何故ディズニーはあそこまで熱狂されるのか?
最近、ディズニーシーに行く機会があった。僕にとっては生まれて初めて(ディズニーランドは小六が最後だが)だったが、とにかく圧倒された。あんなすごいテーマパークはないし、というか既にテーマパークのレベルを超えている。
あの空間が、まるまる別次元であるかのようなのだ。日本にいるということが信じられなくなるくらいだ。
もちろん、アトラクションも面白い。ショーはそこまで興味があるわけではないけど、でもかなり幻想的だし、手が込んでるなとも思う。でも、そういうところなら他のテーマパークだってやっているかもしれないし、やろうと思えば出来るかもしれない。
そうではなくて、ディズニーの最大の魅力は、その細部のリアリティにあるのではないかと思う。
統一感のある世界観を作り上げよう、という発想がまずなければああいうものは作れない。
どこを見ても、何かがある。立ち止まったり近づいてみたいと思わせるような何かが、そこら中にある。ウォーリーみたいに、まだ何かあるんじゃないか、と思わせるような空間がそこに設定されている。
うまいな、と思ったのは、アトラクションに並んでいるときのことも考えられている点だ。あれだけのテーマパークだから、必然的に並ばないとアトラクションには乗れない。他のテーマパークでは、ただの通路に客を並ばせるけれども、ディズニーは並ばせるところも面白み溢れる空間に作り上げて、客を決して飽きさせない。
これは、リピーターが沢山生まれるのも分かるし、他のテーマパークは太刀打ちできないわ、と心底感じたものだ。
さて、ハリーポッターの話であるが、この作品を読んでいて僕はディズニーを連想したのだ。小説とテーマパークという、あまりにも異分野の二つだけれども、似ているなと感じた。結果として、世界最大級のテーマパークと世界最大級のセールスを記録した小説、という似たような結果も生み出してはいるのだけれども。
ディズニーに行く人とハリーポッターを読む人の感覚は、本当に似たようなものではないかと思う。初めて触れる人は、その世界にまず圧倒される。魅力的なアトラクション(キャラクター)や破綻のない世界観(ストーリー)、そして細部までこだわりぬかれた作りに、凄いなと感じる。そしてそれからは、まだ見つけていない何かがあるんじゃないか、と考えてリピーターになる。構造が同じだ。
もちろん、ハリーポッターのような特徴を持った作品は他にも沢山あるだろう。ただ、商業的にここまで成功したのには、もう一つ他の作品とは大きく違う点があると思う。
それは、ディズニーもそうだろうが、まず子供の心を掴むということだ。
本作は別に、子供向けとして書かれているわけではない。それはディズニーが子供向けではないのと同じだ。しかし、子供の心をがっしり掴んで離さない。作品の質が高いこともあるだろうが、まず子供を熱狂させるというのが、商業的に成功した理由ではないかなと思う。
さて、もう一つの話題。
魔法が使えたら何をするか、と考えたことは、少なからずあるのではないだろうか?
僕は、魔法とは少し違うんだろうけど、ドラえもんの「もしもボックス」がもしあったら何をしようか、と考えたkとがたぶんあったはず。その時何を考えたかは覚えていないけど。奇しくも、確か映画でのストーリーだったと思うが、のび太がもしもボックスで、魔法を使える世界にしてほしい、と願ってそうなってしまった、というような話があった。
今だったらどうだろう。僕は、自覚しているけれども、本当に欲がない。大抵の人が思い浮かべるような欲を、強く願ったことが本当にない。今、魔法が使えたりもしもボックスがあったとして、僕は何がしたいだろう。食べものを口にしなくても生きていける体にしてほしい、掃除・洗濯をしなくてもよくしてほしい、死ぬまでぎりぎりお金に困らないだけのお金が欲しい、読むスピードを変えることなく(速読みたいな感じで本は読みたくない)今の100倍の量の本を読みたい、作家になりたい、とまあそんな感じだろうか。僕に欲がないことをわかっていただけるだろうか?
しかし、魔法が文化とうか技術として存在するなら、面白いかもしれない。困っている人が助かるような魔法ならなおいい。いばっている人や金持ちがよりよくなるような魔法ならいらないけど。
さて、というわけで内容に入ろうと思います。
と書いてはみたものの、ほとんどの人は内容を知っているんではないか?と思ってしまうほど本作は売れています。僕が働いている本屋でも、ハリーポッターの発売日はすごいものでした。確か5巻の発売の時だったと思うけど、普段の売上の二倍以上にもなり、しかも1日の売上の半分がハリーポッターでした。まあ一応書いてみましょうか。
ヴォルデモートという最悪の魔法使いに出会って唯一殺されずに済んだ幼子。魔法使いだった両親が殺されたため親戚の家に預けられることになったその幼子こそ、ハリーポッターでした。
ハリーは少年と呼ばれる年齢になりました。親戚の家で形見の狭い生活を強いられています。ハリーは、自分の出自については何も知らされてはいなかったけど、ある日届いたハリー宛の手紙によって、ハリーの人生は大きく変わります。
魔法学校への入学許可書。
ハリーは、自分が有名人であることに戸惑いながらも、学園生活をスタートさせていきます。
しかしその内に、ハリーは学園内の不穏な動きに図らずも気付いてしまいます。「賢者の石」と呼ばれる力を持った石が学園内にあり、しかもそれを誰かが狙っているらしいのです。
ハリーは、友人であるロンとハーマイオニーと共に、規則を破り危険を冒しながらも、何とか見えない敵に立ち向かっていく…。
というような話です。
登場人物が活き活きと描かれているところが、かなり魅力的ではないかと思います。僕は、外国人作家の小説を読むときの最大の難関である、登場人物の名前を覚えられないというものがあるのですが、本作では、名前をちゃんとは覚えられないけど、それでもああこれはあの時のあいつか、という感じで、ちゃんと思い出すことができました。これは、かなりちゃんと特徴を書き出してくれていないと僕には難しいので、さすがだなと思いました。
ストーリー自体は、まあ結構ありふれたものに手を加えているだけ、という感じがしたけど、何よりも伏線が見事でちゃんとしていて、本作はミステリじゃないけど、ミステリが好きな僕としてはかなり評価できました。関係ないと思っていたものが後々ちゃんと関係してくる、というだけで僕的にはかなり嬉しかったりするわけです。
読んで、ああ大衆受けする作品だ、という感想をもちましたが、いやこれは古典として残ってもおかしくはないかもしれないとも思いました。それはまあ、いいばかりの評価では決してないですが。僕は、「古典」という評価は
大勢の人間の幻想から出来上がっている、と考えているので、本作が古典として残ってもまあ不思議ではないな、と思ったわけです。
最後に。本作の翻訳家で、出版社の社長でもある松岡佑子氏ですが、本作の最後にもいろいろとエピソードが載っていますが、メディアファクトリーから出版されている文庫「君へ。(ダヴィンチ編集部編)」という本の中にも、短いけどエピソードが載っています。そちらもどうでしょうか?僕的には、ハリーポッターという超大な作品を、静山社という弱小出版社(もちろんそれは、ハリーポッターを出版する前の評価ですが)に委ねた著者の判断が、正しいとかそういうことではなくて、やっぱり伝わるものは伝わるんだという、なんだかそんな気分にさせてくれて、まだまだ捨てたもんじゃないな、という感じがします。
J・K・ローリング「ハリーポッターと賢者の石」

ハリーポッターと賢者の石ハード