たち」のような意味になる。旅をしながら農業や農的な暮らし、あるいは森づくりなどを体験できるユニークな仕組みで、日本を含めて世界各国に広がりをみせている。
WWOOFに登録した「有機農場などで働きたい人」をWWOOFer(ウーファー)と呼ぶ。WWOOFerは、ホストとして登録された有機農場やここ硫酸山のような場所を訪れ、1日4〜6時間程度、農作業などを行う。一方、受け入れ側の「ホスト」はWWOOFerに食事と宿泊場所を提供し、希望するWWOOFerには、ホストが有する農業や植林手法などの技術を積極的に指導する。
「労働」と、「宿泊と食事とノウハウ」との交換というのがWWOOFの仕組みの基本だ。そしてその際、働く側、受け入れ側双方にお金のやり取りは一切なく、そのこともWWOOFを面白くしているユニークな特徴といえる。
WWOOFについての詳細を知りたい方は、「WWOOFジャパン」サイトをご覧いただきたい。
WWOOFジャパン http://www.wwoofjapan.com/main/
ふたりとも植林の作業は初めての経験だったけれど、暑い中、一生懸命働いてくれた。
ここ硫酸山では、WWOOFerに山の緑化や自然再生に関する作業をしてもらうほか、山道作りを手伝ってもらったり、菜園で野菜や花を育てる作業をしてもらったり、薪を割ってもらったりなどなど、さまざまな「農的な」作業を行ってもらっている。
ひとりひとりは平均するとおよそ1週間程度の滞在だ。
シーズン中12ヵ国から30数人のWWOOFerが入れ替わりで次々と訪ねてくれた。
スタート直後は受け入れる側として戸惑うようなこともあることはあったが、今では家族一同すっかりWWOOFerの受け入れに慣れて、WWOOFerがいないと家の中が少し淋しいような感じさえするくらい。
これは、堆肥を大きなバケツ4杯づつの山にしてそこに1本づつ樹木の苗を植えていく作業。私がひとりでやっていたら、飽きるか疲れ果てるかで、すぐ投げ出してしまいたくなるであろう単純で重たい労働だ。
このような単調で辛い作業も、WWOOFerを交えて大勢でやると驚くほど早くはかどるし、なによりも辛い作業がワイワイワイと楽しい作業に変わってしまう。
それぞれの地方や国の文化について尋ねたり、私が野菜作りや森づくりのことを話したり、作業中や休憩時間の話題にも事欠かず、あっという間に楽しく1日が経過していく感じだ。
WWOOFerの若者たちに出会って、私は「今どきの若者」のイメージを大きく改めさせられることにもなった。彼らが示してくれる第一級の礼儀正しさに感心させられたり、唸らされたり。
労を厭わずにどんな作業にも一心に向き合ってくれる様子には、やはり感心させられたり、私自身のいい加減さがちょっぴり恥ずかしく思われたり。毎度毎度彼らからすごく新鮮な刺激を受け続けている。
英語やら中国語やら、その他いろいろな国の言語が田舎の一軒家で交わされているさまも、なんとも不思議でとても面白い。シャイな小学生の娘はそんな会話に参加してくることはほとんどないのだが、それでもその妖しい空気はおおいに楽しんでいる風である。すごく良いことだと、私は横目で眺めている。
もし硫酸山に完全に緑が戻ったなら、その時はWWOOFerが活躍する作業の場がなくなるわけで、WWOOFerの受け入れも終了だ。

硫酸山に、今しばらく硫酸山らしい荒廃した姿をとどめてほしいような、そんな矛盾した気持ちを最近ちょっと抱いたりするのは、WWOOFerを受け入れることが、私たちにとって、とても楽しくすばらしいことに感じられているからなのかもしれない。
2008年11月22日
硫酸山の田んぼ。 ひとシーズンを振り返る
硫酸山で今年はじめて取り組んだ米づくり、その様子を写真で振り返ってみる。
硫酸山の田んぼの大きな特徴は、
1.土を使っていない。(土がわりに植物質100パーセントの堆肥を使用。)
2.畔には、酸性硫酸塩土壌という極めて厄介な不良土を使用している、
ということ。
1と2の風変りな特徴をあわせ持つ田んぼは、日本国内どこにも存在しないと思う。
小さいが、とてもユニークな田んぼが誕生した。
田んぼの「用水」は、山から引いている自家用水道の余り水(水タンクからオーバーフローする分)を利用した。
田んぼに回せる水はとてもわずかで、洗濯やシャワーなど家で水を多用すると、田んぼへの給水は半日以上も中断してしまった。
ごくわずかの水量で写真のように立派に水が張れたということは喜ばしいことではあるのだが、裏を返せば、硫酸山の地面がいかに水を通しにくい排水不良の悪い土であるか、という証明でもあり、なんとなく複雑な気持ちがする。
田植えは、この町の標準時期にぴったり(現在は5月下旬が標準)と合わせることができた。近所のコメ農家と一線に並んでのスタートだ。
苗を植える間隔(株間)は、前後左右各30センチ。現代の機械植えよりもずっと広幅にした。
この30センチ株間は、むかし昔の植え付け間隔である。
田植えから1か月が過ぎたのだが、稲はとてもとても小さい。
この時期、近所の農家の稲と圧倒的な生育差ができてしまった。根付きも甘くて簡単に引き抜けてしまう。このままダメになって枯れていくのかもしれないと心配した。初期生育の不良という問題の発生である。
原因はいくつか思いあたった。
1.土のかわりに堆肥100パーセントを使ったので水中で微生物が大量発生して(赤潮のように一時水が赤くなっていた)酸素欠乏気味になり、根の活着・生長が遅れたこと。
2.ミニ水田なので、昼間温まった水や土が、夜になるとすぐに冷めてしまい、まだまだ寒い北海道の夜間、普通サイズの田んぼより低水温・低地温の状態にさらされて、稲がだいぶ寒がって生長をしていたこと、などなど。
しかし、収穫を終えた今振り返ると、初期生育不良の一番の理由は、「化学肥料をつかっていなかったこと」にほぼ尽きると思っている。
一般に、普通の化学肥料は即効性(すぐ効く)、有機肥料は遅効性(ゆっくり効く)と説明される。
周りの水田では化学肥料ほぼ100パーセント、それに対して硫酸山の田んぼは、有機肥料(中でもとりわけ効きが遅い植物質堆肥)100パーセント。
この肥料選択の違いが、初期生育の違いとして顕著に発現していたのだと思う。
さて、心配したこの初期生育の著しい遅れであるが、結果的には何の問題もなかった。
その後、7月になって草丈も充分に伸び、分けつ(稲の枝分かれ)も十二分になされ、そして予想をはるかに超える収穫ができたのだ。
葉色の緑が他の水田の稲よりグッと濃くなってきた。
堆肥のチッソ分をどんどん吸収し始めたようだ。
たくさんに分けつ(枝分かれ)した茎から、たくさんの穂が出て花を咲かせた。
広々していた30センチの株間は、茎と葉でほとんど埋め尽くされた。稲はとても元気そうに、そして健康そうに見える。
葉色は、さらに緑が濃さを増してきた。濃い緑はチッ素分をどんどん吸収しているという目印。しかし、チッ素肥料が過剰になると、茎や葉ばかりが大きく茂って、倒れやすくなったり、実が少なくなったりする。 今度はそんなことが少し心配になってきた。
チッ素過剰の心配は杞憂であった。
まわりのコメ農家より1週間遅れて、硫酸山の稲は見事に色づいた。一株一株にはびっくりするくらいたくさんの米粒が実っている。
稲ってすごい植物だなあと、しみじみ思った。
そして、「はじめてのコメ作り」、そのゴールも見えてきた。
今年、この町のコメは豊作であった。
品質もとても良く、おいしい「らんこし米」がたくさん収穫された。
とても良く実っている。
でも、茎は、最後の最後まで緑色を濃く残してしまっていた。
「過剰」ではなかったものの、堆肥からのチッ素は少し「効きすぎ」だったのかもしれない。
今年、近所のコメ農家はほとんど9月中に収穫を終えていたが、硫酸山の緑の稲は熟すのに少し時間がかかり、10月に入ってからの収穫となった。
小学生の娘は、田植え少々、稲刈り少々、それに脱穀ほんの少々を手伝った。
稲の生育中は、ときどき、田んぼでカエルなどつかまえて遊んでいた。
このようにして、2週間ほど自然乾燥させる。
お隣りからいただいた貴重な「足踏み式脱穀機」。
少量の脱穀にぴったりの、石油も電気も必要ない非常にすぐれた実用的な機械である。
脱穀は2時間少々で全て終了した。
まだモミのついた状態だが、なんと!40Kgも獲れた。
当初の目標は、籾すり後の玄米10〜15Kgだったので、40Kg(計算上では玄米32Kg)は予想外の大収穫であった。
先日、3合のコメを白米にして食べてみた。「初めて自分で作った」という気持ちをふりかけて食べたので、おいしかった。
しかし、客観的には、近所の「すごーくおいしい」らんこし米には、はるかに及んでいなかった、と思う。
生育後半でのチッ素の効きがコメのタンパク質含量を高めてしまって、結果、だいぶ食味を落としたと思われる。
今年は「つくること」に意義があったから、これで万々歳なのだが、次作からは「おいしいお米づくり」を追求していきたいと考えている。
コメ作りは、想像以上に簡単で、そして面白かった。
今回、ずっと興味はあったけれど未知であった稲の栽培技術を少し学べたし、それに加えて、主食のコメが自分でつくれるという、自信というか安心というか満足感というか、うまく言えないけれど何かちょっと新しい感覚も手にいれられたような感じがしている。
年々豊かになってきたここ硫酸山で、来年は、さて何をつくってみようかな。
5月、硫酸山でのコメ作りは、田んぼをつくる作業からスタートした。
硫酸山の田んぼの大きな特徴は、1.土を使っていない。(土がわりに植物質100パーセントの堆肥を使用。)
2.畔には、酸性硫酸塩土壌という極めて厄介な不良土を使用している、
ということ。
1と2の風変りな特徴をあわせ持つ田んぼは、日本国内どこにも存在しないと思う。
小さいが、とてもユニークな田んぼが誕生した。
5月下旬、しっかりと水が張られた田んぼ。
田んぼの「用水」は、山から引いている自家用水道の余り水(水タンクからオーバーフローする分)を利用した。田んぼに回せる水はとてもわずかで、洗濯やシャワーなど家で水を多用すると、田んぼへの給水は半日以上も中断してしまった。
ごくわずかの水量で写真のように立派に水が張れたということは喜ばしいことではあるのだが、裏を返せば、硫酸山の地面がいかに水を通しにくい排水不良の悪い土であるか、という証明でもあり、なんとなく複雑な気持ちがする。
5月23日、田植え
田植えは、この町の標準時期にぴったり(現在は5月下旬が標準)と合わせることができた。近所のコメ農家と一線に並んでのスタートだ。苗を植える間隔(株間)は、前後左右各30センチ。現代の機械植えよりもずっと広幅にした。
この30センチ株間は、むかし昔の植え付け間隔である。
6月下旬、初期生育が著しく不良
田植えから1か月が過ぎたのだが、稲はとてもとても小さい。この時期、近所の農家の稲と圧倒的な生育差ができてしまった。根付きも甘くて簡単に引き抜けてしまう。このままダメになって枯れていくのかもしれないと心配した。初期生育の不良という問題の発生である。
原因はいくつか思いあたった。
1.土のかわりに堆肥100パーセントを使ったので水中で微生物が大量発生して(赤潮のように一時水が赤くなっていた)酸素欠乏気味になり、根の活着・生長が遅れたこと。
2.ミニ水田なので、昼間温まった水や土が、夜になるとすぐに冷めてしまい、まだまだ寒い北海道の夜間、普通サイズの田んぼより低水温・低地温の状態にさらされて、稲がだいぶ寒がって生長をしていたこと、などなど。
しかし、収穫を終えた今振り返ると、初期生育不良の一番の理由は、「化学肥料をつかっていなかったこと」にほぼ尽きると思っている。
一般に、普通の化学肥料は即効性(すぐ効く)、有機肥料は遅効性(ゆっくり効く)と説明される。
周りの水田では化学肥料ほぼ100パーセント、それに対して硫酸山の田んぼは、有機肥料(中でもとりわけ効きが遅い植物質堆肥)100パーセント。
この肥料選択の違いが、初期生育の違いとして顕著に発現していたのだと思う。
さて、心配したこの初期生育の著しい遅れであるが、結果的には何の問題もなかった。
その後、7月になって草丈も充分に伸び、分けつ(稲の枝分かれ)も十二分になされ、そして予想をはるかに超える収穫ができたのだ。
7月中旬頃から、ぐんぐん草丈が伸びた。
葉色の緑が他の水田の稲よりグッと濃くなってきた。堆肥のチッソ分をどんどん吸収し始めたようだ。
8月、開花
たくさんに分けつ(枝分かれ)した茎から、たくさんの穂が出て花を咲かせた。広々していた30センチの株間は、茎と葉でほとんど埋め尽くされた。稲はとても元気そうに、そして健康そうに見える。
葉色は、さらに緑が濃さを増してきた。濃い緑はチッ素分をどんどん吸収しているという目印。しかし、チッ素肥料が過剰になると、茎や葉ばかりが大きく茂って、倒れやすくなったり、実が少なくなったりする。 今度はそんなことが少し心配になってきた。
9月、頭を垂れる
チッ素過剰の心配は杞憂であった。まわりのコメ農家より1週間遅れて、硫酸山の稲は見事に色づいた。一株一株にはびっくりするくらいたくさんの米粒が実っている。
稲ってすごい植物だなあと、しみじみ思った。
そして、「はじめてのコメ作り」、そのゴールも見えてきた。
周辺では、9月中旬から収穫はじまる。
今年、この町のコメは豊作であった。品質もとても良く、おいしい「らんこし米」がたくさん収穫された。
収穫直前の硫酸山の田んぼ
とても良く実っている。でも、茎は、最後の最後まで緑色を濃く残してしまっていた。
「過剰」ではなかったものの、堆肥からのチッ素は少し「効きすぎ」だったのかもしれない。
10月2日、いよいよ収穫
今年、近所のコメ農家はほとんど9月中に収穫を終えていたが、硫酸山の緑の稲は熟すのに少し時間がかかり、10月に入ってからの収穫となった。収穫完了
小学生の娘は、田植え少々、稲刈り少々、それに脱穀ほんの少々を手伝った。稲の生育中は、ときどき、田んぼでカエルなどつかまえて遊んでいた。
はさ掛け
このようにして、2週間ほど自然乾燥させる。 脱穀 …大正時代の偉大な発明、足踏み脱穀機で。
お隣りからいただいた貴重な「足踏み式脱穀機」。少量の脱穀にぴったりの、石油も電気も必要ない非常にすぐれた実用的な機械である。
脱穀は2時間少々で全て終了した。
40キロ
まだモミのついた状態だが、なんと!40Kgも獲れた。当初の目標は、籾すり後の玄米10〜15Kgだったので、40Kg(計算上では玄米32Kg)は予想外の大収穫であった。
先日、3合のコメを白米にして食べてみた。「初めて自分で作った」という気持ちをふりかけて食べたので、おいしかった。
しかし、客観的には、近所の「すごーくおいしい」らんこし米には、はるかに及んでいなかった、と思う。生育後半でのチッ素の効きがコメのタンパク質含量を高めてしまって、結果、だいぶ食味を落としたと思われる。
今年は「つくること」に意義があったから、これで万々歳なのだが、次作からは「おいしいお米づくり」を追求していきたいと考えている。
コメ作りは、想像以上に簡単で、そして面白かった。
今回、ずっと興味はあったけれど未知であった稲の栽培技術を少し学べたし、それに加えて、主食のコメが自分でつくれるという、自信というか安心というか満足感というか、うまく言えないけれど何かちょっと新しい感覚も手にいれられたような感じがしている。
年々豊かになってきたここ硫酸山で、来年は、さて何をつくってみようかな。
2008年08月23日
くだもの畑のこと。
2004年、極強酸性の荒廃裸地だった硫酸山に、私は嬉々としてたくさんの果樹苗を植え始めた。
多種類のくだものの木に囲まれた暮らしに長いこと憧れを抱いてきたのだが、それまでの「借りている畑(借地)」では、永年作物である果樹を植えることは叶わなかった。自分で長年管理できる土地で自分の果樹を育ててみたい。荒廃地・硫酸山を取得して私が真っ先に取り組んだことのひとつが、長年の憧れであった果樹栽培だったのだ。
そのような最悪の土を、直径80センチの植え穴部分だけ必死に土壌改良し、そこに980円や1280円の小さい苗を植え付けていった。
写真を見ながら今振り返ると、ずいぶん乱暴な植栽をしたものだと思う。そして、ちょっと木に申し訳なくも思う。
酸性硫酸塩土壌の性質と扱い方をだいぶ体得した現在なら、もっと上手な丁寧な土壌改良をし、適切な堆肥をもっともっとふんだんに使い、そして優しく植え付けるだろう。だが、4年前の私は、この土の性状について何も知らず、何もわからず、ただただ試行錯誤してみるしかなかった。だから、硫酸山の果樹園に少し強引に植えられた果樹の根は、人の目に触れることのない土の中で、今も劣悪な土壌環境に相当苦しみ続けているに違いない。
初夏のハスカップやカシスからスタートして今日までずっと、ほぼ途切れることなく、硫酸山果樹園産フルーツが(ほんのちょっとづつ)食卓に彩を添え続けている。
果樹栽培の本に書かれている木の剪定方法は超難解で、その上品目ごとに剪定の手法が異なっている。それは、どこかプロの師匠に弟子入りでもしなければとても習得できそうにないと思えていたし、また、果樹には害虫や病原菌が当然のように続々と襲来して、そしてその防除のためには多種類多数回の農薬散布が不可欠なんだろうなあ、とも考えていた。
果樹栽培は気軽に取り組めるものではない、と、自分の中で勝手なイメージをつくってしまっていたのだ。
自家菜園の無農薬野菜作りと全く同様で、自家用無農薬果樹栽培も、実際はとても簡単なものなのだ、という風に考えが改まり始めている。
毛虫に葉のほとんどを食害されてもサクランボの木は枯れなかったし、実ったスモモの中には、気持の悪い小虫がたくさん潜り込んでもいなかった。
それぞれの果樹の実の付き方をよく観察してみると、本で説明されている難解な剪定方法の意味も、実はごく基本的なルールが述べられているだけということがわかるし、素人にも実行可能な簡単な接ぎ木の技がたくさんあるということも知った。
たとえば、一シーズン限りで毎年ゼロから勝負?する野菜作りに対して、果樹は何十年も生き続ける(生かし続けなければならない)。実をがっぽり実らせ、多くの栄養を果実に使ってしまっては木が弱ってしまうだろうから、人間はそのバランスを考え、若い実を摘み取る(摘果)などして樹勢をコントロールしなければならない。とか、毛虫の食害は葉を失うだけで木を枯らすことはないけれど、ネズミは木の形成層という養分の通路を完全に絶ってしまう致命傷を木にあたえることがあるので人間はその食害を防がなければならない。とか、ここ硫酸山の場合は、冬の豪雪を乗り切るために人間が冬囲いをしてやらなければならない、などなどだ。
見かけは悪く、大きさも形も不揃いで多少は虫にも食われているかもしれない。でも、100%自宅用なのだからそれで一向に構わない。なるべく多種類を栽培し、それらをおいしく育てるワザ、より甘くする裏ワザ、それぞれの最適最高の収穫タイミングなどを体験的に学習していけばよい。
数年後、硫酸山は格別おいしいさまざまなフルーツが初夏から初冬まで食べ放題の状態になっている、かもしれない。ますます楽しみである。
くだもの大好きの娘は、しばしば果樹園を見廻って、それぞれの実の熟れ加減をしっかりチェックしているようだ。カラスもキツネも頭が良くて、おいしい熟れ時・盗み時がとても良くわかっている風なのだが、娘も、カラスたちに負けないくらい頭がいいみたいで、こちらが「明日あたりかな」と考えるそんなタイミングでうまいこと先獲りされてしまう。今はまだ、1本の若木にひとつかふたつしか実のつかない「希少種」も多く、カラスだろうが娘だろうが、先に食べられてしまうと本当にちょっと悔しい。いつか、獲りきれないほどのたわわな結実を迎えるまでは、希少な果実をめぐって、これからもいろいろな生き物とせめぎ合わなければなるまい。
とまあ、そんなことも一切含めて、自家用果樹の栽培は、やはりとても楽しい、のである。
皆さんもいかがですか。

