話の説明をするのは、やはりというか当然というか、とにかく無理。言えるのは、坊さんがたくさん死ぬ、ってこと。異様に装飾された死体で発見される坊さん達。あるはずの無い寺から降りられない坊さん達。発見された書庫。修行の科学的分析取材に訪れるいつものメンバー。成長しない小娘”鈴”。13年前の火事。坊さんから殺人を告白される盲目の按摩。そしてなにより・・・
「禅」
「鉄鼠の檻」は「禅」がテーマになっている。解説の人が書いていたけど、この小説を読めば、禅のことはおおまかに理解できる。解説氏によれば、そこらのつまらない専門書よりずっと内容が豊富らしい。それぐらい、もうほとんど禅の話だと言ってもいいくらいの内容。文庫で1300ページ以上あるけど、禅禅禅・・・みたいな。
さしもの京極堂も今回は苦戦する。京極堂の憑き物落しは、言葉を操り相手を翻弄するものだが、禅は言葉を超えたところにある(らしい)。何も言葉で説明することができないし、よしんばしようとしたところですぐに消えてしまうような、禅とはそういう存在らしい。しかし最後は京極堂が締めくくるのだが・・・
これを読んで、少しだけ禅に興味が出てきた。ちょっとだけ面白い。遍く宗教というのは、神秘体験が必要で、それを説明する道具として、宗教(=言葉)を作るのだが、こと禅に関しては、神秘体験を超えた日常に悟りがあるのだという。修行によって神秘体験を感じても(そもそもこの表現は正しくなくて、修行と悟りは同一のものだそうだが)、その神秘体験を跳ね除けて過ごす日常こそが全てである、ということらしい。だから言葉は不要なのだ。そういった禅に関する事柄を、無理を承知で言葉で描く作者の力は凄いものだと思う。
しかし確かに宗教だとか歴史だとかの知識が豊富であればそれなりの小説は書けるのだろうが、京極夏彦の作品はそうしたもの以外、つまり設定だとか登場人物だとか、そういったものが遥かに秀逸だと思う。今回も、どこの資料にも残っていない、つまり「存在するはずの無い寺」である明慧寺そもそもの謎や、そこを存続させようとした者の動機、寺の中の人間関係や寺の外との人間関係、そういったことの設定が素晴らしい。長かったけど、楽しかった。
京極夏彦「鉄鼠の檻」
鉄鼠の檻講談社ノベルス
文庫版 鉄鼠の檻講談社文庫