「友達にクイズを出されたんだけど、わかんなくて。考えてくれない?」
そうやって誰かに出されたクイズ。この作品はなんかそんな感じがする。つまり、答えのわからないクイズを手にしてしまったような、そんな少しやっかいな感じ。もちろんそんなことはすぐ忘れてしまう類のものだけど、なんらかの際にふと記憶が刺激されて、また気になってしまうようなもの。
あるいは、的を得た表現ではないかもしれないけど、カラオケの歌詞のバックの映像のような。歌っている間は歌詞を見ていて映像は意識しないけど、後になってふと思い出したりして少し気になってしまう類のもの。
うまく表現できない。
なんというか、著者が「スケッチ」と称しているように、この作品に収められた短編はどれも、どこか風景を切り取ったような印象があって、なんというかそこに時間の流れが存在しないかのような、そんな奇妙な感覚すら抱く。何も現象せず、何も変化せず、湖のような、いつまでも同じ水が循環し続けるような、そんな感じ。
面白いか、と言われれば答えに窮する。とりあえず、今の俺にはよくわからない、という逃げを自分の中に認めることで、自分の評価にしようとしている。
ただ、この本を読んでいる時、なかなか集中できないのは事実だ。かなり薄い本なのに、普通の小説と同じぐらいの時間が掛かったような気がする。
それをまあ説明しようとすると、一枚の絵画を想像してみてほしい。その絵画は、遠めに見れば、あああれは森で川で人で空で鳥で建物で車でライトで飛行機で、そういったものが判別できる。けど近付いてもっと細部を見ようとする時、それがただの絵の具の線の集まりであることに気づいてしまうような絵画。
つまり、境界が曖昧で、べったりとした筆のラインが、曖昧なまま絵を構成している、そんな絵画。
要するに、そういった絵画を見ているような気になる。
全体としては何を書いているのかわかる。著者が何を言いたいのかがわかる、ということではなくて、話の筋という意味だけど。でも細部をよく観察することで全体を理解しようとしても、その細部が全体に繋がっていかない。筆のラインだけ見ていても絵画全体を理解出来ないように、細部の集合が必ずしも全体にならない、というような不安定感があって、その違和感で話に集中できなかったのかもしれない、と分析してみる。
とにかく、どの話も、答えのわからないクイズのように、何を言いたいのやらわからない。ただ、そういう気持ちになるかもしれない、というレベルでは理解できるかもしれない。そんな感じ。
とにかくこの作品が499冊目。次が記念すべき500冊目。
村上春樹「回転木馬のデッドヒート」
回転木馬のデッド・ヒート講談社文庫