2012年05月28日

もののあわれについて562

住みつくべきやうもなきを、母おとど明暮嘆きいとほしがれば、豊後「何か、この身はいとやすく侍り。人ひとりの御身に代へ奉りて、いづちもいづちも罷り失せなむに咎あるまじ。われらいみじき勢ひになりても、わが君を、さる者の中にはふらし奉りしては、何心地かせまし」と語らひ慰めて、豊後「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせ奉り給はめ。八幡の宮と申すは、かしこにても、参り祈り申し給ひし松浦・箱崎同じ社なり。かの国を離れ給うとても、多くの願立てて申し給ひき。今、都にかへりて、かくなむ御験を得て、罷り上がりたると、早く申し給へ」とて、八幡にまうでさせ奉る。そのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五帥とて、早く親の語らひし大徳残れるを、呼びとりて、まうでさせ奉る。




都に住む手立てのないことを、母が朝に夕に嘆き、申し訳ないと、気の毒がるので、豊後が、なあに、私は何とも思いません。姫君御一人にお代わりして、どこへなりと、流れて行き、行方も知れずになっても、誰も何も言いません。私たちが、豪奢な身になっても、姫君を、あんな者どもの中に置いては、どんな気持ちがしましょうか、と、言葉を尽して語り、安心させる。神仏こそは、こんな時に、良いようにしてくれるでしょう。近い所で、八幡宮と申すのは、向こうでも、参ってお祈りした松浦と箱崎と、同じ神社です。あの国を離れる時も、沢山の願いを立てて、お祈りいたしました。今、都に帰り、そのお陰を頂いて、都に上れましたと、早くお礼をおっしゃいませ、と言って、八幡に、お参りさせるのである。
その辺りのことを知る人に、色々と尋ねて、五帥の中に、ずっと以前に付き合いのあった、高僧が、まだ生きているので、呼んで来て、お参りさせる。

まうでさせ奉る
お参りを申し上げる。
つまり、敬語の複雑な言葉になるので、お参りさせて差し上げる・・・とか・・・
今では、使えない、敬語のあり様である。

さる者の中にはふらし奉り
さる者とは、監ような者で、はふらす、とは、落ちぶれるという意味で、その中にいれば、落ちぶれるというのである。

八幡の宮とは、石清水八幡宮のこと。




豊後「うち次ぎては、仏の御中には、長谷なむ、日の本の中には、あらたなる験あらはし給ふと、唐土にだに聞えあんなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経給ひつれば、わが君をばまして恵み給ひてむ」とて出だし立て奉る。ことさらに、徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地にいとわびしく苦しけれど、人のいふままに、物も覚えで歩み給ふ。「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世になくなり給へりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひ給へ。もし世におはせば、御顔見せ給へ」と仏を念じつつ、ありけけむさまをだに覚えねば、ただ親おはせましかば、とばりの悲しさを嘆きわたり給へるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、とりかへしいみじく覚えつつ、からうじて、椿市という所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着き給へり。




豊後は、次に、み仏の中では、長谷が、日本のうちで、あらたかなご利益を得られると、唐土まで評判になっています。わが国のうちで、遠い辺鄙な所といえ、長年過ごしていらっしゃるのだから、姫君は、一層の、お助けがありますでしょう。と言い、初瀬に立たせて差し上げる。
わざと、歩いて行く事に決めた。慣れない身には、とても情けなく、苦しいが、人の言うままに、夢中でお歩きになる。
姫は、どのような罪深い身で、こうした辛い世間をさ迷っているのだうろか。母様は、この世に、いないとしても、私を可哀相だと思うなら、居られる所に、お連れ下さい。もし、生きているならば、お顔を見せてください、と仏に祈りつつ、昔の面影さえ思い出せず、ただ、母様がいればと、悲しく思い続けているが、この、差し当って、今の難儀に、改めて辛く思いつつも、やっとのことで、椿市という所に、四日目の、巳の刻頃に、生きた心地もせず、辿り着いたのである。

突然、姫が、主語の文になるのである。




歩むともなく、とかく繕ひたれど、足の裏動かれず、わびしければ、せむ方なくて休み給ふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三四人、女ばらある限り三人、壺装束して、ひすましめく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。いとかすかに忍びたり。大御明の事など、ここにてしくはへなどする程に、日暮れぬ。家あるじの法師、「人やどし奉らむとする所に、何人のものし給ふぞ。あやしき女どもの、心に任せて」とむつかるを、めざましく聞く程に、げに人々来ぬ。




歩くのでもなく、あれこれと、手当てをしたが、足の裏が傷み、動かれない。我慢できずに、仕方なく、お休みになる。
この頼りにしている、介と、弓矢を持った者二人、それに下男や童などが、三、四人、女たちは、皆で、三人、壺装束をして、ひすまし風の者のほか、年寄ったはした女二人ばかりが、一行である。
とてもひっそりと人目を避けて、来ている。お灯明の準備などを、ここで予定以上に整えているうちに、日が暮れた。宿の主人の法師は、他の方を泊める積もりなのに、どなたがおいでいなのか。けしからぬ女どもが、勝手なことをして、と文句を言うのを、嫌な気持ちで、聞いていた。そうすると、人々がやって来た。





これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女かず多かんめる。馬四つ五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、清げなる男どもなどあり。法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻き歩く。いとほしけれど、また宿りかへむも様あしく、わづらはしければ、人々は奥に入り、外に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障など引き隔てておはします。この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心使ひしたり。




この人たちも、歩いて来たようだ。卑しからぬ女が二人、供の者も男女数多くいるらしい。馬を、四、五ひかせて、特に目立たぬようにしているが、身綺麗な男などもいる。法師は、どうにかして、ここに泊まらせたい様子で、頭を撫でつつ、おろおろしている。気の毒に思うが、宿を変えるのは、大変で、面倒なので、人々は、奥に入ったり、他の部屋に隠れたりして、残りは、隅のほうに寝る。襖などを間に仕切り、姫がいらっしゃる。新しく来た人も、気を使うような相手でもない。とても、ひっそりとして、互いに、遠慮しているのである。

ここが、名場面となるのである。
この、相手が、姫の母である、夕霧に仕えた、右近である。
玉葛の一つのクライマックスなのだ。


2012年05月27日

もののあわれについて561

かく逃げぬる由、自ら言ひ出で伝へば、負けじ魂にて追ひ来なむ、と思ふに、心も惑ひて、早船といひて、様異になむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、あやふきまで走りのぼりぬ。ひびきの灘もなだらかに過ぎぬ。「海賊の船にやあらむ、ちひさき船の、飛ぶやうにて来る」などいふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにや、と思ふに、せむ方なし。

憂きことに 胸のみ騒ぐ 響きには ひびきの灘も さはらざりけり




こうして、逃げたことが、誰言うとなく、伝わるならば、負けん気を起こして、追って来るだろうと思うと、心うろたえ、早舟といい、特別に造ったものなので、その上、思い通りの風が吹き、不思議なほどに、走るのである。ひびきの灘も、何事もなく、過ぎた。海賊の船かもしれぬ。小さな船が、飛ぶように追って来るなどと言う者がいる。海賊の欲深さのある者よりも、あの恐ろしい、監が追ってくるのではないかと思うと、どうしてよいのか、解らない。

この憂き事で、胸が騒ぐ動悸には、ひびきの灘の響きほど、応えることもしない。

ひびきの灘、とは、播磨、兵庫県である。




川尻といふ所近づきぬ、といふにぞ少し生き出づる心地する。例の船子ども「唐泊より川尻おすほどは」と、謡ふ声のなさけなさも、あはれに聞ゆ。豊後の介、あはれになつかしう謡ひすさみて、豊後「いとかなしき妻子も忘れぬ」とて、思へば、「げにぞみなうち棄ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。われを悪しと思ひて追ひまどはして、いかがしならむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで出でにけるかな」と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。「胡の地の妻児をば空しくすててつ」と誦するを、兵部の君聞きて、「げにあやしのわざや、年頃従ひ来つる人の心にも、にはかにたがひて、逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」と様々思ひ続けらる。




川尻というところに、近づいたという、声を聞いて、少し生き返った気持ちがする。あの、船子どもの、唐泊また川尻と漕ぐうちは、という謡う声の、荒々しいのも、しんみりと、聞える。豊後の介も、感動して心に沁みる歌いようで、本当に、愛しい妻子も忘れた。歌い、考えてみると、よくも、皆を捨てて来たものだ。どうしているだろう。しっかりして、頼りになる、郎等どもは、皆、自分が連れて来た。監は、私を憎らしく思い、妻子を追い回して、どんな目に遭わせることだろう、と、思うと、年甲斐もなく、妻子を捨てて、飛び足したものだと、少し落ち着いた頃になり、分別の無いことだったと、次々と思われ、いくじなくも、つい泣いてしまう。
胡の地の妻児をば空しく捨てすてつ、と、詠ずるのを、兵部の君が耳にして、本当に変なことをしたものだ。長年従ってきた夫の気持ちにも、急に背いて、逃げ出したのを、どう思っているのか、と、あれこれ、次々に、心に浮かんでくる。

川尻、とは、淀川が生みに流れ出る場所。

胡の妻児をば空しく捨てすてつ
白氏文集より。




かへる方とても、その所と行き着くべき古里もなし、知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人も覚えず。ただ一所の御為により、ここらの年月住みなれつる世界を離れて、浮かべる波風に漂ひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにし奉らむとするぞ、とあきれて覚ゆれど、いかがはせむとて、いそぎ入りぬ。




帰る先といっても、どこそこに、落ち着くことの出来る家もない。知り合いとして、頼りになる人も、浮かばない。ただ、この方お一人のために、長年住み慣れた土地を離れて、長い波路を風に任せて、越えてきた。思案のしようもない。このお方をも、どのようにして差し上げようとするのか、と、途方に暮れる。今更、どうしようかと思って、急ぎ、都に入った。

古里もなし
住む家も無い。




九条に、昔知れりける人の残りたりけるを、とぶらひ出でて、その宿りをしめおきて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女商人の中にて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先悲しき事多かり。豊後の介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれに、ならはぬ有様のたづなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類にふれて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。




九条通りに、昔知り合いだった人が残っていたのを、捜し出して、一同の宿と決めたが、都の中とは、いいながら、相当の身分の人の住んでいる所ではなく、卑しい物売りの女や、商人の中にいて、うっとうしく、世間を思いつつ、秋になるにつれて、これまでのこと、これからのことと、何かと、悲しくなるのである。
豊後の介という、頼りにする男も、全く、水鳥が陸に上がって、戸惑うような気がして、何もすることのないままに、慣れない生活の難しさを思うと、帰ろうにも、具合が悪くて、年甲斐もなく、飛び出してきたことが、悔やまれるばかりである。付いて来た、従者たちも、縁故を求めて、逃げ去り、元の国、筑紫にぽつりぽつりと、帰ってしまった。

これは、乳母の長男の思いであろう。
乳母は、大弐の妻である。

何とも、心もとない心境である。
だが、物語は、これから急展開を見せる。

八幡参詣、長谷参詣と、続き、そして、右近と出会うのである。
そして、右近によって、源氏へと報告される。

この展開は、物語らしくなってくる。


2012年05月26日

性について203

日本語の、性別という、言葉は、正しいと書いた。

そして、この場合は、生物学的、社会的な、性別である。

さて、話は、少し横道に入るが、2012年5月9日、アメリカ大統領オバマが、同性婚を支持した。
更に、カトリックのイタリアでも、最高裁判所が、同性婚も、異性婚と同じ、権利を持つことであり、それは、政府が決めるべきだとの、判定を下した。

西欧の多くの国では、同性婚、更には、パートナーシップ制として、同性婚を容認している。
法律により、その権利が認められたのである。

これは、歴史上の、驚嘆である。

私がこれから書く、ジェンダー問題は、セックス、恋愛の対象ということである。
性的指向・・・

日本では、性同一性障害は、病気として、認知された。
精神疾患である。
だから、法律でも、性転換者の戸籍を変更できるようになった。

ちなみに、性同一性障害が最も目立つタイでは、法律上の変更はできない。

それは、病気ではなく、指向の問題たちという考え方が強いと、考える。

私の立場は、精神疾患でも、障害者としての、認識はない。

性的指向の問題である。
ただし、社会的に公然とそれが認められるのであれば、病気としたり、障害としたりしても、良しとする。

つまり、生きやすくなるのであれば、いい。

生物学的に、完全な、男や、女はいない。
更に、脳学からも、完全な、男、女は、いない。
そして、心理学的にも、完全な、男、女は、いない。

幾人かの、青年に出会い、話を聞くと、同性が好きであるが、異性とのセックスも可能であり、それで、悩んでいるという。

精神的に愛せるのは、同性である。
肉体的には、異性も愛せる。
それで、心が揺れている。

バイセクシャルでもいい、とは、思わないのである。
若者だからか・・・

友情と、愛情のぎりぎりの線にある、関係。
そして、彼らは、好きな同性とも、セックスの経験がある。

異性との、セックスは、決して嫌な行為ではないのである。
しかし、本当に好きな相手はと、問われると、同性なのである。

普通の社会にいても、そのような悩みを抱える。
異性のいない、男子のみの世界の話しではない。

再度、性同一性障害とは、体の性と、心の性が、分離している状態である。

もっと、踏み込むのは、後にする。

同性婚・・・
何故、今、世界がそれに向かっているのか。
それは、体の性と、心の性が分離している人たちが、存在することを、教える。

同性だが、心の性が、異性の場合、同性愛になる・・・
それを容認する、寛容な社会を目指すと、理解する。

更には、体の性も、心の性も、男であるが、同性を愛するという場合。
女の場合も、同じく。

タイで出会った、レディーボーイが、面白いことを言った。
多くのレディーボーイたちは、手術をするが、どうして、手術しないの・・・
すると、彼は、ペニスのあるレディーボーイが好きな人もいる・・・
更に、ペニスがあることも、レディーボーイの特徴の一つだ、と。

こうなると、こんがらかるが、それは、性の多様性という問題になる。

これはを、心理学でやると、限りなく、男に近い、女に近い・・・
だが、完全な男、女は、存在しないから・・・
直線では、表せないということになる。

と、すると、直線ではなく、円の方が解りやすいのか・・・

この、ジェンダーの問題は、実は、年を追うごとに、複雑化しているのである。

体の性とは別に、性別を持たないという、無性という存在も、現れてきたのである。

これは、あの馬鹿者たち・・・
性差を差別するな・・・という、人たちによって、もたらされた。

男女平等であるという、実に、偏狭な考え方の持ち主たちである。

性差が、区別であることを、無視しているのである。

そんな議論に入らないという、人たちが、現れたのが、無性である。

性別を男女という、世界観から、脱却する。
とてつもない、試みが始まっている。
これは、夫婦、家族というものを、考える上でも、画期的な思想になる。

じつは両端に「女」「男」を配して軸を設定する発想自体が、すでに二元的な性別認識にとらわれている。性が多様なら、その多様なものが「女」「男」というコードを参照する必要は、もはやないはずなのだ。
佐倉 智美 性同一性障害の社会学

性のありよう、つまり、広い意味での、セクシャリティであれば、それは、その人の個性となる。

個々人の資質の一分野としての概念である。
佐倉

セクシャリティが多様化した時代になったのであるということ。

それは、最早、避けては通れない、道になった時代なのである。


Posted by 天山 at 06:06  | 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月25日

性について202

男性ホルモンは、胎児の性腺と、脳の分化の時に、甚だしい影響を与える。
そして、生後は、強く逞しい肉体を作る。
それを、大二次性徴という。

思春期前の成長は、男女差があまりない。むしろ、女の方が、一時的に男を凌ぐこともある。

しかし、思春期になると、女を凌ぐようになる。
睾丸の大きさも急激に、その容積を増す。
この、睾丸で作られる、男性ホルモンが、また、拍車をかけるのである。

おおよそ、人間では、八歳まで、男女共に、成長するが、それを過ぎると、男が女に追いついて、25歳には、性差は歴然とする。

男性ホルモンは、内、外性器を成熟させ、陰毛がはえ、ヒゲが濃くなり、甲状軟骨を突き出して、声変わりさせる。
更に、蛋白同化作用により、黒字のたんぱく質を、筋肉に蓄えて、発達させる。

サルの社会で、血液中の男性ホルモン量を測ると、群れの中で順位の高いほど、濃度が濃いという。
ただし、そのような、オスを、他のオスの中に入れると、急減するという。
つまり、ストレスに最も弱いのが、男性ホルモンであるという。

性行動、即、生殖という、動物は、男性ホルモンの増加するときに、交尾し、減ったときに、休止するのである。

人間の場合は、神経、ホルモン環を更に、上位の脳で、統合させているゆえに、性行動も、男性ホルモンに、大きく左右されることはない。

男の、男性ホルモンの濃度は、季節性がある。
秋に高く、春から夏にかけて、低いのである。

ただし、いつの頃からか、人間の男は、発情するという、制御機構を喪失して、いつも、セクシャル・ドライブ、つまり、性欲、セックスへの欲求に、悩まされるになったのである。

問題は、脳の男性化と、女性化である。
ホルモンの多少で、様々なタイプのオス脳、メス脳が作られるということを、前提にして、考えると、人は、それぞれ、百人百様の、性の形があるといえる。

男の脳に、女への方向付けが、行われると、成長するに従い、性と、心の中の性とに、違和感を感じるようになる。

そして、心とからだの性の、不同一性に悩むのは、人間だけである。
つまり、脳の進化なのである。

オスでなければ、メスか、という、考え方は、できないのである。
オスとメスとの、エレメントが、重なるという・・・

人間の場合は、染色体、性腺、からだの性差、行動の性差が、様々な、男女混合を作るのである。
つまり、100パーセントの、オス、メスというものが存在しないのが、人間なのである。

心の性を、ジェンダーと呼ぶようになった。
最初は、性心理学からである。

それ以来、性同一性、性役割という、言葉も、使われ始めた。

性役割は、生物的要因を基礎に、文化的、社会的要因がかかわり、その相互作用により、形成される、とは、人文科学の解釈であり、この場合は、胎児の時の、脳の性分化のありようが、深く関わっているということを、理解しなければならない。

胎内の脳の、性分化は、生物的、身体的要因の方であり、性役割への、生物的要因の関与する度合いが一層深いのである。

自然科学によれば、脳の男、女への、方向付け、思春期のホルモン分泌による、性的な体質、生理機構の発達による、性的自覚が、重要だとされる。

100パーセントの男がいないように、100パーセントの中性者もいない。仮面をかぶって人間だけがそれを装うことができる。
大島清

基本は、女だった。
そこから、男に成った。

すべては、メスの体から、始まったのである。

そして、男の度合いは、人それぞれだということだ。
ここにおいて、差別する何物も、無くなる。

その昔、ゲイ、男性同性愛者を、精神分析により、治療すると言われた。しかし、大間違いだったのである。

成功例が上げられるが、失敗例は、上げられないのである。
失敗した方が、圧倒的多数であった。

更に、心理学による、分析・・・
全く、役立たずである。
しかし、そこにも、成功例だが、上げられた。

問題は、心理ではなく、脳が、先決だったのである。

心理学とは、統計学であるから、無理なのだ。
統計で、計ることが出来ないのが、人間の性の、あり様である。

男の脳の女性化を、脳により、理解することで、差別が消える。
それは、女の脳にもいえる。

トランスジェンダー
性同一性障害・・・
体と、心の性が、合わない。
不都合を感じる。
更には、深い悩みに冒される。

日本では、早くから、それを病気として認定し、更に、性転換手術をした者の、性別を国籍で、変更することができるようになった。

それは、多分に、宗教的な、規制が無かったである。
未だに、宗教的理由で、それが許されない国々がある。


Posted by 天山 at 00:06  | 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

性について201

性同一性障害という言葉は、精神疾患を病理現象として、捉えたものになりやすい。
故に、精神病の範囲として、捉える専門家もいる。

確かに、一時期、少し古い時代は、そのように捉えたのだが、精神障害というより、何か、もっと、違うものであるような、気がする。

精神科の専門ではなく、もっと広い意味での、人格障害のようであり、また、それは、異常と判断するのも、適当ではない。

時代性と、時代精神ということで、考えると、当然なこと、と、思われる。

更に、社会現象としては、トランスジェンダーの方が、受け入れやすいのである。

社会学からは、トランスジェンダーで、充分である。

トランスジェンダーとは、アメリカで、その先行事例が多い。
これは、性別二元性と、異性愛主義に対する、脱構築的な立場を基本とすることが、前提となる。

日本では、まず、見世物としての女装から、話がはじまった、経緯がある。
女装と、ニューハーフである。
更に、そのニューハーフが、性転換をしたという、話題になった。

それは、あくまで、マスコミの中だけで行われる行為のように、イメージが出来たが、違う。

1990年代、埼玉医科大学が、性同一性障害の治療を発表してから、社会的に、少し前向きに考えられるようになった。

そして、それが、急激に、音を立てて、性転換をするという、事例が多くなった。

トランスジェンダー・・・
自分の生まれつきの性に、不全感を感じて、生活も、真っ当に出来なくなるという、ジレンマが、更に、病的になり、生きるに、不自然な感覚を持つようになる。

また、性転換といっても、百人百様の形がある。

男が女になるのは、男の体が嫌だから・・・ではなく、
もっと、根本的に、美しくないと、考える男子も登場した。
そこで、美しい女のような、を求める。

少し、贅沢と思えるものも、トランスジェンダーの中に入ってきたのである。

更に、女ではなく、男として、男と愛し合いたいと考える、女子も、登場した。
こうなると、頭が、こんがらかるのである。

私の知り合いにも、その友人で、男が女になり、女が男になったカップルが、結婚したという、話があり、聞いているこちらは、理解に苦しむのである。

それじゃあ、はじめから・・・
いや、そうじゃなければ、結婚できなかったのだ・・・

ここで、日本の伝統的、稚児の存在と、トランスジェンダーを混同しては、いけない。稚児は、あくまで、女の代用として、扱われたのである。
男色とも違う。

限りなく、女に近い、少年を稚児として、女の代用にする。
それと、男色は、全く違う。

これらを、一緒くたにして、考えるから、おかしくなる。

江戸時代の、男色と、陰間といわれる、少年愛、男性性行為は、女としての、代用だったと、考えることである。
ただし、代用といっても、男の方が好きという、好き嫌いの問題もある。

女が好きといっても、色々あるように、男が男を好きといっても、色々ある。
兎に角、一概に言えないということである。

特に、女装をさせて、遊ぶというのは、明らかに、女の代用となるのであり、男色とは、違うものである。

さて、トランスジェンダーである。
男から、女へとトランジションを行うケースと、女から男へと、トランジションを行うケースがある。

つまり、幼少時より、自分が女であることがそぐわない感覚、求められる女らしさとの軋轢などがある。長じても、そうしたことが周囲との摩擦を引き起こして、自尊感情の低下を招く。しかし正しい情報に触れることで、気持ちの持ち方を変えることができ、男性として生きるようになると、ようやく社会に居場所が見出せ、自分の満足がいくようになる。という流れが、おおむね全員に見られるのである。
性同一性障害の社会学 佐倉智美

勿論、男性の場合は、その逆である。

日本の社会は、無関心と、興味本位が多いので、冷静な見方が、まだ、出来ていない。

これが、タイになると、少しの差別はあるものの、緩やかである。
更には、あって、当たり前・・・

差別というのは、至る所に発生するので、それを一々、書けば、切が無い。

タイでは、普通のスーツ姿の男が、薄化粧をしている。
あれっと、思うが、傍の人たちは、普通に接している。
聞けば、カトゥーイだという。
つまり、性同一性障害であるか、同性愛者である。

だが、タイの場合は、すべてを、カトゥーイと呼ぶので、レディボーイも、カトゥイであるから、難しい。

ゲイと、別にして、聞くと解る。
ゲイも、カトゥーイと呼ばれるが、別にして、尋ねると、理解するのである。

女の同性愛者は、トンボイと呼ばれる。

だが、タイの場合は、矢張り、男たちの方が、華やかである。
それは、多分に、文化的な状況が違うということ。
幼少時から、女の子に育てられる男の子もいるという、文化である。
この子は、女の子向きと、親が思えば、そう育てられるのである。

勿論、例外もある。


Posted by 天山 at 05:43  | 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

天皇陛下について112

第三十一代用明天皇、585年より、587年。

その御生母は、蘇我堅塩媛、そがきたしひめ、である。
蘇我稲目の娘であるから、蘇我馬子と、兄弟である。

物部守屋は、穴穂部皇子を擁立したが、皆は、欽明天皇第四皇子、大兄、橘豊日尊に帰した。

だが、即位二年後に、病に罹る。
天皇は、蘇我馬子の後援、御生母の影響もあり、群臣に
仏に頼ろうと思う。いかがだろうか・・・
と、問い掛けた。

皇子の頃より、仏法を信じ、神ながらの道を尊ばれた皇子である。

宗教的には、中立な立場をとられていた。

その天皇が、崇仏とは・・・

大連の、守屋と、中臣勝海は、
とんでもないことでございます・・・
二人は、仏法に反対の立場である。

大臣の馬子が言う。
天皇の仰せである。それに背くとは・・・

そして、即座に、豊国法師という僧を連れ、奥御殿に入った。

それを見た、守屋に、一人の役人が、囁く。
あなたの帰り道に、待ち伏せして、討ち取ろうとしています・・・
それを聞いた守屋は、即座に、帰宅し、兵を集めた。

中臣勝海も兵を集めたが、まもなく押し寄せた、馬子の兵によって、殺された。

更に、馬子も兵を集めて、守備の態勢に入った。

大臣蘇我と、大連物部の、対決である。
これは、一見、仏教の理由に見えるが、実は、豪族の覇権争いである。

それは、後々に解る。

だが、用明天皇は、その間に、お隠れになる。

馬子が、動いた。
まず、穴穂部皇子の宮を襲撃し、殺したのである。
皇子を殺すという、無礼であるから、馬子の考えが解るというもの。

そして、馬子自ら大軍を率いて、守屋の屋敷を攻めたのである。

守屋は、物部であるから、武人である。
馬子の軍勢は、三度、追い返された。

この、馬子の軍勢の中に、14歳の、後に聖徳太子といわれる、厩戸皇子が、従軍されていたのである。

要するに、当時の天皇家は、蘇我の血が入り、親戚関係であり、そうする他に手は、無かったのである。

厩戸王子は、その苦戦を見て、ぬりで、という木の一枝から、小刀で、四天王像を作る。
そして、勝たせてくだされば、四天王のために、寺を建てましょうと、祈られた。

馬子もまた、勝たせてくだされば、寺を建て、仏教を広めますと、祈った。

その後の戦いは、馬子の軍勢に、勝どきを与える。
榎の大木の上から、矢を放っていた、守屋を、馬子の兵が、射殺したのである。

結果、物部一族は、全滅し、滅びた。

蘇我氏の勢いは、旭日昇天になった。
そして、その本性が現れることになる。
無道である。

この戦いの後で、用明天皇の弟である、皇子が、即位した。
第三十二代祟峻天皇である。587年より、592年。

天皇は、任那の再興を願い、蘇我馬子の無道を、懲らしめようとした。
それを知った、馬子は、何と、東漢直駒、やまとのあやのあたいのこま、に命じて、天皇を殺害させたのである。

これは、後に、大逆事件として、知られる。

更に、馬子は、駒を殺した。
つまり、わが身の非道を、駒に擦り付けたのである。

天皇に対し奉り、不届き、不忠であるとして・・・
馬子の横暴が、ここに極まるのである。

日本書紀には、馬子の娘である、河上娘と密通したとあるが、違う。

天皇崩御の後、即位したのが、欽明天皇の皇女、豊御食炊屋姫、とよみけかしきやひめ、である。
日本における、最初の女帝である、推古天皇である。592年より、628年。

18歳で、敏達天皇の皇后となられ、34歳の時に、天皇崩御にあわれている。

即位後、御甥の、厩戸皇子を、摂政として、任命された。
政治の、すべてを、任せたのである。

厩戸皇子は、第三十一代用明天皇の第二皇子である。

幼少の頃より、その聡明さは、知られている。

厩戸皇子にとって、馬子は、叔父に当る。

皇子は、推古元年に皇太子となり、摂政に任じられ、荒稜の地にお移りになられた。
これが、今日、大阪の茶臼山の東にある、四天王寺のはじまりである。

現在のものは、文化9年、1812年に出来たものだが、場所と寺名は、昔のままである。

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2012年05月22日

天皇陛下について111

仁賢天皇の皇子が、第二十五代の、武烈天皇である。498年から506年。

この天皇にも、お子様がいらっしゃらなかった。
そこで、大伴金村は、皇室の御血統を四方に求めた。

そして、現在の福井、越前から、応神天皇五世の孫である、オオトノミコトをお迎えする。
継体天皇である。507年から531年。

その皇子が、安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇である。

第二十九代、欽明天皇の13年、百済の聖明王から、仏教を伝えてきた。
王の使者が、持参したのは、釈迦仏の金銅像一体と、経文である。

手紙が添えられていた。
仏教は、諸法の中でも、最も優れた教えです。遠く天竺から、三韓まで、すべてこれを尊んでいます。謹んで、日本へもお伝えします。

天皇は、大変、喜ばれた。
しかし、それをそのまま受け入れてもいいものかと、群臣を集めて、お尋ねになった。

大臣の蘇我稲目が、
すでに西の諸国が信仰していますなら、わが国だけが信仰してはいけないということは、ありません。
と、言う。

大連、おおむらじ、の、物部尾輿と、中臣鎌子が、
わが国には、昔から、春秋四季に、お祭りしている天地の神々があります。今、外の神を拝むのは・・・
と、反対である。

中臣は、代々、神々を祭る役目であった家系である。

蘇我氏は、竹内宿禰の子孫である。
度々、朝鮮諸国と、交渉の任に当たっていた。

天皇は、
それでは、仏像は、望むものに授けて、お祭りすることにしょう。
と、稲目に、賜わった。

稲目は、家に安置して、礼拝した。
やがて、向原の家を寺として、そこに移す。

ところが、まもなく、国内に伝染病が流行し、死者が次々と出た。
尾輿と、鎌子は、それは、仏像のせいであると、天皇に申し上げた。

日増しに、死者が出ているゆえ、天皇も、その意見を聞き入れた。

仏像は、難波の堀江に投棄し、寺は、灰になった。

ここから、蘇我、物部の不和、対立が、決定的になっていったのである。

それから、18年後、稲目が、死んだ。

その間に、仏教の伝来の前年に、百済の聖明王は、高麗、高句麗を討ち、漢城の地を得て、更に、平壌を討ち、六郡の地を取り返していた。

だが、仏教伝来の夏に、百済は、日本に、援軍を求めてきた。
高麗と新羅が連合して、百済と任那に大攻撃をかけて、滅ぼそうとしているというのである。

百済の失地回復が、新羅の攻撃で白紙になった。

更に、聖明王の子が、翌年の春に、日本に仇を捕って欲しいと、言ってきたのである。

だが、それから、七年目の欽明天皇32年1月、任那の日本府も、新羅によって、亡ぶ。

その六月、無法であるとして、新羅征伐の詔、みことのり、が下る。
七月、日本府の回復のために、紀男麻呂を主将とし、カワベノニベを副将として、新羅に派遣される。

ところが、カワベは、主将の命令を聞かず、勝手に兵を進めたために、勝ち戦だったが、破れたのである。

蘇我稲目が、死んで、二年目、第三十代敏達天皇が即位された。572年から585年。

その年、大臣になったのが、稲目の子である、蘇我馬子である。
最高位の大連には、物部守屋である。

馬子は、仏像が欲しかった。
ある年、百済に向かった使者が、一体の仏像を持参して、帰国した。

馬子は、それを譲り受けて、寺を建て、高麗の僧、慧便を招いて、三人の女を尼として、礼拝させた。

すると、また、伝染病の流行である。死者も続出した。

またも、守屋と、鎌子の子の、勝海と、朝廷へ申し出る。
二代も続き、悪い病が流行し、多くの人が死んでいます。これは、蘇我氏が仏法を信じているからではありませんか。

それでは、と、朝廷は、詔を下した。
仏教を禁じたのである。

守屋が、先頭に立ち、寺を焼き、仏像を捨て、愚か者の馬子と、辱めたのである。

馬子の恨みは、強いものだった。

まもなく、天皇も、伝染病にかかられた。
そして、馬子もである。
天然痘と言われている。

馬子は、天皇に申し出た。
私の病は、仏の力に頼らなければ、治りません。どうか、仏を・・・

天皇は、
それでは、お前一人で、仏法を行うことである。
と、仰せられた。

まもなく、馬子は、回復し、天皇は、その後二ヶ月ほどで、お隠れになった。

敏達天皇14年8月15日である。


Posted by 天山 at 05:35  | 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

天皇陛下について110

仁徳天皇崩御82年後の第二十二代、清寧天皇、せいねいてんのう、の御代を書く。

西暦480年頃であり、紀元は、すでに千年を超えて、1140年である。

この時、危機が起こった。
皇統、天子さまのお血筋が絶える。
現在も、女性皇室・・・云々などと、天皇家の問題があるが、当時も同じく、世継ぎが無いという、危機であった。

日本民族は、天皇、皇室の存在なくしては、考えられない国である。
そのことを、十分に知る人は少ない。
天皇が無くても、国があるという人もいるだろう。

本当だろうか・・・
権力は、いずれ倒れる。しかし、権威というものは、倒れない。
そして、その権威を重んじる日本民族。いや、先祖たちである。
それが、国を安定させる、智慧だったという。

更に、独裁制ではなく、まず、祖先の気持ちを鑑みて、更に、祖先の御霊をお守りして、その教えを、脈々と続けて行くこと。
合議制、つまり、話し合いの政治である。
そして、どうしても、結論が出ない場合は、そのままにして、時を待つ。
それでも、駄目な時は、天皇の、お言葉に従うという、国である。

天皇の、お言葉を、詔、みことのり、という。

さて、この時期に、播磨の国司の祖である、小楯という人が、朝廷の命を受けて、田税を収めて歩く途中で、赤石の郡の、忍海部細目、おしみべのほそめ、の家に、招かれた。

新築祝いである。

祝宴であり、酒が振舞われた。
歌が出る。

末座に、二人の少年がいた。
兄を、島郎、しまのいらつこ、弟を、丹波小子、たにわのわらわ、である。
二人は、細目家の、使い走り、賎しい火焼童だった。

月が二人を照らした。
小楯は、それを見て、ハッとした。
何か、普通の子とは違う。
たたずまいが、貴人の様子である。

誰か、舞う者はいないか・・・
細目が言った。

郎でも、少子でもいいから、舞え・・・
と、命じる。
二人の間で、兄が、いや、弟がと、やり取りがあった。

人々は、そのやり取りを見て、賎しい火焼きの子にしては、礼儀正しいと、感じた。

実は、この日の昼間、二人で話し合っていた。
私たちは、後胤(天皇の血筋)でありながら、この家の下男となり、馬を飼い、牛を追って年月を過ごした。これは、すべて素性を隠すためである。しかし、あの国司は、立派な方だと思う。素性を明かしてみましょう。

弟の少子の提案である。

兄は驚いた。
まて。今、名を明かしては、父、皇子のように命を奪われることにならないか・・・
父とは、履中天皇の子、市辺押磐皇子、いらべおしはのおうじ、である。

しかし、弟は、剛毅な性格である。
今宵こそ、機会です・・・

兄は、その気持ちに負ける。
そして、それは、お前の使命だと言う。

しかし、そういったが、まず、兄の郎が舞った。
続いて、弟である。

弟、少子は、歌った。
いなむしろ 川添柳 水行けば なびき起きたち その根は失せず
繰り返し舞うのである。

小楯は、更に歌って舞ってみよ、と言う。

もののふの わが夫子が 取りはける 太刀の手上に 丹画きつけ その緒には 赤幡をたち 赤幡立てて 見ればい隠る 山の三尾の 竹をかき刈り 末押しなびかすなす 八弦の琴を調べたる如 天下治めひし いざほわけの 天皇の御子 市辺之押歯王の 奴末と歌い舞う。

意味は、
もののふは、赤旗をなびかせ、太刀を腰にという、勇姿をみて、悪人どもは、皆その威厳に服した。また、竹を切り、それを手に取り、さらさらと、葉末を鳴らすように、国民に号令し、八弦の琴を調べるように、国民の心を一つにまとめた履中天皇の皇子、市辺之押歯王の子である。

小楯は、仰天した。
二人は、履中天皇の御孫であらせられる・・・

ものども どけ どけ
下座に下りて、小楯は二人の元にすがり、大声で泣いたのである。

島郎は、億計王、おけのみこ、丹波少子は、弘計王である。

後に、兄のたっての、提案で、弟君が、第二十三代、顕宗天皇となり、その後が、兄君の、第二十四代、仁賢天皇であらせられる。

現在も、このように、天皇の血筋を持つ、男子を推すとよい。
敗戦後に、皇室から、剥奪された、皇族の中にも、いらっしゃる。

兎に角、皇統を守るという、精神が、日本民族の、宝であり、智慧である。

この、権威が、今年2012年、平成24年で、皇紀、あるいは、紀元2672年である。
堂々たる、歴史である。

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2012年05月20日

天皇陛下につて109

第十五代の、応神天皇(270年から310年)
この天皇は、父を知らない。だが、母は、古代史で有名な、神功皇后である。

その御誕生は、九州の、宇美であった。
ご成人するまで、母皇后が摂政を勤める。

応神天皇の御代、儒教の渡来が注目される。
その16年、285年、百済から、王仁、ワニが来日し、論語十巻と、千字文一巻を携えてきた。

その前年に、百済王が、アチキを日本に派遣し、良馬二匹を応神天皇に献上している。
アチキは、学問に優れていたため、天皇は、皇太子の家庭教師にした。

そして、天皇は、アチキに、
ところで、百済には、アチキ以上の学者もいるのかと、
質問された。

アチキは、即座に、王仁と言うものがいますと、答えた。
このことから、朝廷では、改めて、百済に使いを送り、王仁を招いたのである。

後に、アチキも、王仁も、日本に帰化している。

その他にも、百済からは、機織、裁縫の上手な工女を送ってきた。
更に、鍛冶の職人、酒、醤油を作る者たち。

そして、シナの始皇帝の子孫だという、弓月君、ゆづきのきみ、の来朝、帰化である。
彼は、長いこと、百済に住んでいた。

応神天皇の威徳を慕い、一家一族百二十七県の民を引き連れてきたのである。

彼は、養蚕と紡織の技に優れていた。
そして、波多公、はたのきみ、という、姓を賜わっている。

これを見ていると、当時の大陸、半島は、いつも乱れていたことが解る。
人民の住みにくい風土であった。
それに反して、日本は、平和で安心して住むことが出来たのである。

漢人の、アチノオミという者も、十七県の親類を率いて、来日し、帰化している。

さて、応神天皇の御子、大さきぎの尊と申し上げるのが、第十六代の仁徳天皇である。

皇太子は、うじのわきいらつこ、である。が、彼は、帰化した王仁について、学問されるうちに、大きな疑問を持たれた。
弟の身分で、兄を越えて、天子の位に就くのは・・・との、思いである。

皇太子は、大さきぎの尊の弟だったのである。
これが、応神天皇お隠れの後で、表面化する。

皇太子は、
兄君こそ、ご即位されるべきですと、主張した。
だが、兄は、
父君が決めたことであるから、それを破っては、子の道にもとる
と、譲らないのである。

そのために、天皇の御位が、三年間、空位となった。

兄の尊は、難波に、皇太子は、宇治に、お住まいになった。

ある時、漁師が鮮魚を献上しようとして、宇治に、持参した。
すると、皇太子は、
天皇は私ではない。難波にいらっしゃる、兄君こそ、天皇であらせられる。そちらに届けるように
と、仰せられる。

次に、漁師が、難波へ行くと、
いや、私は、違う。宇治にいらっしゃる方が天皇である。
宇治へ届けよ。

鮮魚が行ったり来たりしているうちに、腐る。
漁師は、泣いてしまったという。

そこで、思い余った皇太子は、自分がこの世にいなければいいのだと、命を縮めてしまうのである。

驚いたのは、兄である。
宇治に掛け付け、皇太子の遺骸にすがり、嘆いた。
ご遺骸を、宇治の山の上に葬られ、難波にお帰りになる。

そして、御位に就かれたのである。

皇居は、高津宮である。
今までは、大和が多かったが、天皇ははじめて、摂津にお移りになられた。

その即位の儀は、実に質素だったという。

住まいも、荒壁のまま、柱にも天井にも、飾り無く、屋根の茅も、そのままで、切り揃えることもしなかった。
それは、庶民の負担を考えられたからである。

ご即位四年の、春二月、天皇は、お側の人々に、仰せられた。
高いところに登って四方を見るが、民の煙が立たない。これは、貧しさのためではないか。都に近いところでも、このようである。遠い国は、もっと酷いのではないか・・・

翌三月、詔、みことのり、が、くだった。
三年間、税金、労役を課すことはしない。

しかし、そのため、御殿は荒れ放題、雨は漏れ、風も容赦なく、御衣、褥を濡らした。星が、屋根の破れから、見えたという。

その三年間に、豊作が続いた。
仁徳天皇は、高台に再び、登られ、民の煙が盛んに見えた。

良かった。私は富んだ。これで大きな心配がなくなった。
と、仰せられると、皇后が、
何を富んだと、仰せられますのか・・・

あの、民の煙である。人々が富んだためである。天子というものは、民をもって、元としなければならぬ。いにしえの聖の君は、一人でも、こごえるものあれば、顧みて、己をせめた。今、仮に、民が貧しいとすれば、それは、私が貧しいと同じである。今、民が豊になった。それは、私が豊になったことと、同じである。

この、お言葉を、後の人が、歌に詠んだ。
高き屋に
のぼりて見れば
煙立つ
民のかまどは
にぎはひにけり

また、民の方は、荒れ放題の、御殿を見て、
これは、申し訳ないこと。皆、豊になりました。税も、労役も、お申し付けください。
と、申し出たが、いやもう少し、もう少しと、それから、三年を経て、やっと、それをお許しになられたのである。

日本書紀に、その時の民の働き振りが出ている。
ここにおいて百姓うながされずして、老を助け幼を携えて、材を運び茅を負ひ、日夜と問はずして力を尽して競い作る


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2012年05月19日

伝統について53

大原の 古りにし郷に 妹置きて われ寝ねかねつ 夢に見えこそ

おおはらの ふりにしさとに いもおきて われいねかねつ いめにみえこそ

大原の、もの寂しい古里に、妻を置いて来て、眠ることが出来ずにいる。夢に見えて欲しいものだ。

妻を恋うる思い。
古りにし郷とは、物寂しい、などの意味。

素直に寂しいのである。

夕されば 君来まさむと 待ちし夜の なごりそ今も 寝ねかてにする

ゆふされば きみきまさむと まちしよの なごりそいまも いねかてにする

夜が訪れると、あの方がいらっしゃる。と、思いつつ、待っていた頃の夜が、懐かしい。今でも、すぐに寝られないのだ。

女の歌である。
男の訪れを待つ、女の気持ち。

これは、現代の演歌である。
なごりそ今も・・・
名残惜しい気持ち・・・私は、懐かしいと訳した。

相思はず 君はあるらし ぬばたまの 夢にも見えず 祈誓ひて寝れど

あいおはず きみはあるらし ぬばたまの いめにもみえず うけひてねれど

私ばかりが、あなたを慕う。あなたは思ってくれないようです。ぬばたまの夢にも、見えないのです。うけいをして、寝たのに。

祈誓、うけひ・・・
相手の思いが夢になり、現れると考えた時代である。

祈り、誓う、うけひ、という。神道用語ともなる。

石根踏む 夜道行かじと 思へれど 妹によりては 忍びかねつも

いわねふむ よみちゆかじと おもへれど いもによりては しのびかねつも

男の歌である。
岩を踏むような、危険な夜道は歩くまいと思うが、妻を思うと、我慢が出来ない。

危険な夜道を、覚悟して、妻の元に通う、男心である。
恋とは、危険を顧みずするもの・・・
当時は、命懸けの恋をした。

忍びかねつも
心を深くする。堪えて思うこと。

人言の 繁き間守ると 逢はずあらば 終にや子らが 面忘れなむ

ひとごとの しげきまもると あはずあらば ついにやこらが おもわすれなむ

人の噂が煩い合間を縫って、逢わずにいたら、あの子は、私の顔を忘れてしまうだろうか。

人の噂・・・
当時の情報は、それだった。
その噂を避けて、逢わずにいる。
そのうちに、相手は、私のことを忘れるのではないかと、心配する。

当時は、母親が、娘の相手を、決めた。
だから、母親に気に入られなければならない。そして、人の噂・・・

母親も、それを嫌うのである。
男は、大変だった。

ら、というのは、親愛の接尾語とある。
子ら
多数を言うのではない。

Posted by 天山 at 06:37  | 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

霊学61

心理学の、もっとも新しい「類推的」な研究方向のなかに、特に目につくものが二つある。知的発達に関するピアジュのきわだった学説は、「発生学的」心理学といってよかろう。この説は心的構造の出現と発達および成熟を、発生学者が身体構造の発達を記述するような仕方で跡づけるからである。
ピアジュは動物学からその研究を始めた人である。彼は自伝のなかで、動物学で得た心の習慣は、彼が心の研究に転じたときもよく役に立ったと語っている。ここで彼は「一種の知識の発生学」を発見したのである。
コーエン

実に、面白いことである。
別の部門からの、心理学への、挑戦が、新しい画期的な心理学理論を生み出すという・・・

最初から、心理学に取り付かれると、視野の狭い、心理学至上主義になる。
そして、世の中に、心理学用語を多用させるようになり、更には、それが、混乱を引き起こす原因になる。

心理学を信じてしまう人たちに、多い。
その分析をもって、すべてを知っていると、勘違いする人たち。

心理学の専門家を、マスコミが上手に使えないこともある。

ライオネル・ベンローズ教授が心理学に導入した「伝染病学」からの類推にもまた、一方における感染の伝播と他方観念の伝達との間の類似に基づいた、かなりの関心をひく新奇な考え方がある。身体的な伝染病学における三つの主要な要因、すなわち、感染源、伝播の媒体、およびこれにさらされた住民の感受性に対応して、心の伝染病学には、1、観念の質、2、伝達のいろいろな媒体、3、受け手の心の状態がある。このような心的伝染病は、熱狂、流行、信仰の復興運動、戦争熱、ダンス熱とか、学界の成長の形で現れるであろう。
コーエン

これで、宗教、カルトなどの、心理学的アプローチが出来る。
このような、教養が、脱洗脳などの、手法に生かされるはずだ。

この分析により、数多くの宗教の、誤りも、指摘することが、出来るようになる。
更に、逆に、宗教の拡大路線に関する、考察もである。

更には、商法に関する、アプローチもある。
心理学が、人間の生活全般に渡って、如何様にも、利用できるものになるのは、その心理学以前の、教養である。

心についての「経済学」は、意識を一定量の物理的エネルギーの生産と分配と消費によって統制されるものとする、フロイト流の考え方に明らかにみられる。この統制は、最小の努力で最大の利益を得ようとする経済学的な原理に従うものとされる。この観点はいろいろな心的現象を説明し理解するのにあずかって、きわめて大きな助けとなることが明らかにされてきている。
コーエン

この時代に、明らかに、されてきているというのだが、現代は、もっと明らかになっているだろう。
更に、細分化して、心理学の、あらゆる分野で利用されているはず。

意識を、物理的エネルギーの生産と消費と、捉える考え方は、実に有意義だろう。
それを、心的現象を説明する方法にする。

それが、説得力を持つのである。

だが、これは、あくまでも、心理学のみに限る。
それ以上の分野、例えば、精神病理学などと、一緒にしないことである。

今は、心理学というものの、定義である。

限りなく、学問としての、心理学であり、占いに似たものではない。
つまり、簡単に人の心理を分析するな、ということである。

コーエンは、最後に、と、
「神経生理学」があるが、これは心についての類推の完全なよりどころと考えられるまでになっているものである。
と、言う。

これは、主観的経験のあらゆる形式、つまり、意識、意志、感情、情動、欲望、思考など。それは、単なる副次的現象であり、それを「科学的」に研究するためには、神経生理学にあますところなく「還元」されなければならないのである。
と、している。

ところが、心理学的世界がそれみずからの権利で、そして自身の言語でもって研究されうるということを否定しているのは、じつは神経学者ではない。罪があるのは、ラッセル・ブレーンが、「自身の心の非存在をこと細かに説明することで生計を立てている」と表現した哲学者たちにそそのかされた、自称「心理学者」たちである。
コーエン

現在も、この自称心理学者が、多く、世に憚るのである。
大学で、心理学を講義しいてるから、心理学者なのではない。

彼らは、誰かの、考え方を、伝えているだけである。
それなのに、心理学者であると、信じている。

教訓的なことは、フロイト自身が、初めは生化学的な、そして神経生理学的な還元主義に傾いたが、後にこれをやり遂げる望みを棄てて、純粋な心理学である彼の体系を発展させたということである。
コーエン

それは、心の研究は、大脳の解剖学的研究から完全に分離されなければならないということである。
と、なるのである。

大脳の解剖学的研究・・・
それは、精神医学によって、生かされるべきものである。

すでに、脳と、心との区別を持っていたということである。
つまり、脳は、心ではないのである。

フロイトは、平衡の考えを、自己の体系の基礎に置いた。
それは、クロード・ベルナールが最初に、示唆した、平衡の概念である。

ベルナールの、還元主義が、心理学に持ち込んだものである。

ベルナールは、身体が安定した状態を維持しようとする傾向をもつという、意味において、厳密に生理学的なもの以上の意味をそれにもたせようとしたのではなかった。フェヒナーが、その「恒常性の原理」において、この平衡の概念に心理学的な内容を与えたのである。

そして、デルブフが、「緊張の法則」として、生体が適応している最適な刺激水準の何らかの変化によって、平衡の喪失が起こると述べて、これと、緊張―弛緩の連続をあげるヴィトンの説と、同じ言葉を少し変えて、述べたものである。
と、いうことだ。

1895年、フロイトが、プロジェクトに、慣性の原理として、現れたものが、後に、快原則となり、それは同じ考え方である。

平衡の原理は、それが起こってきた生理学でどんな価値をもとうとも、恒常性、安定性、ホメオスタシスあるいは負のフィードバック、その他何と呼ばれようとも心の領域におけるその説明的価値は限られている。個人的行動、あるいは社会的行動いずれについても、完全な説明を与えることはできない。それは、安定性と、変化に対する抵抗という重要な要素を言い表すのには役立つが、不安定性と変化への衝動が人間の生活において果たす役割については何事も伝えはしない。
コーエン

これは、とても、大切なことである。

人間の行動は、恒常性に対してまさに対立命題となる原理を認めずには理解されない。
コーエン

つまり、人間は、いつも、不動ではない、不安定であり、更に、多くの衝動を抱えて、それが、行動を促すのである。

更に、人間は、今までの殻を破り、新たに、生まれようともするのである。

コーエンは、実に烈しい否定と烈しい言葉で、過去の研究を裁断する。

行動を説明しようとする、還元主義者は、人間の、恒常性の原理ではないと、言う。

そして、還元主義に対して、決然として、反論する。

人間は、人生において、不安定を求め、更に、平衡を去ろうとする。
つまり、観念の枠では、捉えられないものなのである。

コーエンは、心理学を学ぶ前に、として、延々として、過去の心理学に対する、蒙昧を叩き潰しているのである。
だから、もう一度、コーエンの最初の、心理学に対する、烈しい、書き込みを読み直して欲しい。

まだまだ、コーエンの文を続けるが、私は、心理学が、時代と共に、変転して行く様を見る。
過去の事例が、必ずしも、現在に当てはまるのではないということ。
その観念により、人を分析するのは、誤りであると言うことだ。

心理学が、学問として、認知されるならば、学問に必要な、進化し続けなければならない。

日本の心理学者のように、文献を紹介して、少しばかり何かを付け足して、終わるようなものではないのである。

人間は、常に、新しい者なのである。
平安時代の、物の怪を笑えないのである。

100年後に、現代の心理学が、平安時代のもののように、笑われる・・・かも


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2012年05月17日

霊学60

彼は、ダブリンのムロスにあるセント・ニコラス寺院に属するセント・メアリ教会付属の牧師であったが、「天国の算術」を見出すことに熱心で、1859年に出された彼の論文は、代数とその計算法を、形而上学的、道徳的、社会的、そして政治的な問題、さらに教会に関する事柄にまで適用しようと意図したものであった。彼は詩篇第18番を計算法の用語に翻訳し、次のようなことを論証した。

ダビデの教育上の優秀さとか資質―――彼の敬虔さ信心深さ、謙虚さなどーーーの増加量は非常に大きなものだったので、彼の生来の才能と地位とに乗ずると、その積は、量において王位や名誉や権力などに、つまり天上の属性に匹敵するほど偉大なものである。
コーエン

面白いのは、それを、家庭問題にも、及んだという。
例えば、女中の行為の変化が、この家庭の色々な成員に与える影響を、計算するという・・・

ところが、グレック氏のこれらの功績は、パーソナリティーの「測定」においてもっと大きな手柄をたてようとして躍起になっている今日の熱狂者たちによって、とっくに追い越されてしまっている始末である。
コーエン

ところが、である。
蒙昧は、続く。

真っ当な人も現れたが、真っ当ではない人の方が多い場合は、真っ当ではないものが、正しいとされるし、心理学に、真っ当か、正しいかなど、問うこと自体が、誤りなのである。

簡単に言えば、どうでも、いいものに作ることが、出来るのである。

アメリカの牧師である、マフィーという人の、法則がある。
有名である。
それを真っ当か否かと、論ずることは、出来ない。
ただ、信じる人たちが、信じている。

マフィーが、とても、偏屈で、人の、ど肝を抜く、逆説の主であるかが、よく解るのである。
そこに、ベースになるものが、新約聖書である。

それで、愛好家たちは、当っていると、占いのように、使用する。
そうだ、そうだ・・・
そして、マフィーの法則にすっぽりと、自分を嵌めてしまうのである。

それで、一丁出来上がりになる。

一世紀前に、プールは、数学的概念を借りて、次いでこれを新しい対象に適用する場合に、その用法を支配している法則が不変のままであると考えるのは、誤りであると警告した。パーソナリティーを統計学的な武器でもって征服しようとする見当違いの試みにあっては、この警告はひろく無視されてきているのである。
コーエン

つまり、パーソナリティーについて、というものが、いかに、偏狭であるかということだ。

心理学用語を多用して、パーソナリティーを語る人たちが、後を絶たない。
統計学的な武器で・・・
その通り、統計学なのである。

その統計に、人を当て嵌めようとする、馬鹿な心理学愛好家たちである。
児童心理、発達心理には、それなりの、統計的な考え方が、ある程度、当てはまる。しかし、それが、すべての人にということは、無理がある。

だから、それらの心理学的考察には、誤りがある。
統計学的判断により、通常と違うとして、異常と判定された場合に、どうするのか・・・
矯正が必要なのか・・・

私は、必要ないと、思う。

この、必要ないは、確信である。
新しい子供たちが、既存の心理学の枠に入り切れると思うか・・・

それは、時代性と、時代精神を、無視していることになる。

まだ少年であるものが、企業を作る時代である。
それを、どのように解釈するのか。

心理学で言うところの、成長の過程を、超越して、成長する、子ども達である。
つまり、私は、心理学というものは、いつも、流れている、流動的であるという。

解ったような、解説は、もう、無しである。
人間を扱う、特に、心を、扱うものは、常に流れているのである。

ということは、心理学というものは、定説が無いという学問であるということだ。

定説を作らない、作れない学問、それが、心理学である。
基準も、設けられないのである。
だが、基準も設けられないということは・・・

困る。
それで、学者となって、大枚な金を得ている、大学の教授などは、どうする。
それは、それでいい。

百年前の、心理学を講義していればいいのである。
そういう時代もあったという・・・

学問は、謙虚でしか、有り得ないし、また、学問は、変容するのである。
解らないことは、解らないのである。

新しい世界を、生きる人の、心理など、誰が解るのか。
解るというのは、単なる、傲慢である。


Posted by 天山 at 00:08  | 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

霊学59

心的事象を、物理的事象を支配しているのと同じような法則に従うものとして考え始めた人びとのなかに、トマス・ホップスがいた。ニュートン誕生の年、1642年に出された「市民論」のなかで、ホップスは次のように書いている。「だれしも自分にとって善なるものを追求し、悪しきものを避けるよう強いられているが、これは、石が落下しなければならないのと変わりないくらいの必然性によるものである。」このニュートン流の比喩的表現は、物理科学によって刺激された、心理学における以後の多くの類推に先駆であった。これらの類推の一つが、連合の原理を生み出したのである。こうしてこの原理は、初めから物理学における重力に対する心的な対応者として考えられてきたように思われる。
コーエン

その他、諸々の心理学の発生がある。
心理学が初めから、心理学としてあったのではないということ。

心理学は、生まれたてのものである。
しかし、それは、それ以前の学問の多くから、ヒントを得てきたものである。

心というものを捉えるには、古代バビロニアまで、遡ることが出来る。

最たる、古いものは、天文学的心理学である。
つまり、星占い・・・
今でも、星占いは、人間分析をしている。
分析に明け暮れて、星占いは、ついに、心理学と競合するようになり、しまいに、合体して、心理占星術とまで、至った。

それほど、心理学というものは、どうにでもなるものなのである。

コーエンを続ける。

心の力学、つまりその静力学や動力学という考えは、ヘルバルトによって心理学に導入された。彼は、観念とは、完全に自由な状態と完全に制止の状態との両極の間を移動できるものであり、そして常に自由の方向に向かおうとしているものであると考えた。重力が物理的力学の基本的原理であるのとちょうど同じように、心的力学の根本原理は観念の「運動」である。同じようなもくろみを抱いて、オストヴァルトは、エネルギー論の考えを人間の幸福についての科学的研究にまで拡張しようと試みた。
コーエン

このようにして、心理学を解体してみると、より一層、心理学の位置が明確になる。

単なる、思いつきの心理学が、いかに多いかがわかるというもの。
更に、ハウツー物による、適当な心理学の著書の数々である。

占いと同じように、当るか、当らないか・・・
これでは、終わっている。
しかし、真面目にそのようなことを、大学などで、教えている学者という、教授たちは、何を教えているのだろうか。
大半は、習ったことを教えている。
哲学者と同じように、海外の学者の著作の紹介をしているのである。

何の発見も無い、無能な人たちが、心理学という、学問として、学者と思い込んで、教えている。また、習う学生も、知った風な気分になって、おしまい。

何せ、・・・心理学の多いこと。
誰がどのように名付けているのか、兎に角、心理学の前に題名をつける。
題目のように、それを繰り返しているのである。

一々上げる必要もないほど。

心理学という学問には、ベースがあるということだ。
ベースの無い心理学というものは、皆無である。

面白いのは、宗教心理学・・・
笑ってしまう。
そのうちに、瞑想心理学、セックス心理学、ゲイ心理学、果ては、レディーボーイ心理学・・・
いくらでも、出る出る。

という心理学の、商売化である。
更には、それをマスターして、心理カウンセラー・・・
ちなみに、私も、家庭生活総合カウンセラーという、肩書きを持つ。
一体、何・・・

カウンセラーと、クライアントとは、心理カウンセラーとしての、言葉だったが、今では、何でも、カウンセラー、つまり、相談員である。
クライアントとは、相談者である。

これほど、世俗に侵された学問も珍しい。
科学的という、言葉で人を惑わせるモノ多数。そして、心理学では、云々・・・

学者たちは、笑うだろうが、身から出た錆びという。
そして、皆々、それに影響されて、分析の嵐である。
分析をよくする者、分析に溺れるのである。

「心的化学」の考えは、J・S・ミルを魅了し、彼はこれをもってその父J・ミルの好んだ心的力学に代えた。観念は化学に似た仕方で結合する、と彼は考えた。このようにして、観念は、水素が酸素と結合して水になるように、なにか新しいものを生み出す。プリズムの分光色が、すばやく連続して見せられると、一つ一つの光線が白ではなくても白色を「生じさせる」のと全く同じように、単一の諸概念が混ざり合うことによって、より複雑な観念を生み出すのである。
心的化学は、中世紀以後の錬金術者の治金術的心理学を思い起こさせる。錬金術者にとって、金属とその諸性質は、象徴的な霊的意味をもっていたのであった。こうして、ジョン・ボーディジは、その「ソフィア」のなかで次ぎのように述べる。

「したがって、また、わたしがあらゆる毒害と俗悪さを根本から完全に浄化するべく・・・
わたしの空虚なつまらぬ欲望と、この世の享楽の毒害が、その火によって燃え尽きてしまい、わたしの鉄や錫や不純物のすべてがこの炉の中で完全に溶かされてしまうまで、自分の意志を、潔めの火であるその「賢者の」溶鉱炉に全くまかせきった。こうしてわたしに純金としての精神が現れ、わたしのうちに新しい天と新しい地とが創造され、形づくられるのを知ることができたのである」

それが、先に書いた、古代バビロニアの天文学的心理学に通じるのである。

心的生活についての「地質学的」類推は、児童発達に関する成層化理論に例示される。この説は、心は、養分摂取過程、感覚過程、運動過程に対応する低い層と、記憶や推理のような機能に応ずるより高い層とから構成されており、子供が成長するにつれて形づくられてゆく連続的な層をなしていると考える。
コーエン

それは、また、フロイトにも、用いられた。

更に、パーソナリティーが、地質学的層に比較しうるような層の構成されたものとして述べられている。

あらゆる手法を取り込んで、心理学というものが、成り立ってきた。
そして、臨床として、用いられて、その面目が立ったのである。

勿論、最初は実に、単純なものだった。
例えば、心理カウンセラーの原理は、共感と受容である。

そんなことは、言われるまでもないことであるが、学問である心理学が言うのだからと・・・
その言葉を崇めた。

相談員が、相談者と、共感せず、話しを受容しないで、どうする・・・
理解せず、受け付けなければ、何も始まらない。


Posted by 天山 at 00:15  | 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

霊学58

パーソナリティの研究においては、攻撃開始の根拠地を見つけることがむずかしいために、そのほとんどは、すでに棄てられてしまっている、暗い荒れ果てた老朽理論の奇妙な陣立てに頼ることになる。
コーエン

日本の心理学愛好家たちは、それを無批判に取り入れて、騒ぎを大きくし、何ら、それを日本的に解釈しなかった。

今でも、賢い馬鹿たちは、老朽化した理論で、何やら言うのである。
そして、心理的には・・・

それに対して、コーエンは、明確に、
かなり気のきいた陣立てのうち二つのものは、全く簡単に「inter personal」という表現にハイフンがあるかないかによって、それと見分けることができる。「inter-personal」と「interpersonal」かである。
ハイフンで結ばれている・・・にあっては、人はおのおの個人的な行動の「法則」に支配され、そして事情によっては他者に関係をもつ、一つの自己充足的な存在であると考えられる。これはたんに、J、S、ミルのいう個人主義にすぎない。彼によれば、社会のなかの人間といっても、それは、個人的に人の法則に由来し、またこれに帰着させることのできるもの以上の性質をもつものではない。そしてこのようなドグマが、いわば独立独行の人間についての心理学の礎石を与えたのであった。
ハイフンのない・・・は、反対に、個々の人という概念は形而上学的なものであって、このような単一の存在についての経験的知識は得られないのだ、という態度をとる。
われわれは、単に人と人との間の関係について知りうるにすぎない。したがって、「interperson」から始めるべきであり、個人から取り掛かってはならないのである。
と、言う。

心理学が、何故起こりえたのか・・・
物理学、化学、地質学、数学、発生学、それと伝染病学、これらがおのおの心理学への刺激の源となったのである。
コーエン

経済学でさえも、その効用をもったのである。

心理学の歴史は、そのような類推に基づいた、着想の流れと考えられる。

だが、一つの領域で妥当する考えが、別の領域に影響を与えるようになるまで、時間的遅れがある。その時、すでに、その考えが、本家本元で棄てられてしまっていることがある。

日本の心理学者で、早くから、それに気付いていた一人に、岸田秀がいる。

パーソナルとは、日本語では、性格と言われる、
その、性格の傾向と対策・・・

性格分析が、いかにお粗末であるかは、知られた事実である。
大雑把なことを言えば、遠からず、当るのである。

占い師と、変わりないのである。

岸田秀のエッセイの中に、
要するに、性格とは当人の「大袈裟に言えば」世界認識における盲点を表しているのであって(したがって、もしすべてを見通す全知全能の神が存在するとすれば、彼は無性格であろう)すなわち、ポジティブなもの「実体」ではなく、ネガティブなもの「欠落」であって、彼には何が見えていないかを知ることが、彼の性格を理解する鍵である(そして、言うまでもないことだが、他人の性格を判断するわれわれ自身の世界認識にもどこかに盲点があるのだから、他人の性格を判断してその「歪み」を正してやろうとするのは、馬鹿が馬鹿を指導するようなものである)。したがって、ポジティブなもの「実体」ではない性格を、血液型とか、リビドーの内向または外向とか、いろいろな衝動の力関係とか、大脳皮質に形成された条件反応とかの実体的なものによって説明しようとするのは、何かが欠けていることでできている穴という現象を「穴とはいかなる物質でできあがっているのか。丸い穴の物質組成と四角い穴のそれとはどう違うか」という観点に立って研究しようとするのと同じであって、まさに荒唐無稽である。
と、ある。

これを、大真面目に、学問として、取り扱う人たちの、神経が知れないのである。
実に、神学に似た、妄想であるとしか、いいようが無い。

心理学を学ぶと、何かが、解った気分になるというのが、いい。
解った、つもりである。

そして、そこから、生まれる臨床心理士という、人たちも、解ったつもりで、人の悩みを聞いている。
そして、回復に向かいつつあるなどという、妄言を吐く。
本当は、彼らではなくても、誰でも、出来ることなのである。

要するに、話しを、よく聞く。
それだけで、人は、その人なりの、人に成ってゆくのである。

少しばかり、道に迷ったのであり、専門家といわれる人たちの、存在などは、いらないのである。

暇な、爺さん、婆さんでも、できるのである。

心理学の方法によって、立ち直ったという学者が、事例を書くが、治らなかった人の方が多いのである。

そして、治らなかった人は、二度と足を運ばないから、解らないのである。

昔、精神分析で、うつ病を治療するのに、どれほどの時間を費やしたか。
しかし、治らないのである。
ところが、坑うつ剤、一粒で、めきめきと、改善に向かった。

何のことは無い、脳内物資のゆえであり、いくら精神分析をしても、治るわけがない。
ただ、それに意味があるとしたら、暇をもてあました、金持ちの奥様くらいであろう。

そんな暇の無い人たちは、早々に、病院に行き、坑うつ剤を処方されて貰った方が上々である。

親はなくとも、子は育つ。
実に、明言である。

心理学がなくとも、人間は、成長するのである。
しかし、もし、心理学を学ぶとすれば、そこに、大海に船出するほどの、覚悟が必要であるということ。

常人には、出来ないことである。
いずれ、無意識について、書き始めるが、ユングは、狂う寸前までいった。
そして、その狂いを止めるために、東洋思想と、オカルトに目覚めた。

心理学というもの、単独では、知りえないものである。
つまり、心理学書だけでは、危ういのである。

人間の心などという、魑魅魍魎の巣に、入り込むなど、よほどの馬鹿でない限りは、しない。


Posted by 天山 at 05:50  | 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

神仏は妄想である。369

西洋の自然観を、ミル、スピノザによって、少し垣間見た。

ただ今は、神道の自然観であるから、一応、神道の自然観の屁理屈ではなく、そのままを伝える。

高御産巣日神、たかみむすびのかみ
神産巣日神、かみむすびのかみ

造化神、天之御中主神、あめのみなかぬしのかみ、の次ぎに現れる神である。

そこで、学者、宗教家の、妄語は、取り上げない。
本居宣長にせよ、その後の、大本教にせよ、大本教から、数多く出た、新興宗教の教組たち、例えば、世界救世教、生長の家などの、解説、解釈は、批判の対象にも、ならない。

勝手な解釈、勝手な、妄想である。

あれほど、語るということは、神道のことを知らない。
それよりも、大和言葉について、無知なのであるから、取り上げることはしない。

私が言うのは、むすびの神とは、働きのことをして、神と呼ぶ。

生まれるのも、むすび、であり、成長することも、むすび、である。
自然は、その、むすび、に溢れている。

折口信夫も、大変興味深いことを言うが、それも、思いつきである。
それが、アカデミズムにて、ご大層な説として、通るのは、彼が、有名な学者であるから。
ただ、それだけ。

自然は、むすび、に、溢れていると、古代人は、感じたのである。
そして、自然の働きを、むすび、と称して、以後、一切を語らない。

それを、産土神、うぶすなのかみ、として、お祭りした。
自然の働きを、神として、お祭りし、感謝した。

事は、単純明快である。

そして、自然は、人知では、計り知れないゆえに、それを霊の働きと受け入れたのである。

それで、神という、尊い称号で呼ぶことになる。

だが、超越した存在ではない。
人間も、かみ、といえば、守、監、神といい、テリトリーを守り支配するものという意識である。

人間より、上の自然の働き、それを神として、尊びお祭りする。
それが、村祭り、海祭り・・・
自然のあるところは、無いのであるから、至る所で、祭りが行われた。

それは、極めて、信仰の所作に見えるが、信仰ではない。
挨拶である。

尊いものに対する、挨拶であるから、信仰とは、違う。
日本人には、信仰という、邪魔なものは、必要ない。

何せ、自然は、隣どころか、その中に包まれて暮らして生きているのである。
自然との、共生、共感以外の何ものでもない。

これに、特別な意味をつけるということは、邪心である。

折口信夫は、
産土の神は、天照大神の系列とは系列がちがうので、その点をはっきりしておかないと、考えが行き詰まってしまう。
という、それは、縁結びの神のことである。
その、縁結びの神と、産土の神は、別物であるという。

産土の神に対する信仰が、薄くなり、その後、縁結びの神の信仰が、入ってきたので、この両者は、別にして、話さなければならない。
と、どうでもいいことを言う。

霊学から言えば、縁結びの神とは、産土神の眷属である。

折口は、産土の信仰が消えたという前提で、話を進めているが、全く、違う。
産土神の信仰は、最初から無いのである。
何故なら、一緒であるから、意識せずとも、いいのである。

生きていること、自体が、産土の行為である。

人間が生まれて存在していること、が、産土であり、自然の働きも、産土の行為である。

古神道を名乗る、大本教をはじめ、そこから、派出した、多くの新興宗教の教組が語ることは、単なる妄想である。
よく解らない信者を、言葉遊びで、騙しているのである。

意味づけ・・・
それによって、如何に信じる者が、騙されるか。

むすぶ、とは、掬ぶとも書く。
ここから、折口は、この掬ぶという、文字にかけて、新発見のようなお説を語る。

水を掬ぶは、信仰的に言うと、人間の身体の内へ霊魂を容れる・霊魂を結合させるということらしい。

ことらしい・・・
そして、大そうなことを語る。

つまり、水の中へ霊魂を容れて、それを人間の身体の中へ容れるというのが、産霊の技法だったことになり、そういう意味で、むすぶと言う言葉が、水を掬って飲む動作にも用いられているのである。
現在では、そうした産霊の精神的な内容は、失われてしまっている。
とのこと。

産土を、産霊と、書くことなど、作為的である。

失われてしまったのではない。
すでに、そういうことを、意識せずに、身につけたのである。

当たり前のこととして、身につけた。
それが、民族の精神のあり様である。
だから、信仰などという、言葉にしては、誤るのである。

所作を身につけたのである。

さて、神道でも、古神道でも、何故、言葉遊びに始終するようになったのか。
それは、中国からの、書物による。

最も、影響を受けたのが、道教である。
実に、訳の解らない、道教という、宗教か、屁理屈か・・・

600年代に、大量の書物が入っている。
その中に、道教、儒教の物、多数あり。

小野妹子が、遣隋使として、隋に出掛けたのが、607年であるから、その前に、大量に書物が入っているのである。
それらが、奈良から、平安にかけて、日本の言葉に、大きな影響を与える。

更に、生活にも、である。
その、道教というものを、少し見ておかなければ、理解できない。


Posted by 天山 at 06:12  | 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

神仏は妄想である。368

神の存在と、その神聖性は、奇跡から証明されない、という、スピノザを見てきた。
まさに、当時のユダヤ人、及び、聖書研究、解釈に対する、堂々たる、否定である。

それでは、奇跡は、何故起こるのか・・・
スピノザは、奇跡は無いと、断言する。
それは、自然を観察すれば、理解できることであると。

では、新約聖書の中に書かれる、イエスの奇跡物語は、どうするのか・・・
それについては、聖書の出来かた、その成り立ちについて、別に書く。

スピノザは、後に、カトリックに取り入れられて、利用される。
だが、カトリックも、充分に咀嚼していないのである。

未だに、奇跡を求めているのである。
何せ、カトリックの聖人認定には、奇跡がなければ聖人として、認定されないのである。

更に、聖母マリアの出現・・・
これも、理解に苦しむところである。
ルルドの泉は、世界的に知られた場所であり、今も、奇跡が行われるという。
そして、それを求めて、多くの信者が、巡礼に向かう。

神道には、それが無い。
神様に、願い、病が治った程度である。
だが、それは、それなりに治療して、快癒しても、そうして、神様に、お礼をするという。

神道は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とは、違い、超越した、神という存在を置かない。置く必要がないのである。
何故なら、神といわれる、存在が、実に実態のある存在なのである。

超越しているのではなく、すぐ傍に存在する。
例えば、天照大神は、皇祖の神である。

そして、この、神という言葉の、観念も違う。
それを一緒くたにして、論じることは出来ないのである。

日本には、唯一神が存在しない。だから、神不在であるとは、カトリック信者であった、作家の言葉であるが、実に、呆れる発言である。

初めから、日本には、唯一の神という、観念が無い。
そして、必要がなかった。
自然が、神なのである。

もっと、言えば、神そのものを見ていたのである。
だから、言葉の世界における観念は、無い。

ただし、全く、神道が、その思想を書かなかったのかといえば、違う。
それは、それは、大枚な、思想を書き続けているのである。

古神道について書く時に、それを紹介する。

スピノザが、聖書解釈と、自然との対比において、同然だというのが、当時の、眼目であったという。

それ以前は、神が主体で、自然は、その被造物として、解釈されていたのだ。
だから、奇跡は、自然を超越していて、そこには、神の介入があるという、解釈が生きていたのである。
それを、妄想であると、判断した、スピノザの勇気は、賞賛に値する。

更に、スピノザは、それを推し進めて、聖書解釈には、自然と同じように、解釈することは、聖書の記述された、歴史が如何なるものであるかを、それが、専ら、どんなものを含むのかという、前進を見せたことである。

現代の聖書研究では、当たり前のことを言うのである。

自然の種種雑多な出来事から諸諸の自然物に関する定義を導き出さねばならぬように、丁度そのように、聖書における諸事物の定義もまた個々の事柄に関して聖書の中に見られる種々雑多な記録から導き出されねばならぬ。
スピノザ

そこから、具体的に、スピノザが解説してゆくのである。

それは、次の機会に譲ることにする。
私は、神道の自然観というものを、紹介している。

西洋の思想が、唯一の神との、対座によるものであることは、充分に理解できた。
それでは、神道の場合は、唯一という、考え方ではなく、多々、自然を通して、人間と共に、ある、特別な存在としての、神意識である。

超越していない、共生してある存在。
全く、西洋の神意識とは、別物である。

更に、神道の神意識は、呼び出せば、即、応答する神意識である。
何故なら、目の前に存在するからである。
更に、それを特別に、お祭りするには、その場を造り上げて、そこに鎮座して頂くという、感覚、意識である。

また、ご神体として、樹木や、石、更には、山そのもの、などを、神として、取り扱うである。

そこには、注連縄を張れば、それで、終わる。
結界である。
それ以上は、神の世界であるという、意識である。

そして、言葉の世界は、無いが、所作がある。
神に向かう際の、所作が明確にしてある。

身を清めて、対座する。
更に、直接に言葉を述べてもいいのである。

祝いの言葉を述べて、神との、交流を図る。
神が、そこに、降臨するという意識で、共に、酒を飲み、共に食べ物を頂くという、感覚である。

神道のみならず、多くの民族的行事の中に、それが、見出される。
神とは、人と共にある存在だという、意識である。

姿は、見えずとも、神の威徳、威光を、感じられるのである。
見事な感性である。

だが、現在の神社神道においては、単なる、儀式と化しているのは、否めない。
所作に、堕落しているのである。

更に、神社という、建物に、依存し、堕落するのである。
そこには、満ち満ちる神の、威徳、威光も無い。

あるのは、神主の、マンネリ化した、堕落のみである。


Posted by 天山 at 05:52  | 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

神仏は妄想である。367

スピノザは、聖書の解釈をして、自然を観察しない、彼ら、神学者にまつわる者たちに、徹底的に、反論している。

これは、西洋の哲学の常識である。
批判と、反論から成る、言葉の世界である。
だから、日本は、明治期に、それを徹底して、学んだ。

それは、良いことだった。
しかし、それに捉われるようになり、堕落した。
日本の精神が、堕落したのである。

つまり、日本には、思想が無い・・・
言挙げしない、文化だとは、知らないのである。

そして、言葉にしない、文化というものの、偉大さを忘れた。

かくて彼らは聖書の中に深遠な秘義が隠されていると夢想し、他の有益なことどもはさて措いてこうした不条理なものを探求することに精魂をつくす。そして彼らはその妄りに虚構するところをしげく聖霊に帰し、これをあらゆる暴力・あらゆる情熱をもって擁護しようと努力する。
何故なら人間というものは、純粋知性によって考えることはもっぱら知性と理性によってのみ擁護し、これに反して情熱によって信ずることは情熱によって擁護するように出来たものだからである。
スピノザ

これは、宗教全般に言えることである。
情熱だけで、信じる人たちは、情熱だけで、妄想に浸り、他者を、その情熱で引きずり込むのである。

全く、宗教には、知性と理性の欠けらもないという、妄想に駆られるのである。

こうした混迷から逃れ、神学的諸偏見から我々の精神を解放し、人間の妄想に過ぎないものを神の教えと軽信することのないようにするために、我々は聖書を解釈する真の方法について論じ、これを充分説明しなければならぬ。
スピノザ

要約して言えば、聖書を解釈する方法は自然を解釈する方法と異ならないのであり、むしろ完全にそれと合致するのである。
スピノザ

これは、当時としては、画期的な提言である。

聖書がまずあり、それから、自然ではないのである。
自然の解釈が、聖書の解釈と同じであるという。

聖書と自然とを、同じ位相に置くのである。

つまり、聖書の神とは、自然と同じく解釈するということである。
これは、どういうことか。
それ以前の、神学的考察を完全否定することである。

自然が神に造られたのであるなら、当然、自然を観察して、そこに、神の存在を見るということ。
ここに至ると、神道に似る。

神道は、自然が神と、明確にしているのである。

スピノザは、それに進んで、聖書の神というものに対する、理解という。
一神教の考え方は、捨てていないのである。

何故なら自然を解釈する方法がもっぱら自然の歴史を総括し、確実なる所以としてのその歴史から諸処の自然物に関する定義を結論するにあるように、丁度そのように、聖書を解釈するには先づ聖書の真正な歴史をまとめあげ、確実な所以ないし原理としてのその歴史から聖書の著者たちの精神を正しき帰結によって結論するということが必要であるからである。
スピノザ

聖書の会社は、歴史的教養を持って当るべき。
それは、自然を解釈するのと、同じである。

当たり前のことなのだが、当時としては、画期的な提案だった。

まず、聖書ありきではない。
その勝手な解釈ではない。
自然を観察するように、聖書の歴史的背景を鑑みて、解釈すべきであるというのである。

現代で、行われる聖書解釈である。

それが、唯一の道であると、スピノザが言う。

極めて、合理的な聖書解釈の道を示したのである。

スピノザは、それから唯一の神としてある、聖書の神について、云々となる。
この、唯一の神という、観念から、抜けられなかったのが、西洋思想の源流である。

西洋思想は、この唯一との、対決であった。
日本には、それが無い・・・
だから、日本の思想は、云々という人たちがいるが、全く違う。
その源流が違うのである。
その違いを見ずして、西洋思想と、日本の伝統を比較検討すること自体が、誤りである。

それも、スピノザが言うように、である。

その歴史的背景が違うのである。
ようやく、それに気付きはじめた人々がいる。

源流と立場が違えば、相違という、哲学的考察が出来る。
それが、本当の哲学のはじめである。

更に、言葉の、観念自体も違うのである。
あちらの言葉の観念で、こちらの言葉を解釈することは、出来ないのである。

だから、翻訳という、作業は、その相違との戦いである。
翻訳すること自体に、哲学的行為がある。

だが、世界の書物の大半が、日本語に翻訳されている事実は、何を語るのか。
それは、日本語にて、語ることが出来るということである。

それほど、日本語には言葉の観念と、定義が西洋思想を取り入れることによって、豊になったといえる。

Posted by 天山 at 01:09  | 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月11日

神仏は妄想である。366

神道の自然に対する思いに関して、書いている。
そこで、ミル、スピノザを引いて、如何に、かの国の言葉の世界と違うのかということを、証明してきた。

結果、神道は、言挙げ、つまり、言葉にすることなく、何度も言うが、所作によって、成り立ってきたのである。

自然は、かしこく、おそれおおい、もの、という思いを、ただ、所作にした。
そして、祭りに託して、農民は、豊穣を土に祈り、漁民は、わだつみに、祈り・・・
すべてを、神として・・・
いや、神という概念もなく、自然を、尊ぶものとして、所作にして表してきた。

これから、スピノザの聖書の解釈について、という、箇所を読むことにする。
というのは、言葉で、語り尽くすという行為には、必ず、このような批判が、多く起こるということを、言うためである。

言葉にすると、後々で、言葉遊びに始終するのである。
そして、それに権威を付与するという、人間の性。

宗教の功罪も、そこにあり。

すべての人は、口では、聖書は神の言葉であって人間に真の福祉や救霊への道を教えるものであると言っている。しかし彼の行いの示すところは口で言うのと全く別である。
スピノザ

何事もそうだが、口で言うことと、行為することが、全く別物というのは、聖書解釈だけではない。
人間とは、そういうものなのであると、得心することだ。

実に民衆は聖書の教えに従って生きることなどまるで念願に置かないように見える。そして余の見るところでは、ほとんどすべての人が、自分の妄想に過ぎないものを神の言葉であると称し、宗教の口実のもとに他の人々を自分と同じ考えに強制することをのみこれ努めている。
スピノザ

とても、激しい、否定と、攻撃である。
既存の思想、そこから生まれる、行為行動に対して、批判するということは、このように、激しいものになる。
主イエスでさえ、殺されるほどの、激しい否定と、批判を繰り返したのである。

次のスピノザの言葉は、今も、その通りである。

あえて言う、余の見るところでは、神学者たちはおおむね、如何にして自分の思い付きや自分の独断を聖書に依ってこぢつけるか、如何にしてそれを神的権威に依って守るかということに心を砕き、聖書や聖霊の精神を解釈するに当っては何をするにもまして軽率かつ大胆にやってのける。
その際もし彼らの心配することがあるとすれば、それは聖霊を誤って解釈して救霊への道からそれはしまいかということではなくて、ただ自分の誤りを他人に指摘されて自分自身の権威を落とし、他の人々の侮蔑の的になりはしないかということだけである。
スピノザ

聖書自体の本質ではなく、我の、権威に心を砕く。
それが、言葉の世界にある、人間の姿である。

言葉にして、発言することで、賞賛される・・・それが、言葉を扱う人の、願いである。それが、誤りでも、いいのである。

だから、
もし人々が聖書について証言するところのことを真に心の底から言っているのだとしたら、人々は今と全然違った生活の仕方をしたであろうし、あれ程多くの闘争で心を激昂させることもなく、あれ程多くの憎しみで相互に争うこともなかったであろう、又聖書を解釈して宗教の中に何か新奇なことを考案しようというあれ程盲目的な、あれ程向こう見ずな欲望にひきずられることもなく、反対に、聖書が最も明瞭に教えることをのみ聖書の教えとして認めたであろう。
最後に又、聖書をその幾多の個所において改竄することをあえてするあの瀆神の徒たちはそうした罪深い行いを止め、彼らの不信の手をそうしたことから引っ込めたであろう。
スピノザ

このように、言葉の世界で、語り尽くせない世界を言葉にすると、結果、このような、主イエスや、スビノザのような、徹底批判が起こるのである。

そして、それは、余りにも、見え透いている。

宗教戦争に明け暮れた西欧の時代。
それは、解釈の違いで、戦争に明け暮れたのである。

そして、何と、勝った者が、その教えに勝利するという、仰天である。
真なるものではなく、力によるもの。
それは、もう、宗教とは、言えないのである。
だが、西欧は、一時期それに、明け暮れた。

恐ろしい、蒙昧である。

然るに野心と冒瀆の横行するところ、遂に宗教は聖書の教えに服従するとこではなくて人間の妄想を擁護することにあるの観を呈している。否、宗教は愛に存せずして人間の間に不和の種を播いたり、激烈な憎しみ「これを彼らは聖なる熱意、烈しき献身と僭称する」を広めたりすることに存するとみられるに至っている。
これらの悪にかてて加えて迷信なるものがある。迷信は人間に理性と自然とを軽蔑し、この両者に矛盾することをのみ嘆賞し尊敬するように教える。だから人々が聖書を益々嘆賞し、尊敬するために、聖書をこの両者―――理性と自然とーーーに最も矛盾するが如く解釈しようと努めるのも不思議ではない。
スピノザ

とんでもない、世界に導いてしまう、解釈の妄想を言う。

それが、言葉の世界を主体とした、西欧の大罪なのである。
言葉にすべきものと、言葉にすべきものではないことを、知らない。

東洋の思想を理解する際に、西欧の人は、極めて迷う。
言葉に出来ないものを、言葉にしないからである。

日本の、言霊と、言葉は神であるという思想を持つ彼らとは、天地の差がある。
それは、説明すれば、同じようになる。
言霊は、言葉自体が動く神である。
言葉は神である。
同じようだが、違う。

根本から違うのである。

Posted by 天山 at 00:00  | 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

沈黙を破る62

戦争犠牲者の追悼慰霊から、はじめた、活動。
そして、衣服支援を始めて、テラの会とした。

今年で、六年目に入る。
よくぞ、やってきたと思う。

慰霊地に出掛けて、その土地に住む人たちの、貧しさに絶句し、驚愕した。
そして、子ども達の衣服でもと、始めた。
それが、大人、更に、文具や、ぬいぐみ・・・・

それから、大変な状況になった。
衣類の支援を求めると、保管場所が必要になり、三つの保管場所を得た。
それだけではない。
手渡しが基本だから、持参する。

それが、続いて、私は、足腰をやられた。
使いすぎと、医者に言われた。

足が、重要である。
不自由になると、活動に支障が出る。

更に、現地で出会った人に、支援物資を送るようになる。
勿論、それも、私が出掛けて行って、差し上げるのである。

そして、更に、大変なことは、経済的なことである。
お金がかかる。

更に、大変なことは、お金が無い。

仕事をすれば、いい。簡単なことである。
しかし、仕事をすると、活動が半分以下、それ以上に減らさなければならない。
と、すると、死ぬまでに、出来ない。

それでは、支援物資を送られ方々に、寄付を求める。
ところが、支援物資を送るが、寄付となると、断然、支援する人が少なくなる。

中には、支援物資の中に、数千円などを入れてくれる人がいた。
その人は、ボランティア活動には、お金がかかると、知る人である。

それなのに、私は、ミャンマーの孤児院、更に、ミャンマー難民の、タイ側にいる、孤児たちに、食糧支援を思いついた。

行くたびに、何を食べているのか・・・
国連から、米を貰うだけ。
だが、米だけで、後は、どうするのか・・・

その米も、満足ではない。

人生の後半を、晩年を、ゆっくりと、静かに・・・
なんて気持ちは、更々無くなった。

何とかしなければ・・・

しかし、一人で踏ん張ってみても、たかが知れている。
矢張り、多くの人からの支援を必要とする。

私には、何の支援団体も無い。
孤立無援である。

これでは、続けられない。

不労所得・・・という、歌い文句で、様々な金儲けがある。
しかし、金を得るというのは、大変なことである。
もし、簡単に、スムーズに、不労所得を得たという人がいたなら、それは、魔物である。

そこに至るまで、七転八倒の苦労がある。

更に、不労所得を得て、人を見下すような生活をしたいようである。

年収、一億、二億、三億・・・
平然として、言ってのける。
多数の人が群がるのが、見える。

だが、全員が、そうならないのは、見ての通り。

一人の人の、成功が、皆の成功のように、語る。
あまりにも、稚拙である。

そして、その方法は、無料で、手に入る。
年収一億の方法が、無料である。
少しばかり、賢い人たちが、思いつく言葉である。

さて、私は、これから金を得て、活動を続けなければならない。
勿論、誰に頼まれたわけではない。

私の、勝手な希望であり、活動である。
私の、自己責任に帰す。

心ある人、興味を持つ人たちに、私の活動が知れること。
それ以外に、方法はない。

何で、そんなこと、やってるの・・・
何の得にも、ならないでしょう。
得にならないことを、する人もいるのだ。

得に、執着しない。

何故なら、この世に欲しい物が無い。
この世に、未練も無い。

死ぬことが、救いだと、考えている。

ただ、これを続けると、日本のためには、得になる。
私は、日本人として、行動しているからだ。
その見返りがあるとしたら、日本である。

傲慢を言うと、
千年の日本のために・・・

Posted by 天山 at 05:34  | 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

国を愛して何が悪い10

戦後になり、韓国では、突然、漢字の非効率性、非大衆性が叫ばれて、ハングル国語純化運動が進められた。

1948年、李承晩大統領が、ハングル専用に関する法律を、制定し、漢字を暫時的に廃止する路線をとる。
59年には、臨時漢字制限法令を発布し、日本の漢字規制のように、漢字を1300字に制限する。

更に、65年から、一切の公文の漢字使用を禁止したのである。

67年には、朴大統領が、漢字廃止五カ年計画、を指示。
70年以降、総理大臣訓令で、漢字使用を全面的に禁止した。

このように、一時的にではあるが、すべての教科書から、突然、漢字が消えたのである。

ここで、解るように、韓国では、伝統を断絶させるということが、当たり前なのである。日本は、漢字文化を取り入れ、更に進化させて、本場、中国よりも、充実した漢字文化を、継承した。

また、そこから、カナが生まれ、平仮名が生まれ、実に見事な、日本語を作ったのである。

それ以前に、日本にも、古代語があったということを、付け加えておく。

韓国では、それまで、公文書には、漢文が90パーセントを占め、大韓民国の憲法でも、90パーセントの漢語が含まれていた。
当然、韓国社会に与えた影響は、大きい。

同音異義語の氾濫、更に、抽象度の高い概念語の、理解力と利用率が低下した。
その一方、韓国の伝統的固有語を漢語で代用することを、積極的に行ったが、ハングル単用の推進者たちは、新しい代用語を創造することができず、失敗に終わる。

それでも、作った新韓国語も、創った本人が使用したたけで、自然消滅した。

結果は、様々な問題が噴出し、金大中政権時代には、再び、漢字復活論が出でくる。

ただし、国民の10パーセントの賛成であり、言葉に対する意識の低さを、露呈したのである。

黄氏は、
韓国人が伝統の漢字を棄てたことは、李朝時代の「揚儒斥仏」と同じく、誰からみても伝統文化の破壊、絶滅である。伝統文化というのは「自生的」なものだけを指すのでは決してない。伝来したものでも、たとえば仏教などのように永い年月にわたってその地に土着したものも含まれるのである。そのため、漢字も仏教も儒教も、韓国にとって立派な伝統文化である。
と、言う。

更に、ハングルは、韓国の伝統ではないのである。

あまりにも、短絡的、単細細胞的な、対応であるから、驚く。
自国の文化という、意識が希薄であり、更に、伝統などという、観念も、曖昧なのである。

ただ、兎に角、韓国は、素晴らしい・・・
そして、誇大妄想に浸り、世界の文明は、韓国から・・・などと、全く根拠のない幻想を語るのである。

韓国語における、漢語の含有率は、60パーセントから70パーセント、更には、80パーセントとも言われる。
それなのに、漢字全廃を行うというのは、狂っている。

そして、その結果、韓国語の、言語伝達能力が低下し、韓国人は、世界でも、読書率の低い国に、転落した。

あれほど、日帝時代に、高い水準を持っていたにもかかわらず、教育とは、有名無実になってしまったのである。

漢字漢文放棄が、どれほど韓国社会に混乱を招き、伝統文化を放棄するということで、どれほど国にとって、マイナスとなったかということ。

だが、韓国人は、それさえも、気付かないのである。

韓国は漢字を捨て、ハングルを自慢するようになった。・・・それまで蔑まれてきた、ハングルを朝鮮に普及させたのは日本だった。にもかかわらず、韓国人は「日本人に言語を奪われた」と非難している。なんと矛盾と屈折に満ちていることだろうか。


ところが、知識不足か、何も知らないのか・・・
世界でもっとも合理的、科学的かつ芸術的な、文字と自画自賛するのである。

ハングルが完璧だというのは、韓国の言語学者が無知なだけに過ぎない。


韓国語は事物を正確に表現するのに充分でない点が多い。名詞においても、単数と複数の区別がはっきりせず、人称や数の区別もない。格に該当するものもなく、助詞(格助詞)で格を表している。また、ある状況を表す用語法としての否定法もない
インタイリン 韓国人とその意識構造

黄氏が、まとめたものを見る。
韓国語は代名詞がない。関係代名詞は前出の語句を受けて、思考過程を漸次発展させる語法である。
したがって、科学的表現には向かない
論理的・科学的思考能力の発達を阻害している
事物を客観化かつ対象化して理解しようとしない
客観的事実を直視し、自己の生活を反省する力に乏しく、無批判に外来思想に追従する傾向がある
推理力に欠ける時、常に感性にのみ依存し直観的技術に頼ろうとして、合理的に把握しようとする精神が欠如している

戦前の韓国の新聞や雑誌を読んで感じるのは、その情報伝達の不正確さである。ことに、数字的な情報は信じられないほど混乱している。これは、当時の朝鮮人知識人の水準を表しているとも言える。


日帝時代の、日本語の使用は、朝鮮語使用以上に、文明開化をもたらしたのである。

当時のアジアで、日本語ほど、近代的で体系化された、言語はなかったのである。

韓国人が、ハングルを自画自賛すれば、するほど、その評価は、遠退く。
それは、韓国人が、内省できない民族だとしか、言えない。

現在の、教科書は、反日を中心として、作られている。
これが、将来の子ども達の感性を、破壊する。
訳の解らないうちに、ただ、反日だけを、教えられているのであれば、先は無い。

憎悪と、攻撃だけを、教えられているようなものである。

共感など、全くない。
韓国の子ども達は、反省も、教えられない。
ただ、兎に角、悪いのは、他であるという、思考法、外省志向のみである。

国民が真っ当に、育つはずがない。

更に、朝鮮の歴史を書き残していないから、ただ、妄想の古代史を教えるだけ。
結果、中国の属国意識のみで、歩んできた朝鮮だと気付くと、韓国人を止めたくなるだろう。

真っ当な国民意識を、創るために、100年は要する。

それは、日本にも、言える。
永い間の、自虐史観から、抜けるには、100年を要する。


Posted by 天山 at 00:03  | 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする