時々、努力すればなんでもできる、と思っている人に出会うことがある。もちろんそれは、テレビの中に出てくる人に対して感じる場合も含めるのだが、何を言っているんだろうか、と思ってしまうのだ。
努力が無駄なのだと言いたいわけではない。努力しなければ何も成しえないのは事実である。しかし、努力だけではどうにもならないことばかりで、この世の中は出来ている。その中で、果たして努力がどれほどの意味を持つだろうか。僕はそう考えてしまう。
僕は昔から、あらゆることを一瞬で諦めるようにしてきた。そういう風に訓練してきた、と言ってもいいだろう。何かを諦めても大丈夫なように世界を構築し、その中から出ない生き方をしてきた。
しかし、僕が言いたい諦めというのは、そういうこととも少し違う。そうではなくて、何かを諦めたところからスタートする、諦めるということを前提として持っている。そういうことである。
書き始めたものの、説明が難しい。
諦めたところからスタートすることが、本当の努力ではないだろうか?
例えばこういう説明でどうだろうか。人間は必ず死ぬ。これはもう努力でなんとかなるレベルではない。つまり、人間は皆、自分が将来死んでしまう、ということに関しては、まず間違いなく諦めていると思うのだ。
しかし例えば、不老不死を目指すような人が、歴史上にもいたし、今もいるかもしれない。僕は、これは想像でしかないが、そういう人々こそ、まっさきに自分が死ぬことを正確に諦めているのではないかと思う。自分が死んでしまうという未来を、避けがたく認識している。しかし、その諦めた状態からも、彼らは何かあるのではないか、という努力をしている。僕にはそう思えるのだ。死ぬことを諦めていない人が、どうして不老不死を目指そうと思うだろうか?
僕のいう諦めとはそういう意味である。行動や思考を停止してしまうようなものではなく、行動の原動力になりえるような諦めというものが存在すると思うし、それはある種の能力だと僕は感じるのだ。
例えばある有名なビジネスの話でさらに説明をしよう。
靴を履く習慣のないある国に、靴の営業に言った二人の男の話である。一方はその国の靴事情を見て、「この国では靴を履く習慣がない。だからこの国では靴は売れない」と諦めた。しかしもう一方は、「この国では靴を履く習慣がない。これはなんて大きな市場なんだ」と思った。そういう話である。
この話も、発想の転換によってビジネスチャンスが生まれる、というような話だと思うけど、僕は、後者のビジネスマンも、一旦は靴を売ることを諦めているはずだ、と思うのだ。しかし、その諦めた状態から彼は、努力によって発想を転換する。この国で靴は売れない、と一旦思うことなく、どうして靴を売ってやろうという意欲が出てくるだろうか?
さて、何でこんな諦めの話をしているかというと、僕は本作の4人の登場人物から、こういう諦めを感じるからだ。もしかすると、著者自身もそんな風に描いたつもりはないかもしれないし、他の読者もそんな風には思わないかもしれないけど、でも僕は、この4人の前向きで強い少年たちが、深い部分で、あらゆることに対して諦めているように感じられてしまうのだ。
僕には、その諦めは心地よく感じられる。少なくとも、諦めを経ることなしに、努力だけで何でもなんとかなると考えている人よりは、遥かにいいと思う。そして僕は、本作に出てくる4人と同年代の少年たちは、同じような諦めを常に抱いているような、なんとなくそんな印象を受けるのだ。それが、残念なことに、悲惨な少年犯罪や荒んだ性生活なんかに影響していると考えるのは、飛躍のし過ぎだろうか?
もう一つ別の話題。
本作の一つ前に読んだ小説が、森博嗣の「レタスフライ」という短編集である。この二つの短編集を続けて読むことで持った印象がある。
それは、本作は装飾が多いということ。
「レタスフライ」の感想の中で僕は、森博嗣の短編は、本質と装飾のバランスが長編の相似形ではなく、長編と同量の本質と、長編よりも遥かに量を減らした装飾によって構成されている、というような意味のことを書いた。僕にとってそうして作られた短編は、非常に興味深く面白いものです。
しかし本作は、装飾の方が長編と同量で、本質のバランスが全体的に薄められているような印象があります。
しかも僕にとって石田衣良の小説の装飾は、若者がじゃらじゃらとつけるアクセサリの類と同類であって、文章を読んでいると、ピアスやネックレスや指輪のような装飾がじゃらじゃらと見つかります。僕はファッションの装飾は、自分のためにつけているのであれば全然いいと思っているのですが、石田衣良の装飾は、人に見せるための装飾のような感じで、正直僕にはあまり馴染めないものです。森博嗣の短編が格調高いのに対して、石田衣良の短編は着飾っているという風に感じられてしまいます。清楚なお嬢様とコギャルぐらいの差があります。
まあそんな感じで、本作の内容に入ろうと思います。本作は、特殊な病気に罹ったナオト、太ったダイ、秀才のジュン、そして視点人物であり特に特徴のないテツローの4人の中学二年生が、東京の月島を舞台にいろんな経験をし成長していくという、青春ストーリーである。
「びっくりプレゼント」
ウェルナー症候群という、人よりも3倍近く老化が早い病気に罹ったナオトを見舞いに、残りの三人が病院へと向かった。誕生日の近いナオトに何かプレゼントをあげようと知恵を絞った三人は、女の子を一人プレゼントすることに決めた。ナオトの相手をしてくれる女の子を探しにいくが…。
この冒頭の作品は僕はそんなに好きじゃないです。
「月の草」
登校拒否になったクラスメイトにプリントを渡さなくちゃいけなくなったテツローは、何度か目に部屋まで来てくれと電話で言われる。入った部屋には人の気配はなく、テーブルにはケーキが置いてある。隣の部屋にいる彼女はドアから出ることなく、二人は携帯電話越しに奇妙な会話をするようになっていく。次第に心を許すようになった少女が部屋から出ると、そこにはガリガリにやせ細った少女の姿があった…。
結構いい話だと思います。言葉ではない優しさというものがあると思います。
「飛ぶ少年」
クラスの放送委員。クラスの男子の中では、扱いにくいと暗黙のうちに意見が一致している男子である。よくわからないきっかけで彼に話し掛けられたテツローは、今度の放送で一緒に歌を歌おうと誘ってきた。テツローは断ったが、彼が企画したという放送はあまりに酷かった。その後もよくわからない企画を立てては実行していく少年は、一体何を求めていたのだろう?
なんか、走り出した自転車が止まらない、というような印象の話です。そこまでいい話だとは思わないけど、なんとなくわかります。
「十四歳の情事」
ジュンの様子がおかしい。携帯をこまめにチェックしているし、お喋りもいつもと違う。遊びの途中に、家に呼び出されたから帰るなんて嘘をついてどこに行くんだ?ってことで尾行開始。ジュンは、ナオトも住んでいるある超高層マンションへと消えていく。ジュンの口から知らされる事実の重さに、誰もがどうしていいのかわからなくて…。
この話では、ジュンという少年がとてもいいです。「僕はあなたを認めない」というセリフは、彼が14歳でなくてもかっこいいでしょう。14歳だからこそ言えた、ということもできるかもしれないけど。
「大華火の夜に」
年に一度の大華火大会。去年見つけたS級の特等席があって、今年もそこで見ようと決めた4人。しばらくぶりだから偵察に行こうってことになるんだけど、そこにいたのは一人の病人。街中に張り紙がしてある尋ね人その人で、病院から抜け出した重病人。もうあと僅かの命だそうだ。その病人は4人にある頼みごとをする。私がここにいることを黙っていてくれないか。お礼はちゃんとするから…。
これは難しい問題です。その場に僕もいたら、どう判断すべきなのか、何を認め何を認めないべきなのか、困惑してしまうでしょう。責任を持ってある決断をした少年の勇気に、賛否両論あるかもしれないけど、僕は賛成です。
「ぼくたちがセックスについて考えること」
いつもの4人で帰ろうとした時、クラスメイトの男子が一緒に帰ってもいいかな、と声を掛けてきた。女子のようなファッションで、ホモなんじゃないかって噂がある奴だ。ホモかどうかは別にして、どうもみんなそんなに乗り気じゃない。けど断る理由もなくてとりあえず一緒に帰る。
しばらくしてある事件が起こる。クラス一の美人がその少年に衆目の前で告白したのだ。誰もが息をのむ中で、少年はその美少女の告白を断ってしまうのだ…。
これも難しいが、なんともいえない。ただ、少年の行動に間違いはないと思うし、4人組もいい判断をした、と僕は思う。これも、その場にいたらどうしていいかわからないだろう。
「空色の自転車」
ダイの父親が死んだ。ダイと弟が警察に拘留されている。そんな衝撃的なニュースが飛び交った。3人は皆、ダイを信じた。無関心な教師や近寄るマスコミにいらつきながらも、彼らは4人の友情をゆるがせない。ダイに手紙を書いたが返事はこない。不起訴で学校に通いだしても3人を避けるようにしている。ダイはどうしてしまったんだろう…。
父親を殺す、という重いテーマでありながら、石田衣良はその重さを感じさせない。軽いという意味では決してなく、真剣に描きながらも重さを与えないのだ。そのバランスがいい。ダイの判断や行動も、正しくはないのだろうが、間違ってもいないと思える。それは、次の「十五歳への旅」を読むとよりそう思える。しかし、病人のナオトまで殴るのは間違っているんではないか、と思うのだが。
「十五歳への旅」
自転車で千葉にキャンプをしに行く、と親には嘘をついて、4人は自転車で新宿を目指し、公園でテントを張って数日遊ぶという計画を立てた。刺激的な体験やちょっと大人の世界を覗く旅だったが、あるクラブで出会った二人の女性が、何だか面倒なことを持ち込んできて…。
ダイがものすごくよく描かれています。中学生に残っているはずの純真さが言わせたことかもしれないけど、あんなセリフをきちんと言える人はなかなかいないでしょう。ちょっとかっこいいなと思いました。覚悟というのは年齢とは関係なのだ、と。
本作では、大人でもないけど決して子供でもないという、微妙で複雑な中学生という世界を、中学生の目から見ているような雰囲気できちんと写し取っていて、好感が持てる作品です。爽やかさも相まって、スピード感のある物語が、まるで生きているように迫ってきます。
また石田衣良は、描く世界にあった言葉を使い分けて作品を描くのでいいなと思います。池袋シリーズのようなちょっと悪い若者や、恋愛小説のようなしっとりとした世界、そして本作のような爽やかで元気で悩ましい中学生の少年と、その世界にあった文体や言葉遣いを選択しているので、世界観が崩れなくていいなと思います。
本作では、中学生にしては結構ディープな世界が結構扱われていて、それに直面した少年たちがどう判断し行動するかが描かれています。その判断や行動が、中学生らしい若々しさとともに、中学生とは思えない大人っぽさも含んでいて、僕のイメージの今の中学生らしいなと感じるし、リアルかな、という風にも思ったりします。中学生から見た世界は、本作のように映っているのかもしれません。
僕は実は、本作にはあまり期待していませんでした。それに特に理由はありませんが、石田衣良という作家になんとなく限界を感じていたからかもしれません。それは、本作の一番初めの短編を読んだ時まで続きました。ちょっとこれは面白くないのではなかろうか、と。しかし、後半に行くにつれてどんどん面白くなっていって、最後にはこの4人の話をもっと読みたいと思うようにすらなりました。
その理由は、著者自らのあとがきに書かれていました。本作で書かれた短編は、第一作をデビューしたての頃に書き、以降出版社からの半年や一年というサイクルの依頼に合わせて書いていったもので、結局短編集に纏めるまでに5年掛かっているようです。その間に著者の筆力がどんどんと上がっていったということなのでしょう。
本作を読むと、那須正幹のズッコケ三人組シリーズや、宗田治のぼくらのシリーズを思い出しました。小学生や中学生の頃にはまったこれらのシリーズをなんとなくほうふつとさせる作品でもあります。結構お勧めです。どうぞ読んでみてください。
石田衣良「4TEEN」

4TEEN文庫