2007年06月20日

村上春樹の小説に出てくる作家「デレク・ハートフィールド」


村上春樹の最初の作品、『風の歌を聴け』にデレク・ハートフィールドという架空の作家が出てくる。
ちょっと引用してみると、

僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。殆ど全部、というべきかもしれない。不幸なことにハートフィールド自身は全ての意味で不毛な作家であった。読めばわかる。文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙だった。しかしそれにもかかわらず、彼は文章を武器として闘うことができる数少ない非凡な作家の一人でもあった。ヘミングウェイ、フィツジェラルド、そういった彼の同時代の作家に伍しても、ハートフィールドのその戦闘的な姿勢は決して劣るものではないだろう、と僕は思う。ただ残念なことに彼ハートフィールドには最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えることはできなかった。結局のところ、不毛であるということはそういったものなのだ。
 8年と2ヶ月、彼はその不毛な闘いを続けそして死んだ。1938年6月のある晴れた日曜日の朝、右手にヒットラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び下りたのだ。彼が生きていたことと同様、死んだこともたいして話題にならなかった。




デレク・ハートフィールドという名前を知ってから、ずっと気になっている。
今でも、村上春樹がどうやってこの架空の人物を作ったのか分からない。
でも手がかりは幾つか有る。
例えばヴォネガットのSF小説『スローターハウス5』にも架空の作家ギルゴア・トラウトが出てくる。
また断章形式で書かれた『猫のゆりかご』と『風の歌を聴け』は似ている。
インテリ源チャンこと高橋源一郎も似た形式で書いてたけど・・・(デビューも、ほぼ同時だし)。



ここで、スティーブン・キングの評論家として有名な風間賢二の『快楽読書倶楽部』(創拓社:発行)から引用してみます。

< 60年代の子供たちの同世代感覚 :スティーブン・キングと村上春樹論 >

個人的なことから語ろう。
ぼくは一度だけ村上春樹に会ったことがある。だがおそらく、今となっては、かれはぼくのことなど覚えていないだろう。なにしろ、15年(1995年の現時点で)も前のことなのだから。
その頃、ぼくはSFマガジン誌の臨時増刊号で「私の好きなSF」
というコラムの編集をまかせられたことがあった。今なら赤面もののこのコラム、SFがブームだった80年初頭のことだからできたのだが、ぼくが執筆者候補として真っ先に頭に浮かんだ作家が村上春樹だった。
というよりも、実は村上春樹にヴォネガットの名をあげさせたくて、このしょうもないコラムを企画したといったほうがよい。『風の歌を聴け』(講談社文庫)を一読して単純に ヴォネガットと結びつけるあたり、なにしろ15年も昔のこと、ぼくもまだ若かったのだ。ともあれ、いささか悪意のこめられた原稿依頼であったわけだ。
村上春樹は、当方のそんな思惑などあっさり見抜いてしまったのだろう。彼がセレクトした「私の好きなSF」は、意外にもロバート・シルヴァーバーグの『夜の翼』だった。ちなみに、ヴォネガッドの『猫のゆりかご』(ハヤカワ文庫SF)を選出したのは橋本治だった。
当時、村上春樹は千駄ヶ谷でジャズ喫茶を経営していた。カウンターの横にはピンボール・マシーンが一台置かれ、壁には佐々木マキの『風の歌を聴け』のカバー・イラストが架けられていたその喫茶店で原稿の受け渡しは行われたが、しばしば雑談するうちに、村上春樹のSFに関する知識は生半可なものではないことが知れた。
そもそも、シルヴァーバーグの『夜の翼』をセレクトするあたり、すでに素人とは思われない。しかも、村上春樹はハーラン・エリスンの未訳の短編集『死の鳥の物語』のことまで言及した。ちょっとSFを齧りました程度では、この作品を原書で読むはずもない。ぼくは、その読書量と確かな鑑識眼に改めて感心させられたのだった。
あまつさえ、ウィアード・テイルズ系の作家、とりわけクトゥルー神話の創造者ラヴクラフトを愛読していると聞かされて、心底驚いた。ヴォネガットの多くの作品に登場する架空のSF作家ギルゴア・トラウトを思わせる三文作家デレク・ハートフィールドがウィアード・テイルズ系の作家ロバート・E・ハワードの経歴をモデルにして作りだされた人物だということは察しがついていたが、まさか実際にそうしたパルプ雑誌の怪奇幻想作家の作品を数多く読んでいるとは夢には思わなかったのだ。
やがて話はSFから現代アメリカ文学に移り、ティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』(国書刊行会)やジョン・アーヴィングの『ガープの世界』(新潮文庫)など無類に面白い作品があるのにいっこうに翻訳されない当時の我が国のアメリカ文学紹介事情の貧困さを静かに語って、村上春樹は口を閉じた。
その後、ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』(中公文庫)やティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』(文春文庫)、そしてレイモンド・カーヴァーの短編集などを村上春樹が翻訳することによって、80年代後半に現代アメリカ文学ブームが招来されたことは周知の事実。わずが30分ほどの雑談だったが。それは村上春樹の好きな作家・作品を知ることができた非常に有益な時間だった。しかし、そのときは、最後まで彼の口のからヴォネガットの名は出てこなかった。そして、スティーブン・キングの名も。




他に興味深い研究書としては、『象が平原に還った日 <キーワードで読む村上春樹>』久居つばき&くわ正人(新潮社)という本が有ります。
この本では、デレク・ハートフィールド=ラブクラフトとロバート・E・ハワードのミックス説を展開しています。



「仕掛け人」村上春樹もまた、こうしたラブクラトの手法をそっくり真似して、処女作『風の歌を聴け』に、「デレク・ハートフィールド」という(少なくとも、その名前に関しては)架空である作家の話を持ち込み、ひとり愉快に遊んでいたのではなかったか。もちろん、ロバート・E・ハワードのことも、十分によく承知したうえでのことである。活躍の場を同じく『ウィアード・テールズ』誌上に持っていた同時代人、H・P・ラブクラフトとロバート・E・ハワードとは、実は単なる同時代人であったばかりでなく、お互いによく承知した仲でもあったのである。



他にもネット上で、いろんな推測があります。