『森博嗣の「臨機応答・変問自在」を二冊読んだら、面接ですごく答えやすくなった』と。
なるほど、その気持ちはよくわかる、と僕は思った。
森博嗣の持論の一つに、『与えられた問題に答えるのではなく、自ら問題を見つけ出す能力が重要だ』(こうして文章にすると多少ニュアンスの違いはあるかもしれないけど)というのがある。それは前著の前書きに、何故大学の授業で、試験ではなく質問で評価をするのか、ということに関連して書かれていたと思うが、なるほど、と思ったものである。
確かに世の中には、問題はここぞとばかりに溢れかえっている。僕らはその問題を、一々誰かに教わってその存在を知る、ということを子供時代・学生時代に繰り返していく。
しかし考えてみれば、いかに問題を見つけるか、というベクトルを見せてくれた人は、誰もいなかったように思う。敢えて言うならば、東大や京大の入試問題はそうした傾向にあると言えるかもしれない。僕は東大を受験したことがあるのだけど(落ちましたが)、その入試問題は、与えられた問題に答えるというよりもまず、どこが一体問題なのかを見極める、ということが重要だったような記憶があります。
まあそんなわけで、今の若者は、一体何が問題なのかを考えることなく大人になっていく。そんな傾向が強いと思う。
本作に出てくる質問の中で、『学生の学力が低下していると言われていますがどう思いますか?』というようなのがいくつかあって、それに森博嗣は、『低下しているとは思いますが問題だとは思いません。学力が低くても成り立つ社会を皆で作り上げたのです』と回答していた。
例えば昔なら、これも森博嗣がエッセイなどでよく書いているが、テレビやラジオなんかを分解すれば中の構造がわかったし、ラジオなんかは誰だって自作することくらいできた。これがつまり、何が問題なのか探す能力、だろう。
今はどうかと言えば、大抵の人は、何故テレビが映るのか、何故ラジオが聞こえるのか、説明できない。僕も、まあできない。そもそも、電子機器の内部はブラックボックス化されてしまい、中を見ただけでは構造がわからなくなってしまったし、ましてや自作することなんて不可能だ。
さらに、今の世の中はハードよりもソフトのサービスが充実しているために、自分自身に知識がなくても大抵のものを使うことが出来るようになった。よくわからない部分はわかる人にやってもらい、あとは簡単な操作のみで使う、ということを繰り返していれば、なるほど、問題を見つけようとする意思がどこかに消えてしまっても仕方がないのかもしれないなぁ、と思う。
さて、非常に前置きが長くなったが、ようやく冒頭の話に繋がる。
このようにして現代人は、何が問題なのかを見極める能力に欠けていると言わざる追えないが、それは同時に、問題にいかに答えるかという能力をも退化させてしまっているのだろう、ということだ。
つまり僕らは、普段から問題が何であるかを考えないがために、問題に対する答えを導き出す能力も低い。学校で、受験用に教わる勉強ならば、くり返し行うことで覚えたりもするのだが、就職活動の面接で聞かれるような質問にうまく答えるための能力という意味では、衰えていると言わざる追えないだろう。
森博嗣という作家は、問題が何であるか自ら見出すことの出来る人なので、同時に、それに答える能力というものも抜群である。質問に対する切り替えしの鋭さには舌を巻かれる。
確かに本シリーズを読めば、質問に対する答えという意味で、その瞬発力や発想力、そして鋭さなんかを学ぶことはできるかもしれないな、と思ったものである。
僕らは、情報化社会と呼ばれるような世界の中に生きていて、その中で、情報を選別しないで日々を過ごしている。これも、問題を見つけ出そうという意思のなさの現われだろう。
ネットやテレビや雑誌で溢れ返る有象無象の情報を、大半の人はそのまま鵜呑みにしてしまう。新聞に書いてあれば正しいだろう、という判断を下す人もいることだろう。そうやって思考停止に陥って、考えることから逃げているとも言える。
情報化社会の中で生き抜くためには、情報を選び抜く力が求められるだろう。そこで必要なのは、問う力である。問題を見つけ出そうとする意思である。本作を読めば、それが少しでも学べるかもしれない、と僕は思う。
そろそろ内容に入ろうと思います。
と言っても、ほとんど前作「臨機応答・変問自在」と変わりはありません。違いは、前作が、森博嗣が今まで行ってきた授業の中で出てきた質問だったのに対して、本作は、ネットで一般から募集した質問に森博嗣が答えるという形式を取っていることくらいだ。
そういう理由もあってか、質問はそれこそあらゆるものがある。だがやはり、切れ味のいい質問は少ないといわざる追えないだろう。いや、切れ味のいい質問をするということは確かにものすごく難しいことなのだけど。
大して森博嗣の回答の鋭さは、衰えることなく健在です。一刀両断というものから、懇切丁寧というものまで、答え方のスタンスは様々だが、随所に森博嗣らしい哲学が含まれていて、前作同様、面白く読みました。
内容についてこれ以上特に触れることはないので、僕なりに面白いなと思ったものを抜き出して以下に書き出そうと思います(年齢・性別など、カッコ内のデータは省略)。
Q人間は科学技術で自然を破壊しているのに、同じ科学技術で自然を守ることはできるのですか、できるならどのようにするのですか?
A当然出来ます。自然を守れるものは、科学技術以外にないでしょう。
Q眠っているときに見る「夢」と、叶えたい願望をさすときの「夢」、これって同じものなのでしょうか?
A同じものだったら、幸せですね。お大事に。
Q宗教はどんな長所と短所を持つと思われますか。
A長所と短所がほぼ同じものだ、というのが宗教です。
Q正当な理由があるのに、「言い訳するな!」と言われたときは、どうしたら良いのでしょう?
A正当であってもなくても言い訳です。
Q片栗粉を入れたお料理ってどうして冷めにくいんですか?
A高粘性のため滞留しにくいから。
Q「価値」と「利益」と「必要性」は同義ですか?
Aいいえ。必要性が価値を産み、価値の移動で利益が生じます。
Qコンピュータが急速に普及していますが、本・雑誌という媒体はいつまで存在し続けると思いますか?
A数十年のオーダで入れ替わるでしょう。なくなるのではなく、本の方が値段が高くなります。
Q予定はほぼ実行される森先生。世の中の多くの女性が未遂で終わっているであろうダイエットの予定について、うまく実行にうつすためにはどうすればいいですか?
A未遂で終わっているのは、今のままで満足しているからです。望んでいるのにできないという人はいません。望んでいると勘違いしているだけです。
Q自分の思考回路を因数分解してみたいのですが、どのような公式が必要でしょうか?
A「我思う故に我あり」
Q私は趣味でイラストや短い文章を書きます。作品ができた直後は「会心のできだ」と思えても、三日ぐらい過ぎてから改めて見返してみると一転してみすぼらしく見えてガッカリすることがよくあります。先生にも似たような経験はありますか?こうしたごく短期間での認識の変化って、どういうメカニズムで起きているのでしょう?
A客観力不足です。上達とは、そのタイムラグを短くすることです。
Q森先生はいつサンタクロースがいないと気づきましたか?
Aいるんじゃないですか。
Q電車は何故カーブを曲がることができるんですか?平行な日本の線路で、シャフトにつながれた二本の車輪では、直進しかできないような気がするのですすが…
A良い疑問です。車輪に傾斜(テーパ)があります。スリップもしています。
Q人工はいつから自然と分離したのでしょう。
Aその言葉が作られたときからだと思います。
Q我が家の冷蔵庫は冬になると「強」にしなければいけません。そうしないと溶けてしまいます。冬は寒いのだから逆に弱めてもいいような気がします。どうして「強」にしなければいけないのでしょうか?
Aある温度でOFFになる設定になっていて、その温度が「弱」は「強」よりも高い。したがって、気温が低いと切れることがあるわけですね。
Q客観性とはなんですか?多数の主観の平均が客観なのでしょうか?自分以外を出発点とすれば客観することになるのですか?
Aそういったことを意識することが客観です。いろいろな視点からみようとする意思が、客観を生みます。
Q知識は才能をスポイルしますか?
Aそうなった場合、それは間違った知識です。
Q個性という言葉に対する森先生のイメージを教えて下さい。
A同時代における希少さ、あるいは、歴史的に観た新しさ。
Q大学生の学力が低下している、という話をよく聞きますが、先生はそのようなことをお感じになっていらっしゃいますか>
A低下しているのは事実ですが、問題だとは思いません。学力が不足していても生きていける世の中をみんなで築いているのです。
Q人は何故、より大きく、より高く、より速くを目指すのでしょうか。
A何かを目指すことは、目指さないよりも楽だからです。
Q孤独や絶望に淵はありますか?
A浅瀬があれば、淵もあるかもしれません。
Q感情を押さえて理想的に振舞うことは理想に近づく行為か。むしろ、それによる疲労・苛立ちがマイナスとなるか。
Aその苛立ちがあることが、ちまり自分が理想だと思っていない証拠です。重要なことは、理想を信じる、信じられる理想を持つことです。
こんな感じです。軽い感じで読める本なので、是非読んでみてください。
森博嗣「臨機応答・変問自在2」

臨機応答・変問自在2新書