2010年09月17日

どうして書くの? ― 穂村弘対談集

『どうして書くの? ― 穂村弘対談集』

  学生の頃は小論文が書けず、大人になってからも、「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたい?」と問われることは、私にとってかなりの恐怖だった。自分で自分がわからない・・・さすがに、こりゃ、ちょっとまずいんじゃないかと思って、とりあえず昔から好きだった「読書」を反射板として使うことを考えた。

 人の書いたものに、自分の「読む」ということをぶつけてみる。ぶつかって返ってくるものを観察する。観察したものを、なるべく正確に言葉にしてみる。それを続けることが、自分の形を把握する為の訓練になってくれないだろうか・・・。

 その訓練の為に、私は“他人が感受し、提示した世界”を拠り所にしている訳だが、「書く人」たちは、自分自身が直接世界と関係している〜世界に触れる感覚を持っているようだ。穂村氏も、自分と直接に触れている「世界」というものを強く意識されていて、その世界と関係する、又は世界を押し返す「言葉」の持つ力、その強さということを問題にされているようだ。世界の中で「生き延びる」のではなく「生きる」ということ・・・。

 近代以降の大歌人たちの発する言葉の強さ、その言葉を生む内面の濃さは、“近代の始まり”あるいは“戦争”という時代における世界の重量、圧力と対応したものなのか。だとすれば、「日本中がコンビニの中みたいになった現象」の中から発せられる言葉は、どういう力を持ち得るのか。
 本書は言葉を書く人間同志の「書くこと」についての対談集である。

 前述の世界と人間の変化をたぶん全員がどこかで意識しながら、「書くこと」について真っ直ぐにしつこく語り合った記録だ。

 「書く」人の言葉を「読む」者として目にしながら思う 〜 「生きるため」に発せられる言葉の強さよりも、「生き延びるため」に発せられる言葉の誠実さ(誠実さにも色々あるが・・・)の方が好きかも・・・とか、傷つくことを厭わずに近づいてくる人の言葉は嫌だなぁ・・・とか。
 
 対談の中で、世界との関係性や「書く」ということにおける性差ということも意識されている。性差ということに関しては、私も最近なんだか意識することが増えてきたのだが、こればかりは、両方の性の実感を持つことはなかなか無理なことである上に、個人差というものもあり、なんとも答えの出にくいことのようだ。

 『もし、女性の方が筋力が五倍あるというスペックになったら、男性性なんてものは壊滅するし、言葉遣いや言語体系もすべて変わると思うんです。』・・・中島たい子さんとの対談の中で穂村氏が口にされた言葉だが、私もちょうど最近“女の方が男よりはるかに体格が良いとか、圧倒的に筋力が強い…とかだったら世の中どうだ?”なんて思っていたとこだったので、男性の側からのそういう発言にドキリとした。

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どうして書くの? ― 穂村弘対談集  穂村弘 × 高橋源一郎、長嶋有、中島たい子、一青窈、竹西寛子、山崎ナオコーラ、川上弘美  今??.
どうして書くの? ― 穂村弘対談集【猫の額】 at 2010年10月23日 20:34


 
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