ところが朝インタフォンがピンポン〜と鳴り、モニターを覗いてみると、制服を着たお巡りさんが立っていました。
あれ!、やばいな、何やったっけ・・・などと頭の中は混乱し、心臓ドキドキさせながら玄関に出ると、若いお巡りさんがバインダー片手に「幾つか質問にお答えいただきたいのですが、よろしいでしょうか」と、笑顔と丁重な言葉なので少し安心しました。
平成12年の12月におきた『世田谷一家殺人事件』の聞き込み調査だったのですが、もう6年以上もの歳月が経っています。
未だ解決していないのですが、現場は私の家からは離れており、ゴールデンウィークにもかかわらず、一軒一軒犯人の着ていたと思われるシャツのイラストのチラシなど見せながら質問されたのですが、若いお巡りさん、本当にご苦労様です。
凶悪事件がとても多くて、私たちの中では事件もすぐ風化してしまいがちなのですが、真面目にコツコツと解決目指して努力されている方もいらっしゃるわけで、頭の下がる思いがします。

さて、世間は大型連休に突入しブログの記事を書こうと思ってもなかなか頭のモードが切り替わりません。
遠出の予定はなく、月あけに歌舞伎を観にゆくことしか今年の連休は予定がないのですが、「モネ」を観に行っても大混雑でしょうし、もう一日くらいどこかへ行きたいなとは思いつつ、何か記事を書こうと思いを巡らしていてハタと思いついたのが、画家の個人名が登場するのはいつ頃だろうかと言うことでした。
高階秀爾氏の「西洋美術史ハンドブック」を読むと、12世紀中頃パリの宮廷を中心としたフランス王領で発祥した「ゴシック美術」のあたりから画家の個人名が登場してきます。
この時代を代表する画家といえばイタリアの「ジョット」くらいしか名前を知らないのですが、渋沢達彦氏の本によく出てくる「ヴァザーリ」の記した「画家・彫刻家・建築家列伝」なる書物があるのですが、1550年に出版され「チマブーエ」から「ミケランジェロ」まで芸術家133人の作品と生涯を記しています。
この書物の先頭に書かれた「チマブーエ」を今回は取り上げてみたのですが、なにしろ全く知らない画家ですし、たぶん知ってる方も少ないのではと思いつつ調べてみたところ、残された作品も少なく「まいったな〜」な気分でとにかく書いてみました。
ホントに西洋絵画史の最初のページを飾る画家の一人なんだ!
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チマブーエ(1240?-1302) イタリアの画家 モザイク職人
本名は「チェンニ・ディ・ペーポ」と言ったそうですが、通称「チマブーエ」は「雄牛の頭」の意味だそうです。
何しろ詳しいことはよくわからないのですが、とても抜きんでた才能を持っていたようで、13世紀末にフィレンツエを中心にして、ローマやアッシジなどで大活躍をしていたことは確かなようです。
イタリアのかの有名な「ダンテ」が、その有名な叙事詩≪神曲≫の「煉獄編第十一歌」に
「チマブーエは絵画の世界の覇者」と謳っています。
ただ高慢な者が落ちる「煉獄編」に謳われていたわけですから、この後に「いまではジオットが名声を得たために前者の影は薄れてしまった。」と続くわけです。
「煉獄」とはキリスト教の概念で「天国」と「地獄」の中間に位置し、少し懲らしめられて反省すれば天国への道が開ける場所のようです。
実際チマブーエは有名画家であることを自負しかなり高慢な態度であったようで、自分の作品が批判されたり自分でも気に入らないとなると、その作品をすぐ破棄してしまうほどに気位が高く、尊大であったといいます。
名声を取って代わられた「ジョット」の師であったという伝承もあります。
ジョットは父親の言い付けで羊番をしていたそうですが、そのとき羊やその周辺の風景を写生していて、偶然通りかかったチマブーエがその絵を見てすぐ自分の所へ引き取ったそうです。
チマブーエの工房でジョットはすぐにその才能を発揮し、あっという間に師に並ぶほどの腕前になったそうです。
有名な逸話に、ジョットが描いたハエの絵はとても写実的で本物だと思ったチマブーエが追い払おうとしたという話が伝えられています。
これでは師匠も弟子に名声を取って代わられても仕方なかったかもしれません。

『壮厳の聖母(マエスタ)』はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されていますが、フィレンツェのサンタ・トリニタ聖堂の主祭壇画として制作されたものだそうです。
この「マエスタ」と言うのは聖母が玉座に座ってる絵を指すそうですが、荘厳とか威厳とかの意味を表すそうで、日本でも「マエストロ」の言葉はよく使われていますね。
この時代は「聖母崇拝」熱が高まってきており、言葉を知らない人たちに教義を教えることが聖像画の目的だという前提に立って、慈愛に満ちた聖母マリアの豊かな表現が遠近法なども駆使して見事に描かれていると高く評価されています。

『十字架のキリスト』は板にテンペラで描かれていますが、現存する数少ない作品の中でももっとも初期に描かれた作品で、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂に所蔵されていますが、1966年にフィレンツェの街を襲った大洪水により色彩が大きく剥落したのですが、長い年月をかけて修復されたそうです。
「ローマ兵士に捕らえられ、十字架へ磔にされるキリストの姿。当時としては他に類をみない程、精神性を含んだ表現」と評されていました。
「ゴシックとルネサンスの橋渡しの位置にあり、西洋絵画史の最初のページを飾る画家の一人」と高い評価を得たチマブーエですが、確実な史実は1272年にローマに滞在し、1302年にピサで死去したことくらいだと言われています。