2012年05月27日

教育者へちま論

 マスコミは、橋下大阪市長が市職員に対して行った刺青調査を学校の教師にも実施したいとし、確か大阪市教委だったと思うのですが反対されたと報じております。私は昨日「橋下市長と刺青騒動」の題で、大阪市のような大組織の場合適正な人事が行われないと、平職員の間で現在日本国中の小中高校で問題になっているいじめに似たことが行われる場合が多く、刺青を入れている事実だけとって職員を責めるわけには行かないと述べたのでした。と申しますのも、能力の無い者が市長や市会議員に大阪市の財政赤字から見て選ばれていると思われることで、大阪市の人事が適正に行われたと云う保証が得られないからです。一方、私はもし大阪市立の学校の教職員の中で刺青を入れた者が居たら、教育現場に置いておくべきではないと思っているのです。その理由は、生徒達に悪影響が及ぶからです。それと、子供達を社会で人と協力して生きて行けるよう導く仕事を受け持つ教師である限り、自分の属する殆どの小集団から追放されたと云う目印となる刺青を入れることは許されることでないからなのです。

 ところで、文科省や各地の教委や日教組は何かと云うと子供達を正しく指導するには云々と申し、自分達がさも教育の専門家であるがごとくに、教育はこうあるべきだそうあるべきだと何かにつけご託を述べまくります。私は関係者一同に本当にそうなのですかとお伺い申し上げます。事実であるとするなら、なぜそうなるのか誰の目にもそう映るよう理路整然と述べられなければなりません。私の見たところ、校内暴力にせよいじめや登校拒否や学級崩壊にせよ、論理的にその原因を説明出来もしないのにあでもないこうでもないと騒いでいるだけとしか見えないのですが。こう申しては何ですが、私は教育学の研究学者から文部科学大臣はじめ文科省や各地の教育委員会の役人達、さらに日本国中の小中高校の教師達ご一同、教育の場でへちまのごとき存在と思っているのです。国民一同何かあると言い訳ばかりに終始する貴方方に愛想尽かししているのです。本来なら深く反省をと申すところなのですが、これまでの態度を見ておりますと私は貴方方に校内暴力やいじめ、学級崩壊や登校拒否問題の原因を突き止め対策立案など到底出来ぬ相談だと思っているのです。へちまでも給料だけは欲しいのでしょうね。それにしても、文部科学大臣以下全く役立たずとはあきれ返ってものが云えません。皆さんこの事態にどのような決着を付けようとなさるのでしょうか。

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2012年05月26日

橋下市長と刺青騒動

 大阪市は橋下市長になって以来、大阪維新の会立ち上げ、関西電力大飯原発再稼働阻止、そして職員の刺青騒動など、話題に事欠かない有様と申せましょう。氏は確か無駄を省いて大阪市等の借金を減らすことで財政再建を行うと同時に、企業の活性化を図り大阪を元気な街にすると訴え市長に当選したはずなのです。ところが、いざ当選したとなると選挙で市民に約束した無駄を省いて大阪市の財政健全化を図ると云う公約の実行よりも、大阪維新の会を立ち上げ国政参画へ向けての活動を活発にしたり、電力不足と電力料金値上げにつながる大飯原発再稼働にイチャモンを付けるは、さらには市の職員に刺青をしている者が居ると公表したりで、大阪にまるでおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎを起こすばかりと申せます。

 ところで、私は24日「関電株主にお願い」の題で、エアコン使用を前提に設計されている現代のマンションやビルで、保育園や病院が入居している処も多く、マンションに入居なさっている方の中に赤ん坊やお年寄り、病気の方もおられる等様々な理由で、電力料金値上げの上15%の節電など無理だとお話しし、関西電力の株主の方々に原発再稼働すべきだと明言して欲しいと訴えたのです。特に製造業は人件費の安い後進国との競争によりとても電力料金値上げを受け入れる余地などないでしょう。橋下市長の大飯原発再稼働反対表明は、企業活動を活性化して大阪を元気にする選挙公約に反する行動と申せましょう。それから、大阪市職員の刺青問題ですが、問題追及は大阪市の人事管理が適正であったと云える状況でのみそれ相応の処分が可能と云えるのです。と申しますのも、人数の多い組織において適正な人事が行われていない場合、平職員の一部に現在日本国中の小中高校で行われているいじ目のような動きが起き易くなり、刺青を入れていると云う理由だけで職員の処分を行うには無理があると云えるのです。と云うのも、大阪市の財政赤字状況から見て菅枝前岡どぜう氏等の有言不実行による財政破綻ぶりを見て解る通り、歴代の市長が適正な人事を行う能力の持ち主だったとは到底判断出来ないからなのです。もし、歴代の市長に能力があったのなら財政健全化など市長選で問題になることなどない筈だからです。橋下市長が市長としてやるべきことは、国政に色気をだして維新の会を立ち上げることでも、大飯原発再稼働反対を唱えることでも、市職員の刺青をどうこう云うことでもなしに、大阪市の財政を再建し大阪を元気にすることなのです。そうして、菅枝前岡どぜう氏等をよく見て足下が暗くならないようにすべきではないのでしょうか。

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2012年05月25日

荘子と菅どぜう氏等の行い

荘子の外篇に以下のような話が見えます。 知(ち)が無為謂(むいい)に、「何を思い、何を考えたならば、道を知ることができるであろうか。どのような境地に身をおき、どのようなことを行えば、道に安んずることができるであろうか。何に従い、何によれば、道を体得することができるであろうか」と、 同じ質問を三回くりかえしたが、無為謂は答えなかった。いや答えなかったのではない。答えるすべを知らなかったのである。 知は狂屈(きょうくつ)に面会し、同じことをたずねてみた。すると狂屈は「うん、わしはそのことを知っている。話してやろうと」といったが、話をしようと思っている途中で、そのいいたいことを忘れてしまった。そこで知は帝宮にかえり、黄帝に面会して質問したと申すのです。すると黄帝は「何も思わず、何も考えることがなければ、はじめて道を知ることができよう。一定の境地に身をおかず、一定のことを行うことがなければ、はじめて道に安んずることができよう。特定のものに従うことなく、特定のことにかかりきることがなければ、はじめて道を体得することができよう」と申します。そこで知は、「すると私とあなたとは道を知り、あの無為謂と狂屈とは道を知らないことになる、はたしてどちらが正しいのだろうとか」と。 すると黄帝は「あの何もいわなかった無為謂こそ、真に正しいのだ。いおうとして途中でことばを忘れた狂屈は、これに近いといえよう。私とあなたとはついに道に近づくことができないのだ。だから、ほんとうに知っているものはいわないし、いうものはほんとうには知っていない。だから聖人は、無言のままの教えを行う、ということばもあるのだよ」と答えたというのです。注に、知、無為謂、狂屈はいずれも抽象的概念を擬人化したもの。無為謂は、謂うことを為す無きもの、無言の意。狂屈は常識はずれ、へそまがりの意、と説明されております。

ところで、日本が早急にしなければならない課題は、破綻した国家財政再建、震災からの復興、地球温暖化防止対策の実行でしょう。民主党が自公に代わって政権の座に就けたのは、国家公務員の天下り禁止と天下り先機関の全廃、公務員のリストラ、無駄な公共事業廃止による、財政再建を実現してみせると云ったからです。にもかかわらず、民主党の菅枝前どぜう他新旧閣僚達は、なんの役にも立たない税と福祉の一体改革等と言うばかりで、約束したことを1つも実行しません。菅氏と閣僚達のしたことは津波で被災した東電の原発津波被害を拡大させただけなら、どじょうと閣僚達等はこれから行う財政再建を難しくさせただけの有様です。その結果、東京都民はそんな者を選んだことで電気料金値上げを受け入れざるを得なくなったなら、関西電力管内など今年の夏に電気料金値上げと共に一律15%もの節電をよぎなくされるあり様なのです。私は、それにしても財政を左前にする以外何の役にも立たない菅枝どぜうと新旧閣僚達や自公の先生方に、荘子でいう無為謂となり、日本のこれからを支えて頂きたいと思うのですが。皆さんその辺をどう思われるのでしょうか。

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2012年05月24日

関電株主にお願い

 マスコミの報道によると、関西電力は今年の夏15%の節電目標だとのこと。皆さんもよくご存じのように近頃建ったビルにせよマンションにせよ、エアコンを用いることを前提に設計されております。夏場そんなマンションやビルで電気を食うからと申してエアコンを止めることは、マンションであれば入居している保育園や妊娠中の女性や病人、お年寄りのいる家庭などで無理な相談と申せます。ビルだって保育園の入居しているところも多く、空調を止めたりしたなら幼児達はもちろん、入居企業で体調不良を訴える社員が続出することでしょう。それから、企業は人件費の安い国からの追い上げにより製造原価の引き下げが重要で、電力料金値上げの上15%節電など受け入れることが出来ますまい。

 ところで、電力各社の個人株主は電力供給事業の公共性と必要性をよく存じ、株を長く保有する安定株主が殆どと申せるのです。関西電力の筆頭株主は大阪市だそうですが、だからと申して大阪市の橋下市長が株主総会などで大飯原発再稼働反対を泡をふきふき叫ぶなど、関西電力の個人株主をないがしろにした所業と申さざるを得ません。先の津波で被災した東北電力の株主など株価が半値どころか1/3に下がっても、企業の重要性にかんがみ文句を言わずに耐えているのです。さらに、東京電力の株主に至っては、震災2か月前増資を引き受けた株主も含め、株価が1/10以下にまで下がっても文句を言わず歯を食いしばり耐えているのです。それに引きかえ、大阪市が筆頭株主だからと申して、橋下市長が長年に亘り関西電力を支えて来た個人株主をさておき大飯原発再稼働反対などと叫ぶのはおこがましい話としか言いようがありません。私が考えるところ、社会で支え役を演じている方々の殆どが大飯も含め原発再稼働に反対しておりません。私の見たところ原発再稼働に反対する方々の殆どは、人が2~6人位集まるとリーダーを1人仲間同士暗黙で選び、そのリーダーを介し互いに情報交換してつくられる小集団から、自己中心の行動をとることも含め、規則を守らないと追放された方々が多いのではないかと思うのです。同じ思いの方々が集まったとしても、人と情報交換する為に必要な行動が解らない為、リーダーを選んで小集団などつくれません。リーダー不在での人の集合は事があると暴走しやすいのです。さらに、力で抑え込まれると人々の間に凄まじい主導権争いが起きやすいのです。関電の株主は関電管内の企業や保育園児、病人等を守るため、橋下市長他原発再稼働反対を叫ぶ人たちに、穏やかな口調ながらきっぱりと原発再稼働に賛成することを明言するのが自分達の使命であると心得るべきではないのでしょうか。

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2012年05月23日

人生をより良く生きる為に

 今朝新聞を開くと、宮城県石巻市で発生した震災がれき80鼎鮖邯馨撞僂琉戞∨牟綵市小倉区の不燃物保管施設に搬入しようとしたトラックの通行を、約40人の反対住民が道路に座り込み、「帰れ」「持ってくるな」「放射線ガレキNO」などと叫び邪魔をしたと云う記事が目に留まりました。すでに皆さんご存じの通り、宮城県や岩手県の津波により発生したガレキに、人に健康被害を与える量の放射線など含まれてないのです。にもかかわらず、私は大勢の人々の中にはそのことを信じられない方も居られるのだなと思った次第なのです。ただ私が残念に思うことは、石巻市のガレキ処理反対を叫ぶ方々は、自分達の云うことが一般の方々に、「人がどうなろうと俺達だけ幸せになればよい」と聞こえるのが理解出来ないことなのです。社会と云う集団は、人と人の支え合いにより成り立っているのです。ですから、己だけ幸せになれば人はどうなっても構わないと行動する人が混じりますと、秩序が保てなくなってしまうのです。そんなことで、己のことしか考えない自己中心者は、必ず周りの者から態度を改めるよう制裁を加えられずにはすまない事を理解すべきだと思うのですが。

 ところで、我々は2~6人位集まると自然にリーダーを1人選び、選んだリーダーを介し情報を交換し変化に不安を感じず適応出来るよう小集団をつくり、社会と呼ぶ集団に参加しております。その小集団は、集団の秩序を保つ為成員達の守るべき4つばかりの簡単な規則を持っているのです。何方も犯罪を含め自己中心の行動をとることが小集団から仲間に追放される原因になることを理解出来ます。しかし、小集団が持つ簡単な4つの規則を破ることが小集団を追放される原因になることは何方もご存じないと存じます。そんなことで、私は誰もが個人と集団の関係を介し社会秩序が維持されていることからまず理解する必要があると思っているのです。さらに、人は小集団を追放されると小集団が変化に不安を感じず適応し生きるためにつくられる以上、不安を感じその不安に攻撃性を煽られ犯罪はじめ様々な反社会的行動をとりやすくなる事を解って生きて行く必要があると思うのです。今日の凄まじい技術革新は、そうでなくとも説明を省きますが、不安を感じさせ我々の攻撃性をいやがうえにも煽らずにおらないのです。我々は集団に付いての理解を深め、人と仲良くし出来るだけ不安を感じ攻撃性を煽られ反社会的行動をとらずに生きて行けるようなる必要があるのです。と申した事で、私達は2~6名位集まると暗黙のうち互いの間でリーダーを1人選び、選んだリーダーを介して情報交換し自然に集団化することに付いて、人と仲良く暮して行ける為に誰もが学ぶ必要があるものと思っているということなのです。

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2012年05月22日

いい加減にせよ石巻教委

 皆さんの中には、宮城県石巻市大川小学校の児童生徒73名もが、昨年の東北大震災直後避難の為校庭に集合したにもかかわらず50分も放置された揚句、子供の足で5分歩けば津波被害を避けることの出来る裏山があるのに、わざわざ遠くの場所に避難しようと歩いている途中津波にさらわれ亡くなったり行方不明になり未だに消息がつかめなくなっている事件を記憶なさっておられる方も多いと存じます。しかも、問題はなぜ裏山に逃げれば全員助かった筈なのにわざわざ遠くの場所へ避難しようとしたのか、石巻教委が関係者に聞き取り調査を実施し報告書をまとめはしたのですが、報告書作成と同時に聞き取りメモを破棄したと申すのです。さらに、父兄が関係者に聞いた話と報告書の内容に食い違いがあるとのことで、再調査することになったのです。その再調査結果も、関係者から父兄が聞いた話と食い違いが多く、さらに再調査することになったのです。なお、この再々調査には宮城県の村井知事も参加して行われる事になった筈です。

 ところで、問題は73名もの大川小の児童生徒達が亡くなったりいまだに行方不明なのですから大変なことではあるのですが、子供の足で5分で津波被害から逃れる地点まで行くことの出来る裏山ではなしに、わざわざ遠くの場所へと避難しようとなぜしたのかの一点にかかっているのです。ですから、調査はいたって簡単に出来る筈なのです。それが出来ないと云うのは、裏山ではなく別の場所に避難するよう指示した関係者の誰かがその事実を隠蔽しようとしているとしか思えないのです。石巻市長はじめ石巻市教委の方々、当時の大川小の関係者の方々、亡くなられて児童生徒達の御霊が問題の決着がつかない事もあり、石巻の地をさまよったりいまだに行方不明のままの児童生徒までもいるのです。関係者の中に真実を明るみに出されたくない者もいるのかもしれません。しかし、この問題はこれからという児童生徒が大勢なのです。甘えは許されるものではありません。石巻市長はもちろん宮城県知事はじめ、関係者一同石巻の地をさまよい続けている児童生徒達の御霊を鎮める意味でも、真実を一刻も早く父兄や社会に報告すべきだと申せましょう。これは参考意見なのです、もし私が教師で港町の学校に赴任したなら、津波が来たときのことを考え上から指示などされなくとも、津波の際生徒達を何処に避難させたらよいか、実際に自分の足で歩いて確かめずにはいないと思うのですが。

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2012年05月21日

人の話を聞くということ

 荘子の外篇に、「すべて世俗の人は、他人が自分の意見に同調することを喜び、他人が自分と異なる意見をもつことを憎むものである。他人が自分に同調してくれれば、これを喜び、他人が反対すれば、これを喜ばないのは、もともと自分が衆人よりぬきんでようとする心があるためである。だが、衆人よりぬきんでようとする心をもつものは、どうして衆人よりぬきんでることができよう。衆人からぬきんでよとはせず、衆人のままに従うことによってこそ、はじめて心安らかな境地が得られるのである」、と書かれております。私がこの文章を引用した理由は、大勢の方が相手の話に耳を傾けず、自分の意見を相手に取り入れてもらうことばかり考えて行動しているように思われてならないからなのです。つまり、何方も自分の考のみ正しいと考え過ぎると云いたいのです。

 ところで、相手の意見を取り入れるということは、相手の記憶の情報処理を用いて物事に対処することです。ですから、それが出来るようになるには、自分の考えが正しいとばかり云いきれない事をまず覚らないとならないのです。それから、他人の意見を取り入れる際は、相手の能力と人柄を見抜く眼力を持ってないとならないのです。人は低い山から高い山の全貌が解らないよう、自分より能力のある人の考え方をなかなか理解出来ないものなのです。上に引用した荘子の中の、「他人が自分に同調してくれれば、これを喜び、他人が反対すれば、これを喜ばないのは、もともと自分が衆人よりぬきんでようとする心があるためである。だが、衆人よりぬきんでようとする心をもつものは、どうして衆人よりぬきんでることができよう」との件が示す通り、人の意見に耳を傾けられないのは、相手より能力が劣る為と申してよいのです。ですから、人は何方もまず受け入れるか受け入れないかを別にし、人の話に素直な気持ちで耳を傾け、理解出来ないところがあれ場質問し話の内容を理解する努力をする必要があるのです。それから相手の人格と能力の有無を確かめ、相手の話を受け入れるかどうか決めるようにすべきなのです。我々がより良く生きる為には、以上述べました事は何よりも大切なことと申せましょう。以上の点に付いては私もさら努力する所存でおりますが、重要なことなので皆さんもぜひ努力なさってみて下さい。

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2012年05月20日

医学部新設と医療改革

 マスコミは19日東京港区で日本医学ジャーナリスト協会主催により、医学教育の改革などを考える公開シンポジウムが医師はじめ大学、自治体関係者など140人が参加し行われたと報じております。そのなかで教授の一人が、「医学部新設は医師の絶対数不足や地域偏在などを解消するのに有効な選択肢と言える。地域の人づくりの観点から議論したいと」、と述べたと報じられております。東北の自治体などは長年に亘り医師不足に悩まされ続けているのです。医療はそもそも患者の家族はもちろん、医師はじめ看護婦から食堂や売店で働く小母さんはじめ検査技師など、病院で働く全ての方々によって行われるものなのです。

 ところが、医療が日本では病院で働く全ての人々の協力を得て医師が行うものとの考えが罷り通っております。その結果、病院で働く方々は医師と比較した場合、仕事がきついにもかかわらず極端に低い給与にあまんじて働かざるを得なくなっているのです。以上の弊害を医療の現場から一掃するには医師の数を増やすことが必要なのかもしれません。それから、医学部の新設は申請する大学が同じ地域で二つ以上の場合、出来るだけその地域で専門学校を含む多くの学校に支持される大学に認めるべきだと思います。社会はパソコンや携帯電話等情報を能率よく処理できる機械の普及と共に、政治家や役人はじめ医師など特権階級を必要としなくなりつつあるのです。医療の主役も何十年も前米国ロッキード社の開発になる、コンピュータを用いての病気診断と治療、病院管理システムを見るまでもなしに、パソコンが医師達の手から病気診断と治療の主役の座を奪ってしまうことでしょう。医療で医師達の手に残る仕事は、難しい手術と患者の話に耳を傾けてあげることぐらいとなりましょう。そして医学は物理学の理論を取り入れ有機と無機の壁を取り払う方向へと傾斜して行くものと思われます。その考え方は、例えば人が光と同じ速さの宇宙船に乗れば時間が停止し年をとらないとか、光より速く走れば過去が見える、すなわち時間が逆転するといった理論が用いられることになるでしょう。以上の考え方に興味をお持ちの方は、解りやすく量子力学やアインシュタイン博士の相対論を解説した本が沢山出ておりますので、そちらをご覧になってください。といったことで、医療は激しい改革の嵐にこれから見舞われる事になるという結論に達するということです。

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2012年05月19日

荘子と愚か者の所行

 荘子外篇を読んでおりますと、「むかし舜(しゅん)が死ぬときにあたって、真情をこめて禹(う)をさとして述べたことばがある。それは、『お前は次のことをよく心得るがよい。身は自然によりそうのが最上であり、心は人情のままに従うのが最上である。自然によりそうようにすれば、自然から離れることがなく、人情のままに従うようにすれば、心を労することもなくなる。自然から離れず、心を労することがなくなれば、虚飾を求めて身をかざる必要もなくなる。虚飾を求めて身をかざる必要がなくなれば、もはやどのような外物を借りる必要もなくなるであろう』とうのである」、が目に留まりました。この件で、比較的「身は自然によりそうのが最上であり」の部分は解りやすいのですが、「心は人情のままに従うようにすればよい」とする部分は簡単に理解出来るものではないと思われるのです。

 ところで、人は集団の中に生まれお互い協力し合い生きて行きます。ですから、我々の行動は互いの協力が成り立たなくなることのないよう、人の幸せを踏みにじらないようにする前提の下で成り立つと申せるのです。一方、国語辞典で「人情」を引きますと、ある辞典には[人が本来持っている・愛情(感情)。なさけ]、別の辞典には[人に自然にそなわる人間らしい愛情]、などと載っております。このところ、東京電力福島原子力発電所の津波被災以後、国民の一部が放射能汚染の心配から原発廃止を声高に求めております。この問題は放射能汚染問題に限るなら正論と申せましょう。しかし、原発廃止は電力料金値上げにつながり、日本企業の輸出競争力を低下させると云う側面から考えた場合正論とは申せなくなるのです。それから、私は昨日東北の医師不足問題を題材にした、「特権階級不要社会の出現」で、医師不足解消に向けての東北地方の医学部新設問題に付いて論じました。医学部新設に付いての医師側の意見も知らないわけではありません。しかし、全ての医師達が理解しないといけない事は、医師一人育てるのに10億なんてものでなしに膨大な額の税金が使われている事実です。そして、医師は医は仁術と言われ、優遇税制まで適用されているのです。その事から考えれば、どの医師もどこそこに赴任しろと云われたならああだこうだ云わずに行かないといけないと思うのですが。荘子の「身は自然に従う」「心は人情のままに従う」も、人々がより良く生きれるようになると云う前提のもとで語られていると解釈すべきなのです。政治の場合、菅どぜうがゼネコンや公務員のご機嫌をとる為すると言った財政再建策をしようとしない事など、以上の説明から考えると自然に従わず、人情にも従わない愚か者の所行と申せるのではありますまいか。

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2012年05月18日

特権階級不要社会の出現

 マスコミは東北75市でつくり、奥山恵美子仙台市長が会長を努める東北市長会が17日仙台市で総会を開き、地域医療の充実に向け大学医学部の新設に関する特別決議を全会一致で承認し、6月開催予定の全国市長会総会に合わせ、関係省庁に要望活動を行うと報じております。特別決議は、東日本大震災で沿岸部の医療機関や医療従事者が被災し、地域医療が崩壊の危機にあると強調し、「早急に医師の偏在解消を図ると共に、地域に根差した医師を医学部を新設し養成する対策を講じることが必要」と決めたとのこと。4月に原案を審議した宮城県市長会の定例会議で、一部市長が「国は医学部の定員を増やしており、医師が適正に配置されていないことが問題だと」と指摘したのを受け、医師偏在解消の重要性を盛り込み理解を得た、とも報じられております。東北はもともと西日本に医学部が偏在していることもあり、地域医療に携わる医師の確保に苦労してきた地域なのです。

 ところで、日本人は昔から医は仁術と言い習わし、医師優遇税制を見て解るように医師を大切にして来た筈なのです。ところが、昨今の医師達を見ますと楽をして金を稼ぐことしか眼中にない者達が多過ぎると申さざるを得ません。その傾向は医師の地方に行きたがらないことが如実に物語っているのです。東北地方の市や町はほんの一部を除き、医師不足に悩まされ続けて来ているのです。私は医師を仁術を施す者と言って一般の人に比較し、特別扱いするのを止めるべきだと思っているのです。医師に仁術を施す者としての自覚があったなら、自ら志願し医師不足に悩む地域の医療に携わる筈と思うからです。したがって、医師優遇税制など直ちに取り止めるべきなのです。そして、医学部を新設したいと云うどの大学にも、基準を満たせば新設を認めるべきだと思うのです。このところ、パソコンや携帯電話等情報機器の普及により誰でも情報が手に入り、政治家や高級官僚の特権階級としての地位が失われつつあります。病気の診断と治療も、各種医療検査のデータと自覚症状を入力することにより、かって米国のロッキード社が開発したコンピュータによる病気診断と治療及び病院管理が、より正確にいつでも利用可能なところまで来ているのです。医師による病気診断と治療は、患者の悩みを人が聞くと云う点でのみコンピュータによる病気診断と治療より良いと云えるだけと申せましょう。コンピュータ・データ処理システムの進歩は、コンピュータが特権階級の仕事を肩代わりし、社会から特権階級を一掃せずにはおらないことを、医師や政治家達はもちろんあらゆる人々が知る必要があるのではありますまいか。

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2012年05月17日

「無」の境地に遊ぶ

 洪自誠(こうじせい)の著になる菜根譚(さいこんたん)の中に、「無」の境地に遊ぶの題で、『ひたすら物欲を捨て去って、花をつくり竹を植えながら、「無」の境地に心を遊ばせる。忘れてはならぬことまで忘れ去って、香をたき茶をたしなみ、酒をとどける人がいなくても苦にはしない』、という件があるのです。私は洪自誠の云う『「無」の境地に心を遊ばせる』ことこそが、現代人が忘れてはならない最も必要な事でないかと思っているのです。「老子」にも、「禍(わざわい)ハ足ルヲ知ラザルヨリ大ナルハナク、咎(とが)ハ得ルヲ欲スルヨリ大ナルハナシ。故ニ足ルヲ知ルノ足ルハ常ニ足ル」、があります。足ルヲ知ルの知ルとは、何かを得それに満足するのではなしに、あるがままの現実に満足して生きることと申せましょう。

 文明の発達した今日、何方も贅沢な暮らしを望まない限り日々暮して行けましょう。ところが、現代は一昔前と比較しますと、不満を抱えて日々を過ごす方が大勢というあり様なのです。その理由は、人と共存して生きる行動がとれなくなっていることにあるのです。なぜとれないのかの理由は、幼児期から小学二年生位までの間両親が人と共存するために必要な行動をとって見せたり、言葉で優しく教えたりしないせいと申せるのです。私達は2~6人位集まるとみなでリーダーを1人選び、選んだリーダーを介し仲間と情報交換し集団化します。その目的は、自然の変化に不安を感じず適応するためです。例えば、約束を守らない、友達に暴力を振るったり動物をいじめる等の行動をとる成員は、リーダーを介してとられる情報交換を疎外させ、成員達が自然の変化に適応出来なくなって不安を感じる為、小集団から締め出されてしまうのです。そうなると人は不安がつのりそのせいで攻撃性を煽られ、自分の周りに人を集める必要から金品を欲しがるようになったりするのです。つまり、足るを知ることが出来なくなるというのです。人は能率の上がる機械で仕事が行われるようになると、職場で己1人首にされまいと互いに仲間の足を引っ張り、小集団が破壊され不安がつのり攻撃性を煽られ、出世のことしか考えられなくなってしまうのです。その結果、何方も子育てに注意を向けなくなり、子供は大人になっても仲間と共存し生きる為の行動がとれなくなって、洪自誠のいう「無」の境地に遊ぶことなど考えられもしなくなってしまうのです。そんなことで、私は技術革新が急激に進む現代、幼児から小学二年生位のお子さんをお持ちの方々へ、不安の効果的解消法と力強く文明社会を生き抜けるようにお子さんを育てる簡単な指導法をお知らせする必要があると思っているのですが。

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2012年05月16日

諸悪莫作(しょあくまくさ)

 唐代に、杭州の秦望山(しんぼうざん)山中の老松上の茂った枝葉を鳥の巣のように編みその上で暮らす、鳥窠道林(ちょうかどうりん)という禅僧がおりました。彼の許を杭州勅使(州の長官)をしていた詩人として有名な白楽天が訪ねたと申します。そして、鳥窠禅師に見(まみ)えるやいなや、彼は「禅師の住処は甚だ危険なり」と申します。すると和尚は「太守の危険、もっとも甚だし」と切り返します。そこで白楽天は、「この地位にあって一州を治めている自分に、なんの危険があるとおっしゃるのか」、と迫ったと云うのです。そこで鳥窠は、「あなた自身自分をよくよく省みなさい。感情、欲情が燃えたぎっていて、心はちっとも静まっていないではないか、それでいて身に危険がないというのか」と、太守白楽天を戒めるのです。白楽天はその言葉を聞き鳥窠の力量を知り、「如何なるか是れ仏法の大意」と尋ねます。その問いに対する答えが、「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅうぜん)ぶぎょう」、諸々の悪は作(な)す莫(なか)れ、衆(たくさん)の善は奉行せよ、との解りきった答えだったのです。白楽天はその答えを聞いて、「そんな答えなら三歳の子供でも知っていることで、あまりにも粗末な答えではないか」と、鳥窠和尚に詰め寄ります。すると禅師は「三歳の孩(かい)児も道得(どうとく)すると雖も、八十の老人すら行い得ず」と答えたと申すのです。

 ところで、ここに来て昨年の東京電力福島原子力発電所の津波被災への、菅、枝野、海江田氏の対応に付き国会の場で検証しようとする動きがあるとのこと。現代はなにごとによらず言葉が多過ぎ、やたらに言い訳ばかり目立つ時代です。特に、何方が見ても、地球温暖化防止を目的としてはじまった「燃料革命」への対応を世界各国が決めかねているにも拘らず、菅氏の原子力発電所津波被災への対応には世論を反原発へと誘おうとする意志が見え隠れし感心出来ません。さらに、スタートを切ったばかりの燃料革命がどの方向に向かうか解らない現在、原発廃止などと軽々しく言ってはならない時と申せましょう。皆さんも燃料革命は産業革命であると理解なさって下さい。どの国も一度対応を誤ったなら大変な事態が出現するでしょう。民主党の議員達にせよ自公その他野党の議員さん達にせよ、燃料革命の重大さを全く認識しておりません。この革命への対応の失敗は、議員さん得意の言い訳など決して通用しないことを肝に銘じておくことです。そうして、菅氏や枝野海江田氏等は、今後の日本の発展の為に原発津波被災にどのように対処したか、言い訳抜きで語る必要があるのではありますまいか。

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2012年05月15日

マジ学園 11学校支配の皆様こんにちは

 今の日本の教育は、言うまでもなしに生徒支配により成り立っております。そもそも、支配とは支配者あるいは特定の組織が楽を得るため、被支配者の変化に適応する行動の自由を抑圧することです。支配者が被支配者の変化に適応する自由を抑圧する理由は、被支配者から情報を集め、集めた情報を再配分する立場に立つ為です。この分析は、情報を自然の変化=物質(エネルギー)の流動と捉える事により可能となるのです。但し、人は勤め先が組織目標達成のため働く人の行動を秩序付ける事に付いて、支配と申しません。学校も学ぶと云う自然との一体化を追求する中で、大勢の生徒達の集団化をうながす努力をする限りにおいて、生徒支配をしておりません。ところが、実体は教師が出世するため生徒達の競争心を煽り成績を上げようとすることにより、自然を知ると云う教育本来の目的を支配達成の手段に用いていると云うのです。

 ところで、学ぶとは知識の源泉が自然である限り、自然を知る努力ないし自然と一体化する努力と申せます。自然を知るあるいは自然と一体化する努力の中には、人間も自然界の生命の一つなのですから人を知ることも入ります。人を知るとは人の喜びや悲しみを理解することですから、人格の形成に他ならないのです。人はこのブログで再三再四申しますように、2~6名位集まると仲間同士暗黙のうちリーダーを選び、選んだリーダーを介して仲間同士情報を交換し小集団を形成しております。このことは、人が2~6名位集まると、自然にそのようになり珍しくもなんともない事と申せます。こうして出来た小集団は、好ましくない行動をとる成員をリーダーを介し情報交換を止めるペナルティーを用い、互いの行動を秩序づけているのです。それを教師達は生徒のとる試験の点数を上げることで、仲間を出し抜き己1人出世したいと競争心を煽り生徒達のつくった小集団を全て破壊してしまうのです。我々が小集団を作る目的は、自然の変化に不安を感じず適応し生きる為なのです。その目的は、成員の行動を秩序付けないと望めなくなります。ですから、集団の秩序は小集団によって守られているというのです。したがって、小集団は健在な限り、人格があり人の為に役立つ生徒以外成績が上げられないよう動くのです。出世欲に駆られた教師達は、己の指導の良さをアピールする必要から、生徒の人格の有無などに関係なしにただ知識を暗記し成績の上がる者だけを優秀と判定します。すなわち、己の出世の為に生徒達の自然への自由な適応を支配ないし抑圧するというのです。私に言わせれば文科省、各地の教委、教育学者達、日本全国の教師と言う教師達、日教組など、教育者として不向きな方々の集まりだと思っているのです。日本の国民の皆さん、現在の教育界の方々にそろそろいい加減にしろと言おうではありませんか。

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2012年05月14日

民主党・嘘は泥棒のはじまり

 マスコミは民主党の小沢一郎元代表が12日熊本市内での支持グループ議員の会合で、「税制論議を否定するわけではないが直ちに国民に大きな負担を強いることは、09年衆院選で言ったことと違う」と指摘。その上で「無駄を省く努力をして財源がどうしても足りない場合に初めて消費税増税の議論をすると言って政権を委ねられた。『国民の生活が第一』という目標を達成するための大改革にはまだ手が付けられていない」、と強調したと報じております。私もこの点に付いて全く同感なのです。ことわざと名言辞典に、「うそをつくのは泥棒になるはじまりである、おおそれた泥棒も、はじめは小さなうそつきからであるとの説明の下、『うそは泥棒のはじまり』と載っております。」

 ところで、荘子に、『孔子が大亀や魚などでも泳げないほどの激流のなかで、男が泳いでるのを見つけた。これはきっと何かを苦に自殺しようとしているのだと思い、弟子たちに流れの岸にそつて救わせようとした。すると、下流で男は岸にあがり鼻歌まじりで堤の下をぶらついて遊んでいる。それで、孔子はその男に「まるで陸地を歩くように水の上を行くには、何か秘訣ががあるのだろうか」、と尋ねたというのです。すると彼は、ただ私は、故(こ)からはじまり、性に長じ、命に成ったまでです、と申します。故(こ)は昔からのなじみ。性は習い性。命は天命、運命です。彼は、「私は水の渦巻きにつれて水中に沈み、湧き上がる水につれて浮かびあがり、水のもつ法則のままに従い、私意をはさむことをいたしません。これが私の水をわたる秘訣なのです」、と言ったと云うのです。さて、民主党の菅枝前岡どぜう他新旧の主だった閣僚達は、小沢一郎さんの政治と金がどうのこうのと言い続けております。そこで、私は民主党の菅枝前岡どぜう他新旧の主だった閣僚達にお伺いしたいのですが、我が国には“うそつきは泥棒のはじまり”と言う諺もあるのですが、貴方方は国民にマニフェストで約束した財政再建策をなぜ履行しようとしないのですか、ということです。私が思いますところ、皆さんはした約束を守らない環境で育ったせいか、マニフェストで約束したことなど守らなくともいいと云う考えをお持ちのようですね。小沢先生もそのようですが、私はじめ日本人の多くは、皆と仲良く暮す為にした約束は守ることに全力を尽くすのです。国民の皆さん、した約束を守ると云う小沢元民主党代表と、菅枝前岡どぜうはじめ新旧閣僚達の様にした約束など守ろうともしない者達と、どちらが人格者だと思われますか。国民には嘘を吐きながら、政治と金がなどと無実の小沢先生がさも悪いことでもしてるように言う者達とどちらが正しいのでしょうか。論理的に少し考えれば何方にだってどちらに非があるか直ぐ解ります。この辺で、国民は政治の場で嘘ばかり吐く無人格者を一掃しないといけないのではないのでしょうか。

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2012年05月13日

電力料金値上げと都民

 マスコミは東京電力が一般家庭で平均約10%強の負担となる、電力料金値上げを申請したと報じております。都民の皆さんは今回の東京電力の10%強の値上げは、ただでさえ楽でない家計を圧迫する結果となることもあり受け入れたくないと云うのが本音だと思います。それが、東京電力が電気を供給する地域以外に住まっている、私などから見ますと今回の東京電力による電気料金値上げの受け入れは、東京都民にとって当然のことと思えて仕方ないのです。その理由は、菅氏を国会議員に選んだのが都民だからという理由からなのです。

 ところで、私達は比較する目的のためにあらゆるものの量を計り、数字を用いて表そうとします。例えば、自動車に例をとると、その性能は最高速度、エンジンの馬力や回転数、あるいは燃費などが数字でもって表わされております。私達は自動車を購入する場合、性能はより良い、しかも価格はより安い、これらの条件を備えている方を選ぼうとします。それには、是非とも数字による比較が必要になります。そんなことで、人間は比較の必要に迫られると、工場の機械ではその生産能力を、ジェット旅客機ですと速度や上昇率を、子供ですと試験の成績の良い悪いを数字で表わすわけです。なぜこうも、人はあらゆるものの数量化に血道を上げるのでしょうか。その理由は突き詰めますと、競争心のなせる業ということになります。私達がこうする裏には生存競争に勝つために、自己の優位を誰の目にもはっきり映る資料でもって確立しようとする心理が働くからです。そんな理由で、人間はあらゆるものを数字を用いて量化しようとするのです。そこで、数字で量化表示出来る全てのものは、私達の生存競争の手段として利用され、逆に人間の競争心を煽ってしまうのです。(以上は、84年に私が発表した論文「コンピュータ管理社会への提言」から引用) さて、菅氏は工学部出身とか。そうだとすれば卒論などを書くに当たり、私が上で述べた数字による量化に付いて理解出来ていとならない筈なのです。私はそれなのに、昨年の東京電力福島原子力発電所の津波被害に際し、原子力保安・安全委員や枝野氏等と代わる代わるテレビに出演し、漏れたかもしれない放射線量の数字を喚きちらし、被害を拡大させるとは何事かと怒っているのです。あとで、以上のことは米国のマスコミが反原発活動家に転向云々と報じたのに接し、菅氏が国論を反原発へと導くために仕組んだ芝居だとはじめて気付いた次第なのです。私は大体地球温暖化問題で世界中の国々のエネルギー政策の腰が定まらない時、日本の大事なエネルギー政策を軽々しく転換させようと喚くような者を政治家に選ぶなど、東京都民の常識を疑わずにはおれないのです。都民の皆さんはその意味でも、東京電力を早急に立ち直らせる為今回の値上げを黙って受け入れるべきだと思うのですが。と同時に、もう少し政治家を慎重に選んで欲しいと思うのです。

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2012年05月12日

心理理論等の訂正と教育問題

 私はいじめや校内暴力など小中高校生が起こす事件が多発する現在、現行の精神医学や心理学の理論を基に生徒達が起こした犯罪の審判を行うことの妥当性を疑う一人なのです。と申しますのも、高校を卒業するぐらいの間の生徒達は大人と比較し情報に動かされやすいと申せます。ところが、今のところ情報とは何かちゃんと定義されてないのです。私は長年の研究の結果、情報はアインシュタインの等価原理を基に自然の変化=エネルギーあるいは物質の流動と捉えるべきだとの結論に至ったのです。そうしますと、情報は熱力学の第二法則や量子力学の理論を基に、人と人との間でも交換されるということになります。そして、我々の行動はすべて変化に適応し生命を保つ活動ということになるのです。と同時に、20世紀初めにE・メイヨ―博士が米国のウエスタン・エレクトリック社ホーソーン工場の作業集団の研究で得た結果、人は2〜8名位集まると仲間同士暗黙のうち自然にリーダーを1人選び小集団を作るとする理論を、私が提唱する情報の理論を用い以下の様に考えるのです。人は変化に不安を感じず適応できるように、仲間同士暗黙に選んだリーダーを介し互いに情報交をし小集団を作るとするのです。そうして、その結果を基に考えますと、不安は我々が脳の神経網内の情報移動経路等で情報を体内の組織や器官へ選択移動し、そこでとられている化学反応を制御し変化に適応出来ない時に生ずる生きて行けないと云う感じと定義するのです。とすると、不安は体を活発に動かせるようにして、それを生じさせている事態を取り除けるよう攻撃性煽るということになるのです。さらに、青少年にせよ大人にせよ、不安に煽られた攻撃性により犯罪も含め反社会的行動をとると結論付けられるのです。

 ところで、人は幼児期から小学二年生位までの間、親にとって見せられたり優しく言葉で教えられた記憶を保持する脳内の神経網の情報選択移動路を、似たような情報に接したさい用いて適応行動をとっていると考えられるのです。この幼児期から小学二年生位までの間、人と共存して生きて行く為に必要な行動をとれるよう、両親に言葉で教えられたりとって見せられたりした記憶が保持され、さらにその行動をとった経験がないと、仲間と小集団を形成し不安を感じ攻撃性を煽られずに生きて行くことが、仲間と共存する行動がとれない為不可能になるのです。ですから、学校の教師達は生徒を個別にでなしに、小集団の集まりの中の一人として観なければならないのです。しかし、日本中の教師達はE・メーヨーの研究を学んだことすらないのです。私に言わせれば、日本の教師達は生徒を指導できないと申してよいのです。また、いじめや校内暴力など事件を起こした生徒の父兄に対する責任の追及なども、何の理論的根拠もないまま決着をつけている有様と申してよいのです。それもこれも、文科省以下各地の教委、日本国中の教育に関する研究者達、日本国中の小中高の校長はじめ教師達や日教組の怠慢ということになるのではありますまいか。私は教育関係者一同等にいい加減にしろと申し上げたいのです。

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2012年05月11日

国政の場で揺れる提灯

  荘子の外篇第十九達生(たっせい)篇に以下のような話しが載っております。祖先の廟(びょう)の祭りをする神主が、礼服をまとい豚小屋にやってきて、次のようにいったとする。「お前は何も死ぬことをいやがることはないぞ。わしは3か月の間、お前に食物を与えて養い、十日のあいだ精神を清め、3日のあいだ身体を清めたあと、しろい茅(ちがや)を下に敷き、お前の肩や尻の肉を美しい彫刻をした台の上にのせてやろう。どうだ、やってみる気はないか」 もし豚の身になって考えてやれば、糠(ぬか)や糟(かす)などの粗末なものを食っても、豚小屋の中においてもらうほうがよい、というだろう。ところが、これを人間自身の立場になって考える段になると、たとえしばらくでも高級車にのり高官の服をまとう尊い身分になり、死んでは豪華な霊柩車の上にのせてもらい、飾りたてた棺のうちに入れてもらえるとなれば、やってもよいということになる。豚のために考えるときには、これを否定するくせに、自分のこととなると、これを肯定する。栄誉の犠牲となる人間と、祭りの犠牲になる豚とでは、どこに違いがあるというのであろうか。

 私は昨日「政治家等指導者の品格」の中で、『民主党の菅はじめどぜうとその閣僚達や議員一同、財政再建も手付かずにして小沢氏の政治と金がなどと喚くなど、人格者の集まりとは申し難いと申せましょう』、と申しました。菅前枝岡どぜう他民主党の新旧閣僚達や議員のみなさん達、さらには自公の議員のみなさん達は、自分達の懐に金が入らず小沢先生のところに政治資金が合法的に集まるのを見て、政治資金を非合法に集めていると曲解なさっているようなのです。集団行動の研究者の私は、小沢先生に政治資金が集まるのは実力があるにもかかわらず出世を急がないせいと、とっくの昔に存じておりました。また、菅はじめ前枝岡どぜう氏や自公の面々に金が集まらないのは、運動により実力に見合わない出世をとげているからと申してよいのです。この世では、真実を言わないというのがルールです。しかし、私は己れの力量を省みず、力量があることで政治資金が集まる小沢先生の実力を理解も出来ず、違法なことをして金を集めていると難癖を付けるなど、菅前枝岡どぜうはじめ民主自公の先生方達のその余りのお粗末ぶりに、ことを明らかにすべきだと思い以上のことを述べたのです。おそらく、検察審議会のメンバーの方々、3名の検察官役の弁護士さん、その他民主自公の先生方、間もなく私の考えが間違いでない事を体験できるのではないかと思うのですが。どうか関係者ご一同様、御身ご自愛専一に遊ばされますよう念じております。

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2012年05月10日

政治家等指導者の品格

 マスコミは一斉に民主党元代表小沢一郎氏を無罪とした東京地裁の判決に対し、検察官役の指定弁護士3人が「一審判決には見過ごせない事実誤認がある。覆す自信がある」として控訴した、と報じております。私はこの裁判に付いて、強制起訴を決めた検察審議会のメンバーはもちろん、控訴した弁護士三人、それから自分達はマニフェストで国民に約束した財政再建策を何一つせず、政治と金がどうのこうのと小沢氏に因縁を付けた、菅前枝岡どぜうと新旧民主党閣僚達など「偏執質」的な面が見え隠れし、指導者としてあまり好ましくないと思っている一人なのです。「偏執質」とは、心理学の岩波小事典によると『自分をひどくえらい者と考える自我肥大・自己加重評価がみられ、貧欲で、他人を疑いぶかく、心の中の一定の感情傾向にしたがって判断を行い、物事の勝手な解釈をしやすい性格』、と説明されております。

 まず前原氏ですが、氏がって民主党代表だった時「政治と金」で自民党の議員を民主党の議員に追及させ、結局間違いだということで民主党代表を降りました。その後、この時自民党の議員を追求した民主党の議員が自殺しました。本当に前原氏が人格者ならこの時点で国会議員を退くか、あるいは議員として残っても政治の表舞台に立ちますまい。それから、菅枝どぜう氏方、民主党がマニフェストで国民に約束した財政再建策をとろうとしませんね。小沢氏は政治と金で「偏執質」ではないかとさえ思われる、貴方方はじめ検察審議会のメンバー、検察官役の弁護士3人に執拗に攻撃されながらも、民主党がマニフェストでした約束を守ると申します。貴方方は、尖閣列島沖での漁船衝突事故や東京電力福島原子力発電所津波被害に際し、恐怖に駆られて騒ぎまくるは、日本の所蔵になる朝鮮王朝にまつわる古書を理由もなしに持ち出し韓国に呉れるは等、常識で考えられない行動をとっております。それから、検察審議会のメンバーと検察官役の弁護士さん方、罪を自分達が裁くのだと思いあがっているようにしか私には見えません。小沢氏の問題を別にし、裁判と言うものは犯罪者が犯した罪に付いて償いをとり社会復帰可能なよう取り計らうものだと思うのですが。冒してない罪を皆で寄ってたかって犯したことにするのが警察官や検察官ではない筈です。また、民主党の菅はじめどぜうとその閣僚達や議員一同、財政再建も手付かずにして小沢氏の政治と金がなどと喚くなど、人格者の集まりとは申し難いと申せましょう。本物の人格者なら、この国難の時何と言っても経験も豊かな小沢先生に、国難を乗り切るため自分達に協力して欲しいと一言申せないのでしょうか。最後に、私は小沢先生こんな情けない民主党の菅前枝岡どぜうはじめ新旧閣僚達など相手にしない方がよいとアドバイス申し上げます。それから、日本の国民の皆さん、この辺で菅氏はじめ民主党の先生方や検察審議会のメンバーはじめ弁護士3人を、社会で立派に活躍できる人と成るよう皆で協力し教育してあげようではありませんか。

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2012年05月09日

菅どぜうとギリシャの政権交代

 司馬牛(しばぎゅう)、仁を問う。子曰く、「仁者はその言や訒(じん)」。曰く、「その言や訒、すなわちこれを仁と謂(い)うか」。子曰く、「これをなすこと難し。これを言いて訒なることなきを得んや」。 孔子に門人の司馬牛(しばぎゅう)が、仁者とはどのような人物かとたずねた。孔子はいった。「仁者は口が重い」「口が重い? それだけで仁者といえるのでしょうか」「仁の実践に真剣に取り組んでいる者なら、その難しさを知らぬはずがない。おのずと口も重くなろうというものだ」。 ところで、財政危機に陥りEUの支援で財政破綻を何とか免れているギリシャで、国民の支持を集めて当選したいとEUの求める緊縮財政政策に反対を表明した、新民主主義党(ND)が先の選挙で第一党になったとのこと。しかし、マスコミはNDが第一党となっても獲得議席が過半数に達せず、他政党との連立交渉がままならず、来月の再選挙実施が濃厚となった、と報じております。そもそも、ギリシャのNDはいくら選挙に勝ちたいからと申して、財政破綻を招かないよう資金を出して支えてくれる条件として、EUの求めに応じ約束した財政再建策を守らない等と言うこと事態間違っていると申せないでしょうか。

 ところで、日本も民主党の菅どぜうと新旧閣僚達は、財政再建してみせると申して政権を自民党から奪ったのですが財政再建策を何一つとらず、昨年の東京電力福島原発震災被害では菅氏が国論を反原発に誘導しようと、漏れたであろう放射線量を枝野氏やが原子力安全・保安員とつるんでわめきちらし被害を拡大させるやら、朝鮮王朝にまつわる日本の蔵書を持ち出し勝手に韓国に呉れるは、財政再建の役に何一つ立たない消費税増税を言い出すやらで、日本に甚大な損害を生じさせております。菅にしろどぜうや枝前岡などにせよ、心から日本を良くしようとする気がないくせ出世欲ばかり強く、国の厄介者と申してよいのです。この先も、口ばかり達者で実のない管どぜう他新旧閣僚達等に国政をまかせていると、財政再建どころかギリシャ同様よその国の主導で財政再建を図らざるを得なくなってしまうでしょう。そろそろ口が重くした約束をちゃんと果たす政治家により、出来るだけ短期間で財政再建を果たすべきではないのでしょうか。そして、口ばかりやたら達者で何も出来なければしようともしない政治家達をこらしめないといけないと思うのですが。

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2012年05月06日

日本再生東西どちら

 地球温暖化による環境破壊防止を目的に始まった「燃料革命」は、革命と云う言葉が示すように、どの国を中心に進めるべきか中心となる国を選ぶ段階へと突入しております。その動きにつれて、日本でもどの地域を中心に燃料革命の嵐を切り抜けようかと、企業の工場進出地域選びがはじまっているのです。その企業による地域選びの主だった条件は、〜デでの米ソ中への輸送が便利なこと、工場建設用地が取得しやすい事、D禺波公害等のないこと、ちぎを起こし易い人が少ない事、ヅ杜呂琉堕蟠ゝ襪保証されていること、などです。私の見ますところ、候補地は大阪市周辺と宮城県北部と岩手県南部にまたがる地区との一騎打ちになりつつあるのではないかと思うのです。実はどの企業も、「燃料革命」を乗り切る為の工場を新設する最有力候補地域を福島県とする企業が多かったと思うのです。ところが、今回の東京電力福島第一原子力発電所の津波被害に際しての、佐藤福島県知事はじめ福島県民とりわけ女性達の放射能汚染騒ぎを目の当たりにし、有力企業の殆どが計画を取り止めたものと思われるのです。

 ところで、大阪の地は徳川幕府出現により江戸の繁栄とうらはらに昔の賑わいを失い今日に至っているのです。大阪地区にお住いの方々であれば、かっての賑わいをもう一度と思われるものと存じます。大阪地区は町工場も多く、地域の持つ力に比べて企業数が少ない事もあり、今回世界規模で始まった「燃料革命」への対応の為の工場新設地域と企業が選ぶ条件は調っていると思うのです。しかし、橋下大阪市長の原発再稼働に対する態度からみて、企業は電力供給に不安があると工場進出に二の足を踏むことでしょう。ですから、東北電力の青森と女川にある原発再稼働がすんなり進めば、日本企業の殆どが「燃料革命」への対応の為の工場を、宮城県北と岩手県南にまたがる地域、それに加え山形・青森・秋田県に設置することになると思うのです。以上述べた動きは間もなく急ピッチで始まると存じます。日本国民一同、東北電力の青森と女川の原発再稼働へ、東北の方々がどのように対応するか固唾をのんで見守ろうではありませんか。

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2012年05月05日

論語と原発再稼働反対運動

 孔子は子貢(しこう)に師(し)と商(しょう)とでは、どちらがすぐれているでしょうかと尋ねられ、「師は度が過ぎている。商は度が足りない」と答えます。それで、子貢は「といいますと、師のほうがすぐれているわけですね」と申しますと、孔子は「そうではないよ。過ぎたるは及ばざるがごとし、過と不足とはおなじなのだ」、と答えたというのです。東京電力福島第一原子力発電所が津波に襲われてから一年以上たち、原発周辺地域の放射線量も大分減りました。一部マスコミはチェルノブイリ原発事故を例に発癌等の心配があるなどと、原発周辺の地域に暮らす人々はじめ日本国中の人々の不安を煽るような報道を盛んにしております。申すまでもない事ですが、今回の東京電力福島原発の震災による被害は、環境中への放射性物質の放出量がチェルノブイリ事故に比べ小さく、発癌や障害を生ずる量を被爆した人も出ず、そんなに大きいものではありません。ですから、私は今回新たに国が定めた食物に含まれる放射線量の規制値や、東京電力福島原発周辺の避難指定区域なども、ゆるやかなものへと大幅に見直す必要があると思うのです。

 ところで、一部住民が放射線被ばくを心配し過ぎるのは、放射線に対する知識不足のせいと思われるのです。それなのに、私は菅氏や橋下大阪市長でなくとも、原発のある地域や国の主導権を得る為原発再稼働に反対する野心家が多過ぎると思っているのです。放射線被ばくを心配し大騒ぎしている人達の中には、自分達の感じる不安に煽られっぱなしの攻撃性のはけ口として、原発再稼働反対を唱えている人々が大勢いるのです。日本は資源の乏しい国なのです。ですから、既存の原発の稼働を停止し火力による発電に切り替えると、燃料消費の増加で即電気料金を値上げせざるを得なくなるのです。電気料金値上げは直ちに企業の製造コストを押し上げずにはおりません。製造コスト1円上がれば恐らく売価で7円位値上げせざるを得なくなるのです。私は現在原発再稼働などを唱えておられる方の中に、属する小集団の中でリーダーでもないのに成員に指図ばかりすると、仲間に嫌われ小集団を追放され、不安を感じ攻撃性を煽られた人々が大勢混じっていると思っているのです。原発再稼働反対運動は、不安に煽られた攻撃性のはけ口となっているということです。ですから、原発再稼働に反対する方々は、小集団で仲間を支配したいとする行動をとらないようしない限り、原発再稼働を中止させたところで不安の解消にはつながらないのです。私はそろそろ原発再稼働阻止運動を中止した方がよいと思うのですが。さもないと、地域の住民等にとんでもない目にあわされるのではないかと思うのですが。正しく、原発再稼働中止運動は荘子の云う、過ぎたるは及ばざるがごとしということではないのでしょうか。

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2012年05月04日

マジ学園 10教育と日本の将来

 顔回(がんかい)が斉(せい)の国に行ったと聞いて、孔子が心配げなおももちをしたというのです。弟子の子貢(しこう)がそのわけをたずねると、孔子は、むかし管子(かんし)が『袋の小さいものは、大きなものを包むことができない。つるべなわの短いものは、深いところから水をくむことができない』といった。もし、そうだとすると、天命に定まるところがあり、それを受けた身には、それぞれ適応した能力がそなわっていることになる。これは努力によって増減することのできないものである。私が心配なのは、顔回が斉の君主に向かって上古の聖王の道を説き、さらに言葉を引いたりするだろうということだ。斉の君主は、そのような立派な道徳が自分の心のうちにそなわっているかどうかを捜しもとめるだろう。そんなものがあるはずがない。もし求めてなければ、あせりのために心がくらむだろう。相手の心がくらめば、その手にかかって死ぬ危険がある。孔子はそれを心配して顔を曇らせたのだという話が「荘子」に載っているのです。

 ところで、明日は子供の日です。実は私も明日のこどもの日を前に顔を曇らせていることがあるのです。現代の子を持つ親は家庭で、自分の楽しみを最優先に考えたり、また共働きで忙しいせいもあったりし、お子さんが好ましくない態度をとったその時優しく注意しそれでもいうことを聞かない時ちゃんと叱って態度を改めさせたり、お子さんの前で人と共存するために必要な態度をとって見せないばかりか、言葉で教えることもしない方が多いのです。我々は人や自然に優しくすると云った行動を、子供の頃とった記憶を保持する脳の神経網の情報選択移動経路を用いてとっているのです。ですから、幼い頃主に両親に人に優しくしたり動物を可愛がってみせられたり、あるいは優しくそうするよう教えられそれでもいうことを聞かなかつたとき、好ましくない行動を叱って止めさせられていたなら、人と仲良くし動物をいじめたりしない人に育つのです。そして、朝起き人と顔を合せたらお早うと云い、人と和やかに食事をとるなどといった、人と共存して生きる為に必要な行動は、幼児期から小学一年生ぐらいまでの間にとれるようになっていないと、大人になって人と共存して生きて行くことが出来なくなるのです。すなわち、人は幼児期から小学一二年生位の間に人格を持った行動がとれるようになってないと、社会で役立つ人となり得ないということです。それが、両親にせよ教師達にせよ、学校の成績が良い生徒が優秀だと決めつけてしまっているのです。その結果、すると云った財政再建も出来ない民主党の菅どぜう他新旧閣僚達がその地位に就いたり、病気だと偽って金儲けの為健康な人を手術する医者やら、73名もの児童生徒を指示ミスで津波にさらわれ死に至らしめながら言い訳ばかりする教師など、人格のお粗末な人が多過ぎる結果となるのです。この辺を何とかしない限り、日本は侍術革新いちじるしい今日、世界の中の先進国として生き残れないでしょう。この点をみなでよく考えようではありませんか。

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2012年05月03日

荘子と自然への適応

 荘子外篇の中の至楽(しらく)編に、『人がこの世に生きるのは、憂いと同居しながら生きているようなものである。だから長生きするものは、もうろくの状態に陥りながら、いたずらに憂いばかりが長くつづいて、死の安息も得られない。とするならば、長生きということも、やはりわが身のためをはかる道からは遠いものである』、と書かれた件があるのです。その少しあと、『いま世俗の人びとの営みや、その楽しみとしていることは、それがはたして真の楽しみであるのか、真の楽しみでないのか、私にはわからない。世俗の人びとが楽しいとしているところをみると、すべての人がこぞってむらがり、あたかも死地に突入する動物のむれのように、やむにやまれぬ勢いにかりたてられて、楽しみに向かって殺到するかのように見える』、と書かれているのです。真の楽しみは、世の常の人が楽しみとする富貴、長寿、名声などにあるのではなしに、世人が苦痛とする無為にこそある。はからいをすてて自然の運命のままに身をゆだね、喜怒哀楽の情から解放されること、それが最上の楽しみだと云っているのです。

 ところで、私が荘子の外篇に書かれてある言葉を引用した理由は、現代に生きる我々が誰も彼も至楽(しらく)編に書かれてある、富貴、長寿、名声に向かってあたかも死地に突入する動物の群れのように、やむにやまれぬ勢いにかりたてられ走るのを危惧するからなのです。誰だって、貧乏より金があり人に認められないより認められた方がよいのです。即ち楽を求めるということです。楽をしたいとは突き詰めると長生きしたいということになるのです。ところが、人も自然界の生命の一つです。自然は変化と云う物質=エネルギーの流動即ち情報を用いて、我々を育むと同時に消滅させるのです。そんなことで、我々は自然と共に歩まない限り、自然のエネルギー流動から遊離し存在価値を失ってしまうということになるのです。つまり、人間は自然と共に歩まない限り満足を得られないようになっているということなのです。とするなら、満足は自然の一生命である人と仲よくし、体を使い生きる為に自然に働きかけない限り得ることが出来ないということになります。何方もこの簡単なことをちゃんと理解すべきなのです。申さば、勉強でも仕事でも金の儲かる仕事を得る為や出世する為などと云わず、一生懸命与えられた事に努力すればそれで良いということなのです。そうして、私は本当の幸せはそうする以外得られないと皆さんに伝えたかっただけなのです。

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2012年05月02日

教育界・政界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の巣か

 論語に、『子日く、賢をみては、斉(ひとし)からんことを思い、不賢を見ては内にみずから省(かえり)みるなり』、との言葉が見えます。その意味するところは、すぐれた人物を見たなら努力目標にすること、くだらぬ人物にあったなら自己反省の資とすることだ、ということです。『魑魅魍魎(ちみもうりょう)』とは、「いろいろの妖怪変化」あるいは「さまざまなおばけ」のことです。ちなみに、「魍魎(もうりょう)」とは水中の怪物をさす言葉とのこと。『跋扈(ばっこ)』は、「〇廚Δ泙泙砲佞襪泙Δ海函⊃嘆爾権威をほしいままにして君主を犯すこと」です。現代の政界と教育界を見回しますと、嘆かわしくも魑魅魍魎が跋扈するとしか表現しようのない状態と申せましょう。民主主義の君主は国民です。つまり、現代の政治家や教育者は生徒達を含め国民を馬鹿にしているとしかいうことが出来ないと云うのです。

 ところで、教育界を見渡せば文部大臣以下、文科省や各地の教委の役人達、全国の小中高の教師達などはもちろん、大学の教育学の教授や教育学の研究者などまで、生徒達の幸せなどそっちのけにし、朝から晩まで己の出世のことしか考えずに動き回っているありさまです。一方目を政界に転じれば、大臣になることと有権者の関心を集め次の選挙で当選すること以外何も考えない政治家が殆どと申せましょう。確かに、出世のことしか考えない教師達も、子供達のそんな事ばかりしていては人に信頼されなくなる見本としての価値が無いわけでもありません。それにしても、お粗末すぎるのではないでしょうか。また、落選しないよう有権者のご機嫌ばかり窺う一方、民主党の菅どぜう他新旧閣僚達は、大臣になりたいと互いに仲間の足を引っ張ることに夢中で、やることと云ったら国の所蔵になる本をコソコソ持ち出し隣国にくれる事ぐらいで、話にならないと申せます。強いて菅どぜう他新旧閣僚達が役に立つとすれば、こんな人達を当選させると国が駄目になるという見本となることぐらかもしれませんね。とにかく、教師達は出世のことなど考えず子供達とキチンと向き合って授業を進めること、政治家は国が繁栄する為に必要な政策をちゃんと行い、教育学者はなぜ校内暴力やいじめが起きるのかその原因を追求すること、すなわち教師も政治家も教育学研究者も自分のなすべきことをちゃんと行うことが大事だということでしょう。

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2012年05月01日

マジ学園 9誰が為に鐘は鳴らぬ

 昨日、私は「教育の正常化を阻むもの」との題で、文科省指導による各種審議会の有力メンバーが、文科省の役人の上の者と結び付き教育界での地位を強固なものにし、他方文科省の役人の上の者も審議会の有力メンバーの引きにより己の出世を果たすと申しました。この役人と学者のもちつもたれつの関係は、組織運営に波風の経たないようにすることが大事なのです。その為、40年以上前から教育の現場で校内暴力が騒がれており、近頃ではいじめにより自殺する生徒達まででているにもかかわらずその原因さえ追究しようとしないのです。そんなことで、登校拒否や学級崩壊などの原因に付いて何一つ追究されてない有様なのです。私の記憶するところ、教育問題に付いて中途半端で終わりましたが、真正面から向き合ったのは故小渕総理ただ1人だけです。平野氏など相撲の八百長問題に首を突っ込むだけで、いじめや学級崩壊の問題など話題にさえとりあげません。皆さん私はこんなやる気の無い者を文部科学大臣などにしておいてよいのでしょうかと申し上げます。

 それにしても、破綻した国家財政再建を行うと申しながら、財政再建に何の役にも立たぬ消費税増税がどうのこうのと、民主党のどぜうと閣僚達の能力の無さにはほとほとあいそがつきました。菅氏等は昨年の東京電力福島原発被災に際し己の立場も省みず、反原発へと国民を誘導しようと被害を拡大させただけなのです。そして、日本の蔵書をどぜうと共にこそこそ韓国に持ち出してくれ、見返りに韓国の日本大使館前に従軍慰安婦の像を建立してもらったというお粗末さです。こんな者達に日本の財政再建もですが、学校教育の健全化など望むべくもありますまい。それが嘘だと申すのなら、一度平野文部科学大臣の尻を、いじめや校内暴力を絶滅するよう思い切り強く叩いてみることです。恐らく、文学賞を貰えるほど見事な言い訳が返ってくることでしょう。皆さん、教育もですが国家財政再建も口ばかり上手で能力のない、菅どぜう他民主党の閣僚達、財政を破綻させた自公の国会議員等を私に言わさせてもらえば、相手にしている国民の方が悪いと申せましょう。これからの政治家は、口先が上手でなくて結構ですから、云ったことを言い訳せず実行し、財政を破綻させない能力の持ち主でないと務まらないのです。そうして、我々は国家財政の再建も教育の正常化も、言い訳などせず時間をかけずに成功させられる政治家を選び実現するよう働きかけるべきだと思うのですが。

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2012年04月30日

マジ学園 癸原軌蕕寮犠鏖修鯀砲爐發

 皆さんは、私がいじめ等教育現場に生じている問題の解決を阻んでいるのが文部科学省はじめ各地の教委だと申したなら、一体どのように思われるでしょうか。何方もサラリーマンである限り程度の差こそあれ出世を望まない者などおりません。そんなことで、サラリーマンの世界では云わず語らずのうちに、深刻な出世競争が起きないよう出世の順番や誰を出世させるか等を決めてしまう場合が多いのです。文科省には有識者や学者を集め教科書の内容やら教育方針などを話し合う、様々な審議会が設けられております。それで、審議会の主だったメンバーと結び付けることで、出世させようとする者へ役所内での主導権が転がり込むようにするのです。その為には、審議会で指導的役割を演じているメンバーが変わらないようにする必要があるのです。大体審議会で主導的役割を演じている学者は、研究で第一線から退いた方々が多いのです。といったことで、文科省主導の審議会の殆どは、主導的役割を演じる学者が入れ替わらないよう旧態依然の考え方しか採らないようになっているのです。ですから、文科省とそのお茶坊主的役割を担う各地の教委など、30年以上前から始まっている校内暴力にせよいじめや学級崩壊の原因に付いて、はなから研究する気などないのです。そして、様々な審議会の主だったメンバーの尻を叩いて、教育に付いての新しい研究を潰して来たと云えるのです。さらに、教育に付いて新しい研究を行う大学に付いて助成金を減額するなどと、云わず語らず脅すことでその研究を潰しても来たのです。文科省の役人と各種審議会の主だったメンバーは、口では子供達の幸せの為にと云いながら、裏では自分達の出世と身の安泰しか考えずに来たのです。

 ここまでお話すれば、何方でも文科省と文科省傘下の各種審議会の主だったメンバーの教育学者を放り出さない限り、大勢の生徒達が学園の内外でとるいじめ等様々な犯罪を撲滅できないことが良くお解りになると思うのです。もし私の云っていることを確かめたいと思うのなら、いじめや校内暴力の発生原因に付いて平野文部科学大臣を叩いてみるとよく解ると思います。私は申したくはないのですが、こんな役所と役人達や大臣のいる文科省や各地の教委など役所ごと即刻リストラすべきだと思うのです。幸いマニフェストを用いての選挙戦になって以来、地方中央に関係なく財政を破綻させる政治家は不要との考えが浮上してきております。そんなことで、文科省及び各地の教委不要論は、人の為に役立ちたいと心から念じる政治家に歓迎される事間違いないのです。そろそろ、教育の正常化に向け国民一同起ちあがるべき時ではないのでしょうか。

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2012年04月29日

マジ学園 癸型佑反佑魴襪屬發

 学園の内外で大勢の生徒達がいじめも含め反社会的行動をとる原因の追求がままならない理由は、情報つまり自然の物質=エネルギーの流動を基に人が適応行動をとる仕組みが明らかになっていないところにあるのです。科学が発達した今日でも、我々は情報を自然の物質=エネルギーの流動と捉えておりません。情報は皆さんよくご存じの通り、文字や絵や熱等が光、人の声などが音波、それから大気の流れや重力波等、流動する物質=エネルギーの流動からなり、体内の器官や組織での化学反応の結果生じた熱なども物質=エネルギーの流動からなっているのです。そして、情報は他人の体臭や体温を感じられるところから見ても、人から人へと伝わるつまり人の間を行き来しているのです。現在、学園は競争心を煽り生徒達のとる試験の点数を上げ出世したいとする、大勢の教師達の詰め込み授業のせいで、生徒達の小集団が破壊されいじめや校内暴力事件など様々な問題が起きております。このような問題は、生徒同士が変化に出来るだけ不安を感じず適応できるよう互いの間で交換している情報が途絶えることにより、不安を感じ攻撃性を煽られ起きたと云えるのです。特に小集団のリーダーと仲間に暗黙のうち選ばれ、成員同士の情報交換の仲介をしている小集団のリーダーには、自分が仲介し仲間同士をつないでいる情報交換が上手く行かないことが実感できるのです。しかし、現代の科学が人と人とがエネルギー=物質の流動、すなわち情報によって結ばれていると云ってない事もあり、生徒達のリーダーは教師の出世競争による詰め込み授業で、生徒同士をつなぐ情報が途絶え、生徒達が不安を感じ攻撃性を煽られて問題を起こしていると、教師はじめ関係者に文句を言うことすら叶わないのです。

 上に述べた説明の通り、現代の哲学はじめ科学全般は情報を自然の変化つまり物質=エネルギーの流動と捉え、人の行動を自然とエネルギー交換を行う活動と定義すべきでしょう。つまり、私達の行動を自然の一生命である人も含めて自然と、情報つまりエネルギー=物質の流動を交換し不安を感じず変化に適応するための活動と定義し直すべきだと云うのです。このように定義しますと、まず感情も意識もフロイトの云う無意識も、全て記憶の働きとなります。そして、情報は感覚器から神経を経て脳に伝わり、脳内で過去似たような情報を選択移動した記憶を保持する経路で、過去同様の器官や組織へ伝達され、そこでとられている化学反応を制御し変化への適応行動をとり、それで生じた変化をまた脳へと伝え・・・と云う具合に過去似た記憶を選択移動した経路へ受け取った情報をどの様に導くのかなど判らないながら、すっきりと説明することが可能となるのです。大勢の生徒達がなぜ学園の内外で反社会的行動をとるのかの原因追及は、上で述べた考えを基に分析しない限り究明不可能です。私は学園の問題解決が、恐らく自分と共著者とで以上の考えを基に纏めた論文の是非を巡る論争により前進すると思っているのですが。

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2012年04月28日

マジ学園 癸胸拉曚罰惺散軌

 国語辞典で『支配』を引きますと、ある辞典には「ある者が自分の意志・命令で相手の行為やあり方を規定・束縛すること」、また別の辞典には「‐紊卜ってさしずや取りしまりをすること。∩澗里鬚さえ、おさめること」などと説明してあります。しかし、この説明では、他国の民や自国の民を己の権力維持のため軍隊を用いて抑えこむ独裁者の行為や、自分の幸せの為下の者に好ましくないと感じる働きをとるよう強いる、一部の国の指導者や企業の経営者などの行いをきちんと説明することができません。そこで、私は『支配』を、「人の変化へ適応する自由を束縛すること」と定義し用いているのです。この説明は、情報を変化即ち物質=エネルギーの流動と捉え、人の行動は変化に適応し生きる為の活動と考えることにより可能となるのです。このように定義しますと、アインシュタインの等価原理を持ち出すまでもなく、情報即ちエネルギー=物質の流動は人と人との間で交換されることになり、さらに、目から入った光ないしエネルギーあるいは物質が、脳の情報選択移動路を経て体内の組織や器官へと伝わり、そこでととられている化学反応を制御し変化に適応するよう人を動かし、その結果組織や器官に生じた変化が脳を伝わり、その変化に適応する行動のとれるよう、体内の組織や器官へと選択移動されるということになるのです。人はこの変化に適応する行動を抑えられると、体内の組織や器官での科学反応を変化に適応するよう制御出来なくなり、生きて行けないと云う不安を感じ体を活発に動かし事態を改善出来るよう攻撃性が強まるのです。支配は人の変化への適応の自由を束縛することにより、関心を向けさせ支配者が楽を得る為被支配者から情報を奪い、奪った情報を再配分する立場に立つことなのです。例えば、隣国の王が武力を用いて自分達の幸せの為に使える地下資源等を奪うのも、隣国の民の行動の自由を奪い己が楽を得たいと情報に加え地下資源まで被支配者から奪う為にとる支配ということになるのです。

 片や、社会は企業でも学校でも、社員や生徒達の行動を定時に出社登校せよなどと様々規制します。規制も人の変化に適応する自由を抑えることですから支配と申せば支配と云えないこともないのです。しかし、社会と云う集団を成り立たす為、上で述べた規制は必要なことなのです。そんなことで、私達は社会を成り立たせるために必要な規制をうけても不安を感じないで済むよう、あらかじめ教えられている必要があるのです。その必要な行動は、両親に幼児期から小学一年生ぐらいまで暮らす間に、とって見せられたり言葉で優しく教えられてないととれなくなるのです。私の見たところ、現代小中高いずれの教師達もその集団を成り立たすための必要行動を知らない人が多いのです。その結果、生徒達を正しく指導することが出来ず、なにかあると自分が好ましいと思わない行動をとらないよう前後の見境なしに生徒達に強制する、つまり生徒支配を行うというのです。私が文科省はじめ各地の教育委員会は一体何をしているのかと、疑問に思うのはここら辺りのことなのです。

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2012年04月27日

小沢氏の無罪と日本の将来

 小沢一郎民主党元代表の無罪判決から一日が過ぎました。そして、民主党の菅はじめ枝野前原岡田等の閣僚達がなぜ小沢一郎元民主党代表の政治と金がどうのこうのと騒ぐのかと、その理由を考えますと、破綻した国の財政を建て直す力の無いのを隠す為ということにつきましょう。自民党の先生方もこの民主党の先生方の動きを側面から支援しております。自民党の先生方は小沢一郎氏を支え役に、正確に申せば小沢氏を支持する岩手県の人々を支え役に表舞台に立っているものですから、小沢氏が表舞台に回ると自分達が裏方に回らざるを得なくなるせいと申せます。片や、岩手県はじめ東北地方の皆さんは、東北電力が水力発電の比率が大きく、今問題になっている原発への依存度が低い上に、低周波問題などが起きておらず、発展期に突入しあこともあり小沢さんを頭に表舞台に回ろう動き始めたのです。ですから、小沢さんの政治と金の問題は、菅どぜう他新旧閣僚達の無能と、自公の先生方の凋落、東北地方の経済発展という三つの力によりはじまったと申してよいのです。昨年、東北地方沿岸の港町は津波で壊滅的被害を受けました。しかし、被災した港町は水産加工関連設備を根こそぎ破壊されたこともあって、最新設備の導入が進み一段落した後大幅な競争力アップが実現し、依然と比較にならないほどの繁栄が期待できるのです。

 現在、日本企業は東南アジアの国々と比較して人件費が高いことや、地球規模で進む温暖化へ先進国としての対策を迫られ、凄まじい勢いで変貌せざるを得なくなっております。大阪の橋下市長など大阪を元気にするなどと申しながら、原発依存度の高い関西電力の大阪市が大株主であるにもかかわらず、電力不足と電力料金値上げにつながる原発再稼働にグズをこねるなど、私から見ると菅どぜうと新旧閣僚達同様少々青さが目立ちます。日本企業は待ったなしに、国が財政再建と燃料革命への正しい取り組みを進めない限り、世界の企業として残れなくなるでしょう。そうならない為には、国民が裏方に回された菅どぜう他民主党の新旧閣僚達や、自公はじめその他野党の政治家の口車に乗せられて騒がず、逆に口ばっかり達者な政治家を表舞台から引きずりおろし、さらに、裏方に回っていて不安に耐えきれず原発再稼働がどうのこうのと喚く人達の動きにつられないようにしないといけないのです。太陽光発電も結構ですが、最終的に電力料金値上げにつながるようでは日本の将来が駄目になります。それと、現在の放射線規制値はもう少しゆるめてよいでしょう。避難区域解除ももう少し広げてよいのです。放射線への警戒心も行きすぎますと、脳の情報処理を狂わせかえって健康被害を招く結果となるのです。兎にも角に、小沢氏の政治と金の問題は、我々に問題が生じた際もう少し思慮深い対応をとるべきだと教えていると受け取るべきでしょう。

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2012年04月26日

卑劣な政治家達一掃運動開始

 荘子に、『道をさとったものは、必ず万物にそなわる理に通ずるものである。理に通ずるものは、また必ず権(けん)━ 物の変化に応ずる臨機応変の処置にも明るくなる。臨機応変の処置に明るいものは、外物のために自己をそこなわれることがない』、との記述があります。荘子はこの件で、人為をすてて自然に従えと強く主張しながらも、反面では、人為の世界への妥協、すなわち、正道に対する言葉であり現実に対処するための方便である「権」を説いている、と申されております。

 さて、今日正午小沢一郎元民主党党首が裁判所から無罪判決を言い渡されました。となると、菅以下野田どぜう、前原、枝野他民主党の新旧閣僚達や、自公の議員達は、一体なぜ罪もない小沢元民主党代表が罪を犯しているよう国政の場で騒ぎまくったのでしょうか。皆さんもそう思われるでしょうが、申すまでもなしに大臣を務める能力もないくせに、大臣の椅子に座りたかったからという、みっともない理由のせいと申す以外ありますまい。荘子でありませんが、菅以下野田どぜう他新旧閣僚達がもし道をさとっていたなら、荘子でなくとも万物にそなわる理に通じ、巷の無責任な輩の云う小沢氏に対する中傷誹謗などにのせられなかったことでしょう。その意味でも、私は皆さんに菅以下野田どぜうはじめ新旧閣僚達や、自民党の先生方を国政の場にこのまま放置しておくことは日本の将来にとって大きいマイナスになるのではないかと申し上げたいのです。それから、罪もない小沢氏を裁判の場に引っ張り出した民間人の方々も、国家権力を利用し罪もない小沢氏を罪人に仕立て上げようとした卑劣さからみて、日本国民としてそのままにしておくことなど出来ますまい。私はこんな道もさとれない者達に国会議員の肩書を与えておくなど、国民がよくないと思います。それから、小沢氏を検察審議会にかけるよう画策した方々も、これから先日本を下から支える力として、菅氏や野田どぜう先生他新旧閣僚達や、自公の先生方と共に大いに踏ん張って欲しいと思うのです。それにしても、我々国民は税と福祉の一体改革などとわけの解らないことを考えず、国家公務員の天下り禁止と天下り先機関の全廃、各省庁のリストラ、無駄な工事の全廃により、一刻も早く破綻した国家財政を再建する方向へと力強く踏み出そうではありませんか。

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2012年04月25日

マジ学園 5いじめの真実

 昨日、私は「マジ学園 癸干惺擦鯒鵬する教師達」で、教師の出世争いにより生徒達の小集団が崩壊し、学園の秩序が保てなくなることに付いて述べました。ところで、生徒達の小集団が競争心を煽り出世競争に勝とうとする教師達の詰め込み授業によつて破壊されると、生徒達に選ばれ仲間の情報交換の仲介をするリーダーは俺を駕籠に乗る者に選べと自分をリーダに選んだ生徒達に嫌がらせを受け、己の役割を放棄してしまうと申しました。人間は生徒達に限らず何方も、生きて行く間に様々な事情で人の力に頼らないとならない時があるものなのです。小集団のリーダーは仲間のもたらす情報を、人の力に頼らないとならない生徒達が学校に通い続けられなくならないよう配分する役目も担っているのです。そんなことで、仲間の力に頼って学校に通っている生徒達は、リーダーが自分の役目を放棄すると、小集団が変化に不安を出来るだけ感じず適応するためにつくられるものである以上、不安でいたたまれなくなるのです。しからばと申して、小集団のリーダーだった生徒も仲間同士の争いで成員からの情報が途絶え、不安を煽られっぱなしとなり、身動きがとれない状態に陥っているのです。

 さて、クラスや学園にこのような問題が持ち上がると、仲間の力を頼らないと勉強を続けられない生徒達は、自然に集まり以前リーダーだった生徒、あるいはクラスの誰もと争うことのない、申さばクラスの誰にも憎しみを抱かれない生徒を1人選び集団化しようとし始めるのです。仲間の誰にも憎しみを抱かれないとは、仲間にリーダーと選ばれなくとも、どの仲間からも少しずつ情報を得ることが可能だということなのです。しかし、仲間に嫌われないからと言って、人を頼る以外学校に通い続けることが難しい生徒達にいくら仲良くしようと云われても、弱い生徒達をまとめて面倒見たのでは、自分が傍によるだけで友達に不安を感じさせるようになることもあり、その要求を呑むわけにまいりません。それで、人の援助を必要とする生徒達は、憎しみを買うことで仲間に嫌われてない生徒と情報交換し学業を続けようと図るのです。それがいじめなのです。その結果自殺者が出たりすると、教師達は出世どころでなくなり出世競争の熱が一時的に低下し、生徒達はそれをしおに中途半端な小集団を形成し卒業するのです。学校の社会での役割は、自然を追求する努力の中で生徒達を集団化させ、生きる力を育むと同時に社会を成り立たす為の骨格を形成する場と申せるのです。そんなことで、自分達の出世競争の為に生徒達の小集団を破壊する教師達を教育の場で野放しにしていることは、文科省や各地の教委、はては教育学の研究者等の落ち度であり許される事ではないのです。この問題はさらに、いじめで自殺した生徒の父兄へのいじめを行った生徒達の父兄からの賠償金支払い額、友達をいじめで自殺させた生徒達へどの程度の刑を科すべきかの問題へと発展せずにはおらないのです。それにしても、教育界の方々のいじめ等に対する杜撰な対応にはただ呆れるばかりと申せましょう。

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