March 29, 2009
津山城
津山城に行ってきました
今日は、早起きして。というか、殆ど寝ずに、津山城へ行ってきました。ここは、車でのアクセスはいいのですが、電車で行くとなると、これが大変に不便なところなのです。
東から向かうと、姫路から姫新線に乗るか、岡山から津山線に乗るしかないのですが、何れも非電化のローカル線なのです。
というわけで、始発で出発し、播州赤穂の赤穂城に寄って、岡山経由で一路津山へと向かったのでした。
津山城は梯郭式平山城の手本ともなる城で、津山盆地の中央部に位置します。城の東部を流れる吉井川支流の宮川と、もともとあった丘陵という地形を防御線として活用しています。
津山城を築城した森忠政はというと、もともと森家が織田信長に仕え、美濃国金山城⇒信濃国川中島と転じながら、治水や築城の技術精通していました。
このことから、津山城を築城する際には、吉井川の流れを治水技術で変えることにより、向かいの山から資材を水上運搬できるようにしたといいます。
津山城は津山駅からは、吉野川を渡り、1kmくらいのところにあります。
天守はというと、破風を持たない独立型層塔形式で、小倉城の天守を模して造られたともいわれいます。後でも触れますが、明治6年(1873年)の廃城令により、建物は取り壊され、現在は天守台のみが残っており、鶴山公園(かくざんこうえん)として桜の名所として日本さくら名所100選にも選ばれています。築城当時一番大きな櫓であった備中櫓が2005年に復元されています。
ま、それはそうとして、津山城のなりたちを振り返ってみましょう。
津山城は、もともと室町時代に美作国の守護大名であった山名教清が、鶴山城を築かせたのが最初です。これは後の応仁の乱で廃城となります。
その後、江戸時代に入り、外様大名の森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩。同年、津山城の建設に着手し、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めました。
それから13年の歳月をかけ、5層の天守、77の櫓が並ぶ大規模な近世城郭が完成します。
その設計は、守りに徹せられた建築様式で、のちに平山城の手本となったとも言われています。
その後、外様であった森家はお家断絶となり、 元禄11年(1698年) 松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封し、以降明治4年(1871年)の廃藩置県まで城主となりました。
その後、明治6年(1873年)の廃城令で大蔵省管理となり競売され、1,000円という破格の値段で民間へ譲渡されます。その後、天守・櫓などの建物が悉く破却されるとともに、外側の城壁が崩され、建材などに利用されるなど、城内は大
きく荒廃します。
廃城令の対象となったのは、海沿いの姫路城等とは違い、山がちな津山は軍事上重要でないと軍部に判断されたという話もあります。
一方で、建物が積極的に壊されたのは、疎開先として多くの人々が移り住んでいた津山が、津山城があるために、空襲の標的となりえるのではないかと危惧されたため、とも言われています。なんとも皮肉な話です。
明治23年(1890年)腰巻櫓跡石垣が崩落、これを契機に城の保存運動が起こり、当時の津山町が津山城を買い戻し、保存整備・桜が植樹されました。現在は、その崩落地点は菜の花が咲き乱れるなど、美しい情景を生み出しています
又、桜が今のようにまでなったのは、今から約100年前のこと。桜も最近弱ってきており、昨今の台風等で、桜の本数は随分減っているのが現状です。
実は、私が津山城を訪れ、城壁や花々に見入っていると、85歳になる地元のご夫婦に話しかけられ、上に書いたような話を1時間近く丁寧に説明していただいたのでした。
「廃城令を愚直に守らず、あと3年ほおっておけば、歴史上の経緯からも、あの壮大な津山城はそのまま残っていたに違いない。建物のない今ですら、こんなに綺麗に城壁がのこっている平山城は、全国どこを見ても珍しいんです。城主の森氏といい、津山城と言い、なんとも物悲しい運命をたどっているんですよ。とても残念です。」
と、話して下さったことがとても印象的でした。
Wikipediaには、松平国忠氏が撮影した、津山城が載っていますが、これを事前に見ていた私は、なんとも物哀しい気持ちになったのです。
今日は、とても楽しい旅ができました。本当にありがとうございました。
ちなみに、この他に衆楽園という庭園にも行ってきたのです。なかなか綺麗な公園でした。アオサギがいたのですが、これがまた50cmくらいまで近づいても逃げないのです。これがまた印象的な公園だったのです。
☆鉄分☆
行きは津山線、帰りは姫新線で帰りました。
津山線はキハ40系47形の快速ことぶきに乗車しました。津山線は、最高速度95キロで、かつ設備更新やダイヤの組み換えで高速化されており、なかなか快適な移動が楽しめます。
一方姫新線は、智頭急行に乗客を奪われるなどで地域輸送が主な役割。20キロ・25キロ規制区間が存在するなど、ローカル感は否めないですが、一方で、専用のキハ127系が導入されているほか、都市部では高速化工事が施されるなど、利便性が向上しています。
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