いい悪いに、理屈はあるのか。
僕達は、とりあえず完全に一人で生きていくことはできない。どこかしらで、何かしらの集団に属している必要がある。
集団が形成されると、そこにはルールが生まれる。常識や価値観が統一されるようになり、法律が作られる。そうやって僕らは、集団の中で生きている。
その中で、一体善悪はどう決まるのか。
善悪が絶対的でない、ということは、説明する必要もないだろう。
例えば、戦争が最も分かりやすいだろう。ブッシュの仕掛けたイラク戦争。アメリカとしては(というかアメリカ政府としては)、あの戦争は善だろうし、というか善だということにしておきたいだろう。しかし、イラクからすれば、悪だろう。そして、それ以外の国にとっても、善悪の判断は恐らく分かれるだろう。
日常生活の中でも、善悪の判断は分かれる。
例えば、個人的な話をすると、僕は浮気は別にいいと思っている。誤解されないように説明すると、これは僕自身が浮気をすることが、ではなく、相手が浮気をすることが、である。僕としては、浮気をされても全然一向に構わない。
これは、かなり少数派の意見だろう。普通は、浮気は悪だと思われていることだろう。まあ、そういうどうでもいいレベルでも、善悪の判断は付きまとう。
「国家の品格」の中で藤原正彦が面白いことを書いていた。
「何故人を殺してはいけないのか」ということを論理的に説明することは不可能だ、と。自分なら、「何故人を殺していいのか」についても論理的な説明をつけることができる。そうやって、論理の不完全さを説く話だった。
人を殺す、という、感覚的には明らかに悪のことでさえ、では何故悪なのかと問われると、うまく説明できないものなのだ。ダメだからダメだ、というしかない。
そういった中で、一体何が善悪を決めるのか。
僕の中で答えは決まっている。
善悪は、数だ。
善悪は、数によって成り立っている。
これは、民主主義のみで通用することかもしれないが、しかし真理であると僕は思う。
ルールも常識も法律も、結局は大勢の人間が賛成するように決まっていく。それが民主主義というあり方なのだろうけども、そういうこととは無関係に、人間の根幹として、そういうものが根付いていると僕は思う。
大多数の人間が認めているから。
大多数の人間が信じているから。
大多数の人間がやっているから。
そういう判断で、善悪というものは簡単に決まっていく。
僕には経験はないが、いじめというものもその論理で決まっていく。
いじめられる人間だって悪い、という話を聞くが、いや実際そんなことは稀だ。本当のところは、力を持つ人間が大多数の意見を操作し、数の論理でいじめを善にしてしまっているのである。
だからこそ、いかに多くの人間を操ることができるか、これが力である。
そして、その意味で、力とはマスコミである。マスコミは、簡単に人を操作することができる。
だからこそ、マスコミをその内に抱えている集団は、善悪の判断を基本的にマスコミに託してしまっている、と言っていいだろう。
僕としては、それは間違っているよな、と思う。マスコミに踊らされている国民を見ていると、なんなんだこいつらは、と思ってしまう。テレビでこれが体にいいとみのもんたが言えば、スーパーからそれが消えうせ、芸能人が感動したと宣伝した本がベストセラーになり、韓国のスターが祭り上げられ、一過性の加熱な報道合戦が繰り広げられ、そうやって方向性もバラバラなまま人間を操って、そして後は知らん顔、である。操る方のマスコミもどうにかして欲しいものだが、操られる方の国民もどうにかして欲しいものである。
だんだんと、自分で何かを判断するということが少なくなってきているような気がする。判断を誰かに委ねたままで多くの人が生きているような気がする。
勝ち組負け組という言葉があるが、判断を誰かに委ねている時点で既にそれは負け組と言っていいだろうと思う。
知識がないが故に判断できないことも沢山ある。しかし、善悪の判断は、誰かに委ねるのではなく、自らで判断するべきだ。僕はそんな風なことを思いました。
というわけで、何を書いているのかよくわからなくなってきたので、そろそろ内容に入ろうと思います。
さて本作は、乙一の最新刊であり、乙一の本当に久しぶりの長編です。乙一の長編は、「暗黒童話」と「暗いところで待ち合わせ」しかないわけで、なので本当に久しぶりという感じですね。まさに、ファン待望の一冊です。
舞台は、戦争を終え、貧困が蔓延したある国。そこに、少年リンツが住んでいます。
その国では、富豪達の家から金品が盗まれるという事件が多発している。現場にはカードが残されていて、そこに記されていたという<GODIVA>の文字が、怪盗の名前として定着するようになった。怪盗ゴディバ。
一方で、怪盗ゴディバを捕まえるべく日々捜査をしている探偵ロイズ。その類稀な推理力で日々怪盗ゴディバを追っている探偵ロイズは、国中の子供達が一目会いたいと願うヒーローである。
ある日リンツは、父と一緒に買いに行き、結果的に形見となった聖書の中に、古びた手書きの地図を見つける。虫食いの穴だらけで、裏に風車の絵のある地図。場所の手掛かりとなるような表記は何もなく、とりあえずよくわからないものとしてリンツは放っておく。
しかし、その後、新聞記者見習で知り合いのマルコリーニから、怪盗ゴディバの残すカードの裏には風車の絵が書かれている、という情報を得て、リンツは考える。まさか、あの地図は、怪盗ゴディバが残したものなのではないだろうか。怪盗ゴディバとなんらかの関係のある地図なのではないか…。
タイミングよく、探偵ロイズが、怪盗ゴディバに関する情報を広く集める、と公表した。早速リンツは、憧れの探偵ロイズに会えることも期待して彼に手紙を書くのだが…。
という感じです。
いや、すごいですね。乙一というと、あんまりミステリ作家としての印象が強くないのだけど、本作はホントに、バリバリのミステリですね。
もちろん、探偵ロイズを初めとする一行が、怪盗ゴディバの正体を推理し捕まえようとする、というメインの物語もミステリらしい感じです。しかし、そういうメインの物語以外の部分でも数限りない伏線がちりばめられていて、それが最後に見事に収束していくという手法は、本当に伊坂幸太郎の初期の作品を読んでいるようで、バリバリのミステリも書けるんだな、と感心しました。いや〜、素晴らしかったですね。
ミステリとしてのありとあらゆる仕掛けがあちこちにあって、ホントに気が抜けない物語です。まさかあの出来事が!とか、まさかあの人が!というようなことが目白押しです。
伏線もそうだけど、二転三転の物語も、ホントハラハラドキドキ、という感じです。どんどん新しい展開に移っていって、そしてその度にサプライズを用意しているので、本当に結構驚きました。読み始めの印象と、読み終わりの印象が、これほどまでに違う作品も珍しいような気がします。かなり大げさな表現をすれば、読み始めはハリーポッターで、読み終わりはバトルロワイアルと言った感じでしょうか。
相変わらず淡々とした文章で、しかもダークな物語を書いているので、そのギャップというかなんというか、不思議な乙一ワールドが全開、と言った感じです。実際に、リンツの周りにはかなり多くの悪人が集ってきて、物語が進むにつれてどんどんとダークな展開になっていって、あれこれって一応子供向けっていうことで書かれてる物語だよな…と考えちゃいました。まあもちろん、子供が読んでも楽しめると思うけど。
しかし、怪盗ゴディバって、人を喰った名前だよなぁ。しかも、銃とチョコレートっていうタイトルも、まあなるほどなぁという感じで。細かいところまでいろいろ考えられてるな、という感じです。
登場人物には結構好きなキャラがいて、全編で基本的に真面目な感じでいた主人公のリンツはそんなでもないのだけど、学校一の悪ガキのドゥバイヨルとか、探偵ロイドの助手のブラウニーとか、なかなかいいキャラクターだな、と思いました。ドゥバイヨルは、よくわかんないけど、結局いい奴だったのかな、という感じがします。
まあ、ミステリ的な部分にあまり触れないように書かなきゃいけないからなかなか難しいけど、ホント読んでて楽しい作品でした。最後に、あらゆる伏線が一気に消化されていくところなんかはホント圧巻で、ミステリ作家としても才能があるんだな、と感心しました。相変わらずの乙一ワールドも、ダークさが失われていなくて素敵でした。
とにかく、もう買うしかありません。読むしかありません。是非ともどうぞ。いつもとは少し違った乙一を体感することができるでしょう。是非とも読んで見てください。
乙一「銃とチョコレート」

銃とチョコレートハード