2011年11月13日

努力センスを補うもの

勝間和代さんの「まじめの罠」(*1)が話題になっているようですが、私も遅ればせながら旦那さんに憑いて読みましたよ。必殺技・立ち読み!(ごめんなさい、本屋さん。勝間さん。)

ここで言うまじめとは、ズルをせずに自分の労力を割いてコツコツ一生懸命に突き進んでしまうことの意味だと思うのですが、そうやっているのに成果の出ない人が、要領よく成果を出す(ように見える)勝間さんをパッシングすることが多いらしい(*2)。その方たちに向けて「成果出してから文句言えっつーんだい。こちとら、どうやって短時間で成果を出すかってトコに頭使ってんだ。いいかい、あんたらの陥っているまじめの罠の抜け出し方を教えてやるから、耳の穴かっぽじって良く聞きねい!(意訳)」というメッセージが一杯に詰まっています(笑)。立ち読みなので正しく読めてなかったら申し訳ございません。

私思うんですけどね。まじめなのに成果の出ない人と言うのは、言い方が失礼なのですが、努力センスが悪い人なのではないかと思うんです。本の帯にも書いてありましたが「3ヶ月で100点取る人、2日で80点取る人、どちらを評価しますか?」、これは目的によりますよね。時間をかけてもミスを失くすことが求められるなら前者。ですがとかく効率性が求められる現代は後者でしょう。「今、私はどちらが求められているのか。」と気づくのがまずこの場合の努力のスタート地点となります。

まあ、我が旦那さんも努力センス悪い人の部類に入ります。人って成功体験をしてしまうと、そのやり方をなかなか変えることができないんですよね。旦那さんの場合はおうちの教育方針が「3ヶ月で100点取る人」だったようで、それで褒められてきた長子とくれば、この成功パターンをがらりと変えるのは本当に難しいようでして。旦那さんは社会人になって同じ試験に4回も落ち続けたんですが、私、はっきり言って彼女には適性ないですし、給料があがるわけでもないし、やめときなさいと言ったんですよ。でも最後は意地ですよね。忍耐力と馬力だけはあるので、この時はセンスが悪いまま突っ走って5回目で合格していました。さすがに本人も懲りた頃に、知的生産性を謳う勝間さんが世間をにぎわせてましたから、それ以来は努力センスを考えるようになったようですよ。


■努力センスを身に付ける
努力センスとは、次のようにまとめてみました。

1.まずは目的を把握すること。
2.次にリソース(自身の能力、時間、金、コネなど)と状況を把握すること。
3.その上で最大限の効果を上げるための力の配分と手順を考えること。
4.そして実行すること。
5.実行しながら必要があれば1の訂正をし、
  2の情報を更新し、3の軌道修正をすること。

努力センスのいい人というのはこの5ステップが「的確にできる」人なのではないかと思います。的確、つまりピンポイントで力を注ぎこめる労力の省エネモード人間になると、その分、余裕が生まれますよね。「努力、なにそれ。普通にやれば出来るもんじゃないの?」とのたまう優秀な人というのがこれに当たり、そうなると努力を努力とも思わない余裕が生まれる、こうしてよいサイクルに入っていくのではないでしょうか。

この「的確にできる」というのが実はセンスの本質で、上記の5ステップを確認したところで決して身につくものではありません。目的に対して結果的に無駄な努力を発生させ、且つ目的とは違う到達地点に着地してしまった。これは明らかに失敗です。ここを「ま、いっか。仕方ないな。」で済ますと次回も同じような失敗を繰り返してしまうでしょう。その失敗について、ちょっとでもいいんです、「悔しい」と思うこと。それを胸に刻んで、次回以降に自分で考え方や方法を掴まなければならないのだと思います。

鼻歌歌ってこなしているように見える人というのは、過去にこういったトライ&エラーを踏んでいる、もしくは今それを楽しみながら乗り越えていっているかのどちらかなのでしょう。それなのに「あいつは要領がいいだけ。」とか「そもそも環境が違うんだよ。」などと文句を言うのは「自分は努力センスがありません。」と言っているようなものでとてもかっこ悪い。


■努力が報われる大切さ
そもそも努力センスは身に付ける必要はあるのでしょうか。それはおしゃれセンスとか話術センスとかリズムセンスと同じ、「あったらいいな」という程度のものではなのではないか。センスなんて意識しなくても、プロセスを楽めれば時間の過ごし方として御の字ですし、何かをやれば何かの成果が出るわけで、それを評価してくれという考えもあるでしょう。特にコツコツまじめにやる人、うちの旦那さんがそうなんですが、そんな心構えで世を渡ってきた人のほうが多いのではないでしょうか。

これは言い換えるなら、努力センスの1から5のステップの中で4ばかりにフォーカスが当たっている状態です。今までこれでうまく行っていた人、それは無意識に4以外ができる簡単なレベルであった可能性が高いです。例えば受験勉強。1は○○大学の合格圏内の点数を取るという明確且つ狭い目的であり、2、3、5は学校、塾、親が協力してくれるわけですから、本人は主に4に力を入れ、自分の学力を高めることに専念すれば問題ない、そういう意味で努力が簡単なのです。

しかし社会に出ますと多くの体験をする中で努力が必要な場面に出くわします。そして実は1の目的を見定めるのが難しいことが多い。例えば仕事の場面。依頼された仕事を言われたとおりに実施すると評価はそれ止まりですが、さらに高い評価を得るにはそこに付加価値をつけなければなりません。すると依頼の背景を読んで目的を自身で設定しなくてはなりません。ましてや自分の人生を考える場面では誰も目的は示してくれません。

すると努力したにもかかわらず、何かうまくいっていないように感じるのは、1の目的設定が本当に合っているのかよくわからず、2を把握したところで、3の最適パスは生きず、それに気づかないまま受験勉強のように4に専念すれば成果が出るという考え方で突き進んでしまった。人にアドバイスを受けるものの、自分のやり方に固執するため5ができない。だから終えてみるとこれが成果だといわれると釈然としないものがある。もしくはそこそこ自信があるのになぜか評価されない。

努力をしたのに自分の達成感と他人の評価がかみ合わないことが続くと「人生がうまくいかない」と気力が萎えます。そのうち不平、不満にまみれて、他者を邪魔する嫌われ者になってしまいます。誰だって嫌われたくてこの世に生まれてきたわけじゃありませんものね。となると、明るい気持ちになり次の新しいことをやるには、どんなに小さなことでも努力が報わることが重要なのです。

やはり早めに努力センスの重要性に気づくほうがいいと思いませんか? 


■努力センスを補うもの
話は変わるのですが、先日、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で見た料理研究家の栗原はるみさん(*3)。テレビディレクターの夫が結婚後まもなく選挙に出たことで、その後収入が途絶えるという事態になったそうです。そんな大変な中、家族の笑顔ための実家の母から叩き込まれた料理に力を入れようと頑張っていたところ、テレビで紹介してみないかと仕事の話が舞い込みます。そこからレシピ本を出してみないかと、とんとんと料理研究家の道を駆け上がります。

季刊本「すてきレシピ」(1996‐2006年)で100のレシピ、1年で400のレシピ、1日1つ以上のレシピを生み出すこと! 1冊にはぎっしりレシピ。料理の楽しさが表現できていないと思い悩みながらも、まじめな栗原さんは編集部の期待に10年間応えます。しかし50代後半にして編集部にレシピ本のやめさせてほしいことを伝えます。そうして始まったのが、栗原さんも編集に加わって、料理の楽しさを表現するために、料理や暮らしにまつわるエピソードを盛り込んだレシピ本「haru_mi」(2006年‐現在)です。

栗原さんはこの秋にタルト・タタン(りんごのタルト)のレシピをご家庭にお届けしたいということで、テレビでは50回以上の試作を重ねているところが紹介されました。50回! これはかなり大変なレシピ作成だったようですが、それにしても毎日毎日レシピを生み出すということはいかに大変な作業なのかわかりました。栗原さんは目的を持って料理研究家になったのではなく、偶然というか、なるべくしてなったというか。それを必然というのか…。このように恵まれたように見える人でも、飽きられたらお仕舞いです。妥協ないレシピを発表してきたからこそ30年近くも料理研究家として第一線で活躍されているのでしょう。

栗原さんにどんな努力センスがあったのかって、目的はぶれずに「100人作って、100人が美味しく作れるレシピ」、2から5のサイクルでずっと回っていたのは間違いないのですが、これを30年近く続けるというのはどんな力が働いていたのか。栗原さんが番組の最後に「プロフェッショナルとは」という問いかけに次のように答えられました。
私がプロフェッショナルとは思ってないんだけど、私ができることを、誰よりも楽しみながらやれて、それを一生懸命やり続けたいですね。

勝間さんが本の中で「今、私が就活するなら国内ではなく、中国やシンガポールに目を付ける。(うろ覚え、ゴメンナサイ)」と書いてあったのを読んで、自分の才能の存分に活かし面白いことをしてやろうという気概に満ちているように感じました。面白いことをしよう、栗原さんの楽しもうという根本はなんら変わらない。その面白さをどこに見出すかというだけで。

努力センスが悪くたって構いません。栗原さんだって10年続けたレシピ本に対する努力を続けるのに多く悩まれました。ビジネスで成功している勝間さんだって2回離婚されたということですから(*4)、夫と家庭生活を続ける努力の方向性が違っていたと言えなくもない。人は誰しも悩み、失敗し、必ず挽回のチャンスがあるのです。それまで気持ちを支えるのは、やっていることを面白がることなのではないでしょうか。


<参考>
*1:まじめの罠 (光文社新書)(Amazon)
*2:「まじめの罠」にハマっているから、努力が成果に結びつかない(J-Cast)
 アンチカツマーのモチベーションは義憤であるというご本人Blogです。
 (勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!)
*3:プロフェッショナル 仕事の流儀(NHK HP)
栗原はるみ(Wiki)
 栗原はるみ オフィシャルサイト ゆとりの空間(公式HP)
*4:勝間和代(Wiki)



<紹介>
「毎日の暮らしが大切。普通にお食事ができて、家族で話す。」
NHKで言っていた栗原さんの台詞が心の残りました。
知的生産性も大切だけど、ごはんはもっと大切かも!


この記事へのコメント
でもまあ、要領がいいだけが素晴らしいわけではないですから。2日で高得点出せても2日で忘れちゃうし(笑)自分で泥臭く努力して身につけたものの方が血となり肉となるのではないでしょうか。だから旦那さんのやり方でいいんじゃないですか?

ちなみに私は仕事などでは要領がいい時もあり「自分はまじめだけが取り得」と信じているような人々に嫌われがちです。勝間さんの本も一見強がってるけど「いじめないでー」っていうメッセージなのではないかと思ったり・・・。
Posted by kanicream at 2011年11月15日 01:10
kanicreamさん、こんばんは。

>「いじめないでー」っていうメッセージなのではないかと思ったり・・・。
さすが、kanicreamさん冴えていらっしゃる! そうかもしれない。

「結局、女はキレイが勝ち」という勝間さんの本がありますが、私はそっくり「キレイ」を「可愛げがあるの」という言葉に置き換えたほうがいいのではないかと思いました。媚というほど毒々しくないですけれど、ちょっと弱さとか出来なさを演出したほうが、人の油断を誘いますし、また庇護欲をかきたてますものね。

この場合、アンチをなるべく作らないメディア戦略という努力というのもあると思うのですよ。でも正面突破しようとするのが勝間さんのパーソナリティでしょうから、それが彼女の愛すべきところなんだろうなと。人から「努力の方向間違ってるよ!」と指摘されようと「これが私だもの。何が悪いの?」と聞こえそう。うん、スカっとする! 

結局、人と比べずに、自分が納得するようにやるのが、楽しい努力、身になる努力なのかしれませんね。
Posted by お江戸のドミノ at 2011年11月15日 23:09