2005年08月15日

無題

「幸せすぎて怖い」

私はずっと自分が幸せだと思うことに臆病だった。
人には理解されにくいことだと思うけれど
自分が幸せを感じた時
同時に自分だけが幸せになっちゃ申し訳ないという気持ちが
心のすみっこに必ず顔を出してきて
自分だけが幸せ感じちゃいけない。
そんなふうに自分にセーブをかけていた。

そんな思いから解き放たれるようになったのはここ数年前だ。

自分は幸せ・・でも家族の誰かはこうしてる時も不幸せ。
なぜか条件反射的にそんなふうに思ってしまう自分がいた
きっと、「自分はいつも不幸だ」と口にしていた母の
言葉による洗脳・・トラウマだったのかもしれない・・

あるとき、それってまったく無意味なことであって
不幸せだと思っている人間へのとても失礼極まりない
私のおごりだった事に気づいた時
私はやっと何かをふっきることができた。

ちゃんと幸せはその人達にもあること
自分だけに与えられていることじゃないんだという事
だから、幸せだと感じたら
誰かに気兼ねをすることなく
幸せと感じる瞬間に、心から幸せと思うことが
幸せを与えてくれた人・届けてくれた人への
礼儀=感謝するべきだと思うようになった。

幸せは自分の心が決めると沢山の人が口にするように
幸せはその時の自分の心が感じることだから
自分の気持ちが変われば同じ事でも幸せと感じる事はできない
自分の気持ちがたえず変化するように
幸せも形や深さを変えて同じ幸せはないような気がする。

私はその事を自分の中で感じてから
自分が幸せだと感じた時は心から幸せだと思うようしようと決心した。
幸せと感じたなら、幸せだと心から感じなければいけない。
そして、その幸せを感じさせてくれた人やそのことに
言葉に出して「ありがとう」と口にしようと思った。

8月14日 義母の墓参りに家族で行き
帰りに義父の近くのファミレスで外食
年々同じ事を繰り返すようになった実家の母に電話をし
帰省している甥っ子達が集まっている姉の家に
お金の掛からないIP電話を架けて
4人の甥っ子達と大阪の女3人がテレビ電話のように
入れ替わり立ち代りで馬鹿な話しで盛り上がって大騒ぎをし
電話の後、気の抜けたビールを手に娘達の話しを聞きながら夜を過ごした

何も特別な事はひとつもなかった
普通のお盆休みの普通の休日
話しを聞きながら寝てしまった私
目が覚めた時
母の布団でゴロンとしている次女
話しを聞きながら一緒にうたた寝してしまった長女
寝ぼけながら起きてきた長男
喉が渇いてお茶を飲みに台所に来てすぐに部屋にもどった夫

みんなの顔を眺めたあと
久しぶりに感じてしまった。

『幸せすぎて怖い・・・・・』




この記事へのコメント
わかるような気がします。
特別なことなんて何にもなくても、
そこに家族がいて、みんなが寛いでいる・・・
そんな時間。
私も家に居て、家族とくだらないことで
笑い合っている時が一番幸せかなぁ・・
なんて思ったりします。
Posted by ダダ at 2005年08月16日 11:37
>タダさんへ

あたりまえのこと

なんでもないこと

くだらないこと

笑い合ってる時

そんな時間が幸せなんでしょうねぇ〜〜〜〜きっと・・・。

そしてそんなふうに思える時も、幸せなときなんでしょうか・・・・
Posted by ちこママ at 2005年08月17日 01:54


 
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