2012年01月30日
婚活、就活のパワースポット
就活〔就職活動〕と言って学生のうちから卒業後に良い会社に就職出来る様に希望する職種業界や会社見学を行い面接を受けるのが就活と云うらしい、更に婚活と言って、将来、安定した結婚生活を過ごせる様に良き伴侶を探す活動〔行動〕を婚活と云うらしい、某スポーツ新聞の芸能欄に、森進一の元夫人の森昌子〔53〕が1月14日にソニックシティホール〔埼玉/大宮〕でコンサートにゲスト出演をして東京管弦楽団の演奏により30年ぶりにフル演奏をバックに「越冬つばめ」などを歌ったが、終わった後の記者会見で、今年の抱負を聞かれると「電撃〇〇・・・・」とした上で「今は好きな人はいないです、でも前向きに、今年は良い報告が出来る様に頑張りたい」と話をしたそうだ。先ほどまで、今年届いた年賀状を整理していたら、何年か前まで某県の東京事務所で働いて、現在は故郷の地方都市で働く〇〇さんから年賀状が来ていた「昨年は婚活に力を注ぎ、沈没しました。今年は独りでも生きて行ける様に、もっと強くなりたいと思います〔笑い〕」の年賀状を頂きました。
話によると去年3月11日東日本大震災の前には、婚活なんてしなくても、私が電話をかければ男の5人や10人が手を差し伸べてくれると自負していた自称「女王様」が震災当日に電話をしても「慰めの声すらかけてくれる男性が無くて、やっぱり、傍にいてくれる男性が欲しい」と結婚相談所〔ブライダルセンター〕等を訪ねる人は前年比150%増しと云う。
一昨年〔平成22年〕に、とうきょう案内人の緒方正夫、佐藤直樹両氏と千代田区にある「東京大神宮」を下見で訪れた、JR中央線、飯田橋駅から徒歩5分の目白通りから100弾った所にある神社で、日本で最初に神前結婚式を執り行った神社で、三重県の伊勢神宮分霊を祀り、東京のお伊勢様と呼ばれている、縁結びに所縁の深い神社で、神社の鳥居前から恋愛成就を願う若い女性が押し寄せている。ここに祀られている神様〔御祭神〕が天照皇大神〔伊勢神宮内宮祭神〕、豊受大神〔伊勢神宮外宮祭神〕、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神〔造化三神〕、倭比賣命〔天照皇大神に仕えた神〕が祭神だ!特に注目するのが高御産巣日神、神産巣日神で男女の「結び」の神で、ご利益のある神社として、恋愛成就率80%との噂が口コミで広がり平日の昼頃なのに女性の参拝者も多く、行列の中には母親同伴や同姓の友達と参拝する女性も多かった。まさに婚活の聖地かもしれない。何しろ女性ばかりの神社に、中年のおじさん達が3人訪れているのだから回りの視線が痛い位であった。今年から東京大神宮では縁結びや厄除開運、心願成就のお守りの他に「恋愛成就 幸せ鍵守り」「結守り」も販売、絵馬も恋愛成就に関する絵馬が多い。
江戸時代に庶民の間では「御伊勢詣」が流行した、一生一度は伊勢詣でがしたいと願っていた、現在なら東海道新幹線で名古屋まで1時間30分、近鉄特急で1時間20分、東京駅からは日帰りで伊勢詣で可能だが、昔は片道12泊13日の行程だが、悪天候で川止めにかかると片道20日、往復40日もかかり、病気や事故で命を失う旅人も出る、路銀〔旅行費用〕を使い切ったり、盗難に遭ったりする事もあり今の様に手頃に伊勢参りは出来なかった。
江戸時代が終わり、明治時代に入り、東京日比谷に伊勢神宮分霊「日比谷大神宮」が伊勢神宮遥拝殿として造営された、しかし、大正12年9月1日発生した関東大震災で被災して、現在の場所に移転し、日比谷大神宮を改め「東京大神宮」にした。こうして伊勢神宮に行かなくても東京に別宮〔別院・分院〕が出来たので、ここに参拝をすれば伊勢神宮に御参りをしたことになる訳だ。
同じ様に女性の参拝者が多いのが浅草寺から徒歩10分の場所にある今戸神社です。この神社は招き猫発祥の神社と云われている〔他に東京世田谷区の豪徳寺説や同じく新宿区の自性院説や京都市伏見稲荷説があるが、どれも定かではない〕、招き猫は16世紀から今戸の地で焼かれていた、今戸焼が始まりと云う、伝承では幕末、浅草に住む老婆が貧しさゆえ愛猫を手放したところ、その猫が老婆の夢枕に立ち「自分の姿を人形にしたら福徳が授かる」と話して消えたという、老婆は横向きで片手を挙げた猫の姿の人形を作り、浅草寺の参道で売り出したところ評判となり作っては売れて浅草今戸の名産品となった、これが招き猫の始まりだそうだ、今戸神社の拝殿では二体の招き猫が迎えてくれる、ペアの招き猫の絵馬、お守り袋もペア、神社の御利益も良縁を願う女性が多く、縁起物のペアの招き猫〔今戸焼〕は二体で販売をしているが、この招き猫を作る今戸焼の職人さんが2人しかいない為に入荷待ち状態にある〔買えればラッキー〕以前、限定頒布を予告したところ、明け方の午前4時から行列が出来て午前9時の頒布時間に来た人まで行渡らなかった為に、現在は頒布日を予告していない。ここの神官が若い女性で「良い御縁があります様に」と御守りや絵馬を販売してくれる、しかし、境内に行くと判るがカップルは少なく、女性二人の参拝者が目立ち、小生らが行った時も拝殿の前は参拝の女性が列を作っていた。招き猫は前足を挙げているが右手を挙げている猫は金運を招き、左手を挙げている猫は客〔人〕を呼ぶと云われている、水商売の店に飾られているのが左手を挙げている、一般家庭では右手を挙げているが両手を挙げている猫もいるが金運と客〔人〕を呼ぶと云う事かと思ったら、欲張り過ぎると「お手上げ万歳」なるのが落ちで嫌う人もいる。最近では色によって青色の猫は学業向上、交通安全、ピンクの猫は恋愛成就、黒い猫は「夜でも目が見える猫」として魔よけ、厄除け、赤い猫は疱瘡・麻疹が嫌う色から病除けの意味があると言うが、小生が見た限り白や黒猫はあるがピンクの猫やら青い猫はあまり見ないが、先日中国を旅行した人から聞いた話だが金色で千両小判を持っている招き猫を見たとの報告を受けた、この招き猫は中国製?と聞くと日本に行った時に浅草寺の境内で買ったとの話です、招き猫が外国にも送られて〔輸出〕いるらしい、アメリカに輸出されている招き猫は手の方向が日本と逆で手の甲にあたる部分を前に向けている、これは手招きをする仕草が日本と逆であり、日本と同じ招き方をすると英語圏では「失せろ」と云う意味になる。日本における「しっしっ」と動物を追い払う行為と云うことになるからだ。
さて、今戸神社のある浅草といえば、やっぱり「浅草寺」の話をしましょう、その浅草寺にも良縁のパワースポットがあることは意外に知られていない。浅草寺の宝蔵門〔旧仁王門〕の南東〔手前右側〕にある御堂が「久米平内堂」と云う、この御堂が良縁のパワースポットである、だが久米平内と云う男は「辻斬り平内」と呼ばれるほどの悪人〔浪人〕だった、ある時に浅草寺の住職に悟らされ、自らの罪を悔い、禅の道に進み、自分の犯し斬った人の供養の為に座禅の行に励み、更に自分に似せた座禅の石像を彫って、この像を人通りの多い仁王門の下に埋めて、多くの人に踏みつけさせて滅罪の供養をした、この石像を奉る御堂だが、さて、この御堂が、何故縁結びになるのか。実は「踏み付け」が「文付け」に転じて何通もラブレター〔恋文〕が相手に届き、良縁が授かる事から縁結びの神様として庶民の信仰を集める様になったとか・・・・・こうなるとあまり知られていない寺院の由来も調べたくなる。
婚活のパワースポットでブログの半分以上を埋めてしまったが就活のパワースポットも書いておきたい。浅草、浅草寺に隣接して浅草神社がある、そう、三社祭りの神社の裏に被官稲荷がある、火消しの新門辰五郎が勧請した稲荷大明神だが、江戸っ子は「ひ」と「し」を区別出来ないことから被官(ひかん)が仕官(しかん)になった、大名に抱えられ、屋敷に勤める事を「仕官」と呼び浪人は何とか仕官して安定した生活を夢見て、この稲荷に御参りをしたと云われています。
中央区日本橋堀留町1-6-11にあるのが出世稲荷神社、祭神は宇迦之御魂大神(伏見稲荷大社)で、こちらの起源は、元和三年(1617)のこと。北条家の浪人・庄司甚右衛など数名が仮屋敷内に、京都伏見稲荷より祭神を勧請し、守護神としてお祀りしたそうです。これに初代市川団十郎が日参して、出世したことから名があがり、以来、商家・芸能、なんたらと、やはりこの信仰者が数多く出世したそうで、この「出世稲荷」の名前がつきました。振袖火事(1657)、安政大地震(1854)、明治の大火(1873)、関東大震災(1923)、そして先の大戦まで本尊は災禍を免れたそうです。ただ関東大震災で、社殿は焼失し、ご近所の椙森神社の拝殿の取毀資材を再生し、昭和六年(1931)に落成したものがこの社殿です。又旧岩代町(後に堀留町に合併)にあった、岩代稲荷神社も合祀しおり、就活のパワースポットとして訪れる人もいるらしいが、マンションの1階の奥にありますので目立たないし、社殿〔祠〕を探すのも大変ですので、覚悟の上、参拝に行って下さい、尚出世稲荷は、もう1箇所、文京区本郷1丁目33番地17号にもある、祭神は中央区日本橋の出世稲荷神社と同じく宇迦之御魂大神(伏見稲荷大社)である、境内に掲示されている由緒書によると「この辺り、昔は春日局宅地なり、春日局 出世ありしゆえ、当社の神徳を崇め、出世稲荷と尊ぶなり」、春日局は本名を「ふく」、父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である、戦いに敗れ、逆賊の家族として苦しい生活をしたが、徳川三代将軍家光の乳母となり、江戸城内大奥で大きな力を持つに至った、神社の辺りに将軍から土地を拝領して町屋を作った、「御符内備考」によれば、神社の土地は拝領地28坪、外に27坪の借地とある、享保2年焼失をしたので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り奉ったとある。他に就活のパワースポットとしてお勧めするのが、千代田区に神田明神がある、祭神は江戸〔東京〕の総鎮守〔守護神〕平将門、最近、この神社をお参りする人が多くなっている、特に大手町、神田、秋葉原などIT関連企業の社員が多いと聞く、首都東京を守る神様だけから・・・・と云う訳か、神社にも「情報安全守護」のお守りを頒布しているし、神田明神と名前の入った名刺入れも頒布している。
芸能浅間神社〔東京都新宿区 花園神社内〕 新宿の総鎮守である花園神社境内にある、その名の通り芸能関係者や俳優・歌手・落語家など信仰が厚い、隣接して歌舞伎町、ゴールデン街がありゲイ関係者や作家や役者も訪れる、芸能界などに就職を希望している方の神社である、境内には、宇多田ヒカルの母親、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑がある他、佐野史郎、由美かおる、八代亜紀、中条きよし等の玉垣がある、祭神は木花之佐久夜毘売です。
まぁ〜、婚活するにも、就活をするにせよ、最初から神頼みは頂けない、まずは自分の努力が必要であると・・・・・・・旅人は思う。
話によると去年3月11日東日本大震災の前には、婚活なんてしなくても、私が電話をかければ男の5人や10人が手を差し伸べてくれると自負していた自称「女王様」が震災当日に電話をしても「慰めの声すらかけてくれる男性が無くて、やっぱり、傍にいてくれる男性が欲しい」と結婚相談所〔ブライダルセンター〕等を訪ねる人は前年比150%増しと云う。
一昨年〔平成22年〕に、とうきょう案内人の緒方正夫、佐藤直樹両氏と千代田区にある「東京大神宮」を下見で訪れた、JR中央線、飯田橋駅から徒歩5分の目白通りから100弾った所にある神社で、日本で最初に神前結婚式を執り行った神社で、三重県の伊勢神宮分霊を祀り、東京のお伊勢様と呼ばれている、縁結びに所縁の深い神社で、神社の鳥居前から恋愛成就を願う若い女性が押し寄せている。ここに祀られている神様〔御祭神〕が天照皇大神〔伊勢神宮内宮祭神〕、豊受大神〔伊勢神宮外宮祭神〕、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神〔造化三神〕、倭比賣命〔天照皇大神に仕えた神〕が祭神だ!特に注目するのが高御産巣日神、神産巣日神で男女の「結び」の神で、ご利益のある神社として、恋愛成就率80%との噂が口コミで広がり平日の昼頃なのに女性の参拝者も多く、行列の中には母親同伴や同姓の友達と参拝する女性も多かった。まさに婚活の聖地かもしれない。何しろ女性ばかりの神社に、中年のおじさん達が3人訪れているのだから回りの視線が痛い位であった。今年から東京大神宮では縁結びや厄除開運、心願成就のお守りの他に「恋愛成就 幸せ鍵守り」「結守り」も販売、絵馬も恋愛成就に関する絵馬が多い。
江戸時代に庶民の間では「御伊勢詣」が流行した、一生一度は伊勢詣でがしたいと願っていた、現在なら東海道新幹線で名古屋まで1時間30分、近鉄特急で1時間20分、東京駅からは日帰りで伊勢詣で可能だが、昔は片道12泊13日の行程だが、悪天候で川止めにかかると片道20日、往復40日もかかり、病気や事故で命を失う旅人も出る、路銀〔旅行費用〕を使い切ったり、盗難に遭ったりする事もあり今の様に手頃に伊勢参りは出来なかった。
江戸時代が終わり、明治時代に入り、東京日比谷に伊勢神宮分霊「日比谷大神宮」が伊勢神宮遥拝殿として造営された、しかし、大正12年9月1日発生した関東大震災で被災して、現在の場所に移転し、日比谷大神宮を改め「東京大神宮」にした。こうして伊勢神宮に行かなくても東京に別宮〔別院・分院〕が出来たので、ここに参拝をすれば伊勢神宮に御参りをしたことになる訳だ。
同じ様に女性の参拝者が多いのが浅草寺から徒歩10分の場所にある今戸神社です。この神社は招き猫発祥の神社と云われている〔他に東京世田谷区の豪徳寺説や同じく新宿区の自性院説や京都市伏見稲荷説があるが、どれも定かではない〕、招き猫は16世紀から今戸の地で焼かれていた、今戸焼が始まりと云う、伝承では幕末、浅草に住む老婆が貧しさゆえ愛猫を手放したところ、その猫が老婆の夢枕に立ち「自分の姿を人形にしたら福徳が授かる」と話して消えたという、老婆は横向きで片手を挙げた猫の姿の人形を作り、浅草寺の参道で売り出したところ評判となり作っては売れて浅草今戸の名産品となった、これが招き猫の始まりだそうだ、今戸神社の拝殿では二体の招き猫が迎えてくれる、ペアの招き猫の絵馬、お守り袋もペア、神社の御利益も良縁を願う女性が多く、縁起物のペアの招き猫〔今戸焼〕は二体で販売をしているが、この招き猫を作る今戸焼の職人さんが2人しかいない為に入荷待ち状態にある〔買えればラッキー〕以前、限定頒布を予告したところ、明け方の午前4時から行列が出来て午前9時の頒布時間に来た人まで行渡らなかった為に、現在は頒布日を予告していない。ここの神官が若い女性で「良い御縁があります様に」と御守りや絵馬を販売してくれる、しかし、境内に行くと判るがカップルは少なく、女性二人の参拝者が目立ち、小生らが行った時も拝殿の前は参拝の女性が列を作っていた。招き猫は前足を挙げているが右手を挙げている猫は金運を招き、左手を挙げている猫は客〔人〕を呼ぶと云われている、水商売の店に飾られているのが左手を挙げている、一般家庭では右手を挙げているが両手を挙げている猫もいるが金運と客〔人〕を呼ぶと云う事かと思ったら、欲張り過ぎると「お手上げ万歳」なるのが落ちで嫌う人もいる。最近では色によって青色の猫は学業向上、交通安全、ピンクの猫は恋愛成就、黒い猫は「夜でも目が見える猫」として魔よけ、厄除け、赤い猫は疱瘡・麻疹が嫌う色から病除けの意味があると言うが、小生が見た限り白や黒猫はあるがピンクの猫やら青い猫はあまり見ないが、先日中国を旅行した人から聞いた話だが金色で千両小判を持っている招き猫を見たとの報告を受けた、この招き猫は中国製?と聞くと日本に行った時に浅草寺の境内で買ったとの話です、招き猫が外国にも送られて〔輸出〕いるらしい、アメリカに輸出されている招き猫は手の方向が日本と逆で手の甲にあたる部分を前に向けている、これは手招きをする仕草が日本と逆であり、日本と同じ招き方をすると英語圏では「失せろ」と云う意味になる。日本における「しっしっ」と動物を追い払う行為と云うことになるからだ。
さて、今戸神社のある浅草といえば、やっぱり「浅草寺」の話をしましょう、その浅草寺にも良縁のパワースポットがあることは意外に知られていない。浅草寺の宝蔵門〔旧仁王門〕の南東〔手前右側〕にある御堂が「久米平内堂」と云う、この御堂が良縁のパワースポットである、だが久米平内と云う男は「辻斬り平内」と呼ばれるほどの悪人〔浪人〕だった、ある時に浅草寺の住職に悟らされ、自らの罪を悔い、禅の道に進み、自分の犯し斬った人の供養の為に座禅の行に励み、更に自分に似せた座禅の石像を彫って、この像を人通りの多い仁王門の下に埋めて、多くの人に踏みつけさせて滅罪の供養をした、この石像を奉る御堂だが、さて、この御堂が、何故縁結びになるのか。実は「踏み付け」が「文付け」に転じて何通もラブレター〔恋文〕が相手に届き、良縁が授かる事から縁結びの神様として庶民の信仰を集める様になったとか・・・・・こうなるとあまり知られていない寺院の由来も調べたくなる。
婚活のパワースポットでブログの半分以上を埋めてしまったが就活のパワースポットも書いておきたい。浅草、浅草寺に隣接して浅草神社がある、そう、三社祭りの神社の裏に被官稲荷がある、火消しの新門辰五郎が勧請した稲荷大明神だが、江戸っ子は「ひ」と「し」を区別出来ないことから被官(ひかん)が仕官(しかん)になった、大名に抱えられ、屋敷に勤める事を「仕官」と呼び浪人は何とか仕官して安定した生活を夢見て、この稲荷に御参りをしたと云われています。
中央区日本橋堀留町1-6-11にあるのが出世稲荷神社、祭神は宇迦之御魂大神(伏見稲荷大社)で、こちらの起源は、元和三年(1617)のこと。北条家の浪人・庄司甚右衛など数名が仮屋敷内に、京都伏見稲荷より祭神を勧請し、守護神としてお祀りしたそうです。これに初代市川団十郎が日参して、出世したことから名があがり、以来、商家・芸能、なんたらと、やはりこの信仰者が数多く出世したそうで、この「出世稲荷」の名前がつきました。振袖火事(1657)、安政大地震(1854)、明治の大火(1873)、関東大震災(1923)、そして先の大戦まで本尊は災禍を免れたそうです。ただ関東大震災で、社殿は焼失し、ご近所の椙森神社の拝殿の取毀資材を再生し、昭和六年(1931)に落成したものがこの社殿です。又旧岩代町(後に堀留町に合併)にあった、岩代稲荷神社も合祀しおり、就活のパワースポットとして訪れる人もいるらしいが、マンションの1階の奥にありますので目立たないし、社殿〔祠〕を探すのも大変ですので、覚悟の上、参拝に行って下さい、尚出世稲荷は、もう1箇所、文京区本郷1丁目33番地17号にもある、祭神は中央区日本橋の出世稲荷神社と同じく宇迦之御魂大神(伏見稲荷大社)である、境内に掲示されている由緒書によると「この辺り、昔は春日局宅地なり、春日局 出世ありしゆえ、当社の神徳を崇め、出世稲荷と尊ぶなり」、春日局は本名を「ふく」、父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である、戦いに敗れ、逆賊の家族として苦しい生活をしたが、徳川三代将軍家光の乳母となり、江戸城内大奥で大きな力を持つに至った、神社の辺りに将軍から土地を拝領して町屋を作った、「御符内備考」によれば、神社の土地は拝領地28坪、外に27坪の借地とある、享保2年焼失をしたので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り奉ったとある。他に就活のパワースポットとしてお勧めするのが、千代田区に神田明神がある、祭神は江戸〔東京〕の総鎮守〔守護神〕平将門、最近、この神社をお参りする人が多くなっている、特に大手町、神田、秋葉原などIT関連企業の社員が多いと聞く、首都東京を守る神様だけから・・・・と云う訳か、神社にも「情報安全守護」のお守りを頒布しているし、神田明神と名前の入った名刺入れも頒布している。
芸能浅間神社〔東京都新宿区 花園神社内〕 新宿の総鎮守である花園神社境内にある、その名の通り芸能関係者や俳優・歌手・落語家など信仰が厚い、隣接して歌舞伎町、ゴールデン街がありゲイ関係者や作家や役者も訪れる、芸能界などに就職を希望している方の神社である、境内には、宇多田ヒカルの母親、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑がある他、佐野史郎、由美かおる、八代亜紀、中条きよし等の玉垣がある、祭神は木花之佐久夜毘売です。
まぁ〜、婚活するにも、就活をするにせよ、最初から神頼みは頂けない、まずは自分の努力が必要であると・・・・・・・旅人は思う。
2012年01月09日
2011.12.31 2011.12.31 丸の内警察署にオウム事件特別手配犯 平田信が出頭
オウム真理教の平田信が、昨年12月31日午後11時50分に丸の内警察署に「特別指名手配の平田信です」と出頭をして来たと言う、旅人は何故丸の内警察署に出頭をしたのかと疑問に思った〔前回のブログ/1月2日付〕、オウム真理教の捜査本部は警視庁だし、平田信容疑者の逮捕容疑にもなっている「目黒公証役場事務長仮谷清志さん〔当時68〕の監禁致死事件」の捜査本部は品川区の大崎警察署である。それが何で丸の内警察署なのかと思ったが、平田信容疑者逮捕で判った。
平田信容疑者は東海道新幹線で大阪地下鉄御堂筋線天王寺駅・難波駅〔防犯カメラで確認されている〕を経由して新大阪駅から品川駅に上京、ここから中央通路を歩いて2番線の山手線に乗車して次の大崎駅で下車をした様だ〔品川駅の防犯カメラは平田の姿を捉えていた〕、大崎警察署は大崎駅を降りて山手通りを左〔五反田方面〕に歩いて10分位の場所にある、警察署としては判りにくい場所にある、警察署の表示や赤灯がなければ、何処かの会社ビルの様に見える、年末の深夜で立番の警察官が居なかったのか?、平田容疑者は玄関の場所も判らず、平田容疑者が次に向かったのが、山手線で恵比寿駅から日比谷線で霞ヶ関の警視庁本部である、警視庁本部前の警察官〔機動隊警察官〕に「指名手配を受けている平田信です」と話をしたら、警察官は「ここは警視庁本部だから、交番か丸の内警察署に行く様に指示をした」らしい、平田は警視庁本部前から徒歩で700メートル〔10分〕離れた丸の内警察署に行く様に指示をされた様だった、時計は、あと30分程度で年を明け様としていた深夜、丸の内警察署に到着した平田容疑者は、ここでも受付の婦人警官に「特別指名手配を受けている平田信です」と話をしたら「うそ〜」と云われたが、指名手配のポスターを見せて「背が高いでしょう」と特徴を言うと、捜査課に通してくれたそうだ、例えば警視庁本部から丸の内警察署の間で平田信容疑者の気持ちが変わったら再び「特別指名手配の犯人は闇に消えてしまったのかも知れない」。事件が起こってから17年間ものブランクがあるとは云え「全国指名手配を受けている手配違反」顔は覚えていなくても「どこかで会った様な感じをする」とか「テレビで見た事がある」程度はあるかも・・・・と思うが、警視庁前の機動隊警察官は申し出て来た平田容疑者を門前払いするとは、多分正月明けの職務怠慢第一号で上司からきつくお叱りを受けたのではと思っていた。
しかし、1月6日に公開された平田信容疑者の逮捕時の顔写真を見たら「唖然」とした、あの写真だったら交通機関内や道路ですれ違っても、どこかで会ったりしても判らないと思う。門前払いの言い訳材料にする訳ではないだろうが、警視庁出頭時の顔写真は指名手配犯人のポスターとは似ても似つかない「全くの別人である」。髪は長髪で茶色に染めて、手配書ではゲジゲジ眉だったのが細い眉に変わり不精髭であり、見た限り上野公園や新宿駅等の繁華街にホームレス化している人にも居そうだ、整形した形跡も無く、17年の歴史は顔を別人に変えてしまった。
一昔前には、指名手配を受けた犯人が逃亡を図るには海外逃亡〔高飛び〕や整形手術を受けて顔を変えて時効が消えるのを待ったが海外逃亡の間は時効は停止される、最近は極悪犯罪の殺人罪や強盗事件・拉致監禁事件などは時効が廃止されて、いくら逃げ回っても犯罪は無効にならず逮捕される、既に現在特別指名手配を受けている60人以上の犯罪者の中からは時効廃止後に8人が出頭をしている。
整形をして顔を変えて逃げ回っていた英国人講師殺害事件〔2007.3.26千葉県市川市で英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさん/当時22歳が〕市橋達也〔無期懲役受刑者〕は逃亡中に東京大学医学部付属病院〔東大病院〕身体障害者トイレで人相を変えるため鼻翼を左右から縫い縮める自己整形で手術、他に新橋駅前にあった十仁病院で整形手術を受けて逃亡、更に黒子をカッターナイフで切り落としたり、下唇も小さくする為に鋏で切り手術をして顔を変えたが沖縄の無人島オーハ島で潜伏、2008.10名古屋にて眉毛を形成外科で手術を受けた2009.11.10神戸六甲船客ターミナルでフェリー会社の従業員が沖縄行航路の乗船する旅客の中に市橋らしい不審の乗客がいる事を発見した、しかし、当日は神戸発・沖縄行の航路が欠航の為、船舶会社の従業員は大阪南港に行く様に案内をした上で大阪南港担当者と警察当局に通知、大阪南港に先回りした警察官に職務質問を受け逃亡直前の逮捕となった。2011.7.21千葉地裁は無期懲役の判決をだしたが弁護団は8月2日に東京高裁に控訴した。
1982.8愛媛県松山市で発生した殺人事件が「松山ホステス殺害事件」である、犯人は元同僚の福田和子で、犯行後福田容疑者は香川県高松市から宇高連絡船で本州に逃亡整形手術を受けた上で大阪・名古屋・東京・金沢と逃げ回り,当時の控訴時効である15年〔延長を経て、現在は控訴期限は廃止された〕を逃げ回った。愛媛県警松山東警察署は、時効が迫る事に焦り始め手配写真入りのテレフォンカードの配布、肉声の公開、懸賞金100万円の捜査特別報奨金制度が採用〔この制度は遺族らが犯罪捜査に関する情報を懸賞金つきで募集して事件解決に結びついた松山ホステス殺害事件(1982年発生・1997年逮捕)やマブチモーター社長宅殺人放火事件(2002年発生・2005年逮捕)が導入のきっかけとなった〕捜査を続け時効寸前に福井駅前のビジネスホテルを定宿にしている女が「福田和子容疑者」に似ていると言う、和子が酒を飲む、おでん屋の常連客の通報で愛媛県警から捜査員が駆けつけ、同店の保存をしていたビール空き瓶の指紋が一致して1997.7.29に逮捕された、時効成立まで21日、8月18日に殺人罪で起訴〔時効成立11時間前〕され、2003.11に福田和子は最高裁で無期懲役が確定して服役をしたが2005.3 和歌山県の和歌山刑務所で脳梗塞で死去〔享年58〕。
この様に、一昔前の逃亡者〔指名手配犯人/容疑者〕は顔を整形をして逃亡を図っているが、最近は髭をはやしたり、眼鏡をかけたり、髪の毛を長くしたり、女装をしたりして逃亡をしている例が多いが2010〔平成22年〕4月27日に公布・施行された改正刑事訴訟法により「人を死亡させた罪であって〔法定刑の最高が〕死刑にあたる罪」については公訴時効が廃止された為に公訴時効が完成する事は無くなった〔殺人罪・強盗殺人罪・拉致誘拐殺人など最高刑が死刑まである罪〕に関しては時効が廃止された。その他の罪については刑事訴訟法〔昭和23年法律第250条〕に定められている、無期懲役又は禁固に当たる罪は時効30年〔強制猥褻致死罪・強姦致死罪など〕、長期20年の懲役又は禁固の時効は20年〔傷害致死・危険運転致死罪など〕と時効は現在も続いている、又被疑者が海外逃亡など国外にいる場合有効な起訴状の送達、或いは逮捕が出来ない場合は、国外にいる期間は控訴を停止する〔刑事訴訟法255条〕となっている〔例として「よど号ハイジャック事件で北朝鮮に逃亡中の小西隆裕や魚本公博・若林盛亮・赤木志郎」が該当〕、ともかく逃げ得は許さないと言う訳である。
平田信被疑者の逮捕によりオウム真理教関係の特別手配被疑者〔平田信以外の高橋克也・菊池直子〕や渋谷暴動事件の大坂正明、連続企業爆破事件の桐島聡などが指名手配を受けており、今回の平田信の逮捕により高橋克也〔53〕菊池直子〔40〕の潜伏先も平田被疑者が知っているのではないかと捜査を続けると共に、奈良県・大阪府などに捜査員を派遣して東海道新幹線の駅に設置されている防犯カメラの検索や大阪市内の駅の防犯カメラ映像を調べている。
「警察24時」とか言うテレビ番組などで、酔っ払いが交番を訪ねて、警察官を翻弄させる様なシーンがあるが、警察署の立番勤務をしている警察官に「俺は〇〇事件の犯人だ〜」とか「これから人を殴りに行くから逮捕しろ」とか、酔っ払って絡む人が多いそうだ、酒を飲みすぎて気分が悪くなり「救急車を呼んでくれ〜」と交番に立ち寄る酔っ払いも多いと言う、多分警視庁本庁舎で警備を行っていた機動隊員も12月31日の深夜で浮浪者風の平田信をみて、酔っ払いが来た程度と考えて、交番か丸の内警察署に行く様に話をしたと思うが、逮捕時の風体を見た限り、どこかのホームレスと間違えても不思議ではない。「寒くて警察の留置所に入れてくれ」と云うホームレスも多いらしいから、仕方が無いのかも知れない。まぁ新春職務怠慢第一号のお叱りを受けるのは仕方が無いが、あれほど顔が変っているのなら、平田信とは考えてもいなかったのは仕方がないと思う、この機動隊員は、一生「平田信容疑者を逃した警察官として」出世は望めないと思うが、あまり攻めないで欲しいと旅人は思う。
訂正 前回〔平成24年1月2日付〕ブログで「号外は出なかったが、平田信が12月31日深夜に逮捕された」とありますが1月1日に産経新聞が「号外」を出しています。
平田信容疑者は東海道新幹線で大阪地下鉄御堂筋線天王寺駅・難波駅〔防犯カメラで確認されている〕を経由して新大阪駅から品川駅に上京、ここから中央通路を歩いて2番線の山手線に乗車して次の大崎駅で下車をした様だ〔品川駅の防犯カメラは平田の姿を捉えていた〕、大崎警察署は大崎駅を降りて山手通りを左〔五反田方面〕に歩いて10分位の場所にある、警察署としては判りにくい場所にある、警察署の表示や赤灯がなければ、何処かの会社ビルの様に見える、年末の深夜で立番の警察官が居なかったのか?、平田容疑者は玄関の場所も判らず、平田容疑者が次に向かったのが、山手線で恵比寿駅から日比谷線で霞ヶ関の警視庁本部である、警視庁本部前の警察官〔機動隊警察官〕に「指名手配を受けている平田信です」と話をしたら、警察官は「ここは警視庁本部だから、交番か丸の内警察署に行く様に指示をした」らしい、平田は警視庁本部前から徒歩で700メートル〔10分〕離れた丸の内警察署に行く様に指示をされた様だった、時計は、あと30分程度で年を明け様としていた深夜、丸の内警察署に到着した平田容疑者は、ここでも受付の婦人警官に「特別指名手配を受けている平田信です」と話をしたら「うそ〜」と云われたが、指名手配のポスターを見せて「背が高いでしょう」と特徴を言うと、捜査課に通してくれたそうだ、例えば警視庁本部から丸の内警察署の間で平田信容疑者の気持ちが変わったら再び「特別指名手配の犯人は闇に消えてしまったのかも知れない」。事件が起こってから17年間ものブランクがあるとは云え「全国指名手配を受けている手配違反」顔は覚えていなくても「どこかで会った様な感じをする」とか「テレビで見た事がある」程度はあるかも・・・・と思うが、警視庁前の機動隊警察官は申し出て来た平田容疑者を門前払いするとは、多分正月明けの職務怠慢第一号で上司からきつくお叱りを受けたのではと思っていた。
しかし、1月6日に公開された平田信容疑者の逮捕時の顔写真を見たら「唖然」とした、あの写真だったら交通機関内や道路ですれ違っても、どこかで会ったりしても判らないと思う。門前払いの言い訳材料にする訳ではないだろうが、警視庁出頭時の顔写真は指名手配犯人のポスターとは似ても似つかない「全くの別人である」。髪は長髪で茶色に染めて、手配書ではゲジゲジ眉だったのが細い眉に変わり不精髭であり、見た限り上野公園や新宿駅等の繁華街にホームレス化している人にも居そうだ、整形した形跡も無く、17年の歴史は顔を別人に変えてしまった。
一昔前には、指名手配を受けた犯人が逃亡を図るには海外逃亡〔高飛び〕や整形手術を受けて顔を変えて時効が消えるのを待ったが海外逃亡の間は時効は停止される、最近は極悪犯罪の殺人罪や強盗事件・拉致監禁事件などは時効が廃止されて、いくら逃げ回っても犯罪は無効にならず逮捕される、既に現在特別指名手配を受けている60人以上の犯罪者の中からは時効廃止後に8人が出頭をしている。
整形をして顔を変えて逃げ回っていた英国人講師殺害事件〔2007.3.26千葉県市川市で英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさん/当時22歳が〕市橋達也〔無期懲役受刑者〕は逃亡中に東京大学医学部付属病院〔東大病院〕身体障害者トイレで人相を変えるため鼻翼を左右から縫い縮める自己整形で手術、他に新橋駅前にあった十仁病院で整形手術を受けて逃亡、更に黒子をカッターナイフで切り落としたり、下唇も小さくする為に鋏で切り手術をして顔を変えたが沖縄の無人島オーハ島で潜伏、2008.10名古屋にて眉毛を形成外科で手術を受けた2009.11.10神戸六甲船客ターミナルでフェリー会社の従業員が沖縄行航路の乗船する旅客の中に市橋らしい不審の乗客がいる事を発見した、しかし、当日は神戸発・沖縄行の航路が欠航の為、船舶会社の従業員は大阪南港に行く様に案内をした上で大阪南港担当者と警察当局に通知、大阪南港に先回りした警察官に職務質問を受け逃亡直前の逮捕となった。2011.7.21千葉地裁は無期懲役の判決をだしたが弁護団は8月2日に東京高裁に控訴した。
1982.8愛媛県松山市で発生した殺人事件が「松山ホステス殺害事件」である、犯人は元同僚の福田和子で、犯行後福田容疑者は香川県高松市から宇高連絡船で本州に逃亡整形手術を受けた上で大阪・名古屋・東京・金沢と逃げ回り,当時の控訴時効である15年〔延長を経て、現在は控訴期限は廃止された〕を逃げ回った。愛媛県警松山東警察署は、時効が迫る事に焦り始め手配写真入りのテレフォンカードの配布、肉声の公開、懸賞金100万円の捜査特別報奨金制度が採用〔この制度は遺族らが犯罪捜査に関する情報を懸賞金つきで募集して事件解決に結びついた松山ホステス殺害事件(1982年発生・1997年逮捕)やマブチモーター社長宅殺人放火事件(2002年発生・2005年逮捕)が導入のきっかけとなった〕捜査を続け時効寸前に福井駅前のビジネスホテルを定宿にしている女が「福田和子容疑者」に似ていると言う、和子が酒を飲む、おでん屋の常連客の通報で愛媛県警から捜査員が駆けつけ、同店の保存をしていたビール空き瓶の指紋が一致して1997.7.29に逮捕された、時効成立まで21日、8月18日に殺人罪で起訴〔時効成立11時間前〕され、2003.11に福田和子は最高裁で無期懲役が確定して服役をしたが2005.3 和歌山県の和歌山刑務所で脳梗塞で死去〔享年58〕。
この様に、一昔前の逃亡者〔指名手配犯人/容疑者〕は顔を整形をして逃亡を図っているが、最近は髭をはやしたり、眼鏡をかけたり、髪の毛を長くしたり、女装をしたりして逃亡をしている例が多いが2010〔平成22年〕4月27日に公布・施行された改正刑事訴訟法により「人を死亡させた罪であって〔法定刑の最高が〕死刑にあたる罪」については公訴時効が廃止された為に公訴時効が完成する事は無くなった〔殺人罪・強盗殺人罪・拉致誘拐殺人など最高刑が死刑まである罪〕に関しては時効が廃止された。その他の罪については刑事訴訟法〔昭和23年法律第250条〕に定められている、無期懲役又は禁固に当たる罪は時効30年〔強制猥褻致死罪・強姦致死罪など〕、長期20年の懲役又は禁固の時効は20年〔傷害致死・危険運転致死罪など〕と時効は現在も続いている、又被疑者が海外逃亡など国外にいる場合有効な起訴状の送達、或いは逮捕が出来ない場合は、国外にいる期間は控訴を停止する〔刑事訴訟法255条〕となっている〔例として「よど号ハイジャック事件で北朝鮮に逃亡中の小西隆裕や魚本公博・若林盛亮・赤木志郎」が該当〕、ともかく逃げ得は許さないと言う訳である。
平田信被疑者の逮捕によりオウム真理教関係の特別手配被疑者〔平田信以外の高橋克也・菊池直子〕や渋谷暴動事件の大坂正明、連続企業爆破事件の桐島聡などが指名手配を受けており、今回の平田信の逮捕により高橋克也〔53〕菊池直子〔40〕の潜伏先も平田被疑者が知っているのではないかと捜査を続けると共に、奈良県・大阪府などに捜査員を派遣して東海道新幹線の駅に設置されている防犯カメラの検索や大阪市内の駅の防犯カメラ映像を調べている。
「警察24時」とか言うテレビ番組などで、酔っ払いが交番を訪ねて、警察官を翻弄させる様なシーンがあるが、警察署の立番勤務をしている警察官に「俺は〇〇事件の犯人だ〜」とか「これから人を殴りに行くから逮捕しろ」とか、酔っ払って絡む人が多いそうだ、酒を飲みすぎて気分が悪くなり「救急車を呼んでくれ〜」と交番に立ち寄る酔っ払いも多いと言う、多分警視庁本庁舎で警備を行っていた機動隊員も12月31日の深夜で浮浪者風の平田信をみて、酔っ払いが来た程度と考えて、交番か丸の内警察署に行く様に話をしたと思うが、逮捕時の風体を見た限り、どこかのホームレスと間違えても不思議ではない。「寒くて警察の留置所に入れてくれ」と云うホームレスも多いらしいから、仕方が無いのかも知れない。まぁ新春職務怠慢第一号のお叱りを受けるのは仕方が無いが、あれほど顔が変っているのなら、平田信とは考えてもいなかったのは仕方がないと思う、この機動隊員は、一生「平田信容疑者を逃した警察官として」出世は望めないと思うが、あまり攻めないで欲しいと旅人は思う。
訂正 前回〔平成24年1月2日付〕ブログで「号外は出なかったが、平田信が12月31日深夜に逮捕された」とありますが1月1日に産経新聞が「号外」を出しています。
2012年01月02日
平成23年〔2011〕をニュースで振り返る
あけましておめでとうございます。
ところで皆さん、2011年は、どんな年でしたか?毎年暮に報道機関で今年の十大〔重大〕ニュースと云うのが発表されるが、何といっても、去年のトップニュースは3月11日の「三陸沖M8.4の地震」がトップだろう。国内の新聞社が、平成23年に出した「号外」は15回だが、列島激震の三陸沖地震関連3月11日の地震発生の当日は東京都知事石原慎太郎氏が都知事選に再出馬〔当選〕を決めた為に午前中に号外が配られ、午後からは三陸沖地震〔東日本大震災〕の号外が出るという、1日2本の号外が出た、更に「東京電力福島3号機、水素爆発〔3月14日〕」「東電大量放射能漏れ〔3月15日〕」と立て続けに3日間連続して号外が出たのも異例中の異例であった。7月5日に松本復興相が辞任、9月10日に野田政権発足9日目に野呂経済産業大臣が「死の町発言/放射能うつす発言」で辞任と号外が発行された。飛び込んで来た重大ニュースを、いち早く伝える号外だが、次から次へ重大ニュースが連発されて、この年は、列島震撼のニュース以外に他にニュースがなかったのかと思う程、東日本大震災以外のニュースは、どんどん忘れさせた年だったと思う。
「陸山会」規正法違反事件で検察官役の指定弁護士が小沢一郎衆議院議員の在宅強制起訴や八百長相撲の不祥事が発生して、八百長に関与したと言う25人の力士は角界追放、3月の春場所中止。6月に菅総理大臣が辞意表明したが退陣は「震災対応後」として一定のめどがついてからと退陣を先延ばしした。7月14日には女子サッカー「なでしこジャパン」がスウェーデンを破り決勝進出を決定すると18日には「なでしこ世界制覇」のニュースが飛び込んで来た。退陣した菅民主党代表の後継として8月29日に海江田万里氏と野田佳彦氏が民主党代表選で戦い、決選投票の結果、野田佳彦氏が代表に決まり、30日には衆参本会議で首相になった。11月5日に旅人は国会議事堂の屋上に半旗が揚がっているのを見た、5日の午前2時24分に、東京都港区虎ノ門病院で西岡武夫参議院議長が肺炎のため死去した、土曜日の早朝の死去だった為に新聞各社は締切に間に合わず産経新聞が号外を出した。参議院議長在職中の死去は松平恒雄氏以来2人目であった。
海外からのニュースは5月1日に9.11の首謀者で国際テロ組織最高指導者ウサマ・ビンラーディンがパキスタンの首都イスラマバード郊外で家族と一緒にいたところを諜報機関に殺害されDNA鑑定の結果本人と確認されオバマ大統領が2日に発表をした。12月19日に北朝鮮の最高指導者、金正日総書記が死亡した事を朝鮮中央テレビと朝鮮放送、平壌放送が特別放送として伝えた、正午からの放送だった為に一部の新聞は締切が間に合わずに号外を配った。
号外こそ出なかったが12月31日に警察庁から逮捕監禁致死容疑で特別指名手配を受けていたオウム真理教の平田信容疑者と名乗る男が、皇居の近くにある警視庁丸の内警察署に出頭し、指紋など確認の結果1月1日早朝に逮捕された、他に高橋克也、菊池直子容疑者の所在についても知っている可能性もあるとして捜査本部のある品川区大崎警察署に身柄を移して捜査をしているが、一部報道機関は出頭した警察署が何故「丸の内警察署」なのかと疑問を持っている社もある、丸の内警察署から歩いて5分程度の場所には警視庁があるからだ。
考えれば、去年の号外が出たニュースで明るいニュースと言えば「なでしこジャパン」がW杯優勝の快挙を遂げた事だけで、明るいニュースとして「紅一点」となった、NHK紅白歌合戦も「紅」優勝であった。
今年は、もっと明るいニュースが欲しいと思う、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 風の旅人
ところで皆さん、2011年は、どんな年でしたか?毎年暮に報道機関で今年の十大〔重大〕ニュースと云うのが発表されるが、何といっても、去年のトップニュースは3月11日の「三陸沖M8.4の地震」がトップだろう。国内の新聞社が、平成23年に出した「号外」は15回だが、列島激震の三陸沖地震関連3月11日の地震発生の当日は東京都知事石原慎太郎氏が都知事選に再出馬〔当選〕を決めた為に午前中に号外が配られ、午後からは三陸沖地震〔東日本大震災〕の号外が出るという、1日2本の号外が出た、更に「東京電力福島3号機、水素爆発〔3月14日〕」「東電大量放射能漏れ〔3月15日〕」と立て続けに3日間連続して号外が出たのも異例中の異例であった。7月5日に松本復興相が辞任、9月10日に野田政権発足9日目に野呂経済産業大臣が「死の町発言/放射能うつす発言」で辞任と号外が発行された。飛び込んで来た重大ニュースを、いち早く伝える号外だが、次から次へ重大ニュースが連発されて、この年は、列島震撼のニュース以外に他にニュースがなかったのかと思う程、東日本大震災以外のニュースは、どんどん忘れさせた年だったと思う。
「陸山会」規正法違反事件で検察官役の指定弁護士が小沢一郎衆議院議員の在宅強制起訴や八百長相撲の不祥事が発生して、八百長に関与したと言う25人の力士は角界追放、3月の春場所中止。6月に菅総理大臣が辞意表明したが退陣は「震災対応後」として一定のめどがついてからと退陣を先延ばしした。7月14日には女子サッカー「なでしこジャパン」がスウェーデンを破り決勝進出を決定すると18日には「なでしこ世界制覇」のニュースが飛び込んで来た。退陣した菅民主党代表の後継として8月29日に海江田万里氏と野田佳彦氏が民主党代表選で戦い、決選投票の結果、野田佳彦氏が代表に決まり、30日には衆参本会議で首相になった。11月5日に旅人は国会議事堂の屋上に半旗が揚がっているのを見た、5日の午前2時24分に、東京都港区虎ノ門病院で西岡武夫参議院議長が肺炎のため死去した、土曜日の早朝の死去だった為に新聞各社は締切に間に合わず産経新聞が号外を出した。参議院議長在職中の死去は松平恒雄氏以来2人目であった。
海外からのニュースは5月1日に9.11の首謀者で国際テロ組織最高指導者ウサマ・ビンラーディンがパキスタンの首都イスラマバード郊外で家族と一緒にいたところを諜報機関に殺害されDNA鑑定の結果本人と確認されオバマ大統領が2日に発表をした。12月19日に北朝鮮の最高指導者、金正日総書記が死亡した事を朝鮮中央テレビと朝鮮放送、平壌放送が特別放送として伝えた、正午からの放送だった為に一部の新聞は締切が間に合わずに号外を配った。
号外こそ出なかったが12月31日に警察庁から逮捕監禁致死容疑で特別指名手配を受けていたオウム真理教の平田信容疑者と名乗る男が、皇居の近くにある警視庁丸の内警察署に出頭し、指紋など確認の結果1月1日早朝に逮捕された、他に高橋克也、菊池直子容疑者の所在についても知っている可能性もあるとして捜査本部のある品川区大崎警察署に身柄を移して捜査をしているが、一部報道機関は出頭した警察署が何故「丸の内警察署」なのかと疑問を持っている社もある、丸の内警察署から歩いて5分程度の場所には警視庁があるからだ。
考えれば、去年の号外が出たニュースで明るいニュースと言えば「なでしこジャパン」がW杯優勝の快挙を遂げた事だけで、明るいニュースとして「紅一点」となった、NHK紅白歌合戦も「紅」優勝であった。
今年は、もっと明るいニュースが欲しいと思う、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 風の旅人
2011年12月21日
ホーム上で端末ゲームに夢中の人に怒られた
先日、近くの駅から国会議事堂に向かう為に京浜東北線に乗車をする為に荷物〔資料が入っているリックサック〕を持ってホームに行くエスカレーターを下ってホームで整列乗車の列に並んでいたら、突然後ろから強い衝撃を受けて前に2〜3歩体が前に出てしまった。驚いて後ろを見ると20代後半の男がスマートフォンでゲームをやりながら立っていた、旅人は注意をするよりも早く、彼が口を開いた「危ないないナー、そんな処にボサーと立っているんじゃないょ」と言って口を荒げに立ち去った、そして5辰曚品發い申茲蚤召僚性とぶっかってかって、同じ台詞を吐きながら、ホームに入って来た電車に乗ったが、最近ホームやエスカレーター、電車の中でも携帯電話〔スマートフォン〕を操作してゲームやメールに夢中になっている若者が多い、ホームでゲームに夢中になって電車と接触事故やホーム上から転落する事故が多くなっている、自分の前に障害物や人や電車がある事など目にはいらないらしい、東日本旅客鉄道〔JR東日本〕の話だと97年54件、98年34件、99年50件、00年52件、01年65件、02年70件、03年88件、04年92件、05年108件、06年132件と年々増えており、昨年末までにホームから転落したり電車に接触する事故で死亡をした人はJR旅客鉄道蠅隼篥干銅卅竿未任錬沓娃扱鐐宛紊△辰燭世修Δ世、今年10月の時点で、既に750件を突破している、全ての人が携帯ゲームやメールに夢中になり事故にあったと言う訳ではないが、東京都内のJRや私鉄各社は「ホームでの携帯メール操作や音楽プレーヤーをヘッドフォンで聞きながら歩いたり、ゲーム操作や酒に酔ってホームを歩くのは危険だからやめて下さい」とのポスターで注意警鐘を行っている。
01年1月26日にJR東日本山手線新大久保駅で酒に酔ってホームに転落した男性を助け様とした韓国人留学生とカメラマンの男性が入って来た山手線に撥ねられて命を失った。この事故で転落をした人はホーム上の売店で酒を買って酔って転落をした。この事故以来ホーム売店で酒類の販売は行われていないが〔一部ホームコンビニでは缶ビール・焼酎の販売は行われている〕忘年会や新年会で酒を飲む機会が多くなりホーム転落や電車に接触する様な事故は多くなる,今年は、12月の忘年会シーズンを迎える前に、既に750件の事故が起こっている事から、忘年会シーズンには酒に酔ってホーム転落事故や列車接触事故も多くなる、この750件の事故は過去最も多かった昨年を上回り最悪状態である。
事故は首都圏に増えていて全般の70%が首都圏の事故である、ホーム上の携帯端末操作〔メール・ゲーム等〕、も死傷の原因かと思われる、本人が死傷するのではなく、ホーム上で列車を待っている人にぶつかり、その人がホーム転落、列車接触を起こす事もある、更に、これら端末操作中に夢中になり、本人がホーム転落や接触をする事もあるだが、これらの行為はただ単に危険と云う訳ではないが、電車に接触したり、ホームに転落する事故が起こり死傷者が出た場合は負傷者の救助、警察官の現場検証、事故の再発を防ぐ為捜査も行われ、電車の運行を、ある程度止めなくてはいけない、特に朝夕のラッシュ時に起こった場合はホーム上の混雑の為に改札規制や電車も時刻表通りの運転は出来ない、運休になる事もある、出勤する人は他の交通機関を探して、振替乗車の手続きが必要となる、駅に停車して乗客を乗降しているのなら、兎も角、駅と駅の途中で停車している電車なら最悪である、ラッシュで揉まれている電車内で動くまで待つのは苦痛である、電車が駅間に停車すると途中の踏切が列車接近のために踏切が閉まり、交通機関の乱れは電車に留まらず他の交通機関にも影響は起こる。
これらの事故の場合はJRは大きな損害が生じる、事故が起きて電車を止めると1分間で数十万円も損害が出る、1時間換算をすると数千万円に及ぶ事もある、しかし、その損害はJRは事故を起こした旅客に対して請求も行うが、責任を負うべく人が事故に巻き込まれて死傷した場合は責任を残された家族等に損害賠償を請求するが、本来は死亡者に対する損害賠償であるが、残された遺族からは鉄道会社は損害賠償も取り難いだろう、金銭面では鉄道会社は本来被害者だが、例えば電車が運休になったり遅れたりして大事な契約に間に合わなかったり、会社に遅刻したりした場合は乗客も被害者になりかねない、事故は起こさない、事故に遭わないのが理想だ、ホームからの転落事故は鉄道会社は基本的に責任が無いと言うのが鉄道会社の考え方であるが、年々増える転落事故や接触事故に対してホームドアを設けたり、身障者〔目の不自由な人や車椅子〕の人に駅務員を配置する処置はとっているし、転落検知マットや駅務員の混雑時配置などをしているが、利用者もホームで携帯端末でゲームをしながら歩いたりしない事が好ましい。新忘年会のシーズンで酒を飲むのは勝手だが酔いを醒まして御帰還頂きたい、又深酔いは体の為にも自分の命の為にもお控え頂きたいと考える。
01年1月26日にJR東日本山手線新大久保駅で酒に酔ってホームに転落した男性を助け様とした韓国人留学生とカメラマンの男性が入って来た山手線に撥ねられて命を失った。この事故で転落をした人はホーム上の売店で酒を買って酔って転落をした。この事故以来ホーム売店で酒類の販売は行われていないが〔一部ホームコンビニでは缶ビール・焼酎の販売は行われている〕忘年会や新年会で酒を飲む機会が多くなりホーム転落や電車に接触する様な事故は多くなる,今年は、12月の忘年会シーズンを迎える前に、既に750件の事故が起こっている事から、忘年会シーズンには酒に酔ってホーム転落事故や列車接触事故も多くなる、この750件の事故は過去最も多かった昨年を上回り最悪状態である。
事故は首都圏に増えていて全般の70%が首都圏の事故である、ホーム上の携帯端末操作〔メール・ゲーム等〕、も死傷の原因かと思われる、本人が死傷するのではなく、ホーム上で列車を待っている人にぶつかり、その人がホーム転落、列車接触を起こす事もある、更に、これら端末操作中に夢中になり、本人がホーム転落や接触をする事もあるだが、これらの行為はただ単に危険と云う訳ではないが、電車に接触したり、ホームに転落する事故が起こり死傷者が出た場合は負傷者の救助、警察官の現場検証、事故の再発を防ぐ為捜査も行われ、電車の運行を、ある程度止めなくてはいけない、特に朝夕のラッシュ時に起こった場合はホーム上の混雑の為に改札規制や電車も時刻表通りの運転は出来ない、運休になる事もある、出勤する人は他の交通機関を探して、振替乗車の手続きが必要となる、駅に停車して乗客を乗降しているのなら、兎も角、駅と駅の途中で停車している電車なら最悪である、ラッシュで揉まれている電車内で動くまで待つのは苦痛である、電車が駅間に停車すると途中の踏切が列車接近のために踏切が閉まり、交通機関の乱れは電車に留まらず他の交通機関にも影響は起こる。
これらの事故の場合はJRは大きな損害が生じる、事故が起きて電車を止めると1分間で数十万円も損害が出る、1時間換算をすると数千万円に及ぶ事もある、しかし、その損害はJRは事故を起こした旅客に対して請求も行うが、責任を負うべく人が事故に巻き込まれて死傷した場合は責任を残された家族等に損害賠償を請求するが、本来は死亡者に対する損害賠償であるが、残された遺族からは鉄道会社は損害賠償も取り難いだろう、金銭面では鉄道会社は本来被害者だが、例えば電車が運休になったり遅れたりして大事な契約に間に合わなかったり、会社に遅刻したりした場合は乗客も被害者になりかねない、事故は起こさない、事故に遭わないのが理想だ、ホームからの転落事故は鉄道会社は基本的に責任が無いと言うのが鉄道会社の考え方であるが、年々増える転落事故や接触事故に対してホームドアを設けたり、身障者〔目の不自由な人や車椅子〕の人に駅務員を配置する処置はとっているし、転落検知マットや駅務員の混雑時配置などをしているが、利用者もホームで携帯端末でゲームをしながら歩いたりしない事が好ましい。新忘年会のシーズンで酒を飲むのは勝手だが酔いを醒まして御帰還頂きたい、又深酔いは体の為にも自分の命の為にもお控え頂きたいと考える。
2011年12月01日
自転車走行違反と急増する自転車事故
大阪地裁は11月28日に自転車が安全確認をせずに国道を横断して、寸前に自転車を避けようとした乗用車が左にハンドルを切った処、左を走っていたタンクローリーが歩道に乗り上げて歩行者2名を撥ねて死亡させた事故について、重過失致死罪として自転車の運転手被告に対して禁錮2年の実刑判決を言い渡した。
道路交通法で自転車は「軽車両」であり、安全確認が義務づけられている。これからの季節、忘年会や新年会の帰りに自転車で帰ると酒気帯び運転〔3年以下の懲役又は50万円以下の罰金〕、更に酒酔い運転の場合は〔5年以下の懲役又は100万円以下の罰金〕携帯電話を操作しながら運転〔5万円以下の罰金〕も取り締まり対象、夜間の無灯火走行も5万円以下の罰金、最近渋谷など繁華街でブレーキの装着をしないで走行していた、お笑いコンビ「チュートリアル」の福田充徳さん〔36〕が交通違反切符〔赤切符/道路交通法違反・制動装置不良〕を切られ書類送検〔起訴猶予〕された、道交法では、公道を走る自転車は、前後輪共にブレーキを装備する様に定めているが、都内では平成21年に整備不良で取締りを受けた自転車は2件だったが、去年は661件、今年は10月末の時点で842件を越えている、罰金の略式起訴となると5万円以下の罰金だ、東京地裁の場合は制動装置不良で起訴されても不起訴処分になることが多いが死傷事故を起こせば5万円以下の罰金で被害者が民事賠償訴訟に入れば最低5千万円程度は覚悟を要する。。
しかし、平成14年9月、横浜市金沢区の路上で帰宅途中の看護師の女性〔54〕が、突然背後から自転車で追突された、自転車運転をしていた女子高生〔16〕は無灯火運転で携帯電話を操作しながら走行、前方を歩いている人にも気がつかなかった。被害者の看護師は頚椎損傷で手足に痺れが残り歩行困難になり看護師の職を失い、15年から生活保護を受ける身になり、被害者は女子高生と自転車を買い与えた父親を相手に5.700万円の損害賠償を求める訴訟を起こし横浜地裁の判決は約5千万円の支払いを命じた。更に今年〔平成23年〕6月には世田谷区池尻の交差点で通学途中の男子高校生の自転車に跳ねられて男性〔81〕が死亡している。更に電車に気を取られて歩行者を撥ねた自転車に対しては跳ねられた老人男性の家族が起こした民事裁判では、自転車運転の高校生と家族が3.912万円の賠償命令が出ている。自転車事故は、さほど多くないと思われているが平成22年に自転車が歩行者を撥ねた事故は警察に届けられた件数だけで2.760件で、実際は1万件以上あると言われている。
警察庁は、自転車は軽車両だから車道走行が原則としている、だが歩道の幅員が「3丹幣紂廚諒眛擦妨造衒眛擦鮗転車は走れるが3丹焚爾諒眛擦麓転車が走る事を禁止して、自転車は車道の左側を走行するとした違反は3ヶ月以下の懲役又は5万円以下の罰金、スピード違反もある、最近は高性能自転車があり、都内のビル群の中を自転車で書類を届ける宅配便もある、中には川崎区〔神奈川県川崎市〕から中央区〔東京都〕まで1時間以内でお届けと云う業者もある、国道を30キロ以上の速度で走る、中には40キロ近くの速度で走る、自転車の場合は裏道や一方通行の逆走も違反にはならないが、スピード制限はある、何キロか?道路により一般道は標識によるが、軽自動車や50CC原動機付自転車〔原付〕の場合は最高時速30キロだから、同じく最高時速キロと考えるのが妥当だろうが自転車は最高時速15繊∨遙貝丹幣紊良員のある歩道をスピードを出して走るのは違反、歩道上は徐行が原則で、自転車のスピード違反は2万円以下の罰金となる。日本では自転車と歩行者、自動車の三者を分離する対策に拘っているが、諸外国では拘っていない様だ、日本の様に道路も広く、ドイツやデンマークは車道を走る自転車に考慮して町の中の道路は時速30キロ以下に制限をしているし、アメリカの道路においても自転車は裏道を走り、歩道を走る場合は自転車から降りて徒歩で走る、車道には自転車専用レーンがあり走る場合も日本の様にスピードは出さないし、逆走をする自転車も少ない。中国は日本以上に自転車国家で通勤の時は車より自転車が多いが自転車が車道を走り道路の左側を走っている。イタリアでも町の中の道路は制限速度は30キロ以下で車道の左側〔歩道寄り〕を自転車は10キロ以下で走る、道路は全て駐車禁止で駐車は駐車場か裏道の車の通らない裏道にコインパーキングが設置されている、バスは乗客が降りる際は運転手や車掌が後ろから走ってくる自転車に注意をして降りる様に乗客に注意をする、タクシーも同様だが、日本の様にタクシー運転手は乗客を探して鵜の目、鷹の目で走っている時に後ろから走る自転車にまで目が行き届かないから危険である。
さて、自転車と歩行者との事故が多くなり警察庁は幅員3メートル以下の歩道上を自転車走行は禁止をして歩道から自転車を車道に降ろし、自転車は車道の左側を走る様に法改正を行い、違反車両〔自転車〕には罰金が科せられるが、国土交通省と警察庁は平成20年から全国98箇所を自転車走行環境整備モデル地区に指定をして自転車レーン設置を進めている、つまり車道と歩道の間に自転車専用レーンを設けて、自転車はそのレーンの中を走る事になるのだが、従来の自転車レーンと異なるのは車道と自転車レーンの間に柵〔レーン柵〕を設けて自転車を安全に通す専用線を作ることです。実際に東京江東区亀戸の国道4号線に設置されているが自転車レーンが出来た為に国道沿いにある商店の売上が3割近く落ちたそうだ、車で来る客が左側の歩道沿いに車を停止又は駐車を出来なくなった事と自転車の客が歩道を走らない事で立ち寄らなくなった事も大きな影響もある、更に店への荷物の搬入も不便になり元は歩道沿いに車を駐停車をして荷卸をしていたのが出来なくなり近くのコインパーキングに車を入れて店まで台車で運ぶが不便だと嘆く。今後2キロ程度の自転車専用道を作る予定だが地元民は反対の人が多く、現在は400団度が整備されている。
自転車は「車道」が原則だが、自転車が走る車道の左側に荷卸の車や駐車車両、客待ちのタクシーが停車している場合は、それを避けて車道の中央寄りを走らなければならない、丁度1年程前になるが、中央区築地市場駅〔都営地下鉄〕近くで、車道左側に駐車していた大型コンテナトラックを避けて前に出ようとした自転車が後ろから来た小型トラックに接触して自転車荷台に載せていた荷物のバランスも失い、自転車が転倒、自転車と自転車運転をしていた人が怪我〔重傷〕を負った、まかり間違えれば死亡事故になる事故で、警察は小型トラックの運転手を逮捕、更に停車していた大型コンテナトラックの運転手も事情を聞いたが、大型トラックは築地市場に鮪を輸送してきた車両で正門から場内に入るために時間調整をしていたとの事であった。築地警察署や中央警察署では左側に寄って走る自転車等の事故が発生した場合は駐車していた車にも責任が及ぶ事を記する看板を出しているが仕入れや荷物の積み下ろしの車においては駐車せざるを得ないのである。
旅人の地元の大森でも同様な事が起きている、大森駅の山王商店街〔池上通り〕においても歩道が狭い〔2団度〕自転車の殆どは車道を走る、車道は片側1車線で、自転車は左側を走るが、この道路を東急路線バスが運行をする、この道路は駐停車禁止だが荷卸の車や駐車場の空くまで待っている車が並ぶ、路線バスは、この駐停車車両がある場合は、反対側車線に出て走行する。自転車で買物に来た人は歩道上に駐輪をする事が出来ないから車道上に駐輪をする、某百貨店の歩道上には駐輪をしている自転車を整理員が整理をしているが駐輪のお陰で歩道が狭くなる、ラッシュ時は駐車車両などが多く、通常なら10分程度の道が30分程度かかるのはざらである。何年か前にタクシーから降りた乗客が後から来た自転車に撥ねられる事故が発生して乗客が骨折をした事故があった。又客の要望により自転車の前に割り込んで止まったタクシーに自転車が追突をして自転車を運転していた高校生が怪我をした事故がある。自転車と歩行者の事故は多くない様に見えるが年々増え続けて3.000件に間もなく達するそうだ。自動車保険は聞くが自転車保険も実際にあるが、新車の場合は申し込めるが中古自転車や友人から貰った自転車だと現実的には入ることが難しい。たかが自転車で歩行者を撥ねても怪我程度で済むだろうと考えているが大きな間違いで自転車事故で相手を死亡させて懲役刑に処されて刑務所に2〜3年収監され、出所後に民事裁判で賠償判決を受けて5.000万円以上の賠償命令を受けた人は過去には10人近くいる、その場は、歩行者が「痛い」程度で済んだが、家に帰って頭が痛くなり病院で見てもらったら自転車と衝突した時に頭を打っていて、あとから痛みが出た例もある。たかが自転車事故だが死亡事故に繫がる事故もある。もう少し真剣に考える必要があるのが自転車のルールではないだろうか。
道路交通法で自転車は「軽車両」であり、安全確認が義務づけられている。これからの季節、忘年会や新年会の帰りに自転車で帰ると酒気帯び運転〔3年以下の懲役又は50万円以下の罰金〕、更に酒酔い運転の場合は〔5年以下の懲役又は100万円以下の罰金〕携帯電話を操作しながら運転〔5万円以下の罰金〕も取り締まり対象、夜間の無灯火走行も5万円以下の罰金、最近渋谷など繁華街でブレーキの装着をしないで走行していた、お笑いコンビ「チュートリアル」の福田充徳さん〔36〕が交通違反切符〔赤切符/道路交通法違反・制動装置不良〕を切られ書類送検〔起訴猶予〕された、道交法では、公道を走る自転車は、前後輪共にブレーキを装備する様に定めているが、都内では平成21年に整備不良で取締りを受けた自転車は2件だったが、去年は661件、今年は10月末の時点で842件を越えている、罰金の略式起訴となると5万円以下の罰金だ、東京地裁の場合は制動装置不良で起訴されても不起訴処分になることが多いが死傷事故を起こせば5万円以下の罰金で被害者が民事賠償訴訟に入れば最低5千万円程度は覚悟を要する。。
しかし、平成14年9月、横浜市金沢区の路上で帰宅途中の看護師の女性〔54〕が、突然背後から自転車で追突された、自転車運転をしていた女子高生〔16〕は無灯火運転で携帯電話を操作しながら走行、前方を歩いている人にも気がつかなかった。被害者の看護師は頚椎損傷で手足に痺れが残り歩行困難になり看護師の職を失い、15年から生活保護を受ける身になり、被害者は女子高生と自転車を買い与えた父親を相手に5.700万円の損害賠償を求める訴訟を起こし横浜地裁の判決は約5千万円の支払いを命じた。更に今年〔平成23年〕6月には世田谷区池尻の交差点で通学途中の男子高校生の自転車に跳ねられて男性〔81〕が死亡している。更に電車に気を取られて歩行者を撥ねた自転車に対しては跳ねられた老人男性の家族が起こした民事裁判では、自転車運転の高校生と家族が3.912万円の賠償命令が出ている。自転車事故は、さほど多くないと思われているが平成22年に自転車が歩行者を撥ねた事故は警察に届けられた件数だけで2.760件で、実際は1万件以上あると言われている。
警察庁は、自転車は軽車両だから車道走行が原則としている、だが歩道の幅員が「3丹幣紂廚諒眛擦妨造衒眛擦鮗転車は走れるが3丹焚爾諒眛擦麓転車が走る事を禁止して、自転車は車道の左側を走行するとした違反は3ヶ月以下の懲役又は5万円以下の罰金、スピード違反もある、最近は高性能自転車があり、都内のビル群の中を自転車で書類を届ける宅配便もある、中には川崎区〔神奈川県川崎市〕から中央区〔東京都〕まで1時間以内でお届けと云う業者もある、国道を30キロ以上の速度で走る、中には40キロ近くの速度で走る、自転車の場合は裏道や一方通行の逆走も違反にはならないが、スピード制限はある、何キロか?道路により一般道は標識によるが、軽自動車や50CC原動機付自転車〔原付〕の場合は最高時速30キロだから、同じく最高時速キロと考えるのが妥当だろうが自転車は最高時速15繊∨遙貝丹幣紊良員のある歩道をスピードを出して走るのは違反、歩道上は徐行が原則で、自転車のスピード違反は2万円以下の罰金となる。日本では自転車と歩行者、自動車の三者を分離する対策に拘っているが、諸外国では拘っていない様だ、日本の様に道路も広く、ドイツやデンマークは車道を走る自転車に考慮して町の中の道路は時速30キロ以下に制限をしているし、アメリカの道路においても自転車は裏道を走り、歩道を走る場合は自転車から降りて徒歩で走る、車道には自転車専用レーンがあり走る場合も日本の様にスピードは出さないし、逆走をする自転車も少ない。中国は日本以上に自転車国家で通勤の時は車より自転車が多いが自転車が車道を走り道路の左側を走っている。イタリアでも町の中の道路は制限速度は30キロ以下で車道の左側〔歩道寄り〕を自転車は10キロ以下で走る、道路は全て駐車禁止で駐車は駐車場か裏道の車の通らない裏道にコインパーキングが設置されている、バスは乗客が降りる際は運転手や車掌が後ろから走ってくる自転車に注意をして降りる様に乗客に注意をする、タクシーも同様だが、日本の様にタクシー運転手は乗客を探して鵜の目、鷹の目で走っている時に後ろから走る自転車にまで目が行き届かないから危険である。
さて、自転車と歩行者との事故が多くなり警察庁は幅員3メートル以下の歩道上を自転車走行は禁止をして歩道から自転車を車道に降ろし、自転車は車道の左側を走る様に法改正を行い、違反車両〔自転車〕には罰金が科せられるが、国土交通省と警察庁は平成20年から全国98箇所を自転車走行環境整備モデル地区に指定をして自転車レーン設置を進めている、つまり車道と歩道の間に自転車専用レーンを設けて、自転車はそのレーンの中を走る事になるのだが、従来の自転車レーンと異なるのは車道と自転車レーンの間に柵〔レーン柵〕を設けて自転車を安全に通す専用線を作ることです。実際に東京江東区亀戸の国道4号線に設置されているが自転車レーンが出来た為に国道沿いにある商店の売上が3割近く落ちたそうだ、車で来る客が左側の歩道沿いに車を停止又は駐車を出来なくなった事と自転車の客が歩道を走らない事で立ち寄らなくなった事も大きな影響もある、更に店への荷物の搬入も不便になり元は歩道沿いに車を駐停車をして荷卸をしていたのが出来なくなり近くのコインパーキングに車を入れて店まで台車で運ぶが不便だと嘆く。今後2キロ程度の自転車専用道を作る予定だが地元民は反対の人が多く、現在は400団度が整備されている。
自転車は「車道」が原則だが、自転車が走る車道の左側に荷卸の車や駐車車両、客待ちのタクシーが停車している場合は、それを避けて車道の中央寄りを走らなければならない、丁度1年程前になるが、中央区築地市場駅〔都営地下鉄〕近くで、車道左側に駐車していた大型コンテナトラックを避けて前に出ようとした自転車が後ろから来た小型トラックに接触して自転車荷台に載せていた荷物のバランスも失い、自転車が転倒、自転車と自転車運転をしていた人が怪我〔重傷〕を負った、まかり間違えれば死亡事故になる事故で、警察は小型トラックの運転手を逮捕、更に停車していた大型コンテナトラックの運転手も事情を聞いたが、大型トラックは築地市場に鮪を輸送してきた車両で正門から場内に入るために時間調整をしていたとの事であった。築地警察署や中央警察署では左側に寄って走る自転車等の事故が発生した場合は駐車していた車にも責任が及ぶ事を記する看板を出しているが仕入れや荷物の積み下ろしの車においては駐車せざるを得ないのである。
旅人の地元の大森でも同様な事が起きている、大森駅の山王商店街〔池上通り〕においても歩道が狭い〔2団度〕自転車の殆どは車道を走る、車道は片側1車線で、自転車は左側を走るが、この道路を東急路線バスが運行をする、この道路は駐停車禁止だが荷卸の車や駐車場の空くまで待っている車が並ぶ、路線バスは、この駐停車車両がある場合は、反対側車線に出て走行する。自転車で買物に来た人は歩道上に駐輪をする事が出来ないから車道上に駐輪をする、某百貨店の歩道上には駐輪をしている自転車を整理員が整理をしているが駐輪のお陰で歩道が狭くなる、ラッシュ時は駐車車両などが多く、通常なら10分程度の道が30分程度かかるのはざらである。何年か前にタクシーから降りた乗客が後から来た自転車に撥ねられる事故が発生して乗客が骨折をした事故があった。又客の要望により自転車の前に割り込んで止まったタクシーに自転車が追突をして自転車を運転していた高校生が怪我をした事故がある。自転車と歩行者の事故は多くない様に見えるが年々増え続けて3.000件に間もなく達するそうだ。自動車保険は聞くが自転車保険も実際にあるが、新車の場合は申し込めるが中古自転車や友人から貰った自転車だと現実的には入ることが難しい。たかが自転車で歩行者を撥ねても怪我程度で済むだろうと考えているが大きな間違いで自転車事故で相手を死亡させて懲役刑に処されて刑務所に2〜3年収監され、出所後に民事裁判で賠償判決を受けて5.000万円以上の賠償命令を受けた人は過去には10人近くいる、その場は、歩行者が「痛い」程度で済んだが、家に帰って頭が痛くなり病院で見てもらったら自転車と衝突した時に頭を打っていて、あとから痛みが出た例もある。たかが自転車事故だが死亡事故に繫がる事故もある。もう少し真剣に考える必要があるのが自転車のルールではないだろうか。
2011年11月17日
11月 平成23年もあと50日で終わる
とうきょう案内人の仕事をしていると毎日、新鮮な情報を仕入れて、その日の話題にする必要がある、11月5日〔土〕に国会参観案内をする為に参観口である、衆議院議員面会所〔衆議院第一別館〕に行くと衛視さんが「早朝に参議院西岡武夫参議院議長が肺炎の為急逝したので、昼頃に遺体を乗せた霊柩車が国会正門から入って衆参両院玄関を回るので参観ルートが変更になる事を告げられた」話では午前2時頃に亡くなり参議院議長公舎に運ばれ、議員にお別れ後に長崎〔西岡武夫議長の選挙区〕で通夜・葬儀になるらしいとの話だったが、一部新聞朝刊には一面に西岡議長の死亡記事は載っていたらしいが新聞の締め切り後の為に掲載が間に合わなかった新聞も多く、参観で国会議事堂を訪れた参観者の殆どが西岡議長の急逝を知らなかった様で九州から国会参観に来られた方は驚きを隠せなく涙を流す人もおられた。9月の本会議の時には議長席に付く時に体がふらついたそうだが国会は衆議院では民主党が、参議院の方は自民党が第一党で所謂「ねじれ」状態にあり、まとめ役の西岡武夫議長もストレスもあっただろうし、年齢も年齢〔75歳〕だから相当なプレッシャーだったと思う、5日の昼近くに国会正門から遺体を乗せた霊柩車は入門して国会議事堂の衆議院・参議院を回り、勤続42年の国会議事堂に別れを告げて国会を後にした。永いお勤めご苦労様でした。お疲れ様でした・・・・合掌。
さて、東京御徒町駅前にある吉池百貨店の魚館〔魚介類販売コーナー〕で毒を取り除かずにハコフグ〔肝臓などに猛毒の「パリトキシン様毒」が含まれており、食べると呼吸困難や痙攣を起す可能性があり、死亡するケースもある〕を10月17日に3.6キロ、18日に4.7キロを仕入れ全てを販売、更に10月31日、11月1日にも同様に販売した、合計すると14匹を販売したらしいが2日現在食中毒の報告はないらしい。昔から「河豚は喰いたし、命は欲しい」と云うだけに、河豚は毒の部分〔肝〕を取り除けば高級料理である。豊臣秀吉の家来が河豚を食べて中毒になり死亡してから「河豚禁止令が出て」徳川時代も「河豚を食べる事は出来なかった」、しかし明治維新になり初代総理大臣伊藤博文は河豚禁止令を解除した、「何で簡単に禁止令が解除されたのかは」、伊藤博文が山口県〔長州〕の出身だからとの説もあるが定かではない。しかし、昭和50年に人間国宝、歌舞伎俳優「坂東三津五郎」が河豚中毒で死んでから河豚調理に関する規制が厳しくなり、東京都の場合は調理師免許を取得して2年、更に河豚調理見習いを2年経験して初めて河豚調理師試験を受験して合格しなければ「河豚調理」は出来ない事になっており、更に調理をした時に取り除いた「肝」は鍵の付いた鉄の容器に入れて、決められた場所〔東京の場合は築地市場〕で処分をする様に厳密に決められている。まぁ調理の仕方を誤ると命に係る料理だから当然と云えば当然だが、この河豚調理師の試験は国家試験ではなく各都道府県が個別に行っている試験資格である、首都圏では殆どが試験だが福井県では「ふぐ処理登録者」として講習会を受ければ良い、大阪府では「ふぐ取扱登録者」として講習会でOK、岡山県は「ふぐ調理者」で食品衛生に関する知識と食品衛生関係法規の講習会を受ければ良いし、ふぐの処理に関する実技も無、その他大分県が講習会で講習を受ければ良いそうだ。更に「ふぐ調理師」免許は、当該都道府県のみ有効で、大阪で講習で「ふぐ取扱登録者」の免許を取得しても隣接する奈良県、滋賀県、京都府、兵庫県は、それぞれ衛生法規、食品衛生学、ふぐに係る知識の試験があり、ふぐ処理に関する実技も受けなくてはならないので、大阪で取得した「ふぐ処理登録者」免許では大阪以外では使えない。試験も都道府県により「資格」取得の条件や難易度も異なっている為に各自治体により試験が必要となる。しかし、まかり間違えれば食べた人の命さえ奪う料理の調理人が試験でなく講習会を受ければ調理が出来るという事は不思議である、今回の事が無ければ話題にもならなかった、ふぐの調理師試験は全国統一の国家試験と思っていた。航空機のパイロットは搭乗する機種により、運航する機種により資格審査試験がある、例えばボーイング747-400は座席数565名〔普通席542〕は全日空の航空機では最大クラスの航空機で「ジャンボ」と呼ばれているが、この航空機の免許証では最新鋭航空機ボーイング787-8〔264人乗り〕は操縦が出来ない。自動車の様に普通車の免許を持てばどんな乗用車も運転が出来ると言う訳ではない、大勢の人の命を運ぶ飛行機〔航空機〕では当然といえば当然だが、幸いにも今回の肝付のふぐではむ死者が出る様な事はなかったが、万一死亡者が出た場合は、どうなるのか多分、業務上過失致死罪となるらしい。
昨日、ブータン国王夫妻がバンコク経由で成田空港に到着した。10月に結婚したばかりの新婚さん。端正なルックスで「イケメン国王」で人気がある国王の名前は
ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王〔31歳〕ジェツン・ペマ王妃〔21歳〕を伴っての実質的な新婚旅行である、16日に宮中晩餐会が行われたが気管支肺炎で東京大學病院に入院中の天皇陛下に代わり皇太子殿下と秋篠宮御夫妻が歓迎晩餐会に国王夫妻を招き御接待をした。ブータンの位置は南アジアのインドの上、中国の下に位置しており面積は38.400屬覇本の中国とほぼ同じ大きさの国である。人口は697.000人である。日本とのつながりがある親日家が多い。詳細につきましては次回・・・・
さて、東京御徒町駅前にある吉池百貨店の魚館〔魚介類販売コーナー〕で毒を取り除かずにハコフグ〔肝臓などに猛毒の「パリトキシン様毒」が含まれており、食べると呼吸困難や痙攣を起す可能性があり、死亡するケースもある〕を10月17日に3.6キロ、18日に4.7キロを仕入れ全てを販売、更に10月31日、11月1日にも同様に販売した、合計すると14匹を販売したらしいが2日現在食中毒の報告はないらしい。昔から「河豚は喰いたし、命は欲しい」と云うだけに、河豚は毒の部分〔肝〕を取り除けば高級料理である。豊臣秀吉の家来が河豚を食べて中毒になり死亡してから「河豚禁止令が出て」徳川時代も「河豚を食べる事は出来なかった」、しかし明治維新になり初代総理大臣伊藤博文は河豚禁止令を解除した、「何で簡単に禁止令が解除されたのかは」、伊藤博文が山口県〔長州〕の出身だからとの説もあるが定かではない。しかし、昭和50年に人間国宝、歌舞伎俳優「坂東三津五郎」が河豚中毒で死んでから河豚調理に関する規制が厳しくなり、東京都の場合は調理師免許を取得して2年、更に河豚調理見習いを2年経験して初めて河豚調理師試験を受験して合格しなければ「河豚調理」は出来ない事になっており、更に調理をした時に取り除いた「肝」は鍵の付いた鉄の容器に入れて、決められた場所〔東京の場合は築地市場〕で処分をする様に厳密に決められている。まぁ調理の仕方を誤ると命に係る料理だから当然と云えば当然だが、この河豚調理師の試験は国家試験ではなく各都道府県が個別に行っている試験資格である、首都圏では殆どが試験だが福井県では「ふぐ処理登録者」として講習会を受ければ良い、大阪府では「ふぐ取扱登録者」として講習会でOK、岡山県は「ふぐ調理者」で食品衛生に関する知識と食品衛生関係法規の講習会を受ければ良いし、ふぐの処理に関する実技も無、その他大分県が講習会で講習を受ければ良いそうだ。更に「ふぐ調理師」免許は、当該都道府県のみ有効で、大阪で講習で「ふぐ取扱登録者」の免許を取得しても隣接する奈良県、滋賀県、京都府、兵庫県は、それぞれ衛生法規、食品衛生学、ふぐに係る知識の試験があり、ふぐ処理に関する実技も受けなくてはならないので、大阪で取得した「ふぐ処理登録者」免許では大阪以外では使えない。試験も都道府県により「資格」取得の条件や難易度も異なっている為に各自治体により試験が必要となる。しかし、まかり間違えれば食べた人の命さえ奪う料理の調理人が試験でなく講習会を受ければ調理が出来るという事は不思議である、今回の事が無ければ話題にもならなかった、ふぐの調理師試験は全国統一の国家試験と思っていた。航空機のパイロットは搭乗する機種により、運航する機種により資格審査試験がある、例えばボーイング747-400は座席数565名〔普通席542〕は全日空の航空機では最大クラスの航空機で「ジャンボ」と呼ばれているが、この航空機の免許証では最新鋭航空機ボーイング787-8〔264人乗り〕は操縦が出来ない。自動車の様に普通車の免許を持てばどんな乗用車も運転が出来ると言う訳ではない、大勢の人の命を運ぶ飛行機〔航空機〕では当然といえば当然だが、幸いにも今回の肝付のふぐではむ死者が出る様な事はなかったが、万一死亡者が出た場合は、どうなるのか多分、業務上過失致死罪となるらしい。
昨日、ブータン国王夫妻がバンコク経由で成田空港に到着した。10月に結婚したばかりの新婚さん。端正なルックスで「イケメン国王」で人気がある国王の名前は
ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王〔31歳〕ジェツン・ペマ王妃〔21歳〕を伴っての実質的な新婚旅行である、16日に宮中晩餐会が行われたが気管支肺炎で東京大學病院に入院中の天皇陛下に代わり皇太子殿下と秋篠宮御夫妻が歓迎晩餐会に国王夫妻を招き御接待をした。ブータンの位置は南アジアのインドの上、中国の下に位置しており面積は38.400屬覇本の中国とほぼ同じ大きさの国である。人口は697.000人である。日本とのつながりがある親日家が多い。詳細につきましては次回・・・・
2011年10月12日
総理大臣官邸と総理大臣公邸のの話
10月8日「はとバス」都内観光の「国会案内」は土曜日と祝日連休の初日だった事もあり午後1時からのお客様が御乗車のバスは予定到着時間よりも10分以上早く12時30分に到着をした、新人の案内人が担当に就いていたが見学開始まで15分を持たせるのには大変だから急遽、旅人〔私〕が車内で時間調整の話を始めた。丁度バスが総理官邸を右手にした場所に停車していたので総理官邸の話から始めた。
総理大臣官邸は地上5階建て地下1階で建つ、屋上が平に作ってあるが屋上はヘリポートになっていて首都圏やその周辺に大災害や緊急事態〔例えば航空機事故や船舶事故〕等で政府関係が動かなければならない事件、事故が発生した時には最大4〜6機のヘリコプターが官邸から離着陸出来る様になっている、官邸の地下は、緊急事態に備える非常事態対応の閣僚会議室〔指令室〕になっており、非常事態が発生すると各省庁の大臣の他に防衛省〔自衛隊〕・警察庁〔警察〕・自治省〔消防〕や経済産業省〔ガス・水道・電気・通信〕・国土交通省〔海上保安庁・交通機関〕・気象庁の官僚が集められて対策を講じる、夜の夜中でも早朝にも、何時発生するか判らない非常事態に備える為に24時間365日官邸は官邸警備隊が警備を行い、官邸の周辺の国家公務員住宅には即応体制で行動出来る様に担当する官僚〔省庁幹部〕が待機をしている事になっている。しかし、阪神淡路大震災の時には震災の発生〔午前5時46分52秒〕時には官邸に発生が通知されたのは午前7時30分であり、公邸に住んでいた村山富市内閣総理大臣〔81代・社会党〕は午前6時のNHKニュースで兵庫県神戸市の災害状況を上空から撮影していた自衛隊や報道機関の速報は見ていたが即応せず、午前8時26分に官邸に出勤したが、誰もおらず、慌しさも無く、歩いて公邸に戻って、再び官邸に出勤したのは9時前であった、その後、新党問題や通常国会開催の準備、財界人との食事会など総理大臣の仕事をして、未曾有の災害に対する非常事態省を作ったのは、災害から数時間後の事である、大きな災害時には非常事態の初動体制が鍵になるが、阪神淡路大震災の時は兵庫県庁の屋上に設置された衛星通信設備の機能が十分に作動せず、県庁から防衛庁〔現在の防衛省〕に災害派遣要請が出された〔後日、災害派遣要請は兵庫県から防衛庁にされていた?されていなかった・・・と問題になった〕連絡手段が無く公衆無線や電話回線も寸断された、この時に行政省庁が災害を通知されたのは神戸にある神戸海洋気象台の通信回線で阪神淡路大震災発生を知らせた〔最大震度6.818ガル〕国土省と消防庁が午前6時19分に受信をした物が首都圏省庁が知った第一報だというが、6時のニュースでは村山総理をはじめ各省庁の大臣や閣僚はニュース報道を感知していたのだから、もっと敏感に知って行動をしても良かったのではないだろうか、この時の「時間空白」は大きく、兵庫県からの要請が無くても政府や防衛省が自治省〔消防庁〕が、兵庫県の要請が無くても動くべきで゜はなかったのか、実際に神戸から山を隔てた三田地区の消防署から消防車が1台神戸市内に向けて出動要請が無かったが、事の重大さを感知して出動をしている〔当時の新聞に通常は救助派遣要請又は消防車派遣要請で出るのが基本だが、間違いなく大きな災害になると感知したので所長権限で出動しました、万一余計な出動と言われたら私が責任をとるつもりでした・・・と記事があった〕。良くテレビのドラマで被害者〔この時点では被害者ではない〕が警察に訴えて「私が夜帰る時にストーカーに遭っている様な感じですが」助けて下さいと言うシーンがある。刑事は警察は「事件にならない」と捜査が出来ないと言うシーンがある。確かに警察がすべての事に関与する事は不可能だが「もしかしたら・・・」との話では捜査をして見る必要もあるのではないだろうか、最近は「あなたの友人や近くの人が拳銃や薬物〔麻薬〕をやっているとの噂を聞いたら警察に連絡下さい」とのビラが交番の掲示板に貼られている事もある、ともあれ、あの屋上のヘリポートには重大事故や重大事件、災害の時に東京都立川市にある自衛隊飛行隊〔陸海空航空隊〕から15分以内にヘリが到着するそうだ、更に官邸の前には大きな池があり、この池の水も15分以内で抜いてしまえは、ここもヘリポートとして使えるそうだ、その他、周辺官庁の屋上にも規模は大小様々で大きくないヘリポートを含めれば全国町村会館・最高裁判所・総務省〔警察庁〕・警視庁・弁護士会館・中央合同庁舎〔2箇所〕・高等検察庁・文部科学省・都道府県会館・衆議院赤坂議員宿舎・山王パークタワー・プレジデンシャルタワー・TBS赤坂BIZビルなどにヘリポートはある様だ〔民間も含む/空から確認をした限り〕更に離着陸設備はあるかどうか判らないが衆議院・参議院議員議長舎の庭にもベガ利着する事が出来るし、国会議事堂の北側には観光バスが50台程度駐車出来る駐車場もあり、ここだって7〜8機のヘリは離着陸可能である。あとは大災害が発生した時に、国のトップや閣僚や官僚が上手く動いてくれるかにかかる。
この国会議事堂が出来たのは昭和11年11月である、来月で、国会議事堂も75歳になる、しかし、この総理官邸〔現在公邸〕は昭和4年〔1929〕3月18日に出来た、つまり国会議事堂よりも7年も早く完成した、官邸完成3年後の5月15日に日本では初めての反乱事件〔クーデター〕が発生した、これが5.15事件で大日本帝国海軍の青年将校らが首相官邸に乱入して当時護憲運動の旗頭とも言える犬養毅総理大臣を食堂で暗殺した、他にも立憲政友会本部や内大臣邸、日本銀行など手榴弾が投げ込まれたが不発だった。通常、この様な反乱事件は軍法会議で行われ、海軍兵士は海軍横須賀守府軍法会議で、陸軍本科生は陸軍軍法会議で民間人は東京地方裁判所で元陸軍士官候補生は陸海軍軍法会議ではなく民間人と同じく東京地方裁判所で裁判を受けたが総理大臣殺害の三上卓海軍中尉以下22名は有罪〔禁錮5年から15年〕になった。国会議事堂が工事中の11年2月26日に当時の総理大臣官邸で起こったのが2.26事件である「日本陸軍皇道派の影響を受けて青年将校ら1.483名が昭和維新断行クーデターの事件」である、この時は斉藤実内大臣・高橋是清大蔵大臣・渡邊錠太郎陸軍教育総監・鈴木貫太郎侍従長・松尾伝像総理大臣秘書官が暗殺され、5名の警察官が殉職をしている、事件被告人の2名は自決、裁判では民間を含む18名が死刑、無期懲役が6名、有期刑1年〜5年となったが5.15事件では最高刑が15年に対して2.26事件では民間を含めて18名の死刑が出た事により2.26事件はクーデター再発の見せしめになったかもしれません。
ともあれ首相官邸を舞台とした話は多く、その中でも都市伝説化している話が「首相公邸の幽霊」の話、この首相公邸は現在の首相官邸〔総理大臣官邸〕が完成するまでは、総理官邸として使われていて、5.15事件も2.26事件も現在の総理大臣公邸で起こっている〔実際は現在公邸ではなく官邸の事務所に使われていた建物で1945年5月24日に戦災で焼失〕、だが現在の首相公邸には時折軍服姿の幽霊が出るとの噂がある、羽田孜〔現民主党〕元総理大臣の妻綏子夫人が、庭に軍服を着た兵士が沢山いるといってお祓いを受けた事もあるし、森総理大臣も夜中に「ザックザック」と云う軍靴の音を聞いて、部屋の扉を蹴破ったら出せれも居なかった、この話を次期総理大臣の小泉純一郎総理に話をしたら笑って「幽霊なんて居ないでしょう、俺はそんな話は信じません」と言ったが、翌日、総理官邸の裏にある山王神社から神官を呼んでお払いをして貰ったとの話もあるから、まんざら嘘ではないらしい。戦後は吉田総理大臣が芝白金台の旧朝香宮邸を外務大臣公邸として総理兼外務大臣であった事から外務大臣公邸を使っていた〔現在の庭園美術館〕、以下片山・芦田・吉田・鳩山・石橋が自宅を総理公邸として使った、特に有名なのは鳩山一郎総理大臣〔鳩山由紀夫・鳩山邦夫代議士の父〕の時は鳩山の自宅を「音羽御殿」と称して政治の舞台として使った。岸信介総理の時は官邸〔現在の公邸〕が60年安保〔日米安保条約〕反対のデモ隊に包囲されて秘密の出口〔現在は無〕から出たとの話がある、その次の池田勇人総理の時には公邸が改築工事で自宅から通勤をしていた、次の佐藤栄作総理になって32年ぶりに、総理大臣が公邸に入ったが、この時にも日米安全保障条約〔安保〕反対デモ隊に周囲を固められて佐藤総理は缶詰となった、続いて総理大臣になったのが田中角栄総理大臣で、この人は公邸に入らず文京区目白の自邸を「目白御殿」として利用した、次の三木武夫総理大臣は前任者〔田中角栄〕と違いをアピールして「クリーンな三木」として公邸に入った、福田・大平・鈴木総理は自宅を選び6年間が公邸は空き家となったが、中曽根康弘総理大臣の時に「官邸機能の強化を目的にして任期中の5年間を公邸で暮した」そして閣議で官邸の建て替えを閣議決定をした〔1987〕以後竹下登〔自宅〕宇野宗佑〔公邸〕海部俊樹〔公邸〕宮沢喜一〔自宅〕細川護煕〔公邸〕となってから小泉純一郎総理大臣が新総理大臣公邸出来るまで品川区東五反田の内閣法制局長官公邸を仮公邸にして住んだ期間を除いて野田佳彦内閣総理大臣〔95代〕まで全員が総理大臣就任期間を公邸を自宅として使っています。野田総理は平成23年10月1日に引越しを完了しました。
公邸の中の話は官邸の話より面白い、例えば閣僚〔大臣〕が就任をした時に記念写真を撮るが、この記念写真を撮る場所は国会議事堂の正面扉を入って天皇陛下が御休所に昇る階段と勘違いをしている人が多い様だが実は官邸の階段で、新官邸の出来る前は、公邸〔当時の総理官邸〕の玄関から2階に通じる階段の所で撮影をする、この階段を「男の花道と呼ぶ」、旅人も小泉政権の頃、この階段を昇った事があるが国会議事堂の絨毯〔厚さ7mm〕と同じ色で同じメーカー〔京都川島織物〕の品物と思う〔未確認〕、この男の花道の後ろに、あまり知られていない〔多分、国会関係者でも知っている人は少ないと思う〕場所がある。丁度「男の花道」の裏側に小さな滝がある、そこに3匹の蛙がいる・・・・とは云うものの陶器で出来ている、何でこんな所に蛙の置物かと云うと、小泉元総理の秘書官だった飯島勲政策秘書官の書いた「笑っちゃうけれど本当の話」の中に「蛙」の話が載っていた、「総理官邸には色々な人が出入りするが、あまり出入りする人が多かったり、長く居残ると政権が危なくなるので」早く帰れという事で「蛙」が3匹いるとの事、案内人の佐藤さんに話をしたら、入口の所に箒を立てて置いた方が良いのにと話をしたが、外国人には通じるかな、それだったら「蛙」の方が効果的かも・・・・しかし、一般来訪者には見る事が出来ない場所にあるのが憎いとは思いませんか。
総理公邸の屋根の部分に鳥が住んでいるのは知りませんか・・・・と云うと、カラスですか?と聞く人がいる、鳩山一郎元総理大臣が「音羽御殿」として首相公邸として使っていた「鳩山会館」には、鳩が建物の壁面に羽ばたいていたが、首相官邸の煙突の部分には梟が4羽「永田町の夜は守る」と目を光らせているらしい、そういえば公邸の2階には高遠内藤家が所有していた鷲の絵の衝立があると聞いていたが見損なった。
ところで、国会議員さんになったら「総理大臣」なる事が議員さんの目標である、第一議員会館の1号室から12号室〔3階の場合301号室から312号室〕の部屋から首相官邸が見える、首相官邸は地上5階建て地下1階だから、ベストの部屋は7階から上の部屋が良い、この部屋から官邸と公邸が見える、「俺も、何十年後にはあちらの住人になるぞ」・・・・・なんて希望を持って働けるらしい、この第一議員会館の各階1号室から12号室に事務所のある代議士は麻生太郎・田中真紀子・鳩山由紀夫・馬淵澄夫・原口一博・町村信孝・菅直人・岡田克也・野田聖子・小池百合子・小沢一郎・川崎二郎・高村正彦・前原誠司・仙石由人・枝野幸男・田中和徳・安住淳・中川秀直・福田康夫・安倍晋三・塩崎恭久代議士の部屋がある。第一議員会館は割合ベテラン議員が多いそうだ。
総理大臣官邸は地上5階建て地下1階で建つ、屋上が平に作ってあるが屋上はヘリポートになっていて首都圏やその周辺に大災害や緊急事態〔例えば航空機事故や船舶事故〕等で政府関係が動かなければならない事件、事故が発生した時には最大4〜6機のヘリコプターが官邸から離着陸出来る様になっている、官邸の地下は、緊急事態に備える非常事態対応の閣僚会議室〔指令室〕になっており、非常事態が発生すると各省庁の大臣の他に防衛省〔自衛隊〕・警察庁〔警察〕・自治省〔消防〕や経済産業省〔ガス・水道・電気・通信〕・国土交通省〔海上保安庁・交通機関〕・気象庁の官僚が集められて対策を講じる、夜の夜中でも早朝にも、何時発生するか判らない非常事態に備える為に24時間365日官邸は官邸警備隊が警備を行い、官邸の周辺の国家公務員住宅には即応体制で行動出来る様に担当する官僚〔省庁幹部〕が待機をしている事になっている。しかし、阪神淡路大震災の時には震災の発生〔午前5時46分52秒〕時には官邸に発生が通知されたのは午前7時30分であり、公邸に住んでいた村山富市内閣総理大臣〔81代・社会党〕は午前6時のNHKニュースで兵庫県神戸市の災害状況を上空から撮影していた自衛隊や報道機関の速報は見ていたが即応せず、午前8時26分に官邸に出勤したが、誰もおらず、慌しさも無く、歩いて公邸に戻って、再び官邸に出勤したのは9時前であった、その後、新党問題や通常国会開催の準備、財界人との食事会など総理大臣の仕事をして、未曾有の災害に対する非常事態省を作ったのは、災害から数時間後の事である、大きな災害時には非常事態の初動体制が鍵になるが、阪神淡路大震災の時は兵庫県庁の屋上に設置された衛星通信設備の機能が十分に作動せず、県庁から防衛庁〔現在の防衛省〕に災害派遣要請が出された〔後日、災害派遣要請は兵庫県から防衛庁にされていた?されていなかった・・・と問題になった〕連絡手段が無く公衆無線や電話回線も寸断された、この時に行政省庁が災害を通知されたのは神戸にある神戸海洋気象台の通信回線で阪神淡路大震災発生を知らせた〔最大震度6.818ガル〕国土省と消防庁が午前6時19分に受信をした物が首都圏省庁が知った第一報だというが、6時のニュースでは村山総理をはじめ各省庁の大臣や閣僚はニュース報道を感知していたのだから、もっと敏感に知って行動をしても良かったのではないだろうか、この時の「時間空白」は大きく、兵庫県からの要請が無くても政府や防衛省が自治省〔消防庁〕が、兵庫県の要請が無くても動くべきで゜はなかったのか、実際に神戸から山を隔てた三田地区の消防署から消防車が1台神戸市内に向けて出動要請が無かったが、事の重大さを感知して出動をしている〔当時の新聞に通常は救助派遣要請又は消防車派遣要請で出るのが基本だが、間違いなく大きな災害になると感知したので所長権限で出動しました、万一余計な出動と言われたら私が責任をとるつもりでした・・・と記事があった〕。良くテレビのドラマで被害者〔この時点では被害者ではない〕が警察に訴えて「私が夜帰る時にストーカーに遭っている様な感じですが」助けて下さいと言うシーンがある。刑事は警察は「事件にならない」と捜査が出来ないと言うシーンがある。確かに警察がすべての事に関与する事は不可能だが「もしかしたら・・・」との話では捜査をして見る必要もあるのではないだろうか、最近は「あなたの友人や近くの人が拳銃や薬物〔麻薬〕をやっているとの噂を聞いたら警察に連絡下さい」とのビラが交番の掲示板に貼られている事もある、ともあれ、あの屋上のヘリポートには重大事故や重大事件、災害の時に東京都立川市にある自衛隊飛行隊〔陸海空航空隊〕から15分以内にヘリが到着するそうだ、更に官邸の前には大きな池があり、この池の水も15分以内で抜いてしまえは、ここもヘリポートとして使えるそうだ、その他、周辺官庁の屋上にも規模は大小様々で大きくないヘリポートを含めれば全国町村会館・最高裁判所・総務省〔警察庁〕・警視庁・弁護士会館・中央合同庁舎〔2箇所〕・高等検察庁・文部科学省・都道府県会館・衆議院赤坂議員宿舎・山王パークタワー・プレジデンシャルタワー・TBS赤坂BIZビルなどにヘリポートはある様だ〔民間も含む/空から確認をした限り〕更に離着陸設備はあるかどうか判らないが衆議院・参議院議員議長舎の庭にもベガ利着する事が出来るし、国会議事堂の北側には観光バスが50台程度駐車出来る駐車場もあり、ここだって7〜8機のヘリは離着陸可能である。あとは大災害が発生した時に、国のトップや閣僚や官僚が上手く動いてくれるかにかかる。
この国会議事堂が出来たのは昭和11年11月である、来月で、国会議事堂も75歳になる、しかし、この総理官邸〔現在公邸〕は昭和4年〔1929〕3月18日に出来た、つまり国会議事堂よりも7年も早く完成した、官邸完成3年後の5月15日に日本では初めての反乱事件〔クーデター〕が発生した、これが5.15事件で大日本帝国海軍の青年将校らが首相官邸に乱入して当時護憲運動の旗頭とも言える犬養毅総理大臣を食堂で暗殺した、他にも立憲政友会本部や内大臣邸、日本銀行など手榴弾が投げ込まれたが不発だった。通常、この様な反乱事件は軍法会議で行われ、海軍兵士は海軍横須賀守府軍法会議で、陸軍本科生は陸軍軍法会議で民間人は東京地方裁判所で元陸軍士官候補生は陸海軍軍法会議ではなく民間人と同じく東京地方裁判所で裁判を受けたが総理大臣殺害の三上卓海軍中尉以下22名は有罪〔禁錮5年から15年〕になった。国会議事堂が工事中の11年2月26日に当時の総理大臣官邸で起こったのが2.26事件である「日本陸軍皇道派の影響を受けて青年将校ら1.483名が昭和維新断行クーデターの事件」である、この時は斉藤実内大臣・高橋是清大蔵大臣・渡邊錠太郎陸軍教育総監・鈴木貫太郎侍従長・松尾伝像総理大臣秘書官が暗殺され、5名の警察官が殉職をしている、事件被告人の2名は自決、裁判では民間を含む18名が死刑、無期懲役が6名、有期刑1年〜5年となったが5.15事件では最高刑が15年に対して2.26事件では民間を含めて18名の死刑が出た事により2.26事件はクーデター再発の見せしめになったかもしれません。
ともあれ首相官邸を舞台とした話は多く、その中でも都市伝説化している話が「首相公邸の幽霊」の話、この首相公邸は現在の首相官邸〔総理大臣官邸〕が完成するまでは、総理官邸として使われていて、5.15事件も2.26事件も現在の総理大臣公邸で起こっている〔実際は現在公邸ではなく官邸の事務所に使われていた建物で1945年5月24日に戦災で焼失〕、だが現在の首相公邸には時折軍服姿の幽霊が出るとの噂がある、羽田孜〔現民主党〕元総理大臣の妻綏子夫人が、庭に軍服を着た兵士が沢山いるといってお祓いを受けた事もあるし、森総理大臣も夜中に「ザックザック」と云う軍靴の音を聞いて、部屋の扉を蹴破ったら出せれも居なかった、この話を次期総理大臣の小泉純一郎総理に話をしたら笑って「幽霊なんて居ないでしょう、俺はそんな話は信じません」と言ったが、翌日、総理官邸の裏にある山王神社から神官を呼んでお払いをして貰ったとの話もあるから、まんざら嘘ではないらしい。戦後は吉田総理大臣が芝白金台の旧朝香宮邸を外務大臣公邸として総理兼外務大臣であった事から外務大臣公邸を使っていた〔現在の庭園美術館〕、以下片山・芦田・吉田・鳩山・石橋が自宅を総理公邸として使った、特に有名なのは鳩山一郎総理大臣〔鳩山由紀夫・鳩山邦夫代議士の父〕の時は鳩山の自宅を「音羽御殿」と称して政治の舞台として使った。岸信介総理の時は官邸〔現在の公邸〕が60年安保〔日米安保条約〕反対のデモ隊に包囲されて秘密の出口〔現在は無〕から出たとの話がある、その次の池田勇人総理の時には公邸が改築工事で自宅から通勤をしていた、次の佐藤栄作総理になって32年ぶりに、総理大臣が公邸に入ったが、この時にも日米安全保障条約〔安保〕反対デモ隊に周囲を固められて佐藤総理は缶詰となった、続いて総理大臣になったのが田中角栄総理大臣で、この人は公邸に入らず文京区目白の自邸を「目白御殿」として利用した、次の三木武夫総理大臣は前任者〔田中角栄〕と違いをアピールして「クリーンな三木」として公邸に入った、福田・大平・鈴木総理は自宅を選び6年間が公邸は空き家となったが、中曽根康弘総理大臣の時に「官邸機能の強化を目的にして任期中の5年間を公邸で暮した」そして閣議で官邸の建て替えを閣議決定をした〔1987〕以後竹下登〔自宅〕宇野宗佑〔公邸〕海部俊樹〔公邸〕宮沢喜一〔自宅〕細川護煕〔公邸〕となってから小泉純一郎総理大臣が新総理大臣公邸出来るまで品川区東五反田の内閣法制局長官公邸を仮公邸にして住んだ期間を除いて野田佳彦内閣総理大臣〔95代〕まで全員が総理大臣就任期間を公邸を自宅として使っています。野田総理は平成23年10月1日に引越しを完了しました。
公邸の中の話は官邸の話より面白い、例えば閣僚〔大臣〕が就任をした時に記念写真を撮るが、この記念写真を撮る場所は国会議事堂の正面扉を入って天皇陛下が御休所に昇る階段と勘違いをしている人が多い様だが実は官邸の階段で、新官邸の出来る前は、公邸〔当時の総理官邸〕の玄関から2階に通じる階段の所で撮影をする、この階段を「男の花道と呼ぶ」、旅人も小泉政権の頃、この階段を昇った事があるが国会議事堂の絨毯〔厚さ7mm〕と同じ色で同じメーカー〔京都川島織物〕の品物と思う〔未確認〕、この男の花道の後ろに、あまり知られていない〔多分、国会関係者でも知っている人は少ないと思う〕場所がある。丁度「男の花道」の裏側に小さな滝がある、そこに3匹の蛙がいる・・・・とは云うものの陶器で出来ている、何でこんな所に蛙の置物かと云うと、小泉元総理の秘書官だった飯島勲政策秘書官の書いた「笑っちゃうけれど本当の話」の中に「蛙」の話が載っていた、「総理官邸には色々な人が出入りするが、あまり出入りする人が多かったり、長く居残ると政権が危なくなるので」早く帰れという事で「蛙」が3匹いるとの事、案内人の佐藤さんに話をしたら、入口の所に箒を立てて置いた方が良いのにと話をしたが、外国人には通じるかな、それだったら「蛙」の方が効果的かも・・・・しかし、一般来訪者には見る事が出来ない場所にあるのが憎いとは思いませんか。
総理公邸の屋根の部分に鳥が住んでいるのは知りませんか・・・・と云うと、カラスですか?と聞く人がいる、鳩山一郎元総理大臣が「音羽御殿」として首相公邸として使っていた「鳩山会館」には、鳩が建物の壁面に羽ばたいていたが、首相官邸の煙突の部分には梟が4羽「永田町の夜は守る」と目を光らせているらしい、そういえば公邸の2階には高遠内藤家が所有していた鷲の絵の衝立があると聞いていたが見損なった。
ところで、国会議員さんになったら「総理大臣」なる事が議員さんの目標である、第一議員会館の1号室から12号室〔3階の場合301号室から312号室〕の部屋から首相官邸が見える、首相官邸は地上5階建て地下1階だから、ベストの部屋は7階から上の部屋が良い、この部屋から官邸と公邸が見える、「俺も、何十年後にはあちらの住人になるぞ」・・・・・なんて希望を持って働けるらしい、この第一議員会館の各階1号室から12号室に事務所のある代議士は麻生太郎・田中真紀子・鳩山由紀夫・馬淵澄夫・原口一博・町村信孝・菅直人・岡田克也・野田聖子・小池百合子・小沢一郎・川崎二郎・高村正彦・前原誠司・仙石由人・枝野幸男・田中和徳・安住淳・中川秀直・福田康夫・安倍晋三・塩崎恭久代議士の部屋がある。第一議員会館は割合ベテラン議員が多いそうだ。
2011年10月09日
年収1.500万円では生活が苦しくて社宅で暮してました
衆議院予算委員会で安住淳財務大臣に対して「埼玉県朝霞公務員宿舎建設に伴う」質問に立った、自由民主党の塩崎〔恭久元官房長官〕衆議院議員の答弁で「先生の様に資産のある方は良いが〔若い役人〕には公務員宿舎の便宜供与もあってしかるべき」と話、更に「私もNHK時代〔NHK報道部記者〕は給料で生活が出来ず、NHKの社宅に住んだ事もある、多少の便宜供与もあってしかるべきだ」と答えた、この答弁を委員会で取材をしていた国会記者席の放送記者は「????」だった。塩崎議員も、この答弁に「切り込み先を替えて」同委員会に出席中の小宮山洋子厚生労働大臣に答弁を求めた。塩崎議員の「NHKの給与は、そんなに安いのですか」の質問に対して、同じくNHK出身の小宮山大臣は、苦虫を殺した様に「職員の平均年収は1.040万円」と答弁をさせられる羽目になった。しかし、放送記者は、通常のNHK局員からすると残業もあるし、取材の手当てもあり出張もある、つまり平均給与よりも高い給与を貰っている筈だ、NHKに限らず、第一線で働く報道記者の、年収は国会議員の年収までは行かないが、恐らく1.500万円近くの収入は貰っている、それを、その給与では生活が苦しいのでNHKの社宅に入っていたと言う、そもそも、そのNHK社宅は公務員宿舎に引けをとらない程の格安家賃である。例えばNHK「羽沢寮」の場合は、TVの有名タレントや大会社の社長、スポーツ選手等の住む渋谷区広尾の高級住宅街の中にあり2.200平方辰旅大な敷地に3階建ての社宅が3棟並び、お洒落な外観からして、民間の不動産業者に聞くと最低家賃は3LDKで35万円〜50万円程度だが、NHK職員の場合は年齢や勤務内容〔職種〕、給与により家賃は変動するが3LDKでも3〜5万円の格安家賃では入れるらしい、都内にはNHKの社宅は目黒や渋谷、四谷、信濃町等の都心の1等地にあり、どの宿舎も7万円以下で入居出来て、交通便が良い、勿論東京以外にも地方都市にもあり、その他にはNHKが借りて職員住宅として使用している借り上げ住宅も多く、この住宅にしても格安家賃で入居出来る。これらの住宅は「国民が払っている受信料から」支払われている事をNHK社員は忘れないで欲しい。
更に社宅に住まない職員には月々18万円以上の住宅手当が出ている、福利厚生は民間会社からすると格段に良い、金銭感覚が無い財務大臣に対して野田総理大臣も公務員の皆さんは安い給与で働いているのだから、たしかに公務員住宅は必要だし、多少の便宜供与もあってしかるべきと考えたが、身内の民主党の内部からも反対意見があり国の「事業仕分け」において当時の枝野幸男行政担当大臣は凍結を一時決定した〔平成21年11月〕が、野田総理大臣が財務大臣だった昨年末〔平成22年〕に凍結を解除して着工を指示し、今年9月1日に工事を再開させた〔凍結解除〕が、財務省には着工批判が多く、8月に地元説明会を開催したが、予想以上の反対意見が多く、説明会が紛争して質問を一方的に打ち切り、地元民の理解が得られず反感を買った為に、着工も強行する事となった、「善は急げ」と云う事で9月1日から突貫工事が進められ、1週間日曜日を除く、平日は1日10時間の突貫工事で天候にも左右されず、台風の影響で猛烈な風雨に見舞われ、都内の交通網が寸断され多くの人が帰宅困難者となった「あの日」にも中断される事がなく工事は行われた、財務省は工事続行の既成事実を確立する〔つまり工事を進める事で、もう工事は中断出来ませんョ〕工事を中断すれば違約金やこれまでの工事費用の支払いが発生しますと云う言い訳の既成事実を作ろうとする「善は急げ」の突貫工事着手であった。更に埼玉県内の公務員宿舎を1千戸廃止又は売却するとして、朝霞の公務員宿舎に集約する事で10億円〜25億円程度復興財源に回せると反論をした。野田総理大臣が朝霞公務員宿舎予定地を10月3日に現地視察を行い「東日本大震災の復興も進んでいないし、被災地では、家を失い、或いは家があっても帰れない状況の中、105億円もかけた国家公務員住宅の建設は世論が認める訳が無い」として現地を視察して再凍結に踏み切った。しかし、野田総理としては何とか復興財源を補う為に増税への理解を求める腹づもりで、公務員宿舎の建設もどんどん建設をして国の借金を増やして、現在の日本の借金は「〇〇〇兆円です」、これ以上借金を増やすと日本の財政はニッチもサッチも行かなくなります、その上は、国民の皆様に理解を頂き「増税をお願いします」と言うのが野田劇場公演のシナリオと考える。観客は仕方が無いか・・・と「増税」理解に走るだろうと舞台裏では考えている様だ。
しかし、日本以外で国家公務員住宅が多い国はありません、国家公務員用住宅〔つまり国家公務員宿舎〕は戦後〔昭和24年/1949〕に国家公務員宿舎法が出来て作られました。この法律は、当時安い給与で働く公務員〔実際に、この時は公務員給与は安くて遅配もあったそうです〕に対して住む所位は用意しましょうと云う事で作られました。その後、震災や災害などの初動行動の必要性から〔緊急性の対応〕職員をなるべく省庁に近い場所に住んで貰う事から公務員宿舎は建設が始まり、更に僻地勤務の職員にも住宅をと云う事で建設をして、現在は国家公務員56万人〔独立行政法人職員を含む〕の住宅として21万8千戸の公務員宿舎があります。代表的な公務員宿舎としては総理大臣公邸や衆参両議長の公邸、国会議員宿舎、更に海外にある大使館職員の住まい〔在外公館203箇所〕も国家公務員住宅の1っと考えられます。公務員宿舎は利便の良い場所にありますが全国で1万5千室〔公務員宿舎の7.7%=塩崎代議士〕の空室があります、昔は国家公務員の給与は安く、住む所さえ無かったので公務員住宅の必要性がありましたが、現在は住宅事情も格段に良くなっています、給与だって一般企業や中小企業で働く人よりも格段に良くなっています、一般企業で働く人の年収が700万円で国家公務員の平均年収は1.000万円でしょうか、一般企業の社宅は年々景気後退状態で閉鎖され売却されているなか、国家公務員住宅は新築を続けています、東京の場合江東区東雲の国家公務員住宅は142億円で建設され900戸あります、付近の不動産屋さんに聞くと賃貸マンションの相場は3LDKで月20万前後ですが国家公務員住宅の家賃は5万円です。東京拘置所に近い小菅国家公務員住宅は昨年建設費159億円で1.220戸建設がされました、現地の3LDKの賃貸マンションの価格は月11万円平均ですが、こちらも国家公務員は3LDKで5万円、小金井住宅は122億円で昨年に建設され982戸ありますが中央線の最寄り駅より交通便も良く、こちらも3LDKで15万円前後の相場に対して,国家公務員住宅入居者は4万円の家賃である。退職時には退去が原則だが退職後に一般企業に転職〔天下り〕をしても次の住まいの手当てが出来るまで暫定的に入居をしている人もいる。
本来なら会社を辞めたら1週間から1ヶ月以内に社宅は出ないと問題になるが、公務員の場合は退職しても次の住まいが見つかるまでと入居が続けられるケースがあり、退去を勧告されても中々良い物件が見つからないとして居残る人もいるらしい、やっぱり公務員社宅は良い、この条件で一般マンションを探したら家賃が20万円と今までの4倍以上だったと驚いた人がいたと云うが全く金銭感覚が麻痺していると斡旋相談に立ち会った不動産屋さんは云う。こんな事を書くと国会議事堂で案内をする小生は代議士の先生に何か言われそうだが「国会議員宿舎」もれっきとした国家公務員住宅の1ッであるが、722名の国会議員さんのうち、地方に地盤を持つ議員は〔東京23区に自宅を持つ議員は入居出来ない〕、東京の住居として議員宿舎に入るが赤坂・九段など何れも都心の1等地にあるが3LDKで家賃は9万2千円と安い。
新赤坂議員宿舎は2007年度に完成300戸で地上28階、地下2階の3LDKで部屋の広さは82屐現在の入居者は自由民主党156名、民主党58名、公明党23名、共産党8名、社会民主党3名、国民新党3名、無所属4名であるから、約40部屋が空室だ。議員宿舎はカードキーで入所出来る、平成22年4月に民主党の中井洽元国家公安委員長〔三重1区〕が愛人にカードキーを渡して議員以外の他人に使わせた事が判り問題化したためにカードキーの交付はかなり厳格となったが、議員以外には外国から帰国した外務省職員〔外交官〕も一時的に居住出来る。九段宿舎は1975年に完成、地上9階建てで125戸で3LDKでこちらも82屬△襦家賃は6万3.541円である〔以上は衆議院議員宿舎〕、参議院の宿舎は千代田区紀尾井町に清水谷宿舎がある建物は1969年に建てられたもので老朽化が進み東側に高層16階建て3LDKの宿舎の移転計画がある。
話は元に戻るが目黒の1等地に公務員幹部用宿舎がある5階建の幹部用の宿舎は築15年の宿舎だが1フロアに2軒だけの4LDKの高級仕様だが、近くの不動産屋の家賃査定では4LDK〔70〜80屐佑覆蕕舒造見積もっても25万円はするそうだが、ここに住む某財務次官の部屋の家賃は何と8万円だという、前出の不動産屋の話では、この辺りで8万円の家賃ではマンションでは無理、アパートなら6畳1間の部屋でシャワー〔湯舟は無し〕付の部屋ならあるそうだ、財務官僚なら年収は少なくても3.000万円程度ある、その年収を取っている事務次官の公務員宿舎の家賃が8万円で、極当たり前の一般会社勤めの課長クラスで年収は1,000万円がやっとでマンションの家賃が15万円〔平均2LDK〕、これは納得行かない。安住財務大臣はNHKに在職当時は1.500万円の年収では生活が苦しくてNHKの社宅に入っていた「住まい〔公務員住宅/社宅〕など多少の便利供与があっても良いのでは」と発言をしたと云うが、公務員の給料は一般会社勤めの社員よりも格段に高い給料を貰っているのだから、家賃も付近の家賃価格に沿った家賃を公務員住宅家賃として払うのが当然であると旅人は思う。
更に社宅に住まない職員には月々18万円以上の住宅手当が出ている、福利厚生は民間会社からすると格段に良い、金銭感覚が無い財務大臣に対して野田総理大臣も公務員の皆さんは安い給与で働いているのだから、たしかに公務員住宅は必要だし、多少の便宜供与もあってしかるべきと考えたが、身内の民主党の内部からも反対意見があり国の「事業仕分け」において当時の枝野幸男行政担当大臣は凍結を一時決定した〔平成21年11月〕が、野田総理大臣が財務大臣だった昨年末〔平成22年〕に凍結を解除して着工を指示し、今年9月1日に工事を再開させた〔凍結解除〕が、財務省には着工批判が多く、8月に地元説明会を開催したが、予想以上の反対意見が多く、説明会が紛争して質問を一方的に打ち切り、地元民の理解が得られず反感を買った為に、着工も強行する事となった、「善は急げ」と云う事で9月1日から突貫工事が進められ、1週間日曜日を除く、平日は1日10時間の突貫工事で天候にも左右されず、台風の影響で猛烈な風雨に見舞われ、都内の交通網が寸断され多くの人が帰宅困難者となった「あの日」にも中断される事がなく工事は行われた、財務省は工事続行の既成事実を確立する〔つまり工事を進める事で、もう工事は中断出来ませんョ〕工事を中断すれば違約金やこれまでの工事費用の支払いが発生しますと云う言い訳の既成事実を作ろうとする「善は急げ」の突貫工事着手であった。更に埼玉県内の公務員宿舎を1千戸廃止又は売却するとして、朝霞の公務員宿舎に集約する事で10億円〜25億円程度復興財源に回せると反論をした。野田総理大臣が朝霞公務員宿舎予定地を10月3日に現地視察を行い「東日本大震災の復興も進んでいないし、被災地では、家を失い、或いは家があっても帰れない状況の中、105億円もかけた国家公務員住宅の建設は世論が認める訳が無い」として現地を視察して再凍結に踏み切った。しかし、野田総理としては何とか復興財源を補う為に増税への理解を求める腹づもりで、公務員宿舎の建設もどんどん建設をして国の借金を増やして、現在の日本の借金は「〇〇〇兆円です」、これ以上借金を増やすと日本の財政はニッチもサッチも行かなくなります、その上は、国民の皆様に理解を頂き「増税をお願いします」と言うのが野田劇場公演のシナリオと考える。観客は仕方が無いか・・・と「増税」理解に走るだろうと舞台裏では考えている様だ。
しかし、日本以外で国家公務員住宅が多い国はありません、国家公務員用住宅〔つまり国家公務員宿舎〕は戦後〔昭和24年/1949〕に国家公務員宿舎法が出来て作られました。この法律は、当時安い給与で働く公務員〔実際に、この時は公務員給与は安くて遅配もあったそうです〕に対して住む所位は用意しましょうと云う事で作られました。その後、震災や災害などの初動行動の必要性から〔緊急性の対応〕職員をなるべく省庁に近い場所に住んで貰う事から公務員宿舎は建設が始まり、更に僻地勤務の職員にも住宅をと云う事で建設をして、現在は国家公務員56万人〔独立行政法人職員を含む〕の住宅として21万8千戸の公務員宿舎があります。代表的な公務員宿舎としては総理大臣公邸や衆参両議長の公邸、国会議員宿舎、更に海外にある大使館職員の住まい〔在外公館203箇所〕も国家公務員住宅の1っと考えられます。公務員宿舎は利便の良い場所にありますが全国で1万5千室〔公務員宿舎の7.7%=塩崎代議士〕の空室があります、昔は国家公務員の給与は安く、住む所さえ無かったので公務員住宅の必要性がありましたが、現在は住宅事情も格段に良くなっています、給与だって一般企業や中小企業で働く人よりも格段に良くなっています、一般企業で働く人の年収が700万円で国家公務員の平均年収は1.000万円でしょうか、一般企業の社宅は年々景気後退状態で閉鎖され売却されているなか、国家公務員住宅は新築を続けています、東京の場合江東区東雲の国家公務員住宅は142億円で建設され900戸あります、付近の不動産屋さんに聞くと賃貸マンションの相場は3LDKで月20万前後ですが国家公務員住宅の家賃は5万円です。東京拘置所に近い小菅国家公務員住宅は昨年建設費159億円で1.220戸建設がされました、現地の3LDKの賃貸マンションの価格は月11万円平均ですが、こちらも国家公務員は3LDKで5万円、小金井住宅は122億円で昨年に建設され982戸ありますが中央線の最寄り駅より交通便も良く、こちらも3LDKで15万円前後の相場に対して,国家公務員住宅入居者は4万円の家賃である。退職時には退去が原則だが退職後に一般企業に転職〔天下り〕をしても次の住まいの手当てが出来るまで暫定的に入居をしている人もいる。
本来なら会社を辞めたら1週間から1ヶ月以内に社宅は出ないと問題になるが、公務員の場合は退職しても次の住まいが見つかるまでと入居が続けられるケースがあり、退去を勧告されても中々良い物件が見つからないとして居残る人もいるらしい、やっぱり公務員社宅は良い、この条件で一般マンションを探したら家賃が20万円と今までの4倍以上だったと驚いた人がいたと云うが全く金銭感覚が麻痺していると斡旋相談に立ち会った不動産屋さんは云う。こんな事を書くと国会議事堂で案内をする小生は代議士の先生に何か言われそうだが「国会議員宿舎」もれっきとした国家公務員住宅の1ッであるが、722名の国会議員さんのうち、地方に地盤を持つ議員は〔東京23区に自宅を持つ議員は入居出来ない〕、東京の住居として議員宿舎に入るが赤坂・九段など何れも都心の1等地にあるが3LDKで家賃は9万2千円と安い。
新赤坂議員宿舎は2007年度に完成300戸で地上28階、地下2階の3LDKで部屋の広さは82屐現在の入居者は自由民主党156名、民主党58名、公明党23名、共産党8名、社会民主党3名、国民新党3名、無所属4名であるから、約40部屋が空室だ。議員宿舎はカードキーで入所出来る、平成22年4月に民主党の中井洽元国家公安委員長〔三重1区〕が愛人にカードキーを渡して議員以外の他人に使わせた事が判り問題化したためにカードキーの交付はかなり厳格となったが、議員以外には外国から帰国した外務省職員〔外交官〕も一時的に居住出来る。九段宿舎は1975年に完成、地上9階建てで125戸で3LDKでこちらも82屬△襦家賃は6万3.541円である〔以上は衆議院議員宿舎〕、参議院の宿舎は千代田区紀尾井町に清水谷宿舎がある建物は1969年に建てられたもので老朽化が進み東側に高層16階建て3LDKの宿舎の移転計画がある。
話は元に戻るが目黒の1等地に公務員幹部用宿舎がある5階建の幹部用の宿舎は築15年の宿舎だが1フロアに2軒だけの4LDKの高級仕様だが、近くの不動産屋の家賃査定では4LDK〔70〜80屐佑覆蕕舒造見積もっても25万円はするそうだが、ここに住む某財務次官の部屋の家賃は何と8万円だという、前出の不動産屋の話では、この辺りで8万円の家賃ではマンションでは無理、アパートなら6畳1間の部屋でシャワー〔湯舟は無し〕付の部屋ならあるそうだ、財務官僚なら年収は少なくても3.000万円程度ある、その年収を取っている事務次官の公務員宿舎の家賃が8万円で、極当たり前の一般会社勤めの課長クラスで年収は1,000万円がやっとでマンションの家賃が15万円〔平均2LDK〕、これは納得行かない。安住財務大臣はNHKに在職当時は1.500万円の年収では生活が苦しくてNHKの社宅に入っていた「住まい〔公務員住宅/社宅〕など多少の便利供与があっても良いのでは」と発言をしたと云うが、公務員の給料は一般会社勤めの社員よりも格段に高い給料を貰っているのだから、家賃も付近の家賃価格に沿った家賃を公務員住宅家賃として払うのが当然であると旅人は思う。
2011年09月24日
台風15号の教訓
いや参りました・・・・9月21日日本列島を直撃した台風15号、国会議事堂案内を終えて14時20分頃に東京メトロ〔東京地下鉄〕国会議事堂駅から地下鉄に乗り赤坂見附駅で乗り換え新橋駅で下車、その時は雨も小降りで少し風が強いかな程度だった、パソコンのインクが切れていたのでコジマ電気に行ってキャノンインクを購入して外に出たら、霧雨で風も強くなり始めた、慌てて駅ホームに上ったら、山手線が混雑していた、京浜東北線は新橋駅を通過するので浜松町駅で乗換えが必要だから面倒だ、でも待っていたからとしても停まる訳じゃない、仕方なく隣の浜松町駅まで山手線を利用する。浜松町駅では京浜東北線が山手線の到着を待っていたので「ラッキー」と乗り込んだが、まさか15時に浜松町から私が帰る蒲田駅まで4時間20分もかかるとは、その時は予想もつかなかった〔通常は浜松町/蒲田駅間は16分程度〕車内での車掌の放送では、蒲田-川崎間の多摩川橋脚に設置されている風速計が規定の風速を超えている為に蒲田以南行き〔大船・横浜・川崎方面〕の電車が蒲田駅から先に止まっているので「この電車も浜松町駅で運転を見合わせている」と放送をしている。京浜急行に振替輸送を行っているので山手線で品川駅に向かい品川駅から京浜急行で京急蒲田駅に向かう方法もあるが、時間がかかっても、そのうち動くだろうと考えて座っていた、その間にも山手線は、京浜東北線の向側ホームから走り去る、山手線で五反田駅に出て東急池上線に乗り換えれば帰れるからと思い、暖めた座席を立とうとした時に「この電車は間もなく運転を再開します」の車内放送、そのまま京浜東北線に乗って品川方面に向かったが、隣の田町駅でまたまた「前を走行中の電車が詰っているので、この電車も田町駅で時間を調整します、前の電車が運転を次第運転を再開します。お急ぎの方は山手線で品川駅で京浜急行を御利用下さい」と再三にわたり放送があった、そのたびに、山手線に向かう乗客が多くなり、先程までの立ち席も無くなり全員が座ったが電車は走り出す気配は無い、時計も新橋駅から乗車して浜松町駅で乗り換えて田町駅に到着、間もなく1時間40分にもなる〔通常なら5〜6分だろう〕。どうしょうかなと思って再び立ち上がろうとしたら車内放送で「間もなく運転を再開します、この電車は大船駅行きですが、蒲田駅/川崎駅間の風速計が規定を超えましたので蒲田折り返しを計画しております」との放送が入った。取りあえず蒲田駅迄は行けるのだからわざわざ品川に急いで京浜急行に乗り換える必要は無いと考えて京浜東北線に乗り続ける事に決めたが、品川駅に到着した時に車掌の放送が「?」と思う様なアナウスに替った。「京浜東北線は川崎/蒲田間の多摩川橋梁に設置している風速計が規定を超えていますので、全ての電車が蒲田駅折り返しとなりました、この電車前の電車が各駅〔大井町・大森駅〕に停まっています、蒲田到着の電車が折り返し運転をして上り電車として蒲田駅を出ましたら順次運転を再開します」と云う様な放送が繰り返されました、そして品川駅に停車している電車は真中の扉1っを除き、雨が入りますので閉扉されました。品川駅では20分程度で大井町駅に向けて運転を再開した。大井町駅で時計を見たら18時20分・・・新橋駅から3時間20分かかった、我慢出来ず下車をする人、東急大井町線で二子玉川駅方面に向かう人もいた、旅人も、ここで下車をして東急バスで蒲田駅に向かう方法もあるし、大井町線で旗の台駅に向かい池上線を経由して蒲田駅に向かう方法もある、その度に思いとどまり「大森駅で時間がかかりそうなら降り様かな」と思って乗り続けたが、大井町駅を出ようとした時に車内放送が「上り〔つまり蒲田駅折り返し電車〕が東京駅付近で大きなビニールが架線に落ちて、これから撤去をしますので上り電車も暫く運転をされません」との放送が入った、慌てて降りる準備をして荷物を持ってホームを歩いて東急大井町線に向かったら、只今東急線が停まりましたとの放送、慌てて再び京浜東北線に戻ったら「運転再開」、大森駅に向かった、席は座れず、あと何時間かかるのか判らず大森駅に到着したら降りてバスに乗り換え様と考えていたら、大森駅では1分停車で蒲田駅に走った、蒲田駅到着19時18分に到着した、何と通常19分の蒲田/新橋が何と4時間20分もかかった。しかし、旅人の場合は良い方であった。
旅人の女房は文京区湯島の会社に勤めているが、17時の勤務時間を16時に早退をして、同じく京浜東北線で蒲田に向かったが御徒町駅から電車に乗ったが、快速電車は通過駅、仕方なく山手線に乗り秋葉原に向かい秋葉原にて京浜東北線に乗り換えたが電車が全く動かない、隣接の山手線はどんどん停まっては走る、何と秋葉原駅で京浜東北線は2時間も停まっていた、流石に女房は山手線に乗り換えて東京駅方面に向かったが有楽町駅で車内放送で「田端駅でホーム混雑で危険な為に山手線の運転を暫く運転を見合わせます」との放送が入ったそうだ。そのうち東京駅付近で架線にビニールが架線に絡まり撤去の為に時間がかかりますとの放送が入り、旅人にCメールで助けを求めて来たが、旅人自身、どの様に誘導すれば良いのかと考える前に、自分自身帰る方法を考えていたので、取りあえず「もう少し待って走り出して新橋駅に着いたら、都営地下鉄線で品川駅に出て京浜急行経由で京急蒲田経由で帰る方法もある」とアドバイスをした、女房は山手線で品川駅に出て京浜急行に乗る予定に自己判断をして動いたらしい、しかし品川駅のホームに着いたら「京浜急行に乗り換えの方は京浜急行の乗り換え口から乗り換えは出来ませんので高輪口に回って下さい」との放送で混雑する改札をでて高輪口に向かったら「只今、京浜急行は台風の為に運転を見合わせをしております」との放送で、再びJRの改札に着たら、改札規制を受けて、今度は乗車出来ない状況で再び、旅人に助けのメールが来た。品川駅西口〔高輪口〕を出て、品川プリンスホテルの対面側から東急バスが大井町・大森駅・池上駅経由で蒲田まで走っているから、それに乗ったらとの助言をしたが、改札前に来ているが再び高輪口に向かうのは無理だから、これから京浜東北線のホームに向かうとのメール、この時点で女房は秋葉原を出てから7時間30分、ホームに入ったのは8時間20分、つまり午前0時20分。それから順次、蒲田駅に向かう電車に乗って蒲田駅に到着したのが午前1時10分、通常なら最終電車が到着する時間だが改札周りには蒲田から以南に向かう電車に乗るか、横浜方面に向かう人が改札から入っていった、東急電鉄線も運転再開、京浜東北線も運転再開、蒲田駅から京浜急行に乗るのなら徒歩10分で京急蒲田駅だが果たして京浜急行は運転をしているのかは、徒歩10分も離れているので不明、もし京急蒲田駅に向かって歩いて行って「終車」が出ていたら、蒲田駅に再び戻るには往復徒歩20分無駄になる「ここが思案の分岐点」そんな感じで考えている人が多かった様だ。
約7ヶ月前の3月11日に東日本大震災が発生した時に、今回と同じ様な状態となったが、あの時は、都内の交通機関は一斉に運転を見合わせたので、帰宅困難者は仕方ないとして情報を取る事なくて歩いて帰宅する人や動いている路線バスに殺到した、一部公共施設が一時避難所を設けて仮眠休憩施設として開放した為、帰宅を急ぐ人が落ち着いて行動をし、今回の様に動いている鉄道を探して混雑する電車乗換え等に慌てる人は皆無だったが、今回は情報の伝達が鉄道会社同士でも上手く作動しなかったのと報道関係が情報の伝達が遅れた為に帰宅を急ぐ人が情報に翻弄された事もある、例えば駅から列車〔電車〕に対して「品川駅まで山手線を利用して横浜方面の帰宅者は振替輸送をしている京浜急行を利用した方が便利」と伝達をしなければ運転見合わせの京浜急行改札に人が流れなかったし、京浜急行もJRに対して「運転を見合わせている」事を早めに伝達をしていれば品川駅の混雑もあれほどにはならなかったし、帰れない人に対して駅員や案内人を動員して帰宅者に情報を提供すれば多少は混乱を防げたと思う。
台風が去った翌日に東京都庁で石原慎太郎東京都知事は記者会見を行ったが、会見にも不備があったと思う、石原都知事は「地震や台風等で交通機関が止まった時や帰宅困難になった時は無理して帰宅せずに会社に留まって待機をする選択をして欲しい、会社では、その為に非常食糧や水、寝具を日頃から備蓄して欲しい」と新聞記者会見で語ったが、これは何百、何千人の勤務する大会社〔大企業〕なら用意も出来るが個人企業や中小企業や賃貸ビル内で働く企業は無理、これらの会社は事務所に留まる事は出来ない、3月11日の東日本大震災で中小企業で働く人が帰宅をする為に、会社を出て歩いて自宅に向かうので腹ごしらえをする為にコンビニにパンを買う為に立ち寄ったが殆どのコンビニの棚から弁当、御握りやパン、更に煎餅、カップヌードルの類まで消えていた、今回も帰る手段を諦めた人は駅構内で座り込み、ビジネスホテルを見つけて宿泊を申し出た人も満室で断られ、ラブホテルすら満員だったと云う、台風で雨さえ降っていなかったら強い風が吹いていなかったら歩いて帰る事も出来たが、東日本大震災の時と比べて雨と風の為に傘が壊れてしまい、夜になると店舗も閉まり傘を買うにも食事をするにも雨を避ける店舗もないし、公共施設の一時避難も出来なかったと思う、実際に翌日ニュースによると渋谷駅前には1.600本の壊れた傘が捨てられていたとも云う。
教訓・・・と云う訳ではないが、今回は旅人も妻も電車のアナウスにより、乗り換えや帰宅の迂回を考えながら行動をしたが、日頃から帰宅のルートを考えておく必要があると痛感した。3月11日の東日本大震災の時も交通機関が止まって「はて、どの様に帰って良いのか」悩んだ人も多かったと思う、旅人もJR新日本橋駅の近くで、あの地震に遭遇した、日本橋から東京駅前を経由してJR線路に沿った道を歩いて、新橋に出て、途中のコンビニでパンを購入しょうと入ったが食料は無くて、棚に残っていた最後のカップヌードルを買って芝大門にある「とうきょう案内人」の事務所で時間を潰して、ニュースで都営地下鉄が西馬込駅まで運転を再開したと聞いたので、事務所近くの大門駅から西馬込駅まで都営地下鉄を利用して、西馬込から池上本門寺の境内を横切り西馬込から徒歩50分で午前様になる寸前に自宅に戻れた。いざとなれば交通機関は心配しなくても何とかなる・・・と云う気持ちであったが、実際は「あの時の経験は生かされていなかった」。帰宅困難者にならない条件として、日頃から帰宅ルートは何通りか考えておくべきで、実際に「この電車が動かない時は、このルートと言う様に何通りか考えておく必要がある、更に路線バスを利用する場合は、乗車するバス停の位置や乗換駅の改札のある場所は事前に確認をしておきたい」。
旅人の住む、東京都大田区蒲田の場合は都内ではかなり便利の良い場所である、不動産屋の案内では無いが「交通至便」の場所である。今回の台風で交通機関が止まってしまった場合の帰宅ルートを考えていたらJR東日本首都圏線、私鉄〔東急線・京浜急行〕、都営地下鉄、路線バス〔東急バス・都営バス・京急バス・リムジン交通〕を使えば、東京駅付近からは100通り以上、新宿駅・渋谷駅・池袋駅・上野駅からは50通り以上の帰宅ルートがある。タクシーを使って渋滞の道を帰らなくても、バスや電車〔JR・私鉄〕を乗り換えれば、かなりの確立で帰宅が出来る事がわかった、但し時間は、どの程度かかるかは判らないが、これから日頃の準備ではないが「イザ」と言う時の準備はしておくべきと思う。
旅人の女房は文京区湯島の会社に勤めているが、17時の勤務時間を16時に早退をして、同じく京浜東北線で蒲田に向かったが御徒町駅から電車に乗ったが、快速電車は通過駅、仕方なく山手線に乗り秋葉原に向かい秋葉原にて京浜東北線に乗り換えたが電車が全く動かない、隣接の山手線はどんどん停まっては走る、何と秋葉原駅で京浜東北線は2時間も停まっていた、流石に女房は山手線に乗り換えて東京駅方面に向かったが有楽町駅で車内放送で「田端駅でホーム混雑で危険な為に山手線の運転を暫く運転を見合わせます」との放送が入ったそうだ。そのうち東京駅付近で架線にビニールが架線に絡まり撤去の為に時間がかかりますとの放送が入り、旅人にCメールで助けを求めて来たが、旅人自身、どの様に誘導すれば良いのかと考える前に、自分自身帰る方法を考えていたので、取りあえず「もう少し待って走り出して新橋駅に着いたら、都営地下鉄線で品川駅に出て京浜急行経由で京急蒲田経由で帰る方法もある」とアドバイスをした、女房は山手線で品川駅に出て京浜急行に乗る予定に自己判断をして動いたらしい、しかし品川駅のホームに着いたら「京浜急行に乗り換えの方は京浜急行の乗り換え口から乗り換えは出来ませんので高輪口に回って下さい」との放送で混雑する改札をでて高輪口に向かったら「只今、京浜急行は台風の為に運転を見合わせをしております」との放送で、再びJRの改札に着たら、改札規制を受けて、今度は乗車出来ない状況で再び、旅人に助けのメールが来た。品川駅西口〔高輪口〕を出て、品川プリンスホテルの対面側から東急バスが大井町・大森駅・池上駅経由で蒲田まで走っているから、それに乗ったらとの助言をしたが、改札前に来ているが再び高輪口に向かうのは無理だから、これから京浜東北線のホームに向かうとのメール、この時点で女房は秋葉原を出てから7時間30分、ホームに入ったのは8時間20分、つまり午前0時20分。それから順次、蒲田駅に向かう電車に乗って蒲田駅に到着したのが午前1時10分、通常なら最終電車が到着する時間だが改札周りには蒲田から以南に向かう電車に乗るか、横浜方面に向かう人が改札から入っていった、東急電鉄線も運転再開、京浜東北線も運転再開、蒲田駅から京浜急行に乗るのなら徒歩10分で京急蒲田駅だが果たして京浜急行は運転をしているのかは、徒歩10分も離れているので不明、もし京急蒲田駅に向かって歩いて行って「終車」が出ていたら、蒲田駅に再び戻るには往復徒歩20分無駄になる「ここが思案の分岐点」そんな感じで考えている人が多かった様だ。
約7ヶ月前の3月11日に東日本大震災が発生した時に、今回と同じ様な状態となったが、あの時は、都内の交通機関は一斉に運転を見合わせたので、帰宅困難者は仕方ないとして情報を取る事なくて歩いて帰宅する人や動いている路線バスに殺到した、一部公共施設が一時避難所を設けて仮眠休憩施設として開放した為、帰宅を急ぐ人が落ち着いて行動をし、今回の様に動いている鉄道を探して混雑する電車乗換え等に慌てる人は皆無だったが、今回は情報の伝達が鉄道会社同士でも上手く作動しなかったのと報道関係が情報の伝達が遅れた為に帰宅を急ぐ人が情報に翻弄された事もある、例えば駅から列車〔電車〕に対して「品川駅まで山手線を利用して横浜方面の帰宅者は振替輸送をしている京浜急行を利用した方が便利」と伝達をしなければ運転見合わせの京浜急行改札に人が流れなかったし、京浜急行もJRに対して「運転を見合わせている」事を早めに伝達をしていれば品川駅の混雑もあれほどにはならなかったし、帰れない人に対して駅員や案内人を動員して帰宅者に情報を提供すれば多少は混乱を防げたと思う。
台風が去った翌日に東京都庁で石原慎太郎東京都知事は記者会見を行ったが、会見にも不備があったと思う、石原都知事は「地震や台風等で交通機関が止まった時や帰宅困難になった時は無理して帰宅せずに会社に留まって待機をする選択をして欲しい、会社では、その為に非常食糧や水、寝具を日頃から備蓄して欲しい」と新聞記者会見で語ったが、これは何百、何千人の勤務する大会社〔大企業〕なら用意も出来るが個人企業や中小企業や賃貸ビル内で働く企業は無理、これらの会社は事務所に留まる事は出来ない、3月11日の東日本大震災で中小企業で働く人が帰宅をする為に、会社を出て歩いて自宅に向かうので腹ごしらえをする為にコンビニにパンを買う為に立ち寄ったが殆どのコンビニの棚から弁当、御握りやパン、更に煎餅、カップヌードルの類まで消えていた、今回も帰る手段を諦めた人は駅構内で座り込み、ビジネスホテルを見つけて宿泊を申し出た人も満室で断られ、ラブホテルすら満員だったと云う、台風で雨さえ降っていなかったら強い風が吹いていなかったら歩いて帰る事も出来たが、東日本大震災の時と比べて雨と風の為に傘が壊れてしまい、夜になると店舗も閉まり傘を買うにも食事をするにも雨を避ける店舗もないし、公共施設の一時避難も出来なかったと思う、実際に翌日ニュースによると渋谷駅前には1.600本の壊れた傘が捨てられていたとも云う。
教訓・・・と云う訳ではないが、今回は旅人も妻も電車のアナウスにより、乗り換えや帰宅の迂回を考えながら行動をしたが、日頃から帰宅のルートを考えておく必要があると痛感した。3月11日の東日本大震災の時も交通機関が止まって「はて、どの様に帰って良いのか」悩んだ人も多かったと思う、旅人もJR新日本橋駅の近くで、あの地震に遭遇した、日本橋から東京駅前を経由してJR線路に沿った道を歩いて、新橋に出て、途中のコンビニでパンを購入しょうと入ったが食料は無くて、棚に残っていた最後のカップヌードルを買って芝大門にある「とうきょう案内人」の事務所で時間を潰して、ニュースで都営地下鉄が西馬込駅まで運転を再開したと聞いたので、事務所近くの大門駅から西馬込駅まで都営地下鉄を利用して、西馬込から池上本門寺の境内を横切り西馬込から徒歩50分で午前様になる寸前に自宅に戻れた。いざとなれば交通機関は心配しなくても何とかなる・・・と云う気持ちであったが、実際は「あの時の経験は生かされていなかった」。帰宅困難者にならない条件として、日頃から帰宅ルートは何通りか考えておくべきで、実際に「この電車が動かない時は、このルートと言う様に何通りか考えておく必要がある、更に路線バスを利用する場合は、乗車するバス停の位置や乗換駅の改札のある場所は事前に確認をしておきたい」。
旅人の住む、東京都大田区蒲田の場合は都内ではかなり便利の良い場所である、不動産屋の案内では無いが「交通至便」の場所である。今回の台風で交通機関が止まってしまった場合の帰宅ルートを考えていたらJR東日本首都圏線、私鉄〔東急線・京浜急行〕、都営地下鉄、路線バス〔東急バス・都営バス・京急バス・リムジン交通〕を使えば、東京駅付近からは100通り以上、新宿駅・渋谷駅・池袋駅・上野駅からは50通り以上の帰宅ルートがある。タクシーを使って渋滞の道を帰らなくても、バスや電車〔JR・私鉄〕を乗り換えれば、かなりの確立で帰宅が出来る事がわかった、但し時間は、どの程度かかるかは判らないが、これから日頃の準備ではないが「イザ」と言う時の準備はしておくべきと思う。
2011年09月21日
風の旅人 風の旅人 世間話
日本船舶振興会の「船の科学館」が9月30日に閉館となる、日本と云う国は四方を海に囲まれ海外旅行に行くのには船か飛行機〔航空機〕を使わなければ行く事が出来ない、それだけ我国と海のつながりは貴重である。首都圏の船に関する博物館〔資料館・記念館〕は、この船の科学館の他に横浜市にある。
氷川丸、日本郵船博物館、帆船日本丸、横浜みなと博物館がそれであるが、横浜にはその他、開港資料館がある、横須賀市には戦艦三笠記念館があるが、船の資料館の類に入るかは不明であるが、いずれも入場者減少で経営が出来なくなっている「船の科学館」も同様で、一時期は東京都内定期観光バス「はとバス」の見学コースにもなり賑わい、更に流れるプールはお台場の人気施設にもなった、現役を退陣した南極観測船「宗谷」〔昭和13年耐氷型貨物船として建造され太平洋戦争で活躍、その後引揚船、灯台補給船となり昭和31年11月からは日本初の南極観測船として昭和37年4月まで6次にわたる南極観測に活躍、昭和53年退役まで海上保安庁の巡視船として働き、昭和54年5月から船の科学館桟橋に係留され展示されています〕青函連絡船「羊蹄丸」〔明治41年3月、北海道と本州を結ぶ鉄道連絡航路として開通した国鉄〔現在JR〕青函連絡航路は昭和63年3月青函トンネル/津軽海峡線〕の開通に伴い80年の長い歴史を閉じたのが羊蹄丸ですが、この船は昭和40年に就航、22年7ヶ月を連絡船として活躍し昭和63年3月13日に青函連絡船最後の上り旅客便を最後に任務を終えて、平成8年3月船の科学館桟橋に係留され一般公開をされています〕も一般公開をされています。旅人も何回か訪れているが船舶ファンには面白い科学館で船舶ファンは閉館を残念に思っている人が多いだろう。
昨日は「敬老の日」・・・・。「シルバー世代」「シルバーパス」「シルバー人材センター」「シルバー割引」など高齢者の代名詞として使われているのがシルバー〔銀色〕、この由来は昭和48年〔1973年〕の敬老の日に旧日本国有鉄道〔国鉄/現在のJR〕の中央線に導入された「シルバーシート」である。高齢者やお体の不自由な方、乳幼児をお連れの方、妊婦の方の優先席を色で示す為に東海道新幹線「こだま」に使われていたシルバーグレーの布を採用した席を「シルバーシート」とした。ところで、このシルバーシートを利用する高齢者とは何歳からだろうか、変な事を聞くが、シルバー世代と呼ばれる「世代」とは何歳からシルバー世代か調べてみた・・・全国のハローワーク〔職業安定所〕で高齢者職業相談が行われている、会社は定年退職となったが、まだ働ける人、年金を貰える年齢まで働こう、年金は貰っているが未だ若い者には負けないぞ・・・・と云う人が高齢者職業相談に訪れるが、高齢者を採用したいと云う会社はあまり多くないと云う、ここで高齢者と云われる人は55歳以上だと言う。劇場や映画館などではシルバー割引がある、都内の映画館の場合60歳以上は1.000円〔シルバー割引〕、ストリップ劇場は通常4.500円のところが3.000円、博物館や美術館、動物園、遊園地にも60歳以上はシルバー割引がある。全日空にはシニア空割がある、満65歳以上のANAマイレージクラブの会員またはANAカード〔クレジット機能付〕会員で搭乗日当日空港において空席がある場合に限りANA全路線が1万2千円〜1万6千円になる割引がある〔JALにもある〕、JR〔日本旅客鉄道株式会社〕にもシルバー優待の「ジパング倶楽部」がある、女性60歳以上〔男性65歳以上〕だが御夫婦のどちらかが65歳以上の場合配偶者は年齢に関係なくジパング倶楽部に入会が出来る、年会費が必要だがJR全線を2割又は3割引で利用出来る他にレンタカーやフルムーンパスも買える特典がある。都内に住む70歳の方は東京都内のバスを無料で利用出来る「シルバーパス」を買う事が出来る、「とうきょう案内人」の一人で千葉に住む某さんは、県民プールが無料だそうで健康の為にも暇を見つけてはプール通いをしているらしい。75歳になると「後期高齢者」と呼ばれるらしい。私が良く行く古本屋の奥さんは「後期高齢者」だが「特典はと聞く」と病院で診察を受けたら「病院の費用が安かった」程度だそうだ。
詩人の川崎洋さんが「許しましょうソング」の中で「許しましょう、ああ、許しましょう、シルバーシートに座っている、若い眩しい、貴方たち、狸寝入りか、瞑想中か、或いは本当に夢の中?」と、お年寄りに席を譲る気のない若者を皮肉る、シルバーシートが優先席に名前が変わったが車内の光景は変わらない「いゃ、以前よりもお年寄りや体の不自由な人に席を譲らず、中には優先席で携帯電話を利用してメールを発信したり携帯ゲームを楽しんでいる若者も多くなった、注意をすると「電話はしていないョ」と逆切れをする若者もいる、JRの車内で黄色い手摺のある場所では「携帯電話の電源を切って下さい」との車内放送にも知らんぷり・・・、敬老の日も9月15日から敬老の日は、現在では9月第3月曜日になった敬老の日だが、昨年、100歳以上の男女が日本全国に何人いるのか調べたら、所在や生死不明のシルバー世代が多数出た。中には生まれは幕末の生まれの男性が役場の記録に残っていたと大騒ぎになった。親の老齢年金を生活費に使っていたので親が亡くなった事を役場に届けない事実もあった、親の遺体は火葬もされずに、家の中にあったと聞く。確かに、年長者への感謝と尊敬の念が、この国にはわざわざ、特定の日を「敬老の日」に指定して国民の祝日にする必要もないと思う。
氷川丸、日本郵船博物館、帆船日本丸、横浜みなと博物館がそれであるが、横浜にはその他、開港資料館がある、横須賀市には戦艦三笠記念館があるが、船の資料館の類に入るかは不明であるが、いずれも入場者減少で経営が出来なくなっている「船の科学館」も同様で、一時期は東京都内定期観光バス「はとバス」の見学コースにもなり賑わい、更に流れるプールはお台場の人気施設にもなった、現役を退陣した南極観測船「宗谷」〔昭和13年耐氷型貨物船として建造され太平洋戦争で活躍、その後引揚船、灯台補給船となり昭和31年11月からは日本初の南極観測船として昭和37年4月まで6次にわたる南極観測に活躍、昭和53年退役まで海上保安庁の巡視船として働き、昭和54年5月から船の科学館桟橋に係留され展示されています〕青函連絡船「羊蹄丸」〔明治41年3月、北海道と本州を結ぶ鉄道連絡航路として開通した国鉄〔現在JR〕青函連絡航路は昭和63年3月青函トンネル/津軽海峡線〕の開通に伴い80年の長い歴史を閉じたのが羊蹄丸ですが、この船は昭和40年に就航、22年7ヶ月を連絡船として活躍し昭和63年3月13日に青函連絡船最後の上り旅客便を最後に任務を終えて、平成8年3月船の科学館桟橋に係留され一般公開をされています〕も一般公開をされています。旅人も何回か訪れているが船舶ファンには面白い科学館で船舶ファンは閉館を残念に思っている人が多いだろう。
昨日は「敬老の日」・・・・。「シルバー世代」「シルバーパス」「シルバー人材センター」「シルバー割引」など高齢者の代名詞として使われているのがシルバー〔銀色〕、この由来は昭和48年〔1973年〕の敬老の日に旧日本国有鉄道〔国鉄/現在のJR〕の中央線に導入された「シルバーシート」である。高齢者やお体の不自由な方、乳幼児をお連れの方、妊婦の方の優先席を色で示す為に東海道新幹線「こだま」に使われていたシルバーグレーの布を採用した席を「シルバーシート」とした。ところで、このシルバーシートを利用する高齢者とは何歳からだろうか、変な事を聞くが、シルバー世代と呼ばれる「世代」とは何歳からシルバー世代か調べてみた・・・全国のハローワーク〔職業安定所〕で高齢者職業相談が行われている、会社は定年退職となったが、まだ働ける人、年金を貰える年齢まで働こう、年金は貰っているが未だ若い者には負けないぞ・・・・と云う人が高齢者職業相談に訪れるが、高齢者を採用したいと云う会社はあまり多くないと云う、ここで高齢者と云われる人は55歳以上だと言う。劇場や映画館などではシルバー割引がある、都内の映画館の場合60歳以上は1.000円〔シルバー割引〕、ストリップ劇場は通常4.500円のところが3.000円、博物館や美術館、動物園、遊園地にも60歳以上はシルバー割引がある。全日空にはシニア空割がある、満65歳以上のANAマイレージクラブの会員またはANAカード〔クレジット機能付〕会員で搭乗日当日空港において空席がある場合に限りANA全路線が1万2千円〜1万6千円になる割引がある〔JALにもある〕、JR〔日本旅客鉄道株式会社〕にもシルバー優待の「ジパング倶楽部」がある、女性60歳以上〔男性65歳以上〕だが御夫婦のどちらかが65歳以上の場合配偶者は年齢に関係なくジパング倶楽部に入会が出来る、年会費が必要だがJR全線を2割又は3割引で利用出来る他にレンタカーやフルムーンパスも買える特典がある。都内に住む70歳の方は東京都内のバスを無料で利用出来る「シルバーパス」を買う事が出来る、「とうきょう案内人」の一人で千葉に住む某さんは、県民プールが無料だそうで健康の為にも暇を見つけてはプール通いをしているらしい。75歳になると「後期高齢者」と呼ばれるらしい。私が良く行く古本屋の奥さんは「後期高齢者」だが「特典はと聞く」と病院で診察を受けたら「病院の費用が安かった」程度だそうだ。
詩人の川崎洋さんが「許しましょうソング」の中で「許しましょう、ああ、許しましょう、シルバーシートに座っている、若い眩しい、貴方たち、狸寝入りか、瞑想中か、或いは本当に夢の中?」と、お年寄りに席を譲る気のない若者を皮肉る、シルバーシートが優先席に名前が変わったが車内の光景は変わらない「いゃ、以前よりもお年寄りや体の不自由な人に席を譲らず、中には優先席で携帯電話を利用してメールを発信したり携帯ゲームを楽しんでいる若者も多くなった、注意をすると「電話はしていないョ」と逆切れをする若者もいる、JRの車内で黄色い手摺のある場所では「携帯電話の電源を切って下さい」との車内放送にも知らんぷり・・・、敬老の日も9月15日から敬老の日は、現在では9月第3月曜日になった敬老の日だが、昨年、100歳以上の男女が日本全国に何人いるのか調べたら、所在や生死不明のシルバー世代が多数出た。中には生まれは幕末の生まれの男性が役場の記録に残っていたと大騒ぎになった。親の老齢年金を生活費に使っていたので親が亡くなった事を役場に届けない事実もあった、親の遺体は火葬もされずに、家の中にあったと聞く。確かに、年長者への感謝と尊敬の念が、この国にはわざわざ、特定の日を「敬老の日」に指定して国民の祝日にする必要もないと思う。
2011年08月23日
どうなるの日本の針路
いよいよ菅総理大臣の退陣が決ったか?、民主党内部では野田佳彦財務大臣、樽床伸二国対委員長、鹿野道彦農水大臣、小沢鋭仁元環境大臣、海江田万里経済産業大臣、馬淵澄夫前国土交通大臣、前原誠司前外務大臣などが代表選出馬に向けて活発に走り出している様だが、菅総理は8月28日とか、8月末に退陣とマスコミは伝えているが、本人の口からは期日までは出ていない、本当に28日に退陣となれば、あと5日に迫った哨如爾妨けて、本人からハッキリとした退陣日時が出ても不思議では無いが、本人は何を考えているのか、毎日毎晩、国会周辺の一流料亭、ホテルのレストラン、有名な食事処で「贅沢三昧」、昨夜は赤坂の日本料理店「七福神・環」で北沢防衛大臣と夕食をしている、食事代は多分領収書を必要としない総理大臣機密費からの出費なのか・・・・・。
東日本大震災において東北被災者の中には住む所を失い、仕事を失い、明日の生活の基盤を失い、三食の食事すらまともに取れない人がいる中で贅沢三昧の政治家のトップ、一応8月30日に民主党代表選は行われる事が決ったが、はて民主党の代表が決って、そこで選ばれた代表が即総理大臣にはならない、まずは8月中に総理大臣の退陣が決り、民主党の代表が決り、その上で本会議で首班指名選挙が行われて初めて総理大臣が決定するのだが、今のところでは菅総理が退陣日を何時伝えるのか未定である、もしかすると総理大臣は菅直人で民主党代表は〇〇〇〇〇になるかもしれない。まずは総理大臣の退陣が何時なのか・・・。代表選まで5日 !、現在7名の民主党代表選挙に7人の立候補者が出ているが、あと1名が出る様な噂もある・・・。まぁ、今月末が山場である。
東日本大震災において東北被災者の中には住む所を失い、仕事を失い、明日の生活の基盤を失い、三食の食事すらまともに取れない人がいる中で贅沢三昧の政治家のトップ、一応8月30日に民主党代表選は行われる事が決ったが、はて民主党の代表が決って、そこで選ばれた代表が即総理大臣にはならない、まずは8月中に総理大臣の退陣が決り、民主党の代表が決り、その上で本会議で首班指名選挙が行われて初めて総理大臣が決定するのだが、今のところでは菅総理が退陣日を何時伝えるのか未定である、もしかすると総理大臣は菅直人で民主党代表は〇〇〇〇〇になるかもしれない。まずは総理大臣の退陣が何時なのか・・・。代表選まで5日 !、現在7名の民主党代表選挙に7人の立候補者が出ているが、あと1名が出る様な噂もある・・・。まぁ、今月末が山場である。
2011年07月27日
信じられない!ブラウン管のテレビで地上デジタル放送が見れる
7月24日正午にテレビのアナログ放送が地上デジタル放送に移行してアナログ放送のテレビ画面が青い画面に切り替り、25日の午前0時で電波は停止してテレビの画面は砂嵐の画面となった。
地上波テレビのアナログ放送は7月24日正午で、東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島の3県を除く〔岩手・宮城・福島は来年3月実施〕44都道府県で放送は終了してデジタル放送に完全移行した。昭和28年に始まったテレビのアナログ放送が58年の歴史に幕を閉じた・・・・・しかし、とんでもない事が判明した、ブラウン管のアナログテレビで地上デジタル放送が見る事が出来る信じられない事が27日の日刊ゲンダイ〔26日発行〕に掲載された。
エ〜本当と云う事で新橋駅前の某テレビ量販店で聞いたら従業員も「初耳」と驚いていた、新聞によると地デジに完全移行した瞬間を見届けようと家族がテレビの画面に釘付けとなっていた正午・・・・・画面は地デジ移行の告知画面に切り替るどころか、正午のNHKニュースが放送をされている、アナウンサーは「本日、正午を持ってアナログ放送が終了して地上デジタル放送に移行となりました、各地の相談窓口には相談が殺到して、10万件超」と伝えている、「アナログ放送の画面は背景が青色になり放送終了が告げられた、そして翌25日午前0時でアナログ電波送信が終了して砂嵐の画面に変った」と放送をしていたが、ブラウン管のアナログテレビで58年の歴史に幕を閉じる瞬間を見たいと楽しみにしていた人?を裏切った。
実はこれはケーブルテレビ局の「デジタル変換」によるもので、ケーブルテレビ局〔会社〕がデジタル波を変換してアナログテレビでも視聴出来る様にしているのである。総務省が地デジの受信環境を整備する為、昨年から自治体や民間企業等のケーブルテレビ事業者に導入を求めて来た。このサービスで後4年先の2015年3月末までブラウン管のテレビでも普通に地デジ放送が視聴出来るのである。そんな措置があった事は初耳だが、この恩恵を受けられるのはケーブルテレビ局と有料聴視契約を結んでいる家庭の他にマンション等の集合住宅には最初から加入しているケースもあり、これらの世帯は慌てて高価な地上デジタルテレビを買い替えなくても、今までのブラウン管テレビで地上デジタル放送が聴視出来るのである。日本の世帯数は約5.000万軒であるから1世帯1台として日本全国には5.000万台のテレビがある計算だが総務省地域放送推進室の調べでは「2.416万世帯にデジタルアナログ変換が導入済み」と云う、つまり日本の半数近い家庭ではワザワザ地上デジタルテレビは買い換える必要が無かった訳だ・・・・今更そんな事を言われてもどうしょうもないが、総務省はデジタルアナログ変換を導入する為にケーブルテレビ事業者に対して平成22年と23年に補助金を11億円出している、更にデジタル波とアナログ波が干渉し合わないかを調査する為の「混信障害調査費」として5.500万円税金から支出している、その反面、その総務省が旗を振り「ラストスパート、声かけ地デジ化大作戦」や「山手線にデジタル放送トレイン」を走らせて7月24日にはアナログ放送は終了します・・・・・早めに地上デジタルテレビの買い換えやチューナを取り付けましょうと煽り、地上デジタルテレビ購入を宣伝をしている、東日本大震災で消費が落ちている為に経済効果を上げる為にテレビの買い替えを勧めて、早く買い換えないとテレビは見る事が出来なくなります・・・・と煽り、「でも一部ケーブルテレビ聴視者はアナログテレビでも地上デジタルテレビを御覧頂けますので、加入のケーブルテレビ会社にお尋ね下さい」とか、マンションや集合住宅にはデジアナ変換が出来ているマンション、集合住宅もありますので管理組合や大家さんに相談をして下さい・・・と云うのが本来の総務省の立場ではないのか。
7月24日に片山総務相は記者会見で「問い合わせや苦情の数、内容は想定内」として、高齢者を中心として10万世帯程度とみられる地デジ視聴が出来ない層については「周知に反応して貰えなかった方がいたのは残念」と話したが、たぶん片山総務相も総務省がデジアナ変換を導入させる為税金の投入をしている事を知らないのかも知れない。更に民放連の広瀬道貞会長も記者会見で「地デジ化で安くない買物をお願いした、満足して貰えるデジタル放送にしてゆきたい」と話をしている。最近では地上デジタルも35インチで10万円以下、安いものだと3〜4万円台の地上デジタルテレビも買える様になったがデジタルテレビを買ってもアンテナ〔地上デジタル用のアンテナ〕を替えないと受信出来ない事から、アンテナ工事に5万円〜〔工事内容による〕かかる事から地上デジタルテレビを視聴するには10万円近くのお金の出費となった、無理してテレビを買い替えた国民は、政府〔総務省〕が仕掛けてNHKや民放、更に家電メーカーを巻き込んで「テレビ買い替えろ詐欺」をしたのだ。
この件に、総務省の言い分は「デジアナ変換を導入していないケーブルテレビ事業者もある為に、一部の人がケーブルテレビに加入しているから大丈夫」と誤解すると混乱を招く恐れがあった。デジアナ変換を導入をしているケーブルテレビ事業者には周知をする様に伝えたが、伝えていない事業者もあった様ですと話しているが、総務省もテレビ買い替えを煽るのでは無く、その気になれば周知をさせる方法は幾らでもあったのでは無いだろうか。
ところで、我家の場合は、地上デジタルテレビを2台〔19インチと20インチ、2台で約5万円〕と 地上デジタルチューナー内蔵VTR&DVD一体型レコーダー〔約3万円〕を量販店で買って来た、マンションには地上デジタル放送用のアンテナが上っているので約3時間かけて一応デジタル放送は受信も録画も出来る様に設定は出来た。事務所の方は地上デジタルテレビはセットしたが、屋根の上に地上デジタルアンテナは上がっているが父親が現在入院をしている為にアンテナ分配器から事務所にテレビアンテナ線が開通していないので、明日、父親が退院をしたらアンテナ線を事務所に配線して、今月中には見れる様にしたいと思っているが、実は大きな問題が発生をしている。
今度、地上デジタルテレビを購入したが、今まで見ていたアナログテレビはどの様に処分するべきか考えている、テレビを買い求めた量販店では処分を承りますが有料です、金額は20インチ以下だと処分費と引き取り費を含めて5.500円、20インチ以上だと6.700円〜〔大きさにより費用は異なる〕と言う、市町村の粗大塵として出したら少し安いのではと考えて区役所清掃事務所に相談の電話をかけたらテレビなど電化製品は清掃事務所では引き取らないそうだ、我家では2台のテレビ処分に12.000円以上もかかりそうだ。でも一部テレビ引取りを2.000円均一で引き受けている処分業者がいるそうだ、この業者はテレビを引き取って海外に船で運んで、海外の電気店で中古として販売するそうで、条件としてはテレビが綺麗である事〔使用年数が短い事〕、未だ十分に映る事が条件と聞く。しかし、あまりにも処分の費用が高い為に、今後不法投棄が横行するのではと心配する声もある。
地上波テレビのアナログ放送は7月24日正午で、東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島の3県を除く〔岩手・宮城・福島は来年3月実施〕44都道府県で放送は終了してデジタル放送に完全移行した。昭和28年に始まったテレビのアナログ放送が58年の歴史に幕を閉じた・・・・・しかし、とんでもない事が判明した、ブラウン管のアナログテレビで地上デジタル放送が見る事が出来る信じられない事が27日の日刊ゲンダイ〔26日発行〕に掲載された。
エ〜本当と云う事で新橋駅前の某テレビ量販店で聞いたら従業員も「初耳」と驚いていた、新聞によると地デジに完全移行した瞬間を見届けようと家族がテレビの画面に釘付けとなっていた正午・・・・・画面は地デジ移行の告知画面に切り替るどころか、正午のNHKニュースが放送をされている、アナウンサーは「本日、正午を持ってアナログ放送が終了して地上デジタル放送に移行となりました、各地の相談窓口には相談が殺到して、10万件超」と伝えている、「アナログ放送の画面は背景が青色になり放送終了が告げられた、そして翌25日午前0時でアナログ電波送信が終了して砂嵐の画面に変った」と放送をしていたが、ブラウン管のアナログテレビで58年の歴史に幕を閉じる瞬間を見たいと楽しみにしていた人?を裏切った。
実はこれはケーブルテレビ局の「デジタル変換」によるもので、ケーブルテレビ局〔会社〕がデジタル波を変換してアナログテレビでも視聴出来る様にしているのである。総務省が地デジの受信環境を整備する為、昨年から自治体や民間企業等のケーブルテレビ事業者に導入を求めて来た。このサービスで後4年先の2015年3月末までブラウン管のテレビでも普通に地デジ放送が視聴出来るのである。そんな措置があった事は初耳だが、この恩恵を受けられるのはケーブルテレビ局と有料聴視契約を結んでいる家庭の他にマンション等の集合住宅には最初から加入しているケースもあり、これらの世帯は慌てて高価な地上デジタルテレビを買い替えなくても、今までのブラウン管テレビで地上デジタル放送が聴視出来るのである。日本の世帯数は約5.000万軒であるから1世帯1台として日本全国には5.000万台のテレビがある計算だが総務省地域放送推進室の調べでは「2.416万世帯にデジタルアナログ変換が導入済み」と云う、つまり日本の半数近い家庭ではワザワザ地上デジタルテレビは買い換える必要が無かった訳だ・・・・今更そんな事を言われてもどうしょうもないが、総務省はデジタルアナログ変換を導入する為にケーブルテレビ事業者に対して平成22年と23年に補助金を11億円出している、更にデジタル波とアナログ波が干渉し合わないかを調査する為の「混信障害調査費」として5.500万円税金から支出している、その反面、その総務省が旗を振り「ラストスパート、声かけ地デジ化大作戦」や「山手線にデジタル放送トレイン」を走らせて7月24日にはアナログ放送は終了します・・・・・早めに地上デジタルテレビの買い換えやチューナを取り付けましょうと煽り、地上デジタルテレビ購入を宣伝をしている、東日本大震災で消費が落ちている為に経済効果を上げる為にテレビの買い替えを勧めて、早く買い換えないとテレビは見る事が出来なくなります・・・・と煽り、「でも一部ケーブルテレビ聴視者はアナログテレビでも地上デジタルテレビを御覧頂けますので、加入のケーブルテレビ会社にお尋ね下さい」とか、マンションや集合住宅にはデジアナ変換が出来ているマンション、集合住宅もありますので管理組合や大家さんに相談をして下さい・・・と云うのが本来の総務省の立場ではないのか。
7月24日に片山総務相は記者会見で「問い合わせや苦情の数、内容は想定内」として、高齢者を中心として10万世帯程度とみられる地デジ視聴が出来ない層については「周知に反応して貰えなかった方がいたのは残念」と話したが、たぶん片山総務相も総務省がデジアナ変換を導入させる為税金の投入をしている事を知らないのかも知れない。更に民放連の広瀬道貞会長も記者会見で「地デジ化で安くない買物をお願いした、満足して貰えるデジタル放送にしてゆきたい」と話をしている。最近では地上デジタルも35インチで10万円以下、安いものだと3〜4万円台の地上デジタルテレビも買える様になったがデジタルテレビを買ってもアンテナ〔地上デジタル用のアンテナ〕を替えないと受信出来ない事から、アンテナ工事に5万円〜〔工事内容による〕かかる事から地上デジタルテレビを視聴するには10万円近くのお金の出費となった、無理してテレビを買い替えた国民は、政府〔総務省〕が仕掛けてNHKや民放、更に家電メーカーを巻き込んで「テレビ買い替えろ詐欺」をしたのだ。
この件に、総務省の言い分は「デジアナ変換を導入していないケーブルテレビ事業者もある為に、一部の人がケーブルテレビに加入しているから大丈夫」と誤解すると混乱を招く恐れがあった。デジアナ変換を導入をしているケーブルテレビ事業者には周知をする様に伝えたが、伝えていない事業者もあった様ですと話しているが、総務省もテレビ買い替えを煽るのでは無く、その気になれば周知をさせる方法は幾らでもあったのでは無いだろうか。
ところで、我家の場合は、地上デジタルテレビを2台〔19インチと20インチ、2台で約5万円〕と 地上デジタルチューナー内蔵VTR&DVD一体型レコーダー〔約3万円〕を量販店で買って来た、マンションには地上デジタル放送用のアンテナが上っているので約3時間かけて一応デジタル放送は受信も録画も出来る様に設定は出来た。事務所の方は地上デジタルテレビはセットしたが、屋根の上に地上デジタルアンテナは上がっているが父親が現在入院をしている為にアンテナ分配器から事務所にテレビアンテナ線が開通していないので、明日、父親が退院をしたらアンテナ線を事務所に配線して、今月中には見れる様にしたいと思っているが、実は大きな問題が発生をしている。
今度、地上デジタルテレビを購入したが、今まで見ていたアナログテレビはどの様に処分するべきか考えている、テレビを買い求めた量販店では処分を承りますが有料です、金額は20インチ以下だと処分費と引き取り費を含めて5.500円、20インチ以上だと6.700円〜〔大きさにより費用は異なる〕と言う、市町村の粗大塵として出したら少し安いのではと考えて区役所清掃事務所に相談の電話をかけたらテレビなど電化製品は清掃事務所では引き取らないそうだ、我家では2台のテレビ処分に12.000円以上もかかりそうだ。でも一部テレビ引取りを2.000円均一で引き受けている処分業者がいるそうだ、この業者はテレビを引き取って海外に船で運んで、海外の電気店で中古として販売するそうで、条件としてはテレビが綺麗である事〔使用年数が短い事〕、未だ十分に映る事が条件と聞く。しかし、あまりにも処分の費用が高い為に、今後不法投棄が横行するのではと心配する声もある。
2011年07月25日
訪日観光団が来ない
皆さん「お暑っう御座います」との書き出しで始まる筈のブログの文章も台風6号が紀伊半島沖から関東に近づいた20日〜22日の3日間は「秋が来た」かと思う様な気温に下がり、下着に半袖ワイシャツ、半袖ジャケットでは寒い程の気温の変化で風邪を引いてしまった。葛根湯のアンプルを飲んだので大事に至らなかったが30〜33度と云う気温から遊園地のジェットコースターの様に20〜23度迄気温が急降下すれば体が温度差に付いて行けなくなるのは当然の事だろうか・・・・。
7月23日に浅草の神谷バーで「とうきょう案内人」の暑気払いが行われた、「とうきょう案内人8人衆」が勢揃いして16時から18時まで「夏のお疲れ様会」だが暑気払いは、暑さを忘れて頑張ろうと云う会だ、国会議事堂で案内を終えた佐藤氏と赤坂見附駅から地下鉄銀座線で浅草駅に到着したのが、15時20分少し早いので浅草寺仲見世通り周辺を歩いたが、流石!夏休み直後の土曜日、人出は予想外に多くて驚いたが大半は日本人で、たまに外国語を聞く事が出来た。
3月11日の東日本大震災以降、訪日旅行〔インバウンド〕の観光客〔日本に観光で来る外国人〕が激減して銀座・新宿・秋葉原・浅草などの訪日外国人がお土産を買う「免税店」や「観光土産店」は限りなくゼロに近い外人客に頭を抱えた。日本政府観光局〔INTO〕は訪日外客〔日本を訪れる外人客〕は4月が前年比〔2010.4〕62.5%減の29万6千人、5月は50.4%減の35万8千人と発表して、徐々に外国から日本に観光客が戻って来ている、この調子で行けば、今年の秋には去年〔2010〕並みになるのではないかと見ているらしい、しかし現実は厳しく、東京の主だった観光地の御土産店や免税店は訪日観光客が来ていない、では、日本政府観光局は何を基準に前年比の数字を出したのか、実は観光局は出入国管理事務所のデーターを基準に入国した人の数を出す、つまり日本に入国した人の数で仕事〔商務・出張〕や公務〔大使館勤務〕・家族滞在者の他、日本経由でアメリカやヨーロッパに行く立ち寄り客も含まれます、更に東日本大震災により東京電力福島原子力発電所〔福島原発〕の事故で一時的に自国に逃避〔避難〕をしていた在日外国人が戻って来た人も、この中に含まれます、つまり日本に入国した数の全員が観光客ではありません。日本政府観光局が、訪日観光客が今年の夏には70%戻ってくると考えている様ですが、東京電力福島原子力発電所の安全収束宣言が出されるまでは戻る事はありません。あの日〔3月11日〕東日本大震災が発生した時に訪日旅行がキャンセルになりました、「地震・津波・・・・」これは自然災害だから、ある程度、日にちが経てば訪日観光客は戻ってきますが、三番目の東京電力福島原発事故は進行性の原発事故で、相手が目に見えない放射能汚染だけにキャンセルが続出、訪日観光客を扱うインバウンド会社は日本の桜を見に来る観光客の受入準備に忙しい時期の震災だけに頭を抱えていました。東京にアジアインバウンド観光振興会〔AISO〕があり会員会社は37社で、この観光振興会の会員の扱う訪日観光客は年間350万人、その半数が中国で、続いて香港、台湾、韓国と続くが、一番多い中国からの観光客は、7月は震災前水準の5%しか回復していない、このままでは訪日観光客を扱う旅行関連会社は倒産してしまいます。東日本大震災後の災害は東京電力福島原発汚染・・・それにキャンセルです。日本に海外から観光客が来ないと云う事は、観光客の利用する国内交通機関〔鉄道・観光バス・船舶など〕、宿泊施設、食事施設〔ドライブイン・レストランなど飲食店〕、御土産店〔免税店〕等にも影響する。某旅行業界誌によると東日本大震災の発生前の訪日観光客を受入れる旅館の予約台帳は80%以上埋まっていたが、震災後予約台帳は3日間で真っ白になったそうだ、地震や津波の影響で3ヶ月位は観光客は来ないだろうとアルバイト従業員の削減は考えていなかったが、東京電力福島原発事故がチェルノブイリ原発と同じ事故価尺度のレベル7が出てからはキャンセルの電話が殺到、予約の問い合わせも皆無となり、桜が咲いて訪日観光客で満室となる4月中旬は空室が続き、アルバイト従業員に辞めて貰い信用金庫から緊急の融資を受けて細々と営業をしている状態だそうだが、元の状態に戻るのは日本政府観光局が発表する様に「今年秋には・・・」なのか、来年の春なのか先が見えないそうだ。震災前には「訪日観光客を年間3千万人にしたい」と目標を掲げていた政府・観光庁は対外国に向けて「福島原発付近の一部を除き、他の地域への観光は何の問題も無い」とは話をしているが、日本を知らない外国人は、東北が何処で、福島が何処にあるのか判らない、福島原発のある場所が解らない〔深刻な影響のある地域は何処なのか〕、5月に渡航自粛解除を受けてから徐々に観光客は戻ってはいる様だが、訪日観光客が去年〔2010年〕水準に戻るのは2〜3年後になりそうだ、それも福島原発問題が解決し放射能が外に漏れていないと日本政府が安全宣言を出してくれるのが条件ですとの事だが、それまで資金的に持つ業者は何軒あるだろうか、融資を受けられない会社は倒産は免れない。
7月23日に浅草の神谷バーで「とうきょう案内人」の暑気払いが行われた、「とうきょう案内人8人衆」が勢揃いして16時から18時まで「夏のお疲れ様会」だが暑気払いは、暑さを忘れて頑張ろうと云う会だ、国会議事堂で案内を終えた佐藤氏と赤坂見附駅から地下鉄銀座線で浅草駅に到着したのが、15時20分少し早いので浅草寺仲見世通り周辺を歩いたが、流石!夏休み直後の土曜日、人出は予想外に多くて驚いたが大半は日本人で、たまに外国語を聞く事が出来た。
3月11日の東日本大震災以降、訪日旅行〔インバウンド〕の観光客〔日本に観光で来る外国人〕が激減して銀座・新宿・秋葉原・浅草などの訪日外国人がお土産を買う「免税店」や「観光土産店」は限りなくゼロに近い外人客に頭を抱えた。日本政府観光局〔INTO〕は訪日外客〔日本を訪れる外人客〕は4月が前年比〔2010.4〕62.5%減の29万6千人、5月は50.4%減の35万8千人と発表して、徐々に外国から日本に観光客が戻って来ている、この調子で行けば、今年の秋には去年〔2010〕並みになるのではないかと見ているらしい、しかし現実は厳しく、東京の主だった観光地の御土産店や免税店は訪日観光客が来ていない、では、日本政府観光局は何を基準に前年比の数字を出したのか、実は観光局は出入国管理事務所のデーターを基準に入国した人の数を出す、つまり日本に入国した人の数で仕事〔商務・出張〕や公務〔大使館勤務〕・家族滞在者の他、日本経由でアメリカやヨーロッパに行く立ち寄り客も含まれます、更に東日本大震災により東京電力福島原子力発電所〔福島原発〕の事故で一時的に自国に逃避〔避難〕をしていた在日外国人が戻って来た人も、この中に含まれます、つまり日本に入国した数の全員が観光客ではありません。日本政府観光局が、訪日観光客が今年の夏には70%戻ってくると考えている様ですが、東京電力福島原子力発電所の安全収束宣言が出されるまでは戻る事はありません。あの日〔3月11日〕東日本大震災が発生した時に訪日旅行がキャンセルになりました、「地震・津波・・・・」これは自然災害だから、ある程度、日にちが経てば訪日観光客は戻ってきますが、三番目の東京電力福島原発事故は進行性の原発事故で、相手が目に見えない放射能汚染だけにキャンセルが続出、訪日観光客を扱うインバウンド会社は日本の桜を見に来る観光客の受入準備に忙しい時期の震災だけに頭を抱えていました。東京にアジアインバウンド観光振興会〔AISO〕があり会員会社は37社で、この観光振興会の会員の扱う訪日観光客は年間350万人、その半数が中国で、続いて香港、台湾、韓国と続くが、一番多い中国からの観光客は、7月は震災前水準の5%しか回復していない、このままでは訪日観光客を扱う旅行関連会社は倒産してしまいます。東日本大震災後の災害は東京電力福島原発汚染・・・それにキャンセルです。日本に海外から観光客が来ないと云う事は、観光客の利用する国内交通機関〔鉄道・観光バス・船舶など〕、宿泊施設、食事施設〔ドライブイン・レストランなど飲食店〕、御土産店〔免税店〕等にも影響する。某旅行業界誌によると東日本大震災の発生前の訪日観光客を受入れる旅館の予約台帳は80%以上埋まっていたが、震災後予約台帳は3日間で真っ白になったそうだ、地震や津波の影響で3ヶ月位は観光客は来ないだろうとアルバイト従業員の削減は考えていなかったが、東京電力福島原発事故がチェルノブイリ原発と同じ事故価尺度のレベル7が出てからはキャンセルの電話が殺到、予約の問い合わせも皆無となり、桜が咲いて訪日観光客で満室となる4月中旬は空室が続き、アルバイト従業員に辞めて貰い信用金庫から緊急の融資を受けて細々と営業をしている状態だそうだが、元の状態に戻るのは日本政府観光局が発表する様に「今年秋には・・・」なのか、来年の春なのか先が見えないそうだ。震災前には「訪日観光客を年間3千万人にしたい」と目標を掲げていた政府・観光庁は対外国に向けて「福島原発付近の一部を除き、他の地域への観光は何の問題も無い」とは話をしているが、日本を知らない外国人は、東北が何処で、福島が何処にあるのか判らない、福島原発のある場所が解らない〔深刻な影響のある地域は何処なのか〕、5月に渡航自粛解除を受けてから徐々に観光客は戻ってはいる様だが、訪日観光客が去年〔2010年〕水準に戻るのは2〜3年後になりそうだ、それも福島原発問題が解決し放射能が外に漏れていないと日本政府が安全宣言を出してくれるのが条件ですとの事だが、それまで資金的に持つ業者は何軒あるだろうか、融資を受けられない会社は倒産は免れない。
2011年06月30日
暑いと思うから暑いんだ・・・と云うのは何処の誰だ
暑いと思うから暑いんだ・・・と云うのは、何処の誰だ! 、節電だ、節電だと冷房の温度を上げたり、冷房を止めたりしているが、昨日(6月29日)は過去の6月最高気温を更新して全国74地点で35度以上を記録、511箇所で30度を超えたそうだ、東京都千代田区大手町の気象庁では今年初の猛暑日になる35・1度を記録したそうだが、実際、気象庁から直線距離で3キロの銀座では39度も記録されていた。更に六本木ビルズの毛利庭園(旧毛利家屋敷)では38度、更にテレビ朝日の屋上では40度もあったと聞きました。何で
大手町の気象庁が一番低いのか・・・・、これには秘密があります。毎日気象庁の職員が決った時間に計測をしますが、計測場所は気象庁の庭で芝生が敷いてあり、常に水撒きが行われています。夏に日本橋の橋の上で体感温度を下げる為に「みずうち」という名の「水撒き」が行われます。この時の温度は例えば30度あったと仮定しますと水撒きの時は27〜28度と1〜2度下がります、まして気象庁の庭の芝生は水を吸っておりますので、計即時の温度も銀座のアスファルトの道路上よりも低い訳です。多分、気象庁の庭ではなくて気象庁の隣の東京消防庁の屋上だったら、あと2−3度は高かったのではと思います。昨日の気温上昇に伴い千葉・長野・奈良・愛知県で4人が熱中症で死亡した、その中の3人は室内で熱中症で死亡していた。愛知県では会社の社員寮の管理人が倒れていた、室内温度は35度で普通なら冷房を回すのだが節電で停止して窓から風を入れていたが熱中症を発症、救急車で病院に搬送されたが間に合わなかった。
昨日は都内での熱中症による救急搬送者は93人だった。
都内の涼しい夏休み、見学地を御案内しょう。
中央区「貨幣博物館」場所は東京メトロ三越前又は日本橋駅下車350団、日本銀行本館の前にある、月曜日と祝日は休館で平日・土日は開館だが7月1日〜9月末迄は節電の関係で土日のみ開館する(平日は閉館)様々な日本に流通する貨幣を展示している(見学所要時間は約1時間)見学料無料 詳細 03(3227)3037
今年、日本橋は架橋100年を迎えました、「三井記念美術館」では9月4日まで特別展「橋」ものがたりを開催中天橋立から日本橋まで 入場料1.200円(山本海苔店等で100円引き割引券配布中)
千代田区皇居東御苑 皇居造営の一環として昭和43年10月から公開されている、東御苑は元々は江戸城の本丸・二の丸・三の丸の跡、入口は東京メトロ大手町駅から200辰梁膽衞隋竹橋駅から200辰諒神醋隋∨無誘玉腓裡害媾蝓◆‘園料は無料、公園だから涼しくはないけれども散策にはピッタリ月曜日と金曜日は休園で9時〜17時まで(入園は16時30分)、大手門を入った所に三の丸尚蔵館がある、天皇家が所蔵する美術工芸品が順次公開されている(事前に公開中か確認を要す) 03(5222)0012
ある人からのメールだと、今一番涼しいのは「国会議事堂?」との問い合わせあり、つい、この間まで菅総理大臣が退陣か・・・なんて国会内の各委員会や本会議場では盛んに論議が交わされて冷房も効かない程の論争が繰り広げた?が国会も70日の延長が決まって潮が引いた様に静かになりましたが、見学者は小中学校の修学旅行か社会見学か連日バスが到着する。見学は無料だが、説明は衛視と呼ばれる国会の職員が行う、1年365日見学は出来るが衆議院本会議がある時は参議院、参議院の本会議がある時は衆議院に振り替えられる。館内は冷房は27度程度になっているが、土日祝日は節電の為に冷房を止めている。 詳細は03(3581)5111内線33771又は33772 衆議院警務部警務課参観係
国会議事堂の帰りに寄りたいのが憲政記念館 国会の事が良く判る憲政資料館 休みは毎月月末
見学所要時間は1時間 見学は無料 レストランありコック長は元総理大臣官邸の料理人! 詳細は03(3581)1651
憲政記念館から皇居に向かって10分程度で「法務省煉瓦庁舎」 明治28年にドイツ様式で建てられた法務省の旧館、日本の重要文化財 館内に司法大臣(法務大臣)官舎大食堂を復元した法務資料館がある学生には難しいが明治の事件史料法務歴史資料の展示がある、残念なのは土日祝日が休館 詳細は03(3592)7911 無料/所要時間30分
法務省煉瓦庁舎は土日祝日は休みだが、皇居の二重橋から東京駅方面に歩くと「明治生命館」がある、明治生命館は戦後約2年間連合指令本部として接収を受けた建物だが内部は素晴らしく接収当時進駐軍上級仕官が利用した食堂や応接室がある、日本で最初に設置されたメールシューター(米国製)は残念ながら現在は使われていない、見学は土日祝日のみ・無料/建物は重要文化財 9:00-17:00 03(3283)9252
まだまだ東京には見所が多い。さて今年の夏休みは都内で過ごします
大手町の気象庁が一番低いのか・・・・、これには秘密があります。毎日気象庁の職員が決った時間に計測をしますが、計測場所は気象庁の庭で芝生が敷いてあり、常に水撒きが行われています。夏に日本橋の橋の上で体感温度を下げる為に「みずうち」という名の「水撒き」が行われます。この時の温度は例えば30度あったと仮定しますと水撒きの時は27〜28度と1〜2度下がります、まして気象庁の庭の芝生は水を吸っておりますので、計即時の温度も銀座のアスファルトの道路上よりも低い訳です。多分、気象庁の庭ではなくて気象庁の隣の東京消防庁の屋上だったら、あと2−3度は高かったのではと思います。昨日の気温上昇に伴い千葉・長野・奈良・愛知県で4人が熱中症で死亡した、その中の3人は室内で熱中症で死亡していた。愛知県では会社の社員寮の管理人が倒れていた、室内温度は35度で普通なら冷房を回すのだが節電で停止して窓から風を入れていたが熱中症を発症、救急車で病院に搬送されたが間に合わなかった。
昨日は都内での熱中症による救急搬送者は93人だった。
都内の涼しい夏休み、見学地を御案内しょう。
中央区「貨幣博物館」場所は東京メトロ三越前又は日本橋駅下車350団、日本銀行本館の前にある、月曜日と祝日は休館で平日・土日は開館だが7月1日〜9月末迄は節電の関係で土日のみ開館する(平日は閉館)様々な日本に流通する貨幣を展示している(見学所要時間は約1時間)見学料無料 詳細 03(3227)3037
今年、日本橋は架橋100年を迎えました、「三井記念美術館」では9月4日まで特別展「橋」ものがたりを開催中天橋立から日本橋まで 入場料1.200円(山本海苔店等で100円引き割引券配布中)
千代田区皇居東御苑 皇居造営の一環として昭和43年10月から公開されている、東御苑は元々は江戸城の本丸・二の丸・三の丸の跡、入口は東京メトロ大手町駅から200辰梁膽衞隋竹橋駅から200辰諒神醋隋∨無誘玉腓裡害媾蝓◆‘園料は無料、公園だから涼しくはないけれども散策にはピッタリ月曜日と金曜日は休園で9時〜17時まで(入園は16時30分)、大手門を入った所に三の丸尚蔵館がある、天皇家が所蔵する美術工芸品が順次公開されている(事前に公開中か確認を要す) 03(5222)0012
ある人からのメールだと、今一番涼しいのは「国会議事堂?」との問い合わせあり、つい、この間まで菅総理大臣が退陣か・・・なんて国会内の各委員会や本会議場では盛んに論議が交わされて冷房も効かない程の論争が繰り広げた?が国会も70日の延長が決まって潮が引いた様に静かになりましたが、見学者は小中学校の修学旅行か社会見学か連日バスが到着する。見学は無料だが、説明は衛視と呼ばれる国会の職員が行う、1年365日見学は出来るが衆議院本会議がある時は参議院、参議院の本会議がある時は衆議院に振り替えられる。館内は冷房は27度程度になっているが、土日祝日は節電の為に冷房を止めている。 詳細は03(3581)5111内線33771又は33772 衆議院警務部警務課参観係
国会議事堂の帰りに寄りたいのが憲政記念館 国会の事が良く判る憲政資料館 休みは毎月月末
見学所要時間は1時間 見学は無料 レストランありコック長は元総理大臣官邸の料理人! 詳細は03(3581)1651
憲政記念館から皇居に向かって10分程度で「法務省煉瓦庁舎」 明治28年にドイツ様式で建てられた法務省の旧館、日本の重要文化財 館内に司法大臣(法務大臣)官舎大食堂を復元した法務資料館がある学生には難しいが明治の事件史料法務歴史資料の展示がある、残念なのは土日祝日が休館 詳細は03(3592)7911 無料/所要時間30分
法務省煉瓦庁舎は土日祝日は休みだが、皇居の二重橋から東京駅方面に歩くと「明治生命館」がある、明治生命館は戦後約2年間連合指令本部として接収を受けた建物だが内部は素晴らしく接収当時進駐軍上級仕官が利用した食堂や応接室がある、日本で最初に設置されたメールシューター(米国製)は残念ながら現在は使われていない、見学は土日祝日のみ・無料/建物は重要文化財 9:00-17:00 03(3283)9252
まだまだ東京には見所が多い。さて今年の夏休みは都内で過ごします
2011年06月29日
暑い夏はどうします。サマータイムが導入されました
今年は東日本大震災で東京電力福島原子力発電所が津波による被災事故で東京電力管内の発電力が普段の夏よりも落ち込んで夏の一番電力供給が予定通り進まず冷房や工場の電力供給が追いつかず計画的に供給がストップする「計画停電」が実施される見通しとなっている、既に自動車業界〔自動車製造工場など〕は土日休業を土日操業にして平日に休業する方針を表明している、更に官庁や一部企業ではサマータイムを導入、通常9時の開庁を8時に1時間早めて開業、開庁、16時退勤とした企業や官庁もある様だ、通勤も当然早まるのでラッシュも気持ち緩和される、通勤の鉄道各社は7月1日から節電ダイヤを導入、電力需要が集中する昼間の鉄道運行本数を減らし、サマータイム導入の企業に併せて早朝時間帯に電車を増発するらしい。JRだけでなく私鉄各社や東京メトロ、都営地下鉄も始発を午前5時台から4時台に繰り上げ、5時、6時の早朝時間帯に増便をした、新宿の午前6時台に到着する私鉄はサマータイム実施により、今迄よりも20%近く利用者が増える傾向にあるそうだ、そういえば、旅人が利用する京浜東北線〔蒲田駅〕午前8時頃の電車も、今までは乗客が集中して電車の扉が閉まらず駅の放送では「無理に乗らず、後から来る電車を御利用下さい」と言っていたが、何かスムーズに乗れる様になった気持ちがする。返って電車がスムーズに運行出来る様になったので遅れるダイヤ想定がスムーズに運行される為に、蒲田を出た電車は前に走る電車に間隔が狭まり、蒲田駅/大森・大井駅間で「停止信号です、暫くお待ち下さい」の放送を聞く様になった。
都内では、電力需要率が70〜80%になっているが、今年の夏はピークに達すると需要率が供給率に追いつかなくなり、東京電力では2時間前に計画停電を通告して、地域電力を停止する、こうなると最悪になる、計画停電地域の工場は生産ラインが停止して操業がストップする、一般家庭の電気も停電する、商店の電気も停電する、道路の信号も停電をする。一般家庭の冷蔵庫も停電する為に冷凍商品は冷凍効果が低下するが、停電時間は2時間だから冷凍庫の開け閉めを頻繁に行わなければ冷凍食品〔アイスクリームや氷〕は溶ける事は心配ないらしいが、腎臓系の病気で透析をしている病院や生死を争う様な状態の患者の酸素吸入や手術中の病院では停電は致命傷になる、勿論、大きな病院や透析をしている病院では非常電源を設備はしているが停電により非常電源を使用しても限度がある、1日200人の透析をしている病院では透析患者の透析時間を通常4時間を3時間に短縮したり時間スケジュールも調整が必要となる。会社にしても昼間の電力需要の増大で計画停電をされてラインがストップすると仕事が出来ないからとして工場操業時間を朝〜夕を大幅に変更して、夕方〜深夜、或いは夜〜早朝に操業シフトを変更する企業も考えている会社もあるそうだ、昼間は暑いから工場でも冷房を入れなくては仕事が出来ないし、ラインを動かさないと仕事が出来ない、その上、2時間前に計画停電の通告があっても、その停電時間に休憩を出す訳にはいかない、そこで夕刻から深夜、或いは夜から早朝の電力需要が無い時に操業をして工場を稼動して昼間の電力需要が増大する時は自宅で休養をとらせると言った方法らしい、既に一部企業では試験的に実施を考えているとの話もある。しかし、これに反対する人もいる、居酒屋とか飲食関係である、夕方、仕事を終えて会社近くの飲食店で「一杯やって帰りましょうか・・・」と言う客が、早朝仕事を終えて或いは深夜に仕事を終えてから会社近くの居酒屋や飲食店で「一杯やって帰りましょうか・・・」何て云う事は、先ずない、疲れたので真っ直ぐ自宅に帰り寝るか又は自宅で一杯飲んで寝るのが精一杯、仕事前に「一杯やる」人はまずいない。工場近くの居酒屋は死活問題だ・・・と云う。
今年は企業の夏休みも普段よりも長いそうだ、既に8月のお盆時期の1週間程度の夏休みをする企業は、7月中盤から8月早々と夏休みにすると計画をしている企業もある、つまり10日間程度の夏休みだが、企業が全体で休むと他社から業績が不振で社員の夏休みを大きく取っているのではと思われるので、7・8月を全体に見て10日の休みを与える企業が多くなるらしい、例えば8月1日〜5日まで前半、10日〜15日まで後半と2回に分けて夏休みをとるのも良し、8月10日から20日までの10日間の休みを取るのも良い、小刻みに3日間の休みを3回取るのも良いと言った調子で社内の調整を進めている企業も多い。しかし、あくまでも夏休みだから8月或いは9月中盤まで消化しないと無効になるらしい。そして冷房を使わなくても仕事のが出来る9月後半から年内祝日は通常の勤務になる9月に2日、10月に1日、11月に2日、12月に1日〔土日祝日と続くのが9月に2回10月に1回、12月に1回ある〕、この様なシフトでの夏休になれば海外旅行で停電に関係のない場所での休暇も可能となるし、例えば9月以降の連休を使って2泊3日の連休をを使って旅行するよりも費用面や交通渋滞を考えての行動よりも理想の旅行が楽しめる。お盆の帰郷よりもお盆の最終日に休暇をとって、行ったその日は墓参りだけ、帰りはゆっくり田舎で楽しんで道路や交通機関が空いたら帰宅するのも良いし、あんまり信心深くなければお盆も1日遅らせて墓参りも良いし〔御先祖さんに事情を説明して墓の前で報告を忘れないで/笑い/要するに墓参りをする事に意義がある〕。
秋の連休の時は交通渋滞で疲れるのなら会社を休まず仕事に精を出していたほうが良いかも知れません。
ところで今年の夏休みの過ごし方ですが、皆さんどの様にお考えですか・・・。旅人は「とうきょう案内人」の仕事が忙しくなりそうで夏休みはとる予定はありませんが、東京も暑いので1日2日、どこか近場の観光地に旅行するか考え中です〔仕事の調子を見てですが〕、旅人は35年間添乗員をしていましたが、1箇所だけ一人で旅行をして見たい場所があります。南アルプスです。南アルプスと云っても山に登る訳ではありません、東京から山梨県甲府まで中央本線スーパーあずさ1号〔新宿7:00〕を利用して、甲府〔8:28〕から、富士急行の路線バス〔9:00広河原行に乗車、広河原10:56〕ここから南アルプス市営バス北沢峠行に乗車〔12:15北沢峠12:40〕ここで南アルプス林道バス〔市営バスに接続〕に乗車して中間の歌宿〔13:30頃〕下車、ここから1時間か2時間〔1万歩程度〕歩いて戸台口に向かう、道はやや軽い下り坂で狭いがまわりの景色は最高、高山植物もあり、山に囲まれバス道路を行けば危険な箇所は無い、バス停もあり、手を挙げれば林道バスの運転手さんは席が空いていれば乗せてくれる親切さ・・・更にチャンスがあれば天然記念物のカモシカにも遭遇出来る、この山岳道路は一般車両通行止だから穴場的観光地かも知れない。6月24日〜11月第一週迄しかバスは運行されていない〔他に交通機関は無い〕、帰りは戸台口にある仙流荘〔0265-98-2312〕又は高遠さくらホテル〔0265-94-2200〕に宿泊するか休憩を取って帰りたい。宿泊料は1泊2食で12.000円前後である〔詳細は上記ホテルに問い合わせ下さい〕。日帰りの場合は、昔はJR関東の高速バスが高遠・長谷〔仙流荘〕間を走っていたが、現在は運休しているらしいがツアーバス〔旅行会社或いは観光バス会社が運営する不定期定期バス/この間はトラビスジャパン蠅運行している様だ、0265-71-3800〕時間は仙流荘12:10と17:20だから日帰りの場合は17時20分のバスに乗らないと帰りの交通機関に困る。因みに17時20分のバスは22時に新宿駅西口到着の予定〔あくまでも定期バスではないので予約問い合わせをしておく事が肝心、不定期バスの場合は予約が無ければ運休する事がある〕。尚、都内の旅行会社では南アルプス横断バスのツアーを実施している会社も数社ある。それから、このコースは山岳ルートだが山登りの服装は必要としない〔山に登る目的なら別だが〕、ハイキングの服装で良い、足元はスニーカーや普段穿きなれている靴で良い、添乗していた時にお客様かに普段穿きなれている靴で良いと言ったらハイヒールを穿いてミニスカートで参加した若者が居たが、それは論外ですョ!
尚、南アルプス登山を目的なら新宿駅西口から広河原に直通の登山バスが出ています7月1日〔金曜日〕〜10月14日〔金曜日〕の毎週金曜日の夜行バス(22時発)芦安天笑閣で休憩後に午前5時に出て6時11分に広河原に到着するコースでバス代は6.600円(片道)広河原からは仙丈ヶ岳(3.033叩頬務戞3.193叩亡屮粒戞3.189叩貿青山戞3.026叩砲あり、富士山に続く高い山があります。勿論登山ですからそれ相当な登山装備が必要です。登山バスの詳細は055-222-1300山交トラベル。
山に触れれば忘れかけていた事をきっと思い出す。暑い時は避暑でハイキングは如何でしょうか。山梨県観光推進機構(055-231-2722)では,気軽に参加出来る20コースのトレッキングコースのパンフレットを作り配布をしています、東京駅近くの富士やまなし館でパンフレットは手に入ります(03-3241-3776)新宿中央沿線案内センター(03-33414-0295)へどうぞ。
さて、次のブログでは楽しいぞ「夏の東京周辺の散歩」を御紹介します。(只今取材中です)
都内では、電力需要率が70〜80%になっているが、今年の夏はピークに達すると需要率が供給率に追いつかなくなり、東京電力では2時間前に計画停電を通告して、地域電力を停止する、こうなると最悪になる、計画停電地域の工場は生産ラインが停止して操業がストップする、一般家庭の電気も停電する、商店の電気も停電する、道路の信号も停電をする。一般家庭の冷蔵庫も停電する為に冷凍商品は冷凍効果が低下するが、停電時間は2時間だから冷凍庫の開け閉めを頻繁に行わなければ冷凍食品〔アイスクリームや氷〕は溶ける事は心配ないらしいが、腎臓系の病気で透析をしている病院や生死を争う様な状態の患者の酸素吸入や手術中の病院では停電は致命傷になる、勿論、大きな病院や透析をしている病院では非常電源を設備はしているが停電により非常電源を使用しても限度がある、1日200人の透析をしている病院では透析患者の透析時間を通常4時間を3時間に短縮したり時間スケジュールも調整が必要となる。会社にしても昼間の電力需要の増大で計画停電をされてラインがストップすると仕事が出来ないからとして工場操業時間を朝〜夕を大幅に変更して、夕方〜深夜、或いは夜〜早朝に操業シフトを変更する企業も考えている会社もあるそうだ、昼間は暑いから工場でも冷房を入れなくては仕事が出来ないし、ラインを動かさないと仕事が出来ない、その上、2時間前に計画停電の通告があっても、その停電時間に休憩を出す訳にはいかない、そこで夕刻から深夜、或いは夜から早朝の電力需要が無い時に操業をして工場を稼動して昼間の電力需要が増大する時は自宅で休養をとらせると言った方法らしい、既に一部企業では試験的に実施を考えているとの話もある。しかし、これに反対する人もいる、居酒屋とか飲食関係である、夕方、仕事を終えて会社近くの飲食店で「一杯やって帰りましょうか・・・」と言う客が、早朝仕事を終えて或いは深夜に仕事を終えてから会社近くの居酒屋や飲食店で「一杯やって帰りましょうか・・・」何て云う事は、先ずない、疲れたので真っ直ぐ自宅に帰り寝るか又は自宅で一杯飲んで寝るのが精一杯、仕事前に「一杯やる」人はまずいない。工場近くの居酒屋は死活問題だ・・・と云う。
今年は企業の夏休みも普段よりも長いそうだ、既に8月のお盆時期の1週間程度の夏休みをする企業は、7月中盤から8月早々と夏休みにすると計画をしている企業もある、つまり10日間程度の夏休みだが、企業が全体で休むと他社から業績が不振で社員の夏休みを大きく取っているのではと思われるので、7・8月を全体に見て10日の休みを与える企業が多くなるらしい、例えば8月1日〜5日まで前半、10日〜15日まで後半と2回に分けて夏休みをとるのも良し、8月10日から20日までの10日間の休みを取るのも良い、小刻みに3日間の休みを3回取るのも良いと言った調子で社内の調整を進めている企業も多い。しかし、あくまでも夏休みだから8月或いは9月中盤まで消化しないと無効になるらしい。そして冷房を使わなくても仕事のが出来る9月後半から年内祝日は通常の勤務になる9月に2日、10月に1日、11月に2日、12月に1日〔土日祝日と続くのが9月に2回10月に1回、12月に1回ある〕、この様なシフトでの夏休になれば海外旅行で停電に関係のない場所での休暇も可能となるし、例えば9月以降の連休を使って2泊3日の連休をを使って旅行するよりも費用面や交通渋滞を考えての行動よりも理想の旅行が楽しめる。お盆の帰郷よりもお盆の最終日に休暇をとって、行ったその日は墓参りだけ、帰りはゆっくり田舎で楽しんで道路や交通機関が空いたら帰宅するのも良いし、あんまり信心深くなければお盆も1日遅らせて墓参りも良いし〔御先祖さんに事情を説明して墓の前で報告を忘れないで/笑い/要するに墓参りをする事に意義がある〕。
秋の連休の時は交通渋滞で疲れるのなら会社を休まず仕事に精を出していたほうが良いかも知れません。
ところで今年の夏休みの過ごし方ですが、皆さんどの様にお考えですか・・・。旅人は「とうきょう案内人」の仕事が忙しくなりそうで夏休みはとる予定はありませんが、東京も暑いので1日2日、どこか近場の観光地に旅行するか考え中です〔仕事の調子を見てですが〕、旅人は35年間添乗員をしていましたが、1箇所だけ一人で旅行をして見たい場所があります。南アルプスです。南アルプスと云っても山に登る訳ではありません、東京から山梨県甲府まで中央本線スーパーあずさ1号〔新宿7:00〕を利用して、甲府〔8:28〕から、富士急行の路線バス〔9:00広河原行に乗車、広河原10:56〕ここから南アルプス市営バス北沢峠行に乗車〔12:15北沢峠12:40〕ここで南アルプス林道バス〔市営バスに接続〕に乗車して中間の歌宿〔13:30頃〕下車、ここから1時間か2時間〔1万歩程度〕歩いて戸台口に向かう、道はやや軽い下り坂で狭いがまわりの景色は最高、高山植物もあり、山に囲まれバス道路を行けば危険な箇所は無い、バス停もあり、手を挙げれば林道バスの運転手さんは席が空いていれば乗せてくれる親切さ・・・更にチャンスがあれば天然記念物のカモシカにも遭遇出来る、この山岳道路は一般車両通行止だから穴場的観光地かも知れない。6月24日〜11月第一週迄しかバスは運行されていない〔他に交通機関は無い〕、帰りは戸台口にある仙流荘〔0265-98-2312〕又は高遠さくらホテル〔0265-94-2200〕に宿泊するか休憩を取って帰りたい。宿泊料は1泊2食で12.000円前後である〔詳細は上記ホテルに問い合わせ下さい〕。日帰りの場合は、昔はJR関東の高速バスが高遠・長谷〔仙流荘〕間を走っていたが、現在は運休しているらしいがツアーバス〔旅行会社或いは観光バス会社が運営する不定期定期バス/この間はトラビスジャパン蠅運行している様だ、0265-71-3800〕時間は仙流荘12:10と17:20だから日帰りの場合は17時20分のバスに乗らないと帰りの交通機関に困る。因みに17時20分のバスは22時に新宿駅西口到着の予定〔あくまでも定期バスではないので予約問い合わせをしておく事が肝心、不定期バスの場合は予約が無ければ運休する事がある〕。尚、都内の旅行会社では南アルプス横断バスのツアーを実施している会社も数社ある。それから、このコースは山岳ルートだが山登りの服装は必要としない〔山に登る目的なら別だが〕、ハイキングの服装で良い、足元はスニーカーや普段穿きなれている靴で良い、添乗していた時にお客様かに普段穿きなれている靴で良いと言ったらハイヒールを穿いてミニスカートで参加した若者が居たが、それは論外ですョ!
尚、南アルプス登山を目的なら新宿駅西口から広河原に直通の登山バスが出ています7月1日〔金曜日〕〜10月14日〔金曜日〕の毎週金曜日の夜行バス(22時発)芦安天笑閣で休憩後に午前5時に出て6時11分に広河原に到着するコースでバス代は6.600円(片道)広河原からは仙丈ヶ岳(3.033叩頬務戞3.193叩亡屮粒戞3.189叩貿青山戞3.026叩砲あり、富士山に続く高い山があります。勿論登山ですからそれ相当な登山装備が必要です。登山バスの詳細は055-222-1300山交トラベル。
山に触れれば忘れかけていた事をきっと思い出す。暑い時は避暑でハイキングは如何でしょうか。山梨県観光推進機構(055-231-2722)では,気軽に参加出来る20コースのトレッキングコースのパンフレットを作り配布をしています、東京駅近くの富士やまなし館でパンフレットは手に入ります(03-3241-3776)新宿中央沿線案内センター(03-33414-0295)へどうぞ。
さて、次のブログでは楽しいぞ「夏の東京周辺の散歩」を御紹介します。(只今取材中です)
2011年06月07日
内閣総理大臣の欲望
旅人が案内をする国会議事堂の「案内ガイド資料」の最後に近いページに「内閣総理大臣の欲望」と題する項目があるので、その項目を紹介しょう。
総理大臣になった者には3ッの欲望が渦を巻くと云う説がある。これは総理大臣に限らず会社の代表取締役や職場の一番トップの役職になると誰でも掛る病気かも知れない。
第一の欲望が「1日でも長く総理の椅子に座っていたい」と云う欲望である。戦後70年を経過して、その総理の椅子に座ったのは菅直人総理を含めて31人が、その椅子に座ったが、その中で佐藤栄作・中曽根康弘・小泉純一郎の3人の総理大臣だけが「もういいや」と「ハッピー・リタイヤメント」で総理の椅子から自ら降りたが〔福田康夫総理大臣の様に、放り投げた総理大臣もいたが、これは例外でハッピー・リタイヤメントとは呼ばない〕しかし殆どの総理大臣は1日でも1時間いや1分でも総理の椅子から降りたくないのが、国のトップになった総理の心境である、不信任案の否決を勝ち取る為には、身内の仲間議員を騙しても、どんな方法でもやってみる、勝ち取った後の事は、その場になったら何とかなる、テレビのサスペンスドラマや時代物の悪代官じゃないけれども「千石屋〜おぬしも悪じゃのう」の世界でもある、何しろ否決を取って「身内に信任を受けたら、こっちのものである」、これが内閣総理大臣になった者の欲望である。
第二の欲望は「自分の就任期間中に解散・総選挙を行い勝利をする事」。解散はするが勝てないと判断をした場合は「勝利の風が微笑む迄」居座る。その上で勝てないと判断をしたら逃げる、つまり政権を放り投げる〔放り出す〕が勝手に放り投げると「政権を投げた」と政党が国民に批判をされるので、大抵は病院に逃げ込む、その上で病院関係者の立会いで「健康的理由から」院長がドクターストップをかけたとして退陣をする〔安倍晋三元総理〕総理大臣は大臣、閣僚を経験して血が出る?様な努力をした者が就任するのであって、人気投票じゃ無いのだから年齢も高い、病気の1ッ2ッ持っていても不思議ではないし、大抵は主治医がいるから「健康上の理由」は幾らでもある、又は選任をした大臣や閣僚が不祥事で「総理大臣として責任を取って」辞任する手もある、自由民主党の最後の総理大臣になって「大政奉還総理」と呼ばれた麻生太郎総理の場合は「与党の自由民主党と公明党の双方が一番良い時期を選んで解散、総選挙を、私「麻生太郎」が決める」と選挙を勝てる条件が揃うまで引き伸ばしを計ったが懸命に模索しているうちに総選挙になり、惨敗して総理を民主党政権に奉還した。
三番目の欲望が、後世に名前を残す事をする、しかし歴代の総理大臣の中で、この願いを叶えた総理大臣や閣僚は多くない、歴代の大臣として功労があった大臣は、国会議事堂の中央広間に銅像が立っている、案内人は、この銅像は「日本の憲政の功労者」の像と案内を行う〔ここには日本の国会〔帝国議会〕で最初の総理大臣「伊藤博文」と明治31年憲政党を組織して9年間総理大臣を務めた「大隈重信」、明治14年に自由民権運動の先頭を走り第二次伊藤内閣、第一次大隈内閣で内務大臣を務めた「板垣退助」の像がある〕1ッだけ台座がある、色々な説もあるが、理想の説は「将来、憲政に貢献をした人が現れた時の為にあけてある」と案内をする、早く、そんな人が現れる様に「希望の台座」と呼んでいます、或いは「政治には終りは無い」と案内をしているが、ここに銅像が立てたいと思っている人は多い筈であるが、今の様な状態では、まず100年、いや200年経っても希望の台座には銅像が立つ事は無いだろう。
歴史に名を残した総理大臣は、日中戦争の処理を誤り、長期戦の道を選んだ「近衛文麿」、独裁的政治下で太平洋戦争に突入して敗戦、戦争犯罪人〔戦犯〕として絞首台の汁と消えた「東条英機」、戦局の悪化に関わらず無策に終始した「小磯国昭」、戦後の混乱を乗り切る為に初の皇族内閣を形成した「東久邇宮稔彦」、、民主・社会・国協の連立内閣を作った「芦田均一」、国会議事堂衆議院第一委員会室で「バカ野郎」とコップの水を撒いて退陣をした「吉田茂」、その孫で自由民主党の最後の内閣総理大臣になり、大政奉還総理と呼ばれた「麻生太郎」、清新な印象を与えたが病気の為に短命で終わった「石橋湛山」、所得倍増高度経済成長政策を実施した「池田勇人」、安保条約自動延長と沖縄返還を果たして花道を退陣した「佐藤栄作」、日本列島改造論と日中回復を実現したが金脈問題が出て、航空機疑惑ロッキード事件で退陣した「田中角栄」、安定多数確保の為、総選挙を行い敗北、自由民主党内の派閥抗争に悩まされ選挙戦中に急死した「大平正義」、米国の軍事拡大要求に直面し財政再建に失敗をした「鈴木善幸」、戦後政治の総決算路線を次々と具体化した「中曽根康弘」、安定政権の予想がリクルート事件で崩壊させ、消費税制改革法案を単独強行採決して〔昭和63.11.10〕消費税をスタートさせた「竹下登」、私は「これ〔小指〕で総理大臣を辞めました」と喫煙パイポのPRの如く辞めた「宇野宗佑」、思い切った若手閣僚を登用するが派閥力学の混迷をした「海部俊樹」、6党連立の超党派内閣だったが佐川急便疑惑で総辞職した、殿様内閣の「細川護煕」、社会党の連立政権から離脱で少数短命内閣だった「羽田孜」、連立政権で社会党〔現在の社民党〕から総理指名を受けた「村山富一」、自民・社会・さきがけ3党連立で自民党政権に復帰して消費税を3%から5%に引き上げた「橋本龍太郎」、自民党・公明党・自由党の3党連立で在任中に倒れた「小渕恵三」、叔父小泉又次郎は逓信大臣、父親小泉純也は防衛庁長官、親子3代に渡り国会議員を勤め、平成13年4月〜18年9月26日まで総理大臣をつとめた「小泉純一郎」、更に4代目の小泉進次郎も衆議院議員。相次ぐ閣僚の不祥事で追い込まれ健康上の理由から退陣、短命内閣と呼ばれた「安倍晋三」、円高・原油高・年金問題で苦境、中途退陣をした「福田康夫」、支持率低迷で解散を避けるが発言のブレが目立って、最後は自由民主党大政奉還総理と新聞に書かれた「麻生太郎」。父親は鳩山一郎総理大臣で念願かなって民主党政権で総理大臣となったが1年で総理大臣を辞めて、政界引退を表明したが、次期政権の事が心配で引退表明を撤回した仮免総理大臣と呼ばれた「鳩山由紀夫」、野党生活が長かった為の素人内閣総理大臣と云われ参議院選挙ではタブーと言われている消費税を5%から10%に引き上げる話を切り出して敗北、平成23年3月11日の東日本大震災では何にもしない〔何にも出来ない〕総理大臣となり、挙句の果て同時に起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故には初動から間違いを起こして、野党だけでなく与党派閥内部からの不信任案を出されて退陣に追い込まれたが「原発問題が一応の目途が立ったら退陣をする」として発表し、一応不信任案を否決させる事に成功、これを自らの信任として長期居座りを模索する「菅直人」、それぞれ、良きにせよ、悪きにせよ、一応、国会に名を残している総理大臣は多い。
かって国民の為に財産を投げ出して国政に尽くした大臣は居た、関東大震災の時には復興に力を注ぎ、復興大臣として、いち早く青図を引いた大臣、更に日本にボーイスカウトを作った「後藤新平」、安政5年11月20日に生まれ、昭和29年10月6日に死亡する95年間に東京市長、衆議院議員などを63年間も歴任、日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで憲政に勤め、当選回数〔25回〕、議員勤続年数、最高齢議員と複数の日本記録を有し、衆議院名誉議員、東京都名誉都民、世界連邦建設同盟初代会長だった「尾崎行雄」をはじめ、日本には憲政に名を残す偉い大臣が、もっと出ても良いのだが・・・・残念ながら、憲政の神様は、意外に少ない。
今回の菅総理が総理の欲望にかられて長居を決めているのは一部民主党の議員にとっては欲望かも知れない、多分菅直人総理の不信任案が可決されると〔閏臈淨發蚤緝汁が行われて別の代表を選ぶ事になる、しかし、誰がやっても東日本大震災の復興や福島原発終息を上手く出来る議員は民主党は勿論、自民党にも、公明党にも、みんなの党にも、たちあがれ日本にも、社民党にも、何処の党にもいないのは、与野党誰もいない事は知っている、しかし、ここで誰かに代わっても菅総理大臣よりも多少は良いだろう程度である、野党生活が長かった民主党で多分、この難局を乗り切れるとしたら、やっぱり自民党で故田中角栄元総理大臣の一番弟子だった「小沢一郎」しか考えられない。そんな事は菅総理をはじめ民主党の上層部は知っている筈だ、しかし、小沢一郎に政権を渡したら金権選挙を批判して来た民主党が国民から「民主党!お前もか・・・」と批判を浴びる事は間違いないし、貰った貰わないの裏金問題の話も秘書が逮捕された位だから完全に無かったとは考えにくい、年内に裁判で結論が付くとも考えにくい、しかし小沢一郎は民主党内部に強い力を持っている、菅総理をはじめ上層部の人間は野党だったために野党ぼけで各省庁の官僚を上手く使えないが小沢一郎だったら俗に云う裏政治の関係で官僚の使い方を知っている。しかし、民主党上層部は裁判を抱える人に民主党は任せられないと現在執行部は野田佳彦財務大臣を擁立させたいとしているが、小沢違いの小沢鋭仁前環境大臣、更に樽床伸二元国対委員長も名乗りを上げそうだが何れがやっても絶対に上手く行かず、民主党は次期衆議院選挙では敗退をする可能性は大ですし、余りせっつくと菅総理は「解散!」と云いかねない、⊇圧脹_鮖兇決ったら法律で40日以内に選挙になる、こうなると1年前に衆議院議員として初当選した新人議員は、丁度麻生元総理の時に敗退した「小泉チルドレン」の如く、新人小沢ガールズは落選になる可能性が高い、昨日まで先生が、只の人になる・・・選挙区では1年生議員ではしっかりした後援会組織も出来ていないし、前の選挙では「民社党に期待はしていないが、自民党は今まで色々悪政をして来たから、ここで目を覚まさせる為に民社党に投票した」又は、俗に云う「浮有者」〔浮有権者〕が鉛筆転がして投票した例が、民社党に政権を提供したが民社党の「鳥」〔鳩山由紀夫の鳩・菅直人の詐欺〔鷺〕じゃ〕駄目だと気が付いて、次の選挙は自民党と公明党とみんなの党が多くなりそうだ。こうなると折角手に入れた議席を減らす事になるから民主党としても解散は避けたい処だろう。L閏臈泙話がやっても駄目だろう、新人議員は知っている「こうなったら地元〔選挙区〕の後援会は開店休業、国会の議員会館もなるべく人員を減らして、議員本人も落選後の就職を探す、給与は使わない」こうすれば落選しても生活には不便は無い、良い例は内閣不信任案に賛成をして除名になった松木謙公〔北海道12区〕横粂議員〔神奈川12区〕にも民社党は刺客を出すらしい、松木議員の地元には北海道遠軽町出身の木村俊昭氏〔4月の北海道知事に立候補した元小樽市職員〕を出すらしい。横粂議員の地元は神奈川11区だが、ここには親子4代目の小泉進次郎氏の選挙区〔小泉又次郎元逓信大臣・小泉純也元防衛庁長官・小泉純一郎元総理大臣〕で、横粂議員は絶対に勝てる訳ではない、比例当選だが、落選しても弁護士だから仕事はある〔まして賛成を早めに出した所から話題の人として宣伝効果もある〕民主党にいてもいなくても勝ち目は無い、それなら少しでも長く政権を民主党に持って来たいと考えて無理はない〔続く〕
総理大臣になった者には3ッの欲望が渦を巻くと云う説がある。これは総理大臣に限らず会社の代表取締役や職場の一番トップの役職になると誰でも掛る病気かも知れない。
第一の欲望が「1日でも長く総理の椅子に座っていたい」と云う欲望である。戦後70年を経過して、その総理の椅子に座ったのは菅直人総理を含めて31人が、その椅子に座ったが、その中で佐藤栄作・中曽根康弘・小泉純一郎の3人の総理大臣だけが「もういいや」と「ハッピー・リタイヤメント」で総理の椅子から自ら降りたが〔福田康夫総理大臣の様に、放り投げた総理大臣もいたが、これは例外でハッピー・リタイヤメントとは呼ばない〕しかし殆どの総理大臣は1日でも1時間いや1分でも総理の椅子から降りたくないのが、国のトップになった総理の心境である、不信任案の否決を勝ち取る為には、身内の仲間議員を騙しても、どんな方法でもやってみる、勝ち取った後の事は、その場になったら何とかなる、テレビのサスペンスドラマや時代物の悪代官じゃないけれども「千石屋〜おぬしも悪じゃのう」の世界でもある、何しろ否決を取って「身内に信任を受けたら、こっちのものである」、これが内閣総理大臣になった者の欲望である。
第二の欲望は「自分の就任期間中に解散・総選挙を行い勝利をする事」。解散はするが勝てないと判断をした場合は「勝利の風が微笑む迄」居座る。その上で勝てないと判断をしたら逃げる、つまり政権を放り投げる〔放り出す〕が勝手に放り投げると「政権を投げた」と政党が国民に批判をされるので、大抵は病院に逃げ込む、その上で病院関係者の立会いで「健康的理由から」院長がドクターストップをかけたとして退陣をする〔安倍晋三元総理〕総理大臣は大臣、閣僚を経験して血が出る?様な努力をした者が就任するのであって、人気投票じゃ無いのだから年齢も高い、病気の1ッ2ッ持っていても不思議ではないし、大抵は主治医がいるから「健康上の理由」は幾らでもある、又は選任をした大臣や閣僚が不祥事で「総理大臣として責任を取って」辞任する手もある、自由民主党の最後の総理大臣になって「大政奉還総理」と呼ばれた麻生太郎総理の場合は「与党の自由民主党と公明党の双方が一番良い時期を選んで解散、総選挙を、私「麻生太郎」が決める」と選挙を勝てる条件が揃うまで引き伸ばしを計ったが懸命に模索しているうちに総選挙になり、惨敗して総理を民主党政権に奉還した。
三番目の欲望が、後世に名前を残す事をする、しかし歴代の総理大臣の中で、この願いを叶えた総理大臣や閣僚は多くない、歴代の大臣として功労があった大臣は、国会議事堂の中央広間に銅像が立っている、案内人は、この銅像は「日本の憲政の功労者」の像と案内を行う〔ここには日本の国会〔帝国議会〕で最初の総理大臣「伊藤博文」と明治31年憲政党を組織して9年間総理大臣を務めた「大隈重信」、明治14年に自由民権運動の先頭を走り第二次伊藤内閣、第一次大隈内閣で内務大臣を務めた「板垣退助」の像がある〕1ッだけ台座がある、色々な説もあるが、理想の説は「将来、憲政に貢献をした人が現れた時の為にあけてある」と案内をする、早く、そんな人が現れる様に「希望の台座」と呼んでいます、或いは「政治には終りは無い」と案内をしているが、ここに銅像が立てたいと思っている人は多い筈であるが、今の様な状態では、まず100年、いや200年経っても希望の台座には銅像が立つ事は無いだろう。
歴史に名を残した総理大臣は、日中戦争の処理を誤り、長期戦の道を選んだ「近衛文麿」、独裁的政治下で太平洋戦争に突入して敗戦、戦争犯罪人〔戦犯〕として絞首台の汁と消えた「東条英機」、戦局の悪化に関わらず無策に終始した「小磯国昭」、戦後の混乱を乗り切る為に初の皇族内閣を形成した「東久邇宮稔彦」、、民主・社会・国協の連立内閣を作った「芦田均一」、国会議事堂衆議院第一委員会室で「バカ野郎」とコップの水を撒いて退陣をした「吉田茂」、その孫で自由民主党の最後の内閣総理大臣になり、大政奉還総理と呼ばれた「麻生太郎」、清新な印象を与えたが病気の為に短命で終わった「石橋湛山」、所得倍増高度経済成長政策を実施した「池田勇人」、安保条約自動延長と沖縄返還を果たして花道を退陣した「佐藤栄作」、日本列島改造論と日中回復を実現したが金脈問題が出て、航空機疑惑ロッキード事件で退陣した「田中角栄」、安定多数確保の為、総選挙を行い敗北、自由民主党内の派閥抗争に悩まされ選挙戦中に急死した「大平正義」、米国の軍事拡大要求に直面し財政再建に失敗をした「鈴木善幸」、戦後政治の総決算路線を次々と具体化した「中曽根康弘」、安定政権の予想がリクルート事件で崩壊させ、消費税制改革法案を単独強行採決して〔昭和63.11.10〕消費税をスタートさせた「竹下登」、私は「これ〔小指〕で総理大臣を辞めました」と喫煙パイポのPRの如く辞めた「宇野宗佑」、思い切った若手閣僚を登用するが派閥力学の混迷をした「海部俊樹」、6党連立の超党派内閣だったが佐川急便疑惑で総辞職した、殿様内閣の「細川護煕」、社会党の連立政権から離脱で少数短命内閣だった「羽田孜」、連立政権で社会党〔現在の社民党〕から総理指名を受けた「村山富一」、自民・社会・さきがけ3党連立で自民党政権に復帰して消費税を3%から5%に引き上げた「橋本龍太郎」、自民党・公明党・自由党の3党連立で在任中に倒れた「小渕恵三」、叔父小泉又次郎は逓信大臣、父親小泉純也は防衛庁長官、親子3代に渡り国会議員を勤め、平成13年4月〜18年9月26日まで総理大臣をつとめた「小泉純一郎」、更に4代目の小泉進次郎も衆議院議員。相次ぐ閣僚の不祥事で追い込まれ健康上の理由から退陣、短命内閣と呼ばれた「安倍晋三」、円高・原油高・年金問題で苦境、中途退陣をした「福田康夫」、支持率低迷で解散を避けるが発言のブレが目立って、最後は自由民主党大政奉還総理と新聞に書かれた「麻生太郎」。父親は鳩山一郎総理大臣で念願かなって民主党政権で総理大臣となったが1年で総理大臣を辞めて、政界引退を表明したが、次期政権の事が心配で引退表明を撤回した仮免総理大臣と呼ばれた「鳩山由紀夫」、野党生活が長かった為の素人内閣総理大臣と云われ参議院選挙ではタブーと言われている消費税を5%から10%に引き上げる話を切り出して敗北、平成23年3月11日の東日本大震災では何にもしない〔何にも出来ない〕総理大臣となり、挙句の果て同時に起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故には初動から間違いを起こして、野党だけでなく与党派閥内部からの不信任案を出されて退陣に追い込まれたが「原発問題が一応の目途が立ったら退陣をする」として発表し、一応不信任案を否決させる事に成功、これを自らの信任として長期居座りを模索する「菅直人」、それぞれ、良きにせよ、悪きにせよ、一応、国会に名を残している総理大臣は多い。
かって国民の為に財産を投げ出して国政に尽くした大臣は居た、関東大震災の時には復興に力を注ぎ、復興大臣として、いち早く青図を引いた大臣、更に日本にボーイスカウトを作った「後藤新平」、安政5年11月20日に生まれ、昭和29年10月6日に死亡する95年間に東京市長、衆議院議員などを63年間も歴任、日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで憲政に勤め、当選回数〔25回〕、議員勤続年数、最高齢議員と複数の日本記録を有し、衆議院名誉議員、東京都名誉都民、世界連邦建設同盟初代会長だった「尾崎行雄」をはじめ、日本には憲政に名を残す偉い大臣が、もっと出ても良いのだが・・・・残念ながら、憲政の神様は、意外に少ない。
今回の菅総理が総理の欲望にかられて長居を決めているのは一部民主党の議員にとっては欲望かも知れない、多分菅直人総理の不信任案が可決されると〔閏臈淨發蚤緝汁が行われて別の代表を選ぶ事になる、しかし、誰がやっても東日本大震災の復興や福島原発終息を上手く出来る議員は民主党は勿論、自民党にも、公明党にも、みんなの党にも、たちあがれ日本にも、社民党にも、何処の党にもいないのは、与野党誰もいない事は知っている、しかし、ここで誰かに代わっても菅総理大臣よりも多少は良いだろう程度である、野党生活が長かった民主党で多分、この難局を乗り切れるとしたら、やっぱり自民党で故田中角栄元総理大臣の一番弟子だった「小沢一郎」しか考えられない。そんな事は菅総理をはじめ民主党の上層部は知っている筈だ、しかし、小沢一郎に政権を渡したら金権選挙を批判して来た民主党が国民から「民主党!お前もか・・・」と批判を浴びる事は間違いないし、貰った貰わないの裏金問題の話も秘書が逮捕された位だから完全に無かったとは考えにくい、年内に裁判で結論が付くとも考えにくい、しかし小沢一郎は民主党内部に強い力を持っている、菅総理をはじめ上層部の人間は野党だったために野党ぼけで各省庁の官僚を上手く使えないが小沢一郎だったら俗に云う裏政治の関係で官僚の使い方を知っている。しかし、民主党上層部は裁判を抱える人に民主党は任せられないと現在執行部は野田佳彦財務大臣を擁立させたいとしているが、小沢違いの小沢鋭仁前環境大臣、更に樽床伸二元国対委員長も名乗りを上げそうだが何れがやっても絶対に上手く行かず、民主党は次期衆議院選挙では敗退をする可能性は大ですし、余りせっつくと菅総理は「解散!」と云いかねない、⊇圧脹_鮖兇決ったら法律で40日以内に選挙になる、こうなると1年前に衆議院議員として初当選した新人議員は、丁度麻生元総理の時に敗退した「小泉チルドレン」の如く、新人小沢ガールズは落選になる可能性が高い、昨日まで先生が、只の人になる・・・選挙区では1年生議員ではしっかりした後援会組織も出来ていないし、前の選挙では「民社党に期待はしていないが、自民党は今まで色々悪政をして来たから、ここで目を覚まさせる為に民社党に投票した」又は、俗に云う「浮有者」〔浮有権者〕が鉛筆転がして投票した例が、民社党に政権を提供したが民社党の「鳥」〔鳩山由紀夫の鳩・菅直人の詐欺〔鷺〕じゃ〕駄目だと気が付いて、次の選挙は自民党と公明党とみんなの党が多くなりそうだ。こうなると折角手に入れた議席を減らす事になるから民主党としても解散は避けたい処だろう。L閏臈泙話がやっても駄目だろう、新人議員は知っている「こうなったら地元〔選挙区〕の後援会は開店休業、国会の議員会館もなるべく人員を減らして、議員本人も落選後の就職を探す、給与は使わない」こうすれば落選しても生活には不便は無い、良い例は内閣不信任案に賛成をして除名になった松木謙公〔北海道12区〕横粂議員〔神奈川12区〕にも民社党は刺客を出すらしい、松木議員の地元には北海道遠軽町出身の木村俊昭氏〔4月の北海道知事に立候補した元小樽市職員〕を出すらしい。横粂議員の地元は神奈川11区だが、ここには親子4代目の小泉進次郎氏の選挙区〔小泉又次郎元逓信大臣・小泉純也元防衛庁長官・小泉純一郎元総理大臣〕で、横粂議員は絶対に勝てる訳ではない、比例当選だが、落選しても弁護士だから仕事はある〔まして賛成を早めに出した所から話題の人として宣伝効果もある〕民主党にいてもいなくても勝ち目は無い、それなら少しでも長く政権を民主党に持って来たいと考えて無理はない〔続く〕
2011年05月30日
北海道石勝線列車火災事故
北海道で5月27日午後9時55分頃に釧路発札幌行きのJR石勝線を走っていた特急スーパーおおぞら14号〔6両編成〕が走行中に出火して占冠村の第一ニニウトンネル内〔全長685叩佑廼杁淞篁漾⊂莎劭横苅或佑徒歩で避難をしたが39名が煙を吸ったり、火傷などで救急車で病院に運ばれたが何れも軽症であった、車内が白煙で立ち込める中、乗客には車外に出ないで下さいとアナウンスが流れて来たが、煙が充満して、これは危険と感じた乗客が自力でドアを開けて車外に脱出した、車掌の誘導が無かったと言う、車掌はトンネルの出口を確認して戻って来たところ、乗客が避難を始めていたと説明をした、車掌は「乗客を簡単に降ろせない」と教育があったが、もうすこし速い時間で避難が必要と判断をして避難をさせられたと反省をしていると言う。トンネル内で非常停止した為に煙が充満して1辰眄茲盡えず呼吸困難の中を前後の人とぶっかりながら逃げたという。鉄道事故の場合、トンネル内で火災が発生した場合は、出来るだけ出口まで走行を続けて、出口を出た所で停車して避難をする事が理想だが、滅多にトンネル内での事故は起こっていないので運転士も車掌も「想定外」だったと思うが、昭和47年11月6日には旧国鉄〔現JR西日本〕の北陸本線の北陸トンネル内で急行「きたぐに」の食堂車から出火して乗客30人が死亡した事故がある、更に北陸トンネル火災から7年後の3月20日には工事中の上越新幹線大清水トンネル内で火災が発生して工事作業員16人が死亡している、更に同年7月11日18時40分頃東名高速日本坂トンネル下り線内で乗用車2台と油脂を積んだトラック4台が絡む事故が発生した、この事故で7名が死亡した〔2名負傷〕が、漏れたガソリンから発火した、火はトンネル内で道を塞がれ立ち往生した車両に次々と燃え広がった。トンネル内には当時最新鋭のスプリンクラーなど消防設備や排煙装置もあったが火災の勢いが強く有効に機能を発揮しなかったが、又事故発生時にトンネル入口に進入禁止の表示があり、点滅をして進入禁止を伝えたが、殆どの車両は無視してトンネル内に進入して結局、観光バスや名古屋テレビ放送の大型中継車や東名高速バスなどの車両173台が焼失した。
火災時に報道機関など取材陣は静岡口に殺到して取材を試みたが風向きの関係でトンネル内に取材に入る事が出来なかったが静岡放送のと静岡第一放送のカメラマンが焼津口から取材に入り貴重な映像を取材をした、この映像で判った事はトンネル内は火災の影響でトンネル内の照明が消えて暗闇になっていた事と火が強すぎてスプリンクラーが役に立っていなかった事が判った、この事故は鎮火までに65時間もかかり、火災から1週間後の18日まで東名高速は通行止めとなったが、18日に上り線を対面通行として仮開通をさせたが、完全復旧は60日後の9月9日となった。
その後も昭和62年9月21日大阪府と奈良県の県境の近鉄東大阪線生駒トンネルで高圧ケーブルから出火して乗客1名が死亡する事故があった。日本で最長の鉄道トンネルは青函トンネルで北海道と本州〔青森県〕を結ぶトンネルだが、ここでも平成14年6人乗りの作業用トラックが燃えてトンネル内に煙が充満した事故が報告されているが、この事故では死傷者は出ていない。しかし列車火災の場合は、トンネル内の場合は逃げ場を確保する為に出来る限りトンネルから外に出た所で停車するのが好ましいとは云うものの青函トンネルの様に長いトンネルの場合はどうするのか考えておく必要がある〔青函トンネルの場合は海底駅があり、ここに避難をする事になっている〕
先日、都電荒川線に早稲田駅から荒川車庫の間を車内案内を依頼された、貸切の車両では無かったのであんまり大声で御案内が出来なかった、当該団体の皆さん、ごめんなさい。
荒川車庫の近くにJR東日本尾久駅がある、この駅に隣接して尾久操車場があり、鉄チャン、鉄子さんの憧れの人気車両が停留されている事が多い、北海道〔札幌駅〕と本州〔上野駅〕を結ぶ寝台特急北斗星やカシオペア、あけぼの等の寝台スター列車〔ブルートレイン〕が仕事を終えて或いは仕事に出る時に整備を受けているのが尾久操車場である〔東北本線・宇都宮線・高崎線〕が、近くに常磐線三河島駅がある。
この駅で三河島事故は1962年〔昭和37年〕5月3日に発生した。下り本線に進入しょうとした田端操車場発水戸行下り貨物列車が出発信号機の停止信号を行過ぎて安全側線に進入して脱線、先頭の機関車とタンク車が本線上に飛び出した、その直後4分遅れて三河島駅を出発し下り線を進行して来た上野駅発取手駅行きの電車が貨物線に衝突し先頭車と2両目の車両が脱線した、更に事故を大きくしたのが7分後に現場付近に近づいた上り電車で、線路上を下り電車を降りて避難中の乗客を撥ねて、更に進行して上り本線上に停止していた下り電車の先頭車に衝突して、この先頭車は原型を留めず粉砕され、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込んだ、原因は、この日の早朝に東北地方で地震が発生、東北本線の古河駅のダイヤが乱れて、その影響が常磐線の尾久駅・三河島駅・尾久操車場などに広がり最初の貨物列車も2分30秒の遅れがあったが駅の信号を見落として三河島駅に入り、同じ線を走る電車と衝突した。衝突後、列車車掌は現場で上り列車の停止処置の発炎筒を焚けばよかったが、事故発生は三河島駅から緊急発報で付近の列車に連絡があるものと発炎筒を焚かなかったのと、非常口を開けて線路外に出た客が、まさか列車の停止情報があり列車が来ないものと錯覚をして連絡系統が不備だった事で、事故から7分も経過してから第3の事故が発生した。死者160人、負傷者296人、この事故を契機に列車停止装置〔ATS〕の設置が計画を前倒しして設置される事になった。この事故では隠された話もある。一応事故の犠牲者は全員氏名や住所の確認が行われたが1人だけ身長が163センチ、20代後半か30代前半の男性の身元が判らない、手に数珠を持っていたと云われている、遺体からモンタジュ写真も作られたが知人からの名乗りは無く、現在は三河島駅の近くの寺に行旅死亡人として埋葬されている。因みに三河島事故では当時人気漫才コンビの栗友一休・三休のうち一休が犠牲になりました。事故後コンビ相方を失った三休は春日三球として再起夫婦漫才として春日照代と組んで「地下鉄は何処から入れるのだろうか・・・考えると夜も寝られない」と言う名文句で有名になりましたが、相方の春日照代さんが1987年逝去して、その後若い芸人を相方にして漫才コンビを結成しましたが失敗、今はピン〔一人〕で舞台に上っている他におばあちゃんの原宿と呼ばれる「巣鴨地蔵通り商店街」で健康肌着の店・春日三球の店を出しています。更にこの事故の遺族に慰謝料を支払う為に当時の国鉄スワローズ〔プロ野球〕を国鉄はフジサンケイグループに売却しました〔現在のヤクルト球団です〕。
公共企業体日本国有鉄道が存在した1949年〔昭和24年〕6月から1987年〔昭和62年〕4月までに起こった鉄道路線事故の中で死亡者が100人以上出した事故を日本鉄道五大事故と呼びます。
先ず最初の国鉄事故で有名なのは桜木町事故です。1951年〔昭和26年〕4月24日に東海道本線〔現在の京浜東北根岸線〕桜木町駅構内で工事作業の誤りで垂れ下がった架線に接触した列車車両が接触ショートして車両火災なり電車内にいた乗客が逃げるに逃げられなくなり焼死、死者106人、負傷者92名が出た事故で、この事故をきっかけに列車に非常口が設けられる様になったのです。
当時の国鉄〔日本国有鉄道〕では、列車併用船舶〔連絡船〕も持っていました。代表されるのは北海道函館から
青森県青森市を結ぶ国鉄青函連絡船です、国鉄が運航する青函連絡船、洞爺丸事故は1954年〔昭和29年〕9月26日に発生しました、連絡船「洞爺丸」が大型台風15号に煽られて沈没した事故で死者1155人となった。この台風では貨物船日高丸や第一青函丸など4隻も沈没、全般で1430人が犠牲になっている、北海道と本州の間には青函連絡船しか交通手段が無かった時代に、この連絡船の事故は問題化して、この事故をきっかけに青函トンネル工事の推進を国としても検討に入った。この青函トンネル計画の経緯は映画化された、これが高倉健・吉永小百合の「海峡」である。この洞爺丸事故は戦争が原因の船舶事故を除けば「タイタニック号」「サルタナ号」事故につぐ世界第3位の事故だが現在では世界第四位の海難事故となっている、青函連絡船とともに瀬戸内海〔四国〕を渡る連絡船も国鉄が運航をしていた、紫雲丸事故1955年〔昭和30年〕5月11日に瀬戸内海連絡船宇高航路の「紫雲丸」と貨物船「第3宇高丸」が衝突し修学旅行中の小学・中学生が死亡した、死者は166人、負傷者122人、この航路は狭い海峡区間を1時間に16-20本の船が行き交う、船舶銀座で起きた事故で当日霧が出ていたと云う、当時、北海道と本州、四国と本州を結ぶ鉄道はなかった為に連絡船が運航していた。本州と四国を結ぶ大橋を作れと高松の県会議員が大声で叫び、国会に陳情の結果開通したのが鉄道併用橋の瀬戸大橋である。
三河島事故の翌年昭和38年〔1963〕11月9日に神奈川県横浜市鶴見区で起きた鉄道事故が鶴見事故です。前年の5月3日の21時37分頃に三河島事故が起こり1年半後の21時40分〔21時37分に三河島事故〕に発生した為に魔の21時とも言われました。現在の横須賀線の線路を佐原発の野洲行き下り貨物列車が走行中脱線、脱線車両が引きづられ架線柱を倒しながら走行、隣の線路を走行中の久里浜駅発東京駅行きの上り電車と東京駅発逗子駅行き下り列車が同時進行していた列車に衝突し大破、貨物列車の運転手が発炎筒を炊いて列車を止めるように手配をしたが三河島事故同様に夜間の事故だった為に視界も悪く、更に高速で走行中の貨物列車と同じく横浜〜川崎間は停車しない横須賀線も高速運転をしていた為に加速していた為に大きな事故になった。死亡者161名、負傷者120名、この時には臨港バス乗務員や京浜急行の乗務員が遺体収容に活躍した、現在は鶴見総持寺に慰霊塔がある又遺体は同寺の廊下が遺体安置上に使われた為に現在も、この廊下で1日2回線路状の水撒き供養を行っている。その後鉄道事故は減少した。昭和62年〔1987〕4月1日のJR分割民営化以降に起こったJR旅客鉄道事故の死傷者を出した最初の事故は昭和63年12月5日に発生したJR東日本の中央・総武線東中野駅で発生した東中野列車衝突事故〔死亡者2名、負傷者116名〕、平成3年5月14日信楽高原鉄道列車衝突事故〔JR西日本〕は死亡者42名、負傷者614名、平成14年2月22日JR九州鹿児島本線の海老津-教育大駅間で猪を撥ねて停車点検中の列車に後続列車が追突して負傷者134名を出した鹿児島本線追突事故がある。又同じ年の11月6日には東海道線塚本駅-尼崎駅間で線路内に侵入して遊んでいた中学生が姫路行きの新快速列車に撥ねられて負傷した事故があり、これを救助する為に線路内に入った救助隊員が後続の特急「スーパーはくと」に撥ねられて救助隊員1名が死亡、重傷者1名と云う痛ましい事故もあった、東海道線救急隊員死傷事故は事故現場立会いのJR西日本社員と運転司令室との連絡連携がうまく作動しなかった結果から発生した事故であった。平成15年7月18日にJR九州長崎本線肥前長田駅 - 小江駅間で、長崎発博多行きの上り特急「かもめ46号」(乗員2名、乗客76名)が大雨により線路横ののり面から線路上に崩れた岩石に衝突し脱線、転覆した。 この事故で運転士と乗客36名が重軽傷(2両目に乗っていた2名が重傷、運転士と1両目に乗っていた34名が軽傷)長崎線特急列車脱線転覆事故。平成16年10月20日JR東海飯田線で台風23号の影響で普通電車が脱線転覆3団下に落下、乗客4名が負傷した飯田線脱線転覆事故もある。平成17年4月25日にJR西日本、107名の死者を出した福知山線事故が発生している〔JR分割民営化となって発生した最大鉄道事故〕。同年8月にはJR九州の新飯塚駅電車追突事故が発生、運転手1名が負傷している。又同年12月25日の羽越本線脱線事故〔JR東日本〕死亡者5名、負傷者32名が出ている。翌18年は死傷事故が3件起きている、1月24日に伯備線〔JR西日本〕の単線区間で作業をしていた作業員を岡山発出雲市行きの特急「スーパーやくも」が撥ねて作業員3名が死亡、2名が負傷をした伯備線作業員人身事故や日豊線脱線転覆事故、乗員、乗客6名負傷、岡山県津山線普通電車脱線事故では乗員・乗客全員〔25名〕が負傷した。平成21年12月28日にはJR北海道富良野駅構内で快速電車と除雪車が衝突して電車と除雪車の12名が負傷をする富良野駅除雪車衝突事故が起きている。平成22年1月29日に函館線踏切事故が発生した。雪でスリップしたダンプが踏切内に進入して特急スーパーカムイ24号が衝突した事故で乗員・乗客とトラック運転手が病院に搬送された〔45人〕が死亡者は出なかった。この年には東海道新幹線と山陽新幹線で架線切断事故と事業用車両との追突事故があったがいずれも死傷者は出ていないが長時間にわたり新幹線が運行出来ず、運休車両も多く発生した。同年の7月31日にはJR東日本の岩手県岩泉線を走行中の茂市駅発岩泉駅行きの普通列車で、運転士が前方の落石シェルター付近で土砂崩れが発生しているのを視認したため急制動をかけたが、間に合わず列車が突っ込み脱線した。乗員2名と乗客7名のうち、運転士と乗客3名が軽傷を負った岩泉線列車脱線事故が発生した。23年2月15日JR東日本黒磯駅で貨物列車〔JR貨物〕が列車入れ替え作業中に衝突、双方の運転手が軽い怪我をしたが、鉄道の死傷事故は確実に減っている様だ。
火災時に報道機関など取材陣は静岡口に殺到して取材を試みたが風向きの関係でトンネル内に取材に入る事が出来なかったが静岡放送のと静岡第一放送のカメラマンが焼津口から取材に入り貴重な映像を取材をした、この映像で判った事はトンネル内は火災の影響でトンネル内の照明が消えて暗闇になっていた事と火が強すぎてスプリンクラーが役に立っていなかった事が判った、この事故は鎮火までに65時間もかかり、火災から1週間後の18日まで東名高速は通行止めとなったが、18日に上り線を対面通行として仮開通をさせたが、完全復旧は60日後の9月9日となった。
その後も昭和62年9月21日大阪府と奈良県の県境の近鉄東大阪線生駒トンネルで高圧ケーブルから出火して乗客1名が死亡する事故があった。日本で最長の鉄道トンネルは青函トンネルで北海道と本州〔青森県〕を結ぶトンネルだが、ここでも平成14年6人乗りの作業用トラックが燃えてトンネル内に煙が充満した事故が報告されているが、この事故では死傷者は出ていない。しかし列車火災の場合は、トンネル内の場合は逃げ場を確保する為に出来る限りトンネルから外に出た所で停車するのが好ましいとは云うものの青函トンネルの様に長いトンネルの場合はどうするのか考えておく必要がある〔青函トンネルの場合は海底駅があり、ここに避難をする事になっている〕
先日、都電荒川線に早稲田駅から荒川車庫の間を車内案内を依頼された、貸切の車両では無かったのであんまり大声で御案内が出来なかった、当該団体の皆さん、ごめんなさい。
荒川車庫の近くにJR東日本尾久駅がある、この駅に隣接して尾久操車場があり、鉄チャン、鉄子さんの憧れの人気車両が停留されている事が多い、北海道〔札幌駅〕と本州〔上野駅〕を結ぶ寝台特急北斗星やカシオペア、あけぼの等の寝台スター列車〔ブルートレイン〕が仕事を終えて或いは仕事に出る時に整備を受けているのが尾久操車場である〔東北本線・宇都宮線・高崎線〕が、近くに常磐線三河島駅がある。
この駅で三河島事故は1962年〔昭和37年〕5月3日に発生した。下り本線に進入しょうとした田端操車場発水戸行下り貨物列車が出発信号機の停止信号を行過ぎて安全側線に進入して脱線、先頭の機関車とタンク車が本線上に飛び出した、その直後4分遅れて三河島駅を出発し下り線を進行して来た上野駅発取手駅行きの電車が貨物線に衝突し先頭車と2両目の車両が脱線した、更に事故を大きくしたのが7分後に現場付近に近づいた上り電車で、線路上を下り電車を降りて避難中の乗客を撥ねて、更に進行して上り本線上に停止していた下り電車の先頭車に衝突して、この先頭車は原型を留めず粉砕され、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込んだ、原因は、この日の早朝に東北地方で地震が発生、東北本線の古河駅のダイヤが乱れて、その影響が常磐線の尾久駅・三河島駅・尾久操車場などに広がり最初の貨物列車も2分30秒の遅れがあったが駅の信号を見落として三河島駅に入り、同じ線を走る電車と衝突した。衝突後、列車車掌は現場で上り列車の停止処置の発炎筒を焚けばよかったが、事故発生は三河島駅から緊急発報で付近の列車に連絡があるものと発炎筒を焚かなかったのと、非常口を開けて線路外に出た客が、まさか列車の停止情報があり列車が来ないものと錯覚をして連絡系統が不備だった事で、事故から7分も経過してから第3の事故が発生した。死者160人、負傷者296人、この事故を契機に列車停止装置〔ATS〕の設置が計画を前倒しして設置される事になった。この事故では隠された話もある。一応事故の犠牲者は全員氏名や住所の確認が行われたが1人だけ身長が163センチ、20代後半か30代前半の男性の身元が判らない、手に数珠を持っていたと云われている、遺体からモンタジュ写真も作られたが知人からの名乗りは無く、現在は三河島駅の近くの寺に行旅死亡人として埋葬されている。因みに三河島事故では当時人気漫才コンビの栗友一休・三休のうち一休が犠牲になりました。事故後コンビ相方を失った三休は春日三球として再起夫婦漫才として春日照代と組んで「地下鉄は何処から入れるのだろうか・・・考えると夜も寝られない」と言う名文句で有名になりましたが、相方の春日照代さんが1987年逝去して、その後若い芸人を相方にして漫才コンビを結成しましたが失敗、今はピン〔一人〕で舞台に上っている他におばあちゃんの原宿と呼ばれる「巣鴨地蔵通り商店街」で健康肌着の店・春日三球の店を出しています。更にこの事故の遺族に慰謝料を支払う為に当時の国鉄スワローズ〔プロ野球〕を国鉄はフジサンケイグループに売却しました〔現在のヤクルト球団です〕。
公共企業体日本国有鉄道が存在した1949年〔昭和24年〕6月から1987年〔昭和62年〕4月までに起こった鉄道路線事故の中で死亡者が100人以上出した事故を日本鉄道五大事故と呼びます。
先ず最初の国鉄事故で有名なのは桜木町事故です。1951年〔昭和26年〕4月24日に東海道本線〔現在の京浜東北根岸線〕桜木町駅構内で工事作業の誤りで垂れ下がった架線に接触した列車車両が接触ショートして車両火災なり電車内にいた乗客が逃げるに逃げられなくなり焼死、死者106人、負傷者92名が出た事故で、この事故をきっかけに列車に非常口が設けられる様になったのです。
当時の国鉄〔日本国有鉄道〕では、列車併用船舶〔連絡船〕も持っていました。代表されるのは北海道函館から
青森県青森市を結ぶ国鉄青函連絡船です、国鉄が運航する青函連絡船、洞爺丸事故は1954年〔昭和29年〕9月26日に発生しました、連絡船「洞爺丸」が大型台風15号に煽られて沈没した事故で死者1155人となった。この台風では貨物船日高丸や第一青函丸など4隻も沈没、全般で1430人が犠牲になっている、北海道と本州の間には青函連絡船しか交通手段が無かった時代に、この連絡船の事故は問題化して、この事故をきっかけに青函トンネル工事の推進を国としても検討に入った。この青函トンネル計画の経緯は映画化された、これが高倉健・吉永小百合の「海峡」である。この洞爺丸事故は戦争が原因の船舶事故を除けば「タイタニック号」「サルタナ号」事故につぐ世界第3位の事故だが現在では世界第四位の海難事故となっている、青函連絡船とともに瀬戸内海〔四国〕を渡る連絡船も国鉄が運航をしていた、紫雲丸事故1955年〔昭和30年〕5月11日に瀬戸内海連絡船宇高航路の「紫雲丸」と貨物船「第3宇高丸」が衝突し修学旅行中の小学・中学生が死亡した、死者は166人、負傷者122人、この航路は狭い海峡区間を1時間に16-20本の船が行き交う、船舶銀座で起きた事故で当日霧が出ていたと云う、当時、北海道と本州、四国と本州を結ぶ鉄道はなかった為に連絡船が運航していた。本州と四国を結ぶ大橋を作れと高松の県会議員が大声で叫び、国会に陳情の結果開通したのが鉄道併用橋の瀬戸大橋である。
三河島事故の翌年昭和38年〔1963〕11月9日に神奈川県横浜市鶴見区で起きた鉄道事故が鶴見事故です。前年の5月3日の21時37分頃に三河島事故が起こり1年半後の21時40分〔21時37分に三河島事故〕に発生した為に魔の21時とも言われました。現在の横須賀線の線路を佐原発の野洲行き下り貨物列車が走行中脱線、脱線車両が引きづられ架線柱を倒しながら走行、隣の線路を走行中の久里浜駅発東京駅行きの上り電車と東京駅発逗子駅行き下り列車が同時進行していた列車に衝突し大破、貨物列車の運転手が発炎筒を炊いて列車を止めるように手配をしたが三河島事故同様に夜間の事故だった為に視界も悪く、更に高速で走行中の貨物列車と同じく横浜〜川崎間は停車しない横須賀線も高速運転をしていた為に加速していた為に大きな事故になった。死亡者161名、負傷者120名、この時には臨港バス乗務員や京浜急行の乗務員が遺体収容に活躍した、現在は鶴見総持寺に慰霊塔がある又遺体は同寺の廊下が遺体安置上に使われた為に現在も、この廊下で1日2回線路状の水撒き供養を行っている。その後鉄道事故は減少した。昭和62年〔1987〕4月1日のJR分割民営化以降に起こったJR旅客鉄道事故の死傷者を出した最初の事故は昭和63年12月5日に発生したJR東日本の中央・総武線東中野駅で発生した東中野列車衝突事故〔死亡者2名、負傷者116名〕、平成3年5月14日信楽高原鉄道列車衝突事故〔JR西日本〕は死亡者42名、負傷者614名、平成14年2月22日JR九州鹿児島本線の海老津-教育大駅間で猪を撥ねて停車点検中の列車に後続列車が追突して負傷者134名を出した鹿児島本線追突事故がある。又同じ年の11月6日には東海道線塚本駅-尼崎駅間で線路内に侵入して遊んでいた中学生が姫路行きの新快速列車に撥ねられて負傷した事故があり、これを救助する為に線路内に入った救助隊員が後続の特急「スーパーはくと」に撥ねられて救助隊員1名が死亡、重傷者1名と云う痛ましい事故もあった、東海道線救急隊員死傷事故は事故現場立会いのJR西日本社員と運転司令室との連絡連携がうまく作動しなかった結果から発生した事故であった。平成15年7月18日にJR九州長崎本線肥前長田駅 - 小江駅間で、長崎発博多行きの上り特急「かもめ46号」(乗員2名、乗客76名)が大雨により線路横ののり面から線路上に崩れた岩石に衝突し脱線、転覆した。 この事故で運転士と乗客36名が重軽傷(2両目に乗っていた2名が重傷、運転士と1両目に乗っていた34名が軽傷)長崎線特急列車脱線転覆事故。平成16年10月20日JR東海飯田線で台風23号の影響で普通電車が脱線転覆3団下に落下、乗客4名が負傷した飯田線脱線転覆事故もある。平成17年4月25日にJR西日本、107名の死者を出した福知山線事故が発生している〔JR分割民営化となって発生した最大鉄道事故〕。同年8月にはJR九州の新飯塚駅電車追突事故が発生、運転手1名が負傷している。又同年12月25日の羽越本線脱線事故〔JR東日本〕死亡者5名、負傷者32名が出ている。翌18年は死傷事故が3件起きている、1月24日に伯備線〔JR西日本〕の単線区間で作業をしていた作業員を岡山発出雲市行きの特急「スーパーやくも」が撥ねて作業員3名が死亡、2名が負傷をした伯備線作業員人身事故や日豊線脱線転覆事故、乗員、乗客6名負傷、岡山県津山線普通電車脱線事故では乗員・乗客全員〔25名〕が負傷した。平成21年12月28日にはJR北海道富良野駅構内で快速電車と除雪車が衝突して電車と除雪車の12名が負傷をする富良野駅除雪車衝突事故が起きている。平成22年1月29日に函館線踏切事故が発生した。雪でスリップしたダンプが踏切内に進入して特急スーパーカムイ24号が衝突した事故で乗員・乗客とトラック運転手が病院に搬送された〔45人〕が死亡者は出なかった。この年には東海道新幹線と山陽新幹線で架線切断事故と事業用車両との追突事故があったがいずれも死傷者は出ていないが長時間にわたり新幹線が運行出来ず、運休車両も多く発生した。同年の7月31日にはJR東日本の岩手県岩泉線を走行中の茂市駅発岩泉駅行きの普通列車で、運転士が前方の落石シェルター付近で土砂崩れが発生しているのを視認したため急制動をかけたが、間に合わず列車が突っ込み脱線した。乗員2名と乗客7名のうち、運転士と乗客3名が軽傷を負った岩泉線列車脱線事故が発生した。23年2月15日JR東日本黒磯駅で貨物列車〔JR貨物〕が列車入れ替え作業中に衝突、双方の運転手が軽い怪我をしたが、鉄道の死傷事故は確実に減っている様だ。
2011年05月25日
関東大震災復興と瓦礫処理
先日、とうきょう案内人の佐藤直樹氏〔直さん〕から旅人にブログの更新がされていないと言われました。早速一昨日ブログを更新しましたが、旅人のブログは不定期で発信をしています、本当は3日〜7日に1回更新をしたいとは考えているが記事の整理や確認で中々更新が出来ないのが現状である、今後もなるべく、こまめに更新をしたいと思っています。
さて、昨日、神奈川11区の衆議院議員田中和徳議員事務所を訪ねた、秘書の矢作真樹子さんから「お借りしていた関東大震災記録の本〔大正大震災大火災/大日本雄辯会・講談社・大正12年10月1日発行〕をお返しします」との連絡を頂き、その本の返却を受けた。帰りの電車の中で、当時の震災復興の記録部分を再度読み直してみた。
関東大震災が発生したのは、この本が発行される丁度1ヶ月前の9月1日、午前11時58分45秒、震源地は相模湾北西沖80繊緬粍泯械機ィ嬰戞東経139.5度〕でマグニチュード7.9と発表された、被害は東京・神奈川・静岡・千葉・埼玉、茨城の1府〔東京府〕5県に及び死亡者は9月11日現在7万4千24人〔死体判明〕、行方不明23万千208人、負傷者39万764人、焼失戸数28万9千846戸、倒壊戸数1万5千142戸〔その後の調査では41万1千戸と云うが正確なる実数は知り得ないと記載される〕しかし関東戒厳司令部情報部の発表だと1府4県の被災者は死体判明16万〔後に総数30万を超えるとある〕負傷者100万人、家屋被災50万戸、損害概算数十億と記録があった。何しろ何処の誰が、何処に逃げているのか不明だし、避難所なんていうものも設定されていなかったし。関東大震災前年の大正11年〔1922〕に東京市〔当時/現在の東京都〕が陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園造成を進めてきた最中に発生した関東大震災に、この界隈の人々が被服廠跡に殺到、運び込まれた家財道具に火がついて避難者多数が焼死した〔鎮火したのは3日午前10時頃〕が、この人数もはっきりしていないし、首都自体が被災地となり被災者救助や死者、行方不明者捜索も思い通りの機能が働かず、その数も不明となっている。だが2004年迄は死者・行方不明者は約14万人と言われてきたがこの数字は震災の2年後に「震災予防調査会報告」に基づいた数値で14万人には重複して数えられたデーターも多く、理科年表では2006年〔平成18年〕から修正され、現在は10万5千人余としており、気象庁も、この年表の数字を採用している。
当時の内閣は空白であった、この年の8月24日〔震災発生の8日前〕に当時の総理大臣加藤友三郎が急逝して内田康哉外務大臣が臨時総理大臣に職務代行をしていた。つまり日本は内閣総理大臣が空席の儘であった。関東大震災は加藤総理が急逝して8日後に発生した為に、次期総理大臣が決らない時に発生した・・・・・・・。
この日、石川県能登半島付近に位置していた台風により関東地方全域で強い風が吹いていた。〔この日、朝早くから珍しい暴風雨が襲来した、210日の前日とあり、何人も異としなかったが〕不思議に午前10時頃に暴風雨は治まり、初秋の1日となった、しかし正午前の数分、市民の多くは昼食〔昼餐〕の卓に向かっていた、一刹那、なんとも明状しがたい地鳴りが聞こえるよと思うばあらばこそ、天地鳴動、新築9階建ての丸の内ビルヂング〔丸ビル〕すら、怒涛にもて弄ばる、ゝ木の葉〔木の葉〕の如く揺れて来た。壁は割れ、柱は砕け、濛々たる土煙が四方を閉ぢ込め、阿鼻叫喚「助けてくれ!」の悲鳴随所に起こり、さながら斯くの如く、この世は終わるかと云われる最後審判の日の襲来をさへ、思はせられたのであった。
揺り直しが追ひかけ来る、それがまた、いずれも路上で歩行出来ぬ程の猛烈さで、建築の腐朽しかけたの、或いは工事半ばの大建築、殊に工事型の建物等は、地盤の支柱の少ない、硬軟関係も伴って、片っ端から倒壊された。落ちるだけの瓦礫は落ち、倒れるだけの建物は倒れ、土煙が幾分鎮まりかけたと思ふと、それは忽ち蒙々物凄き黒煙と変じ、後記の大火災となったのであった、此の瞬間、倒壊した大建物の随一は、芝区三田四国町の日本電気会社工場であった。三階建て鉄筋コンクリート、最新米国式の大工場であったが、第一震で脆くも全壊し、勤務職工社員四百余名の中、出口近くに居合わせた僅々十数名が飛び出したのみで、他は悉く下敷きとなり、無惨の圧死を遂げた。更に、丸の内郵船ビルの裏手に、工事半ば以上進んで居た内外ビルヂングの大建築は、裏側に自然石を積み上げ、裏は其の運びに至らなかった許りに、裏手に向かって崩壊し、就業中であった三百余名の人夫其の他は、数名を除き圧死した〔以下略す〕関東大震災の模様を書いた本は何冊も出ているが、震災から1ヶ月で発行された、この本は、国立国会図書館にも無いそうだ。関東大震災発生後、12時間に人体に感じた余震は114回以上、次の12時間に88回、次に60回、次に47回、その後地震計のみに感じた程度の余震を算するならば三日間に千七百余回で、地震国と呼ばれる、我国ですら、平均3ヶ年分の地震を、唯此の三日間に経験した事になる。〔以下略する〕勿論、この時には、横浜、横須賀、鎌倉、湘南一帯、更に中部相模、京浜間、静岡県下、房総地方は地鳴りと同時に、モクリと持ち上げられ、家毎と空中に吹き飛ばされたかと思われた瞬間、大抵の家屋は叩き潰された。小田原から箱根・熱海・伊豆山・湯河原などの温泉地方は津波〔海嘯〕で全滅となった。
此の時に当って、加藤前首相の後を受けた、内田臨時大使は、辞表を奉呈した儘、水野内相を副総裁として、直ちに救護活動を命じた臨時震災事務局を設け、続いて次の内閣「山本内閣」〔山本権兵衛内閣〕が誕生の為の手続きを開始して、発生の翌日〔9月2日〕午後5時に、赤坂離宮〔現赤坂迎賓館〕の庭に、天幕内に攝政殿下〔大正天皇〕御臨席の元、山本新内閣親任式が挙げられた、組閣の一歩に於いて、挙国一致を標語とした山本新内閣は、自づと、挙国一致帝都並びに関東一帯の復興に全力を傾倒せざるを得ぬ立場となった。非常徴発令を布き、剰余金九百五拾萬円を救護費に宛て、物資の補給其の他に従ふ一方、厳戒令を布き、陸軍大将福田雅太郎氏を関東戒厳司令官とし、近衛第一は云ふまでもなく、十ヶ師団他特科部隊を動かし活動を開始した〔以下略〕。政府は三大緊急勅令を出し、治安維持・暴利取締・支払延期を命じた、浮説を宣布し、人心を惑乱せしむる徒を10年以下の懲役に処する令を発令、震災を理由に品物を暴利貪る者には3年以下の懲役、金銭支払いを1ヶ月間延期する、所謂モラトリウムに関する勅命を出した。更に租税及び輸入税の減免、日本銀行資金調達供給を命じた。新たに国務大臣並びに前大臣などを網羅する帝都復興審議会及び特別執行機関たる「帝都復興院」を設立し院長に後藤新平内相が就任した。
何事も早急に復興の目安を付ける為に、政府は関東戒厳令司令部、東京府、東京市、警視庁など官庁側を始め日本赤十字、済生会、商業会議所〔商工会議所〕、各汽船会社、その他の活動が目覚しく、殊に戒厳司令部指揮下にある軍隊も警護に、食料の配給に、鉄道橋脚の修築に活躍、また電信隊、航空隊の活動に驚くべき成績を挙げ、海軍は第一艦隊以下巨艦を東京湾に電駆せしめ、食料の運輸は無論、避難民の無料輸送にあたった。
関東大震災の発生は、無線電信並びに陸軍飛行機により大阪に齎され、瞬刻ならずして世界列国に広まった、これら反響に寧ろ恐ろしい程の世界的同情を呼び、曰く、米国大統領の「日本の震災に同情義捐せよ」との布告、英国皇帝の逸先の義捐金御寄贈、更に支那〔中国〕政府の米穀禁輸令一時撤廃も行われた。更に米国艦隊は東京湾に急派、救護斡旋にあたり、工部隊は横須賀から500人の工兵を東海道線復興工事に派遣し陸軍と協力して死傷者救護、遺体収容を行った〔東海道線の被災は24列車、大半は脱線、転覆、トンネル崩壊などで即死124名となった、109列車と116列車は根府川にて被災し列車は海中に没した〕、更に東京湾から東京市内に派遣された工兵は45線区の市電の内10路線の復興工事に取り掛かり震災から7日後には10路線の開通にこぎつけ、被災者には無料乗車運転を開始した。更に各府県市町村が競って義捐金を出して食料を寄贈送致に全力を挙げた為に罹災民には飢餓で泣く事は無かった。生活費や家屋の復興、生活の安定は復興院が行い、各地から集められた義捐金は、直ちに復興院の窓口で配られた。更に三井・岩崎男爵家が500万円を提供、一族中から一家全滅の悲劇を出した安田家は350万円、住友男爵家は250万円の他に浅野家、鈴木家は各100万円を出して復興院に届け、これらの義捐金で人を雇い瓦礫の撤去、生活道路の整備を行った。区画整備の為に住民から土地を買い上げて、ここに復興住宅を建てて家を失った住人を住まわせた〔注意/仮設住宅ではない、完全な鉄筋住宅で家賃も取った〕。瓦礫は東京湾に運ばれて、現在の豊洲地区は関東大震災の瓦礫で埋め立てられた、もう1箇所、横浜の観光名所である「山下公園」も関東大震災の瓦礫を埋立に使った。
今回の東日本大震災では福島・宮城・岩手3県の津波により2.490万トンの瓦礫が出ている、〔他に茨城や千葉県外房や青森の一部についても瓦礫がある〕これらの瓦礫を処分する処分場が不足しており県外に運び埋立に活用する案も出ているが、瓦礫の処分場が無いのと津波で住んでいた場所に、住民の所有物もあり勝手に処分が出来ない処から瓦礫処理が進んでいないので復興が遅れているのも事実である。しかし、政府も被災市町村も瓦礫処理が大事としているが大型の瓦礫処理車両〔例えばクレーン車やシャベルカー等〕も不足して、地元の工事業者を優先して瓦礫処理にあたらせているので大型の車両を持たない業者が多く手間取っていると考えられる、確かに被災者を優先して使用する事は必要かと思うが、瓦礫処理には大型工事車両が必要である、自衛隊には1992年8月に「国連平和協力法」〔いわゆるPKO法〕により陸上自衛隊施設大隊600人〔2回に渡り1.200人が派遣された〕がカンボジアに派遣され内戦で破壊された国道や橋梁の整備や修理を行い約1年間で100キロの国道道路工事と約40箇所の橋梁を完成させた。自衛隊は歓迎を受けて、この派遣を「日本の侵略の兆候」と批判する者は誰一人なかった、其の他大規模地震で20万人の犠牲者を出したハイチ共和国にも陸上自衛隊施設科部隊が派遣されて倒壊した家屋の撤去、道路修理を行っている、今回の東日本大震災でも各県知事の要請で航空自衛隊三沢基地から戦闘機、海上自衛隊第2航空群のP3C等が被災地上空に急派されて情報収集、陸上自衛隊は青森の39普通科連隊が初動出動、続いて山形の30普通科連隊が被災地に向かい、航空自衛隊の大型ヘリは陸前高田で漂流中の11名を救助を開始、陸上自衛隊も宮城県で400名、福島の第6特科連隊も白河市で生き埋めになった8名を救助、陸上自衛隊は3万千人、海上自衛隊、航空自衛隊は1万人を派遣、更に1次増援として陸上自衛隊が2万人、2次増派遣では陸上自衛隊2万人、海上自衛隊、航空自衛隊2万人の10万人隊員を派遣した。この派遣は自衛隊隊員の半数にあたる、自衛官の削減が議論された現在、将来の大規模災害に備えて大増員は必要ではないかと思う一方、東日本大震災の行方不明者捜索やある程度の救難が終えた現在、引き上げてゆく自衛隊のうち陸上自衛隊施設科部隊は当分の間現地にとどまり、被災地住人や瓦礫処理の工事者と協力して瓦礫の撤去をして貰ったらどうだろうか?。仮設住宅を作るのは大事な事ですが、瓦礫を早く始末して、そこで商売をしていた人やその場所に住んでいた人等希望する人には、瓦礫を処理して平地にして家や店を再建出来る様にしてあげる事が大事なことではないだろうか。
さて、昨日、神奈川11区の衆議院議員田中和徳議員事務所を訪ねた、秘書の矢作真樹子さんから「お借りしていた関東大震災記録の本〔大正大震災大火災/大日本雄辯会・講談社・大正12年10月1日発行〕をお返しします」との連絡を頂き、その本の返却を受けた。帰りの電車の中で、当時の震災復興の記録部分を再度読み直してみた。
関東大震災が発生したのは、この本が発行される丁度1ヶ月前の9月1日、午前11時58分45秒、震源地は相模湾北西沖80繊緬粍泯械機ィ嬰戞東経139.5度〕でマグニチュード7.9と発表された、被害は東京・神奈川・静岡・千葉・埼玉、茨城の1府〔東京府〕5県に及び死亡者は9月11日現在7万4千24人〔死体判明〕、行方不明23万千208人、負傷者39万764人、焼失戸数28万9千846戸、倒壊戸数1万5千142戸〔その後の調査では41万1千戸と云うが正確なる実数は知り得ないと記載される〕しかし関東戒厳司令部情報部の発表だと1府4県の被災者は死体判明16万〔後に総数30万を超えるとある〕負傷者100万人、家屋被災50万戸、損害概算数十億と記録があった。何しろ何処の誰が、何処に逃げているのか不明だし、避難所なんていうものも設定されていなかったし。関東大震災前年の大正11年〔1922〕に東京市〔当時/現在の東京都〕が陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園造成を進めてきた最中に発生した関東大震災に、この界隈の人々が被服廠跡に殺到、運び込まれた家財道具に火がついて避難者多数が焼死した〔鎮火したのは3日午前10時頃〕が、この人数もはっきりしていないし、首都自体が被災地となり被災者救助や死者、行方不明者捜索も思い通りの機能が働かず、その数も不明となっている。だが2004年迄は死者・行方不明者は約14万人と言われてきたがこの数字は震災の2年後に「震災予防調査会報告」に基づいた数値で14万人には重複して数えられたデーターも多く、理科年表では2006年〔平成18年〕から修正され、現在は10万5千人余としており、気象庁も、この年表の数字を採用している。
当時の内閣は空白であった、この年の8月24日〔震災発生の8日前〕に当時の総理大臣加藤友三郎が急逝して内田康哉外務大臣が臨時総理大臣に職務代行をしていた。つまり日本は内閣総理大臣が空席の儘であった。関東大震災は加藤総理が急逝して8日後に発生した為に、次期総理大臣が決らない時に発生した・・・・・・・。
この日、石川県能登半島付近に位置していた台風により関東地方全域で強い風が吹いていた。〔この日、朝早くから珍しい暴風雨が襲来した、210日の前日とあり、何人も異としなかったが〕不思議に午前10時頃に暴風雨は治まり、初秋の1日となった、しかし正午前の数分、市民の多くは昼食〔昼餐〕の卓に向かっていた、一刹那、なんとも明状しがたい地鳴りが聞こえるよと思うばあらばこそ、天地鳴動、新築9階建ての丸の内ビルヂング〔丸ビル〕すら、怒涛にもて弄ばる、ゝ木の葉〔木の葉〕の如く揺れて来た。壁は割れ、柱は砕け、濛々たる土煙が四方を閉ぢ込め、阿鼻叫喚「助けてくれ!」の悲鳴随所に起こり、さながら斯くの如く、この世は終わるかと云われる最後審判の日の襲来をさへ、思はせられたのであった。
揺り直しが追ひかけ来る、それがまた、いずれも路上で歩行出来ぬ程の猛烈さで、建築の腐朽しかけたの、或いは工事半ばの大建築、殊に工事型の建物等は、地盤の支柱の少ない、硬軟関係も伴って、片っ端から倒壊された。落ちるだけの瓦礫は落ち、倒れるだけの建物は倒れ、土煙が幾分鎮まりかけたと思ふと、それは忽ち蒙々物凄き黒煙と変じ、後記の大火災となったのであった、此の瞬間、倒壊した大建物の随一は、芝区三田四国町の日本電気会社工場であった。三階建て鉄筋コンクリート、最新米国式の大工場であったが、第一震で脆くも全壊し、勤務職工社員四百余名の中、出口近くに居合わせた僅々十数名が飛び出したのみで、他は悉く下敷きとなり、無惨の圧死を遂げた。更に、丸の内郵船ビルの裏手に、工事半ば以上進んで居た内外ビルヂングの大建築は、裏側に自然石を積み上げ、裏は其の運びに至らなかった許りに、裏手に向かって崩壊し、就業中であった三百余名の人夫其の他は、数名を除き圧死した〔以下略す〕関東大震災の模様を書いた本は何冊も出ているが、震災から1ヶ月で発行された、この本は、国立国会図書館にも無いそうだ。関東大震災発生後、12時間に人体に感じた余震は114回以上、次の12時間に88回、次に60回、次に47回、その後地震計のみに感じた程度の余震を算するならば三日間に千七百余回で、地震国と呼ばれる、我国ですら、平均3ヶ年分の地震を、唯此の三日間に経験した事になる。〔以下略する〕勿論、この時には、横浜、横須賀、鎌倉、湘南一帯、更に中部相模、京浜間、静岡県下、房総地方は地鳴りと同時に、モクリと持ち上げられ、家毎と空中に吹き飛ばされたかと思われた瞬間、大抵の家屋は叩き潰された。小田原から箱根・熱海・伊豆山・湯河原などの温泉地方は津波〔海嘯〕で全滅となった。
此の時に当って、加藤前首相の後を受けた、内田臨時大使は、辞表を奉呈した儘、水野内相を副総裁として、直ちに救護活動を命じた臨時震災事務局を設け、続いて次の内閣「山本内閣」〔山本権兵衛内閣〕が誕生の為の手続きを開始して、発生の翌日〔9月2日〕午後5時に、赤坂離宮〔現赤坂迎賓館〕の庭に、天幕内に攝政殿下〔大正天皇〕御臨席の元、山本新内閣親任式が挙げられた、組閣の一歩に於いて、挙国一致を標語とした山本新内閣は、自づと、挙国一致帝都並びに関東一帯の復興に全力を傾倒せざるを得ぬ立場となった。非常徴発令を布き、剰余金九百五拾萬円を救護費に宛て、物資の補給其の他に従ふ一方、厳戒令を布き、陸軍大将福田雅太郎氏を関東戒厳司令官とし、近衛第一は云ふまでもなく、十ヶ師団他特科部隊を動かし活動を開始した〔以下略〕。政府は三大緊急勅令を出し、治安維持・暴利取締・支払延期を命じた、浮説を宣布し、人心を惑乱せしむる徒を10年以下の懲役に処する令を発令、震災を理由に品物を暴利貪る者には3年以下の懲役、金銭支払いを1ヶ月間延期する、所謂モラトリウムに関する勅命を出した。更に租税及び輸入税の減免、日本銀行資金調達供給を命じた。新たに国務大臣並びに前大臣などを網羅する帝都復興審議会及び特別執行機関たる「帝都復興院」を設立し院長に後藤新平内相が就任した。
何事も早急に復興の目安を付ける為に、政府は関東戒厳令司令部、東京府、東京市、警視庁など官庁側を始め日本赤十字、済生会、商業会議所〔商工会議所〕、各汽船会社、その他の活動が目覚しく、殊に戒厳司令部指揮下にある軍隊も警護に、食料の配給に、鉄道橋脚の修築に活躍、また電信隊、航空隊の活動に驚くべき成績を挙げ、海軍は第一艦隊以下巨艦を東京湾に電駆せしめ、食料の運輸は無論、避難民の無料輸送にあたった。
関東大震災の発生は、無線電信並びに陸軍飛行機により大阪に齎され、瞬刻ならずして世界列国に広まった、これら反響に寧ろ恐ろしい程の世界的同情を呼び、曰く、米国大統領の「日本の震災に同情義捐せよ」との布告、英国皇帝の逸先の義捐金御寄贈、更に支那〔中国〕政府の米穀禁輸令一時撤廃も行われた。更に米国艦隊は東京湾に急派、救護斡旋にあたり、工部隊は横須賀から500人の工兵を東海道線復興工事に派遣し陸軍と協力して死傷者救護、遺体収容を行った〔東海道線の被災は24列車、大半は脱線、転覆、トンネル崩壊などで即死124名となった、109列車と116列車は根府川にて被災し列車は海中に没した〕、更に東京湾から東京市内に派遣された工兵は45線区の市電の内10路線の復興工事に取り掛かり震災から7日後には10路線の開通にこぎつけ、被災者には無料乗車運転を開始した。更に各府県市町村が競って義捐金を出して食料を寄贈送致に全力を挙げた為に罹災民には飢餓で泣く事は無かった。生活費や家屋の復興、生活の安定は復興院が行い、各地から集められた義捐金は、直ちに復興院の窓口で配られた。更に三井・岩崎男爵家が500万円を提供、一族中から一家全滅の悲劇を出した安田家は350万円、住友男爵家は250万円の他に浅野家、鈴木家は各100万円を出して復興院に届け、これらの義捐金で人を雇い瓦礫の撤去、生活道路の整備を行った。区画整備の為に住民から土地を買い上げて、ここに復興住宅を建てて家を失った住人を住まわせた〔注意/仮設住宅ではない、完全な鉄筋住宅で家賃も取った〕。瓦礫は東京湾に運ばれて、現在の豊洲地区は関東大震災の瓦礫で埋め立てられた、もう1箇所、横浜の観光名所である「山下公園」も関東大震災の瓦礫を埋立に使った。
今回の東日本大震災では福島・宮城・岩手3県の津波により2.490万トンの瓦礫が出ている、〔他に茨城や千葉県外房や青森の一部についても瓦礫がある〕これらの瓦礫を処分する処分場が不足しており県外に運び埋立に活用する案も出ているが、瓦礫の処分場が無いのと津波で住んでいた場所に、住民の所有物もあり勝手に処分が出来ない処から瓦礫処理が進んでいないので復興が遅れているのも事実である。しかし、政府も被災市町村も瓦礫処理が大事としているが大型の瓦礫処理車両〔例えばクレーン車やシャベルカー等〕も不足して、地元の工事業者を優先して瓦礫処理にあたらせているので大型の車両を持たない業者が多く手間取っていると考えられる、確かに被災者を優先して使用する事は必要かと思うが、瓦礫処理には大型工事車両が必要である、自衛隊には1992年8月に「国連平和協力法」〔いわゆるPKO法〕により陸上自衛隊施設大隊600人〔2回に渡り1.200人が派遣された〕がカンボジアに派遣され内戦で破壊された国道や橋梁の整備や修理を行い約1年間で100キロの国道道路工事と約40箇所の橋梁を完成させた。自衛隊は歓迎を受けて、この派遣を「日本の侵略の兆候」と批判する者は誰一人なかった、其の他大規模地震で20万人の犠牲者を出したハイチ共和国にも陸上自衛隊施設科部隊が派遣されて倒壊した家屋の撤去、道路修理を行っている、今回の東日本大震災でも各県知事の要請で航空自衛隊三沢基地から戦闘機、海上自衛隊第2航空群のP3C等が被災地上空に急派されて情報収集、陸上自衛隊は青森の39普通科連隊が初動出動、続いて山形の30普通科連隊が被災地に向かい、航空自衛隊の大型ヘリは陸前高田で漂流中の11名を救助を開始、陸上自衛隊も宮城県で400名、福島の第6特科連隊も白河市で生き埋めになった8名を救助、陸上自衛隊は3万千人、海上自衛隊、航空自衛隊は1万人を派遣、更に1次増援として陸上自衛隊が2万人、2次増派遣では陸上自衛隊2万人、海上自衛隊、航空自衛隊2万人の10万人隊員を派遣した。この派遣は自衛隊隊員の半数にあたる、自衛官の削減が議論された現在、将来の大規模災害に備えて大増員は必要ではないかと思う一方、東日本大震災の行方不明者捜索やある程度の救難が終えた現在、引き上げてゆく自衛隊のうち陸上自衛隊施設科部隊は当分の間現地にとどまり、被災地住人や瓦礫処理の工事者と協力して瓦礫の撤去をして貰ったらどうだろうか?。仮設住宅を作るのは大事な事ですが、瓦礫を早く始末して、そこで商売をしていた人やその場所に住んでいた人等希望する人には、瓦礫を処理して平地にして家や店を再建出来る様にしてあげる事が大事なことではないだろうか。
2011年05月16日
東日本大震災から2ヶ月、東電福島第一原発はまだ終息の目途たたず
昨夜のニュース番組で3月11日の東日本大震災の当日の視聴者が撮影したビデオ映像と2〜3日後にテレビ局が撮影した映像、更に2ヶ月後の被災地の映像が番組で紹介された。視聴者のビデオ映像には「キャー」と言う声が入っていた、映像を撮影していた人の奥さんだそうだ、家が流され車が流され、街が流される状態を目にした被災者の声は「キャー」と言う声だけではなかったろうと思う、震災後の映像には道の両側が瓦礫の山が出来て信号は消えて電柱は折り曲がったままである、近くの人は「この街が元の街に変わるのは、あと2〜3年はかかると」嘆いていた。そして2ヵ月後の被災地の映像には、あの道の両側にあった瓦礫は消えて真新しい電柱が立っていた、未だ未だ、この街が元の街に戻るのにはかなりの日数がかかるとは思うけれども確実に一歩一歩復興は進んでいると感じるテレビ番組であった。
しかし、東日本大震災での津波の被害も受けず、住んでいた家屋にも被害が無かった福島県の飯館村の計画的避難が始まった、福島第一原発事故で全域や一部指定地域に住む福島県5市町村のうち、飯館村と隣の川俣町、葛尾村で政府の計画的避難指示により他の地区への住民退避が始まった、葛尾村は、福島第一原発から20〜30キロ圏内、飯館村は30キロ〜40キロ圏内、川俣町は一部が飯館村と同じ圏内にある、政府の計画的避難地域に指定された飯館村は人口6.500人〔既に自主避難者2.100人〕、川俣町は避難対象地区は山木屋地区の364世帯〔1.252名〕で2市町村では妊婦・乳幼児のいる家族を優先的に順次避難をさせている、昨日の飯館村避難第一陣には10世帯64人が菅野典雄村長に送られて福島市の公務員宿舎や二本松市の旅館に移転した「1日も早く福島第一原発事故が終息して帰って来られる様に手を尽くしたい」と挨拶をして送り出した菅野村長は「この事故がなければ避難する事なく暮せるのに、残念で悔しい」と語ったが、東京電力福島第一原発事故は終息どころではなく、9ヶ月後には、避難地域に入っている住民も元に戻れる〔帰れる〕との住民の帰宅見通しを発表したが、燃料溶融や大量の汚染水がある中で、原子炉の破損箇所の特定と修理は至難業、現場の作業工程の報道では、東電や政府が出した希望的な「工程表」にある6〜9ヶ月後には帰宅の見通しは不明瞭としか云えない。米国スリーマイル島の原発事故の場合は1基だけの事故で、冷却機能が無事であったにも関わらず安全宣言を出せるまでには10年以上を要した、今回の福島第一原発の場合は、燃料溶融や大量の汚染水の海への漏れ、更に冷却機能を失いと二重三重のシナリオが出てくる、政府は東電や原子力保安院の発表に対して枝野官房長官が会見して、東京電力側の「良きに計らえ」状態になっている、つまり現時点でも2年後には退避地区の人は帰宅が叶います〔東電の原発終息までの工程表による〕と発表している。
先日、旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の事故発生から満25年の日を迎えた〔チェルノブイリ原発の事故は1986年4月26日発生〕外部電源を喪失した場合に備えての実験中に核分裂反応が暴走して起きた、原子炉のかなりの部分が吹き飛び、大量の核分裂生成物による汚染が国境を越えて拡大し、数千人〔発表では約6.000人とあるが実際はそれ以上との説もある〕の子供が甲状腺癌を発症した。発電所を中心とする半径30キロ圏内の13万人以上が強制的に避難をさせられて、25年を経過した現在も戻れない状態が続く、発電所の北西にあるプリピャチ市は、ビルが立ち並ぶ町だが、原発から2.5キロの圏内にあり無人の廃墟となっている、日本政府は福島原発をチェルノブイリと並ぶ「レベル7」としている、それは終息の見通しがまだ見極めが出来ない状態を示しているからではないだろうか、東京電力では昨夜までの福島第一原発の状況を考査して、近日中に希望的な「工程表」を変更すると発表しているらしいが、たぶん9月〜来年1月頃後帰宅見通しは大幅に伸びるのではないかと思われる。
政府・与党が検討をしてきた福島第一原子力発電所の補償の方法が発表されたが、その原資は誰が負担するのか、明確でない部分が多く国会審議でも難航が予想される。そんな中、衆議院本会議で野党議員から「なぜ、東電はJAL〔日本航空〕の様に処理しないのか」と追及があった。JALは会社更生法で破綻をして事実上公的管理〔日本政府経営管理〕の下、100%減資、金融機関は債権放棄した。しかし、東京電力の場合は補償は無限にあり、借金もそのままで、社債も保護されており、国有化〔公的管理〕もせずにゾンビスキーム〔国が再建に力を貸す〕が行われるのはおかしいのではと云う訳だ、更に枝野官房長官が会見発表した事によると、今回の原発事故補償は原発を保有する電力各社〔9社〕が金を出す新機構設立で東京電力補償を手助けする、更に足りなければ国が補償金〔税金投入〕を加える、東京電力はリストラや資産売却など合理化を進めるとしたが、昨日の東京電力会見ではリストラや合理化は先に持ち越し、今は福島第一原発の終息に力を注ぐと会見をした、東電は資産の売却や人員整理〔リストラ〕はしない、株主には迷惑をかけない、資金繰りに協力をしてくれた銀行にも迷惑はかけない、国〔日本政府〕や仲間の電力会社が補償金を出す新機構を作り面倒を見てくれる、つまり「減資もしない、貸して〔銀行〕責任を問わない、会長・社長は次の株主総会で辞任する、つまり経営責任も問わない」すべて、これで収めるらしい。今回の原発事故補償は電力各社が金を出すが、これは全国的に平均して電気料金を値上して、値上料金から金を補填するものであり国民負担となる訳だ、大口の電力利用者には特別な料金系が確立されており、小口利用者負担〔平成24年春、東電管内では16%の値上〕になる事は間違いない。更に国が税金を投入すると言ったって、元は国民の税金投入で、足りなくなれば消費税の値上も検討されるだろう。
それならば早い所、東京電力の国有化を決めたほうが良いのではないだろうか?、産業再生機構で活躍をした現役の産業経済閣僚 古賀茂明氏が新聞各社を通じて提案をしている「東京電力処理策」がある。この案ではJAL同様に東京電力を国の管理団体に指定して、産業経済省内に「東京電力経営監視委員会」を設けて、ここが東京電力の経営管財人の役割を果たし、東京電力は会社更生法や民事再生法に近い形をとり、資産売却を進め、株主責任〔株式の100%減資〕、金融機関に対する貸し手責任から債権放棄を求め、会社の社員の人員整理リストラなども実施する、こうすれば、今回の事故の補償金〔10〜15兆〕のうち5兆円〜7兆円は減額される。最終的には東京電力は発電に関する業務を行う発電会社と、送電を行う送電会社と分社化して発電に関する資産は順次売却化、送電会社は再上場をめざす、古賀案によれば発電送電分離が実現し競争原理が働き電気代の値上はなくなり、東電は発電資産の売却で巨額の資金を得られ、人員整理によりリストラも進めば、国民の負担も無く〔或いは国民の負担も軽く〕賠償金も得られると云うのである。
産経新聞の5月14日の一面に外交評論家の岡本行夫氏が、菅総理大臣や枝野官房長官も学生時代から反体制の側にいた、反体制の人々は「権力を奪取して正しく行使する」事を目標としてきた。民主党で念願の権力を得て、一挙手一投足が注目され、総理大臣や官房長官の一声で国が動かせる様になった、だが権力には責任が伴う、。しかし、今期は過去の年と比べて緊急課題が山積する様な状況が起こっているが、国会は延長をしないと言う、野党に追求の場を与えれば与党の民主党の政権は持たなくなる、一度手にした権力は何が何でも放したくない、難しい問題は先送りして、東電福島第一原発の事故に対しては東電と原子力保安院に「良きに計らえ」と云っていた方が良いと考えているのではないだろうか。
民主党にすれば、東電に人員整理〔リストラ〕を強制すると味方の東京電力労働組合にも何を言われるのか判らないし、民主党の中には東電組合員から多くの議員も出ているし、党員も抱えている様だから強くリストラを強制する事も出来ないのではないだろうか、こうなると福島第一原発事故問題の最大の犠牲者は被災者と国民になりかねない、もっとしっかり、東京電力と政府の情勢を見て行きたい。
しかし、東日本大震災での津波の被害も受けず、住んでいた家屋にも被害が無かった福島県の飯館村の計画的避難が始まった、福島第一原発事故で全域や一部指定地域に住む福島県5市町村のうち、飯館村と隣の川俣町、葛尾村で政府の計画的避難指示により他の地区への住民退避が始まった、葛尾村は、福島第一原発から20〜30キロ圏内、飯館村は30キロ〜40キロ圏内、川俣町は一部が飯館村と同じ圏内にある、政府の計画的避難地域に指定された飯館村は人口6.500人〔既に自主避難者2.100人〕、川俣町は避難対象地区は山木屋地区の364世帯〔1.252名〕で2市町村では妊婦・乳幼児のいる家族を優先的に順次避難をさせている、昨日の飯館村避難第一陣には10世帯64人が菅野典雄村長に送られて福島市の公務員宿舎や二本松市の旅館に移転した「1日も早く福島第一原発事故が終息して帰って来られる様に手を尽くしたい」と挨拶をして送り出した菅野村長は「この事故がなければ避難する事なく暮せるのに、残念で悔しい」と語ったが、東京電力福島第一原発事故は終息どころではなく、9ヶ月後には、避難地域に入っている住民も元に戻れる〔帰れる〕との住民の帰宅見通しを発表したが、燃料溶融や大量の汚染水がある中で、原子炉の破損箇所の特定と修理は至難業、現場の作業工程の報道では、東電や政府が出した希望的な「工程表」にある6〜9ヶ月後には帰宅の見通しは不明瞭としか云えない。米国スリーマイル島の原発事故の場合は1基だけの事故で、冷却機能が無事であったにも関わらず安全宣言を出せるまでには10年以上を要した、今回の福島第一原発の場合は、燃料溶融や大量の汚染水の海への漏れ、更に冷却機能を失いと二重三重のシナリオが出てくる、政府は東電や原子力保安院の発表に対して枝野官房長官が会見して、東京電力側の「良きに計らえ」状態になっている、つまり現時点でも2年後には退避地区の人は帰宅が叶います〔東電の原発終息までの工程表による〕と発表している。
先日、旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の事故発生から満25年の日を迎えた〔チェルノブイリ原発の事故は1986年4月26日発生〕外部電源を喪失した場合に備えての実験中に核分裂反応が暴走して起きた、原子炉のかなりの部分が吹き飛び、大量の核分裂生成物による汚染が国境を越えて拡大し、数千人〔発表では約6.000人とあるが実際はそれ以上との説もある〕の子供が甲状腺癌を発症した。発電所を中心とする半径30キロ圏内の13万人以上が強制的に避難をさせられて、25年を経過した現在も戻れない状態が続く、発電所の北西にあるプリピャチ市は、ビルが立ち並ぶ町だが、原発から2.5キロの圏内にあり無人の廃墟となっている、日本政府は福島原発をチェルノブイリと並ぶ「レベル7」としている、それは終息の見通しがまだ見極めが出来ない状態を示しているからではないだろうか、東京電力では昨夜までの福島第一原発の状況を考査して、近日中に希望的な「工程表」を変更すると発表しているらしいが、たぶん9月〜来年1月頃後帰宅見通しは大幅に伸びるのではないかと思われる。
政府・与党が検討をしてきた福島第一原子力発電所の補償の方法が発表されたが、その原資は誰が負担するのか、明確でない部分が多く国会審議でも難航が予想される。そんな中、衆議院本会議で野党議員から「なぜ、東電はJAL〔日本航空〕の様に処理しないのか」と追及があった。JALは会社更生法で破綻をして事実上公的管理〔日本政府経営管理〕の下、100%減資、金融機関は債権放棄した。しかし、東京電力の場合は補償は無限にあり、借金もそのままで、社債も保護されており、国有化〔公的管理〕もせずにゾンビスキーム〔国が再建に力を貸す〕が行われるのはおかしいのではと云う訳だ、更に枝野官房長官が会見発表した事によると、今回の原発事故補償は原発を保有する電力各社〔9社〕が金を出す新機構設立で東京電力補償を手助けする、更に足りなければ国が補償金〔税金投入〕を加える、東京電力はリストラや資産売却など合理化を進めるとしたが、昨日の東京電力会見ではリストラや合理化は先に持ち越し、今は福島第一原発の終息に力を注ぐと会見をした、東電は資産の売却や人員整理〔リストラ〕はしない、株主には迷惑をかけない、資金繰りに協力をしてくれた銀行にも迷惑はかけない、国〔日本政府〕や仲間の電力会社が補償金を出す新機構を作り面倒を見てくれる、つまり「減資もしない、貸して〔銀行〕責任を問わない、会長・社長は次の株主総会で辞任する、つまり経営責任も問わない」すべて、これで収めるらしい。今回の原発事故補償は電力各社が金を出すが、これは全国的に平均して電気料金を値上して、値上料金から金を補填するものであり国民負担となる訳だ、大口の電力利用者には特別な料金系が確立されており、小口利用者負担〔平成24年春、東電管内では16%の値上〕になる事は間違いない。更に国が税金を投入すると言ったって、元は国民の税金投入で、足りなくなれば消費税の値上も検討されるだろう。
それならば早い所、東京電力の国有化を決めたほうが良いのではないだろうか?、産業再生機構で活躍をした現役の産業経済閣僚 古賀茂明氏が新聞各社を通じて提案をしている「東京電力処理策」がある。この案ではJAL同様に東京電力を国の管理団体に指定して、産業経済省内に「東京電力経営監視委員会」を設けて、ここが東京電力の経営管財人の役割を果たし、東京電力は会社更生法や民事再生法に近い形をとり、資産売却を進め、株主責任〔株式の100%減資〕、金融機関に対する貸し手責任から債権放棄を求め、会社の社員の人員整理リストラなども実施する、こうすれば、今回の事故の補償金〔10〜15兆〕のうち5兆円〜7兆円は減額される。最終的には東京電力は発電に関する業務を行う発電会社と、送電を行う送電会社と分社化して発電に関する資産は順次売却化、送電会社は再上場をめざす、古賀案によれば発電送電分離が実現し競争原理が働き電気代の値上はなくなり、東電は発電資産の売却で巨額の資金を得られ、人員整理によりリストラも進めば、国民の負担も無く〔或いは国民の負担も軽く〕賠償金も得られると云うのである。
産経新聞の5月14日の一面に外交評論家の岡本行夫氏が、菅総理大臣や枝野官房長官も学生時代から反体制の側にいた、反体制の人々は「権力を奪取して正しく行使する」事を目標としてきた。民主党で念願の権力を得て、一挙手一投足が注目され、総理大臣や官房長官の一声で国が動かせる様になった、だが権力には責任が伴う、。しかし、今期は過去の年と比べて緊急課題が山積する様な状況が起こっているが、国会は延長をしないと言う、野党に追求の場を与えれば与党の民主党の政権は持たなくなる、一度手にした権力は何が何でも放したくない、難しい問題は先送りして、東電福島第一原発の事故に対しては東電と原子力保安院に「良きに計らえ」と云っていた方が良いと考えているのではないだろうか。
民主党にすれば、東電に人員整理〔リストラ〕を強制すると味方の東京電力労働組合にも何を言われるのか判らないし、民主党の中には東電組合員から多くの議員も出ているし、党員も抱えている様だから強くリストラを強制する事も出来ないのではないだろうか、こうなると福島第一原発事故問題の最大の犠牲者は被災者と国民になりかねない、もっとしっかり、東京電力と政府の情勢を見て行きたい。
2011年04月15日
日本政府ョ東京電力ョ東日本の観光を壊滅させたのは貴方達です。
政府が今年の電力不足対策として「西日本」への家族旅行を勧める、節電案を打ち出して、群馬県の大沢知事が4月8日の記者会見で「震災で関東、東北の観光地は大きな影響を受けており、これらの地域への旅行を控えるべきとの政府の意思表示ととらえられる」と反発し「早期復興の為には経済活性化が不可欠で、この様な表現は厳しく慎むべき」と批判して同日、群馬県東京事務所長を通じて政府〔国土交通省〕に抗議をした記事が新聞に掲載された。最もな事である、旅行業を営む旅人の会社の4月の仕事は、群馬県〔草津〕、山梨県〔石和〕、静岡県〔伊豆〕、山形県〔上山温泉〕、山口県〔萩・津和野〕と5件の団体旅行が予約として入っていたが3月18日から3月27日にかけて全部キャンセルになった。山形県上山温泉は東北新幹線の運休等で仕方が無いが、その他の場所は影響が無い場所だから催行はしたかったが「東日本大震災」我々だけが旅行を楽しんで良いものかと考えると「旅行は出来ない」と云われれば、旅行会社とすれば帰す言葉は無いので「判りました」とキャンセルをお受けしたが、国土交通省の記者会見では群馬県知事の反発は最もだと思う。国土交通省は日本の観光行政を行う官庁だし、省内にも観光庁がある。むしろ従来の観光行政を推進するべきではないだろうか、私の手元にJR東日本や北運輸局が発行した交通機関の運行状態〔運行状況〕、東北運輸局が発行した「管内政府登録等ホテル・旅館の営業状況」と云う書類がある〔H23.4.9 10:00現在〕この書類によると福島・宮城・山形・秋田・岩手・青森の東北6県では、被災を受けていないホテルは平常通り営業中だし、復興支援者の受け入れをしている宿もある、現在は営業を休止しているが4月1日から営業を再開しているホテルもある、東北新幹線も現在運転中の東京・上野・大宮〜那須塩原に加えて4月12日に那須塩原〜福島間、4月11日に福島〜新庄間〔12日に東京〜新庄迄直通運転が始まる〕JR東日本の話ではゴールデンウイークまでには全線開通を目指して工事中との事何とか秋田県角館や青森県弘前や岩手県北上新地の桜などに間に合う様に新幹線の開通を目指していると云う。
宮城県内で営業中の政府登録のホテル・旅館は22軒、青森県内は25軒〔冬季閉館中を除く〕、岩手県内26軒、秋田県内24軒〔冬季閉館中を除く〕、山形県内60軒〔被災者優先を除く〕、福島県内40軒の宿が平常通り営業をしているし、被災に関係のない群馬県、栃木県、埼玉県、千葉県も観光客のキャンセルが続きゴールデンウィークも通常なら満員になる旅館も客の入りは30%台に落ち込み、死活問題になっている観光地も多い、これも福島原発の後遺症で中には「福島原発に補償を求めたいとする旅館もある」かといって、これからゴールデンウィークの宿泊料を安くする事も出来ない、何故なら現在の料金で宿泊を予約しているお客様もいるし、当然、料金を落とせば食事やサービスを落とさざるを得ない、少ない旅客の場合はアルバイトの従業員を休ませて大浴場を閉鎖して・・・・となると旅館の信用にも関わる、かといって営業をすれば赤字になる「どうしたら良いのか我慢のしどころだ」が、震災の影響のない観光地には是非来て欲しいと言っている。首都圏と東北を結ぶ高速バスも一部の路線〔岩手県北バス/池袋〜釜石のうち釜石〜陸前高田と釜石〜大槌/宮城交通と京王電鉄/新宿・渋谷発の石巻・仙台の仙台〜石巻〕を除き全便運行中だ。それは被災地を物見遊山で行く事は止めて欲しいが、災害支援や親戚を励ましに行くとか、それこそ観光に行く事は地元経済にも励みにもなるので是非行って欲しい。旅人は関東の栃木・茨城・群馬の宿泊施設の営業状況が判らないので、ここには書けないが群馬県や栃木県・茨城県の内陸部の旅館においては殆ど被害は無かったと聞いている。国土交通省が言う、「今年の夏の家族旅行は西日本へ何て云わないで」どんどん東日本の旅館や東北の宿に行って欲しい。
風の旅人の行っている事が間違っているかな、東北の観光に行かないと東北の経済の落ち込みが激しく震災後における第二の東北経済が落ち目になりそうです。西日本に観光を勧める前に日本全般の観光を考えてみませんか。 詳細は国土交通省東北運輸局のホームページで政府登録等ホテル・旅館の営業状況を確認して下さい。
昨日の新聞報道によると海外からの3月訪日観光客が前年比55%以上の下落だそうだ、お陰で、毎年海外からの花見で観光客が訪れる京都も今年は外国人の数が少なくなり、このままでは店をたたまないと赤字が続くと嘆き、東京秋葉原の外国人向け免税家電量販店では、この忙しい観光シーズンなのにお客様が来ない為に棚卸を始めている。あの帝国ホテルさえ、これほどの落ち込みは近年にないと話す。更に横浜中華街店ではコックなど400人が一斉に帰国、銀座の印度カレーの店では従業員が国の命令や勧めで帰国してしまい日本人スタッフだけでは営業が出来なくなって臨時休業の店も多くなっている。この原因は福島原発の影響である。外国人が日本人以上に原発事故を怖がっているのは、海外メディアの影響が大きい、殆どのメディアがチェルノブイリを引き合いに出し「日本の核危機は制御不能」〔英デーリー・メール〕。成田発カナダ航空機に放射能物質〔米WGNテレビ〕。更に大きかったのは各国大使館が「警告」として訪日をやめる様に勧告した事や、国内にいる自国民を他の区域に移る事を勧めたり、ともかく最低東北や関東地方からの退避勧告を出した、ドイツ大使館の他12カ国は東京の大使館を閉鎖した「大使館が自国民の安全を守る為に万全の処置をするのは当たり前の事だが」問題は、多くの国が日本政府の発表を信用していない事である。そのために東京は勿論、九州や西日本、更に伊豆半島にも外国人観光客がやって来ないと日本の観光行政が壊滅的になります。
日本政府は国民をパニックにさせない為に楽観的な見通しを語り、原発事故に詳しい米国やロシアやフランスの政府の原発関係者に現在の状況を隠蔽しています。自国民に退避勧告を出したのも事態が急変して最悪の事態がありえると考えているからとされています。事実、福島30キロ圏内からストロンチウムと云うものが検出されています。ストロンチウム89は土壌1キロ当たり最大260ベクレル、更にストロンチウム90が最大32ベクレル、このストロンチウムとは、カルシュウムと良く似た性質で体内に入ると骨に沈着し、骨髄腫〔骨の癌〕や白血病の原因になる恐れがある物質、半減期は29年と長く、過去の核実験の時に飛散して問題になった事もある〔文部科学省発表〕。こんな事情も政府は楽観的にしているのは、日本政府が東電や保安院の発表を鵜呑みにして、「安全だ」「人体には問題ない」「人体に影響があっても30年も先の事」「〔私は〕大丈夫です〔表では〕裏では逃げる準備をしています」てな調子、4月7日に、東電は、この報告を外国人記者クラブで首脳陣が開くと言っていたが、前日の6日に中止を決定した。東電は新たに「汚染水の問題を解決しなければ、今は確実な説明をする状況ではない」と延期を決めた。早い段階で再度会見をしますと話をしたが4月15日現在説明はない。しかし、先月米国電子偵察機から独自で放射線量を測っている、ニューヨークタイムスは3月15日〜17日にかけて大規模な放射線流出を報道した。これにより、米国大使館は在日自国民に対して半径80キロ以内の米国人は避難勧告が出された、既に米国原子力規制委員会〔NRC〕は50名のスタッフが来日して在日米軍と協力して福島上空に毎日の様に無人電子機材を積んだ航空機を飛ばして情報を収集しているし、米軍基地には150人の放射能専門の部隊も待機させている。しかし、政府は安全で小康状態を守っていますと東京電力本社〔東京港区〕で保安院の職員や東電職員が政府は首相官邸から枝野さんが発信をしている、本当に安全なら東電も保安院も政府も現地対策本部から中継をするべきと思う。
NHKは第一原発の画像を超高性能カメラで取材をした画像が放映をされている、あとは米軍や東電が撮影した現地の状況しか入ってこない・・・・と云うことは、日本国民は現在の様子はTV放送を信じるしかない、つまり東電の発表を戦時中〔小生は戦後生まれで知らないが本によると〕の大本営発表の「枝野官房長官12:00発表、東電は直ちに健康被害はない放射能が微量出ている程度・・・以上」とか発表をしているが東京電力の垂れ流しを発表する程度で、本当に安全なら第一原発の正門の前に記者クラブを設けて枝野官房長官も東電の役員も安全保安院の係員も全員詰めていて現地から放送すると良い。鳥越俊太郎氏が4月4日に20キロ圏内の街の様子をイラク戦争の取材陣と福島第一に向かい取材をしました。鳥越氏は癌治療においてCTスキャン1回で受けるのが6.900シーベルトだから、その数値に近くなったら撤退をする予定で現地入りしたそうですが、何と第一原発の正門前では118マイクロシーベルトだったそうです。現在の数値値は多少上昇しているかも知れないが、現地の様子は刻々と安全神話が崩れつつあるのは間違いない、安全と云うならば枝野官房長官も東電役員も現地からTV報道をした方が良いと思う、こうすれば外国人も福島が安全ならば、東京も安全だと考えるし、原発付近に住む人も「帰れる」希望が出ると思いますが如何でしょうか。
宮城県内で営業中の政府登録のホテル・旅館は22軒、青森県内は25軒〔冬季閉館中を除く〕、岩手県内26軒、秋田県内24軒〔冬季閉館中を除く〕、山形県内60軒〔被災者優先を除く〕、福島県内40軒の宿が平常通り営業をしているし、被災に関係のない群馬県、栃木県、埼玉県、千葉県も観光客のキャンセルが続きゴールデンウィークも通常なら満員になる旅館も客の入りは30%台に落ち込み、死活問題になっている観光地も多い、これも福島原発の後遺症で中には「福島原発に補償を求めたいとする旅館もある」かといって、これからゴールデンウィークの宿泊料を安くする事も出来ない、何故なら現在の料金で宿泊を予約しているお客様もいるし、当然、料金を落とせば食事やサービスを落とさざるを得ない、少ない旅客の場合はアルバイトの従業員を休ませて大浴場を閉鎖して・・・・となると旅館の信用にも関わる、かといって営業をすれば赤字になる「どうしたら良いのか我慢のしどころだ」が、震災の影響のない観光地には是非来て欲しいと言っている。首都圏と東北を結ぶ高速バスも一部の路線〔岩手県北バス/池袋〜釜石のうち釜石〜陸前高田と釜石〜大槌/宮城交通と京王電鉄/新宿・渋谷発の石巻・仙台の仙台〜石巻〕を除き全便運行中だ。それは被災地を物見遊山で行く事は止めて欲しいが、災害支援や親戚を励ましに行くとか、それこそ観光に行く事は地元経済にも励みにもなるので是非行って欲しい。旅人は関東の栃木・茨城・群馬の宿泊施設の営業状況が判らないので、ここには書けないが群馬県や栃木県・茨城県の内陸部の旅館においては殆ど被害は無かったと聞いている。国土交通省が言う、「今年の夏の家族旅行は西日本へ何て云わないで」どんどん東日本の旅館や東北の宿に行って欲しい。
風の旅人の行っている事が間違っているかな、東北の観光に行かないと東北の経済の落ち込みが激しく震災後における第二の東北経済が落ち目になりそうです。西日本に観光を勧める前に日本全般の観光を考えてみませんか。 詳細は国土交通省東北運輸局のホームページで政府登録等ホテル・旅館の営業状況を確認して下さい。
昨日の新聞報道によると海外からの3月訪日観光客が前年比55%以上の下落だそうだ、お陰で、毎年海外からの花見で観光客が訪れる京都も今年は外国人の数が少なくなり、このままでは店をたたまないと赤字が続くと嘆き、東京秋葉原の外国人向け免税家電量販店では、この忙しい観光シーズンなのにお客様が来ない為に棚卸を始めている。あの帝国ホテルさえ、これほどの落ち込みは近年にないと話す。更に横浜中華街店ではコックなど400人が一斉に帰国、銀座の印度カレーの店では従業員が国の命令や勧めで帰国してしまい日本人スタッフだけでは営業が出来なくなって臨時休業の店も多くなっている。この原因は福島原発の影響である。外国人が日本人以上に原発事故を怖がっているのは、海外メディアの影響が大きい、殆どのメディアがチェルノブイリを引き合いに出し「日本の核危機は制御不能」〔英デーリー・メール〕。成田発カナダ航空機に放射能物質〔米WGNテレビ〕。更に大きかったのは各国大使館が「警告」として訪日をやめる様に勧告した事や、国内にいる自国民を他の区域に移る事を勧めたり、ともかく最低東北や関東地方からの退避勧告を出した、ドイツ大使館の他12カ国は東京の大使館を閉鎖した「大使館が自国民の安全を守る為に万全の処置をするのは当たり前の事だが」問題は、多くの国が日本政府の発表を信用していない事である。そのために東京は勿論、九州や西日本、更に伊豆半島にも外国人観光客がやって来ないと日本の観光行政が壊滅的になります。
日本政府は国民をパニックにさせない為に楽観的な見通しを語り、原発事故に詳しい米国やロシアやフランスの政府の原発関係者に現在の状況を隠蔽しています。自国民に退避勧告を出したのも事態が急変して最悪の事態がありえると考えているからとされています。事実、福島30キロ圏内からストロンチウムと云うものが検出されています。ストロンチウム89は土壌1キロ当たり最大260ベクレル、更にストロンチウム90が最大32ベクレル、このストロンチウムとは、カルシュウムと良く似た性質で体内に入ると骨に沈着し、骨髄腫〔骨の癌〕や白血病の原因になる恐れがある物質、半減期は29年と長く、過去の核実験の時に飛散して問題になった事もある〔文部科学省発表〕。こんな事情も政府は楽観的にしているのは、日本政府が東電や保安院の発表を鵜呑みにして、「安全だ」「人体には問題ない」「人体に影響があっても30年も先の事」「〔私は〕大丈夫です〔表では〕裏では逃げる準備をしています」てな調子、4月7日に、東電は、この報告を外国人記者クラブで首脳陣が開くと言っていたが、前日の6日に中止を決定した。東電は新たに「汚染水の問題を解決しなければ、今は確実な説明をする状況ではない」と延期を決めた。早い段階で再度会見をしますと話をしたが4月15日現在説明はない。しかし、先月米国電子偵察機から独自で放射線量を測っている、ニューヨークタイムスは3月15日〜17日にかけて大規模な放射線流出を報道した。これにより、米国大使館は在日自国民に対して半径80キロ以内の米国人は避難勧告が出された、既に米国原子力規制委員会〔NRC〕は50名のスタッフが来日して在日米軍と協力して福島上空に毎日の様に無人電子機材を積んだ航空機を飛ばして情報を収集しているし、米軍基地には150人の放射能専門の部隊も待機させている。しかし、政府は安全で小康状態を守っていますと東京電力本社〔東京港区〕で保安院の職員や東電職員が政府は首相官邸から枝野さんが発信をしている、本当に安全なら東電も保安院も政府も現地対策本部から中継をするべきと思う。
NHKは第一原発の画像を超高性能カメラで取材をした画像が放映をされている、あとは米軍や東電が撮影した現地の状況しか入ってこない・・・・と云うことは、日本国民は現在の様子はTV放送を信じるしかない、つまり東電の発表を戦時中〔小生は戦後生まれで知らないが本によると〕の大本営発表の「枝野官房長官12:00発表、東電は直ちに健康被害はない放射能が微量出ている程度・・・以上」とか発表をしているが東京電力の垂れ流しを発表する程度で、本当に安全なら第一原発の正門の前に記者クラブを設けて枝野官房長官も東電の役員も安全保安院の係員も全員詰めていて現地から放送すると良い。鳥越俊太郎氏が4月4日に20キロ圏内の街の様子をイラク戦争の取材陣と福島第一に向かい取材をしました。鳥越氏は癌治療においてCTスキャン1回で受けるのが6.900シーベルトだから、その数値に近くなったら撤退をする予定で現地入りしたそうですが、何と第一原発の正門前では118マイクロシーベルトだったそうです。現在の数値値は多少上昇しているかも知れないが、現地の様子は刻々と安全神話が崩れつつあるのは間違いない、安全と云うならば枝野官房長官も東電役員も現地からTV報道をした方が良いと思う、こうすれば外国人も福島が安全ならば、東京も安全だと考えるし、原発付近に住む人も「帰れる」希望が出ると思いますが如何でしょうか。

