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    <title>機能安全と安全工学</title>
    <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/</link>
    <description>危険の管理　対　安全の管理</description>
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    <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
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    <itunes:author>rakuinkyo</itunes:author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10771055.html</link>
      <title>脱文明論者よ、いい加減に目を覚ませ～～エントロピー増大則には勝てない</title>
      <pubDate>Sun, 27 May 2012 08:18:20 +0900</pubDate>
      <description>１． 有害化学物質の拡散　今回の首都圏における水道水汚染騒ぎを横浜という外野席から眺めていて、いよいよ日本もそういう時代に突入したかという感慨に打たれた。小生は欧米の安全問題視察団において同様の事故を起こしたスイスのバーゼル市サンド社を訪問している。事件はこの会社の化学物質倉庫の火災が発端であった。鎮火活動で浴びた大量の消火水によって多様な化学物質が大量にライン川に流出した。化学物質は川を汚染し、赤黒い汚泥のような水が10㌔以上続いたという。ライン川はフランスとドイツの国境に..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 有害化学物質の拡散<br /><br />　今回の首都圏における水道水汚染騒ぎを横浜という外野席から眺めていて、いよいよ日本もそういう時代に突入したかという感慨に打たれた。小生は欧米の安全問題視察団において同様の事故を起こしたスイスのバーゼル市サンド社を訪問している。事件はこの会社の化学物質倉庫の火災が発端であった。鎮火活動で浴びた大量の消火水によって多様な化学物質が大量にライン川に流出した。化学物質は川を汚染し、赤黒い汚泥のような水が10㌔以上続いたという。ライン川はフランスとドイツの国境に沿って流れ最後はオランダ国内に流れ込んだ。その結果両国の地下飲料水を汚染し、最後はオランダの農業用水を使用不能にしてしまった。　事故後には大規模な浄化作戦がとられたが、その費用は欧州全域の保険会社によってカバーされたという。<br />　私達の工場訪問では鄭重な扱いを受け、簡単なレクチュアーと見学案内の労をとってくれた。<br /><br />　今回の東京・埼玉での水道水源の汚染では非常に稀な物質が特定されたというが、有害・危険性のある物質は世界中で毎週何百種類も増えており、分類するだけで多大の労力を要する。オランダには地球上に存在する化学物質の有害性・危険性を検査し、認定しファイルする会社があり、その成果の一部はMSDSとして発行されている。一方日本は分類学（Taxanomy）とその事業化が非常に遅れており、それはロンドンの自然史博物館を見学すると納得できる。<br /><br />　結論としてここで強調したいのは有害化学物質の拡散はエントロピー増大の法則に従っており、個別事例に対応する程度では、この闘いの敗北は目に見えている。アスベスト問題もこのテーマの一つであり、この歴史の歯車を逆転させる、脱文明論など現実的には全く不可能だということである。<br /><br />２． 小さな政府に何が出来る<br />　最近のバスの横転事故、ホテルの火災事故、トンネル爆発事故における一連の予防活動をみていると、殆んど行政の力が効果を発揮していない。その理由は現在の安全法規類は昔の大きな政府時代の産物であって、その時代は法原理と施行努力とが一致していた。しかし大幅な人員や予算カットによって、予防安全活動に割ける力は漸減していった。労働安全についても同様で、ガスの濃度を測れと簡単に規定しているが専門外の技術者には容易な業ではない。例えば騒音計測定などを専門家にとっては体温測定ほどに幼稚な作業だが、知らない人にとってはdB （デシベル）という言葉を聞いただけでパニックを起こす。<br />　また区役所へ行く度に思うのだが、通常の行政事務の効率は大幅に向上したが、すこし専門的な事柄になるとまるで判断力が伴わない。それは市や県の中枢機関においても同様だろう。学力の低下もある。<br />この傾向は世界的に共通しているようで、どこの国も財政状態は逼迫しているから、政府はどこまでも小さくなる。あまり期待は出来ない。それではどういう対策が選択可能であろうか？それは「民活安全」の道しかないと思う。つまり民間の多様な力を予防安全へ応用する以外に残された道はないのだ。<br /><br />３． より前向きなスタンスで<br />　脱文明、脱原発で言う「脱」という言葉は現代の利器を捨て去って、全く自然そのものの時代へ戻ろうという主義だと理解している。市民運動の雄である前首相の主張はそれに近いものらしいが、彼はそれを実践すべく在学中はアジ演説に傾注し科学の勉強は等閑にしたらしい。しかし上述のごとく科学の発展に背を向けることなどは実際的には不可能なのだ。否、むしろ今以上に安全科学の手法とその活用に力を注がなければ希望のある未来が見えてこない。<br /><br />　この点欧米ではどうしているかと云えば、安全技術に詳しい高齢者の活用である。米国ではどこの会社でもコンサルタントの活躍が顕著であり、欧州でも地方自治体では多くのコンサルタントが関わっている。しかし日本では個人の組織化は非常に遅れている。優秀な方は技術士の資格をとればよいが、しかし第一線の技術士と言うのもまた弁護士と同じ程度の費用が掛かるものだ。安全ではむしろ事故経験のある方がボランティア的に簡単な助言をするだけで効果はあると思う。<br /><br />　最後に社会の中での個人間のコミュニケーションを促進する媒体として欧米では教会があるが、日本ではどうも宗教というものは何か閉鎖的・内向的で、果たすべき役割に背を向けているように見える。日本は歴史的に儒教社会だから欧米並みの市民社会実現の道はかなり険しい。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>安全工学の視点</category>
      <author>rakuinkyo</author>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10768424.html</link>
      <title>トンネル爆発報道上の盲点～～予防体制が劣悪</title>
      <pubDate>Fri, 25 May 2012 07:48:25 +0900</pubDate>
      <description>１． 専門外の人間には無理　トンネル内に閉じ込められた作業者の出身者は横浜、川崎、千葉と大半がその地方の状況に疎い方々ばかりである。その土地出身の人間ならば、地盤からは爆発性や有毒性ガスがよく噴出することをよく知っている。確か20年程まえだったか毒性ガスが噴出して数名の方が亡くなっている。　よそ者に加えてその専門が電気、機械関係となれば爆発性と有毒性ガスとの区別がつかない。人間は五感で感ずる物質には用心するが、殆んど匂いの薄い気体には油断をする。また爆発限界なる知識も電気・機..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 専門外の人間には無理<br />　トンネル内に閉じ込められた作業者の出身者は横浜、川崎、千葉と大半がその地方の状況に疎い方々ばかりである。その土地出身の人間ならば、地盤からは爆発性や有毒性ガスがよく噴出することをよく知っている。確か20年程まえだったか毒性ガスが噴出して数名の方が亡くなっている。<br /><br />　よそ者に加えてその専門が電気、機械関係となれば爆発性と有毒性ガスとの区別がつかない。人間は五感で感ずる物質には用心するが、殆んど匂いの薄い気体には油断をする。また爆発限界なる知識も電気・機械工学では全く教えていないから、先週は爆発しなかったガスが何故今日爆発したのかも理解できない。<br />この問題は労働安全のテーマであり、法律では事前にガス濃度を測れと規定しているが、専門外の技術者には計器の扱い方も判らない。もっと手軽なものでは安全工学の提唱者北川教授が発明した北川式検知管があるから、県の労働安全担当部門には揃えていると思うが、それとても日常的に使うものではない。<br /><br />２． 法規制による安全管理方式の落とし穴<br />　今は故人となった北川教授は法規による安全管理方式は良くないと執拗に主張しておられた。本件に関しても「濃度を測れ」とは如何にもお役所的な表現だ。「検知管を使え」とは書けない事情があるのだろう。<br />　また原因調査には警察が入るのは定石だが、労働安全に関連する監督官庁が入るのは遅れる。しかしその視点はどうしても過失追求が先にたち、予防において何が悪かったかの見方は隠されてしまう。労働の場に危険があるか否かの監視は本来は労働基準監督の業務に入ると思うが、建前が「規制」となっているから、労働の現場まで出かけていって色々助言をするということはしない。要するに予防活動には手が回らなかったというのが今回の顛末だ。<br />これは重要な教訓であり、日本では役所が安全対策を奨励するとどうしても「規制」という形に落ち着いてしまう。原子力も例外ではない。コミュニケーション教育・訓練が悪いのだ。<br /><br />３． 地域の人達への要望<br />　昔若い時に草津から万座温泉の山岳地帯を登山したが、下りの途中道に迷い、硫黄が噴出する尾根を通過した。何か変な臭いがすると思いつつ長いこと歩いた後で、あれは硫黄化合物系のガスであったかと気がついた。土地の人には当たり前のことが外からきた人間には判らない。せめて観光地には「注意！有毒ガス」程度の建て看板くらいを設置しておいてくれれば悲惨な事故は回避出来るのに、と思う。<br />更に国の予防安全の体制となると、労働安全に関しては歴史も古く、組織も充実しているから事故は予防できるはずだと、一般には思われるが、組織が完璧であるが故にあちこちに盲点が隠れていて中々埋められない。<br />　私も機械屋で、電気程度の知識はあるが、化学となると全くお手上げだ。横浜へ来て初めて北川先生に接し、危険性物質の恐ろしさを知った。古巣の大岡山ではこんな分野を専門にする教授はいないと承知している。昔の原子炉研究所の教授達は「安全という言葉」を聞いただけで、不快感を露わにした。<br /><br />関連記事：<br />1. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/8953854.html" target="_blank">粉塵爆発から公害まで～～ミストの実態</a><br />2. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/5796125.html" target="_blank">ガスは危険か安全か</a></font><a name="more"></a>

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            <category>火災・爆発</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/5796125.html</link>
      <title>ガスは危険か安全か？～～EUのガス指令Ⅱの考え方(アーカイブ2007.6)</title>
      <pubDate>Thu, 24 May 2012 08:38:25 +0900</pubDate>
      <description>１． ガスにも色々ある。　気体（ガス）は眼に見えず、流動性が高く、可搬性や貯蔵性に優れ、またエネルギー密度が高いことから近代社会のエネルギー源としては不可欠な物質になっている。　一方でガスにはメタンに限らず多種類のガス相の物質が存在し、人間に対して危険で有害なものが多い。この人間に対してマイナスの効果を欧州では① 危険性：爆発・火災による破壊威力の危険性② 毒性：　微細濃度で人間の生命に脅威を与える③ 有害性：人間や家畜に対して健康を損なうと分類しているが、日本の学校ではこん..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
１<font face="ＭＳ 明朝, Courier, serif" size="2">． ガスにも色々ある。<br />　気体（ガス）は眼に見えず、流動性が高く、可搬性や貯蔵性に優れ、またエネルギー密度が高いことから近代社会のエネルギー源としては不可欠な物質になっている。<br />　一方でガスにはメタンに限らず多種類のガス相の物質が存在し、人間に対して危険で有害なものが多い。この人間に対してマイナスの効果を欧州では<br />① 危険性：爆発・火災による破壊威力の危険性<br />② 毒性：　微細濃度で人間の生命に脅威を与える<br />③ 有害性：人間や家畜に対して健康を損なう<br />と分類しているが、日本の学校ではこんな簡単な呼び名でさえ教えていない。<br />　更に空気に粉塵が混入したり、ディーゼル煤煙のように他の化学・物理的物質が並存すれば強い有害性が生じ、様々な疾病をもたらす。<br />　特に①の危険性についてはその破壊力に留まらず、爆発下限や上限界といった濃度次第で危険性が生滅するといった変幻自在な性質自体が人間の認知能力を凌駕し、危険を作り出している。<br /><br />２． 作られた安全のイメージ<br />　ガスを家庭に供給する事業者にとって「ガスに危険性がある」と言ったイメージが定着するのは商売の邪魔になる。そこで永年の努力によって「ガスは安全です」と宣伝してきた。確かにその努力の成果を認められ、従来のガス事業法に特段の改正を加えることもなく、現在の安全水準が築かれたと言えよう。しかしガスの実体は前述の通り、その本性は危険な物質である。眼に見えず、触ることも出来ず、その認識は唯一嗅覚だけというのは全く「ガスは人間にとって天敵」である。<br />　今回の渋谷の事故のように危険ガスが地中から湧いてくるという事態を、一般の人は想定できなかった。ガスは安全というのが漠然とした通念であったからである。<br /><br />３． EUの<strong>ガス指令Ⅱ</strong>の考え方<br />　ガスが安全か危険か、つまり黒か白かの二極対立的な捉え方は良くない。むしろ安全の中に微小な危険性が含まれるというのがEUの安全法制の基本的なコンセプトである。換言すれば安全とは<a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/3817056.html" target="_blank">危険の化身</a>である。<br />　最新のガス指令は2003年8月に施行されたGas Directive Ⅱであって、域内におけるエネルギーガスの採掘、輸送、貯蔵、利用の全プロセスの安全性事前評価とその使用中の監視に適用される。<br />　その基本的なコンセプトは（定量的）<strong>リスク管理</strong>である。域内の加盟国と英国は既に国内法への移植を終えた。<font size=1>先進工業国の中でそんなものは要らないと「高を括っている」のは日本である。</font><br />　この指令は事業者毎に異なる過失責任規定の行政法を遥かに超える安全法制となっている。事業者を特定すると今回の様に予想外の領域で危険が顕在化することになる。<br /><br />４． 理科教育における危険性・有害性教育の必要性<br />　EUでは前述の副効果の３分類を、素人にも判りやすい標識を使って警告しているから、小学校児童でも毒性や有害性の物質の存在に容易に気が付く。日本では各所轄省庁の間で話し合いがつかず、未だに日本全国で通用する統一的な分類や標識が制定されていない。<br />　<font size=1>但し一部のガスについては国際的なコードが使用されているが、その表示はあまり目立たない処になされている。</font><br /><br />　当然のことながら安全事前評価の方法や、その実施についても省庁によってばらばらである。日本人が多様性を好む民族であることは良いことではあるが、生命を守るという大義の前ではもう少し協調性を発揮してもよいのではないか？<br /><br /><ins>参考図書</ins><br />1) 北川徹三：化学安全工学、日刊工業新聞<br />2) 清水：<a href="http://www.h6.dion.ne.jp/~shim-his/sub1.html" target="_blank">クールマン安全工学</a>、海文堂<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>リスクの定量化</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/8953854.html</link>
      <title>粉塵爆発から公害まで～～ミストの実態(アーカイブ2009.11)</title>
      <pubDate>Wed, 23 May 2012 08:17:59 +0900</pubDate>
      <description>１． 粉塵爆発の実験を見て　昨夜は図らずもNHK総合テレビで労働安全衛生研（清瀬）での表記の実験映像を見ていて、「何か少し違うのではないか」と思った。あの程度の燃え方では釜山の射撃場で起きた火災・爆発の特徴を説明していない。その特徴とは・高圧の爆風と熱風とが同時に生じて一瞬にして犠牲者を襲ったこと。・天井から床の家具までを焼き尽くす大量の熱量・密封空間内で起きた事である。これは単に粉末が燃えたことでは説明が付かない。物理的に燃焼と爆発とは火炎の伝播状況が異なる。後者はエンジン..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
１．<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif"> 粉塵爆発の実験を見て<br />　昨夜は図らずもNHK総合テレビで労働安全衛生研（清瀬）での表記の実験映像を見ていて、「何か少し違うのではないか」と思った。あの程度の燃え方では釜山の射撃場で起きた火災・爆発の特徴を説明していない。その特徴とは<br /><br />・高圧の爆風と熱風とが同時に生じて一瞬にして犠牲者を襲ったこと。<br />・天井から床の家具までを焼き尽くす大量の熱量<br />・密封空間内で起きた事<br /><br />である。これは単に粉末が燃えたことでは説明が付かない。物理的に燃焼と爆発とは火炎の伝播状況が異なる。後者はエンジン燃焼室内でおきる爆発の様に、衝撃波が火炎を伝播して一瞬にしてミストを燃焼させ、圧力と熱とを出力する。粉塵と称しても粉から微粒子状物質まで幅広い。煙状のものまで入る。<br /><br />　ところで今朝寝ながら昔の大学院学生時代の実験を考えていた。それは当時の恩師から命じられた燃料噴射弁のミスト研究の思い出である。ミスト（註1)とは液状の粒子と気体が混合したもので、その濃度によってエンジン出力性能は大幅に変わってくる。その濃度を定量化する方法を考案せよというテーマである。これが大変な難題で、大粒のものなら顕微鏡のようなもので把握できるが、煙状でしかも２相流となると全くのお手上げである。<br /><br />更に今回の事故も爆風発生は密閉空間内の急激燃焼による圧力上昇で説明できるが、あの多量の熱量は他の固体（金属等）粒子の存在がないと説明が難しいのではないか？なお点火や引火源の議論についてはミストの場合、あまり問題とならない。<br /><br />　しかし今回は清瀬の方〃から大衆教化の為に敢えて映像を提供して頂いたのだから、本稿は何らケチをつけるものではない。大変感謝している。しかし単純化とは言え問題を余りにも単純化し過ぎると、大衆から「その程度の事」かと理解されて後顧の憂いを残す。加えて安全研究の価値を低める。更に粉の火災なら対策は清掃だが、気体爆発なら<strong>通気性の改善</strong>が対策となる。<br /><br />２． ミスト定量の難しさ<br />　あの大学院学生時代はミスト定量の文献もある程度探したが、まあこの分野を専攻する研究者の少ないこと。基礎的で地味で、殆ど応用的な価値がない。実験は難しい上、時間が途方もなく掛かる。特に２相流れが絡んでくると特異な流れ性状をひき起す。このミストの物性は、機械工学は元より医学、衛生、化学工学、原子力に跨るがその現象が多様であるだけに、<strong>呼び名もバラバラ</strong>で、一つの研究対象に纏まっていない。この辺がこの分野を暗黒大陸として放置してきた原因の一つであると思われる。<br /><br />　この工学上の弱点がセベソの大事故を起した。ダイオキシンは２相流れとなって安全弁を素通りし、大気中に流失した。またインドのボパールの大事故（1000-2000名死亡）の発端にも絡んでいると見られるが、余りにも多量の死者が出た結果、原因追求論争を封印してしまった。<br /><br />３． 地下街のミスト<br />　ディーゼルの排気ガス中にも有害なミスト（粒子状物質）が含まれるが、その他にも何だか訳も判らない多様なミストが混入しているらしい。横浜駅や新宿駅地下街、或いは大阪梅田の地下街にもこの様に汚染していると思われるが、この粉塵（ミスト等）研究が遅れているために実態は良く判らない。国民の相当の割合がアトピーや多くのアレルギー疾患に悩まされている。にも拘わらず国は衛生基準も検討しないで、地下街建設を許可している。この最低の現実は当該研究の遅れに起因しているのである。<br />　当然放射能がらみのミストも存在するから、原子力安全にも関係してくる。<strong>安全研究</strong>に多くの予算を割くことは未来的には不可欠だ。にも関わらず安全研究は既往の学問領域から予算的及び人事的迫害を執拗に受けている。その理由は安全は既に伝統的学問に含まれているからというのがその理由である。これをストップするには、正に立法化による保護が必要だ。<br /><br />　火災・爆発から衛生問題まで、人類を襲う危険・有害の要因は多い。この解決を単に現場の狭い視野から立法化を急ぐことは事を悪化させる。今回もあれだけの熱量を冷やすには相当の消火水量を必要とした筈。単に設置を義務付けるのみでは効果は薄いし、マイナスの場合もある。<br />要は余りあれこれ詮索するな、「早く逃げろ」の一語に尽きる。<br /><br /><em>註1:</em><br />　ミストという言葉は日本では馴染みが薄い。例えて言えばミラノの霧の様な煙である。これは日本では見られない非常に細かい流れでとても粒子を想定できない。あれは煙である。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>火災・爆発</category>
      <author>rakuinkyo</author>
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        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10760331.html</link>
      <title>あの世はあるか～～時間とその性質</title>
      <pubDate>Sat, 19 May 2012 08:52:11 +0900</pubDate>
      <description>１． 恐山に参じる人々　青森の恐山で寺の住職をやっておられる南老師の話をテレビで聞いた。昔３０歳代の頃だったか、老師が永平寺修行時代に説教を拝聴し、その圧倒的な説得力に感銘を受けた。昨夜の話で面白いと思ったのは、僧侶を困らす質問の中に「あの世はどうなっているのか」というのがある。あの世なんか知らないと答えると「あんた坊さんでしょう」となかなか許してくれないと言う。今自分がここに居るのは確かなことであり、その延長としての次の世が有るはずだ。それを否定することは現在の存在の確証を..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 恐山に参じる人々<br />　青森の恐山で寺の住職をやっておられる南老師の話をテレビで聞いた。昔３０歳代の頃だったか、老師が永平寺修行時代に説教を拝聴し、その圧倒的な説得力に感銘を受けた。昨夜の話で面白いと思ったのは、僧侶を困らす質問の中に「あの世はどうなっているのか」というのがある。あの世なんか知らないと答えると「あんた坊さんでしょう」となかなか許してくれないと言う。今自分がここに居るのは確かなことであり、その延長としての次の世が有るはずだ。それを否定することは現在の存在の確証を失うことで、これは人間にとって由々しき大事件である、と思うらしい。<br /><br />　話しは変わるが、今国際時間学会長G.J. ウイットロウ教授が書かれた名著「時間　その性質」を読み終わった（３度目）。この本では、生物が冬から春に目覚める認識手段は主に昼夜の時間長さのずれであって、温度は２次的なパラメータに過ぎない、という。生物の多くがこういう特性があるが、人間には時間感覚機能がないが故に事実の変化でそれを認識するという。つまり事実の因果関係をみることで存在を確かめる。<br />思うに、人間というものは因果関係論から中々抜け出せないものである。哲学者ウイットゲンシュタインも「因果関係論は迷信に過ぎない」と言い切っているが、私も最近そう思うようになった。<br /><br />２． 波動の科学性、エリオット波<br />　社会現象を波動現象として扱った人物としてコンドラチェフが有名であるが、これは胡散臭い予言やデマの一種として定着した。しかしマーケットの世界では様々な歴史依存の指標（インジケータ）が発明されており、中には未来を的確に予想するものがあり驚かされる。エリオット波というものは科学的な説明のつくもので、市場はその周期に従って動くといっても過言ではない。但しテレビに出てくる専門家は因果関係論を使った「夢売り商売」だからヘッジという考えが出てこない。これでは円高は阻止できないはずで、金融・経済学では因果関係論一本で時間波動性は教えていないらしい。<br />　工学の世界でも事故が起きるたびに原因、原因と騒ぎたてるのも「あの世がどうなっているか」という質問と一脈通じており、それを除去すれば再度安全に戻れるということらしい。これも迷信の一種であり、当然のことながら人為的ミスというのもそれに属する。<br /><br />３． 空間と時間領域との変換性<br /><br />　部品・部材が時間劣化で壊れる（不具合になる）割合は故障率（空間量）で表現されるが、これが時間領域へ変換可能であることを発見したのはNASA 時代の信頼性工学者達である。この知見により宇宙ロケットの安全性・信頼性は飛躍的に向上し、連続打ち上げが可能となった。<br />　つまり個々の部材の点検よりは劣化の時間的な波動を捉えるコンセプトに依った方が安全対策のコスト対効果は遥かに改善される。国際規格はこういう工学思想に基ずいて書かれている。<br /><br />　原発についていえば、ストレステスというのは素人に判りやすく「あの世」まで行って安全を確認したもので、それだけの意味しかない。前にも書いたが、地震の複雑な力は定式化できないし、またそのタイミングもレベルも予測できない。依然として日本列島は巨大なリスクに晒されているが、だからと言って即刻原発を廃炉にしろ、というのは自殺行為だ。<br /><br />　あの世というものはいくら努力してもその存在は確認できない。安全・安心も同様である。この人生を生き抜く知恵は危険神話に「肩透かし」を食わせ、取り敢えず今を何とか生きてゆく、これが老師の教えのようだ。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>安全工学の視点</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10377814.html</link>
      <title>電気危険性による住宅火災（再録）～～電気安全関連法を支えるコンセプトの問題点＜アーカイブ2011.9&amp;gt;</title>
      <pubDate>Tue, 15 May 2012 06:31:24 +0900</pubDate>
      <description>　わが国では発火源として電気が原因となる火災例は多いと思うが、センセーショナルな報道例は少ないと理解している。電気ハザードは傷痕を残さないので、それを過去に遡って特定するのが難しいからだ。しかし実体として住宅火災の中でどれほどの割合が電気が絡んでいるのであろうか？興味を覚えてネットに公表された海外の統計を探してみた。１．英米の火災統計　まず目についたのはUS Fire Administration(FEMA)の報告で、その概要は下記の通りである。近年、米国では住宅火災により毎..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">わが国では発火源として電気が原因となる火災例は多いと思うが、センセーショナルな報道例は少ないと理解している。電気ハザードは傷痕を残さないので、それを過去に遡って特定するのが難しいからだ。しかし実体として住宅火災の中でどれほどの割合が電気が絡んでいるのであろうか？興味を覚えてネットに公表された海外の統計を探してみた。<br /><br />１．英米の火災統計<br />　まず目についたのは<a href="http://www.usfa.fema.gov/citizens/home_fire_prev/electrical.shtm" target="_blank">US Fire Administration</a>(FEMA)の報告で、その概要は下記の通りである。<br />近年、米国では住宅火災により毎年310名が死亡、1100名が負傷している。その内かなりの割合が電気ハザードに関係している。屋内配線やプラグ、テーブルタップ、スイッチ類の老朽化によるものである。その他テレビ等の電気機器の発火例がこの数字に加わる。<br /><br />その電気ハザードの内訳を分類した統計はNFPA およびNFIRS が1999- 2003年に<a href="http://www.nfpa.org/assets/files//PDF/Proceedings/Ahrens_presentation.pdf" target="_blank">集めたデータの</a>中にあり、この年には37700件の住宅火災が発生、その内死亡は８％、負傷は6％でかなりの数字である。原因は延長コード、接続器具、屋内配線の不具合によるもの。<br /><br />英国では<a href="http://www.communities.gov.uk/fire/researchandstatistics/firestatistics/firestatisticsuk/" target="_blank">この数十年の火災統計データ</a>が見つかった。47000件の住宅火災。発火源の17％が電気ハザードによるものであるという。<br /><br />２．わが国の問題点<br />　電気安全は電気事業法に規定されているが、その内容を読む限り、リスク管理という視点は見当たらない。確かに誤使用がなければ電気ハザードなるものは存在しないが、現実に死者が出ているのだから、より安全な器具開発の奨励など、リスクを下げる努力に際限がある筈がない。火災死亡事故に直結するのは消防庁だが、電気事業法は産業経済省と縦割りが此処にもある。横の連携をもう少し密接にとれないものか。<br /><br /><em>追伸</em>：　<strong>何かおかしい電気用品安全法</strong><br />　東北大震災では津波という水流の破壊力が、建築物強度を遥かに越えるレベルのものであることが明らかになった。一体、昔工学部で学んだ流体力学（水力学）のベルヌーイの法則とは何であったのか、下世話な言葉を使えば「授業料を返せ」と叫ぶところだろう。反省するのは地震学者だけではない、その筋の権威と呼ばれる学者も猛省すべきだろう。しかし元来、学というものの本性はこういうもので、「自然現象とはこうある筈だ」という前提で理論を組み立てて、理屈に合わない現象は切り捨てる。このやり方は原子力村の学者だけではない。<br /><br />　さて上述の通り、電気用品ハザードが火災原因のかなりの部分を占めている現実を海外の文献から明らかにしたが、日本ではこの事実をどう扱ってきたのであろうか？<br />そこで電気安全環境研究所の業務内容、およびその認定行為の法的基盤である電気用品安全法の中身を調べてみた。懸念していた通り、ここで採用されている安全コンセプトは「安全性の確保」であって、電気用品ハザードの検査と評価ではない。両者は同じ事だろうと言われるが、それは同じではない(ISO/IEC ガイド51)。この辺の議論は小文では終わらないので、敢えて割愛する。<br /><br />　ところで日本とは対照的に海外、特に英国・ドイツ等における電気事業の安全法制は、製造物責任法の精神を前提としており、事故損害の立証責務は製造者にあると聞いている。電気が日本に伝来した時、まず「民に知らしむべからず、依らしむべし」という原理が先にあり、予め定義できない安全概念の上に電気事業関連法規が作られた。要するに電気供給者が上にあり、消費者の権利・義務は無視された。この立場は他の行政法でも同じような傾向が見られる。加えて、工学用語を使えば信頼性と安全性とが混同されている。<br /><br />　今回の原発事故の苦い体験から原子力に依存しない社会を目指すのは大変結構ではある。しかし「<strong>電気を使用しない社会</strong>」を目指すわけには行かない。今後も人体に対する漏電ハザード、火災ハザードは決して日本列島から消え去ることはない。今回の原発事故への反省は色々なレベルで行われているが、この安全法制の中核にまで踏み込まないと、真の解決はあり得ない。表面的な失敗の側面だけをみていては歴史的に積み上げられた法制上の矛盾は見えてこない。<br />要するにわれら国民性は時間軸意識が脆弱なのであり、これが重大な技術リスクを作り出す。しかし工業で飯を食っていく限り、その弱点を何らかの方法で補って行かざるをえない。これは大変大きな問題であり、多くの有識者とその解決策を模索してゆきたい。<br /><br /></font><a href="http://up.blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/image/E99BBBE6B097E781ABE781BD-9ea26.doc"><font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif"><span style="color:#FF0000;">調査資料の原典</span>.doc</font></a><font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">&gt;：←アドレスはこちら<br /><br />関連記事：<br />1. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/5547729.html" target="_blank">点検では判らない隠れた危険源</a><br />2. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/9841880.html" target="_blank">無視できない警報の信頼性</a><br />3. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10162621.html" target="_blank">火災警報器の信頼性</a><br />4. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10344476.html" target="_blank">義務化路線は未来志向の安全対策か</a><br /></font><a name="more"></a>

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            <category>火災・爆発</category>
      <author>rakuinkyo</author>
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      <title>愛犬の死から寅さんまで(再録）～～安全の基本は逃げること(アーカイブより）</title>
      <pubDate>Mon, 14 May 2012 06:57:17 +0900</pubDate>
      <description>　この正月４日の寒波の日、愛犬に死なれた。まだ青年期なのに。後から獣医が言うには犬には持病があった。そういえば妙に陽の当たる処を恋しがり、春夏秋冬、気温には敏感だった。そんな事を飼主は全く知る由もない。　荘子によれば、どんな生物でもその主体性をもっており、それで生きている。つまり一個のモナド（意味の単子）だというのだ。人間はそれを知らない。数尺の紐でくくりつけ自分でコントロールの下に置こうとする。犬の事は何も知らない癖に。　「主体性」とは自らを律する根源的な知性・本性であって..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font face="ＭＳ 明朝, Courier, serif" size="2">　この正月４日の寒波の日、愛犬に死なれた。まだ青年期なのに。後から獣医が言うには犬には持病があった。そういえば妙に陽の当たる処を恋しがり、春夏秋冬、気温には敏感だった。そんな事を飼主は全く知る由もない。<br />　荘子によれば、どんな生物でもその主体性をもっており、それで生きている。つまり一個のモナド（意味の単子）だというのだ。人間はそれを知らない。数尺の紐でくくりつけ自分でコントロールの下に置こうとする。犬の事は何も知らない癖に。<br /><br />　「主体性」とは自らを律する根源的な知性・本性であって、それは特定の他者に従属するものではない。これを上手に説明する用語は自然科学の中にはなく、むしろダーウィンと対立したラマルク、モンテッソーリの宇宙観の中に読み取れる。<br /><br />２． 寅さんとイエスの教え<br />　キリスト教の最大の教えとは生き延びるためには「兎に角逃げろ」という事である。<br />外面的には城から逃げろ、平地から山へ逃げろ、そして内面的には自分の社会的な概念から逃げ出せ、と教える。換言すればExodus(エジプトからの脱出) である。寅さんもその家族から逃げ出して放浪の旅にでる(あの映画で一番不幸なのは、あいつさえ結婚出きれば家族の未来が保証されるのだが、と思っている残された人たちである。寅さんが一番幸せなのだ）。芭蕉も逃げ出した。古今東西、逃げ出した人間が長生きしている。それはその主体性が最高に発揮される世界である。フリータやホームレスも放浪の一つの形態かもしれない。<br /><br />　聖書でもっとも難解な箇所の一つにアブラハムが神から一子を殺せと命ぜられる場面がある。何と残酷か、と思ってきた。しかしこの世間では父と子とは双方、それぞれの主体性の元に生きねばならない。これは厳然たる法である。つまり父と子と神とは</font><a href="http://www.h6.dion.ne.jp/~shim-his/alarp.doc" target="_blank"><font face="ＭＳ 明朝, Courier, serif" size="2">三体を形成</font></a><font face="ＭＳ 明朝, Courier, serif" size="2">する。子と神との関係を維持しようとすれば、自分から見た子を殺さなければならない。つまり所有している（コントロール下の）子を解放し、子の主体性（神）に委ねる、という事である。これは実際辛いことであるが。<br /><br />　自然科学は全ての存在を関数関係や変換等の操作で一対一に関係ずける。それは実用的には巧妙な方法であるが、人間関係までに適用すると大変なことになる。子を生かそうとする善意の父は、実は実質的には子の主体性を殺しているのである。<br /><br />３． 安全の基本は逃げる自由<br />　欧米の安全問題を調査してきた経験をまとめれば、いかなる技術系（プラント、宇宙設備、海洋等）においても、そこに閉じ込められる人間の逃げ口を用意する、即ち人間の解放が先で、その為の救急手段を用意する。緊急遮断装置、緊急脱出口、緊急救出手段、異常検出技術等がそれである。特にフランスではプランORSECが災害対策の原則になっており、災害を広域的に捉えようとする戦略となっている。初めに「人間ありき」（アダムとイブ）であって、初めに技術ありきではない。<br /><br />　日本ではいまだに現状維持的な、つまり</font><a href="http://www.h6.dion.ne.jp/~shim-his/sippai2.doc" target="_blank"><font face="ＭＳ 明朝, Courier, serif" size="2">失敗部分だけを遡及</font></a><font face="ＭＳ 明朝, Courier, serif" size="2">し、部分改善するという考え方で、全体をみる視点が乏しい。科学界において進化論を含めた宇宙観に関する議論が活発化することを期待する。<br /><br />関連記事：<br />1. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/8213347.html" target="_blank">防火計画に紙と鉛筆は不要か？</a><br />2. <a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10188761.html" target="_blank">競争原理の働かない安全技術の有効性</a><br /></font><a name="more"></a>

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            <category>安全工学の視点</category>
      <author>tabigarasu</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10741902.html</link>
      <title>原発再稼動を阻むもの～～このもやもやは何だ？</title>
      <pubDate>Sat, 05 May 2012 12:13:00 +0900</pubDate>
      <description>１． ハザードとリスク　明日の泊原発停止を控え、新聞もテレビもこの話題が多い。しかしこの論議が繰り返される度に何かもやもやとした気分になる。これを吹っ飛ばすには真珠湾攻撃なみのサプライズがあればスカットするのにと思う。その原因の一つは原子力村に多くの収賄疑惑があったにも拘らず検察が全く動かなかった、という法治国家体制への自信の揺らぎ。その遠因を辿れば原発の安全訴訟に関して最高裁が出した結論が全くの机上の空論に過ぎなかったという落胆にあろう。　それでは原発が本来的に「危険なのか..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． ハザードとリスク<br />　明日の泊原発停止を控え、新聞もテレビもこの話題が多い。しかしこの論議が繰り返される度に何かもやもやとした気分になる。これを吹っ飛ばすには真珠湾攻撃なみのサプライズがあればスカットするのにと思う。その原因の一つは原子力村に多くの収賄疑惑があったにも拘らず検察が全く動かなかった、という法治国家体制への自信の揺らぎ。その遠因を辿れば原発の安全訴訟に関して最高裁が出した結論が全くの机上の空論に過ぎなかったという落胆にあろう。<br />　それでは原発が本来的に「危険なのか、安全なのか」という問いかけを主観に頼る国民投票で決めろという主張もある。それはあまり性急すぎて理性的な選択から逸脱する恐れある。<br /><br />　この問題を安全工学の立場から考察すれば、ハザード（危険）とリスク（確率的損害平均値）との混同が災いしていると考える。二つをごっちゃまぜにしているから、主観的な反対論と推進論とが堂々巡りをしている。確かに原子力エネルギーは巨大な破壊パワーをもっていて危険極まりない。しかしその点はダイナマイトとて同じ。両者の違いは火薬技術では安全技術の進歩によってリスクを無視できるほどに小さくしたという事実。原発関係者も今回の事故でそれに気がついたから、安全度水準は大幅に向上した。しかしそれを言葉で表現することを政府は避けている。言っても混乱するだけだろうと。<br /><br />２． 言語が機能しない虚しさ<br />　在職中には大学入試の採点を永らくやっていたが、嘆かわしいのは最近の若者はまともな文章がかけない。ネットでも書くチャンスは大幅に増えたが、論理的な表現となると極めて貧しい。司馬遼太郎もこの国語機能の役割について触れており、国語能力なくては碌な作戦はできない、と喝破している。スマホとか色々市民の通信技術は飛躍的に伸びたが、市民の言語能力となると底をついた。こんな文化水準だから原発なんて危険なものを満足に運転できるわけがない、と知識人はいう。<br /><br />　しかし言語の難易度でいえばロシア語や中国語（特に書き言葉）の方が日本より遥かに上を行く。若い頃は言語に興味をもっており何でもかじったから、両言語は初級的なレベルで学んだ。その時の感想はこんな時代遅れの言葉をもつ国民には近代化は無理だろうと。ところが今日科学技術でいえば日本は遥か後ろを走っている。一般庶民の言語レベルと国としての発展とは違うらしい。数パーセントの良識ある国民がリードすれば、国はまともな方向へ進めるのではないか。<br /><br />３．安全工学用語の普及を　<br /><br />　原発の存続に関しては、政権は事故以来右往左往した結果、一貫性を欠いてきた。それは止むを得えないことである。加えて事故調委設定の基本理念やストレステストの意義についても軽率であった。しかしこれからはこれでは困る。独立性の高い規制庁設置を機に人心を一新し、新たな理念をもって国民を説得してほしい。安全工学用語の普及のためにも古い皮袋を捨てて新しい皮袋をもって安全技術の向上・普及を推進して頂きたい。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>原発の安全</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10733350.html</link>
      <title>エネルギー政策の根底にあるもの～～意外に知られていないエネルギー媒体の２倍利用</title>
      <pubDate>Sun, 29 Apr 2012 08:34:31 +0900</pubDate>
      <description>１． 日本軍とドイツ軍の苦悩～～とにかく燃料不足だった　戦前の軍備拡張時代、戦艦や航空機開発において両国は実に卓抜な才能を発揮し優れた兵器を大量に開発・製造したが、それと共に気がついたのが兵器を動かす燃料の需要もまた飛躍的に増加するという事実であった。石油供給源は英米がほぼ独占していたから、枢軸国は独自に石油を入手する必要があった。それを実現するために日本軍は無理な南方進出、ドイツは無理に東欧やアフリカへ進出し、それが結局命とりになった。　一方、米軍は航空機燃料に関していえば..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 日本軍とドイツ軍の苦悩～～とにかく燃料不足だった<br />　戦前の軍備拡張時代、戦艦や航空機開発において両国は実に卓抜な才能を発揮し優れた兵器を大量に開発・製造したが、それと共に気がついたのが兵器を動かす燃料の需要もまた飛躍的に増加するという事実であった。石油供給源は英米がほぼ独占していたから、枢軸国は独自に石油を入手する必要があった。それを実現するために日本軍は無理な南方進出、ドイツは無理に東欧やアフリカへ進出し、それが結局命とりになった。<br /><br />　一方、米軍は航空機燃料に関していえばクラッキング技術（オクタン価）を開発し、石油エネルギーをほぼ倍増して使用していたから、エネルギー使用量においても遥かに優位に立っていた。この事実は工学部でも燃料系化学工学以外の方にはあまり知られていない。この解釈として米国の化学技術開発が遥かに進んでいたという理解よりは、北米大陸において小規模の石油井開発が庶民の生活領域でごく一般的であった（いわゆるWTI）。つまり歴史が違う。欧州の伊半島北部においても戦前から天然ガスが発掘されており、その井戸は野良猫（gatto selvatico)という愛称でよばれ（<span style="font-size:x-small;">特に沿岸での採掘用櫓を指す</span>）ている様に、一般人が勝手に採掘していたらしい。つまりエネルギー感覚が庶民レベルで浸透していた（因みに小生が在学していたのはENI:石油炭化水素公社である）。<br /><br />２． 石油と太陽熱の違い<br />　エネルギー源としての石油は貯蔵が利く上に各種の派生物（医薬等）を生み、またクラッキングによってエネルギー価を倍増できるメリットを有する。これに対して太陽熱や風力は貯蔵が利かない上に、技術の他分野への応用性において遥かに劣る。この性質は資本主義において致命的な短所となる。何故なら資本主義という体制は価値を人為的に作りだせる社会システムであって、これを禁止する社会とはマルクスが想い描いた様な価値固定的な世界である。<br /><br />　小生も若い頃は資本論を読み、共産主義体制では貨幣はあまり使わないのだろう、と思っていた。ところが当時あまり日本人がソ連邦に入れない時代にモスクワを訪れ、如何なる体制においても通貨は絶対必要であることを痛感した。思えば旧約聖書の時代から通貨の特性はそれが金利を生むということであって、金利ゼロでは自由なマーケットは存続し得ない。<br /><br />３． 市場が拡大しない世界は破綻する　<br />　地中海世界の国々は大航海時代に乗り遅れた国である。新たな富が入ってこないから、徐々に衰退していった。結果としてどうなるか、生活費を稼げない庶民は移民となって他国へ流出するしか選ぶ道はなかった。ラテン民族は20世紀に入り、怒涛のごとく南米や北米へ就職難民となって脱出した（<font size =1> 少年マルコの<em>母を訪ねて3千里</em> はこの時代の話だ</font>）。日本も事実上財政破綻しているから、これからは職に就けない若者はそういう過酷な時代も覚悟しなければなるまい。<br /><br />　上述のごとく通貨は印刷機で簡単に増殖できるがエネルギーは簡単に作れない。資本主義体制の維持は常に拡大を前提とするから（残念だが）、自然エネルギーの利用が我が民族の存続に貢献する度合いにも限界があろう。先行投資が１倍以上で返ってくる保証はないのだ。<br />　小生の僅かな経験を要約すれば日本人のエネルギー感性は欧州人ほど鋭くない。その理由は一般の生活の場で石油採掘井戸に出会ったことがないし、そもそもパイプラインというものも見たことがない。石油は遠い夢の国から船で運ばれてくる、というのが実感である。その対策として近代経済社会を維持する為に、エネルギーコストというものを体験できる場が必要なようだ。<br /><br />４． 工学者の良心<br />　私は矛盾だらけの人間で、他人様の矛盾をあげつらうのは良しとしないが、どうも最近納得できないことが多過ぎる。それは国立大学の原子力工学科に在籍しながら、原子力エネルギーの存在価値を否定するという行動規範がどうもわからない。一市民としてどういう見解を持つかは自由だし、地位に関係なく学者としての良心を発揮するのも又許される。しかし大学の原子力工学という看板との関係はどうなるのか説明が必要だろう。原子力工学に限らず、工学全般が国から認可され予算を付けられているのは、科学技術を通じて社会の進歩発展に寄与するという趣旨だから、看板に偽りありというのも他所から見た場合耐え難い。一体学生に何を教えるおつもりか？</font><a name="more"></a>

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            <category>原発の安全</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10731150.html</link>
      <title>安全委員会の役割とは何か～～独立性以前の問題</title>
      <pubDate>Fri, 27 Apr 2012 14:55:15 +0900</pubDate>
      <description>１． 流体渦による配管振動　最近自宅の風呂ボイラーにトラブルが生じた。追い炊き式であるから浴槽内のお湯を再加熱するための循環ポンプがついている。そのポンプは永年順調に回っていたのだが、最近は配管が振動し低周波の異音が発生する。あまり気分がよくないので、メーカーの保守係りに問い合わせたら「それは90％の確率で循環ポンプの故障」だという。そこで出入りの職人を呼んで独自の視点で現象を診断して貰った。色々調べた結果配管継ぎ目のパッキンがめくり上がり、そこで流体渦が発生していた。パッキ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 流体渦による配管振動<br /><br />　<font size=1>最近自宅の風呂ボイラーにトラブルが生じた。追い炊き式であるから浴槽内のお湯を再加熱するための循環ポンプがついている。そのポンプは永年順調に回っていたのだが、最近は配管が振動し低周波の異音が発生する。あまり気分がよくないので、メーカーの保守係りに問い合わせたら「それは90％の確率で循環ポンプの故障」だという。そこで出入りの職人を呼んで独自の視点で現象を診断して貰った。色々調べた結果配管継ぎ目のパッキンがめくり上がり、そこで流体渦が発生していた。パッキンを交換したら何のことはない異音は消滅した。</font><br /><br />　流体渦は本で読んで知ってはいたが、実物に接するのは初めてである。それにしても流れというものは実に奇妙な現象を起こすものだ。技術とは自然の不可思議な現象に臆せず、人間の創意工夫によって生存の手段を開発していくもので、頭だけで考えていたら進化はない。<br /><br /> ジェームスワットの蒸気機関も加熱蒸気が示す異常な圧力上昇と連続する爆発事故に悩まされた結果、その過大圧力を制御する機構を考え出したもので、あれを恐れていたら鉄道というものは出現しなかった。「虎穴にいらずんば虎子を得ず」である。職人魂というものは実に自然の積極的利用を可能にするものだ。<br /><br />２． 原発の再稼動問題<br />　今日の読売朝刊でイギリスの原子力エネルギーの専門家のコメントを読んだ。原子力エネルギーというものは資源の少ない小国にとっては無視できないエネルギー源だという話。つまり勿体ないと言うのだ。<br />一方、日本では放射能アレルギーは相当なもので、原発再稼動は政治問題化して工学者の手の届かない所へ行ってしまった。とはいえ来る夏が猛暑で、度々の停電に見舞われたら少しは堪えるであろう。東京でも昨年3月に停電を経験したが、暗い夜に空調を止められあまり良い気持ちではなかった。<br /><br />　政治の話はその世界で十分議論して貰えばよいが、学問の世界では放置できない課題を残した。それは安全委員会の「とても安全を保証できる状態ではない」という発言である。元来、これは言葉の問題であるが、安全が保証できる状態とはどういう状態を指し、どういう証拠に因って判断するのであろうか。自治体の長がこの程度の認識なら許せるが、国の原子力規制のトップがこういう認識を引きずるとは。これは事故がおきる前の安全神話形成の話しだ。<br />　この論法で行けば、航空機も新幹線（通常鉄道も含む）もとても安全を許可できる状態ではない。許可しているのは「今まで事故がなかった」という経験に依拠しているだけである。<br /><br />　永田町から漏れてくるのは<strong>主観的な</strong>安全観を寄せ集めただけで、安全技術の水準を高めてリスク対メリットを改善するにはどうすべきかの学問的な方策についての議論は少ない。<br />　「私は危険と思う」とか「私は安全と思う」という意見の応酬はギャンブルに他ならない。安全科学を日本で発展されるにはどういう方策があるのか、もう少し建設的な考察をして頂きたいと思うのだが。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>原発の安全</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10719219.html</link>
      <title>指１本の怪我で人間は衰退する～～元気を出せ日本</title>
      <pubDate>Wed, 18 Apr 2012 09:36:59 +0900</pubDate>
      <description>１． 深刻なトラウマ～～震災の後遺症　高校時代に一人の同級生が、家業の機械加工を手伝っている時、ミスで小指１本を切断した。ほんの先端だけなので、包帯を巻くだけで学校生活には支障がなさそうだった。ところが日を追うにつれて、体全体に衰弱が進み見るも無残な痩身の生徒に変身してしまった。医学の身体問題ではなく、心理的なダメージが人間の根幹に決定的なダメージを与えたらしい。　国についても同じことが言える。古くは関東大震災以後の日本は経済が低迷したが、加えて国民のバランス感覚が崩れて以降..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 深刻なトラウマ～～震災の後遺症<br />　高校時代に一人の同級生が、家業の機械加工を手伝っている時、ミスで小指１本を切断した。ほんの先端だけなので、包帯を巻くだけで学校生活には支障がなさそうだった。ところが日を追うにつれて、体全体に衰弱が進み見るも無残な痩身の生徒に変身してしまった。医学の身体問題ではなく、心理的なダメージが人間の根幹に決定的なダメージを与えたらしい。<br /><br />　国についても同じことが言える。古くは関東大震災以後の日本は経済が低迷したが、加えて国民のバランス感覚が崩れて以降の国際社会での自国の操縦を不能にしてしまった。大袈裟の言い方をすればその大始末は太平洋戦争まで継続したと言えるのではないか？<br /><br />　今心配なのは原発一基の再稼動問題だけではない。日本人は相当深刻なトラウマに犯されており容易なことでは完治しない。この心理的な不安定さから国や身を守るために一体どういう方策が残されているのであろうか？<br />欧米ではギリシャ・ローマの歴史にまで戻って道標を求めるらしい。日本も先人の生き方に範を求める動きは既に始まっている。問題なのは科学・技術の分野での羅針盤をどう読み取るかの課題なのだ。<br /><br />２． 新しい道具を開発した民族が他民族を支配する。<br />　ローマの文明史博物館にはシーザーがガリヤ（今のフランス）を攻略した時の機械兵器の模型が展示してある。<br />人間を動物と区別する一点はこれである。人間は道具を考案するが、動物は道具を使えない。歴史を回顧すれば火薬や蒸気機関、無線技術が発明される度にそれらを巧みに自国のものとした国が先行した。つまり他国を併合したり征服している。エジプトがイスラエル人を奴隷化しえたのも２頭立戦車の発明に負う処が大きい。<br /><br />　つまり科学・技術とは国を国たらしめる必要不可欠な道具であって、その研究は途切れさせてはならない。それは至上命令であり絶対条件である。この意味において確かに原子力は人間にとって厭うべきエネルギー源であるが、使うか使わないかは別として研究だけは継続させねばならない。指１本の欠落が体全体を衰退させることは十分に予想できるからである。将来は原子力が思わぬ方面において使われる日が来るかもしれない。<br /><br />３． 今必要なのは元気と安定<br />　震災以降、日本の精神的衰弱は回復するどころか、むしろ日に日に弱っているように見受けられる。怖いものは一切駄目というのは、「羹にこりて膾を吹く」の遥かに上を行っている。その具体例が電力の需給論議で、これは実に元気のない話だ。猫が本能的に水を恐れる話と同じで、雨が降れば怖いから隠れて晴れるのを待つというのでは先へ進めない。小生も人間だから怖いものは怖い。しかし高度恐怖症に怯えていては「つり橋」ですら渡れない。<br /><br />　ところで不安が蔓延したとき中央政府は何をすべきか、の問いの答えを他国に範を求めるのも無駄ではない。例えばロシアは近代化が遅れた国であった。革命以後、民衆が一番心配したのは本当に共産党には国家建設能力があるのか否かという懸念であった。その心配を払拭するために革命政府はモスクワ大学やウクライナホテル等の最新鋭の高層ビルを作った。つまり国の威信の誇示は極めて重要な国家行事であった。<br />　この教訓を日本に敷衍して、失墜した科学・技術の信頼を回復するために何か大きな事業が出来ないだろうか。電気が足りているか否かの後ろ向きの議論は適当に終わらせたい。求めているのは安価な電力の安定供給であって需給関係ではない。電力の安定化には保守・保全方式も関係してくるので、安定度の指標を解析しなければならない。当然専門家の意見が必要で、単なる素人の数字合わせでは机上の空論に終わる。<br />　現在の政権が精一杯の努力をしておられるのは評価したい。しかし次期政権を狙っているグループに期待することは上の諸点に尽きる。兎にかく人心を安定させること。そして１００年の禍根を残さぬ様な舵をとることである。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>原発の安全</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
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      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10712631.html</link>
      <title>人間は自然を悪用しているか？～電気はもう要らない？</title>
      <pubDate>Fri, 13 Apr 2012 11:58:59 +0900</pubDate>
      <description>１． 物質文明はもう沢山か。　　今回の津波で陸から流され、アラスカ沖合いにまで漂流する膨大な瓦礫群のニュースに接し、その規模の大きさには唖然とした。確かに高度成長以来、自動化された生産システムはひとえに物だけを作り続けてきたから、そのレベルになっても可笑しくはない。西暦3000年に至り、未来の考古学者が太平洋の底をさらってその瓦礫の多さに驚愕し、昔の人類は一体どういう価値観で暮らしていたのだろう、と嘲笑するに違いない。　加えて最近の企業の決算報告を聴くたびに、営業利益3000..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 物質文明はもう沢山か。<br />　　今回の津波で陸から流され、アラスカ沖合いにまで漂流する膨大な瓦礫群のニュースに接し、その規模の大きさには唖然とした。確かに高度成長以来、自動化された生産システムはひとえに物だけを作り続けてきたから、そのレベルになっても可笑しくはない。西暦3000年に至り、未来の考古学者が太平洋の底をさらってその瓦礫の多さに驚愕し、昔の人類は一体どういう価値観で暮らしていたのだろう、と嘲笑するに違いない。<br />　加えて最近の企業の決算報告を聴くたびに、営業利益3000億円とか誇示されると、その利益と連動した廃棄物の量を想像せざるを得ない。経済の減速を望む国はどこにも無いから、この傾向は当分留まることを知らない。<br /><br />　そこで未来永劫、このトレンドが加速することを望む人も減った。敗戦直後の電気不足の時代には停電が常習化していたから、暗闇のローソクの灯の下で学校の宿題を済ませた。だから蛍光灯が発明されて明るい暮らしが始まった時は皆は感嘆した。それが今では明るさよりは暗い方がロマンチックだという。公園などでは電飾が好まれる。この様に日頃は何不自由もないからこれ以上の電気は要らないという。<br /><br />２． 科学技術は人間が恣意的に作ったものか？<br /><br />　哲学者は自然と科学技術とを対比させ、両者を分離して相互に独立に存在するものと考える。小生も大学で受けた教育ではそういう感じは否めなかった。しかし地中海世界を旅行してからその考えは変わった。例えば暦なるものは現在では殆んど無料で手に入る。しかし西洋暦が完成するには永い天文観測が背景にあり、エジプト等の古代文明の継承があった。<br /><br />　確かに高齢化すると季節の移り変わりは気温だけでは判らなくなる。もし主観的な判断で時間の流れを追っていたら、種まき等の農作業に影響を与える。目に見えない暦の効用は抜群である。<br />また数理的な手法も人間が恣意的に作りあげたものではない。その確信はフィボナッチ数の神秘を発見した時に得た。<br />この数が植物等の細胞構造や太陽系の幾つかの構造的な特性値に現れる。フィボナッチ数の神秘性はそれが二進数、十進数等の人間が考えだした算術法に依存しないことである。つまり自然を意図的に変える面は確かにあるが、むしろ人間は壮大な自然の一部であり、自然と分かれた生存の仕方もまた難しい。<br /><br />３． 安価な電力はまだ足りない。<br />　今は全てが満ち足りているから、これ以上の電気は要らないという。日常的な電気は確かに充足している。しかし電気代を少々あげるというだけで国中大騒ぎだ。これは不満自体が少々おかしい。日常的生活感覚よりは国全体としての産業活動の安定化という視点で捉えるべきなのだ。<br /><br />　ところで小生は素人ながら国の経済があまり上手く行ってないこと程度は判る。ソニーが大量の人員削減を発表すること自体異常な出来事である。戦後一貫してお家芸としてきた物つくり構造が変わってしまった。その理由は中国・韓国等の新興国の追い上げもあって採算はとれない。何か思い切った別の工業形態を考えなければ経済の水準維持も覚束無い。<br /><br />　ここで例として北欧（特にスエーデン）が歩いた道を覗いてみよう。北欧諸国はドイツや英国等の先進国を隣国として競合状態にある。年間の労働時間や立地において条件は劣る。そこでスエーデンの鉄鋼業では特殊化路線をとった。高張力鋼等の研究開発や生産において先進諸国を先導してきた。特に航空機や発電タービンの材料源として他国をリードしている。この特殊鋼の生産には大電力を消費する電気炉を使うので安価な電力の供給が欠かせない。<br /><br />４．再び大きな道へもどろう<br />　　今や原発事故ショックでいまだ再稼動を許せる理状態にないという。それは確かにある。しかし人類は食料不足には耐えられない。野良猫でさえ毎日の餌探しに汲汲としている。猫にとって食い物を盗むか、人間にねだるかの二通りの方策しかない。近くに池があって魚でもいれば話は別である。<br /><br />　人間も同じ、この国際社会で自活してゆくのは容易ではない。日々の生活に満足することなく深く考え、食料を安定確保するために何をすべきか、先の事を考えよう。そこで特に主婦の方々にお願いする。皆さんは佐久間ダムや黒部ダムへ行かれたことがありますか？　戦後の男達が如何に新生日本のために命を賭けたか、その意気込みには心底頭が下がる。あの巨大なダム建設の裏側で多くの貴重な生命が捧げられた。それでも唯ひたすら安定電力を供給したいという先人の願いがあった。今もう電気は余っているというのは早過ぎるのではないか。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>原発の安全</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10697671.html</link>
      <title>流言蜚語は世のならい～～地震学よ、お前もか</title>
      <pubDate>Mon, 02 Apr 2012 08:42:53 +0900</pubDate>
      <description>１． 虚言や異言が横行　世間をアッと言わせる大災害や技術進歩の後では人々の心は揺れて大きな変革が現れるのが常である。それがルネッサンス運動のようにプラスの創造運動になればよいが、日本の場合大抵は破壊的運動となることが多い。破壊は何としても阻止しなければならない。　関東大震災の後でも流言蜚語に惑わされて右往左往した民衆の姿を母の昔語りでよく聞かされた。外国人の虐殺なんて話も実際に起きた事件らしい。今次の大戦中でも相当のデマが飛び交い、小生の養父は家財道具の焼失を恐れて東京の自宅..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 虚言や異言が横行<br />　世間をアッと言わせる大災害や技術進歩の後では人々の心は揺れて大きな変革が現れるのが常である。それがルネッサンス運動のようにプラスの創造運動になればよいが、日本の場合大抵は<strong>破壊的運動</strong>となることが多い。破壊は何としても阻止しなければならない。<br /><br />　関東大震災の後でも流言蜚語に惑わされて右往左往した民衆の姿を母の昔語りでよく聞かされた。外国人の虐殺なんて話も実際に起きた事件らしい。今次の大戦中でも相当のデマが飛び交い、小生の養父は家財道具の焼失を恐れて東京の自宅から千葉県野田市の親戚の家までリアカーを引いて運んだ（往復約120キロか）。夜の8時に渋谷を出発し明け方に野田町に着くという難行で、これを５回ほど繰り返した。しかし今やその大切にした家財道具は片鱗も残っていない。父の遺体も灰だけが残っている。<br /><br />　いま日本人が一番恐れているのは地震の再来で、3.11後の半年位は電車に乗るのも怖かった。そういう心理状態は今でも続いているから、地震学会が大勢集まって出す警告には正直ドキッとする。しかし敢えて言わせて貰えば、地震の警告と流言蜚語とを分ける基準はない。<br /><br />２． 想定される最大津波高さとは？<br />　想定されるとは英語で言い換えれば　assumed, probable, imaginable ということだろうが、想定したことを全て口外されたら正直人間生きてゆけない。科学的には恐らくは地殻の歪が増大しており、その歪みがとれてある種の平衡状態に達する際に放出するエネルギーから換算してこの程度の運動量が発生するだろうという推論ではないか。それはそれでご親切に有難う、ということになるが。一度失敗した地震学者が次回には恥を欠かないように多少大き目の想定になることは避けられない。<br /><br />　問題は受け手の市民がそれをどう受け取るかであって、必要以上に恐怖の感情に捕らわれていては円滑な社会生活が阻害される。<br />小生はこの警告の科学的意味について尋ねたい。その想定される地震の次の３年間での発生頻度は、尤度から計算して、どの程度になりますか？　特に地域性が重要だ。そして想定された津波が襲ってこない確率も計算できるでしょう。その大きさを見積もってください、という質問になる。<br /><br />　この質問の趣旨は自然を畏怖しない不遜の態度から出ているのではない。自然は確かに恐るべきものである。火山は噴火するかもしれないし、また東海地震の発生が予想を超えた大津波を惹起させるかもしれない。しかし人間は情けないことにそれらの全ての大災害に万全の対処は出来ないのである。つまり１００％安全な防護対策は存在しない。津波の想定高さが引き上げられたからと言って、古い想定高さで建設された防波堤を破壊することはない。<br /><br />　民衆の犯す過ちは科学的にいえば確定論(deterministic concept)と不確定論（stochastic theory）との混同であって、それを区別できる人は少ない。要は採りうる安全対策の中で「<a href="http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10692166.html" target="_blank">被害最小</a>」のものを選択的に組み合わせる、というコンセプトで我慢せざるを得まい。<br /><br />　最後に個人的な感想を言えば地震学者の考える時間軸と、生活感覚をベースとした受け手の時間軸とが適合していないようだ。何か一方的に煽られているような気がする。</font><a name="more"></a>

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            <category>安全工学の視点</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10692166.html</link>
      <title>歴史を支配するエネルギー保存原理～～ストレステストの周辺</title>
      <pubDate>Thu, 29 Mar 2012 10:03:59 +0900</pubDate>
      <description>１． インドの核武装　(1) 力学におけるエネルギー保存原理（ハミルトン関数の応用）　機械工学科でもなかなか教えず、況や他の理工系学部では全く教えない究極の力学法則として表記の法則がある（註1）。これは力学の基礎から出発して高度な数学の展開によって導かれた公式で、実験的な経験則ではない。しかし言わんとする所は明快で、あらゆる物体（飛行体、列車、船舶等）の運動は系のエネルギーを最小にするように動く。この法則は社会科学にも適用可能とされており、証明は出来ないが小生は国際社会という..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． インドの核武装<br />　(1) 力学におけるエネルギー保存原理（ハミルトン関数の応用）<br />　機械工学科でもなかなか教えず、況や他の理工系学部では全く教えない究極の力学法則として表記の法則がある（註1）。これは力学の基礎から出発して高度な数学の展開によって導かれた公式で、実験的な経験則ではない。しかし言わんとする所は明快で、あらゆる物体（飛行体、列車、船舶等）の運動は系のエネルギーを最小にするように動く。この法則は社会科学にも適用可能とされており、証明は出来ないが小生は国際社会というものを遠くから観察してきた限りにおいて正しい。<br /><br />　若い頃インドの国立研究所から招かれて磁気浮上技術について講演した。まさか当時の貧困を絵に描いたような国がウラン濃縮を考えていたとは夢にも思わなかったから得々として知っていることは全て開陳した。旅行中の世話を逐一焼いてくれたのが担当部門長で、物理学者であり、かつ熱心なヒンズー教の信徒であった。カースト制度では上位の階級に属するらしいが、最下級の貧民層に接する態度が実に柔和でこれには感心した。乞食を社会の屑だとは思っていない。<br /><br />　そういう聖職者に近い階層が熱心に核武装を進めるという理由は民族対立の歴史を知れば納得する。目の前で異民族同士が殺し合いを始めれば、もう高位の階級層の人間の手には負えない。この場合使える手段があれば何でも行使するであろう。その場合、全体の死者を最小にするエネルギー保存に似た原理が働くはずだ。ましてや核武装に抑止力があれば、躊躇せず核武装する。今でもカシミール問題となると両国のインテリでも、顔に青筋をたてて怒り始める。デカン半島北部は火薬庫である。つまり核武装はエネルギー最小原理に寄与し、なんとか小康状態を維持するのに役立っている。<br /><br />　(2)バルカン半島の民族対立<br />　チトーが死んだ後のバルカン半島は隣人が隣人を襲う流血半島に変身した。いくら話し合い解決を勧めても武装勢力は武器を手放さない。小生もベニス訪問のときにトリエステ近傍まで足を延ばしたからその辺の臭いは嗅いできた。あの騒ぎは結局NATO が空爆をして収まった。空爆の動機はこれ以上犠牲者を増やすのは良く無いという判断である。平和的な解決というのはエネルギー原理に反する。<br /><br />２． 伊の財政再建の成功<br />　昨夜のモンティー首相のテレビ会見を拝聴した。政治家を閣僚から一切排除したというのは驚きで、わが国でも見習いたくても出来ない。よく伊国民が納得したと思う。非常事態のときは国民が「ベストな解決方法」は何かを悟る指針としてバチカンの指導力が大きいのではなかろうか。あの国の相当の乱暴者でもカトリック聖職者には一目置いて素直に指導を受け入れる。法王はおろか枢機卿のメーセージで国が動く。<br /><br />　考えてみればカトリックの教義についてはキリスト生誕以来、多少の論争はあったとしても教義自体は全く変わっていない。そういう絶対的な信頼があるが故に地方ごとの諸派の分裂があったとしても、戒律や儀式において一致する。キリスト教というのは緊急避難の宗教だと思う。人間逃げる時には不思議と方向が一致する。その場合エネルギー最小の原理が働き、その方向性に疑問を思ったら逃げ遅れる。<br />　日本の宗教が力を結集するには神道や仏教諸派（禅宗や念仏衆）が一つの柱に結集し、民衆に逃げ口を教えることだろう。この場合「古代へ帰れ」ではエネルギー最小とはならない。逆に余計な労力を消費し、国民を間違った方向へ導く。<br /><br />３． 技術というものは大凡保存力がある。<br />　テクノロジーとは困ったときの人間の知恵だから、大凡全ての技術に自律的な保存性がある。核物質は確かに人類とは共存出来ないが、しかしその廃棄手順や年度毎の廃炉順番を間違えるとエネルギー最小化原理に反する。全体としての国民の死者数を最小にするという視点にたてば、直ちに核技術をすべて廃棄すべしというのは危険な賭けだ。紛争による死者、ホームレスや高齢者、自殺者数まで勘案しなければ全体の死者数は計算できない。<br /><br />　場面は変わるが、最近欧州におけるファッズムの歴史に関する本を読んだが、わが国の通念とはかなり違うなと認識を新たにした。それはこの運動に便乗して暴力を働いた連中の司法上の処罰や私的制裁が仏や伊においても広範に行われたという事実である。日本でこういう社会を巻き込む運動といえば大学紛争があるが、あの時の先鋭となった学生達は一部の例外を除いてあまりよい人生を歩いていない。なぜあの運動が失敗したかといえば、主張はどうであれ社会が求めるエネルギー最小の原理に違反していたからであろう。そして憎むべきは人生に無知な若者を扇動する良心的知識人というグループで、その後彼らは公的・私的、いずれの制裁も受けていない。<br />　モラルとか正義は立派な目標だが、それだけでは現実的な解決にはならない。核武装にしても現在はそれを公に口にできる時代ではないが、故事によれば張子の虎でも戦争抑止に効いたことがある。まあその程度のことならば今の日本でも可能ではあるまいか？<br /><br />付録：ストレステストについて<br />　現在ストレステストは再稼動へ向けての前提条件として評価されており、一つの儀式として重要なステップと位置付けられる。しかし欲をいえば安全管理において危険現象は再現できないという原理原則は確認しておきたい。地震力という非保存力（衝撃や複合力）はそのレベルや方向を推定することはまず不可能である。つまり捻り座屈のような特異な破断現象は、加わる外力やこれを受ける材料強度との関係で起るのではなく、幾何学的平衡が崩れ去った時生じるのである。したがって外力と強度の比較だけでは意味がない。人間がやれるのは破断した場合の緊急安全対策（防護手段）のみであって、エネルギー原理に基ずく被害最小の方策のみが評価できる。その意味において今回のストレステストの付帯条件の成果は満足できる水準に達していると思う。<br /><br />　最後に付記にすれば「人的過誤や失敗に遡及する」安全対策は上記の物理的原理からみるとどうなるのか、その学派はよく考察する責任があるだろう。<br /><br />参考文献：<br />　青木弘・長松昭男：工業力学、養賢堂<br /><br /><em>註1</em>:デカルト座標で記述された物体の運動はニュートンの運動方程式に従う。この方程式はまた運動の遷移の際のエネルギー最小条件を変分することによっても導かれる。つまり物体の運動は常にエネルギー最小の経路を通るということだが、その前提になるのは外力が働かない限り系のエネルギーは増えないないという極く当たり前のことを一般化しただけのことである。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>原発の安全</category>
      <author>rakuinkyo</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://blogs.dion.ne.jp/tabigarasu/archives/10689654.html</link>
      <title>人類は地獄と天国との分水嶺をあるく～～放射能汚染はなくならない</title>
      <pubDate>Tue, 27 Mar 2012 10:21:59 +0900</pubDate>
      <description>１． 必要は発明の母ではない～～発明が発明を生む　今まで世界の工業災害に関わる諸企業・諸機関を訪問し、安全技術の進化を見学してきた成果を総括すれば、それは科学技術の歴史とは継続性であり、見事なまでの持続の力が誇示されているという点である。例えば小生の専門である磁気浮上の研究に関してはフランス空軍が援助しており、それは高度な真空技術を生み出した。米国ではハンツビルのNASA研究所が印象に残る。歴代のロケットが多数展示しており、米国の宇宙技術がソ連の成功に刺激された単なる一時的思..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<font size="2" face="ＭＳ 明朝, Courier, serif">１． 必要は発明の母ではない～～発明が発明を生む<br />　今まで世界の工業災害に関わる諸企業・諸機関を訪問し、安全技術の進化を見学してきた成果を総括すれば、それは科学技術の歴史とは継続性であり、見事なまでの持続の力が誇示されているという点である。例えば小生の専門である磁気浮上の研究に関してはフランス空軍が援助しており、それは高度な真空技術を生み出した。米国ではハンツビルのNASA研究所が印象に残る。歴代のロケットが多数展示しており、米国の宇宙技術がソ連の成功に刺激された単なる一時的思いつきでないことが判る。<br /><br />　それらの研究は必要があって推進されたものではなく、人間の本性というか、人間の業のようなものが研究を存続させてきた。従って日本の原発全体が自然エネルギーに完全に取って代わろうとも、原子力技術は焚き火の残り火のように継続するであろう。これは歴史観であって、小生の期待を述べたものではない。更に残酷なことを書けば、核兵器の研究も日本のどこかで継続しているのではないか、との意見も満更虚空の絵空事ではない。あくまでもこれは政治的な主張ではなく、人間というものはそういう生き物だという歴史的な事実を述べているのである。<br />核兵器がこれ以上増えたらどうなのか、という私の心配は他者以上に強烈だが、しかし世界の主要国の現実はそういう「禁じられた遊び」を止める気配はない。<br />　<em>The nuclear technologies will survive the mankind.</em><br /><br />２． 原子力安全研究は絶やすな<br />　ではどうするかの問題だが、原子力安全技術の研究を継続しよう、という主張になる。その内容はまず原子炉本体の構造や周辺機器の信頼性、保守・保全の技術、安全管理技術、更に一旦事が生じた場合の緊急対応の訓練、更には除洗の技術等々である。加えて最悪の場合に備えて地下の核シェルターの整備も今の時代には現実味を帯びてきた。<br /><br />　現在でも東海村を中心に専門家は多数いるようだが、それらを一箇所に統合して、相互に個人的なコミュニケーションが成立するように生活共同体を作らなければレベルは向上しない。<br />いままでは司法を通しての反原発の勢力が強かったために、下手に刺激するな、ということで原子力安全という言葉は禁句であった。今となっては科学技術の暗部という印象は拭えた。これからは当該専門家が社会から是認され、生活を保障されて研究活動を推進すれば有益な知見を返して貰えるのではなかろうか？<br />　最後に研究者の交流というのは実に大切で、現在の予算システムでは東京の会議に出ても日帰りの費用しか用意されていない。研究者は本当に貧乏で、電力会社からの寄付というものの性格も少し割り引いて評価する必要があろう。<br /><br />３． エリート官僚の災い<br />　日本の中央官僚で何が悪いといってあのエリート官僚の存在ほど世の顰蹙を買っている層はないのではないか。<br />まずあの厳しい入学試験の理科の問題がある。あれが物理現象の全てであると思っては困る。入試では仏教学のようなものが出題されないから、物事の二面性が分からない。安全は規制と義務化で解決できると思うのはドイツ流の管理方式だ。<br />　フランス人がドイツ方式を毛嫌いする真の理由は、浮浪者としてドイツの公的機関と一度でも接してみれば判る。官僚主義を絵に描いたような実際を体験することが出来る。<br />フランスの石油企業では安全法規は独自に作成することが許される。国は災害防止の救急プランORSECをベースにして民間側の安全意識の高揚を促進しているから、民間企業の主体性が尊重されているようだ。<br />　日本ではどちらが現実的かという課題だが、今回の原発安全における硬直的なスタンスを促進したのは多分に霞ヶ関世界の常識というものが影響している（安全委員長は大変苦労されたと思う）。<br />しかし化学プラントの分野では永年の関係者の努力で完全とはいかないが、昔の最悪期に比べればかなり良い方向へ動いているのではなかろうか。安全管理についてはかなり企業の主体性が認められている。<br /></font><a name="more"></a>

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            <category>原発の安全</category>
      <author>rakuinkyo</author>
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