なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?
2009年05月17日
なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?
最近、あなぐまのやまさんとガデュリンのsugarballさんがエントリーされているので、私も書いてみます。
今、確認してみると、私がこの本を読んだのは 2006年2月ですね。ブログの中で大絶賛しています(笑
当時の私の環境では、自分でプログラムやネットワークに関する技術的な事なら何でも出来るが、人に指示したり教えたりするのは下手、という人達が仕切っていて、彼らが周りの人間を常にダメ出しして
「何で出来ないの?それぐらいのこと。意味が分かりません。」
と会社の空気をどんどん悪くしている状態。周りのモチベーションがどんどん下がっている状態でした。
私の感覚では、そう言うことを平気で言えてしまうこと自体が、社会人としても仕事をする人間としても、人としてもダメだろうと思うのに、そういう事を平気で出来てしまう数人が会社のトップに立ち、それが会社の価値観であると、全体をその方向に引っ張っていくという状態で、そのギャップに悩んでいたところにこの本を読んだ、という感じですね。
あぁ、やっぱりそうだよな、と自信をもって生きられるようになったし、この本にそのタイミングで出会ったおかげで、その後の私の生き方が決まったと言っても過言ではない。私にとってはそれくらいインパクトのあった本でした。
例えば「どんな時代もサバイバルする会社の「社長力」養成講座 (ディスカヴァー携書)
」などの沢山の本を読みながら、「なるほどそうだよな」と思ったり、自分で考え、人に接しながら、少しずつ「じゃぁ、自分だったらどうしようか?」「よりどうなりたいか?」考えるようになったのも、その『彼らの価値観は間違っている』と思う人が他にいることをハッキリ知ることができからだと思います。それを知ることが出来なければ、組織の中で最も力のある彼らの価値観を受け入れ、そこで結果を出さなければダメだと思う一方で、それがどうしても間違っていると、思い悩み続ける日々だったかもしれません。
この本で、「できる人」と表現されている対象は、私は
「自分では自分の事を『できる』と思い、それを絶対の価値観だと思っているがために、他にできていないことに気付かず、そして人に自分と同じレベルで『できる』事を要求しながらそれが絶対にできないことを一方で知っていて、それをダメ出しすることで自分が『できる』という認識を強めて安心感を得ている、成長の止まった人間」
の事を完結に表現してるなぁ、と思いました。
実際問題として、「人を育てる」という立場に立たされることは実際にあるし、そう言う場面で「育てろ」と強く意識する人もいれば、「人は育つ」と思える人もいる。経営者の視点からすれば「最初から同じ考えの人だけで始める」というのもあり得ます。世の中にそんな人間そうそういないことを知っていれば「簡単に切るとか言うな。無い物ねだりをするな。今にいるこの人間で何とかしていくんだ!」と盛り上げなければならないと感じる人もいるはず。その時々、立場の違いで打てる手、自分のできることは違っていて、それを選べる場合もあれば選べない場合もあります。
私ももっと歳を重ねていけば、また、違った視点で若い世代と接することができるようになるのかもしれないし。まだまだ見えていないことは沢山ありそうです。
それでも、あれから3年経って、今、一番確信を持って思えることは、どんな場面でも人をしっかりと知ること、知りたいと思うことが大切なんだと思います。
相手の立場に立つとかそういうレベルでは全然足りない。相手が何をどう考える人で、どういう価値観の元に生きていて、どういう判断を従っていて、そして自分のことをどう思っていて、どういうとどう思うのか?もっと細かいレベルまで、相手に興味を持っていれば、一言口をついて言葉が出る瞬間にも、「どうかな?」と感じながら話すことができます。
そうすれば「何で伝わらない」とか「相手がわからないからダメ」とかいう発想になるはずがない。自分が今まさに伝えられていないのだから、理由は自分にあるはずです。そう思っていられれば、どんな立場にあっても、自分の意思は伝えられると思う。その結果、思った通りに事が進むかどうか?はまた別の問題。それでも、きっと、自分に熱意があってそれが少しでも伝わり信じてもらえるなら、今とは違う結果に少しだけでもすすめると私は信じています。
今なら「あぁ、今、オレは自分が凄いと言いたがってるな、そんな話をしたいんじゃないんだ、ちょっと修正しなきゃ」と思えるけど、その頃は何がどうなっているのか?自分でもわからなかった。それで精一杯だったし、でも、そこからさらにもっと相手のことを興味を持つとか、できると言うことを知らなかった。
なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?
どんな時代もサバイバルする会社の「社長力」養成講座 (ディスカヴァー携書)
いやいやいやいや、本との出会いはホントに運命的ですね〜
これからも本を読みながら、少しずつできることからやっていこう!
今、確認してみると、私がこの本を読んだのは 2006年2月ですね。ブログの中で大絶賛しています(笑当時の私の環境では、自分でプログラムやネットワークに関する技術的な事なら何でも出来るが、人に指示したり教えたりするのは下手、という人達が仕切っていて、彼らが周りの人間を常にダメ出しして
「何で出来ないの?それぐらいのこと。意味が分かりません。」
と会社の空気をどんどん悪くしている状態。周りのモチベーションがどんどん下がっている状態でした。
私の感覚では、そう言うことを平気で言えてしまうこと自体が、社会人としても仕事をする人間としても、人としてもダメだろうと思うのに、そういう事を平気で出来てしまう数人が会社のトップに立ち、それが会社の価値観であると、全体をその方向に引っ張っていくという状態で、そのギャップに悩んでいたところにこの本を読んだ、という感じですね。
あぁ、やっぱりそうだよな、と自信をもって生きられるようになったし、この本にそのタイミングで出会ったおかげで、その後の私の生き方が決まったと言っても過言ではない。私にとってはそれくらいインパクトのあった本でした。
例えば「どんな時代もサバイバルする会社の「社長力」養成講座 (ディスカヴァー携書)
この本で、「できる人」と表現されている対象は、私は
「自分では自分の事を『できる』と思い、それを絶対の価値観だと思っているがために、他にできていないことに気付かず、そして人に自分と同じレベルで『できる』事を要求しながらそれが絶対にできないことを一方で知っていて、それをダメ出しすることで自分が『できる』という認識を強めて安心感を得ている、成長の止まった人間」
の事を完結に表現してるなぁ、と思いました。
実際問題として、「人を育てる」という立場に立たされることは実際にあるし、そう言う場面で「育てろ」と強く意識する人もいれば、「人は育つ」と思える人もいる。経営者の視点からすれば「最初から同じ考えの人だけで始める」というのもあり得ます。世の中にそんな人間そうそういないことを知っていれば「簡単に切るとか言うな。無い物ねだりをするな。今にいるこの人間で何とかしていくんだ!」と盛り上げなければならないと感じる人もいるはず。その時々、立場の違いで打てる手、自分のできることは違っていて、それを選べる場合もあれば選べない場合もあります。
私ももっと歳を重ねていけば、また、違った視点で若い世代と接することができるようになるのかもしれないし。まだまだ見えていないことは沢山ありそうです。
それでも、あれから3年経って、今、一番確信を持って思えることは、どんな場面でも人をしっかりと知ること、知りたいと思うことが大切なんだと思います。
(P79〜80 引用)多くの「できる人」は、「できない人」のために「わかりやすく話してあげている」つもりでいます。(中略)興味が自分だけに向いていると、自分が如何に素晴らしいか?を表現することに力を入れてしまいます。「素晴らしい説明ができているオレが素晴らしい」的な?
ところがここで意識しているのは、あくまでも「レベルを下げた話し方」です。その「レベルを下げた話し方」を、相手がどう受け取っているかは、あまり意識していません。コミュニケーションの結果を観察できている人が少ないのです。
相手の立場に立つとかそういうレベルでは全然足りない。相手が何をどう考える人で、どういう価値観の元に生きていて、どういう判断を従っていて、そして自分のことをどう思っていて、どういうとどう思うのか?もっと細かいレベルまで、相手に興味を持っていれば、一言口をついて言葉が出る瞬間にも、「どうかな?」と感じながら話すことができます。
そうすれば「何で伝わらない」とか「相手がわからないからダメ」とかいう発想になるはずがない。自分が今まさに伝えられていないのだから、理由は自分にあるはずです。そう思っていられれば、どんな立場にあっても、自分の意思は伝えられると思う。その結果、思った通りに事が進むかどうか?はまた別の問題。それでも、きっと、自分に熱意があってそれが少しでも伝わり信じてもらえるなら、今とは違う結果に少しだけでもすすめると私は信じています。
(P80 引用)こんなふうに説明してあげれば大丈夫だろう・・・という自己判断のもと、「できる人」は豊富な知識体系にもとづいてワンマンショーを演じていきます。話していうちに気分がのってきて、話さなくてもいいことまで話してしまい、知識のない相手を戸惑わせた経験はないでしょうか。はい。沢山ありました。相手はぽか〜んで、独りでしゃべってることがどれだけあったか。
今なら「あぁ、今、オレは自分が凄いと言いたがってるな、そんな話をしたいんじゃないんだ、ちょっと修正しなきゃ」と思えるけど、その頃は何がどうなっているのか?自分でもわからなかった。それで精一杯だったし、でも、そこからさらにもっと相手のことを興味を持つとか、できると言うことを知らなかった。
なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?
どんな時代もサバイバルする会社の「社長力」養成講座 (ディスカヴァー携書)
いやいやいやいや、本との出会いはホントに運命的ですね〜
これからも本を読みながら、少しずつできることからやっていこう!
この記事へのコメント
Posted by やまさん at 2009年05月19日 01:26
おぉぅ!気を遣わせてしまって申し訳ないです。ごめんなさい。
記事は「酷評」というより、「あぁ〜凄いな〜」と思って読ませていただきました。自分にはそんな風にとらえることが出来なかったので、さすが〜差があるなぁ、と思うと同時に、改めて自分が少しは成長できてるかな〜と、もう一度記事を書きたくなりました。
少し前に私の本を、奥さんが読んで、途中で「これ、偉そうだから嫌い」と読むのをやめた事があって、そのときも、思ったのですが、確かに、その本、その本を読むことが出来るベストなタイミングってあるんだなぁ、と私も思います。
過去の私にとって救いになった本でも、今の自分や他の誰かには必要のない本であるかもしれないし、もしそうなら、必要じゃなくなった分、変わることが出来たということかもしれないし、それはそれで嬉しい。それを実感できることも、なんだか楽しいですね。
実は「仕事にちょっとつまずいたあなたへ―上司や部下がマヌケに見えたときに頼るメール」を、会社の近くの本屋さんで探しているのですが、見つけることが出来ていません。1も無くって、2しか無いんですよね。あれ〜?
今読んでいる「俺は、中小企業のおやじ」が終わったら、Amazon で注文しようかな〜と思っています〜
記事は「酷評」というより、「あぁ〜凄いな〜」と思って読ませていただきました。自分にはそんな風にとらえることが出来なかったので、さすが〜差があるなぁ、と思うと同時に、改めて自分が少しは成長できてるかな〜と、もう一度記事を書きたくなりました。
少し前に私の本を、奥さんが読んで、途中で「これ、偉そうだから嫌い」と読むのをやめた事があって、そのときも、思ったのですが、確かに、その本、その本を読むことが出来るベストなタイミングってあるんだなぁ、と私も思います。
過去の私にとって救いになった本でも、今の自分や他の誰かには必要のない本であるかもしれないし、もしそうなら、必要じゃなくなった分、変わることが出来たということかもしれないし、それはそれで嬉しい。それを実感できることも、なんだか楽しいですね。
実は「仕事にちょっとつまずいたあなたへ―上司や部下がマヌケに見えたときに頼るメール」を、会社の近くの本屋さんで探しているのですが、見つけることが出来ていません。1も無くって、2しか無いんですよね。あれ〜?
今読んでいる「俺は、中小企業のおやじ」が終わったら、Amazon で注文しようかな〜と思っています〜
Posted by SHIN-ICHI at 2009年05月19日 23:37
実はSHIN-ICHIさんの大絶賛エントリー読んで「積読山」に入れといたんですよ。
でも、チョッとワタシには合わなかったみたいでして・・・。
自分が記事書いたら酷評になっちゃったので、
スゲー申し訳なくって元ネタにTBし辛かったんです。
なんか謝りたい気分なんで、ごめんなさいです。
確かに『できると思い込んで他人を貶めて自己満足している人間』を的確に分析してますよね。
そういうトコが非常に納得感があったのは確かです。
分析が的確だからこそ、もっと光を!って思っちゃったのがいけないのかも。
おそらく、ワタシが上からの圧力無い状態で読んだから合わなかったのかなぁ。
立場、状況が違っていたら大絶賛な本だったかもしれません。
「出会い」のタイミングによって感じ方が違ったようで・・・本って深いなぁ、と思いました。