僕は、完全に理系の人間である。とにかく、文系科目は大の苦手で大嫌いだった。歴史の年号だの人物だのを覚えるのも、現代国語で一つに決まるはずのない解答を無理矢理に追い回したり、古文や漢文の意味不明な漢字や文字の並びを眺めたり、もうとにかくそういった全てのことが僕には理解不能で意味不明で、まったく面白くなかったし、なんでそんな教科が存在するのか理解できないような、そんな人間だった。考えてみれば、現代国語なんて、本嫌いにさせる最大の関門ではないかとすら僕には思えてしまう。まあ僕は本を読んでいたけど。
変わって理系科目はもう大好きだった。まず何が素晴らしいって、答えが一つ決まる、というところだった。もちろん、最先端の分野の研究ではその一つに決まるはずの答えを見つけることが大変なわけだし、数学では答えが一つに決まらないことが証明された問題も確かあったような気がするので、一概には言えないけど、しかし学生のレベルや、あるいは日常生活のレベルでは、理系科目で答えが一つに決まらないことなんかありえないし、そこに至るまでの論理性や整合性にとてつもなく惹かれたものでした。今では、数学や物理そのものには触れないけど、そこで学んだ考え方は、後々に随分と役に立っている、という風に感じます。
しかし、突き詰めて考えれば、学問というのは一つのもので、皆結局は同じ事をしているのだということがわかります。到達点までに敷く道筋にかなりの差があるだけで、その道をどう歩くかとか、どんな障害があるかとか、結局そんなところはどれも同じなはずだな、と思う。
本作を読んで、よりその印象は強まった気がします。
哲学、という分野があります。僕の中では、文系の最たる極地だと思うし、全然関わりすらなかった分野なわけです。
哲学って一体なんだろうか?僕はそのところからよくわかりません。アリストテレスの有名なパラドックスも、「人間は考える葦である」や「我思う、故に我あり」という言葉は知ってますし、名前を聞けば分かる先達の哲学者というのも何人かいるだろうけど、それでも一体何をしているのか、全然わかりません。
何かを考えているんだろうな、というあまりに漠然とした印象はあります。もっと言えば、考えることのみによって何かを導き出す、というスタンスでしょう。そこがまず他の学問にはない点だろうし、だからこそのわかりにくさなのだと思います。
昔テレビ番組で、「お厚いのがお好き?」というのがあって、昔の文学や哲学なんかをわかりやすく紹介する、といった内容だったわけだけれども、そこでも何度も哲学関係の話題が取り上げられていました。今では何が取り上げられていたのかすら思い出せませんが、なかなか面白かった印象があります。
到達点がかなり分かりにくい分野で、実際的にも役に立ちそうもない哲学とい学問ですけど、少しは興味があるし、本作を読んでさらにほんの少しだけ興味を持つことができたような気がします。
さて、本作は名古屋大学工学部助教授にして作家の森博嗣と、御茶ノ水大学教授にしてエッセイストの土屋賢二の対談集です。二人が、大学・私生活・執筆業・人間関係・常識・専門分野・趣味・社会などのテーマについて、自由にやり取りを交わす、というスタイルになっています。
二人とも考え方がかなり変わっていて、極端です。文系の極地と理系の極地の対談なので、その違いなんかもかなり楽しく読めます。特にやはり森博嗣の考え方は最強に変わっていて、そんな人間が存在しうるのか、と驚愕してしまいます。
その驚愕したポイントを何点か。まず小説の書き方についてで、これは様々なところで書いたり言ったりしているようで僕も知っていたけど、森博嗣は書き始めるまでトリックも設定も何もないのだそうです。とりあえず文章を書き始める。書いてから、流れに沿って人物が増えたり人間関係が決まったり事件が決まったり事件が解決されたりする、らしい。それでいて、シリーズを通じた伏線なんかも見事で、やはり森博嗣は驚愕だな、と思います。
また、知識がかなりない、という点も明かされます。漢字については、読めても書けないものが多いようで(そもそもやはり、国語の授業というのが大嫌いだったらしい)、パソコンのお陰でなんとかなっている、と。また、「スーツ」がなんなのかわからなかったらしく、上下同じ布で出来たものがスーツだ、と説明されると、本当に知らなかった、と返します。森博嗣の小説を読んでいると、語彙もあるし、何でも知っているような印象を受けるのだけれども、見事に読者を欺いているのだな、と思いました。
対談自体は軽く読めるし、森博嗣や土屋賢二の著作を呼んでいなくても(実際僕は土屋賢二の著作を読んだことはない)、全然楽しめます。内容もしっかりしているので、特に森博嗣を知らない人に是非読んで欲しいな、と思います。
また本作には、それぞれが短編小説を一本ずつ書いています。土屋賢二は小説処女作のようです。それぞれ内容を説明しましょう。
土屋賢二「消えたボールペンの謎」
O大学に勤める教授は、ある日授業で一本のボールペンの価値について話していた。「パーカーの限定品で、100万円の価値がある」という内容だ。そして同じ日に、その件のボールペンがなくなった。まるで論理的でない推論と、その推論に基づいた議論や尋問によりボールペンの所在を見つけ出そうとする教授の物語。
哲学、というものがどういうものかわからないけど、こういうものなのかな、という漠然とした印象を抱ける作品になっています。とにかく、恐らく哲学的な考え方が背景にあるだろう会話や描写がかなりあって、それは結構楽しめました。話自体はそれほどでもないけど、でもまあ小説処女作なわけで、大目に見ていいのではないかと思います。
森博嗣「そこに論点があるか、あるいは何もないか」
会話文だけによる作品です。森・土屋に加え、編集者である唐木・栗城・森澤の三人での対談、という形態をとっています。編集者の三人がテーマを出し、森・土屋の両名がそれに答える、という内容です。
しかしいつもながらに森博嗣は侮れません。全然侮れません。なるほどです。かなり短いですが、さすが森博嗣、という内容になっています。
一冊の本として、結構悪くはないと思います。僕としては、森博嗣の小説作品にまずは手を出してほしいと思うので、気が向けば読んでください、という感じです。
森博嗣×土屋賢二「人間は考えるFになる」

人間は考えるFになるハード