僕もある。僕の場合は、主観的に言えばかなり切実だったし、今となってはその本気度を思い出すことは難しいけれど、実際に行動に移そうと決意し、あと一歩足を前に出せばそこから落ちることができる、という状況で、目をつぶってみたりもした。
怖かった。
自分の足元の不安定さを膝の震えから知り、視界が真っ暗になったとたん、全身が前後に動いているような錯覚を味わった。動いているはずはないのに、恐怖から、そこから逃げたいから、動いていると錯覚し、危険であることを伝えようとする。
自分を繋ぎとめたものが一体なんだったのか。それはよくわかっている。
死んだらあいつに会えなくなるな。
そう思える友達がいた。それが俺にとって、他でもなく、ただ一つの糸だった。生きていれば、死ぬまでは会える。そう思わせてくれる友達がいたことが、僕の人生の中の、一番の幸運なのかもしれないと思う。
知っている人が自殺したら…それがクラスメイトだとしたら…
その死になんらかの形で関わっている、と自分を責めてしまうかもしれない。何かできたはずだ、と後悔するだろう。ただ止まってしまった時間を振り返ることで、その死を刻み込み忘れないことで、それが唯一の贖罪になると信じて、生きていくのかもしれない。
それはきっと、辛いだろう。どこかに逃げ出したくなるほど。逃げて逃げて逃げて。できれば…
忘れてしまいたいほどに。
この物語を紹介する上で必要な話を書こうと思う。実際にあった出来事なのか、それは判然としないけど、本作の中で取り上げられている怪奇現象の話だ。
どこか外国で、飛行機が乗客を乗せたままフライト中に行方不明になった。しかしある日ひょっこり空港に戻ってくる。一人の行方不明者を除いて全員無事に。
どこか外国で、トンネルに入ったバスが両サイドの入口が崩落し閉じ込められた。救出にむかってみると、一人を残して他の乗客全員がいなくなっていた。しかし、しばらくして全員が戻ってきた。
どこかの学者がこういう事例に対してこういう解釈をした。曰く、「何らかの事情により、ある人物が他の人やものを全て取り込んでしまったのだ」と。
飛行機の方では、飛行機に乗りたくなかった小学生の女の子が他の全員と飛行機を飲み込んだ。バスの方では、一人残った乗客が他の全員を飲み込んだ。
そういうことがあるらしい。
本作は、まさにこの状況に陥った生徒たちの物語だ。
二ヶ月ほど前にクラスメイトを失った面々。雪の降る中いつものように学校に行くも、どうもおかしい。教室に集まった8人以外誰も登校してくる気配がない。教師も誰もいない。外に出ようとするが、一階の出入り口は何故か全て開かない。雪の降りしきる冷たい校舎の中に彼らは閉じ込められる。
理解できない状況の中、一人が見つけた写真。彼らの担任と7人の仲のいい友達の写った写真。
一人足りないんじゃないか?
もしかして、この8人のうちの誰かが自殺してて、その人間の中に取り込まれているんじゃないか?
でも、
誰も、
どうしても、
その、
自殺したクラスメートの名前を、
その名前を、
思い出すことができない。
いつの間にか止まっていた時計。5時53分。クラスメートが自殺した時間だ。その時刻をさしたまま、時計の針とともに時間も止まった。
降り続ける雪。出口のない校舎。動き出さない時間。
彼らは必死で考える。誰が自殺したのか。その名前を思い出そうとする。
動き出した時計の針と共に、
凍っていた時間も動き始め、
あの時刻になるチャイムが、
彼らの前に不幸を運び込む。
何一つわからない状況の中、
過去の出来事と絡み合って、
不安と恐怖が錯綜する中で、
誰もが誰もを守ろうとする。
そんな話です。
素直にいい話だと思った。本作はメフィスト賞受賞作で、つまり新人作家なわけだけど、いい話を書くものだ、と思った。
ストーリー、というかそれぞれのエピソードが、彼ら8人の人間性を厚くするために描かれている。だから、彼ら8人のキャラクターがものすごく深いし、共感もでき、とても繊細に描かれている。
充。周囲から「優しい人」と思われていて、よくからかわれたりしている。でも彼は、「優しい人」だと思われることに違和感を感じる。責任を取りたくないから相手のいうことを聞き、何でも受け入れる。それだけの自分に対するいい評価に戸惑っている。
その気持ちはよくわかる。僕も、わりといい人だという評価をされる(実際にどうかはわからないけど)ことが多いと思うけど、僕だって、責任を負いたくないからという理由で自分の行動を決め、それが結果的に良く映っているに過ぎない。
清水。彼らの学年唯一の特待生。成績はいつもトップで、絵もコンクールに出せるほどの腕前。天才だと言われる彼女は、でも孤独を感じている。できる人、という理由で、いつも一歩引いたところから見られることにうんざりしている。優等生でいなくてはいけない、という義務感が彼女を縛りつける。
これもよくわかる。僕も、優等生でいなくてはいけない、という、誰に強制されたわけでもない、でも必然的にそう感じるようになったために勉強をしていた、といっても過言ではない。
梨香。不良のようななりをしているが実は頭はいい。学校は苦手だった彼女は、今の担任である榊に出会ってから変わった。複雑な家庭に育つ彼女は、それでも必死に、何かを探すように、決して縋るわけではなく、見た目以上に真剣に生きている。
外見やしゃべり方とのギャップが大きい。彼女に関するエピソードが出るたびに印象がよくなっていく。
深月。著者とまったく同じ名前を持つこの女の子は、とても弱い。自分が誰かに迷惑を掛けているのではないか、誰かを傷つけているのではないか。そう思ってしまう。何でも自分が悪いと背負ってしまい、あやうく取り返しのつかないところまでいってしまう。
彼女ほどではないと思うが、僕にもこの傾向はある。周りからどう見られているのか、いつも不安で仕方ない。彼女には、本当に彼らのような仲間がいてよかった、とそう思う。
昭彦。誰に対しても同じ調子で、気を遣うでもなく、本当に自然に接することができる。過去の自分に対する後悔を今でも抱え続けている。
実はあんまり印象がないけど、いいやつだったと思う。
景子。さばさばとした、まるで男のような口調で話す。正直ですっきりとした性格で、気持ちがいい。現実的で取り乱すことがなく、常に冷静で頼りになる。
実際にこんな女の子がいたらかっこいいだろうな、とそう思わせてくれる。
鷹野。なんとなく、全体的なリーダー的な存在。頭もよく、しっかりしている。深月の幼馴染で、しかも担任の榊とは従兄弟という関係。いつも冷静に判断し、落ち着き払っている。
たぶん、外側から僕を見たら、もしかしたらこんな風に見えているかも(自惚れすぎかもしれないけど)という感じ。実際の僕は、こんな人間ではないが。
菅原。情に篤く行動力がある。茶髪にピアス、煙草を吸い麻雀をやる、という風貌とは裏腹に、頭もいいし、判断もしっかりしている。人は見かけによらない、を実践しているとしか思えない人格。
このキャラクターが一番好きだ。彼にまつわるエピソードは、かなりいい。うまくは言えないけど、そこに理想の兄の姿を見たり、理想の人間関係を見たり、理想の思い出を見るからだろうと思う。彼の存在が、羨ましく思う。
そして、榊という彼らの担任。この先生もなかなかいかしてる。こんな先生に出会えていたらな、という思いと同時に、こんな教師像が許されるなら、俺も教師になってもいいかな、と一瞬だけ思ったりもする。
出てくるキャラクターが皆いい。素晴らしい。何度も、泣きそうになる。どれも、よくありそうな話といえばそうなのかもしれないし、よくありがちなキャラクターだといえばそうなのかもしれないけど、でも所々なんども目が潤んだ。
「一体誰が自殺をしたのか?」を考える、いわゆる本格ミステリでありながら、物語の大半を、彼らのキャラクターを形作るのに使っている。だから、高校生という、多感で繊細なあの一瞬を見事に切り取った作品だ、とも言える。
あっと驚く真相も用意されています。是非、読んでみてください。
辻村深月「冷たい校舎の時は止まる」

冷たい校舎の時は止まる上

冷たい校舎の時は止まる中

冷たい校舎の時は止まる下