2004年11月23日

クビシメロマンチスト−人間失格・零崎人識−(西尾維新)

登場人物のほとんどが壊れている作品を読むのはかなり心地いい。
前回と同じく、語り部は「いーちゃん」。「いーちゃん」が「烏の濡れ場島」から帰ってきて、大学に行き始めたところから。対人の記憶力が絶望的に悪い「いーちゃん」は、食堂で突然話し掛けられた女の子のことを思い出すことができない。
葵井巫女子。「いーちゃん」のクラスメート。思うがままに感情を発露することができ、ネジがぶっ飛んだようにテンションが高い。他にも、人に対して心を開かない少女・江本智恵、レディースのトップのような威圧感を持つが基本的にはいい人・貴宮むいみ、チャラ男のようで実は友達に対する仁義みたいのには篤い男・宇佐美秋春。これら四人が「いーちゃん」のクラスメートにして、物語の主要人物たち。
江本の誕生日会に「いーちゃん」は何故か誘われ、騒がしい時を過ごし、酔っ払った葵井を隣人の浅野みいこさんに預け、その翌日、江本の死体が発見される。
さて一方、完全なる人格破綻者にして、京都で殺人をしまくる通り魔殺人者・零崎人識に「いーちゃん」は狙われる。が間一髪かわし、何故か話す。鏡に映したようにそっくり。お互いがそう感じるほど似ている二人。人格破綻者と敗北者にして傍観者の出会いは、やがて人類最強の請負人・哀川潤の知るところとなり、零崎は警察にも哀川にも追われることになる。
江本の事件は、やがて連続殺人に発展し、葵井が死に、宇佐美も死ぬ。時には零崎とともに事件を調べ、主体性のない「いーちゃん」が、事件に首を突っ込み、というか影響を与え、そんな感じ。
まあこれだけ書いてみたけど、意味不明でしょう。読んでみてください。
今まで小説を読んでいて、登場人物の誰かに感情移入したことがほぼなくて、でもこれは初かもしれないぐらい「いーちゃん」に感情移入している。いや、自ら感情がないと言い切っている「いーちゃん」なわけだから、敢えて言うなら「スタイル移入」という感じか。
自分の思考のスタイルや、存在に付随する何かや、何かに対する距離なんかを、ここまでスパっと・クリアに・鮮やかに・不足なく・型でも取るかのように抉り取られ表現されたことは初めて。びっくりしたというのが本音。
俺のような人間がそう多いとは思えないし、もしかしたら他の一般の普通の人には意味のわからない小説なのかもしれないけど、どうなんだろう。
是非誰かに読んで欲しいな。受け入れられるだろうか。
ちなみに「西尾維新」はローマ字で「NISIOISIN」。つまりそういうこと。まあこれを見たからあれを考えたんではない、と言い訳してみる(この言い訳はある一人に対してもものだけど、その人がこのブログを見ているかは不明)。
まあ戯言だけどね(みたいな)。

西尾維新「クビシメロマンチスト−人間失格・零崎人識−」


クビシメロマンチスト−人間失格・零崎人識−

クビシメロマンチスト―人間...講談社ノベルス
 

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