2010年08月14日

赤塚不二夫のおコトバ

「赤塚不二夫のおコトバ マンガ人生50周年記念出版」(株)二見書房

この本を読んで自分のことを言われてるみたいと思った言葉……。

『理屈っぽい人に頭のいい奴はめったにいない。自分のことを何か言いたいヤツがいる。そういう奴が理屈を言う。理屈を言うヤツは自分が頭がいいと思ってる。変な自信を持っている。そういうのって、いっちゃ悪いけどろくでもない、自分は頭がいいと思ってるけど、世間からみたら頭が悪い。バカほど理屈を言う、それが自分が利口と思える手段らしい。』

私も相当「理屈っぽい」ので、赤塚不二夫にバカだと言われるかもしれないなあ……。

『頭のいいヤツは、わかりやすく話す、頭の悪いヤツほど、難しく話すんだよ。』

上記の言葉も、同じことをずっと前から思っていたけれど、それをこんなに簡潔に表現できるなんて、赤塚不二夫ってすごく頭が良い人だったんだなあと思いました。

『自分がいつも一番下だと思っていればいいの。そうすれば、人の言うことがよく頭に入ってくるの。』

私もあるとき、「周囲の人はみんな先生なんだ! 」と気付いたのですが、赤塚不二夫のみごとな表現に感動しました。

『人に自分が何やっているか言う必要はないの。ただ、やればいいんだよ。』

そうだよなあ……と思うのですが、私はしゃべりたくなってしまう。自分を知って欲しいという「我」なのでしょうね。

『若い時は外見を見るの。なんでも許される子供だから。年を取ると、人として見る。だから、同じようなことやってると失敗するよ。人格を見られるんだ。』

やっぱり年相応にならなければ……と、改めて思わされました。

赤塚不二夫のことはほとんど知りませんでしたが、先日、手塚治虫の娘と水木しげるの娘と赤塚不二夫の娘の対談本を読んで、「赤塚不二夫ってすごく浮気な人だったんだな」という印象を持ちました。

そして今回、この「赤塚不二夫のおコトバ」という本を読んで、だいぶ人となりがわかったような気がしました。

すごく愛きょうのある人だったみたいだな。浮気者だし、お酒がないといられなかったようだけど、なぜか憎めない。そんな感じ。

ものすごく上品な母親がこの本を読んだら、絶対この人の漫画は子供に読ませない! と思うかもしれないけど、私は好きですね。この手の本。

ざっくばらんであけっぴろげで真正直だから。女性にすごくもてたというのも、わかる気がするなあ……。

ある意味、もんたさんと共通点があるような。

まあ、もんたさんは「浮気はしない」し、お酒におぼれているわけでもありませんが、やはり「ざっくばらんであけっぴろげで真正直」な人ですから。

(もし自分が浮気をしたら、奥様が浮気をするのも認めなければならないと思っていて、それは嫌だから自分も浮気はしないそうです。さすがもんたさん! )

もんたさんのことはさておき、今度は赤塚不二夫の漫画を読んでみたくなりました。

Posted by はるこ at 00:34  |Comments(0) |  , もんたさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

お母さんは悲しいよ

先日のNHKの朝ドラを見て、久しぶりにカッチーン! ときてしまいました。

なぜかと言うと、主人公であるふみえの言葉が、私の母と重なったからです。

「お母さんは悲しいよ……」

ふみえが学校に提出する書類の「職業欄」に「漫画家」と書いたことについて、娘のあいこが「なんで漫画家って書いたの。自営業って書いてくれればよかったのに。」と言った後の、ふみえのセリフです。(私の読んだ本によれば、それだけでなく、カッコ書きで水木しげると名前まで書いたそうで)

ふみえは「漫画家は恥ずかしい職業じゃない」と、何とも的外れなことをあいこに主張していました。

ねえ、誰が恥ずかしいなんて言った??? あいこはそんなこと一言も言ってないでしょう。

というか、あいこがどうして「自営業」って書いてほしかったのか、なんで聞いてあげないの? 自分の気持ちを押し付ける前に……。

まあ、私も母親ですから、子供への接し方で後悔したことは多々あります。だから人のことは言えないのですが、やはり自分とあいこが重なってしまっているのでしょうね。

私も同じ言葉を母に言われたことがあります。「お母さんは悲しい」と。そんなことを言われたら、子どもはもう何も言えません。その時の記憶が蘇ります。

なんて卑怯なんだろう。私がどう思ったかなんて、どうでもいいんだ。私がどんなに苦しかったか、気づこうともしないで……。

と思っているのに、私は泣いて謝りました。子どもにとって、どんなに不本意でも、母親が悲しむのはつらい。しかも、自分の言葉によって悲しませたなら、悪いことをしてしまったと思うものです。

同じ母親の立場で見れば、大変な姑との同居や、忙しすぎて相談はおろか、ろくに話をすることもできない夫との関係の中で、子どもの微妙な心理状態まで把握できなかったのは無理もないと思います。

私も義母と同居している頃のことを思い出すと、朝から晩まで忙しくて、息子の様子をしっかり見てやれていたとは思えませんから。

でも、やっぱり子供の立場からすれば「お母さんに話したって無駄だ」と思うよなあ……。私はそうでしたから。

子供の立場でカチン! と来て、母親の立場で仕方ないかなあと思い、それでも、あの言葉は忘れられない、苦い思い出なのです。
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2010年08月07日

神様が喜ぶ生き方

NHKの朝ドラの影響で、「貸本マンガ」についての本や、水木しげる関連本、手塚治虫とその周辺のマンガ家たちについての本などをいろいろ読んでいます。

ふーん……水木しげると手塚治虫の間に確執があったなんて、初めて知りました。

私は昔から手塚治虫のファンです。(と言っても、有名なものしか読んでいませんが)

そういえば、最近初めて読んだ手塚治虫の「どろろ」の後書きに、水木しげるの妖怪ブームのことが書いてあって、手塚治虫は自分を「負けず嫌い」と称し、「自分にも(あのくらいのものは?)描ける」というところを見せたかったと書いてあったような気がします。

水木しげるは水木しげるで、手塚治虫のことを「何でも一番でないと気が済まない人」と皮肉ったマンガを描いたことがあるとか。

「一番でなくたって、飯を食えさえすればいいんです」というようなことを言ったと、何かの本に書いてありました。

手塚治虫のマンガは好きだし、天才だし、自分で描いたというよりも「(神様に)描かされたんだろうな」と思っていました。

でも、水木しげるの方が神様が喜ぶ生き方をしてきたみたい……という印象を受けました。(読んだ本だけで判断しているので、間違っているかもしれませんが)

それはなぜかというと、水木しげるは、「常に自分の心をコントロールしている」からです。手塚治虫は、他人の良い作品を読むと穏やかではいられなかったようですから、人に心を乱されています。自分の心をコントロールしきれていなかったのでしょう。

水木しげるは、環境に左右されず、どんな状況でも明るく前向きに積極的に生き、人の三倍努力して、人の意見に振り回されない。そして無欲。(……と書いてありました)

片腕を失おうと、貧乏だろうと、自分の作品が認められなかろうと、「好きだから描く」。そして努力する。

戦争で片腕を失った時、同じように身体障害者になってしまった人々の落胆ぶりを見て、「ああなってはいけない」と思ったそうです。

他の傷病兵たちが、面白いことを聞いても笑うこともなく、どんなときでも自分の体のことを嘆いている姿を見て、自分は明るく積極的に生きていこうと決心したとか。発願ですね。

なるほどねえ……。と、本をいろいろ読んで思いました。神様のことなど全く知らなくても、神様の喜ぶ生き方をしている人はちゃんと成功するんだなあと。

成功と言うなら手塚治虫の方が成功しているのかもしれませんが、他人を気にする分だけ自分自身を痛めつけていただろうなあと。自分の魂を苦しめるのを神様は喜ばないそうですから。

私もずっと人間関係で悩み、葛藤してきましたが、今まさに、「自分で自分の心をコントロールする修行」の真っただ中だなあと感じます。

人に何を言われても、どんな環境であろうとも、心を常に明るく前向きに保つ修行です。

そのためには、人を悪く思わないこと。人を悪く思わないためには、我を捨てること。そして愛念を持って人と接すること……。

最近また、私のことを露骨に避け始めた人に対して愛念を向ける努力を続けていて、その人に心から温かい言葉をかけられたときには、あ、私もここまで来られたかと嬉しくなりました。

以前は一生懸命頑張って愛念を向けようと努めていたけれど、今回その人に温かい言葉をかけたとき、それが私の心から自然にわき出たのがわかったのです。

まあ、だからといってその人の態度が軟化するわけでもありませんが、それを期待するのは我ですからね。

愛念を持って他人のことを祈るというのが私の役目なのですから、自分の心をコントロールできるようにならないと始まらない。とっても難しいですが、少しずつは進歩している気がします。

修行は終わることはないのですから、昨日よりも明日、明日よりも明後日と、前へ前へと進みたいです。

Posted by はるこ at 00:56  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月27日

我がことを離れて

最近、ほんの少し人のことを悪く言うだけでも、かなり自分の心にダメージを受けるようになりました。

「あの人がちょっとね……」くらいでも。こう言われたのああ言われたの、こういう態度をとられたのと、具体的に何一つ言わなくとも。

悪口、陰口というのは、結局は「自分のことは棚に上げて、人を批判する行為」だからでしょうね。

「私だって悪いところがあったのかもしれないのに、あの人だっていいところもあるし、優しくしてもらったこともあるのに、まるっきり自分だけが正しいかのようなことを言っちゃったかな……」と、苦しむのです。

ましてや、それを聞いてくれるのは私のことをとても心配してくれる人なのに、そんな人にまで、「この人(私)を苦しめるなんて、あの人って嫌な人なのかも」というマイナスの感情を起こさせてしまう。

人の悪口を言っても、いいことは何もないですね。

でも、人間関係の修行がかなり長引くと、ついつい人に愚痴をこぼしたくなってしまう。でも、愚痴をこぼせば自分がまた苦しくなる。

深見先生は、人に愚痴をこぼさず、なんでも神様に投げかけなさいと言います。誰にも言わずに抱え込んでいたらストレスがたまるだけなので。

それで、「神様〜、修行だということは理解しています。わかってます。私の我をなくすためだということですよね。でも、あまりにも最近はつらいです。どうしたらいいんでしょうか……」と、投げかけていたら、今朝、わかりました。

なんだ、ずっと前から言われていることじゃないか。単純なことじゃないか。頭だけで理解したつもりになっても、実践が伴わないからダメなだけじゃないか……と。

結局は、やっぱり、「愛念」が足りないということです。

あの人がどうの、この人がどうのと悩む前に、全ての人が幸せでありますようにと祈る。それが足りないだけでした。

「全ての人」の中には当然、自分も含まれますからね。

神様の存在を確信するほどの証をいただきながら、今世でワールドメイトに出会えていながら、ワールドメイト会員の基本中の基本、「我がことを離れて人の幸せを祈る」が未だにできていないだけだったのでした。

我がことを離れるには我を捨てなければなりません。我を捨てるにはどうしたらいいんだと悩んでいたけど、「我がことを離れて人の幸せを祈る」を、できないながらもやろうと努力していくうちに、我もなくなっていくのではないかと思いました。

卵が先か、ニワトリが先か……。

そして、今朝はたった5分しか時間がかけられませんでしたが、祝詞をあげ、職場の人々の顔を思い浮かべ、愛念を込めてみんなの幸せを祈ってから出勤しました。

すると、やっぱり違いますね。昨日よりも和気あいあいでした。

それは、お祈りの成果と、お祈りをしたから大丈夫という自分自身の安心感と、愛念を出すことによって私の気持ちや態度が昨日よりも柔らかかったであろうことなどなど、いろいろな要素が絡み合っての結果だと思います。

毎日、毎日いろいろな気づきがあり、「これが核心に違いない! 」と思っても、次の日になればまた、もっと深いことがわかる。

最近はまた、そんな日々です。

何事もなく楽しく暮らしている時には、何も気づけません。つらくて苦しくて悩んで、どうしたらいいのかと神様に投げかけるから、気づけるのです。

人間は成長するために生まれてきたのだから、「思い通りにならない人生こそ、最高に良い人生」というようなことを深見先生は言っています。

つらいなあ、嫌だなあと思いながらも、気づきが毎日のようにあり、気づいた瞬間にその苦しさがパッと消えてしまうという体験を重ねていると、やっぱり深見先生の言うことは正しいんだなあと実感します。

まあ、そんなこと言ったってつらいのは嫌だ! と思うことも多々ありますけど。

とにかく、基本中の基本を実践できるように頑張ってみようと思います。
Posted by はるこ at 18:25  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月18日

息子の近況

息子の近況を書こうと思います。

去年は美術部の部長として部を立て直すこと、やる気の全くない顧問の先生との交渉や、そんな先生のもとで遊んでしまう部員達との関わりの中でどんどん磨かれていた息子でした。

そして、今年は若くてやる気満々の先生が顧問になり、さあこれから! というところなのですが、息子は「体を鍛えたくなった」のだそうです。

まあ、私が「今のうちに体を鍛えた方が良い」とか、「運動部の子とは体力にかなり差がついてしまうかも」とか言ったからかもしれませんが。

運動能力テストの結果をみると、息子は悪い方ではなく、むしろ文化部で、学校外でも全く運動していないわりには、かなり良い方だったのです。

去年、野球部の子に「お前が美術部なんてもったいねえ」と言われた話しは書きましたが、最近は陸上部の子に誘われていたとか。

で、息子は「陸上部」に転部することにしたそうです。もともと走るのは好きだし、早い方だし、個人競技の方が向いているようなので。(以前、野球部やバレー部にも誘われていましたが、息子は球技はあまり得てではないようです)

でも、部長だから、途中で投げ出すのは無責任なんじゃないかなど、しばらく悩んでいたようです。

しかし、私は自分のやりたいようにやれと言いました。息子は一年生で部長をやっていたのだから、部長交代にはちょうどいい時期だと思いましたし。

顧問の先生も「体を鍛えたい」という息子の気持ちをすんなり理解してくれたようで、良かったです。

息子の修行もどんどん進んでいるなあと感じます。これが息子にとっての場所がえだなあと。

美術部での修行はもう終わり。これからは運動部に入り、また環境は厳しくなるのでしょうが、修行というのは、進めば進むほど大変になるものなのです。

でも、息子は「怠りが最も悪い」ということを私よりも正確に理解していて、どんなときでもサボろうとかなまけようとかいう発想がないようです。

息子ならやれると信じ、これからもどんどん厳しい環境になっていくであろう息子を見守りたいと思います。
Posted by はるこ at 16:53  |Comments(0) | 子供 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

結局、やっぱり「我」

また職場の同期の間でいろいろありました。

それで私は毎日様々なことに気づき、結局は、全て自分の「我」のせいか……という結論に達しました。

そして、「我」は「我」でも、私の場合は「自分の話を聞いてほしい」という「我」が最も強い、最もなくしがたいものなんだということにも気づきました。

気づきましたというか、それは昔からわかっていて、その段階段階に応じて改善するよう努めてはきたけれど、それでもやはりなくせない、無意識の中にまだたくさん残っているということに気づかされたのでした。

先日、同期の人から「余計なお世話! 」ということを言われ、以前よりは進歩している私が、いくら穏やかに言葉を返すことができたとしても、やはり「我」を通したことには変わりなかった……ということがあったのです。

まだまだ修行が足りなかった……。

あの時点で、たとえ形だけでも相手を受け入れる心の余裕が私にあれば良かった。ただそれだけのことだったなあと。

「自分のことなど二の次」にできないところが私の最大の欠点。

若いころ、占い師の人に「あなたは我が強いですね〜! 」と何度も言われたのはそういう部分のことだったのでしょうね。

普通の人は、妻になり母になれば、誰でも自然に「自分のことは後回し」にしています。

私もしているつもりでしたが、本当に必要最低限だけだったなあと。

だんなが以前、「お前はああ言えばこう言う」とか、「お前と話してると腹が立つ」と言っていたのは、自分を最優先している私を非難していたのですね。あのときは「思ったことを言っているだけなのになんで??? 」と悩みましたが。

結局、「だんなが話したいことをただただ聞いてあげる」ということが私にはできなかったのです。それについて私が思ったこと、感じたことを言わずにはいられない。でも、だんなは私の意見など求めてはいなかった。ただ、自分の話を聞いてほしかっただけなのですね。

図書館パートの頃、「自分のことばかり話しちゃダメだ」と気づき、それからは気をつけていたつもりでした。

しかし、今、それはまだ「聞いているふり」だけだったのだなあとわかりました。

だいぶ前、同期の人に「あなたに話したって仕方ない」と言われたことがありましたが、その人は私が「人の話を聞いていない」ことに気づいていたのでしょうね。私は聞いているつもりだったのですが。

今までずっと悩んでいたことの答えが本当の意味でわかったような気がしました。

どうして私はこんなに冷たいんだろう。……それは、「我」のせい。自分を最優先していたせい。自分のことばかり考えているから、家族のためにしてあげなければいけないことに気づくのが遅れたり、おろそかになったり。

誰も私に相談してくれないのは、やっぱり自信がないからなのかな。……というより、人の話など聞いちゃいなかったから。自分は親身になって聞いているつもりでも、心の底から相手のことだけ、相手のためだけを思って聞いてはいなかったから。(それに対してなんて言ってあげようということばかりにとらわれていたから)

これまでも、同期の人たちとの関係はかなり難しいものでしたが、それもこれも、全て私の「我」に気づかせてくれる環境だったのだなあと実感しました。

一見悪い環境のように思えても、それは成長のために与えられている場なんだということを、改めて感じました。

すると、一番やりにくい人って、私の守護霊様が一番かかっている人なのかもしれないなあ。

普通の人はこんなこと言わないよな! と思うことをビシバシ言ったり態度で示したりしてくれますから。

我がない人って、人に何かを言われて「カチン」と来ることなどないのだそうです。

「昔はそうだった」と友達が言っていました。(今でもあまり我のなさそうな人ですが)

入社して2年とちょっと。人間関係もだいぶ改善されてきてはいますが、ここへきて、だいぶ今回の修行の核心に近付けたような気がしました。

この気づきがきっかけで、一気にここをクリアーし、次へ進みたいものです。

Posted by はるこ at 16:29  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月09日

相手を見極める

最近私は、「価値観の違い」について、以前よりよくわかった気がします。

周りの人が私の発言を、私が全く思いもよらない角度からとらえて返事をしてくるのを聞いた時に、ハッと気付いたのです。

そうか。価値観が違うってことは、発想自体が自分とはまったく違うってことなんだなと。

結局、私が思っている方向で私の発言をとらえてもらえるかどうかは相手次第ということです。もっと言えば、自分の思っているようにとらえてくれる人など、極めて少ないような気がします。

それなら、自分の思った通りの発言をし、周囲に迷惑をかけないようなことなら、自分の気持ちに正直な行動をとらなければ損だなと。

なぜなら、周囲に気を使って自分の気持ちを偽った発言・行動をしても、またそれを良く思わない人も必ずいるからです。

どうせ良く思われないなら、(良く思わない人がいるなら)自分の気持ちに正直でありたいと。

気を使って誤解されるより、正直に生きて誤解される方がまだましですからね。

これまでも、わりと自分に正直に生きている私は、確かに人から叩かれやすいのかもしれません。

が、そんな私を支持してくれる人も必ずいます。

「この人の言うことなんて聞くに値しない」と思う人もいれば、「またお話聞かせて〜。あなたと話すとすごく勉強になるから」なんて言ってくれる人もいます。

要は、前者に対して「全く! 私の話なんてどうでもいいと思っているんだから! 」なんて憤る必要はないということです。

そういう人の方が多いんだなと思えば、別にその人が悪いわけでも、わからずやというわけでもなんでもないんだなあと気づきます。

ただ、私とは価値観が違うだけ。私の話自体が、その人にとってはどうでもいいことだというだけ。

私が大事に思っていることを大事に思わない人がいても当然ですものね。それに対して憤るというのは「我」ですよね。

あ、この人はこういうことには関心がないんだなあと理解し、その人とはそういう話をしなければいいだけのことです。

私の話を理解しないから相手が変だとか悪いだとかいうことは全くないんだと気づいたわけです。

自分と違う、世間一般と違うということは悪いことではないのです。人に迷惑をかける場合は別ですが。

みんなと一緒じゃなくてもいいんです。それぞれ個性が違って当たり前なんですから。

みんなが自分と違う意見の人を認められるようになれば、結局、自分も生きやすい環境に変わっていくんだろうなあと思います。

私の周囲の人で、「全く人を待たない人物」がいます。私が最初にその人を待っていても、その後、私が何かで時間がかかっていると、その人は「じゃ、いってるね」と言って、どんどん歩いて行ってしまいます。

最初は私も「何? あの人」と思いましたが、その人は「そういう人なんだ」、その人にとって「最初自分を待ってくれていた人を置いて先に行く」という行為は、全く悪気のないことなんだと分かった日から、何とも思わなくなったのです。

でも、他の人は私に「あの人、いつも先に行っちゃうのね」と、怒っています。私のために怒ってくれているのです。

しかし、そういうふうに思っていたら身がもちません。いちいちその人の行動に対して憤っていたら病気になってしまいます。

それなら、「あの人はそういう人」と思って、それなりに付き合った方が自分を守れます。ストレスもためず、胃をやられることもありません。

世間一般では、そういう場合、「待ってくれる」、あるいは、「先に行くと言ってもゆっくり歩き、途中でちょっと待っていてくれる」というのが「普通」だとしても、そうでない人を悪く思わなくてもいいわけです。

意地悪でやっている場合は別ですが、それがその人にとっての「普通」なら、気にしない方が身のためです。

この考えってなかなか理解してもらえないみたいですが。

でもまあ、私はこれからもっともっと、人それぞれの個性を見極め、それなりに付き合っていこうと思います。それが相手にとっても私にとっても良いことだと思いますから。
Posted by はるこ at 00:22  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月08日

息子のジョーク

テレビ番組の挿入歌を聞いて。

私  「あ、オブラディ・オブラダだ! 」
息子 「カムロギ・カムロミ? 」

これは息子の冗談です。私は大爆笑ですが、わかる人は少数かも……。
Posted by はるこ at 23:25  |Comments(0) | 子供 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月04日

どんな人の話でも

職場で、親切だし、良い人たちではありますが、どうにもこうにも話がかみ合わない、私などとるにたらないと思っているというか、私に「教えてやらねば! 」という感じで、必ず反対意見を述べる人たちとの関係に、最近少々疲れを感じていました。

善意で言ってくれているのがわかっているから余計に疲れるのです。

でもそれって、いくら善意ではあっても、やはりその人たちの「我の押し付け」に思えてしまいます。

私には私の価値観があるし、私のやり方もある。価値観の違いというのはどちらが正しいという問題ではないのにもかかわらず、「こちらが正しい」という観点で言われると疲れます。

そのように、少々疲れていた私でしたが、職場の同じチームの中で、話をしていてあまりにもスルスル会話が続き、全くストレスも感じない人と出会いました。

一年以上、会話をすれば必ず反対意見を出されるという関係を続けてきた私にとって、その人との会話はものすごく楽で、楽しいものでした。

また、以前同じアパートに住んでいた、息子より一つ下のお子さんがいる人とも、「教育」に関する話題でスーッと意見が合い、とても活発な意見交換ができました。

そうか。私だって価値観の合う人や、性格的に合う人と話をすれば、それほど自分自身について悩むことなどないんだなあと、改めて気づきました。

価値観の違う人たちの中にいると、自分が不快に思うことでも周りの人は全くそう思わないようだし、(人ごとだからかもしれないけど)私を不快にさせる張本人も、私が不快になるなど夢にも思っていないようなので、「私の方が歪んでいるのかな??? 私の取り方がとても悪いのかな??? 」と思ってしまうのです。

でも、やはり私と同じように感じる人もいるし、私よりよっぽど悪く取る人もいるようです。

いろいろ考えさせられますが、でも、やはりわかることは、「人の考え方って、本当に千差万別なんだな」ということです。

同じ話をしても、その話をどう取るかは人によって全く違う。また、話をする人のことをその人がどう思っているかによっても、全く取り方が違うし、反応も違う。

価値観の違う人たちは、私のことなど取るに足りないと思っているふしがあるようで、私の意見などあまり聞いてくれませんが、他の人が同じことを言えば、スンナリ受け取ったりします。(さっきから私も同じこと言ってるじゃんかと思います)

でも、価値観が同じ人や性格が合う人は、私の話を最初から「よく聞こう」と思ってくれているので、会話がスムーズに進むようです。

……結局は「相性」の問題でしょうね。

でも、「これはみんなにとっても大切だと思う話」を、もっとスムーズに受け取って欲しいなあ、たくさんの人に伝えられるようになりたいなあと、常に私は考えています。

だから余計に、「人に世話されているようじゃダメ」と思ったりするのです。

みんなが私の話を「よく聞こう」と思ってくれるような自分になりたいなあと。

まあ、一歩一歩、そんな私になれるように努力していくしかありませんね。

それと同時に、私自身は偏見など持たず、どんな人の話でもよく聞くようにしたいと思います。そうでないと、とても損をしてしまうかもしれませんから。
Posted by はるこ at 00:50  |Comments(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

学問とは

先日、また職場の人間関係でいろいろあり、どうしようもなく「くさくさした気持ち」になりました。

いくつもある原因の中で、「私はいつまでたっても人にお世話される人間で、人に頼られることなんてあまりない……」という落ち込みもありました。

この感情をどうしよう、どう切り替えようと数時間苦悩していたのですが、トイレの棚に置いてある本をふと手に取り、ハッとしました。

『「なりたい自分」になる心理学』 三笠書房 國分康孝著

少なくとも5年以上前に愛読したこの本の中の、この言葉……。

『かわいげのある人とは、人に世話をされることを許容できる人であり、世話をされたら気持ちよく「ありがとう」といえる人である』

……。私はいつも人にお世話してもらって情けない……と思っていたけれど、「自分はかわいげのある人なんだ」と思えば、少し気が楽になるような……。

まあ、たまに落ち込むこともありますが、お世話をしてもらえばやはり嬉しいし、嬉しいから「ありがとう」とは言っています。

そうか。みんながお世話をしてくれるってことは、私に「かわいげがある」ってことなのかも???

本当は、ただ「見ていられない」だけなのかもしれませんが。

でも、それで心の切り替えができました。

「学問」とは、心の切り替えをするためのものだそうです。いろいろな書物から学んでも、それを自分の心の切り替えに役立たせることができなければ、「学問」とは言えないのだそうで。

つまり、いろいろ勉強するのは、自分の心を切り替えるための、理由づけの種類を豊富にするためというか、そういう引き出しをたくさん作るためなのだそうです。

すると、この本で学んだことは、私の「学問」になっているのだなあと、とても嬉しい気持ちになりました。
Posted by はるこ at 00:33  |Comments(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

秦さんのコンサート

秦さんのコンサートのことを書きます。

秦さんのコンサートといえば、「面白い、笑える」、秦さんのことは「芸人みたい」という認識の人の方がもしかして多いのかなあと思います。

が、私にとって秦さんのコンサートは「ちょっと危険」です。

なぜかというと、自分の心のとても深い部分、もしかしてあまり向きあいたくない部分、向き合うのが怖い部分と、いやおうなしに向き合わされてしまうからです。

面白い歌もとても共感できて笑えて発散できていいのですが、秦さんの歌はそういう歌ばかりではありません。

主婦の心のものすごく奥深いところにまで沁み渡るような曲も多いのです。

中でも、「あなたへ」という曲。

秦さんは私がコーラス隊に参加したコンサートのとき、「この会場に来てくださっているお客様、全ての方のお母様に捧げます」とおっしゃいました。

私は勝気な母に、「あなたは私がいないと何もできない」というメッセージを常に受けて育ち、ものすごく愛されていることはわかっていたけど、それによって私はとてもつらい思いをした、そのことを全く何もわかっていないように見える母に対して、うらみがましい思いを抱いていた時期がありました。

コーラス隊に参加した時には、まだその思いを引きずっていて、母に対して素直になれない状態でした。

が、秦さんの「あなたへ」を聞いた時、突然わかったのです。わかったというか、思い出したのです。母が私にしてくれたことを。

私がしてもらえなかったこと、されて嫌だったことばかりを恨んでいた私に、母の私への深すぎる愛情の部分、してくれた一つ一つのことがどれだけありがたかったかを思い出させてくれたのでした。

「新学期の名前書き 夏休みの自由研究〜♪」もそうですが、「幸せ祈ってくれた〜♪」の部分。そうだ。私の幸せをいつもいつも祈りながら育ててくれたに違いない! と思ったとたん、母に対するわだかまりがスポーン! とどこかへ行ってしまった気がしました。

母に申し訳ない気持ちでいっぱいになると同時に、もし秦さんの歌に出会わなかったら、母が死ぬまでこんな気持ちになれなかったかもしれないと思い、とても恐ろしい気がしました。母が死んだ後に初めてわかったことかもしれないと。

そして、母をコンサートに誘ったのです。

強運の持ち主のように私が感じている母は、やはり私が思っていた通り、会場のお客全員と秦さんとのじゃんけんに一人勝ち残り、インタビューを受けました。そこで、私の母の歌を秦さんが即興で作ってくださいました。

趣味は「カラオケ」と言った母のことを、秦さんはこう歌っていました。

「私のバーゲン・バーゲンを歌ったことがありますかと聞いたら〜正直にないと言った〜♪」(こんな感じ)

それを聞いて私は、「まさに母の歌だなあ」と思いました。

私も母も「馬鹿正直」なのです。え! 歌ったこともないのに「歌ったことがある」と答える人もきっといるんだろうなあと、その秦さんの歌い方でわかりましたが。

私たち母娘にとって、「やったこともないことを、やったことがある」と答えるなど、絶対にありえないのですが。

そして、コンサートの最後にいつも秦さんはこの「あなたへ」を歌ってくださいます。

「とてもマネはできない とてもお返しできません
せめてこの歌 せめてこの歌 あなたにささげます

あなたの娘で良かった そう私が思うように
私を産んで良かったと 思ってくれれば嬉しい

あなたをずっと あなたをずっと あなたを思っています〜♪」

キーボードを叩きながら、また涙ぐんでいます。

このメッセージは、本当なら私から母へ伝えなければいけないのでしょうが、代わりに秦さんが思いを込めて歌ってくださいました。

そして私もコーラス隊のときに歌ったアンコール曲、「あなたが」も、母は受け取ってくれたと思います。

「あなたが大好き 大好き 言えないけど
あなたが大好き 大好き言わないけど〜♪」

私としては、いやーそこまでの気持ち、この冷たい心の私にはまだないのかもと思いますが、母はきっと過剰に受け取ってくれたでしょうから、これからそういう気持ちに近づいていきたいと思います。

夕方終わったコンサートの後、東京の実家へ戻り、父と待っていた息子を連れて家へ帰りついたのは21時30分ごろでした。

無事到着の電話を受けた母は、「夏休みにまた来るのを待ってるよ」と言いました。

そんなこと今まで言ったことないのに。電話すら、自分からしてきたことがない勝気な母なのに。

私の母の日のプレゼントは大成功だったかもしれません。

秦さんと事務所の方々に感謝! 感謝です。

※ところで、ゲストにモト冬樹さんが来ていらっしゃいました。私も好きですが、母も大喜びでした。
Posted by はるこ at 15:20  |Comments(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秦万里子さんへの思い入れ

母の日のプレゼント代わりに、母を秦万里子さんのコンサートに連れて行きました。

以前、秦さんの歌についてチラッとブログに書いたことがありますが、あのときも、実は秦さんにかなり思い入れはありました。でも、あのときはあえてサラッと書くにとどめていたのです。

が、今回は思いっきり書いてしまおうかな〜と。

以前私は、秦さんのコーラス隊に参加したことがあります。それまでは秦さんの歌をあまり聞いたことがなく、「バーゲン・バーゲン」をちょっと聞いたことがあったくらいでした。

でも、もともとコーラス部だった私は、「プロに指導を受けられる。プロのステージに立てる」ということに驚き、すぐさま申し込んだのでした。

そして、初めてお会いした秦さんはとても素敵な方でした。

本当に音楽を愛している。才能はすさまじすぎる。即興曲がお得意とは聞いていても、実際に目の前で今の状況をいきなり歌われると、ものすごく感動します。その、コーラス隊に向けた励ましのメッセージの温かさに、私は一人涙していました。(その歌で泣いていたのは私だけだったけど)

そして何よりも、「自分ができることで人を輝かせたい」という秦さんの心がストレートに私に伝わってきて、この人は素晴らしい……と心底敬服した次第です。

意地の悪い見方をする人は、「あちらこちらでコーラス隊を作って、ファン層を広げていく作戦」と取るのかもしれません。(ビジネスである以上、そういうねらいも全くないわけではないと思います)

でもでも! 実際に秦さんにお会いして、ご指導を受けた私にはわかります。秦さんも所属事務所の方々も、金儲けよりも「主婦を元気にしたい! 」という情熱でいっぱいだということが。

「われもよし、人もよし」の精神だから、秦さんはみんなに受け入れられていくんだな〜と思います。

もしかしてあまり出来の良くない生徒だった私たちのために、秦さんはご自分の大切なコンサートが始まる直前まで、声を張り上げてご指導くださいました。

本当なら、喉は休めておきたいはずですのに。

またまた意地の悪い人だったら、「だって、自分のコンサートであんまりへたくそじゃみっともないからじゃないの? 」なんて思うのかもしれません。

でも! 決してそうではないのです。コーラス隊に参加した一人一人に悔いが残らないように。完全燃焼できるように。この日のために頑張ったことをステージで出し切れるように……。

そのお心に感じ入り、また私はご指導を受ける列に並びながら涙ぐみそうになりました。

秦さんは、NHKで毎朝10時5分から、「歌うコンシェルジュ」という番組の司会を務めていらっしゃいます。(私は仕事なので見られませんが)

その中で、毎回即興で曲をお作りになっているそうですので、ご自分のエピソードを曲にしてほしい方は、どうか応募してください。毎日の放送なので、エピソードはいくらあっても足りないくらいだそうです。

母と行ったコンサートの話を書こうと思いましたが、長くなりすぎるので、次に書くことにします。
Posted by はるこ at 14:46  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

恥ずかしくて申し訳なくて

また私はものすごく恥ずかしくなりました。

以前、「恥ずかしいけど、気づかないよりまし」という記事を書いたような気がしますが、(内容も忘れていますが)、今回もそうです。

自分のダメさ、未熟さに気づくたび、恥ずかしくてやりきれなくて苦しくて、どうしようもなくなります。

自分が冷たい人間だということはわかっていたつもりでした。夫に対しても子供に対しても、自分の親に対しても。

そして職場で母性愛あふれる人たちに常に「あなたの子どもがかわいそう〜」と言われ続けながらも、やっぱり私は正しいと思っていました。自分が人よりも子供に厳しいというか、あんなに手放しの愛情を注げてはいないことには気づいていましたが、心の底からわかってはいませんでした。

常に「良い子」でいることが当たり前だという意識が私の中にありました。

息子の考えに寄りそい、息子の興味あることを広げる手伝いをし、息子の将来を考えてはいました。

が、私には手放しで息子を愛するという母性が足りない。と、気づいてはいたけど、心底わかってはいませんでした。

だんなに対してもそうです。私は心の底からだんなを心配したことがあるのだろうかと、今までの私の氷のような冷たさを考えると、恥ずかしくて苦しくてどうしようもなくなります。

だんなが先日、「お前は家族があるのに、自分の世界にすぐに入ってしまうところがよくない」と言いました。

今までは「そんなこと言ったって私にだってやりたいことがある」と、素直に聞き入れられませんでした。

でも、私は私である前に、妻であり母でもある。私は私であるということを前面に出すのは我だよなあ。私は自分を押し通す前に、やはり家族のことを考えなければならないというか、考えるべきというか、普通の人はそれが自然にできているのに私はできていない……。

私の、だんなや息子に対する今までの接し方を思うと、よくもまあ、こんな私につきあってくれていたよと思います。

息子が小さいときから何度も反省し、何度も優しい母になろうと思い、それでも甘えてきた息子に対してまた邪険にしてしまい、それをまた反省しという繰り返しでした。

でも、今度こそは心の底から私のダメさに気づいたつもりです。

現在出張中のだんなに毎日メールを送るというのも、初めてのことです。今までは、だんなのことをそれほど気にとめていなかったんだなと、情けなくなります。

息子にも、今度こそ母性愛で接しよう。まだ中2。まだ間に合うはず。間にあって欲しい。

ごくまれに甘えてくる息子を今度こそ受け入れてあげようと思い、昨夜は受け入れられたつもりです。いつもはそのうっとおしさに我慢できなくなるけど、これまで、私が息子の心に負わせたであろう傷のことを思い、その傷の埋め合わせをするつもりで息子のおふざけ? じゃれつき? に付き合いました。

息子は「満足」とつぶやき、「またやろうね」と言いました。息子が私の耳元でわーわー歌を歌っていただけですが、それを受け入れたことで、(うるさいとやめさせなかったことで)遊んでもらったと思ったのでしょう。

やっぱり小さいころ十分甘えさせてやらなかったので、まだこの子にはそういう部分のスキンシップが足りていないんだなと、ますます実感しました。

やっぱり、恥ずかしいけど、気づかないよりましなのです。気づけば、改善の努力ができますから。
Posted by はるこ at 09:14  |Comments(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月16日

どっちもどっち

似たような人たちがいます。

一見、同じようではないかもしれないけど、私にはとても似ているように思えます。

傷つけられたと思い込んでその相手を傷つける人と、傷つけられて相手を憎む人。

傷つけられたと最初に思い込んだ人に問題があるのかもしれません。相手の行動を悪く取りすぎるのかもしれません。

でも、「傷つけられて(あるいはそう思い込んで)相手を憎む」ということは同じです。

その結果、相手を傷つけると同時に自分の心と体を非常に痛めつけてしまうことも同じです。

傷つけられた人にしてみれば、自分は被害者なのに、なんてひどいことを言うんだろうと私を恨むかもしれません。

でも……。本当に自分は全く悪くないと言い切れる人がどれだけいるのでしょうか。

私も、誤解されて攻撃されて、ものすごく頭にきたことがあります。「私は何もしていないのに、なんであんな態度をされなきゃいけないの!!! あっちが悪いんだから、絶交したってかまわない!!! 」と思いました。

が……。突然私の頭の中に「謝っちゃおうかな」という言葉が浮かんだのです。絶対に自分の考えではないはずの言葉が……。

それで私は考えました。謝れってことか……。私が謝った方がいいよってことか……。私は悪くないのに?

でも、本当に悪くないんだろうか? 私はあの人に変な態度をとった覚えはない。でも、あの人から見れば嫌だったのかもしれない。他の人は誰一人としてそんなふうにはとらないかもしれないけど、あの人は私の態度で傷ついたんだ……。

それがたとえゆがんだ取り方だとしても、あの人が傷ついたっていう事実は変わらないわけで……。それなら、私はあの人に対して「何も悪くない」とは言えないよね……。

と思い、(実際にはほんの数秒考えただけです)即座に謝りました。

そうしたら本当にスッキリし、自分の心をそれ以上痛めつけずに済みました。

その時のことを思い出すと、自分の体が深刻なダメージを受けるまで自分の心を痛めつけているというのは、「自分は全く悪くないと思っている」と考えざるを得ないのです。

やはり、自分を苦しめているのは自分自身なのです。

相手に傷つけられたから苦しいと思っているかもしれないけど、それによって相手を憎む気持ちが自分自身を苦しめているのです。

そうやってお互いに傷つけあい、憎みあっている人たちを見ると、本当に心が痛みます。そういう人が、今思い浮かぶだけで二組はいます。

お互いにというのは無理かもしれないけど、どちらか一方だけでも早くそのことに気づいてくれないかなと思います。そうすれば解決していくはずなのに。

私は、いがみ合っている人たちの、どちらの味方でもありません。どちらの人も幸せになって欲しいのです。

そんな私を警戒する人もいるみたいです。あなたの味方よ! とは私は言えませんので。「相手が悪い」という言葉に同調はできませんので。

私には二人とも同じに見えていますので。

いがみあう人たちが減りますように。お互いに自分に非があるかもしれないと考え、相手を尊重できるようになってくれますように。その結果、自分自身を苦しみから解放してくださいますようにと、願わずにはいられません。
Posted by はるこ at 22:47  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

ぐるぐるつながっている

ふと手に取る本、最近気になる事柄、それらは一見、全くなんの関係もないと思えるものばかりですが、私の中でぐーるぐーるとうずまいて、知らないうちにつながっています。

巨大なコーヒーカップの中で真っ白なクリームがくるくると中心に向かって渦巻くイメージが頭から離れません。その渦の中で私もくるくる回っている……。

最近借りた本は、「天皇陛下の全仕事」(というタイトルだったと思います)、「昭和天皇のお食事」、「どろろ」(手塚治虫の漫画)、「妖怪まんが鬼太郎の妖怪旅行2」、「マンガ日本の古典 古事記」、「手塚治虫デビュー作品集」……。

新聞で藤子不二雄Aさんの書いた記事にも目がとまりました。

これらは何の関係もないものばかりのように思えますが、それらにきちんきちんと関連性があって驚きます。全てにというわけではありませんが。

私がこれらに関心を抱いたのにはきっと何かわけがあるんだろうな……。

上記の本を借りる以前に借りてきた本を前にしたときにも、コーヒーカップのイメージが沸きました。

ぐーるぐーるとまわりながらつながっている……。

そのこころは???

それらが一体何を意味するのか。まだわかりません。

が、非常に興味深いです。
Posted by はるこ at 20:09  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月12日

増長魔

ブログを書かない間にいろいろなことがあり、それについての発見や新たな考えがたくさん沸き出ているのに、それをうまく文章で表現できなくなっていることにもどかしさを感じています。

まあ、最近の様々な事柄が全て一つの方向を指しているなあと感じているのですが、それを一言で言うと……。

「人の立場、相手の立場に立って物事を考えよ」です。

私はもともとものすごく我が強く、自分が全て正しいと思い、また、思い込みも激しい人間です。

そんな自分を改善しようとずっと努力をしてきた結果、最近は「そんな風には全然見えない」と言ってくれる人もいます。

が……。やっぱりちょっと油断をすると「私は正しい! 」が頭をもたげてきます。知らず知らずのうちに私の心にそんな考えがはびこっています。

そんな時は「人を批判」しています。「自分が全て正しい」という考えにとらわれ始めているからです。

自分の考えに理解を示してくれない人をわからず屋だと思い始めてもいます。

「なんでこんなに話の合わない人たちといつも一緒にいなきゃいけないの! 」という不満がどんどんつのってきます。

しかし、私は気づきました。

ああ、そうか。また私は増長魔になっていたんだ。だから人に対する批判や不満が沸いてきたんだ。未だにこんなレベルとは、ああ恥ずかしい……。

「自分だけが正しいわけではない。人は皆それぞれ、考え方が違う。絶対的に正しいというものも、絶対的に間違っているというものもない。答えは一つじゃない。100人集まれば100通りの答えがある」

そのことを常に忘れないため。忘れてもまた気づくために、今の環境が与えられているんです。

考え方の違う人たちと常に過ごす環境があるから、増長魔になってもすぐに気がつけるのです。

この環境をありがたく受け入れて、本当に人の立場に立って常に考えられる人間に成長できたときに、また場所がえがあるんだろうな。また別の部分を成長させてもらえる環境へと。

これが最近の「気づき」です。
Posted by はるこ at 00:16  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

もんたさんと水木しげる

例によってNHKの朝ドラ、「ゲゲゲの女房」を毎日見ています。

「水木しげる」の生い立ちは、以前「のんのんばあと俺」というドラマである程度知っていたし、その後も大人になった水木しげるのドラマを見た覚えがあります。

その頃から、なぜか水木しげるは私の心にとてもひっかかり、朝ドラの影響もあって、ところどころマンガで書かれた水木しげるの生い立ちの本や、全てマンガで詳しく書かれた同様の本も読み、先ほど図書館で水木しげるのエッセイをも借りてきて読みました。

そのエッセイを読んでいる途中で、「水木しげる」って、すごくもんたさんと共通点があるなあ……と感じました。

自分の生き方、自分の感性にすごく自信を持って生きているという感じ。周りがどうであれ、俺は俺という……。

そして二人とも、アジアの、まだあまり文明に荒らされていないような場所の人たちとすぐに友達になり、その人たちのような生き方が本来の人間の生き方だと考えているところも……。

それに、もんたさんはミュージシャン、水木しげるはマンガ家。二人とも芸術家なわけで。そういう人たちは、普通の仕事をしているものとは違う感性を持っているなあとしみじみ感じます。

神様や霊的なもの、目に見えないものを信じているというのも、その二人にとってはとても自然なことのように見えます。(水木しげるは50代になってから信じるようになったそうですし、もんたさんが霊的なものを信じていると本人は言っていませんが)

私は水木しげるのエッセイを読んでいる途中で、なぜか体にビリビリッと電流が走り、指の先までしびれ、最近は書く気にならなかったブログを無性に書きたくなりました。

水木しげるは生い立ちの本の中で、「目に見えないものが存在するのを感じられる場所」というように自分の故郷、境港のことを書いていました。

小泉八雲も同じことを感じ取ったようだとも。

シャーマン……。

もんたさんや水木しげるのことを思う時、エッセイにあった「シャーマン」という言葉が妙に頭に残りました。

水木しげるは「絵を描く人間」も一種のシャーマンではないかというようなことを書いていたように思います。(思いますというのは、今読んだのに、本のどこに書いてあったのか見つけられませんでしたので)

芸術が理解できないと神様に感応できないという話を聞いたことがあります。

水木しげるは民俗芸能とか神事に興味を持っているそうですが、もともと歌や踊りなども神様に捧げるものですしね。そういいう術にたけた人は皆、シャーマン的な要素をもっているのかもしれませんよね。

水木しげるが「今までの自分と別の人生を生きたい、そういうことで(古代の人は)ああいう祭りみたいなのをやったのですね」という意味のことを書いていました。

それを読んだときに、もんたさんがブログに書いていた、「昔のことをあまり覚えていない。以前すごく親しかった人に声を掛けられてもこちらは忘れてしまっていることが多い」という話を思い出しました。

その時私は、「まるでもんたさんは何人分もの人生を一度で体験しているようだな」と思いました。私は昔から、自分の中だけでは「もんたさんはシャーマンだ」と思っていましたが、より一層、その考えが強まりました。

神様のことや霊のことなどを話すと異様な目で見られることもあるかもしれないけど、私は水木しげるのエッセイを読んでいて、「本当はそういう人間が普通なんじゃないか? 昔はみんなそうだったのに、今はそういう感性がどんどん失われてしまっただけじゃないのか? 」と感じました。

その時、体に電流が走ったのです。今、感じたことをなぜか無性に書きたいと思ったのです。

まだ胸がドキドキしています。

私は占いの店「アタール」で、「あなたは芸術が足りない」と言われてしまいましたから、シャーマン的な要素などはないでしょう。

でも、こういう「感じ」は大切にしたいなあと思います。お祈りをするために祝詞をあげ始めた瞬間から体が熱くなる心地よい感じと同じ種類のものだと思います。

私もこれから芸術性を磨き、もっと何かを感じ取れる人間になりたいと思います。すなわち、それが水木しげるの言うところの「普通の感性を持った人」ということでしょうから。
Posted by はるこ at 14:34  |Comments(0) | もんたさん , 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

人を憎まない方が良い理由

「霊にとりつかれている」って、特別なことだと思いますか?

いえいえ、そうではないみたいですよ。

邪霊などはもちろん、とても明るく前向きなんてことはありえませんから、やはり「マイナス思考の人」が大好きらしいです。

人を憎んだりねたんだり恨んだり、常に愚痴を言ったり何でも周りのせいにしたりする人などに感応しやすく、そういう人のところに来るそうです。

そして、そういうマイナスな考えをどんどん起こさせ、悪い方へ悪い方へひっぱるのです。

そんな時はやっぱり、「これは私の考えじゃない! 」と強く思うといいそうです。本来人間は、そんな考えを持つようにはできてないそうですから。

でも、自分の業とか先祖の因縁とか、いろいろな要素が合わさって、マイナス思考になってしまっている人もいるのだとか。因縁は性格に現れるそうですから。

だから、本来の私は違う!!! と信じることが大切ですよね。

また、「人を憎むなって言ったって、相手の方から攻撃してきたのよ。そんなのあっちが悪いんだもの。憎んで何が悪いの」と言う人もいると思います。

が、やめた方がいいとしか言えません。なぜなら、いくらあちらから攻撃してきたと言っても、こちらが憎めば業を積んでしまうからです。(邪霊も来ますが)

相手は攻撃することで、業を積んでいます。その反対に、攻撃された人は業を減らしてもらっています。業は嫌な思いをしなければ減らせないそうですから。

それなのに、攻撃してきた人を憎めば、今度はせっかく減らしてもらった業をまた積んでしまうことになります。

「それはわかったけど、だって悔しいじゃない。やられっぱなしだなんて」

お気持ちわかります。わかりますが、「業を減らしてもらってありがとう。反対に業を積んじゃって大変ね」と思うしかないですね。

こちらが憎み返さなくても、業を積んだ人はこれから嫌なことが来るのですから。

誰しもがそういう法則を知っていれば、もう人を恨んだり憎んだりしないように気をつけてくれるようになると思います。たとえそういう性格にされているとしても、邪霊に操られているとしても。

そうすれば、お互いに業を積むようなことをせずに済み、みんなが平和になれるんじゃないかな、そうなって欲しいなあと思い、書かせていただきました。
Posted by はるこ at 16:23  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

目下勉強中

なんか最近、今までこだわっていたもの、執着していたものに対する熱が冷めているような気がします。

まあ、大切なものがしぼられ、目標がよりクリアーになっているということかもしれませんが。

ブログも、なんだか最近はあまり書くことがないなあと思い、パソコンを開きはするけれど、ネットのバーゲンチェックだけで閉じてしまったり……。

頭の中では相変わらず、めまぐるしくいろいろ考えてはいます。

お風呂で頭にリンスをつけながら、最近始めた通信教育の課題のことを考えていたら、ふと気がつくと湯船につかっていたり。

??? 髪の毛はゆすいだっけ??? スポンジで壁や床をこすったっけ??? (いつもお風呂からあがる前に、ざっと掃除をします)

よく思い出してみると、どうやらそれらを済ませてから湯船につかったような気がしましたが、何かを考えている時の私って、しばしばこんな感じです。

しかし、そんな風にいろいろ考えてはいても、書くことはない。

ブログに今まで通りの文章で書くことに限界を感じ始めたから書けないのかもしれませんが。

以前はもっとこと細かに、いちいち説明しながらでないと記事を書けませんでしたが、最近はそうでもないです。

細かく書かなくても、言いたいことが書けるようになったかなあとは思っています。

でも、やっぱりそれではまだ制約がありすぎますよね。

もっと違うスタイルで書けないかなあ。そんな気持ちが強くなっています。もっと自由に、誰も傷つける心配もなく、でも、私の思ったことをそのまま伝えられる。そんな風に書けたらなあ。

目下、勉強中です。
Posted by はるこ at 22:49  |Comments(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

こどもの日ブックフェアー

ゴールデンウィークに、毎年この時期に開かれる「子どもの日ブックフェアー」に行き、お目当ての「島田ゆか」さんの絵本を買いました。

「バムとケロシリーズ」と、「ガラゴ」の本二冊です。つまり、私が知っている「島田ゆか」さんの絵本を全部購入したということです。(全部で6冊)

20%オフなので、思い切って全部買いました。(一冊千円以上しますが、本は値引きってあまりないですからね)

図書館に勤めている時に、「かばんうりのガラゴ」を初めて読み、あまりの細かさ、可愛さに夢中になり、すぐに「うちにかえったガラゴ」も借りました。

でも、「バムとケロ」シリーズはしばらく読みませんでした。ケロちゃんは可愛かったけど、バムの絵があまり好きでない気がしたので……。(もともとカエルは好きなのです)

しかし、とうとう読んでみたときに、「なんでもっと早く読まなかったんだろう! 」と後悔しました。

こちらも本当に細かくて可愛くて、手が込んでいて、いつまで見ていても飽きません。

家具や家のデザインや、しいてあるマットの柄、細かく見ていくと、本当に隅々まで丁寧に描かれていて感動します。

しかも、キャラクターを一匹ずつ見ていくと、それぞれにちゃんとストーリーがあります。

例えば、「バムとケロのおかいもの」の中で、かいちゃんが「カラフルな模様のついた卵みたいなもの」を入れた袋をくわえて歩いています。

??? かいちゃんはいつ買い物したの? と思って前に戻ると、かいちゃんが前々ページのはしっこで、バムとケロちゃんが見ようとしている店の隣の店に置いてある「たまごちょこ」をじーっと見ています。

メインはバムとケロちゃんなので、かいちゃんが見ている店はほんのすみっこに、ぎりぎり「たまごちょこ」が台の上にあるのが見えるだけです。

でもここで、「ああ、買っているところは描かれていないけど、かいちゃんはこの店で買い物をしたんだなあ」と発見し、すごく嬉しくなります。

それに、バムとケロちゃんとかいちゃんが屋台で買った昼ご飯を食べている場面では、はじっこに、ヤメピが食べ物を買いに行くところ、頭にアイスクリームを乗せて戻ってきたところ、そしてテーブルにたどり着く前に転んでアイスクリームが全部こぼれたところが描かれています。

メインはバムたちのテーブルなのですが。

みんなが食べ終わって、お買いものの品を乗せたカートの上で、ヤメピが空っぽのコーンを見ているのがなんとも可哀想だけど、可愛い。(ヤメピはとても小さいです)

それに、ガラゴとも関連している部分があり、それを発見するのも楽しいです。

この店、ガラゴから「いつでもお茶が飲めるかばん」を買ったぞうさんの店だな! と、看板を見ただけでわかりますし、ガラゴの友達が店を出していたり、「うちにかえったガラゴ」で、ガラゴの家に最後に訪れたのはバムとケロちゃんだ! と発見したり。

私は前述の通り、しばらく「バムとケロ」を読まなかったので、これに気づいた時にはすごく嬉しかったです。なんだ! 友達だったの! と。(もちろん、「バムとケロ」を読んでから気づいたのです)

図書としては「良書」というわけではないのかもわかりませんが、私はすごく好きです。

ハリーポッターだって、図書の先生はぼろくそにけなしましたが、私は好きですしね。

「良い本」というのも大切かもしれませんが、やっぱり「好きな本」ならいいんじゃないかなあとも思います。

とにかく、このシリーズは、私のお薦めです。小さい子供の方がいろいろな発見があると思います。
Posted by はるこ at 23:31  |Comments(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする