2011年01月19日
人為的エラーなる日本語の虚構〜〜偽善性とは
1. クスリの副作用
家族が聖マリアンヌ医科大学病院に入院し、身辺の世話の為に病院を訪れた。受付にはシスターがおり、色々院内の案内をしてくれた。シスターの姿をみるだけで何かホットする。それは少なくともここでは偽善が少ないだろうという期待感からである。
一方息子は最近抗うつ病薬の副作用らしきものに悩まされている。それは禁断症状とも受け取れる手の震えで中々取れない。通っている医師に訴えると手が震えるのは「脳の欠陥か異常が原因」だから脳神経科へ行けという。医学的には正しい指示だが、そこには重大な虚構というか、偽善が隠されている。人間の病は患者本人にとっては全体的な重荷である。科学はそれを細分化して直そうとするが、細分化の過程で既にモラルの基準の放棄が行われている。これを科学の虚構という。
2. 偽善とは何か
私は昔から欧州語(ラテン語系)ではよく偽善なる言葉が使われるのに、何故日本ではあまり使われないのだろう、と疑問に思ってきた。偽善(hypocrisy) をオックスフォードの英英辞典で引くと
plural hypocrisies [UNCOUNTABLE, COUNTABLE]
:behaviour in which somebody pretends to have moral standards or opinions that they do not actually have
とある。人間の社会では何事においても道徳性が要求されるが、その基準は科学の中にはない。それをあたかもあるが如きに振舞うことにおいて虚構が生じるのである。
司馬遼太郎氏は好んでこの言葉を使ったと言われるが、わが国のメディアには余り出てこない。
3. 人為的エラーなる言葉の実体
人為的エラーという言葉ば便利なもので、どこにでも付く。何か説明できない損害事例を後から説明するのに都合がよいので広く愛用されている。しかしそこには時間学は元より時間次元の考察に頓着しないから、とんでもない虚構が形成される。
信楽鉄道の事故後の司法判断においてはこの「人為的エラー」なる言葉が使われたが、これが次の福知山線脱線事故の予防に繋がらなかった。恐らくは隠れた大虚構に騙された為であろう。
当然の事ながら、会社や官庁、学会、業界の中では組織を守るためにしばしば虚構が作り出される。大胆な表現を使えば虚構のない組織など機能しない。
将来の日本の科学技術の進歩発展の中では再び水俣のような重大悲劇が起こらないとは断言できない。その予防手段として科学的な因果関係やリスク評価だけでは十分ではないのではないか?科学技術者の一人一人が知識人としての誇りを持り、自己の道徳的基準について自覚することが必要ではあるまいか?
参考図書:
1. 入不二基義:時間は実在するか。講談社
2. G.J.ウィットロウ:時間 その性質。法政大学
家族が聖マリアンヌ医科大学病院に入院し、身辺の世話の為に病院を訪れた。受付にはシスターがおり、色々院内の案内をしてくれた。シスターの姿をみるだけで何かホットする。それは少なくともここでは偽善が少ないだろうという期待感からである。
一方息子は最近抗うつ病薬の副作用らしきものに悩まされている。それは禁断症状とも受け取れる手の震えで中々取れない。通っている医師に訴えると手が震えるのは「脳の欠陥か異常が原因」だから脳神経科へ行けという。医学的には正しい指示だが、そこには重大な虚構というか、偽善が隠されている。人間の病は患者本人にとっては全体的な重荷である。科学はそれを細分化して直そうとするが、細分化の過程で既にモラルの基準の放棄が行われている。これを科学の虚構という。
2. 偽善とは何か
私は昔から欧州語(ラテン語系)ではよく偽善なる言葉が使われるのに、何故日本ではあまり使われないのだろう、と疑問に思ってきた。偽善(hypocrisy) をオックスフォードの英英辞典で引くと
plural hypocrisies [UNCOUNTABLE, COUNTABLE]
:behaviour in which somebody pretends to have moral standards or opinions that they do not actually have
とある。人間の社会では何事においても道徳性が要求されるが、その基準は科学の中にはない。それをあたかもあるが如きに振舞うことにおいて虚構が生じるのである。
司馬遼太郎氏は好んでこの言葉を使ったと言われるが、わが国のメディアには余り出てこない。
3. 人為的エラーなる言葉の実体
人為的エラーという言葉ば便利なもので、どこにでも付く。何か説明できない損害事例を後から説明するのに都合がよいので広く愛用されている。しかしそこには時間学は元より時間次元の考察に頓着しないから、とんでもない虚構が形成される。
信楽鉄道の事故後の司法判断においてはこの「人為的エラー」なる言葉が使われたが、これが次の福知山線脱線事故の予防に繋がらなかった。恐らくは隠れた大虚構に騙された為であろう。
当然の事ながら、会社や官庁、学会、業界の中では組織を守るためにしばしば虚構が作り出される。大胆な表現を使えば虚構のない組織など機能しない。
将来の日本の科学技術の進歩発展の中では再び水俣のような重大悲劇が起こらないとは断言できない。その予防手段として科学的な因果関係やリスク評価だけでは十分ではないのではないか?科学技術者の一人一人が知識人としての誇りを持り、自己の道徳的基準について自覚することが必要ではあるまいか?
参考図書:
1. 入不二基義:時間は実在するか。講談社
2. G.J.ウィットロウ:時間 その性質。法政大学
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