いい作品だよな、って。
なんの掛け値もなくそう思える自分がいて、なんだか嬉しい。
老後、という言葉の持つ響きは、やっぱりあんまり好きじゃない。
定年、という言葉のとげとげしさも、余生、という言葉のよそよそしさも、どうにも心地いいものではない。少なくとも今は。
なんといったって、今の僕には、そんな言葉で表されるような時代を、全然まったく想像できないのだから。
今の僕は、まったくサラリーマンじゃなくて、まあただのフリーターなわけで、定年というものはそもそもないし、もし天文学的な確率で作家になれたとしても、それは変わらない。
それでも、このまま何事もなく生きていれば、やがて老後はやってくるし、余生を過ごさなければいけなくなるときが、それがどんな状況であれ、やってくることだろう。今はその足音が小さすぎて、近づいていることに気付けていないだけだ。ゴジラのように、巨大な足音を立てて近づいてきてくれれば、まだ覚悟もできるだろうに…なんて。
僕は、まだ、なんて言葉をつけても全然違和感のない年齢だ。22歳。人生80年としても(最も僕はそんなに長く生きているつもりなんてないんだけど)、まだ4分の1しか過ごしていない。
親だって、よくは知らないけど、まだ老後と呼ばれるような世代じゃない。不肖な息子で、親の年齢すら満足に言えないけど、それでも、まだ定年までには猶予があったはずだ。
おじいちゃんやおばあちゃんの姿は、そう多くないにしても目にしてきた。まだ両親のその両親4人とも健在である。最近はめっきり顔を出さなくなったけど、やっぱちょっとぐらい顔を出したほうがいいのかな、なんて珍しくそんな殊勝なことを考えてもみた。
家族っていうのは、やっぱり難しい。
きっと恐らく大多数の人が、望んで家族をもうけようとするのだろうけど、でも自分の思い通りに家庭や人生が進むことなんか、やっぱない。
僕も、両親にはかなり迷惑を掛けている。それは、ちゃんと輪郭をもって実感できていないかもしれないけど、でもそう思うように心がけようとはしているつもりである。でも、だからといって、今からいい関係をもう一度、なんてそんなことは無理だ。近い存在だからこそ、ちょっとしたことで物凄く遠くまで離れることが出来てしまう。
もし僕に、将来を添い遂げてもいいと思える女性が現れたりでもしたら。
目に入れても痛くないと思えてしまうような子供をもうけたら。
守るべき家族の存在が日常になるような日がきたら。
その時僕は、ちゃんと夫であり父親でありそして僕という個人を、ちゃんとうまくこなすことなどできるのだろうか?そんな、ちょっと口に出すのも恥ずかしいような理由もあって、もちろんそれだけじゃないけど、僕は結婚なんかしたくないな、と思う。
でも、本作を読んで、老後に一人きりってのも、それはそれで怖いな、なんて…なんてね。
序文が長いけどもう一つ。
後でも書くけど、重松清の作品を読むとこうも思う。
街ってやっぱ、生き物なんだな、って。
山崎さんは、長年勤め上げた丸の内銀行を定年退職した。第二の人生を…と考えていた山崎さんだけども、さーて、何しよう…。
マイホームを夢見て、多額のローンを組んで買った一軒屋。分譲のニュータウンで、勤務地の新宿まで電車で往復4時間。娯楽も飲み屋もほとんどないような、まさに住宅地。毎日足をすり減らし、クタクタになって帰るような生活を続けてきた山崎さんは、娘二人の子育てにもそんなに関わらず、これといった趣味もないまま、二人も娘が出て行き、妻と二人だけになった家で、なんだか退屈な毎日を過ごすしかなかった。
日課らしい日課は散歩。そうして、散歩仲間ができた。
定年先輩の町内会長さん、単身赴任ばかりで息子との会話の代わりに各地の方言を身につけてきたノムさん、そしてそのニュータウンの開発に携わったフーさん。別に決まって待ち合わせをするわけでもなく、会えば会ったで一緒に散歩する。たまに飲んでみたりする。なんだか、余生を過ごすのに、いい感じかもしれない。
くぬぎ台という名前のニュータウンを舞台にして、山崎さんとその散歩仲間、また山崎さんの奥さんや娘家族なんかの日常が描かれる。散歩仲間達の定年後の生活の不安や活力などを、ニュータウンの抱える様々な問題を、子供だと思っていた娘が大人になっていく様子を、今までちゃんと過ごすことのなかった夫婦二人の時間を、重松清らしい、細かい部分まで配慮の行き届いた細やかな文章で描かれる。誰もが行き着く「老い」という現実から逃げることなく、それでも悲観するのでもなく、最後は前向きにちゃんと生きていこうとする、オヤジを超えた定年ゴジラ他達の物語である。
重松清の作品は、やっぱり人がいい。細かい部分まで描きこまれた人物は、本当に、すぐそこのニュータウンに行ったら会えるのではないか、と思えるほどの現実感がある。
リアルさだけでなく、人の良さを描き出すのもうまい。誰もがいろんなものを抱え、抱えきれないものを誰かに話したりすることで溶かそうとしたり、それでもどうにもならなかったり、なんだかそうした葛藤を抱えた者と、それと対峙する人の距離や態度が、ホントかっこいい。
そして、やっぱり街が生きている。
街を人のように描く、と言ったほうが正しいかもしれない。そこには、性格があって、意思があって、老いがある。老いたニュータウンに住む定年ゴジラ達はきっと、そのニュータウン自身すら、自分たちの仲間のように思っていることだろう。
こんな風な言葉が本作中のどこかに書いてあった。
「余生って、余った人生ってことだろ。どうせなら、その余った時間を、これまでの時間に上乗せしたかったよな。そうしたら、もっと家庭のことだって目を掛けられたのに」
言い訳ではある。でも確かにそう思う気持ちはわかる。それぐらい、定年前と後では、時間の流れ方が違うということだろう。
いつか迎える老後という人生。「未来」という言葉に希望を持てるように、きっと今の僕がしっかり頑張らなきゃいけない。
後になって後悔したって、過ぎてしまった時間は取り戻せないのだから…。
重松清「定年ゴジラ」

定年ゴジラ文庫