2005年07月19日

零崎双識の人間試験(西尾維新)

いささか場違いな発言でで、僅かほどの自慢も含まないけれど、僕は人を殺したことなんか一度もない。あくまでそれは、肉体的物理的身体的という話であって、精神的な殺人あるいは破壊ということであれば、そうされた当人はどう判断しているかは不明瞭だけど、僕の認識では経験がないでもない。でもまあとりあえず、そうした認識するにも不明確で、確定するにも不鮮明な殺人あるいは破壊はおいておいて、純粋に、肉塊的な破滅による人間の殺人行為について話しをしようと思う。
日本という国は、まだ比較的まともな法治国家であり、故に、このページを見ている人の中にも、人を殺した経験がある人は少ないだろう、という判断はできる。もちろん、法治国家であるが故に、殺人者を永久に幽閉することは叶わないし、そもそも、発覚しない殺人、犯人の見つからない殺人というのも多数存在するわけで正確なところは不明だが、正しく殺人者というのはマイノリティだろうと思う。
少なくとも、安全で快適で悪くない状況に僕たちはいる。
殺し屋、という言葉は、印象として仕事で人を殺す人を指しているように思うけど、そういう人は厳密にいないとは言い切れないだろう。これだけの人がひしめいていていれば、消滅して欲しい個人などそこら中にいるだろうし、需要があればどこからともなく供給というのは発生するのが資本主義社会の基本である。
まあそこまではいい。
けれど、生粋の殺人狂あるいは殺人鬼となると、もはやリアリティを持って現実に存在することはないだろう。
もちろん、突発的に殺人狂や殺人鬼になる人はいるだろう。よくわからない不安定な理由で人を殺し、人を恐怖させる存在。しかしそうした存在も、この世界では、囚われ裁かれ罰せられる。戦争やテロでもない限り、個人が一生で数十人も人を殺す、なんてのは難しい。
しかしもしも、殺人狂として殺人鬼として生まれてしまったら、それは一体どう処理すればいいのだろうか?
存在として人を殺す、という概念はなかなか想像しにくい。生きている限り人を殺したくなるという感情は理解に難しい。
そもそも、人を殺すということは一体どういうことだろうか?
何故人を殺してはいけないのか?というどうしようもなくくだらない質問がある。少なくとも僕の中での答えは、「そういうルールを人間が作ったから」というものであり、ただの多数決でしかない。本質的に概念的に人を殺してはいけない、ということは決してないはずだ。
それは、神様はいるか?という質問と同じで、いると決めたのが宗教であり、いないと決めたのが科学である。どちらが正しいとか、善悪の基準とか、そうしたものとは一切無関係に、決められたことであるからというだけの理由でしかない。
人を殺すということは、結局何でもないことだ。ただの行為であり、好意ではないにしろ、悪意ですらない。そこに理由や理屈を見出そうとするのは、あくまで殺人がしてはいけないと決められたことだからであり、そうでなければ結局、人を殺すなんてことは普通で自然なことでしかない、と僕は思う。
本作は、戦闘と流血に彩られた物語である。殺人鬼と殺人狂と殺し屋が、そこまでも殺しあう物語である。
「欠陥製品」に「人間失格」と評される、零崎一賊の極端にして生まれながらの零崎である零崎人識。その兄であり、「自殺志願」という名の鋏状の凶器を武器とする「二十人目の地獄」零崎双識。兄である双識が、弟である人識を探している。状況はそうした単純明快な言葉で省略できるものである。
一方で、目の前にクラスメイトの死体が転がっていて震える無桐伊織。正当防衛とはいえ、見事な手際でやったこともない殺人をやってのけてしまった彼女は、しかし大した緊迫感も持てないまま、さて警察に自首したほうがいいだろうか、ととりあえず考えている。
双識と伊織は、まさにその殺人の現場で邂逅する。
零崎の誕生を目にし、稀代の殺人鬼になると予測される伊織に対し双識はいくつかの忠告らしきことを言うが、伊織の認識は当然普通の高校生というものであったし、双識の言葉へ理解ができない。一悶着あって伊織が逃走に成功すると、見届けていたように「人形」達が現れ、双識にもはっきりとはわからないものの不信感を感じ取ることができるようになる。そう、そこには、「匂宮」の分家である「早蕨」の影が付きまとう。
双識は三つの課題、つまり、
弟探し。
伊織の保護。
早蕨の始末。
という課題を抱えながら、とにかくあらゆる戦闘を繰り返す。
様々なことが時間と共に一点に収束されていき、多く流された血と共に、閉塞されていく…
という物語です。
「零崎双識の人間試験」というタイトル通り、本作は双識があらゆる人間に対し試験と称する見極めをし、合格不合格を判断する物語でもあります。
双識というのは、零崎一賊にあって、人識には及ばないまでもかなりの異端であり、殺人鬼にして平和博愛主義であり、自らの死を望むような、変わった人間です。合格不合格の基準は多少よくわかりませんが、わかりやすい基準なんか、物事の見極めの出来ない阿呆のために用意されたシステムなわけで、そんなものは不必要です。
何故人間を試験するのか、合格不合格を決して何をするのかも不明ですが、とにかくそういう物語です。
とりあえず、登場人物のほぼ全てが、殺人鬼か殺人狂か殺し屋です。一人として、普通あるいはまともな人間は出てきません。
それでも、それぞれ人を殺すことに対する主義というのか考え方が違います。画一化されない思想がいくつかの派閥を生み、勢力の均衡を一応保って世界が安定している、そういう世界です。
双識も人識も伊織も刃渡も薙真も請負人も決して悪い人ではありません。存在自体が悪かもしれないけれど、総体で悪人ではないという感じです。それぞれにいろいろあり、様々あって彼等が存在するわけで、善悪など簡単に決められない、というだけのことかもしれないけれど、殺人鬼で殺人狂で殺し屋なのに、僕はそれぞれの人が大体好きです。つまり、人を殺そうが殺すまいが、結局本質的に何も違いはない、ということではないでしょうか?
僕らの日常生活には割りと無関係だけど、血が流されることや、人が殺されることや、人を殺すことなんかが一体どういうことなのか、を考える機会にはなると思います。僕たちが今まで人を殺さないでこれたのは、たまたま殺すような機会がなかっただけであって、人は等しく誰もが殺人狂なのかもしれない、というのもまた仮説です。もし自分が殺人狂になったときのために(?)、まあそんな心積もりをするつもりがなくても、是非読んでみてください。

西尾維新「零崎双識の人間試験」


零崎双識の人間試験ノベルス

零崎双識の人間試験ノベルス
 

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