僕の話である。
読書といえば、無趣味と同義と取られかねないような趣味ではあるが、いやいやそんなことはない。
奥が深い趣味である。
…とは言いすぎだけど、いやまあ面白いものである。
まあ、読書ばっかしてるのもどうかとは思うけど、まあ仕方ない。
かぼちゃプリンがうまい。
…いや、今かぼちゃプリンを食べてるんで。
まあそんなことはどうでもいいのだけど、読書の話である。
読書の何が面白いのか、なんてそんな話は出来ないだろう。面白いと思える人は面白いし、面白いと思えない人には思えない。
なんていうか、大したこと書いてないな、俺。
例えば僕は映画を観ない。全然観ないわけではないけど、観ない。最近では全然観ていない。
映画が面白くないとは思わない。まあいろいろと言いたい事はあるけど、映画だって素晴らしいものはあるし傑作もあるだろう。
でも僕は観ない。何でかと言われれば、観ている余裕がないからである。本で手一杯だということだ。
つまり何が言いたいかと言えば、はまっているものの面白さは、それにはまっている人にしかわからないわけで、だから僕は、人に本を読めよ、みたいなスタンスはあまり取りたくないわけである。
人に本を勧める時も、まず無理には勧めないし、勧める時も、面白くないかもよ、という感じを添えたりするするぐらいだが、まあそんな感じである。
よくわからなくなったので話を変えよう。
いやあれだ、あの話だ。まあ本の話だけど、あの、どういう順番で本を読むか、という話である。
森博嗣という作家がいて、氏は自分のシリーズを、どの順番で読んでも別に問題はない、と言う。また、それでも一般の読者には、シリーズ物は順番に読むべきだ、と言う人が多い、ということも言っている。
まあそうだろう。
僕もそういう人間である。シリーズ物は順番通りに読みたい。
僕の場合それを説明するならやはり、不安だからだ、ということになるだろう。
例えばシリーズ物の第五巻から読み始めたとしよう。そうした場合、その巻に出てくる登場人物は、僕にとってはすべて初登場の人物である。
しかし、シリーズを順番通りに読んでいる人からすれば、それまでに出てきた登場人物と第五巻で初めて出てきた登場人物の区別はつくだろう。
僕が第五巻から読み始めたとして、知らないことが出てきた時(例えば初めて名前を知る登場人物が出てきた時)、それを知らなくても当然なのか、それとも知っていることが前提なのか、ということがわからないことが不安なのである。僕は、そうした不安を感じたくないが故に、シリーズは順番通りきちんと読みたい、と思うのである。
まあ、そんな理屈を捏ねなくても、普通の発想だろう。
ただ、なるほどと思ったこともある。シリーズを順番通りに読んでいる読者は、その次の作品に多大な期待をする。作家としては、それは負担だろう、という話である。
まあ、作家としては仕方がないことではあるが、なるほどでもある。
つい最近発売され、ついさっき読み終わった、京極夏彦の人気シリーズの最新刊がある。ファンはもうどれだけ待ったか、という程待ちわびた最新刊である。発売から猛烈な勢いで売れ続け、うちの店ではほぼ在庫なしという状況になったのだけど、確かにそうした場合、作家のプレッシャーはかなりのものだろうな、と思う。それはすべて、ではないしにしても、シリーズを順番通りに読んでいく読者が生み出した幻想である。
しかしまあそうは言っても、僕はシリーズを順番通りに読みたい。それどころか、上中下がきちんと揃ってから読みたい。
例えば、西尾維新に大人気シリーズである戯言シリーズの最終巻は、上中下の3巻で、しかもそれぞれの発売時期が違っていた。普通は、それぞれの巻が出たらすぐ読むものなのかもしれない。
しかし僕は、上中下のすべてが揃ってから読みたい人間なのである。だから、上中が出た段階では、買ったけど読まなかった。そして、下が出た途端、上中下を一気読みしたのである。
また、コミックでも同じである。僕はコミックもほとんど読まないけど、できれば完結してから一気に読みたい。今新刊が出るたびに買っているマンガは名探偵コナンだけで、これは短い話がすぐに完結する話だからまだ大丈夫なのである。続き物で、どうなるか気になる、みたいなストトーリーのマンガは、とてもじゃないけど完結しないと読めない。でもコミックの場合、完結すると50巻くらいになっていたりして、一気読みするのもなぁ、という感じになって、結局読まないのである。
まあそんなわけで、本の読み方なんか人それぞれだろうけど、それはもう全部自由で、誰にあれこれ言えるものではない、ということである。自由に読むのが一番いい。そういう意味でやはり、読書というのは仲間を作りづらい趣味だなぁ、とも思うのである。難しいものである。
毎日大量の新刊が出るそのすべてを読むことはまず無理で、それが非常に残念だと思うのだけど、だからこそ本読みにも個性がでるともいえるだろう。そういう、棲み分けというか読み分けがあるからこそ、またいろんな本が出版されるのだろう。とにかく僕としては、素晴らしい本を見つけて売りたいな、という気分で一杯である。はい。
何にしても、自分と同じくらいアホみたいに本を読む人間が周りに多くいないので残念ところである。異常な本読みとは結構仲良く出来ると思うのだけど、近くにいないのなら仕方ない。
まあ話はどんどん脱線しているけど、とにかく読書は楽しいですよ、ということである。
というわけで、そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、普通に出版されている本ではないけど、まあとにかく先に内容の紹介をしてしまいましょう。
趣味を仕事にしない方がいい、という定石に逆らって本屋のアルバイトを始めた私は、ある女子中学生の奇妙な行動が気になってしかたない。
いつも部活帰りです、と言わんばかりのジャージ姿で店にやってくる彼女は、ある日、ある人気ミステリーシリーズの第五巻を買っていった。当然、それまでの四作は読んでいるんだろうな、と思ったのだが、翌日彼女はその第四巻を買っていった。そうやって、第一巻まで逆に買っていったのである。
まあ不審には思ったが、そういう人もいるかもしれない。そう思い込もうとしたが、今度はコミックである。傑作だと評判の高い全四巻のコミックを、なんとその四巻から買っていくのである。もちろん逆の順番に一巻まで買っていった。
どう考えてもおかしい。そう思って、ある日、小説の下巻だけを買っていった彼女を追いかけて行ったのだけど…。
というような話です。
まあなんというか、まあそんな感じの話ですね。特にどうということもないというか、まあこんだけ短い話ですからね、まあこんなもんだろう、と。
雰囲気としては、ユリイカという雑誌の増刊の「西尾維新特集」みたいな奴の冒頭にあった本屋の話にちょっと似てるかな、という感じですね。
まあそんなわけで、この小説のないよう自体はまあ、どうでもいいとは言わないけどそんな感じです。
それよりも、「戯言コンプリートBOX」の話です。
西尾維新に掛けて、24014部限定で製作された、完全予約制限定のコンプリートBOXで、値段は5800円くらだったかな、そういう代物です。全部にシリアルナンバーが振ってあって、しかもそのナンバーとサインを西尾維新本人が書いている(らしい)。ちなみに僕の番号は10698ですね。まあそれもどうでもいいですけど。
中身は、ホントまんまBOXですね。つまり、戯言シリーズ全9作とザレゴトディクショナルの計10冊を収納できるカバン、という代物です。カバンと言っても、皮製にプリントされた紙製なんだけど、でも結構ちゃんとしてます。
まあ中身は他にもあって、その一つがこの「栄光の仕様」という小説なんだけど、豆本サイズで非常に読みづらいですね。まあ、面白いとは思いますけどね。
あとは、戯言Tシャツ(キャラクターの絵が書かれてるわけではないんで、普通に着れます)、戯言ティッシュ(これは面白いですね。闇口崩子が代表になっている、萌紫堂という会社名の入ったポケットティッシュです)、しおり(ファウストで竹さんが書いていた「戯言一番」という四コママンガみたいなタッチの絵が描いてあります。しおりは使わない人間なんで出番はなさそうですけど)、戯言ポストカード(これまでのシリーズの表紙の絵9枚と、書き下ろし3枚の計12枚です)、零崎人識タトゥーシール(その名の通り、あの人識のタトゥーが出来る、という代物です)という感じです。
まあ人によっては、これで6000円弱というのは高いという人もいるだろうけど、まあいいんですよ、その辺は。大したことではないような気がします。手に入れたということが重要なわけで、それ以外のことはまあ些事ですよね。
今は、森博嗣の四季シリーズの限定版を注文しようかどうしようか悩んでいるところですが、まあこれは注文しないでしょうね。読める内容は同じだから、特に新しいものが手に入るというわけでもないですしね。
とにかく今は、西尾維新の新作が読みたくて仕方ありません。もう何でもいいです。リスカでも新シリーズでもノンシリーズでも何でもいいです。何でもいいので、何か出してください、という感じですね。書くの速いはずなのに、やはり出版社が出し惜しみしているのだろうか。デスノートとホリックのノベライズで疲労したんだろうか。まあいろいろあるけど、読みたいぞ〜、西尾維新。頑張って書いてくれ〜。
まあそんなわけで、この限定BOXはもう手に入らないだろうけど(書店によっては、予約があったと偽って書店分を手に入れることもあるらしいんだけど。だから、大きな書店のどこかにはあるかもですね)、僕としては満足でございました。
西尾維新「栄光の仕様(戯言コンプリートBOXの付録小説)」
戯言コンプリートBOX限定品