2011年11月13日
努力センスを補うもの
勝間和代さんの「まじめの罠」(*1)が話題になっているようですが、私も遅ればせながら旦那さんに憑いて読みましたよ。必殺技・立ち読み!(ごめんなさい、本屋さん。勝間さん。)
ここで言うまじめとは、ズルをせずに自分の労力を割いてコツコツ一生懸命に突き進んでしまうことの意味だと思うのですが、そうやっているのに成果の出ない人が、要領よく成果を出す(ように見える)勝間さんをパッシングすることが多いらしい(*2)。その方たちに向けて「成果出してから文句言えっつーんだい。こちとら、どうやって短時間で成果を出すかってトコに頭使ってんだ。いいかい、あんたらの陥っているまじめの罠の抜け出し方を教えてやるから、耳の穴かっぽじって良く聞きねい!(意訳)」というメッセージが一杯に詰まっています(笑)。立ち読みなので正しく読めてなかったら申し訳ございません。
私思うんですけどね。まじめなのに成果の出ない人と言うのは、言い方が失礼なのですが、努力センスが悪い人なのではないかと思うんです。本の帯にも書いてありましたが「3ヶ月で100点取る人、2日で80点取る人、どちらを評価しますか?」、これは目的によりますよね。時間をかけてもミスを失くすことが求められるなら前者。ですがとかく効率性が求められる現代は後者でしょう。「今、私はどちらが求められているのか。」と気づくのがまずこの場合の努力のスタート地点となります。
まあ、我が旦那さんも努力センス悪い人の部類に入ります。人って成功体験をしてしまうと、そのやり方をなかなか変えることができないんですよね。旦那さんの場合はおうちの教育方針が「3ヶ月で100点取る人」だったようで、それで褒められてきた長子とくれば、この成功パターンをがらりと変えるのは本当に難しいようでして。旦那さんは社会人になって同じ試験に4回も落ち続けたんですが、私、はっきり言って彼女には適性ないですし、給料があがるわけでもないし、やめときなさいと言ったんですよ。でも最後は意地ですよね。忍耐力と馬力だけはあるので、この時はセンスが悪いまま突っ走って5回目で合格していました。さすがに本人も懲りた頃に、知的生産性を謳う勝間さんが世間をにぎわせてましたから、それ以来は努力センスを考えるようになったようですよ。
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ここで言うまじめとは、ズルをせずに自分の労力を割いてコツコツ一生懸命に突き進んでしまうことの意味だと思うのですが、そうやっているのに成果の出ない人が、要領よく成果を出す(ように見える)勝間さんをパッシングすることが多いらしい(*2)。その方たちに向けて「成果出してから文句言えっつーんだい。こちとら、どうやって短時間で成果を出すかってトコに頭使ってんだ。いいかい、あんたらの陥っているまじめの罠の抜け出し方を教えてやるから、耳の穴かっぽじって良く聞きねい!(意訳)」というメッセージが一杯に詰まっています(笑)。立ち読みなので正しく読めてなかったら申し訳ございません。
私思うんですけどね。まじめなのに成果の出ない人と言うのは、言い方が失礼なのですが、努力センスが悪い人なのではないかと思うんです。本の帯にも書いてありましたが「3ヶ月で100点取る人、2日で80点取る人、どちらを評価しますか?」、これは目的によりますよね。時間をかけてもミスを失くすことが求められるなら前者。ですがとかく効率性が求められる現代は後者でしょう。「今、私はどちらが求められているのか。」と気づくのがまずこの場合の努力のスタート地点となります。
まあ、我が旦那さんも努力センス悪い人の部類に入ります。人って成功体験をしてしまうと、そのやり方をなかなか変えることができないんですよね。旦那さんの場合はおうちの教育方針が「3ヶ月で100点取る人」だったようで、それで褒められてきた長子とくれば、この成功パターンをがらりと変えるのは本当に難しいようでして。旦那さんは社会人になって同じ試験に4回も落ち続けたんですが、私、はっきり言って彼女には適性ないですし、給料があがるわけでもないし、やめときなさいと言ったんですよ。でも最後は意地ですよね。忍耐力と馬力だけはあるので、この時はセンスが悪いまま突っ走って5回目で合格していました。さすがに本人も懲りた頃に、知的生産性を謳う勝間さんが世間をにぎわせてましたから、それ以来は努力センスを考えるようになったようですよ。
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2011年11月07日
やるか、やらないか、それだけ

女性が男性と同じように職に就き、自立するのが難しかった時代、「ミシンはうちのだんじりなんや!」と岸和田の鉄砲玉のような女の子が洋裁という仕事で活躍します。彼女を見ていると「夢」というのは、やるか、やらないか、それだけなんだろうなということを感じます。もちろん「夢」が叶う、叶わないなんてわかりませんよ。だけどやらないと、叶わないのは確かなのですから。
「夢」を持っている方。いえ、むしろ、いつになっても諦めきれない「夢」を見続けている方。ぜひNHK連続テレビ小説「カーネーション」をご覧ください(*1)。MVP(ミッション・ビジョン・パッション)を地で行っているのですから(というよりもパッションが全てを引っ張っている!)、下手なビジネス書買うよりもよほど、楽しめて、元気がもらえますよ。!
<参考>
*1:カーネーション(NHK HP)
<紹介>
こちら、NHKドラマ「カーネーション」モデル
糸子ちゃん(尾野真千子さん)可愛さ、満載!
2011年08月21日
魔法少女の施しと見返り
先日、2011年1月から3月までに放映されて話題となっていた深夜アニメ「魔法少女まどかマギカ」(*1)を旦那さんと一緒に一気に12話見ました。かわいらしい絵柄とは反対に、少女たちの心のベクトルが世界の在り様と関係するという、いわゆるセカイ系(*2)のダークファンタジーでした。
これを見て真っ先に思い出したのが、志賀直哉「小僧の神様」です(*3)。お金が足りずにお鮨が食べれなかった小僧を見かけた裕福な男性が後でこっそり小僧にお鮨をご馳走するんですね。見られていたとは知らない小僧はきっと神様のおかげに違いないと信じるのですが、最後まで名乗り出なかった男性は慣れない善意にすわりが悪い思いがしたというものです。
他人への施しというのは必ず見返りとセットです。大きな荷物を持っている女性や老人を助けてあげるのはどうなんだって? ボランティアはどうなんだって? それをやったからといって対価を求めているわけではないよという声が聞こえてきそうです。
でも大きな荷物を持ってあげたら大抵「ありがとうございます。」という感謝の言葉がもらえますよね。またボランティアをしたら「やりがい」が自分に芽生えますよね。それらは他人に必要とされている、ある《世界》で居場所を得ているという安心感です。それに勝る見返りはありません。
「小僧の神様」の小僧にお鮨をご馳走した男性は小僧のお礼の言葉や笑顔、もしくは反対に非難の言葉や不満顔などにいっさい触れていないのです。だから妙に落ち着かない気持ちがしたのだと思います。「本当にやってあげてよかったのかな? 自分のひとりよがりじゃないかな?」 人の施しというのは必ず見返りとセットと言ったのはそういう意味なのです。
見返りなしに施しができる存在がいるとすれば、それは世界の摂理、神のみです。人が真似てはいけません。人が真似ようとするとどうなるか。

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これを見て真っ先に思い出したのが、志賀直哉「小僧の神様」です(*3)。お金が足りずにお鮨が食べれなかった小僧を見かけた裕福な男性が後でこっそり小僧にお鮨をご馳走するんですね。見られていたとは知らない小僧はきっと神様のおかげに違いないと信じるのですが、最後まで名乗り出なかった男性は慣れない善意にすわりが悪い思いがしたというものです。
他人への施しというのは必ず見返りとセットです。大きな荷物を持っている女性や老人を助けてあげるのはどうなんだって? ボランティアはどうなんだって? それをやったからといって対価を求めているわけではないよという声が聞こえてきそうです。
でも大きな荷物を持ってあげたら大抵「ありがとうございます。」という感謝の言葉がもらえますよね。またボランティアをしたら「やりがい」が自分に芽生えますよね。それらは他人に必要とされている、ある《世界》で居場所を得ているという安心感です。それに勝る見返りはありません。
「小僧の神様」の小僧にお鮨をご馳走した男性は小僧のお礼の言葉や笑顔、もしくは反対に非難の言葉や不満顔などにいっさい触れていないのです。だから妙に落ち着かない気持ちがしたのだと思います。「本当にやってあげてよかったのかな? 自分のひとりよがりじゃないかな?」 人の施しというのは必ず見返りとセットと言ったのはそういう意味なのです。
見返りなしに施しができる存在がいるとすれば、それは世界の摂理、神のみです。人が真似てはいけません。人が真似ようとするとどうなるか。

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2011年06月20日
個性が潰されようとも
写楽ってご存知? 大判雲母刷りという銀色に輝く背景に、ストップモーションをかけた瞬間のような役者の大首絵。これら浮世絵は切手にもなってますものね。日本人なら誰でも、浮世絵師の名前がわからなくても、絵を見ただけで「あー、あれ」と分かるのではないでしょうか。[右図 三代目大谷鬼次の江戸兵衛]写楽は寛政6年(1794年)に彗星のように現れて10ヶ月で表舞台から姿を消したため、正体に様々の憶測が飛んでおり、説としてまとめると以下の3つが主流でした。
1.阿波藩の能役者・斎藤十郎兵衛説
2.有名画家説
3.版元・蔦屋重三郎説
ところが、5月NHK「浮世絵ミステリー 写楽〜天才絵師の正体を追う〜」(*1)という歌舞伎役者・中村獅童さんナビゲーターのドキュメンタリー番組は、ついにこの論争に決着が付くといった編集内容でして、大変面白く見ることができました。今回はこのNHK番組を紹介しつつ、東京国立博物館で開催された「写楽展」(*2)の感想なんかを書こうと思います。
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2010年11月04日
「大江戸りびんぐでっど」はかぶいていた

時は江戸時代、処は大江戸。くさや汁を浴びた死人が“ぞんび”として生き返った。人に噛みつき増え続ける“ぞんび”に江戸の町は大騒ぎ。彼らを従わせることに成功した判助は、想いを寄せるお葉と共に、人間の代わりに“ぞんび”を働かせる人材派遣会社を起業する。“ぞんび”は文句も言わずに人間の嫌がる仕事を安く請け負い、商売は大繁盛となった。しかしやがて派遣ぞんびに仕事を奪われた人間たちが現れ…。
以上はパンフレットより。
今回見に行きました「大江戸りびんぐでっど」(*1)は、宮藤官九郎の作・演出で、なんと歌舞伎座さよなら公演(2009年12月)にかかったものを、映像化して映画館で上映したものです。しりあがり寿さんが道具幕デザインをしていたり、メンズノンノでよく見かけた伊賀大介さんが衣装を担当していたり。スタッフからも、歌舞伎というより、普通の舞台で、時代が江戸という感覚です。
下ネタあり、落語ネタあり。「スリラー」風なゾンビ全員の踊りは圧巻で、一人その影で勘太郎さん演じる大工がマイケル・ジャクソンのダンスをキレキレで躍っていたのに噴出す…。言葉も現代語で、旦那さんいつものイヤホンガイドも不要のわかりやすさ。彌十郎さん演じる奉行所役人の「それ、よくね?」というような若者言葉にくすくす笑いを誘われる…。何より、普通、古典をやっている役者さんたちの普段見せないようなお茶目な感じがいつになく新鮮。なんだかEXTRAステージみたい。個人的にはゾンビになってしまった扇雀さんのはじけっぷりを楽しませてもらいました。(笑)
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2010年04月25日
「鋼の錬金術師」を久々に見て
ある日、旦那さんの妹さんから電話がかかってきました。「鋼の錬金術師のアニメがまた放映されてるんだけど、終わったんじゃなかった? あれ、何?」 「鋼の錬金術師」の新刊が発売されると必ず買い、アニメもしっかりチェックしていた旦那さんを「いい大人がさあ…」と冷ややかな目を向けていた妹さんがですよ! 電話でわざわざ聞いてきたのです。「悪かったよ。あの時、バカにして。面白いよ、ハガレン(鋼の錬金術師)。だから教えて!」 ふふふ、勝ったとほくそ笑むのは旦那さん。もちろんオタクは自分のフィールドについて質問されれば、喜んで答えるのは世の常。旦那さんは妹さんに丁寧に違いと第1期のオチを教えてあげました。
第1期(2003年10月4日−2004年10月2日)は「鋼の錬金術師」、第2期(2009年4月−放映中)が「鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST」というタイトルです。第1期は旦那さんの記憶によるとエニックスがメディアミックスの一環として、マンガが始まったと同時に企画され、当時の連載でまだ出揃っていない設定は使わず、世界観を崩すことなく独自の結末でまとめられた作品となっています。そしてマンガの設定とストーリーを忠実になぞったのが第2期となります(*1)。
旦那さんは漫画を持っていますので、第2期については敢えてアニメは見ていなかったのですが、先週ふとチャンネルをつけたら、丁度マンガの23巻に当たるところが放送されていました。主人公の味方サイドにいますロイ・マスタングという軍人、彼の別名は炎の錬金術師、画面で敵を焼きまくっている(笑)。
マスタングは自分の友人を殺した敵を目の前にして復讐の鬼と化し、理性の全てを敵を焼き殺すことのみに集中し、不死と言われる敵が焼かれても立ち上がる度に、執拗に炎を繰り出します。まるで狂人です。マンガでもなかなかの表現なのですが、元々全体的にテンポがいいので、その流れで読むせいか、そこまで粘質な感じはなかったのですが、絵が動き、声あり、BGMあり、効果音あり、状況についての情報が積み上げられていくアニメのすごさを見せ付けられたのは言うまでもありません。

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第1期(2003年10月4日−2004年10月2日)は「鋼の錬金術師」、第2期(2009年4月−放映中)が「鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST」というタイトルです。第1期は旦那さんの記憶によるとエニックスがメディアミックスの一環として、マンガが始まったと同時に企画され、当時の連載でまだ出揃っていない設定は使わず、世界観を崩すことなく独自の結末でまとめられた作品となっています。そしてマンガの設定とストーリーを忠実になぞったのが第2期となります(*1)。
旦那さんは漫画を持っていますので、第2期については敢えてアニメは見ていなかったのですが、先週ふとチャンネルをつけたら、丁度マンガの23巻に当たるところが放送されていました。主人公の味方サイドにいますロイ・マスタングという軍人、彼の別名は炎の錬金術師、画面で敵を焼きまくっている(笑)。
マスタングは自分の友人を殺した敵を目の前にして復讐の鬼と化し、理性の全てを敵を焼き殺すことのみに集中し、不死と言われる敵が焼かれても立ち上がる度に、執拗に炎を繰り出します。まるで狂人です。マンガでもなかなかの表現なのですが、元々全体的にテンポがいいので、その流れで読むせいか、そこまで粘質な感じはなかったのですが、絵が動き、声あり、BGMあり、効果音あり、状況についての情報が積み上げられていくアニメのすごさを見せ付けられたのは言うまでもありません。

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2009年12月29日
凡人の冒険のススメ〜獣の奏者エリン

旦那さんが小学校の頃から疑問に思っていたのは、なぜ物語やゲームの主人公は、尊い一族の血が流れているだとか、某の生まれ変わりだとか、生まれつき特殊能力を持っているだとか、偶然偉大なものに見初められてしまった…等々、ロマンチックな設定がふんだんに盛り込まれた、つまり選ばれし人間であり、彼らは難しい運命を受け入れ、難局を乗り越えていこうという気概に満ちている者ばかりなのだろうかということでした。
そんなアホウ過ぎる疑問を大学に入ったばかりの時分、友人に話すと「そりゃ、ストーりーを進みやすくするためでしょう。主人公が物語にひっかかりがないただの人だったり、内気な性格だったら話進まないじゃないの。」と一蹴。なるほど(・∀・)!
しかしだからこそ、それは話としては面白くて憧れても、人生の指南書には一向にならなかったようです。なぜなら自分のように、生まれは平民、前世の記憶もなく(当たり前…)、何の才能もなく、人の注目を集める美人でもない人間が、どうやったら冒険が始まるのだろうと出だしで躓いているのですから。偉大なるものからのコーリングを待つって? さすがに妄想好きの旦那さんでも現実と非現実の区別くらいはつきますよぅ。
そんなわけで、例え物語の途中、仲間と力を合わせて事を成し遂げた素晴らしいシーンがあったとしても、それはすべてロマンチックな設定のせいではないかと覚めた目で突き放して本を読んでいたそうです。普通の少年・少女が冒険を始めるには? その答えが大人になって得られようとは旦那さんも想像もしていませんでした。答えをくれたのはアニメ「獣の奏者エリン」です。
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2009年08月16日
人類を補完しても寂しさはエンドレス
補完というのは、ないものを補って完璧にするという意味です。プラトン「饗宴」の中で、人間は背中合わせに二人の人がくっついていたのが完全な人間の姿(アンドロギュロス)だったのが、神により分けられたことから互いの半身を求め合うという物語がありました(*1)。それが男と女(もしくは男と男、女と女もあり)という話だったでしょうか。
さすがに生物の場合、半身を求め合った結果、背中合わせに元通りになるなんてことはありませんが、その代わり、男と女が交わって子が生まれる。男と女の物理的補完の証拠が子であると見なすこともできます。さらにその子は男か女かのいずれかであり、いずれ自分の半身を求めてまた物理的な証拠の子を残す。こうやって人は物理的に補完して、生命を継いで来たのでしょう。
ところが物理的証拠ができたからといって、当人に永遠に補完が保証されるかというとそうではない。互いを求め合って補完してできた愛の結晶は所詮自分ではなく別の人間です。そして自分はあいかわらず半身は半身のままで、欠乏感を味わい続けます。
すると、よりその相手と深く繋がろうともがいたり、理想の相手を求めて恋愛遍歴を重ねたり、物理的証拠である子供に入れ込んでみたりする人もいます。何か別のもの、例えば収集や趣味、仕事なんかに没頭することで満たそう(忘れよう)とする人もいます。「欠乏感のためにそんなことしてるんじゃない!好きだから、楽しいからやってるんだ。」という反論もあるでしょうか。でもそういうことをしないでいると「つまんなーい」って声を上げるのではないでしょうか。
つまらないとは、文字どおり、満たされた状態から見て詰まっていないということです。これってある感情に似てませんか? あるはずのもの、あってほしいものが欠けていて、満たされない気持ち、それは「寂しい」です。
もしもですよ、その寂しさが完全に満たされたらどんな感じがするでしょうか。満たされてもう何も求めることがない状態です。簡単な例え話だと、憧れの女性に告白したらOKの返事がもらえたとします。その時はもうそれは天にも昇る気持ちで、補完完了って言っても過言ではない喜びでしょう。でも5年経ったらどうかしら。同じ感動を彼女を前にして感じられるかしら。それは過去の1点のみの感覚でしかないことに気づくでしょう。
そしてそれは、もっと仰々しく、数々の黙示録的なイベントを潜り抜け、補完完了した千年王国が人類の前に開けたとしても変わらない真理です。時間を消し去ったある点のみが補完されただけで、人はまた欠乏感を埋めるための飽くことなき旅を始めるのです。それは満ち欠けをくりかえす月のよう。満ちたと思ったら欠け、欠けたと思ったら満ちる。
人が神のような完全体となり、男女が求め合わなくても今までのような寂しさを感じることがなくなったとしても、この世で生命を継いでいくためには、単為生殖やクローンを行うことになるでしょう。完全な自分をコピーし続ける。繰り返すって変化がないってことでしょう。すると「つまらん!」と言って、今とは別の寂しさを見つけるはずなのです。
または、補完を永遠にするために、時間を感じる装置としての肉体を消し去って(死)、高次元へと旅立ったとします。しかしそこでの常にオーバーフローし続ける状態(「神の愛」)は、地球上の空気と同じです。無いことに煩わされることがない代わり、別の課題(別の寂しさ)に直面します。ここでは「満ち」が永遠なら、「欠け」も永遠なのです。
今の寂しさが補完されたからといって、人にとって救いになるでしょうか。残念ですが、私はそうは思いません。人は肉体を持っていて不完全だから寂しい、寂しいから満ちる感覚が味わえる。それこそが人の世で言う「愛」とか「喜び」のことでしょう? 寂しさこそ神様が人に与えてくれた恩恵なのではないでしょうか。補完された結果を目指すよりも、プロセスを丁寧に辿るほうが人にとっては大切なことなのです。
で、何の話かって?
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さすがに生物の場合、半身を求め合った結果、背中合わせに元通りになるなんてことはありませんが、その代わり、男と女が交わって子が生まれる。男と女の物理的補完の証拠が子であると見なすこともできます。さらにその子は男か女かのいずれかであり、いずれ自分の半身を求めてまた物理的な証拠の子を残す。こうやって人は物理的に補完して、生命を継いで来たのでしょう。
ところが物理的証拠ができたからといって、当人に永遠に補完が保証されるかというとそうではない。互いを求め合って補完してできた愛の結晶は所詮自分ではなく別の人間です。そして自分はあいかわらず半身は半身のままで、欠乏感を味わい続けます。
すると、よりその相手と深く繋がろうともがいたり、理想の相手を求めて恋愛遍歴を重ねたり、物理的証拠である子供に入れ込んでみたりする人もいます。何か別のもの、例えば収集や趣味、仕事なんかに没頭することで満たそう(忘れよう)とする人もいます。「欠乏感のためにそんなことしてるんじゃない!好きだから、楽しいからやってるんだ。」という反論もあるでしょうか。でもそういうことをしないでいると「つまんなーい」って声を上げるのではないでしょうか。
つまらないとは、文字どおり、満たされた状態から見て詰まっていないということです。これってある感情に似てませんか? あるはずのもの、あってほしいものが欠けていて、満たされない気持ち、それは「寂しい」です。
もしもですよ、その寂しさが完全に満たされたらどんな感じがするでしょうか。満たされてもう何も求めることがない状態です。簡単な例え話だと、憧れの女性に告白したらOKの返事がもらえたとします。その時はもうそれは天にも昇る気持ちで、補完完了って言っても過言ではない喜びでしょう。でも5年経ったらどうかしら。同じ感動を彼女を前にして感じられるかしら。それは過去の1点のみの感覚でしかないことに気づくでしょう。
そしてそれは、もっと仰々しく、数々の黙示録的なイベントを潜り抜け、補完完了した千年王国が人類の前に開けたとしても変わらない真理です。時間を消し去ったある点のみが補完されただけで、人はまた欠乏感を埋めるための飽くことなき旅を始めるのです。それは満ち欠けをくりかえす月のよう。満ちたと思ったら欠け、欠けたと思ったら満ちる。
人が神のような完全体となり、男女が求め合わなくても今までのような寂しさを感じることがなくなったとしても、この世で生命を継いでいくためには、単為生殖やクローンを行うことになるでしょう。完全な自分をコピーし続ける。繰り返すって変化がないってことでしょう。すると「つまらん!」と言って、今とは別の寂しさを見つけるはずなのです。
または、補完を永遠にするために、時間を感じる装置としての肉体を消し去って(死)、高次元へと旅立ったとします。しかしそこでの常にオーバーフローし続ける状態(「神の愛」)は、地球上の空気と同じです。無いことに煩わされることがない代わり、別の課題(別の寂しさ)に直面します。ここでは「満ち」が永遠なら、「欠け」も永遠なのです。
今の寂しさが補完されたからといって、人にとって救いになるでしょうか。残念ですが、私はそうは思いません。人は肉体を持っていて不完全だから寂しい、寂しいから満ちる感覚が味わえる。それこそが人の世で言う「愛」とか「喜び」のことでしょう? 寂しさこそ神様が人に与えてくれた恩恵なのではないでしょうか。補完された結果を目指すよりも、プロセスを丁寧に辿るほうが人にとっては大切なことなのです。
で、何の話かって?
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2009年06月21日
オープンソース的東のエデン
貨幣換算して100億円分の願い事がかなう魔法の携帯電話−ノブレス携帯。これを与えられた12名の日本人はセレソンと呼ばれます。電話口には必ずジュイスという女性コンシェルジュが出まして、願い事の受理・非受理を伝えます。セレソンNO9、「東のエデン」(*1)主人公の滝沢青年が最後にお願いしたのは「ジュイス。俺をこの国の王様にしてくんない?」
失踪したと思われていた2万人のニートは、滝沢青年が第1回目のミサイル攻撃から住民を避難させた時に協力を仰いだネットユーザーたちと思われます。滝沢青年は避難先で暴徒化する彼らを不動産開発で沸き立つドバイに労働者として送りこみ、ほとぼりが冷めたころに日本に帰ってこさせるよう手配。事情も知られないまま船のコンテナに積まれて帰ってきたニートたちが首謀者と認識した滝沢くんに関を切ったように襲い掛かろうとしたとき、60発ものミサイルによる日本全土への攻撃が始まろうとしていました。第1回目、そして今回のミサイル攻撃は、他者の持つノブレス携帯での願い事でした。
滝沢青年は怒れる2万人のニートを前にして「やつらは直列でつなげばすごいポテンシャルを発揮するんだ。」と言って、彼らに解決策を「東のエデン」サイトに書き込むように指示、それが唯一の助かる方法だと煽り立てます。そしてジュイスにこの中から一番いい解決策を探し実行するように依頼をし、無事ミサイル攻撃は回避されます。
そして最後に滝沢くんがこの事態の収拾を付けるのにお願いをしたのが「ジュイス。俺をこの国の王様にしてくんない?」(HDDレコーダーがないのでうろ覚え…)

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失踪したと思われていた2万人のニートは、滝沢青年が第1回目のミサイル攻撃から住民を避難させた時に協力を仰いだネットユーザーたちと思われます。滝沢青年は避難先で暴徒化する彼らを不動産開発で沸き立つドバイに労働者として送りこみ、ほとぼりが冷めたころに日本に帰ってこさせるよう手配。事情も知られないまま船のコンテナに積まれて帰ってきたニートたちが首謀者と認識した滝沢くんに関を切ったように襲い掛かろうとしたとき、60発ものミサイルによる日本全土への攻撃が始まろうとしていました。第1回目、そして今回のミサイル攻撃は、他者の持つノブレス携帯での願い事でした。
滝沢青年は怒れる2万人のニートを前にして「やつらは直列でつなげばすごいポテンシャルを発揮するんだ。」と言って、彼らに解決策を「東のエデン」サイトに書き込むように指示、それが唯一の助かる方法だと煽り立てます。そしてジュイスにこの中から一番いい解決策を探し実行するように依頼をし、無事ミサイル攻撃は回避されます。
そして最後に滝沢くんがこの事態の収拾を付けるのにお願いをしたのが「ジュイス。俺をこの国の王様にしてくんない?」(HDDレコーダーがないのでうろ覚え…)

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2009年05月25日
ホランドの『追放と王国』
「ヘウーレカ!ヘウーレカ!(見つけた!見つけた!)」と入浴中だったアルキメデスが王の冠の金の純度をしらべる方法をおもいついたとき叫んだそうですが、劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」(*1)を見に行きましたら、主人公のレントン少年は「エウレカー!エウレカー!(ギリシャ語読み方違い)」と劇場いっぱいに連呼しておりました。エウレカってレントン少年の幼馴染の少女の名前ですって?
この映画で発見された真理ってなんだったのかなって考えてみますと、「夢を見ることが世界を作ること。」というメッセージがヒントになりそうです。一見「『信じれば叶う』系の自己啓発系? 安直な…。」とつっこみが入りそうなのですが、むしろスピリチュアル系と申しましょうか。「ぐあッ、キターー(・∀・)ーー、ニューエイジ系(*2)。映画の時間制約分、サブカル純度が上がったぞ!」と旦那さん劇場で小さく叫んでましたから…。

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この映画で発見された真理ってなんだったのかなって考えてみますと、「夢を見ることが世界を作ること。」というメッセージがヒントになりそうです。一見「『信じれば叶う』系の自己啓発系? 安直な…。」とつっこみが入りそうなのですが、むしろスピリチュアル系と申しましょうか。「ぐあッ、キターー(・∀・)ーー、ニューエイジ系(*2)。映画の時間制約分、サブカル純度が上がったぞ!」と旦那さん劇場で小さく叫んでましたから…。

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