2011年09月05日

少女病(吉川トリコ)

内容に入ろうと思います。
本書は、母親と三姉妹を描いた連作短編集。かつて一世を風靡した少女小説家で、今ではノベライズなんかを時々手がけるだけの母親・織子。父親がいなく、母親の織子が家事一切を放棄する家で、家族の面倒を取り仕切ることで人生の大半を過ごしてきた長女・都。売れない漫画家を恋人に持ち、自身は特に働くでもないまま30歳まで生きてきた次女・司。美しい容姿を持ちながらどうしようもなく普通で、一人だけ年の離れた子供である三女・紫。

「長女・都」
病院に行くと、「少女病」に掛かっていますね、と診断される。少女病?そんな病気あったんだっけ?先生曰く、男と付き合うとすぐに治るらしいんだけど。
これまで男性と付き合ったことがない。というか、男の人は苦手だ。都の中では男というのは少女小説の中の登場人物のようでしかなく、現実の男というのはよくわからないのであった。普通三十も超えれば、みんなそういうことは普通に分かるものなのかしら?
ぎっくり腰をやって、たまたま行った治療院で、若い(と言っても自分と同年代)男に触れられ、なんだかその耳障りのいい声に惹かれている自分に気づく。でも、だからって、どうしたらいいんだろう?

「次女・司」
真山のところに行っても、どうにも休まらない。どうも真山はピリピリとしているようだ。うっかりとは近づけない。何かあった?って聞いても、特に答えてくれるわけでもない。でも真山は、司が初めて惚れた男だ。付き合ったことも、セックスしたことも、ないわけじゃない。でもそれまでは、適当にくっついてすぐ分かれるような、そういう恋愛ばかりだった。
周りがどんどん結婚していって、久美子まで結婚するらしい。織子に招待状を隠されていて、返信が欲しいって電話があってそれに気づいた。みぃちゃん(都)も、見合いの日からなんだか変わった。結婚することが女の幸せなんだろうか、本当に。

「三女・紫」
自分がどうしようもなく普通だっていうことには、もうずっと前から気づいている。キレイなのに残念、と言われていることも知っている。自分の容姿に気を遣うことにあまり興味を持てないのだ。
みぃちゃんがお見合いの日以来変わってしまって、なんだか残念。紫は、まだ恋をしたことがない。でも、織子の話を聞いて、なんだかそういうものに強い何かを感じられないでいる。図書館で声を掛けられた丸地のような男はこれまでもたくさんいたけど、なんだかよくわからない。
太郎だけは別だ。
太郎が他の男と違うのは、紫が太郎に会いたいと思っている、ということだ。紫が会いたいと思う時に、何故か太郎はそこにいる。
太郎は、たらしだ。それに気づけない紫ではない。太郎が色んな女性にその笑顔を向けていることも知っている。それでも紫は、太郎のことがずっと気になっている…。

「母・織子」
家事全般を担っていた都が結婚することになって、家を出てしまう都の代わりに、家事をみんなで分担しよう、と言い出したのは紫だ。面倒くさい。それに、学級会みたいに多数決なんて取り出すもんだから、やってられない。
今まで付き合いのなかった出版社の編集者から、自伝風の小説を書いてもらえないか、と依頼がある。確かに織子の人生は、小説に出来るだけのネタに溢れている。それでも、どうにも織子は乗り気になれない。小説を書くことは織子にとって、現実を見ないでいる手段の一つなのだから…。

というような話です。
なかなか面白い作品でした。僕が読みながら連想したのが、江國香織の「思いわずらうことなく愉しく生きよ」です。そっちの内容ははっきりとは覚えていないんだけど、確かそっちも三姉妹の作品だったような記憶があります。しかも本書と同じく、結構トリッキーな三姉妹の。
女って面白いなぁ、と個人的には思ってます(普段僕は、特に文章で書く時は『女性』って単語を使う方が多いんだけど、今回は作品的に『女』って表記の方がしっくりくるんでこっちを使います)。女って、一人でいる時と複数集まった時で全然違う。複数の女が集まることで、なんか男には理解出来ない化学反応が起こるみたいなんですね。だから女は、誰と一緒にいるかで本当に違う姿を見せる。
もちろん女は、男の前でも違った姿を見せるのでしょう。でも、男に見せる面ってのは、ただの一面だと思うんですね。それがどんな男であっても、自分の中の『これが男に見せる面』っていう、ただ一種類の面だけが表に出てくる、というのが僕の印象です。
でも、女同士が集まると違う。意識的なのか無意識的なのかそれは判断できないけど、女はどの女と同じ空間にいるかで、見せる面が全然違う。僕には化学反応としか表現しようのないその変化は、それぞれの個性が強ければ強いほど、余計に大きな変化を見せる。
本書は、そんな個性の強い女同士が同じ空間にいる時、どこでどんな面が現れるのか、そんなカタログのような小説なんじゃないか、と僕は思いました。都・司・紫・織子の組み合わせって11通りあるんだけど(場合の数とか苦手なんだけど合ってるよなぁ)、その11通りそれぞれについて、誰がどんな面を見せるのか。くるくると変わる万華鏡のように移ろうその姿がめまぐるしく描かれているような感じがあって、やっぱりどうしても男の僕には追いつけない部分があるものの、なかなか面白いなぁ、と思いました。
個人的に一番惹かれるのは紫ですね。物凄く整った容姿なのに、図書館に部屋着同然の格好で行き、首に新聞社のロゴが入ったタオルを掛けている、とかマジ最高過ぎますね。そういう、自分がどう見られるのか自覚的でありながらそれを自分の中で無視出来るっていうのは、僕は強く惹かれるんでありますなぁ。
都もなかなかいいですね。恋をしたことがない、男がどういう存在かっていうのは少女小説からのイメージしかない、っていうのはちょっと恐ろしい気もするんだけど(笑)、その状況を特別焦るわけでもなく(まあ、家族の世話があるから、という都なりに強い言い訳があったから焦らずにいられた、ということかもしれないけど)、ゆるりと過ごしているのもいいですね。僕は本作中で一番好きな場面は、紫の章で描かれていた『みぃちゃん、あたし今日徹夜なの』ってシーンなんだけど、あの場面での紫と都は良かったなぁ。
司については、あまり強く何かを感じられる対象ではないんだけど、司の章の冒頭で書かれている、司が編集者に迸出したマンガのネームのうだうだした文章が凄く好きですね。『なんでしあわせになんなきゃいけないの?』っていうのは、僕もホントそうだよなぁ、といつも思っています。『しあわせじゃなきゃ人間じゃないって必死すぎ。悪いけど、ぜんぜんしあわせそうに見えないよあんたたち。』うんうん、その通りだと思うんだよなぁ。
母親の織子については、ちょっとなんともいえないのだけど、まあ織子の存在があったからこそ、これほどまでに謎めいた空間(三姉妹+母親が住む城)が生まれたのだなぁと思うと、まあそれだけで充分かな、という気はします。織子についてじゃ、最後の方に出てきたこのフレーズ、
『でもしょうがないじゃないか、とも思うのだった。居直るわけじゃなけど、最初からなんでもうまくできる人間などいないように、母になるのも妻になるのも――それどころか生きるのも女をやるのも、私たち、これがはじめてなんだもの。うまくできなくてあたりまえなのだ。』
って言い訳は、僕も常に使いたいなぁと思っているところなのでありました。
やっぱりどうしても女性向けの作品だろうとは思います。冒頭の都の章の初めがチェックシートになっていて、それに当てはまると少女病なんだそうですよ。まあ、みんながみんな大人になる必要もないんじゃないかなと、昔から思っていたようなことを再確認出来た作品だなという感じがします。女性のみなさん、是非読んでみてください。


 

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