言い訳から。
人にはそれぞれ、よって立つ立場というものがあって、その立場に立って物事を見、判断することしか出来ない。だから、今まで少年法を肯定していた人が家族を少年に殺されて、あるいは少年法を否定していた人の息子や何かが犯罪に加担してなお同じ主張が出来るか、ということはなんとも言えない。もちろんどちらの立場にも立ったことのない自分には、より不明瞭な基準でしかこの少年法というのを見ることが出来ない。
その上で。
存在の是非については、必要だと思う。確かに環境に左右されやすく、また善悪の判断も覚束ない可能性のある子供の犯罪に対して、大人と同様の処罰を下す、というのは難しいと思う。更生を目的としている、という主張もわからないでもない。
ただ、犯罪の程度と年齢の設定には納得がいかない。
犯罪の程度については、確かに窃盗だとか傷害だとか、まだ軽いと思われるものについては少年法を適応してしかるべきだとは思う。ただ、人を殺す、ということについては、その重みをもっと法律に反映すべきだろうと思う。加害者には望んでなれるけれど、被害者はそうもいかない。天災のようなもので、ならば災害補償のような、つまり被害者の加害者に対する感情を尊重するような処罰を、殺人という犯罪については適応すべきだろうと思う。
年齢については、やはり二十歳未満を少年とするのは、もはや無理があるように思う。先の長崎で起きた小学六年生による殺人、あるいは来年1月に退院する、犯行当時中学生だったあの少年A。そのくらいの年齢なら、まだその後の教育環境やサポートによって構成する可能性があるようにも思える。ただ高校生、大学生くらいの年齢になれば、もはや少年法を隠れ蓑にしていると印象しかない。もちろん年齢を何歳に設定すればいいのかというのは難しい問題なので、俺はこう思う。例えば16歳から20までをグレーゾーンとして、その範囲の年齢なら、犯罪の程度や状況、養育環境やトラウマなど、裁判の過程で出される様々な事柄から判断し、少年法を適応するか否か、から裁判で争えばいいのではないかと思う。
これが俺の少年法に対する考え方。
前置きが随分長くなった。
今回の作品は、まさに少年法をテーマに据えていて、一人娘を少年に蹂躙された父親の復讐劇を描いている。場面や視点がくるくると入れ替わり、展開が早い。それぞれの立場における葛藤が描かれ、同情や賛同、無関心や非難、共感や叫喚、慟哭や後悔など、加害者・加害者家族・被害者・被害者家族・警察・世間・協力者・マスコミ、そういった様々な立場の人間が様々な感情を様々な形で表出させていく物語。
なるほど、最後にやっぱりミステリーなんだな、とも思わせてくれる。
個人的には、結末は残念だと思う。悪いという意味ではなく、やはりそうなのかという残念。
しかし、好きな作家だからこそ厳しく書くけど、今回の作品は厚みが無かったように思う。白夜行・幻夜は言うに及ばず、最近の作品、片想い・トキオ・手紙・殺人の門、などは、積み重ねられた過去や感情や想いのようなものが作品自体に相当の厚みを与えていたと思うけど、今回の作品は、悪く言えば、二時間ドラマを見ているような(見たことはないけど)、そんなあっさり終わってしまったような感じがする。場面転換によるテンポのよさもあっただろうし、そもそも短い期間の話を描いているから仕方ないのかもしれないけど、最近の作品に見られるような重厚感をあまり感じなくて、少し物足りなかったかな。
まあ少年による事件が多発している現代だからこそ読むべき作品ではあると思います。注意して欲しいのは、殺人の門並に重いので、東野氏の他の爽やかな作品を読んで、その流れで本作を読もうとしたら、なかなかギャップがあるのではないかと思います。読む際は、そういう作品だということを念頭に置いてから読み進めてください。
東野圭吾「さまよう刃」
さまよう刃