内容に入ろうと思います。
本書は、Ai(オートプシーイメージング 死亡時画像診断)を推し進めようと活動している小説家でもある海堂尊が、Aiのトップランナーたちと共著で、現在のAi周辺事情やAiに至る歴史などについて書かれている作品です。版元もレーベルも「死因不明社会」と同じなので、副題として「死因不明社会2」とついているわけですが、基本的に「死因不明社会」を読んでいなくても内容の理解の妨げにはならないと思います。前著「死因不明社会」では、海堂尊の小説内キャラクターなんかも出てきてかなり読みやすい形に編集されていましたけど、本書はどちらかというと報告書と呼ぶに相応しい内容で、全体的にちょっと堅苦しいところはあります。個人的には、Aiについて、かなり深いところまで知りたい、という人には本書が向いていると思いますが、Aiについてざっくりしたところを知りたいという人には前著「死因不明社会」が向いているのではないかと思います。
本書は6つの章に分かれており、それぞれ別々の著者によって書かれています。
海堂尊「Aiの概念」
この章は、前著「死因不明社会」の大まかな要約、と言ってもいい章で、Aiについて、何故それが必要なのか、どんな利点があるのか、解剖とどう違うのか、現在どれだけの広がりをみせているのか、Ai有線主義者が目指すべきところ着地点はどこなのか、というようなことについて分かりやすく概要が書かれています。
簡単にAiについて書いておきましょう。現在日本では、死因を判定するための正式な方法は解剖しかありません。しかし日本における解剖の実施率は3%以下、ほとんどは検案(死体表面の観察)によって死因が決められている。だからこそ、死因が判明しないケースも多く、また犯罪などの見逃しも多い。
解剖がほとんど行われない理由は、時間とお金とマンパワーが必要なことだ。解剖には半日掛かり、結果が分かるまでに10ヶ月ほど掛かる。国は解剖に対する費用を拠出しないので、解剖はすべて病院の持ちだしで行われることになる。また、解剖が行える法医学者は少ない。
これらの状況を改善するのがAiだ。Aiとは、死体をCTスキャンやMRIで撮影することだ。これによって、解剖しなくても死因が判明するケースがあり、また解剖が必要かどうかの判断も可能になる。時間もさほど掛からず、また日本は世界にある画像診断機の三分の一を保有する画像診断機大国であり、Ai推進派による活動のお陰で、放射線技師たちの協力も徐々に得られつつある。既にインフラは確立していると言っていいし、実際Aiは多くの病院で既に行われている。
では一体なのが問題なのか。
Aiの問題点は、『検査費用が拠出されていない』の一点に集約される。これ以外の問題はほぼない、と言っていいようだ。インフラも整っているし、人員も確保されている。既にAiに関する様々な新技術も開発され、日本のAiの現状が海外の学会で報告され注目を浴びたりもしている。
しかし、国は予算をつけない。予算がつかないままなし崩し的にAiが導入されてしまうと、放射線科医がただ働きさせられることに医療崩壊してしまう。
Aiが、きちんとした最も有効な社会導入をされるように、Ai推進派は活動しているのである。
塩谷清司「Aiの歴史」
ここでは、X線の発見から始まり、大規模災害におけるX線利用やミイラのCTなど、Aiに至るまでの様々な画像診断に関わるエピソードを集めている。
僕が一番興味を惹かれたのは、ビートルズの話だ。EMIに所属していたビートルズの記録的なレコードの売上を、同社の電機部門はCT開発に投入し、1972年に最初の商業的CTを発表したらしいです。ビートルズと画像診断の歴史が重なるというのは面白いと思いました。
山本正二「Aiと医療」
この章では、実際のAiの運用に関わる、結構専門的な話が展開されます。Aiを実行する上での注意点や、実際に撮影されたAiの画像を載せて読影についてのあれこれが書かれていたりします。全国のAiセンターに関する記述もあります。
飯野守男「Aiと捜査」
法医学者である著者による章で、ここも、実際に撮影された画像を載せながら、Aiの実際的な運用についての話が多くなっています。また、日本の解剖の複雑な現状と、オーストラリアで行われている「コロナー」という仕組みの比較についてはなかなか面白かったです。オーストラリアには「コロナー」と呼ばれる死因究明官がいて、そのコロナーが警察に捜査を指示したり、医師に解剖実施を命令したり、検死審問を専用法廷で開いたりする、なかなか広い権限を持った役職の人がいるようです。
高野英行「Aiと司法」
この章では、主に医療事故とAiとの関わり合いについて触れられています。ちょっと前に、医師が業務上過失致死で逮捕されるケースが相次ぎました。医療関係者を戦々恐々とさせたこれらの流れは、医療者と患者双方にとって結果的によくない状況をもたらすことになる。Aiが日常的に行われるようになれば、医療事故であるのかどうかの確定もしやすくなり、また患者や遺族との対話もしやすくなるはずだ、というような話。
長谷川剛「Aiと倫理」
ちょっとこの章は飛ばし読みしてしまったなぁ。なんというか、『死』に関しての哲学的な話が展開されます。
というような話です。
さっきも書いたけど、個人的な印象で言えば、Aiについて基本的なことを知りたい、という人には、前著「死因不明社会」をオススメします。本書は全体的に、かなり専門的な部分に踏み込んだ内容が多くて、どちらかというと、多少なりとも医療に関わっている人向けなのかな、と感じました。冒頭で海堂尊が、『本書の目標は、国がAiの費用を拠出するよう、市民の理解を得ることだ』と書いているのだけど、恐らく海堂尊としては、本書を出版することで、前著「死因不明社会」がまた注目されることを狙っているのだろう、と思います。僕は、内容的には絶対前著「死因不明社会」の方が『市民の理解を得る』という目的には相応しいと思うんで、本書は本書である程度以上の知識のある医療関係者向けにアピールしつつ、「死因不明社会2」と銘打つことで、前著「死因不明社会」に注目が集まれば、というような目論見なのではないかと思います。
ただ、全部が全部ではないにせよ、僕みたいな医療的な知識がない人間でももちろん興味を持てる部分はあります。色んな人に執筆をお願いしていることもあって、その辺りのバランスの調整をすべての章についてやるのはきっと難しかったんだろうなという気はします。ただ、例えば実際のAiの画像と共に読影の仕方について触れているような部分は、少なくとも今の僕には無関係だけど、例えば身内の誰かが死んだり、あるいは裁判員に選ばれたりしたら、そういう画像を見るような機会はあるかもしれないわけです。そういう意味では、今必要な知識ではないけれども、読んでおいて損はない、という情報が多い、というだけのことなのかもしれません。
しかし、前著「死因不明社会」を読んだ時も不思議で仕方ありませんでしたけど、一体どうして国は、Aiに予算をつけないんでしょうね。不思議で仕方ありません。もちろん本書は、Ai推進派による作品なわけで、もしかしたらAiの良い部分が誇張して描かれている可能性も考えなくてはいけないかもしれません。でも、普通に考えて、Aiに予算が下りない理由がさっぱり理解できないほど、Aiは優れていると思います。まあきっと、解剖至上主義者たちの既得権益とか、放射線科医に主導権を握られたくないとか、官僚たちの何か裏の思惑があるとか、そういう理由だったりするんだろうけど、当たり前の意見が当たり前に通る世の中であって欲しいなぁ、と思ってしまいますね、ホント。
本書は、やっぱりちょっと一般人向けというには内容が専門的すぎるきらいがあると思うんで、強くオススメするのは難しいですが、僕自身はAiは速やかに実施されるべきだと思うし、前著「死因不明社会」はAiについて何も知らない人でも楽しみながらAiについて理解できる良著だと僕は思います。個人的には、まず「死因不明社会」を読んで、さらにその上でAiの現状について知りたい、という方は本書を読むのがいいと思います。
海堂尊「なぜAiが必要なのか 死因不明社会2」