
宗廟にて。
カササギ。
ハト位の大きさでハトより尾が長い。
可愛い。
大事にした結果、増え過ぎて困っているとか。

とっても仲の良さそうな老夫婦。
手をつないでやってきてベンチに仲良く腰掛けていました。
あんまり微笑ましい光景だったのでパチリ。
昌徳宮 樂善斎朝鮮の建物はとても鮮やかな色彩を帯びていますが、この建物は非常に質素。
朝鮮王朝最後の皇太妃 李方子(イ・バンジャ)妃が1989年まで住まわれていました。
李方子妃
梨本宮方子(なしもとのみや・まさこ)様です。
この手のことを好きな方はご存知でしょう、
いわゆる政略結婚で、15歳の時に李垠(イ・ウン)殿下と婚約。
大正5年8月、自分の婚約を新聞で知る。
政略結婚が当たり前の時代とは言え、通常、親には
連絡があったりして予め知っているものだそう。
親さえ知らない間に決められた婚約。(打診時に断っている。)
方子様は、
久邇宮良子(くにのみや・ながこ)様
一条公爵家の朝子(ときこ)様
と共に、裕仁親王の皇太子妃有力候補として名前のあがった方。
それにも関わらず、自分の婚約を新聞で知ろうとは
夢にも思わなかったでしょう。
ちなみに、
裕仁親王(昭和天皇)は良子様(香淳皇后)と
大正13年1月に結婚されています。
しかも、日本政府は、
垠殿下には閔甲完(ミン・カプワン)と言う婚約者が
いたのに破棄させています。
垠殿下と同じ日に生まれた彼女、11歳で婚約、22歳で婚約破棄。
10年以上も将来の夫として慕い続けた人と無理やり
引き裂かれた上、婚約指輪も無理やり返還させられて。
儒教の国、結婚は年長順。
一度、将来の国母として選ばれた彼女は、婚約破棄後も
二度と結婚することは許されず、さらには弟妹も結婚できない。
そんな思想の国において、日本政府はさらに追い討ちをかけるように、
「甲完を他家へ嫁がせなければ父娘共々、重罪に問われても良い」
という誓約書まで書かせています。
暴挙もここまでくると
すばらしい
としか言いようがない。
甲完はその後、上海へ亡命。
日本の敗戦後に帰国して釜山で亡くなります。
…この結婚で、一体、誰が幸せになったのでしょうね。
少しでも多くの幸せがあったのなら良いのだけど…。