2012年05月17日

徒然に「廃墟のロベール」と呼ばれた『ユベール・ロベール』

最近本屋さんに行くと、村上春樹氏の長編小説『1Q84』(イチキュウハチヨン)の文庫本が山積みにされています。
初めて単行本でこの本が発売されたとき、そのタイトルを見て、『IQ84』(アイキュウ84)と見間違え、「アルジャーノンには勝てないけど、84なら勝てそうだ」と馬鹿な思い違いをしたことがありました。
イギリスの作家ジョージ・オーウェルの『1984年』は「近未来」を描き、反全体主義のバイブルとしてと評価されて人気を博した小説なのですが、『1Q84』は村上氏がそれを土台に「近過去」を小説に仕上げたものといわれます。
村上春樹氏と云えば、25年ほど前に「100パーセントの恋愛小説」と銘うった『ノルウェイの森』が430万部も売れて、一躍「村上春樹ブーム」を巻き起こし、その後もチェコのフランツ・カフカ賞やイスラエルのエルサレム賞を受賞し、「海外で評価される日本人」としてなにかと話題になっていた記憶があるものの、『ノルウェイの森』を読んで以来、まったくその作品を手にすることはなかったのですが、本屋であの山積みの本を見ている内に、つい手が出てしまい買ってしまいました。
読まれた方、読んでらっしゃる方も多いと思いますが、現在文庫本で発刊されているのは1〜4までで、文章自体はとても平易で読みやすく面白いのですが、内容はなかなかに難解な感じもしています。
主な登場人物に青豆(青豆雅美)と天吾(川奈 天吾)と云う風変わりな名前の男女がおり、最初はこの二人を中心の物語が交互に展開されてゆきます。
内容は実際に本を読んでいただくとして、「1Q84」年を象徴する、あるいはその意味を知る描写として、月が二つ浮かんでいる風景が描かれています。
一つは我々が実際によく見る兎が餅つきをしているお月様ですが、もう一つは少し小さくて緑がかった色をしているそうです。
最近夜道を歩いていて時々もう一つの月を探してしまうのですが、幸か不幸かいまだに見かけたことはありません。

凱旋橋


前段が長くなってしまいましたが、古代遺跡と現在の人物を一緒に描いたり、まったく違った遺跡を組み合わせるなど、古代のモティーフと自由な想像力で風景を描き人気を博した画家、『ユベール・ロベール』を取り上げてみました。
この画家の名前を声に出してみると、語呂合わせのようで、優美でなめらかで、まるでパステルのプリンを食べたような気分になります。
ロベールが活躍したのは18世紀のフランス革命の前後に当たる訳ですが、ルイ16世の威光と、ポンペイやヘルクラネウムの遺跡の発見、発掘でヨーロッパ中が沸きかえり、古代への憧憬が高まっていた時代でした。
ロベールは長い期間イタリアに留学し、その後、古代遺跡や歴史的建造物を題材に、自由な発想でそれらを組み合わせ、空想的な風景画を描いて人気を博しました。
さらに画業だけでなく庭園の設計にも才能を発揮し、ヴェルサイユ宮殿の庭園改造をはじめ、従来の幾何学式庭園ではなく自然を取り入れたイギリス式庭園を設計するなど、革命前の王室や貴族のために理想的風景の庭園デザインをおこなっています。
ヴェルサイユ宮殿の「アポロンの水浴の木立」や王妃マリー・アントワネットのアモー(小村落)なども手がけており、「国王の庭園デザイナー」という称号も得ていたそうです。

ホントに自然と人工、空想と現実の融合は!
   
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2012年02月12日

徒然にアメリカの良心と云われた『グランマ・モーゼス』

その後のスマホですが、だいぶ扱いには慣れてきました。
スマホは両手を使えばたいへん扱いやすいのですけど、私は片手にクラッチバックを抱えていることが多いので、片手で操作するときはまだけっこう苦戦します。
先日、以前の携帯に保存されてた画像を赤外線送信で受信してみたのですが、受信は上手くいったものの、ファイル形式(vnt形式)が違うためか、画像を再生することができませんでした。
そこで色々遊んでみた結果、いったんスマホから画像ファイルをパソコンに送信し、パソコン上でJPG形式に変換するとうまくゆきました。
Bluetoothを使えばそのままスマホで見られる画像を送信できると後で知ったのですが、まだまだいろんな可能性があるようで、最近ではカレンダーがすっかり手帳代わりになりましたし、便利そうなアプリを少しずつインストールして可能性を探しています。
老後の楽しみが一つ増えたような気分です^^

イメージ6ところで老後といえば、75歳になってから初めて絵筆をとり、アメリカで一番慕われ、有名になった女性の画家『グランマ・モーゼス』を今回は取り上げてみました。
前回の『鴨居 玲』とはいろんな意味で対照的な画家ですが、アメリカの東部の農村の生活や行事、労働風景や結婚式など、確かに存在した古き良きアメリカを素朴にして、季節感に溢れた暖かな作品をメルヘンチックに描き出し、当時の大統領であったトルーマンにはお茶に招かれ、アイゼンハワー大統領からは星条旗を贈られ、ケネディ大統領とは文通をしたそうで、『グランマ・モーゼス』、その呼び名の通り「モーゼスおばあちゃん」と親しみを込めてアメリカ中の人々に慕われたのです。
もちろん「ライフ」や「タイム」「ニューヨーク・タイムズ」などの表紙を飾ることにもなり、アメリカ全土で個展もたびたび開かれ超売れっ子の画家となったのですが、しかし
グランマ・モーゼスはそんな名声に踊ることなく、少しもそれまでの生活態度を変えず、飄々として制作に励んだといいます。
モーゼスの作品はよくアンリ・ルソーと同じく「素朴派」とかプリミティブなどと云われますが、モーゼス自身はそんなことにはまったく関係なく、また高度なテクニックや卓越した筆捌きといったものにも無関心で、自分の身の回りを俯瞰したような視線の中に、森の緑や雪景色、人々や動物の姿を、生き生きとしかも素朴で暖かい叙情性豊かに、描きたいように描いていただけなのでした。
ただ、モーゼスの描いた世界は、現実の風景を見て描いたものではありませんでした。
モーゼスが絵を描き始めた頃というのは、ウオール街の株価大暴落により引き起こされた大恐慌の時代で、農民は家と土地を捨て都会に出てゆき、さらに農業の近代化によって、昔ながらの農民の生活や田園風景はすでに失われつつあったのです。
モーゼスは、収集していた昔の新聞写真の切り抜きや、農機具などの写真やイラスト資料などを記憶の助けとして、失われていった懐かしくも美しい昔の風景をキャンバスの上に再現していったのです。

ホントに古希の手習いナイスです!

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2011年12月18日

徒然に英国上流社会の華麗なモードを描いた『ジェームズ・ティソ』

人形浄瑠璃の三大傑作といえば『菅原伝授手習鑑』と『義経千本桜』そして『仮名手本忠臣蔵』と云われていますが、師走もこの時期になりますと、12月14日(旧暦)に決行された仇討ちで有名な『赤穂浪士、四十七士』『忠臣蔵』が話題に上ります。
物語はご存知のように、元禄14年に勅使饗応役に任命された浅野内匠頭が、江戸城内の松の廊下で高家肝煎・吉良義央、「この間の遺恨覚えたるか」と切りつけた刃傷沙汰により、内匠頭の即日切腹と赤穂浅野家の断絶という厳しい処分が下され、喧嘩両成敗とならずに吉良上野介はおとがめなしとなった事件で、赤穂浅野家国家老・大石内蔵助をはじめとする赤穂四十七士によって、本所・吉良邸への討ち入りを果たして本懐を遂げ、その浪士たちは切腹となったお話です。
歌舞伎での『仮名手本忠臣蔵』は、江戸時代、江戸幕府から同時代の武家社会の事件を上演することは禁じられていたため、時代や浪士の名前を変えています。
たとえば時代は太平記の時代を舞台とし、浅野内匠頭を塩冶判官、吉良上野介を高師直、大石内蔵助を大星由良助などとしています。
ちなみに、終戦直後の連合国占領下でも、封建制の道徳観が民主化の妨げになるとして出版や講演を禁止していましたが、この刃傷沙汰の原因がハッキリしていないこともあり、いろんな解釈の作品が書かれたり演じられたりしています。
先日、加藤廣「謎手本忠臣蔵(新潮出版)を読んだのですが、本来悪役のイメージが強いお側ご用人・柳沢吉保と昼行灯と云われた大石内蔵助を主人公にして、刃傷沙汰をおこした浅野内匠頭の怒りの理由を謎解きする面白い作品で、上中下の文庫本ですけど、1週間で読み切りました。
TVドラマではお正月に、舘ひろしの大石内蔵助で放送されるようです。

船上の女性ところで、忠臣蔵にはまったく関係ないのですけど、前回のジェローム作品のエロスパワーに対して、同じ時代に活躍しながら、気品と優雅さに満ちた華麗な風俗画や肖像画、特に上流階級の婦人たちを愛らしく、美しく描いて人気のあった『ジェームズ・ティソ』を今回は取り上げてみました。
ティソはその作風のように優雅な生涯を送った訳ではなく、普仏戦争のパリ包囲戦では国民義勇軍に参加し、その後パリからロンドンに亡命したり、サン・シュルピス聖堂でキリストの幻影を視るといった経験から、その後は宗教画にしか関心を示さず、そのために、三度も聖地パレスチナに旅行をし、生涯の最後の16年間は宗教画にすっかり身を捧げたと云います。
またティソは日本とも関わりが多々あります。
1868年・36歳の時、パリの万博が開催され、このとき徳川幕府の使節団団長として渡仏したのが15代将軍慶喜の弟、徳川明武公だったのですが、ティソは昭武の図画教師となり、またその肖像画を描いています。
さらにマネやドガ、ホイッスラーらとの付き合いから、ブームとなったジャポネズリー(日本趣味)の最も初期の理解者、収集家でもあり、日本の美術工芸品を収集すると共に、作品も描いています。
ティソはやはり前回のジェローム同様、いちじは美術史の彼方に忘れられかけたのですが、近年とみにその画業が見直され始め、ロンドンやパリで開催されたティソ展には大きな関心が集められています。

ホントに「復活」は歓迎です!

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2011年11月23日

徒然にフランス・アカデミック絵画の巨匠『ジャン=レオン・ジェローム』

東京地方でも少しずつ紅葉が楽しめる季節になってきました。
色づき始めた上野の森では国立西洋美術館の「ゴヤ展」が人気を集めているようです。
何といっても目玉は40年ぶりにスペインのプラド美術館から、スペイン美術の巨匠フランシスコ・デ・ゴヤ『着衣のマハ』が展示されていることでしょう。
対の『裸のマハ』は残念ながら来日していませんが、描かれた当時も色々と物議を醸し出した問題作でもありますし、ゴヤの有名な代表作の一つでもあります。
過去の記事でゴヤは取り上げていますが、私の場合はゴヤといえば「黒い絵」の代表作『我が子を食らうクロノス(サトゥルヌス)』が強烈に印象深く思い出されます。
いずれにしても来年の1月29日まで開催されていますから、少し暇になったら観に行きたいと思ってます。

ピグマリオンとガラテアところで、ゴヤが亡くなった頃に生まれた画家に『ジャン=レオン・ジェローム』がいます。
この画家は、象牙で創られた裸婦像ガラテアに恋をした伝説上のキプロス島の王ピュグマリオンを、面白いことに、裸婦と着衣ではないのですが、『ピュグマリオンとガラテア』と云う作品を、同じ場面の正面からと裏面から見て描いています。
この物語はオウィディウスの『転身物語』に書かれているのですが、女性に失望していた才能豊かなピュグマリオンが、自分の理想の女性を彫像に刻んでみたところ、その出来があまりにも素晴らしく、この像に恋をしてしまいます。
愛と豊饒の女神ウェヌスにこのような女性を自分の妻にと祈ると、女神ウェヌスはその願いを聞き入れて彫像に命を与え、ピュグマリオンは自分で創った理想の女性ガラテアと結婚することができたというお話です。
『ピュグマリオンとガラテア』のお話は、なんとも羨ましいようなお話ですが、描いた画家ジェロームは、実際に画家でもあり彫刻家でもありました。
ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに展示されている『Bellona』、シャンティリー城の前に立っているアンリ・ドルレアンの彫像、『ナポレオンのカイロ入城』や『タメルラン』と『フリードリヒ大王』など彫刻にも優れた作品を残しています。

日本の画家・山本芳翠が師事したこともありましたが、ジェロームが活躍したのは19世紀の後半、この時代は何といっても「印象派」が徐々に興隆し始める頃なのですが、 その頃すでにジェロームはカバネルやブグローらとともに、新古典主義の流れをくむフランス・アカデミック絵画の巨匠であり重鎮としての地位を築いていました。
技術レベルの高さや滑らかな仕上がりの見事さはアングル的な新古典派そのままに、オリエンタルを題材にした作品や、ドラマティックなリアリズムの描写で歴史を多く描いています。

ホントに想像力は「掻き立てられるもの」です!  

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2011年08月10日

徒然にドイツの永遠の恋人『アウグスト・マッケ』

先日チケットをいただいたので、東京少年少女合唱隊の60周年記念コンサートに出かけてきました。
会場は六本木のアークヒルズにあるサントリーホールで、初めてだったのですが、世界でも最大級といわれるパイプオルガンが正面に据えられ、「クラシック音楽のコンサートホールとして、世界一美しい響きをめざして設計された」だけあって、素晴らしいホールでした。
それにいただいたチケットがS席で、歌舞伎でいえばいわゆる「とちり席」、前から9列目のほぼ真ん中でした。
コンサートは英国の「エディンバラ聖メアリー大聖堂聖歌隊」を迎えて、タイトルが「Holding Hand in Hand concert」とつけられ、想像以上に素敵な一時を過ごすことができました。
子供達の合唱団といえば、宮廷少年聖歌隊として発足し、「天使の歌声」で有名な「ウィーン少年合唱団」を思い出します。
今回のコンサートも荘厳なパイプオルガンの響きを静かに聴いていますと、戦争、原爆、終戦、平和、そして原発などなど、様々な思いが去来してきます。

小道の眺め(水彩)
さてもうすぐ終戦記念日がやってきますが、その作品が生きたことの証ともいうべき煌めくような色彩を放ち、第一次世界大戦で短い生涯を終えた画家『アウグスト・マッケ』を取り上げてみました。
マッケが活動した20世紀の初頭は、「戦争の合意が急速に形成された異様な時代」といわれるように、第一次大戦へと突入していった暗い時代でした。
この頃ドイツのミュンヘンにおいては、ヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが中心となり、彼らが創刊した綜合的な芸術年刊誌「青騎士」に因んで「青騎士」のグループと呼ばれる芸術家サークルが結成されていました。
この前衛的なグループは、マティスらが大胆な色彩によって鑑賞者の感覚に直接訴える絵を模索したのと同様、激しい色彩を用いて絵画の方向性を探る運動を展開していました。
これがドイツ表現主義と呼ばれるのですが、フランツ・マルクと知り合ったマッケはこの「青騎士」に参加するのですが、どちらかといえばセザンヌやキュビスムの影響を受け、日常的な題材を好んで取り上げながらも理知的な画面構成、単純化された形態、ドローネーの影響を受けた鮮烈な色彩によってマッケ独自の表現を追求しています。

『小道の眺め(水彩)』は、1914年にパウル・クレーやルイ・モアイェとアフリカの地中海岸にあるチュニジアへ2週間ほどの旅行をしたのですが、チュニジアの風景と鮮烈な色彩に強い衝撃を受け、画風に大きな変化をもたらした成果とも云うべき作品であるように感じます。
一緒に旅したクレーにも同じことが云えるそうですが、マッケが「色彩の空間構築的なエネルギーを発見した。死んだように生気のない明暗表現に甘んじる必要がなくなった。」と述べていますように、作品に原色の強調と色彩の透明感という効果をみることができます。

ホントになぜか心に留まるのです!

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2011年06月03日

徒然に色彩の詩人『ラウル・デュフィ』

私の職場に拙ブログを読んでくれているなかなかに美形の女性がいるのですが、先日、巴里で一番著名であった日本人の画家「藤田嗣治」のエッセイ『腕一本 巴里の横顔』とその生涯を描いた『異邦人の生涯』の二冊を、「この本を読むと、もう一度、嗣治のブログ記事を書きたくなりますよ」と云って、貸してくれました。
『腕一本 巴里の横顔』は文庫本なので、とりあえずこちらから読み始めたのですが、これが大正解で、実に面白かった。
本を読むのはかなり早いほうなのですが、読み終わるとすぐにもう一度読み始め、二度読みしながら、近々本屋さんでこの本をさがして買ってこようとも考えています。
なにしろ、ユトリロやモディリアーニやヴァンドンゲン、マティスやピカソ、それにモンパルナスのキキなどなど、日常の中で接した藤田の目を通して、そこに生きてる彼らの姿がそままに描かれているのですから、興味を引かれない訳がないのです。
もちろん日本国籍を捨て(日本から捨てられ)、巴里に帰ってしまうに至る藤田の生き方、考え方そして苦悩などなど、大変興味深いエッセイとなっています。
エコール・ド・パリを舞台に世界各国から画家を夢見て集まってきた若者たちに、藤田は「大家の模倣を懸命にし、どれだけ絵が上手くなっても、後世に残せる作品は完成しない。人のやらないこと、反対のことを突き詰めてゆくことが大切だ」と云った意味のことを述べていますが、そんな精神が見事に結実し世に名画として残したのが、あの「素晴らしき乳白色の肌」であったのでしょうか。

モーツアルトに捧ぐ
すでに画家として成功し、作品そのままのようなアトリエ、邸宅に住んでいたマティスに、藤田が会った時のお話も書かれていますが、今回はこのマティスとともに「野獣派」の画家と云われた『ラウル・デュフィ』を取り上げてみました。
デュフィがフォービズムの画家と呼ばれたその仲間たちは、マティスをはじめドランやヴラマンク、ルオーなどがいますが、その後世界各国から巴里にやってきた異邦人たち、エコール・ド・パリの主役である藤田をはじめモディリアーニ、シャガール、スーティン、キスリング、パスキンらのなかにあって、デュフィはと云うと、まさに正真正銘のフランス人の画家であったのです。
デュフィはマティスに大変感銘を受け、フォーヴズムに共通する色彩感を感じさせることから野獣派の一員と呼ばれるようになったのですが、強烈な色彩と云うよりも、とても透明感のある色彩、まるで音楽が聞こえてくるようなリズミカルな作風でもって、独自の世界を展開しています。
画題の多くも明るく洗練された風景画であったり、音楽や薔薇、そして馬や海などをモチーフとしたものが多く、どの作品からも「明るさ」が失われることがなかったのです。
しかしながら、反面その生涯においては、その作品が世に認められるまでには長い年月を要し、生活苦に喘いでいたのですが、やっと認められた頃には多発性関節炎発症(リューマチ)を発病し、絵筆を握ることもままならない日々に苦しめられたのです。
でもその作品において、決して失せることのない美しい色彩、にじみ出る明るさは、観る人の心を掴み、和ませ、根強い人気を保ち続けています。
「私の絵では、私の絵具が太陽を生み出すのであって、太陽によって生み出されるのではない」と述べていますが、少し分かるような気がします。

ホントに作品は”joie de vivre”ですね!

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2011年05月16日

徒然に色彩の魔術師と謳われた『アンリ・マティス』

冷たい雨が降り肌寒い日があるかと思うと、蒸し暑く真夏日のような天気がおとずれたりと、体調に悪い毎日が続いていますが、それに輪をかけて、原発事故の処理も一進一退のようで、まだまだ予断を許さない状況が続いています。
もともと原爆の被爆国として多くの人が核アレルギーをもっていたにも拘わらず、長年の時の政府が「クリーンエネルギー」や「絶対安全」のキャンペーンを繰り広げて、原発反対の声を押しつぶしてきた結果、気がつけば日本中に60基近い原発が稼働するまでになっていました。
人間の叡智をあざ笑うかのような天の理不尽で残虐な仕置きには恐れおののくばかりですが、最前線に立ってめげずに原発事故処理にあたっている現場の方々には、心から感謝と最敬礼の念を感じます。
たまたま政権をとったばっかりに、この処理に当たることになった現政権には少々同情の念もあり、こんな非常時ですから、長年原子力政策をリードし経験を積んできている前政権からもノーハウと人脈をもった優秀な人材をだして挙国一致で事にあたっていただきたいものです。

金魚今年の夏は電気の使用量をできるだけ減らそうと、クールビズどころかスーパークールビズの実施が喧伝されており、涼を呼ぶ工夫がとても求められています。
涼を呼ぶ夏の風物詩と云えば風鈴や冷やし素麺などを思い浮かべるのですが、昭和の時代には、いわば小倉遊亀の世界のように、自転車に四角いボックスを乗っけてアイスキャンデーを売りに来た麦わら帽子のおじさんや、リヤカーに水槽を乗せて、「きんぎょ〜ぇ きんぎょ」と独特の節回しで呼びかけていた金魚売りのおじさんを思い出します。
もともと金魚は中国で、鮒の突然変異によって生まれた緋鮒を改良したものだそうで、デメキンやランチュウ、リュウキンなどすこぶる変わった姿をしたものが現れ、観賞魚として世界中で飼育されているようです。

今回は、一般には野獣派(フォーヴィスム)のリーダ−的存在と呼ばれる『アンリ・マティス』を取り上げてみたのですが、冒頭の作品は、18世紀に中国からヨーロッパに伝えられオリエンタルな観賞魚として人気のあった「金魚」をマチスが描いたものです。
マティスはモロッコに旅したとき金魚を観て刺激を受けたようで、その後数点の金魚鉢や金魚を観賞するモロッコ人を描いています。

ところで、マティスと云えば強烈な色彩を併置する作風が特徴の「フォーヴィスム(野獣派)の画家」と云われますが、このフォーヴィスムと呼ばれた時代はほんの2、3年間で、その仲間であったモーリス・ド・ヴラマンクやアンドレ・ドランらも、その後はまた違った作風へと変化していってます。
特にマティスは「野獣派」と呼ばれるこが嫌であったそうで、『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』と述べてますように、その後は「比較的静かで心地の良い作品」を描くようになり、さらに晩年には線の単純化、色彩の純化を追求した結果、絵筆をはさみに持ち替え、色彩でデッサンする切り絵に到達して名作を残しているのです。

また38歳の時ピカソと知り合っていますが、、色彩と形体の調和を図ったマティスに対し形体のデフォルメによって静寂を乱していったピカソ、神経質で心配性なマティスに対し田舎者で小心者であったピカソ、と相反する者同士と見られていたようですが、「誰も自分ほどマチスの絵を注意深く見る者はいないし、マチスほど自分の絵を注意深く見る者はいない。」とピカソが二人の関係を述べています。

ホントに知性と野性と情熱の調和か!

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2011年04月28日

徒然にオートマティスムの画家『ジョアン・ミロ』

東京地方はもう桜の花も散りGWを迎えることとなりましたが、携帯の緊急地震速報の胸を抉るような音に、いまだに脅かされる日もまだまだ続いています。
と云っても、少々苛立たしい気持ちを抱えつつも生活自体はある種の開き直りのもと、徐々に大震災以前の生活に戻りつつあります。
先日は久しぶりに新橋演舞場で歌舞伎を楽しみ、また数日後にはぽっかり一日暇になったので、六本木の国立新美術館へ「シュルレアリスム展」を観に行ってきました。
前回取り上げた画家「イヴ・タンギー」をはじめ、ダダからシュルレアリスムにかけて活躍したエルンスト、マグリット、ダリ、キリコ、ミロなどなど、お馴染みの作品が180点近くも展示されており、比較的空いていたこともあり、ゆっくりじっくり鑑賞することができました。

【アルルカンのカーニヴァル】
アルルカンのカーニヴァル

そんな訳で今回はマグリットやダリらのような古典的、写実的な作風ではなく、いかにも自動記述(オートマティスム)の画家と呼ぶに相応しい作風の『ジョアン・ミロ』を取り上げてみました。
ミロは自分自身が「画家である」といったことにはあまり拘りがなく、作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーらとの交流からも分かるように、幅広い分野に目を向け、他のシュルレアリストの作風とは全く異なった独自の世界を築き上げています。
誰もが一度は目にされていると思うのですが、自然界の星や人間、鳥などを、大胆なフォルムや丸みある円と線で表現し、原色を基調にした明るく制約のない色合いの作品群は、必ずや誰もの記憶の中にあるのではと思います。
「わたしがキャンヴァスに描き写すさまざまなしるしは、まさにその瞬間にはわたしの心の具体的な表れであって、実在以外の何物でもなく、本質的に現実の世界に属するもの」とミロは書き残し、また「造形的な物を超えて詩に到達せねばならないと感じていた」
述べていますが、まことにスピリチュアルな心と目をもった画家であったことをうかがい知ることができます。
冒頭の作品『アルルカンのカーニヴァル』は、ミロが夜遅くまで夜食もとらずに制作していたとき、空腹によって湧き出てくる感情、つまり「空腹がもたらす幻想」を描きとめて作品となったものだそうで、まことにオートマタの面目躍如と云えるでしょう。

1930年代、スペインは内乱がおこるのですが、ミロは人民戦線への支持を表明し、1937年のパリ万国博覧会スペイン館には、やはり同じ立場のパブロ・ピカソが、あの有名な『ゲルニカ』を、ミロは『刈り入れ人』(遺失作品)を展示して、反フランコ政権の立場をとっています。
戦後、日本にも1966年と69年の二度来ていますが、69年の時には大阪万博において壁画の制作をしており、日本にも馴染みの深い芸術家であったと云えます。

ホントに天真爛漫で詩的な世界です!

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2011年02月25日

徒然にもっとも純粋なシュルレアリスト『イヴ・タンギー』

寒さの中にも、少し春のときめきを感じさせてくれる季節となり、道を歩いていても、白やピンクの梅の花がそんな気分をもり立ててくれます。
そんな気分の時、とてもレアでセレブなヨーグルトのお話です。
TVのいろんな番組や、タレントのブログなどでよく紹介されていた『クレマドール』というヨーグルトがあります。
「セレブのヨーグルト」とか「世界一高価なヨーグルト」とか呼ばれているそうですが、何しろハンドクリームの瓶ほどの大きさで5、000円、さらに一日の販売数量が30〜50個でネット販売のみ、数秒で売り切れるそうですからまず手にはいることもないし、縁のないものと思ってたのですが、何故か不思議なことにいただいてしまいました。
確かにヨーグルトの酸味がきいたコクのあるレアチーズといった味で、少々シュールな食べ物といった趣がありました。
私も毎朝スーパーで買ってくる小岩井ヨーグルトを生野菜やフルーツにつけて食べてるのですが、宝石の化粧箱のように立派な箱に入ったこのヨーグルトは、あまりに値段が違いすぎますから比べてもしょうがないのですが、まったく違った食べ物であり、話題性は充分なものの、自分で買おうという気持ちになるにはちょっと無理がありました。


Hands and Glovesところで現在、国立新美術館で『シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―』(5月9日まで)が開催されています。
私の過去ログのなかでも、コンスタントに多くのアクセスがあるのが「キリコ」の記事なのですが、個人的にも「シュルレアリスム」大好きですので、是非とも観に行きたいと思ってます。
そこで今回は最初期の『イヴ・タンギー』を取り上げてみました。
「シュルレアリスム」は20世紀における最大の芸術運動と云われ、1924年にパリで「シュルレアリスム宣言」を発表した詩人のアンドレ・ブルトンによって口火が切られ、文学や絵画に留まらず多くの芸術活動として広がったものですが、冒頭のタイトルに使った「もっとも純粋なシュルレアリスト」は、イヴ・タンギーが初めて個展を開いたときに、ブルトンがタンギーを評して云った言葉なのです。

一般に「シュルレアリスム」は「超現実主義」と呼ばれることが多いと思いますが、人間の意識下の世界や、偶然性、あり得ないものの組合せなどなど、日常、現実を超えた世界を表現することによって、新しい美、新しい感覚、そして新しい真実を描き出そうとした活動なのですが、タンギーは人間の太古の記憶かはたまた未来の記憶か定かでない、観る人によってどちらとも云えそうな、不思議なそして茫洋とした孤独感を感じさせてくれる作品を描いています。
無機質で荒涼とした風景のようでもあり、あるいはゆっくりとした時の流れの中に静かに息づく命の営みのようでもあり、眺めていると文字通り「シュール」な気持ちにさせてくれます。

ホントに瞑想的で、神秘的なのです!

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2010年12月28日

徒然にアメリカの原風景を描く『アンドリュー・ワイエス』

今年も残り少なくなり、慌てふためいて作った年賀状もなんとか完成し、美味しそうなお節料理も注文してあるし、仕事もほぼ片付いて、あとは静かなお正月を迎えるばかりとなったのですが、11月からここしばらく忙しかったせいもあるのでしょうけど、最近お風呂に入って湯に浸かったままよく寝ていることがあります。
時間にすればほんの数分だと思うのですけど、記憶にほとんど残らない、たわいない夢を見ていることが多いようです。
冬場のお湯の温度は42度に設定しているのですが、熱すぎずぬるすぎず、入浴剤で白く濁ったお湯は温泉気分とはゆかなくても、一日の疲れ、一年の疲れを芯から解きほぐして、短くてもまさに至福の時であるように感じます。


クリスティーナの世界
さて今年最後に取り上げるのは、アメリカの『原風景』を描く画家と評される『アンドリュー・ワイエス』です。
ワイエスが亡くなったのは2009年1月、つい最近のことなのですが、アメリカン・リアリズムの代表的画家と云われ、「アメリカの国宝」とさえ呼ばれた画家なのですが、一般に我々が持つ華やかな「アメリカ」のイメージと違い、孤独感や心にしみるような寂寥感の漂う広大で荒涼とした自然の中に、人が見捨てて顧みないような平凡な風景や人物を描き出した画家なのです。
ヨーロッパではあまり受けないそうですが、日本ではかなり人気があり、ファンの方も沢山いらっしゃるようです。
ワイエスを一躍有名にしたのが31歳の時描いた冒頭の作品『クリスティーナの世界』なのですが、この舞台となったのはワイエスの別荘があったメーン州クッシングと云う場所だそうです。
このメーン州はアメリカ東部海岸の最北端にあり、土地の大半が原生林や湖沼、川であり、ロブスターの漁獲高やブルーベリーの生産などでは全米一といった土地柄なのですが、メーン人気質は剛毅、質実、勤勉、自立心、誇り高さそして無口だそうです。
これは植民地時代以来のアメリカ人の気質そのもので、ワイエスの描いたメーン州の風景や人物などが「アメリカの原風景」と評された所以なのでしょう。
モデルとなったクリスティーナは実存の女性で、ワイエスの別荘の近く、草原の上に描かれている小さな貧しい建物に弟と二人で暮らしていました。
小児麻痺で足が動かなかったそうですが、ワイエスはこの女性が「何もかも自分の力でやってのける生命力に感動」して、出会ってから女性が亡くなるまでの30年にも亘ってクリスティーナを描き続けています。
この場面は、クリスティーナが家族の埋葬されている墓地まで誰の手も借りずに辿り着き、祈ったあとまた自力で引き返してくるところを別荘の2階から描いたと云われています。
少女のように見えるこの時のクリスティーヌは55歳だったといいます。

ホントに古き良き追憶なのか!

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2010年12月04日

徒然にアメリカの偉大な抽象画家『ジョージア・オキーフ』

今年も気がつけば師走を迎えてしまい、ホントに年々、一年が短くなって行くように感じられます。
そして毎年の事ながらどんな年賀状を作ろうかと頭を悩ませる時季でもあります。
ハッキリしているのは、私はクリエイティブな能力にはまったく縁がないようで、絵を描いたり何かをデザインするような作業は苦手なことこの上なく、たとえハガキ一枚分の図柄にしても大変苦労します。
幸いPCでは利用できる沢山のデーターなどがありますから、何とか組み合わせたり縮めたり伸ばしたりしながら完成するのですが、独創性に乏しいのは致し方ありません。

一般的に絵画の歴史の中でも具象画は歴史が長いのですが、抽象画が評価されるのは20世紀に入ってから、特にドイツ表現主義からの流れではカンディンスキー、キュビスムからの流れではドローネーやピカピアらをあげることができそうですが、作品の好悪については別として、まったく新しい価値観、表現を創作し、形となしてゆくのは、それだけで私にとっては驚異的なことと感じ、畏怖の念さえ持ってしまいます。

ところで女性解放運動が盛んになり男女平等社会の推進が促されたのは1960年代も後半になってからですが、美術界においても、女性解放運動をおこなっていた美術史家のリンダ・ノックリンさんは「女性の大芸術家がいないのは、女性が無能なのではなく、社会の風潮や教育の不平等こそが問題なのだ」と1971年に論文で訴えています。
日本の「上村松園」でも触れましたけど、「女にとって芸術はたしなみに過ぎない」といった偏見が、どれほど女性の進出を拒んできたのかは想像に難くありません。


牛の頭蓋と白バラそんな訳で、今回はまだ20世紀前半において、女性でありながら一足早く抽象画により美術界に大輪の花を咲かせた『ジョージア・オキーフ』を取り上げてみました。
当然ながらオキーフはアメリカを代表する画家でもあり、世界的に見ても抽象画を最初期に手がけた偉大な画家の一人でもあります。
オキーフが活躍したのはアメリカの女性解放運動が盛んになる以前で、1940年代にはすでに画壇で高い評価を得ていました。
もちろん女性への偏見に満ちあふれていた時代で、実際にオキーフの父親が事業に失敗したときには、男兄弟の勉学のためにオキーフは絵の勉強を中断させられています。
ただオキーフは創作においても生き方においても大変頑固一徹な性格で、どんな困難な目にあっても決して自分の意志を曲げようとせず、苦労をしながら絵の道を捨てずに邁進したそうです。
そして「リアリズムほどリアルでないものはない。(中略)選択、除去および強調によってのみ、我々は物事の真のリアルな意味に到達できるのだ」といった信念のもとに完成されていったのが、おもに風景、花、そして動物の骨をテーマに描いた作品で、具象的なモチーフを扱いながらも拡大するなどして抽象化し、現実を神秘的な非現実の世界に誘う独特の画風を確立しています。

女性解放運動家たちはその運動の先駆者としてオキーフに注目し、オキーフを生きた理想像として賛美したのですが、しかしオキーフはまったくそのことに関心を示さず、女性芸術家と言われることさえも嫌ったと言います。

ホントに「ただ画家として」記憶されたいのです!

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2010年11月11日

徒然に20世紀最大の画家の一人『バルテュス』

本格的な寒さがいよいよ間近となり、おでんが食べたくなる季節となってきました。
日本酒の熱燗の好きな方にはこれまたたまらない季節なのでしょうけど、残念ながら私は下戸なのでその楽しみが分かりません。
知人のT氏は日本にもう15年も住んでいて、日本酒から焼酎まで大好きなフランス人なのですが、お酒だけでなく奥様も日本の女性を娶っています。
何しろ言葉は並の日本人より綺麗で上品な日本語を話しますし、漢字混じりのお手紙も書けますから、フランス語が全然できなくてもお付き合いするのに何の苦労もいらないのですが、先日お仕事の都合でフランスに帰国することになり、共通の知人であるM氏宅で送別会を行ったのです。
M氏はお酒類ならたいてい何でもいける口なのですが、とりわけワインがお好きで、ご自宅の地下室に立派なワインセラーを持ち、常にいいワインを保存しています。
送別会の時も、シャンパンは私が持っていったのですが、ワインはすべてM氏の提供で、お気に入りのカリフォルニアワイン、オーパスワンやイタリアのルーチェなどを惜しげもなく提供してくれました。
ワインは飲み始めるとたいていワインに関する蘊蓄が始まるものですが、飲む方にはほとんど参加していない私も大人しくしているのも癪なので、ワインの五大シャトーのひとつ、シャトー・ムートン・ロートシルトの有名なエチケット(瓶のラベル)の話で割り込んで盛り上がってみました。


ブランシャール家の子供たちそんなわけで今回は画家の『バルテュス』です。
なぜ「バルテュス」かと云いますと、シャトー・ムートン・ロートシルトのラベルは1946年以降、年ごとのラベルのデザインをその時々の著名な芸術家に依頼して作成しており、ピカソやシャガール、ポール・デルヴォーやマリー・ローランサン、ミロやカンディンスキーなどなどよく知った名前の画家たちが制作してきましたが、夫婦ともども作成しているのはこのバルテュス夫妻だけ(妻1991年、バルテュス1993年)なのです。
さらにバルテュスの描いた少女のラベルは、アメリカでは幼児ポルノとして批判を受け、輸入禁止となり、アメリカ向けのラベルは何も描かれない白紙のラベルであったことなど、ロートシルトとは面白い因縁があったのです。

ムートン93年ビンテージこのロートシルトとはあの大富豪ロスチャイルド家を指していますが、じつはバルテュスはロートシルトよりも日本にはもっと深い関係のある画家なのです。
画家でもある妻のクロソフスキー・ド・ローラ・セツコさんは、日本人で旧姓を出田節子さんと云いましたが、来日したバルテュスと20歳の時出会い、大変な熱愛のすえ5年後に34歳の年齢差も何のその結婚しています。
「夫婦としての年齢差をよく言われましたけれど、気になりませんでした。私は強い性格ですけれど、バルテュスは私の何倍もの強さを持つ男性でした。そういう方だからこそ盲目的に尊敬し、お仕えできたのだと思います。歳が離れていて、自分よりもいろいろなことを理解している方だからこそ、よかったのです」 (節子・クロソフスカ・ド・ローラ)
バルテュスと節子夫人の深い絆が窺い知れる言葉ですが、バルテュスは奥様だけでなく日本も大変好きであったそうで、彼の強い希望で、バルテュスの傍らにはいつも和服姿の節子夫人の姿があり、バルテュスもスイスの自宅で着物を普段に愛用していたそうです。

バルテュスは絵画を独学で身につけたそうですが、その方法はルーヴル美術館で古典絵画の巨匠たちの作品を徹底的に模写したそうで、特にピエロ・デラ・フランチェスカに傾倒していたそうです。
そうして身につけた堅固な構成と繊細な描法を土台に、当時全盛であったシュルレアリスムや表現主義に流されることなく独自の世界を展開し、20世紀における最大の偉大な画家の一人と評価されたのですが、やはり超天才画家のピカソ「当代の最も重要な画家である」と評価し、掲載した『ブランシャール家の子供たち』と云うバルテュスの作品を、最も愛した作品のひとつだと述べています。

ホントに20世紀最後の巨匠なのです!

  ・少し長いです
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2010年10月07日

徒然に「外人のナビ」と呼ばれた『フェリックス・ヴァロットン』

夏場のシャワーからお風呂にかわり、首までたっぷりお湯に浸かって嬉しい季節になってきましたが、お風呂ではなく、最近ちょっと気になるトイレのお話を二つほど書きたいと思います。
時々「浅見光彦」の実家のある北区西ヶ原に出かけることがあるのですが、JR山手線で行くと最寄り駅は「駒込」になります。
この駒込駅、上野側の改札の手前にトイレがあり、このトイレの入り口が、男性用はかなり派手な青色、女性用は真っ赤な色で全体が縁取りされています。
これだけでもかなり異質に目立つのですが、さらに天井にテープレコーダーが設置されていて、「右側が男性トイレです。左側が女性トイレです。」とエンドレステープで繰り返し流されています。「段差がありますから・・・」といったような他の注意は全くなくて、ひたすら「右側が・・、左側が・・・」のアナウンスだけなのです。
派手な色分けとアナウンス、その理由を想像してみても答えが出てきません。

もう一つ、最近トイレの個室で飲食する若者が増えているそうです。
昔はトイレのことを「御不浄」と呼んだこともありましたけど、最近は確かに見た目は綺麗になっています。でも清潔なイメージと消毒液のにおいのする病院であっても、院内感染が騒がれる時代です。
人前で飲食できないのか、あるいは一人で飲食するところを見られるのが嫌なのか、などと想像してみるのですが、やはりよく分かりません。
自分が時代に取り残されつつあるのか、最近は理解のできないことが増えてきたように感じられてなりません。

【女と海】
女と海

さてスイスの画家が続きましたが、最後にもう一人『フェリックス・ヴァロットン』を取り上げてみました。
前回の二人と違いヴァロットンは、スイスを出てフランスに帰化しパリで活躍しています。
生涯の友となったピエール・ボナールやケル・グザヴィエ・ルーセル、モーリス・ドニ、エドゥアール・ヴュイヤールら若手グループと19世紀の終わり頃には「ナビ派」に参加し、最初はロートレックや日本の版画を思わせるような木版画で人気を得るのですが、平面的で明確な輪郭線や「奇抜と調和が混在した造形と色面の対比的描写」はパリで観た日本版画展に大きな影響を受けたと指摘されています。
初めてこのヴァロットンを知ったのは、何度かご紹介しています渋澤龍彦氏の『裸婦のなかの裸婦』に掲載されており、冒頭の画像「女と海」が取り上げられているのを観たときでした。
最初の印象は、「なんていやな作品だろう」でしたが、もう少し上等に云えば「潜在意識下にある好悪の感情を、爪でそっと引っ搔かれたような不思議な絵」とでも云えるでしょうか。
ちょうどこの時代には「海水浴」が風俗としての市民権を得始めたそうで、この作品もそんな場面を意識して描いているのでしょうが、まるで時が止まってしまっているような奇妙な雰囲気、何とも不気味な海の色と質感に不思議な感情、感覚が呼び出されたのかも知れません。
そんな意味ではシュルレアリスム的とでも云うべきで、渋澤龍彦氏も「この絵のなかの海は、あのスペインのダリがしばしば好んで描くポルトリガトの海のように抽象的な海であり、あえていえば精神分析学的な海なんだよ」と述べています。
好きにはなれない作品ですけど、とても印象に残る作品でもあり、ヴァロットンの名前を私の記憶に刻みつけてくれた作品でもありました。

ホントにナビゲーターの行く先は!

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2010年09月12日

徒然にスイスのもう一人の国民的画家『フェルディナント・ホドラー』

9月になってもあいかわらずの酷暑が続いていましたが、先日は台風の影響で久しぶりの雨と30度を下回る日があり、やっと秋の気配を少し感じさせてくれました。

ところで「二度あることは三度ある」とか、先日の携帯、エアコンに次いで三度目に壊れたのはなんと自分自身で、まことに不覚にも先日夏風邪を引いてしまったのです。
今回も奇跡の復活と思ったのですが、予想以上に長引いてしまい、熱っぽかったのは2日間ほどで治まったものの咳がなかなか止まらず、特に夜中に咳き込んで目が覚めることしばしばで、日中は暑さと寝不足が相まって身体が何となくだるく、気力がすっかり減退してしまい、ブログの方も長い夏休みとなってしまいました。
この暑さですと日射しの下を5分も歩くと汗ビッショリになり、そのままクーラーで急激に身体を冷やしたのが夏風邪の原因だと思うのですが、ほんとうは年々体力が落ちてきているからかも知れません。
ところで今年は特に背中によく汗をかくのですが、昨年は後頭部から首筋にかけてだったように思います。
汗をかく場所によって何か医学的な意味があるのかどうかちょっと気になります。

【ニーゼン山】
ニーゼン山
そこで今回は夏でも涼しげなスイスの首都ベルンで生まれ、アンカーと同様スイスの国民的画家と云われる『フェルディナント・ホドラー』を取り上げてみました。
「芸術の都」と云えばフランスのパリですが、さらに芸術の中心はイタリアとドイツ、そしてその三国の合流点に位置していたのがスイスなのですが、19世紀から20世紀において活躍したスイスの著名な芸術家といえば、前回のアルベルト・アンカーをはじめ、ジョヴァンニ・セガンティーニ、アルノルト・ベックリン、アルベルト・ジャコメッティそれにパウル・クレーなどを思い出すことができます。
ホドラーと云えば、一般にはグスタフ・クリムトと並んで世紀末的な象徴主義の画家と位置づけられるのですが、それは常に身内の中に「死」がつきまとったことから、画家としての前半は「死」や「夜」をテーマとした作品を沢山描いているからでしょうか。
ホドラーだけでなく、この時期のスイスの画家たち、たとえばベックリンもセガンティーニも「死」をテーマにした優れた作品を残しています。
アンカーもそうでしたが、またホドラーもパリに制作活動拠点を置かず、故郷スイスでその大自然や素朴な人たちを描きながらその生涯をまっとうしたこともあり、国民的画家として現在もたいへんな人気を博しています。
一時期、スイスの美術館や個人コレクターが世界に散らばっていたホドラーの作品を買い集め、そのことが逆にスイス以外の国ではホドラーを忘れさせる結果となっていたようなのですが、21世紀に入ってから、ホドラー人気は鰻登りで、サザビーなどのオークションで6億から11億といった高値がつけられているそうです。
特に後半にはスイスの山や湖などを沢山描いていますが、冒頭画像の【ニーゼン山】は標高約2360mで、アルプスにあってはそれほど高い山ではないそうですが、近くに高い山が無く、際だって美しい形をした山だそうです。
単純化、抽象化によってアルプスの自然と自分を一体化し、そこにホドラー独自の象徴的な世界を創り上げていったかのように感じられます。

ホントに生も死も「すべての人間は同じ運命にある」!

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2010年08月05日

徒然にスイスの国民的画家『アルベール・アンカー』

この猛暑のためか、最近奇妙なことが続いています。
前回は携帯が水浴びから奇跡の生還を果たしたことを書きましたが、今回はエアコンです。
リビングのエアコンでしたので、お食事の時やお風呂上がりにこの暑さでは参ってしまいます。スイッチを入れるとしばらくは涼風を送ってくれるのですが、14、5分もするとタイマーは未設定と表示されているにも拘わらず、オレンジ色のタイマーランプが点滅して止まってしまうのです。
リモコンに自己診断するボタンが付いてますので押してみますと「診断H15」の表示が出ましたので、メーカーのテクニカルセンターへ連絡をしたところ、リモコンをリセットし本体のコンセントを一度抜いて本体自体を初期化してほしいとのことでした。
それで自己診断の「診断H15」は表示されなくなったのですが、症状は変わりません。
たぶん室外機に問題がありそうなので修理に来てくれるとのことでしたが、何しろシーズンでこの暑さですから、たいへん混んでいて最速5日後になるとのことでした。
ところが故障して3日後、15分間だけでもとスイッチを入れ食事をしていたのですが、食事が終わって「あれっ?!」まだエアコンが涼風を送り続けている、と気がついたのです。
リモコンをいろいろ操作してみても、すべて正常に動きます。
念のため次の日もいろいろ設定を変え試してみたのですが、まったく正常に動いてますので、夕方、メーカーのセンターに連絡をして、明日の修理をキャンセルしました。
それから数日、何事もなかったかのように今日もまったく異常なく動いているのです。
さて次に何が起こるのか、その都度奇跡の生還を果たせるのか、少々興味がないでもないのですが、「塞翁が馬」より「無事之名馬」、ホントは何事もないのがやはり一番でしょうね。

【髪を編む少女】
髪を編む少女
さて、前回はアメリカの国民的画家「ロックウェル」でしたが、今回はスイスで国民的画家としてたいへん人気の高い『アルベール・アンカー』を取り上げてみました。
ロックウェルと同じく、アンカーも子供たちをよく描いています。
ただ表現の仕方は同じく写実的ではあるものの、アンカーの場合は古典的な技法を使ってたいへん真面目に細密に穏やかな色調で描いており、素朴な「ぬくもり」を感じさせてくれる自然主義の画家です。
絵はパリで学んだのですが、画家となってから30年間は秋から春にかけてはパリで過ごし、夏の間は故郷のスイスに戻って創作活動をおこなっていました。
このアンカーのことを、かのゴッホが弟への手紙に「彼はまだ古いタイプの画家だが、その作品はよく思出す。とても真面目な絵で、丹念に細かいところまでよく描かれている」と書いていたそうです。
裕福ではないが静かで幸福に満ちた農家の日常を描き続けたアンカーは、やはり農民の労働を中心に静けさと祈りに満ちた生活を描いたバルビゾン派のミレーを思い出させてくれますが、実際にアンカーの晩年の言葉に「もう一度画家として生涯を送れるならバルビゾン派に加わりたい」とあるそうです。

没後100年を過ぎた現代においても、未だにスイスにおける人気は衰えることがないそうですが、アンカー自身がいちじはプロテスタントの牧師を目指したこともあるだけに、「神に祝福された世界」を描くことがすべてのテーマであったようで、影の部分、裏の部分を描いたものはなく、「見よ、世界は呪われてはいない。」と云う言葉を残しているのですが、この辺にも国民的人気の源があるのかも知れません。

ブログのお仲間のひつじさんが、以前にアンカー美術展の素敵な感想文を書かれていて、そこに沢山の作品画像が掲載されています。
そこでバッティングしないように今回の画像を選びましたので、作品にご興味のある方は是非ともひつじさんのブログも併せてご覧ください。

ホントに「幸せって何だろう」!!

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2010年07月21日

徒然にアメリカでもっとも著名な画家『ノーマン・ロックウェル』

先日まだ梅雨の明けない蒸し暑い朝でしたけれど、洗面所でネクタイを直していたところへ携帯が鳴り、話し終わって手を洗おうと、右手で水道のレバーを下げて水を出し、左手で左の胸のポケットに携帯をしまおうとしたのですが、しまい損ねて携帯がスーツとワイシャツの間を滑り落ち見事に洗面台のなかに滑り込みました。
その上に蛇口から勢いよく水道水が降りかかり、慌てて左手で拾い上げ、右手で水道のレバーを押し上げたのですが、まさにマーフィーの法則は生きていたかのように、たっぷりと水浴びをさせてしまいました。
水浴びをした携帯は、よほど気持ちよかったのか満足そうにすべての明かりを消して眠りについたごとく、ディスプレーは真っ黒になってしまいました。
慌てて水分を拭き取り裏ぶたを開けてバッテリーを取り出し、ドライヤーで懸命に乾かしてみたのですが、安らかに眠ったままです。
仕事に出かけなくてはいけませんので、仕方なく新宿に向かい、職場から一直線にドコモショップへ行きました。
競争が厳しいせいかドコモショップの接客応対はとても素晴らしかったのですが、携帯を調べて係員の方の第一声は「こんなケースの場合、修理に出してもまず駄目なことが多いのですよ」とガッカリさせてくれました。
でも、「お客様はPシリーズを長年ご愛用ですね。同じ型の携帯をお貸しいたします。」「お客様は電話帳お預かりサービスに入ってますから、電話帳のデーターは数秒で取り込むことができますよ。」「保険にも入ってますので、早ければ明日、数千円で新しい携帯と交換できます。」「この携帯は在庫がすでにありませんから、新しい機種のなかからお好きなタイプをお選びください」「ご使用状況からいって、こちらのパックに変えられた方が月々の料金が安くなりますよ」などなど、誠に天使の歌声のように聞こえたものでした。ところで次の日の朝、水浴びをして安からに眠ってしまった携帯に、バッテリーを入れてスイッチを押し込んでみると、なんと見事に生き返ってしまったのです。
新しい機種も魅力でしたけど、手に馴染み、電話帳以外の写真やもらったメールなどのデーターも保存されていますので、熟慮の末結局交換をキャンセルして、使い続けることにしました。
ただ水浴びをして気分が良くなったのか、以前よりも音声がクリアになった気がします。
保証はいたしかねますけど、もしよろしかったら試してみてはいかがでしょうか。


sun set
さて前段が長くなってしまいましたが、アメリカのメルヘン『ジェシー・ウイルコックス・スミス』に続いて、今回はアメリカで一番有名で一番人気のある画家『ノーマン・ロックウェル』を取り上げてみました。
ロックウェルは日本でも多くのファンの方がいらっしゃいますが、アメリカにおいてはまさにアメリカ人の心を捉え、幅広い人気をもった「古き良きアメリカ」を代表する画家と云われています。
その写実性は超が付くほどでありながら、全体にはどこかデフォルメされているようであり、それが「おかしみ」「やさしさ」となって観る人の心をとらえて放さないかのようです。
当時アメリカでは、もっともよく売れた雑誌「サタデー・イブニング・ポスト」の表紙絵を手がけることは、イラストレーターの頂点に立つことと同義語であったそうですが、ロックウェルは22歳の時から始めて47年間もの間この表紙を描き続けました。
そこでロックウェルは「アメリカに愛された国民的イラストレーター」と呼ばれるようになり、大変な人気者となったのです。
ロックウェルの描いた人物たちからはとても豊かな感情の動きが読み取れるのですが、作品を仕上げるまでには大変な下準備をしていたそうです。
実際にモデルを使い、必要な小物を配置し、写真を何枚も撮り、そして木炭によるデッサンを繰り返して彩色していったそうです。
そしてその基盤には学んだ解剖学に基づいた骨格や筋肉の動き、それによってできる皺の一本まで写し取った上で、ロックウェル自身のイマジネーションを付加して独自の味のある作品を仕上げたと云われます。

ホントにこんなアメリカ人なら好きになるかも!!

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2010年07月07日

徒然にアメリカのメルヘン『ジェシー・ウイルコックス・スミス』

7月に入り不安定なお天気が続いていますが、そろそろ梅雨明け間近なのでしょうか。
6月は後半まで「楡 周平」の作品を読みあさり、文庫本で出版されているものはすべて読み終わりました。
流石にリアリティーに富んだアイデアとグローバルな展開はこの作家ならではのものがあり、今後の作品にもまた期待が持てます。
長編を読み続けた後しばらくは、内容はともかく気楽に読めるものを求めるのですが、今回は司馬遼太郎の『以下、無用のことながら』を読み、現在は内田康夫の「浅見光彦」シリーズを気楽に読んでいます。
ブログでお付き合いいただいている『活字三昧』みどりさんは、いつも良質の児童向けの本を紹介されていますが、先日この内田康夫の『ぼくが探偵だった夏 (ミステリーランド)』と云う作品を取り上げておられました。
「人気絶大の名探偵・浅見光彦の子供時代が、子供向けミステリとなって登場!」だそうで、私はまだ読んでいないのですけど、みどりさんも仰っているように、この本を読んだ多くの子供たちが、読書好きでミステリーファンとなってくれればいいのですけど。

【アルプスの少女ハイジ】
アルプスの少女ハイジ
ところで、今回の『ジェシー・ウイルコックス・スミス』は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したアメリカの女流挿絵画家ですが、『グッド・ハウスキーピング』誌のカバーイラストをはじめ60冊以上の本の挿絵や、200以上の雑誌の表紙絵を描いており、児童書がお好きな方たちの間では大変有名なイラストレーターです。
愛らしい子供の絵が多いのですが、我々でもよく知っている物語には、「赤ずきん」や「ハイジ」、「マザーグース」や「水の子どもたち」などなどがあります。
「ハイジ」と云われてアメリカ人が一般に思い浮かべる「ハイジ」のイメージは、ウイルコックス・スミスの描いた「ハイジ」だと云われていますが、この作品はスイスの作家ヨハンナ・シュピリの児童文学作品で、スイスの山村が舞台で「キリスト教信仰に基づく描写が多く見られる」にもかかわらず、日本においても、後に多くの翻訳本やアニメ、映画などが提供され、大人も含めた多くの人に親しまれてきました。

ここのところお仕事が少々忙しかったと言い訳しつつ、今回も手抜きで、可愛いイラストを中心にご紹介したいと思います。

ホントに戻れるものなら・・・!

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2010年06月01日

徒然にカバーイラストの帝王『ハリソン・フィッシャー』

近頃時の流れがとても速く感じられます。
特にGW以降は仕事が忙しいこともあり、時の流れに身を任せていると知らぬ間に6月になり、あっという間に一年の半分が終わってしまいそうです。

先日新宿の地下ショッピングモールを歩いていたとき、通路の両側に若い女性向きのお洋服のショップが並んでいたのですが、販売員もやはり販売ターゲットの顧客同様に若くて、それぞれにそのショップの特徴あるお洋服を着て販売していました。
ところが面白いことに、この販売員さんたちが「いらっしゃいませ」と盛んに声をかけているのですが、「いらっしゃいませぇ〜〜〜」の{せぇ〜〜〜」の部分のイントネーションと声質がほとんど同じなのです。
少し高めでいて少し喉で押さえて少し艶やかにしたような声で、語尾を抑揚をつけて長く伸ばすのですが、まるでショッピングモール全体で教育したように、どのショップでも同じ声が聞こえてくるのは奇妙な気がしたものです。
20歳前後の女性の同じような洋服、着こなし、それに同じようなメイクなどと相通じるものがあるのでしょうか。

【HER EYES WERE MADE TO WORSHIP】

HER EYES WERE MADE TO WORSHIP
ところで『ハリソン・フィッシャー』ですが、20世紀初頭のアメリカにおいて、大変な人気を博したイラストレーターです。
この時期は、印刷物がモノクロからカラーに進化した時代で、ハガキやカレンダー、ポスターなどカラー印刷の黄金時代を迎えていました。
そんななかにあってハリソン・フィッシャーは、担当した雑誌のカバーイラストによって確実にその雑誌の売り上げ増に貢献したと云われ、「サタデイ・イブニング・ポスト」や「レディース・ホーム・ジャーナル」などをはじめ、特に「コスモポリタン」は亡くなるまでの30数年にわたってその表紙を飾ったそうです。
少し前にご紹介した「蕗谷 虹児」、「高畠 華宵」や「竹久 夢二」を思い出させてくれますが、ハリソン・フィッシャーは15,000以上の女性を描いており、しかも「アメリカの健康的な女性の理想像」を描き出したと云われています。
これらの作品は「アメリカン・ビューティー」と呼ばれていますが、「千人の少女たちの父The Father of a Thousand Girlsと称され、商業美術界における確固たる地位と人気を得ていたのでした。
本日は少々手抜きで、このハリソン・フィッシャーの描いた、可愛らしかったアメリカの少女たちを中心にご紹介します。

ホントに決してロリコンではないのですよ!!

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2010年05月14日

徒然にアール・デコの女流画家『タマラ・ド・レンピッカ』

最近趣味が変わった訳ではないのですけど、今までまったく興味のなかった歌や作家にはまり込んでいます。
歌はほんの気まぐれで買った「コブクロ」のCDで、PCのディスクドライブに挿入しっぱなしにしながらエンドレスで曲を流しています。
特に「桜」や「赤い糸」、「2人」などが耳に残って、短いフレーズは覚えたのですが、通して歌ってみようとするとけっこう難しくて上手く歌えません。
作家では、まったく知らなかった『楡 周平』にはまり込んでいます。
GWに入る頃、デビュー作の「Cの福音」をひょんな切っ掛けで読んだのが始まりで、現在は5冊目の「マリア・プロジェクト」を読んでいますが、今までの読後感をネタバレなしに云いますと、現代を舞台に大変スケールが大きく、ドラマティックであるのに細部にまでリアリティがあり、論理性に富んでいてまったく飽きさせない凄味のある作品が多いように思います。
いつもの癖で、一度気に入るとしばらくはその作家ばかりを追っかけるものですから、来月あたりまでは『楡 周平』一色になりそうな予感です。

緑色のブガッティに乗るタマラ
さて今回取り上げた『タマラ・ド・レンピッカ』も、やはりちょっと癖になりそうな女流画家なのですが、その個性的な作風とともに画家自身の奔放にして波乱に富んだ生涯も、一度知ると忘れがたいものがあります。
ロシア帝国の支配下にあったポーランド立憲王国にあって、ポーランド人の上流階級で生まれ育ったレンピッカは、両親の離婚や自分の結婚、ロシア革命の勃発や命からがらの亡命、生計のためにと画家への転身、そしてパリ社交界へのデビューや離婚、第二次大戦によるアメリカへの亡命などなど、まさに時代に翻弄されながら決して自分を見失わず、自分の魅力と才能を武器に先見性と自由を持ち続けた生き様とその作品は、現在においてもジャック・ニコルソンやマドンナらのような熱烈なファンを獲得しており、VOGUE MAGAZINEは何度もレンピッカの作品を表紙に使っています。

【緑色のブガッティに乗るタマラ】はクルマを運転する自分を描いたものなのですが、実際はレンピッカは黄色の小さなルノーが愛車であったとも云われていますが、車体の色、彼女の服装、自分で運転するなど、この作品から受けるイメージの高さはまさにレンピッカの自己演出の巧みさと同時に、1920年代、女性が社会に進出し人生を謳歌し始めたこの時代の雰囲気を上手く伝えてくれます。

ロングドレスを着たタマラレンピッカは「セルフ・プロデュースの女王」と呼ばれることがありますが、女優のようにプロのカメラマンに撮らせた魅力溢れる写真も沢山残し、男性ばかりでなく女性との私生活におけるスキャンダルも数多く残し、それらの生き方そのものが、描いた作品に色濃く反映されて強烈なインパクトとなり、観ている者を圧倒してくるようです。
レンピッカは一般にアール・デコの画家らしく「直線的でクールな表現」で大胆かつ力強い作風と云われていますが、ピカソは「統合された破壊の斬新さ」と評しています。
またレンピッカは「印象派の画家の多くが下手に絵を描き、汚い色を使用している」と考えていたそうで、レンピッカの作品は新鮮でクリアかつ正確に描かれ、エレガントで美しく、さらに官能的であったことから、パリの人々の心をつかんだと云われます。

ホントに「私の作品はどれも自画像なのです」!

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Posted by sekisindho at 23:45  |Comments(12)TrackBack(0) | 美術 , 西洋の画家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

徒然に独創的、詩的なヴェネツィア派の画家『ロレンツォ・ロット』

もう四月も半ばを過ぎ桜の花も散ってしまいましたが、先日は雪が降るなど異常な寒さが続いています。
地球温暖化ではなく氷河期の到来説の方が信憑性を増しそうな毎日ですが、いまだに冬物衣料が売れているのとは対照的に、野菜の値上がりは深刻ですし、今後の果物類などの不作も予想され、早く暖かな春らしい日々が続くことが望まれます。

ところでこの寒さでコート姿もまったく違和感がないのですが、私は昔から習慣で、春先に一度コートを着なくなると、その後寒くてもコートを着る気がしなくなるのです。
そんなわけで今年も4月に入ってからはコートを着ていないのですが、めんと向かって「年寄りの冷や水」とは云われないものの、この寒さに流石に今年は周りの人から呆れられています。
不思議なことに、雪の降った日でも身体に感じる寒さ自体は我慢のできる範囲なのですけど、手袋をしない手はかなり厳しく、左右の手を順番にポケットに入れたり、温かいホッペに触ったりとしのいでいます。

【受胎告知】
受胎告知

さて数回取り上げましたヴェネツィアですが、地球温暖化の影響や地下水の汲み上げによる地盤の沈下などで、街全体が水没の危機にあるそうですが、中世においては「アドリア海の女王」とか「アドリア海の真珠」と呼ばれ大変栄えた国でした。
そんななかで、デューラーら北方絵画の影響をうけ、ヴェネツィア派らしい美しい豊かな色彩を駆使しながらも反アカデミックな構図で、独自の優れた作品を描き出した『ロレンツォ・ロット』を最後に取り上げてみました。
と言っても、作品は残されているものの、このロレンツォ・ロットが評価されるようになったのは20世紀に入ってからだそうで、少々調べても個人のプロフィールは詳しく分かりません。
この掲載した【受胎告知】は、このテーマで沢山の画家が描いていますが、ご覧の通りかなり面白い構図、表現をしています。
ほとんどの画家は「静謐、厳粛、貞淑」と云った視点で描いていますが、この聖母マリアは突然出現した大天使ガブリエルに驚いたのか、恐れたのか、身をすくめて「キャッ」と声が聞こえそうな表情をしていますし、もやはり驚いて逃げだそうとしています。
猫が描かれた「受胎告知」も珍しいですが、威厳に満ちた大天使ガブリエルに対し、恐怖と混乱におののく聖母マリアのいかにも人間的な描き方に、違和感とともに人間として共感を感じさせてくれるとても印象的な作品だと思います。
ロレンツォ・ロットはトレヴィーゾ、マルケ、ローマ、ベルガモなどを転々としながら制作活動を行ったそうですが、この作品はヴェネツィアに戻ってから作成したそうで、人間の心理描写にいっそう磨きをかけ、その色使いと光の効果を生かした技巧と相まって、肖像画でも超一級の作品を残しています。

ホントに宗教画も親しめます!

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