いい話を書く。
物語に出てくる人物は、大抵皆弱かったり人見知りだったりする。これは、乙一の作品全般について言えることで(例外はGOTHか?)、きっと著者自身がそういう人物なのだろう。
登場人物がそうだから、基本、話は湿っぽく、暗く、そして悲しいものになる。淡々とした文章が、その効果に拍車を掛ける。全てを拒絶し、世界を否定し、存在を嘆く彼ら。その彼らの物語は、しかしどこか童話的で、深海に生きる魚のような、北極で解けずに残っている氷の塊のような、そんな危うげでささやかな希望を与えてくれるような気がする。
光を与えられながら、
光から目をそらしたり、
存在を許されているのに、
存在を否定したり、
逃避する世界を与えられながら、
逃避からすらも逃避したり。
そんな、
罪も穢れもしっかりと存在する世の中で、
汚濁や掃き溜めに紛れながら、
ささやかにひそやかに生きている誰かの、
静かで愛しい物語です。
本作は、「焼き直し」という性格の強い作品です。著者はデビューからしばらく、俗に「ライトノベル」と呼ばれる分野で小説を発表していました。
ただ、僕もそうですが、あらゆるジャンルの本を読んでいながら、ライトノベルは避ける、という人がやはり多くいます。
著者自身、ライトノベルは好きなようですが、そんな風潮に負けを認め、今回、「普通の読者向け」に、今までライトノベルとして発表してきた作品を集め、書き下ろしの作品を一作加えて、本にまとめたものです。
つまり、乙一の初期の作品を集めた短編集だ、ということです。
言葉を継ぐ必要もないくらい、どの作品もいいです。痛みや絶望を抱えたなかでも、何か希望が見える物語。「失はれた」何かを取り戻せるのはないか、という錯覚を抱けるのではないかと思います。
それでは、それぞれの短編を紹介しようと思います。
「Calling You」
人との付き合いがうまくできない女子高生の主人公。彼女は、高校で唯一ではないかと思える、携帯電話を持っていない存在だった。誰からも電話もメールも来なかったらどうしよう。そんな不安から、携帯電話を持てないでいる。
それでも憧れはあるもので、想像で自分の携帯電話というものを想像してみる。いつしかその想像の携帯電話は、視界に常に見えるまでになっていた。
そしてある日、その想像で作り上げたはずの携帯電話が、鳴った。
同じく想像で携帯電話を持っているという男性との、誰にも知れることのない会話が始まる。今までにありえなかった楽しい時を彼女は過ごすが…
設定だけでも素晴らしいと思います。かなり好きな作品です。想像上の携帯電話。少しだけ魅力的に思えてしまうのは、僕だけでしょうか?
「失はれる物語」
交通事故で、右腕の肘から下の触覚以外の全ての感覚を失った主人公。最近喧嘩ばかりだった、ピアニストにもなれたはずの腕前を持ちながら、結婚前は音楽の先生をやっていた妻が、毎日見舞いにきてくれる。
彼は、右手の指一本だけを動かすことができた。妻は彼の皮膚感覚が残っている部分に文字を書く。指を一回動かせばYES、二回ならNO。それだけを取り決めて、二人の、言葉も音もない会話が続いた。
その内、妻は彼の腕を鍵盤に見立てて、音楽を演奏し始めた。毎日、見舞いの度に彼女は演奏をするようになった。
彼女の幸せを奪ってしまっているのだろう…そう考えるに至っても何もできない彼。長い年月が過ぎても変わることのない日々に、変化が訪れる時…
「右肘の下しか皮膚感覚がない男」という、聴覚も視覚もない主人公という制約のなかでも、乙一はやってくれます。僕だって、きっと同じことをするだろう、とそう思います。
「傷」
暴力的な指向のために、特殊学校に移されることになった主人公。そこで、アサトに出会う。彼はその内、アサトの特殊な能力に気づく。
人の傷を自らに移すことができる、という能力。
アサトは、人が傷ついているのを見て、放っておけない性格だった。いつしか溜め込んでしまうその傷を、主人公の彼は、死の病におかされた自分の父親に移してしまうことをアサトに提案する。
そうして、他人の傷を小さな体に背負い、主人公の父親に移すという生活の中、彼が気づいてしまった真実とは…
乙一自身はこの作品をあまりよく評価していないようですが、そんなことはないと思います。アサトの優しさに、君はもう許されてもいいんだ、と声を掛けてあげたくなります。
「手を握る泥棒の物語」
自らデザインした時計を世に出したい。そのためにはもう少しだけ資金がいる―二人でデザイン事務所を切り盛りしている主人公は、社長であるパートナーにそう言われ、少し前に旅館であった、彼の叔母の、宝石やら現金やらの入ったバッグのことを思い出す。薄い壁の設えられた引き出しにしまわれるのをみていた彼は、外から穴を開けて盗んでしまえるだろう、とそう思った。
穴を開けるまでは順調だった。腕をギリギリ通せるだけ開けたその穴に手を差し入れた時、偶然その引き出しに手を入れていた女性の手に触れてしまい、慌ててその手を掴んだ。その引き出しには、自らがデザインし、未だ世界でたった一つしかない時計を落としてしまっていた。女の手を離せば人を呼ばれ時計を探す時間はないかもしれない。しかし、穴は自らの腕で塞がれていて、時計を取ることはできない。
そうして、女の手を掴んだまま膠着する泥棒の物語。
もう、その設定の状況を想像するだけで楽しい。かなり好きだ。終わり方も見事だと思う。映像にもなったようで(話はかなり変わっているらしいけど)、ちょっと見てみたいきもする。
「しあわせは猫のかたち」
実家から離れるように遠くの大学を受験し、一人暮らしをすることになった主人公。叔父が所有する空家を借りることになったが、家具など一式揃っていた。叔父曰く、前に貸していた人がいなくなってしまって、そのままになっているらしい。世界の全てを拒絶するようにひっそりと暮らしていこうと決意した彼の生活に思わぬ齟齬が生じ始める。
何もないはずの空間に体を寄せる猫。朝になると開け放たれている窓。消したはずのテレビが何故かついている。
そこに、誰かの存在を確信した彼が到達する悲しい真相とは…
乙一は、本作と「Calling You」と「暗いところで待ち合わせ」を三部作として捉えているようだ。重要な作品らしい。僕も、本作を含めその三作はどれも素晴らしいと思う。同じようなテーマで作品を書くことを禁じたらしいが、こういう作品を是非読んでみたいと思う。
「マリアの指」
どこにいても、別格として扱われていたマリアという少女。何かすれば振り向かざる負えないその存在に対して、畏怖したり崇めたりする、それほどの存在だった。
その彼女が、大学生だった彼女が、電車に轢かればらばらになった。
線路沿いに家がある主人公の少年は、まるでマリアが目を掛けていた猫が持ってきたかのように、マリアの指を見つけた。学校でホルマリンの詰まったビンを盗み出し、彼はその指を保存した。
大学で同じ研究室だった男が、夜な夜な線路付近で指を捜していることを知る。彼にはどうしてもその指を見つけなくてはいけない理由があった。主人公は、自分が指を持っていることを言い出すことができないまま、彼の指探しに付き合った。
そして辿り着く、あまりに悲しい結末とは…
マリアの死の謎を解く、というミステリーでありながら、ミステリー色は薄い。乙一の作品全般でそんな印象がある。マリアという女性の設定はマンガのようだが、主人公が指を持ち続けるところや、研究室の男が指を捜し続けるあたり、そしてそれらを繋ぐ悲しい理由が、見事です。
楽譜をあしらった装丁も美しい作品です。ライトノベルという媒体で発表されたのがきっと間違いだっただろう、素晴らしい作品です(ライトノベルが悪いとは決して言わないけど)。是非読んでみてください。
乙一「失はれる物語」

失はれる物語ハード