2005年04月30日

新本格魔法少女りすか(西尾維新)

目的を持って生きる、ということは素晴らしいことだと思う。大抵の人は、少し先の未来すら見通せず、何が起こるかばかり考えて何も起こそうとはせず、なんとかなるだろうとう楽観にあぐらをかいて過ぎ去った日々を評価していこうとする。もちろん僕だって、そういう、一般的でありながらダメな人間の一人である。
目的を持って生きている人は素晴らしい。
しかし、
それが、
目的を持って生きる「小学生」となると、
しかも、
世界を手に入れたい、という、
漠然としているが果てしなく大きな目的を、
まさに実現させようと、
その目的のためだけに、
生きているというよりもむしろ、
存在していると言ってしまえる、
そんな、
僅か、
10歳の児童、
供儀創貴という児童の存在は、
少し、異様だ。
彼は、小学生とは思えないほど達観しており、大人子供を問わず他人を見下し、自らの能力を客観的に過信し、目的のために手段を選ばず、使える駒を手中にしていく。
どこをどうひっくり返してみても、
小学生には思えない。
時折挿入されるイラストを見て、
そういえばこいつは小学生だった、と認識させられるのだ(ちなみに、イラストは、西村キヌという、僕は知らないけど、CAPCOM所属の、ゲーム業界ではあまりにも有名なイラストレーターらしい。確かに、「ストリートファイター」の名前ぐらいは、僕も知っている)。
魔法の存在を信じるだろうか、なんて、
あまりにも馬鹿げた質問に、
しかし敢えて考えをめぐらせてほしいものだが、
僕は、
存在の是非は別として、
あってもいいだろう、ぐらいには思っている。
さて、本作は、
そんな空想妄想妄言とも言える「魔法」を設定に組み込んだ連作短編集だ。というわけで、まずは設定から説明しようと思う。
舞台は滋賀県。そこに、小学生をやっている供儀創貴と、登校拒否児と認識されている、水倉りすかという「魔法使い」がいる。二人はある時から手を組み、お互いを助け合いながら、お互いの目的を達成しようと日々努力している。
この世界では、「長崎県」は「魔法の国」である。そこは、「城門」に遮られ、「内」と「外」との交流ははかばかしい。「長崎県」は「魔法使いの住む国」であり、そこには種々雑多、数多の魔法使いがいる。
その中でも、神とも悪魔とも言われる、別格中の別格の魔法使い、水倉神檎。その娘として生まれ、その「血液」の中に「魔法陣」を組み込まれた、創貴と同い年にして「赤い時の魔女」と呼ばれる天才魔法使い。
彼女の魔法は、簡単に言えば「時間の省略」。例外はあるものの、基本的には、自分の時間だけを、未来に向けて好きなように省略することができる。では一体何ができるかといえば、例えば時空の移動(テレポーテーション)や、傷をすぐに治したり、とそういったことができる魔法だ。
りすかは、赤い髪、赤い目、着ているものも真っ赤という少女(なんとも「赤い請負人」を連想させるが)。カッターナイフをかちかちとやり、右手に手錠をつけ、「魔法の国」ならではの、多少文法のおかしい喋り方をする。風車を象ったコーヒーショップの二階に住んでいる。
さて一方の創貴と言えば、先にも言ったように、世界を手に入れるために、自分の都合のいい「駒」を手に入れる、という目的と手段を保有している。そのためにりすかとともにいる。りすかといれば、他の魔法使いにも出会いやすいし、何より、最強というにも格が違いすぎるありえない存在であるりすかの父神檎すら「駒」にできないか、と考えている節がある。
この二人が、それぞれの目的に沿って、つまり神檎や魔法使い絡みの事件に首を突っ込んでいく、と言う物語だ。
まず、魔法についての明確な設定がいい。ただテレポーテーションができる、というのではなく、何故それができるのか、という理屈が先にある。どの魔法についてもそうで、だから弱点や隙や、そういったものも存在するし、異界ではあるけれど、でも理解できるステージを作り出せているように思う。
つまり言ってしまえば、魔法を使って戦う物語、ということだけど、それだけにとどまらないところがいい。
そしてもちろん、創貴とりすかの設定がいい。創貴の思想や考え方には、さすがに行き過ぎの感を覚えるけれど、それでも、大筋賛同できなくもない。もちろん、それが10歳の小学生から繰り出されるという違和感は付きまとうけれど。
そしてりすか。「魔法」と「父親」という、本作でもかなりの部分を担うテーマを一手に請け負うこの存在は、しかし言ってしまえばただの小学生、少女だ。創貴のように割り切れもしないし、それでも創貴を信頼している。どうしようもなく魔女でありながら、どうしようもなく人間で、どうしようもなく少女。その混じり具合が、なかなかいい。
まあ、というわけで、それぞれの物語を簡単に説明しよう。

「やさしい魔法はつかえない。」
ホームで電車待ちをしている創貴の目の前で、突然四人の人間が、息を揃えたかのようにホームに飛び出し、電車に轢かれた。ありえない現象に、魔法の力を感じ取った創貴は、りすかに話をする。呪文の詠唱を必要とせず、本人がその場にいる必要のない「魔方陣」とは違い、本人がその場にいて呪文を詠唱しなくてはいけない「魔法式」が描かれていたことから、リスカが導き出す結論は…

この作品は、魔法についての説明や、創貴やリスカの紹介、またパターンに至る取っ掛かりという意味合いがあるはずで、そういう意味では物語本体の密度は薄いような気もしたけれど、その設定だけで充分面白い。

「影あるところに光あれ。」
唐突に宣告される犯人の名前。
創貴が、学校で唯一と言っていいほど一目置いていた在賀織絵という少女が誘拐された。それだけではなんでもないが、犯行当時一緒にいたという妹の証言から創貴は魔法の介入を悟る。曰く、「身動きがまったく取れなくなり」「でも口だけは動いた」「安全ピンのような赤い服装だった」。そうした情報からリスカはすぐに、「魔法の国」である「長崎県」でも少女を誘拐していた、リスカよりも力が強い「魔法使い」である影谷蛇之の名を出した。彼の持つ魔法に、正面きって挑む二人…

設定である、論理的な魔法の性質が、見事に活かされている作品です。読んだことはないけど、「ジョジョ」がきっとこんな感じではないか、と勝手に思いました。

「不幸中の幸い。」
りすかに連絡がつかなくなってしばらく。影谷との戦闘以来だ。気になってコーヒーショップに赴く彼はそこで、手首に巻かれた包帯が特徴的な男に出会う。一方的に、彼の持つ非常に特殊な魔法に翻弄されながら、とにかく自分にとって必要な勝利のためだけに、男との戦闘(この表現は正しくはないが)に持てる限りの力を注ぎ込む創貴…

面白いです。魔法の設定がやはりいい。<戯言シリーズ>のように、やはり二人の過去については断片的に少しずつしか明かされていかないからそれが多少もどかしいけど、ここまで読んでみて、この二人の続きの物語を読んでみたいと、切に思いました。

恐らくは、前出の西村キヌという人が書いたのだろう、これまたどう見ても小学生には見えない二人の表紙を目印に(そんなものを目印にする必要はないが)、是非読んでみてください。

西尾維新「新本格魔法少女りすか」


新本格魔法少女りすかノベルス

新本格魔法少女りすか
 

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