2012年01月17日

改めて思ったこと

二日続けて悲しい知らせを受け取った。

日曜日の早朝、韓国の友人からメールが届いてた。表題に


My father passed away yesterday

と書かれていた。


友人のお父様は80代、日本語教育を受けた世代。
複雑な思いもあるだろうが、日本語をしゃべれることもあり、日本に行きたいというお気持ちがあって昨年の夏、友人と一緒に来日された。

80代というご高齢に加え、東京は35度を超える殺人的な暑さで、ほとんど観光はされなかったようで

「デパートで買ってきた幕ノ内弁当を食べながら、部屋で熱心に高校野球見てる」

ということだった。


私はその話を聞いて、ほほえましく、かわいらしく、面白く感じる一方で、なんか小津の「東京物語」のようで、なんとも悲しく、たまらなく切なくなった。
そして、どうしてお父様はそんなに熱心に見てらっしゃったかと言えば、昔は韓国の高校生も甲子園に出場していたという歴史があるからだと思うと、どの世代でも時に「日本人」が突きつけられる日韓の歴史への「ほろ苦さ」(この言葉が適当かわからないけれど)も感じた。


日帝時代(と言うのでしょうか?)、大戦、朝鮮戦争、そして続く激動の韓国の歴史を生き抜いてこられたお父様が、最後には、多分・・・日本に対してなにかしら「共感」するものを持ってらしたということをなんとなく嬉しく感じた。
5か月前まで飛行機に乗って海外に行く元気がおありだったことを思うと、なんかあまりに急な気がしてとてもびっくりしたが、最後に1つお父様のやりたいことが叶って良かったなと思う。
私はお父様にお目にかかる機会はなかったが、友人を通して虎屋のようかんをお土産に差し上げた。
お父様、召し上がってくださったかなあ、お口にあったかなあ、とふと思い出した。

両親が元気でいてくれるというのは、本当に奇跡のようなことだ。本当にありがたく思う。



そして昨日は友人からお姉さまがお亡くなりになったとの知らせ。
お姉さまは私と同い年。


人はどこでどんな風に生まれてくるか選べない。いつどこでどう死ぬかも選べない。

改めて、つくづく思った。

「生かされている」


生かされている以上、人はそれぞれ何かしらの使命を帯びているに違いない。
それはある人は1万人の人を幸せにすることかもしれないし、ある人はたった1人の人を幸せにするためだけに生まれてきたかもしれない。使命の重さは比較できない。
だから、別に自分の身の丈、心の器にあったことをやりながら、少しずつ努力して、その丈や器をほんの少しでも大きくしていけば、それで十分生きている意味も生きている価値もあるんじゃないのか、昨夜はそんなことを考えた。




Posted by talktomyself at 13:22  |Comments(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


 
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