2009年02月20日
徒然に近代日本画の異端者『川端 龍子』
寒かったり暑かったりと、地球温暖化の影響でしょうか、異常気象と言ってもいいような天候が続いています。
それにここ数日は猛烈に花粉が飛び交ったようです。
嬉しくはないのですが私も一昨年に花粉デビューを果たし、先日は目が痒ゆかったり鼻がムズムズしていました。
まだ軽度の花粉症ですから我慢ができるのですが、私はマスクや帽子のよなものを身につけるのがたいへん苦手なのです。
帽子は以前ゴルフをしていた頃、よほどの雨降りか、真夏の炎天下でなければ絶対にかぶらなかったものです。
それにマスクはほとんどつけて歩いた経験がないのですが、近くで咳をしている人がいたら死にそうになるまで息を止めて、やり過ごすまで我慢してしまうのです。
【南飛図】(屏風二曲一双 各176.0×176.0)

さて、各地から梅祭りの話題が伝わってきはじめましたが、先日行った伊豆・修善寺の梅林もそろそろ満開を迎えているのでしょうか。
この伊豆・修善寺を第二の故郷として、生涯愛し続けた画家に『川端 龍子』がいます。
近代日本画壇にあって、龍子はよく「異端者」「稀有な存在」などと呼ばれていたのですが、そのわけは、この時代の日本画は繊細で巧緻な画風が主力を占めていたのに対して、龍子は展覧会での鑑賞を目的とした『会場主義』あるいは『会場芸術主義』と呼ばれる概念を打ち立て、従来の日本画の常識を打ち破った豪快なあるいは奇抜な発想や着想で文字通りの超大作をものにしてきました。
現代絵画においては、「作品を単体としてではなく、展示する環境と有機的に関連づけることによって構想し、その総体を一つの芸術的空間として呈示する」インスタレーションはごく普通のこととなっていますが、この時代においてはかなりの物議を醸し出したそうです。
また龍子の特徴は大きさだけでなく、描く対象物に対する視点の方向性やその大胆な画面構成にもあります。
この作品、一見古典的な日本画のように思えるのですが、感覚のどこかに何か違った惹き付けられるものを感じます。
深みと味のある濃紺の夜空に月明かりに照らされながら雁の群れが南に向かって飛んでいく場面なのですが、その画家の目はなんと夜空の高みにあり、真上から俯瞰して描いているのです。
このような思いも付かない視点と場面構成が龍子の大きな魅力の一つともなっていると思うのですが、龍子は最初に洋画を志し日本画は独自に修得していっただけに、日本画の伝統は守りつつも、その技法、因習にとらわれず独自の表現方法を模索した結果が、鑑賞者に新鮮な驚きと斬新な趣を与える作品に結実していったのではないかと思います。
ホントに「龍子の前に龍子はなし、龍子の後に龍子はなし」!
・川端 龍子(1885-1966) 和歌山市の生まれ
本名は昇太郎と云い、呉服商の長男として生まれています。
12歳年下に異母弟で俳人でもあった川端茅舎がいますが、龍子もまた「ホトトギス」同人の俳人でもありました。
幼い頃から絵を描くことが好きで、家族が10歳の時東京に移り住んだのを切っ掛けに画家を志し、白馬会洋画研究所そして太平洋画研究所において洋画を学び始めます。
生活のため新聞社(読売新聞→国民新聞社)の挿絵を描きながら、28歳の時、洋画を学ぶため渡米するのすが、ボストン美術館で観た日本古美術「鎌倉時代中期の絵巻『平治物語絵詞』」にすっかり心を奪われ、翌年帰国すると日本画に転向してしまいます。
【使徒所行讃】(三枚一面229.0×506.0)
この作品は呪術者で修験道の開祖とされている役小角(えんのおづぬ)が使っていた前鬼と後鬼を描いたもので、横幅が5メートルを超す大作です。
龍子は30歳にして院展(再興日本美術院展)に初入選し、2年後には院展同人に推されてその地位を固めるものの院展の作風に飽きたらず、展覧会の会場で多くの観衆に訴える力のある作品を目指し、大作による「会場 芸術主義」を掲げて美術院を脱会し、その実現のために自ら「青龍社」を設立しました。
【一天護持】(一面352.0×226.0)
龍子の守り本尊が「不動明王」であったことからも神仏画をよく描いているのですが、この作品、画面の大きさだけでなく、金泥のみで描かれているのにその凄い迫力と云うか画面からほとばしり出るような巨大なエネルギーに圧倒されます。前作に続く「行者道シリーズ」の第二弾なのですが、役小角が地上で苦しむ人達を救う強い神が現れることを祈って一心に経を唱えていたとき、最初が釈迦如来、そして弥勒菩薩、最後に憤怒の形相で炎の中から現れたのがこの蔵王権現であったそうで、修験道の人々に厚く信奉され、蔵王連峰にもみられるように日本各地の霊山に祀られています。
【愛染】(168 x 169)
少し画像が不鮮明で申し訳ないのですが、写実的でありながらも優れた装飾性を示している作品です。
濃い群青の池に紅葉が降り注ぎ、池を鮮やかな深紅に染めあげています。その中をつがいのオシドリが円舞曲を踊るように大きな円を描きながら互いに見つめ合ったその瞬間を見事に切り取っています。
【怒る富士】
龍子59歳の時、妻の夏子が亡くなっています。それに三男の嵩も戦争で亡くし、この頃から自宅に作った持仏堂で毎朝夕に礼拝をおこない、仏教を更に篤く信仰するようになっていったそうです。
この作品は龍子らしくダイナミックで独創的と云うか、遠くにそびえる富士山を背景に、不気味に広がる黒い雲と輝く稲妻を荒々しく描いてます。
強烈な個性と因習にとらわれない龍子の「青龍社」は、多くの門下生を育て次第に院展や官展に肩を並べるほどに成長してゆきます。
【爆弾散華】(一面249.0×188.0)
龍子60歳の時の作品ですが、戦争の末期、自宅が米軍の戦闘機により爆撃されたのですが、その直後に庭の様子を描いたものです。
第一印象ではそんな風景とは思えないのですが、千切れて飛び散る葉っぱに「破壊の瞬間」を切り取ったもので、タイトルの「散華」とは、「戦死の美称」でもありまた「仏前に花をまいて供養礼拝する」意味でもあるそうです。
【獺祭(だつさい)】
龍子はユーモア溢れる作品も沢山描いています。自分を河童に見立てて人間世界を面白く描いたものや、この作品のように獺(かわうそ)に法衣を着せて僧侶に見立て、捕らえたナマズや鯉など魚を岸に並べて、食べる前に供養でもしているかのように描いています。
次の歳、龍子65歳の時ですが、亡くなった妻と息子の供養のために6年をかけて四国八十八ヵ所巡礼を始め、各所で淡彩のスケッチと俳句を残し、後に画文集「四国遍路」として出版されています。
【やすらい】(242×728)
この作品は密教の本尊仏として「千年近くも孔雀の背に端座」されていた「孔雀明王」を描いたものですが、明王はクジャクに乗っているのが普通です。
特に妻子を亡くしてからの龍子は仏教に対する信仰心も篤くなっていたのですが、「千年もの長きにわたって孔雀にお乗りになっていてはお疲れでしょう。乗せている孔雀も休みたいでしょう」と龍子は思い「ちょっと休息もいかがでしょうか」と描いたものです。
龍子に応えるかのように、孔雀明王の安らいだ表情が印象的です。
【龍子垣】
龍子は59歳の時に伊豆の修善寺に別荘を構えており、この別荘を「青々居」と名付けていたのですが、第二のふる里として生涯にわたってこの修善寺の地を愛し、また当時を代表する多くの日本画家達も集って親交を温めていました。
この作品はその別荘「青々居」の玄関先にあった竹垣を描いたものですが、太い竹に藤の花と梅の花が季節を超えて描かれています。
【孫悟空】(243 x 728)
龍子は74歳の時に文化勲章を受章しており、その3年後に描かれたのがこの作品です。
龍子の作風はスケールが大きく流動感溢れた豪快さがあり、独創性や色鮮やかなことなどに特徴があると云われますが、そんな意味でこの作品見ごたえがあります。
龍子は生涯にわたり精力的に活動を続け、最晩年には池上本門寺祖師堂の天井画「龍」の作成のも情熱を注いでいました。
また龍子のおこした「青龍社」も大いに人気を集め、院展や日展と並ぶまでに成長したのですが、なんと云っても龍子の存在が大きすぎたのか続く者がなく、80歳で老衰のため亡くなると、その没後には解散しています。
掲載画像が小さいので、大作のスケールが分かりづらいかも知れませんが、その分、今回はできるだけ数多く掲載してみました。
それにここ数日は猛烈に花粉が飛び交ったようです。
嬉しくはないのですが私も一昨年に花粉デビューを果たし、先日は目が痒ゆかったり鼻がムズムズしていました。
まだ軽度の花粉症ですから我慢ができるのですが、私はマスクや帽子のよなものを身につけるのがたいへん苦手なのです。
帽子は以前ゴルフをしていた頃、よほどの雨降りか、真夏の炎天下でなければ絶対にかぶらなかったものです。
それにマスクはほとんどつけて歩いた経験がないのですが、近くで咳をしている人がいたら死にそうになるまで息を止めて、やり過ごすまで我慢してしまうのです。
【南飛図】(屏風二曲一双 各176.0×176.0)

さて、各地から梅祭りの話題が伝わってきはじめましたが、先日行った伊豆・修善寺の梅林もそろそろ満開を迎えているのでしょうか。
この伊豆・修善寺を第二の故郷として、生涯愛し続けた画家に『川端 龍子』がいます。
近代日本画壇にあって、龍子はよく「異端者」「稀有な存在」などと呼ばれていたのですが、そのわけは、この時代の日本画は繊細で巧緻な画風が主力を占めていたのに対して、龍子は展覧会での鑑賞を目的とした『会場主義』あるいは『会場芸術主義』と呼ばれる概念を打ち立て、従来の日本画の常識を打ち破った豪快なあるいは奇抜な発想や着想で文字通りの超大作をものにしてきました。
現代絵画においては、「作品を単体としてではなく、展示する環境と有機的に関連づけることによって構想し、その総体を一つの芸術的空間として呈示する」インスタレーションはごく普通のこととなっていますが、この時代においてはかなりの物議を醸し出したそうです。
また龍子の特徴は大きさだけでなく、描く対象物に対する視点の方向性やその大胆な画面構成にもあります。
この作品、一見古典的な日本画のように思えるのですが、感覚のどこかに何か違った惹き付けられるものを感じます。
深みと味のある濃紺の夜空に月明かりに照らされながら雁の群れが南に向かって飛んでいく場面なのですが、その画家の目はなんと夜空の高みにあり、真上から俯瞰して描いているのです。
このような思いも付かない視点と場面構成が龍子の大きな魅力の一つともなっていると思うのですが、龍子は最初に洋画を志し日本画は独自に修得していっただけに、日本画の伝統は守りつつも、その技法、因習にとらわれず独自の表現方法を模索した結果が、鑑賞者に新鮮な驚きと斬新な趣を与える作品に結実していったのではないかと思います。
ホントに「龍子の前に龍子はなし、龍子の後に龍子はなし」!
・川端 龍子(1885-1966) 和歌山市の生まれ
本名は昇太郎と云い、呉服商の長男として生まれています。
12歳年下に異母弟で俳人でもあった川端茅舎がいますが、龍子もまた「ホトトギス」同人の俳人でもありました。幼い頃から絵を描くことが好きで、家族が10歳の時東京に移り住んだのを切っ掛けに画家を志し、白馬会洋画研究所そして太平洋画研究所において洋画を学び始めます。
生活のため新聞社(読売新聞→国民新聞社)の挿絵を描きながら、28歳の時、洋画を学ぶため渡米するのすが、ボストン美術館で観た日本古美術「鎌倉時代中期の絵巻『平治物語絵詞』」にすっかり心を奪われ、翌年帰国すると日本画に転向してしまいます。
【使徒所行讃】(三枚一面229.0×506.0)
この作品は呪術者で修験道の開祖とされている役小角(えんのおづぬ)が使っていた前鬼と後鬼を描いたもので、横幅が5メートルを超す大作です。 龍子は30歳にして院展(再興日本美術院展)に初入選し、2年後には院展同人に推されてその地位を固めるものの院展の作風に飽きたらず、展覧会の会場で多くの観衆に訴える力のある作品を目指し、大作による「会場 芸術主義」を掲げて美術院を脱会し、その実現のために自ら「青龍社」を設立しました。
【一天護持】(一面352.0×226.0)
龍子の守り本尊が「不動明王」であったことからも神仏画をよく描いているのですが、この作品、画面の大きさだけでなく、金泥のみで描かれているのにその凄い迫力と云うか画面からほとばしり出るような巨大なエネルギーに圧倒されます。前作に続く「行者道シリーズ」の第二弾なのですが、役小角が地上で苦しむ人達を救う強い神が現れることを祈って一心に経を唱えていたとき、最初が釈迦如来、そして弥勒菩薩、最後に憤怒の形相で炎の中から現れたのがこの蔵王権現であったそうで、修験道の人々に厚く信奉され、蔵王連峰にもみられるように日本各地の霊山に祀られています。【愛染】(168 x 169)
少し画像が不鮮明で申し訳ないのですが、写実的でありながらも優れた装飾性を示している作品です。濃い群青の池に紅葉が降り注ぎ、池を鮮やかな深紅に染めあげています。その中をつがいのオシドリが円舞曲を踊るように大きな円を描きながら互いに見つめ合ったその瞬間を見事に切り取っています。
【怒る富士】
龍子59歳の時、妻の夏子が亡くなっています。それに三男の嵩も戦争で亡くし、この頃から自宅に作った持仏堂で毎朝夕に礼拝をおこない、仏教を更に篤く信仰するようになっていったそうです。この作品は龍子らしくダイナミックで独創的と云うか、遠くにそびえる富士山を背景に、不気味に広がる黒い雲と輝く稲妻を荒々しく描いてます。
強烈な個性と因習にとらわれない龍子の「青龍社」は、多くの門下生を育て次第に院展や官展に肩を並べるほどに成長してゆきます。
【爆弾散華】(一面249.0×188.0)
龍子60歳の時の作品ですが、戦争の末期、自宅が米軍の戦闘機により爆撃されたのですが、その直後に庭の様子を描いたものです。第一印象ではそんな風景とは思えないのですが、千切れて飛び散る葉っぱに「破壊の瞬間」を切り取ったもので、タイトルの「散華」とは、「戦死の美称」でもありまた「仏前に花をまいて供養礼拝する」意味でもあるそうです。
【獺祭(だつさい)】
龍子はユーモア溢れる作品も沢山描いています。自分を河童に見立てて人間世界を面白く描いたものや、この作品のように獺(かわうそ)に法衣を着せて僧侶に見立て、捕らえたナマズや鯉など魚を岸に並べて、食べる前に供養でもしているかのように描いています。次の歳、龍子65歳の時ですが、亡くなった妻と息子の供養のために6年をかけて四国八十八ヵ所巡礼を始め、各所で淡彩のスケッチと俳句を残し、後に画文集「四国遍路」として出版されています。
【やすらい】(242×728)
この作品は密教の本尊仏として「千年近くも孔雀の背に端座」されていた「孔雀明王」を描いたものですが、明王はクジャクに乗っているのが普通です。特に妻子を亡くしてからの龍子は仏教に対する信仰心も篤くなっていたのですが、「千年もの長きにわたって孔雀にお乗りになっていてはお疲れでしょう。乗せている孔雀も休みたいでしょう」と龍子は思い「ちょっと休息もいかがでしょうか」と描いたものです。
龍子に応えるかのように、孔雀明王の安らいだ表情が印象的です。
【龍子垣】
龍子は59歳の時に伊豆の修善寺に別荘を構えており、この別荘を「青々居」と名付けていたのですが、第二のふる里として生涯にわたってこの修善寺の地を愛し、また当時を代表する多くの日本画家達も集って親交を温めていました。この作品はその別荘「青々居」の玄関先にあった竹垣を描いたものですが、太い竹に藤の花と梅の花が季節を超えて描かれています。
【孫悟空】(243 x 728)
龍子は74歳の時に文化勲章を受章しており、その3年後に描かれたのがこの作品です。龍子の作風はスケールが大きく流動感溢れた豪快さがあり、独創性や色鮮やかなことなどに特徴があると云われますが、そんな意味でこの作品見ごたえがあります。
龍子は生涯にわたり精力的に活動を続け、最晩年には池上本門寺祖師堂の天井画「龍」の作成のも情熱を注いでいました。
また龍子のおこした「青龍社」も大いに人気を集め、院展や日展と並ぶまでに成長したのですが、なんと云っても龍子の存在が大きすぎたのか続く者がなく、80歳で老衰のため亡くなると、その没後には解散しています。
掲載画像が小さいので、大作のスケールが分かりづらいかも知れませんが、その分、今回はできるだけ数多く掲載してみました。
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この記事へのコメント
あら、失礼しました龍子とありましたので
てっきり・・・女流画家かと
洋画からリターンしたのですね
私も海外旅行をするようになってから
日本の伝統文化の誉れを強く感じます
海外移民された古い日本人ほど
日本にずーっと住まう老人よりも
日本人らしい。。と
その姿をTVで拝見をすると感慨深いものもあります
故郷は遠くにあれば愛しくなるのでしょうか?
さて、彼の構図を見てまして
和服の柄のようだなと考えました
大胆かつ和心のある
大きな空間に飾り栄えのする作品なのですね
てっきり・・・女流画家かと
洋画からリターンしたのですね
私も海外旅行をするようになってから
日本の伝統文化の誉れを強く感じます
海外移民された古い日本人ほど
日本にずーっと住まう老人よりも
日本人らしい。。と
その姿をTVで拝見をすると感慨深いものもあります
故郷は遠くにあれば愛しくなるのでしょうか?
さて、彼の構図を見てまして
和服の柄のようだなと考えました
大胆かつ和心のある
大きな空間に飾り栄えのする作品なのですね
Posted by プリュム at 2009年02月21日 17:02
【南飛図】に目を惹かれました。
大胆さと繊細さがこんなにも見事に同居しているなんて
素晴らしいですね。
背景の青の深みもさることながら、
ぼんやりと下のかけた月が静けさを強調して
羽の音だけが聞こえてくるような気分です。
それから【爆弾散華】は線の美しさ、色の美しさが
とても心に残りました。
無残に引きちぎられているのに鮮やかですね・・・
大胆さと繊細さがこんなにも見事に同居しているなんて
素晴らしいですね。
背景の青の深みもさることながら、
ぼんやりと下のかけた月が静けさを強調して
羽の音だけが聞こえてくるような気分です。
それから【爆弾散華】は線の美しさ、色の美しさが
とても心に残りました。
無残に引きちぎられているのに鮮やかですね・・・
Posted by atsuko at 2009年02月22日 21:59
こんにちは♪
せきさまの解説が素晴らしいせいもあると思います
【怒る富士】以降の作品にどんどん惹きこまれていくのを感じました
全て素晴らしいと感じましたがなかでもとりわけ理不尽な出来事への怒りを
素晴らしい作品に昇華したかのような【怒る富士】と
優しさに溢れた【やすらい】に惹かれます
こういった絵は、素晴らしいと感じてもなにやらとっつきにくい雰囲気も同時に感じるものなのですけど、なにやら人間臭さや洒脱な雰囲気が素敵で、気持ちがいい作品ですね
流石です!
ところで、私、明日は所要で東京に参ります
時間が限られているので、穴場の美術スポットを散策してくる予定です^^
せきさまの解説が素晴らしいせいもあると思います
【怒る富士】以降の作品にどんどん惹きこまれていくのを感じました
全て素晴らしいと感じましたがなかでもとりわけ理不尽な出来事への怒りを
素晴らしい作品に昇華したかのような【怒る富士】と
優しさに溢れた【やすらい】に惹かれます
こういった絵は、素晴らしいと感じてもなにやらとっつきにくい雰囲気も同時に感じるものなのですけど、なにやら人間臭さや洒脱な雰囲気が素敵で、気持ちがいい作品ですね
流石です!
ところで、私、明日は所要で東京に参ります
時間が限られているので、穴場の美術スポットを散策してくる予定です^^
Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2009年02月23日 10:21
☆プリュムさん、こんにちは。
少々ブログサボってまして、お返事遅くなり申し訳ありません。
「龍子」たしかに「たつこ」と読む方が自然でしょうね^^
タツノオトシゴの意味だったのでしょうか。
でもその作品はスケールが大きくて、猛々しかったり勇壮であったりと、いわゆる男性的ですよね。
アメリカで日本の文化に触れて日本画に目覚めるといったお話しも龍子らしいのかも知れません。
やはり「ふる里は遠きにありて・・・」は真理なのでしょうか。
仰るように龍子の作品、【愛染】にしても【爆弾散華】、【やすらい】それに【龍子垣】にしても、留袖や訪問着の裾模様にピッタリかも知れませんね。
少々ブログサボってまして、お返事遅くなり申し訳ありません。
「龍子」たしかに「たつこ」と読む方が自然でしょうね^^
タツノオトシゴの意味だったのでしょうか。
でもその作品はスケールが大きくて、猛々しかったり勇壮であったりと、いわゆる男性的ですよね。
アメリカで日本の文化に触れて日本画に目覚めるといったお話しも龍子らしいのかも知れません。
やはり「ふる里は遠きにありて・・・」は真理なのでしょうか。
仰るように龍子の作品、【愛染】にしても【爆弾散華】、【やすらい】それに【龍子垣】にしても、留袖や訪問着の裾模様にピッタリかも知れませんね。
Posted by sekisindho at 2009年02月23日 22:48
☆atsukoさん、こんにちは。
【南飛図】、これいいですよね。
色彩も構図も素晴らしくて、今回の冒頭の画像はまったく迷わず選ぶことができましたよ。
それに【爆弾散華】
最初見たとき金箔をまき散らしたような部分、なんだかよく分からなかったのですけど、画題と千切れて飛び散る葉を見てるうちに、衝撃を感じました。
それに爆撃を受けながら描いたのではないのでしょうけど、その瞬間を目に焼き付け、絵筆に伝える画家の凄さも痛感させられましたよ。
戦死した息子さんがきっとダブっていたのではなどとも思いました。
【南飛図】、これいいですよね。
色彩も構図も素晴らしくて、今回の冒頭の画像はまったく迷わず選ぶことができましたよ。
それに【爆弾散華】
最初見たとき金箔をまき散らしたような部分、なんだかよく分からなかったのですけど、画題と千切れて飛び散る葉を見てるうちに、衝撃を感じました。
それに爆撃を受けながら描いたのではないのでしょうけど、その瞬間を目に焼き付け、絵筆に伝える画家の凄さも痛感させられましたよ。
戦死した息子さんがきっとダブっていたのではなどとも思いました。
Posted by sekisindho at 2009年02月23日 23:01
☆マロニエのこみちさん、こんにちは。
【やすらい】いいでしょ。
龍子の「ちょっと休息もいかがでしょうか」と云って、孔雀の背中から降ろして、孔雀明王を休ませてあげる発想といい、それに応える孔雀明王の表情、態度といい観ている私も心休まる作品だと思います。
掲載しなかった【義経(ジンギスカン)】と云う作品があるのですけど、駱駝が描かれていて【孫悟空】とどちらを掲載しようかと随分迷いました。
特に晩年の作品は楽しいものが多いですよ。
ところで明日は東京にいらっしゃるのですね。
お時間があればぜひご連絡ください。
歓迎いたしますよ!
【やすらい】いいでしょ。
龍子の「ちょっと休息もいかがでしょうか」と云って、孔雀の背中から降ろして、孔雀明王を休ませてあげる発想といい、それに応える孔雀明王の表情、態度といい観ている私も心休まる作品だと思います。
掲載しなかった【義経(ジンギスカン)】と云う作品があるのですけど、駱駝が描かれていて【孫悟空】とどちらを掲載しようかと随分迷いました。
特に晩年の作品は楽しいものが多いですよ。
ところで明日は東京にいらっしゃるのですね。
お時間があればぜひご連絡ください。
歓迎いたしますよ!
Posted by sekisindho at 2009年02月23日 23:12
sekisindhoさん、おはようございます♪
爆弾散華に衝撃的な感銘を受けました。
画家にとっての戦争は、見たくもない光景の連続。おぞましい地獄絵図の連続だったのではないかと推測します。
しかし、飛び散りながらもなお、壮絶に美しい植物を描いた。その美意識。
これもまた、実に大作なのですね。絵の前に立ったら、鳥肌もんだと思いました。
爆弾散華に衝撃的な感銘を受けました。
画家にとっての戦争は、見たくもない光景の連続。おぞましい地獄絵図の連続だったのではないかと推測します。
しかし、飛び散りながらもなお、壮絶に美しい植物を描いた。その美意識。
これもまた、実に大作なのですね。絵の前に立ったら、鳥肌もんだと思いました。
Posted by 蝶々 at 2009年02月24日 07:28
こんばんわ。
今回のエントリーで掲載されている川端龍子の作品のうち何点か、展覧会で見ましたよ。
その時は他の画家の絵と共に展示された多くの作品の中に埋没していてあまり印象に残っていなかったのですが、このエントリーを見て、自分が実物を見ていた事を思い出しました。
でも、改めて見ると面白いですねぇ。どの絵も構図と色彩に惹き付けられます。
せっかく実物を見る機会が有ったのに記憶が曖昧だなんて。もっとよく見ておけば良かったと後悔。
今回のエントリーで掲載されている川端龍子の作品のうち何点か、展覧会で見ましたよ。
その時は他の画家の絵と共に展示された多くの作品の中に埋没していてあまり印象に残っていなかったのですが、このエントリーを見て、自分が実物を見ていた事を思い出しました。
でも、改めて見ると面白いですねぇ。どの絵も構図と色彩に惹き付けられます。
せっかく実物を見る機会が有ったのに記憶が曖昧だなんて。もっとよく見ておけば良かったと後悔。
Posted by みやび at 2009年02月24日 23:10
sekiさん おはようございます。
異常気象の影響でしょうか、京都はせっかくの梅花祭だというのに雨。梅花弁も鶯を真似て泣きたいでしょうよ、というほどの雨で、今週ずーっとグズグズしてます。
昇太郎こと川端龍子さん、昇り竜のお名前に負けない視点、構図、ダイナミックな感性ですね。
巧い役者さんは自らが絵になるよう、監督さんは全体の風景、プロデューサーさんは空撮の気質をそれぞれお持ちだなぁと私なりに分析(笑)して、拝見したりお話を伺ったりするのですが、川端龍子さんはどの絵の切り口も空撮の視点、それも魅せ方を知る敏腕PD気質をお持ちだったなぁと。
龍子のおこした「青龍社」が龍子と友に自然消滅したことも、私はそれでよし、うんうん、それがいいよ、とひとり納得しています。(ははは)
異常気象の影響でしょうか、京都はせっかくの梅花祭だというのに雨。梅花弁も鶯を真似て泣きたいでしょうよ、というほどの雨で、今週ずーっとグズグズしてます。
昇太郎こと川端龍子さん、昇り竜のお名前に負けない視点、構図、ダイナミックな感性ですね。
巧い役者さんは自らが絵になるよう、監督さんは全体の風景、プロデューサーさんは空撮の気質をそれぞれお持ちだなぁと私なりに分析(笑)して、拝見したりお話を伺ったりするのですが、川端龍子さんはどの絵の切り口も空撮の視点、それも魅せ方を知る敏腕PD気質をお持ちだったなぁと。
龍子のおこした「青龍社」が龍子と友に自然消滅したことも、私はそれでよし、うんうん、それがいいよ、とひとり納得しています。(ははは)
Posted by futaba at 2009年02月25日 10:02
こんばんは
龍子はまた好きな画家です。
現代日本画の直接の先祖のような、巨大な作品がメインの方ですが、作品には情緒があり、とても素敵です。
西馬込の記念館と自邸に何度か参りましたが、桜の頃はご近所が一斉に共同花見をされてました。
もしかすると、ご機嫌な龍子もその昔、その輪に加わっていたかも、と勝手に想像しています。
爆弾散華の跡地は小さい池になってましたよ。
わたしは龍子の「夢」がベストです。
奥州四代の栄華の果て・・・
龍子はまた好きな画家です。
現代日本画の直接の先祖のような、巨大な作品がメインの方ですが、作品には情緒があり、とても素敵です。
西馬込の記念館と自邸に何度か参りましたが、桜の頃はご近所が一斉に共同花見をされてました。
もしかすると、ご機嫌な龍子もその昔、その輪に加わっていたかも、と勝手に想像しています。
爆弾散華の跡地は小さい池になってましたよ。
わたしは龍子の「夢」がベストです。
奥州四代の栄華の果て・・・
Posted by 遊行七恵 at 2009年02月25日 23:35
☆蝶々さん、こんにちは。
いつもコメント有り難うございます。
爆弾散華は龍子にとって、戦争でお国のために名誉の戦死をした息子への気持ちと、うらはらに無念に思う父親の供養の気持ちをダブらせて描いたのでしょうか。
このあとより信仰心が深くなっていったことを考えると、千切れて飛び散った葉っぱがより衝撃的に眼を捉え、悲惨な心情を感じさせてくれるようです。
いつもコメント有り難うございます。
爆弾散華は龍子にとって、戦争でお国のために名誉の戦死をした息子への気持ちと、うらはらに無念に思う父親の供養の気持ちをダブらせて描いたのでしょうか。
このあとより信仰心が深くなっていったことを考えると、千切れて飛び散った葉っぱがより衝撃的に眼を捉え、悲惨な心情を感じさせてくれるようです。
Posted by sekisindho at 2009年02月25日 23:39
◎みやびさん、こんばんは。
実際にこれらの大作をご覧になっていたのですね。
まわりの作品も大きなものが多かったのでしょうか。
でも何人もの画家達の作品が展示されていると、その時の関心のあり方によっては印象の薄いものも出てきますよね。
龍子はその色彩感覚も構図も素晴らしいですから、一度関心を持つときっと記憶に残る画家ではないかと思います。
実際にこれらの大作をご覧になっていたのですね。
まわりの作品も大きなものが多かったのでしょうか。
でも何人もの画家達の作品が展示されていると、その時の関心のあり方によっては印象の薄いものも出てきますよね。
龍子はその色彩感覚も構図も素晴らしいですから、一度関心を持つときっと記憶に残る画家ではないかと思います。
Posted by sekisindho at 2009年02月25日 23:57
☆futabaさん、こんにちは。
ホントに東京地方もここのところ雨が多くて、梅はもう満開ですけどなかなか春を感じさせてくれませんよ。
龍子の描いた「龍」の作品も掲載したかったのですけど、私が幼かった頃に父親が凧を作ってくれて描いてくれた龍を思い出したりして、つい掲載しそこないましたよ。
しかしどの作品を観ても「視点、構図、ダイナミックな感性」凄いです。
流石に映画の街・太秦のfutabaさんだけに、監督やPD、役者さん達とお話になる機会も多いのですね。
>空撮の視点、それも魅せ方を知る敏腕PD気質
それに「青龍社」の解散のことも、すごく納得できますよ。私も^^
ホントに東京地方もここのところ雨が多くて、梅はもう満開ですけどなかなか春を感じさせてくれませんよ。
龍子の描いた「龍」の作品も掲載したかったのですけど、私が幼かった頃に父親が凧を作ってくれて描いてくれた龍を思い出したりして、つい掲載しそこないましたよ。
しかしどの作品を観ても「視点、構図、ダイナミックな感性」凄いです。
流石に映画の街・太秦のfutabaさんだけに、監督やPD、役者さん達とお話になる機会も多いのですね。
>空撮の視点、それも魅せ方を知る敏腕PD気質
それに「青龍社」の解散のことも、すごく納得できますよ。私も^^
Posted by sekisindho at 2009年02月26日 00:13
☆遊行七恵さん、こんばんは。
お疲れ様でした。楽しいハイカイをなさってきたようで、疲れはまったくなさそうですよね^^
>西馬込の記念館と自邸に何度か参りました
やはりよくご覧になってますね(驚
東京にいながら出不精の私としては反省ばかりで、少しは七恵さんを見習えばいいのですけど(^_^;)
「夢」は奥州藤原氏のミイラから発想されたものでしょうか。
作品の背景をもっと知っていればよかったのですけど、教えていただいてやっと蝶の舞ってる意味が分かりました。
まだまだ勉強が足りませんよね。
>奥州四代の栄華の果て・・・
これでしっかり印象に留めることができましたよ。
有り難うございます。
お疲れ様でした。楽しいハイカイをなさってきたようで、疲れはまったくなさそうですよね^^
>西馬込の記念館と自邸に何度か参りました
やはりよくご覧になってますね(驚
東京にいながら出不精の私としては反省ばかりで、少しは七恵さんを見習えばいいのですけど(^_^;)
「夢」は奥州藤原氏のミイラから発想されたものでしょうか。
作品の背景をもっと知っていればよかったのですけど、教えていただいてやっと蝶の舞ってる意味が分かりました。
まだまだ勉強が足りませんよね。
>奥州四代の栄華の果て・・・
これでしっかり印象に留めることができましたよ。
有り難うございます。
Posted by sekisindho at 2009年02月26日 00:23

