あるいは、
誰かと人生が入れ替わってしまう話をしようか。
両方することにしよう。
もし万が一、今この時代に生きるあなたが、戦時中の誰かの人生とまるまる入れ替わってしまったとしたら、一体どうするだろうか?
本作は、そういう設定の物語である。
戦争、というのは、僕には記憶も経験もない出来事だ。紙の上に書かれた事実、映像に残された記録しか、僕は知らない。歴史にそもそもまるで興味のない僕としては、その残された、現実の戦争を映し出すのに不十分であろうそうした事実の一部ですら知らないままでいる。
だから、そんな僕が戦時中に飛ばされてしまったら、もうホント、途方にくれるしかないだろう。
思想そのものが違うのである。
戦争が始まった当初は違ったのかもしれないが、戦時中に生まれた子供というのは、国のためにたとえ命を投げ出すことになっても本望だ、という育て方をされる。まさに、洗脳である。お国のために死ぬことが美しく素晴らしいことだ、と叩き込まれて育てられているのである。
だから、誰もが、建前では死を望んでいるだろう。それが、有終の美であればあるほど、その死に大きな意味を見出せるほど、生きている価値があると評価される。そんな時代だったはずなのだ。
そんな時代に、死ぬということもよくわからない、そもそもきちんと生きるという覚悟すら忘れてしまった現代人が紛れ込むなど、それこそ悪夢だろう。
僕は、戦争なんか絶対にしたくない。
それは、もう誰もが同じことを思っているはずなのだ。
しかし、誰もがやりたくないと思っていても、戦争は始まってしまった。
それはもう、こういうことなんだろうと思う。
例えば、僕らは人の心を読みながら日々生きている。こうしたら相手は喜ぶかもしれないな、こうしたら相手は嫌がるかもしれないな、と。その相手本人が望むと望まざるとに関わらず、勝手にあれこれと想像して行動をするのである。
その対象が、かつては天皇だった。
天皇は、日本という国に誇りを持っていることだろう。だったら、他国に戦争を仕掛けて、天皇をより喜ばせてあげよう。
結局、戦争に始まりなんて、そんなものだったに違いない。誰かが、天皇が望んでいる、と勝手に解釈をして、戦争を始めてしまったに違いない。
戦争を終わらせられなかったのも、同じ理由だ。
天皇に恥をかかせるわけにはいかない。日本国が負けるわけがないのである。まだ断固戦うぞ。
結局、そういうことだ。
そういう風潮は、戦争という対象ではないだけで、今だって充分に存在している。宗教やマスコミと言ったものがその最たるものだろう。教祖が望んでいるからと言って殺人を犯したり、視聴者が望んでいると勘違いをして人々を追いまわしたり。
戦争というのは、基本的に日本からは姿を消している。世界中から消えていないことは残念なことだが、でも油断はできない。日本でも、また戦争が起こらないとも言えないだろう。
今は、より誰もが戦争を望まないだろう。しかしそれでも、日本人というのは周囲に乗せられやすい。とりあえず自分には無関係だろうと思って戦争に賛成をして、戦争が始まってしまう、なんてことは、実際にありえることだろう。
戦争を直に体験した世代は、そろそろ数が少なくなっていることだろう。残っていても、戦争の話は語りたくないだろう。それに、語ってもらったところで、それはその人の目から見た戦争でしかない。結局、そういう断片を集めて切り貼りしてみても、リアルな戦争の姿というのは浮かんでこないものだろう。
現代でフリーターだった本作の健太は、戦時中に戻って11ヶ月過ごした。その上で、こんな感想を抱いている。
『五十何年前の戦争中の日本にいた人間たちは、喋り方や動作は爺むさく婆くさいけれど、俺たちとそんなに変わんない。いいやつもいれば、嫌なやつもいる。俺たちと同じように笑って、怒って、泣いて、悩んで、怯えて、信じて、誰かを好きになって、自分を認めて欲しがって。』
時代なんていうのは、結局のところ、その時に生きている人間が作るものではなく、その時なんとなく生まれてくるものなんだと思う。そんな何十年かで、人間は大きくは変わらない。生きている人間は、皆似たようなもののはずだ。違うのは、なんとなく出来上がってしまう時代というやつで、結局それは、その時代を生きている人間に善悪を判断できるものではない。僕らは今、堕落した平和な時代を過ごしているけど、後々になって、あの時代はダメだった、なんて評価をされるのかもしれない。例えば、公害が社会問題になった時に、当時の人間はそれがここまで大きな問題になるなんて、思っていなかっただろう。今を生きる僕らには、その公害が酷かった時代を悪くいうことはできる。しかし、それをその時代に生きている人間がきちんと判断することは難しかったはずなんだ。
戦争だって、その時代に生きていた人間には、いいことなのか悪いことなのか判断できなかっただろう。それは仕方ない。ただそれでも、どんなに仕方なくても、もし戦時中の日本に飛ばされることがあったら、誰かにこう言いたい。
戦争は間違っている。日本は、負けるよ、と。
そうだ、もう一つ触れておきたいのは、戦時中の人間が現代に飛ばされたら、ってことだ。
これも、ちゃんと考えてみればわかることだけど、すごいことだ。たった五十年足らずで、時代そのものだけじゃなく、物質的にも思想的にもこれだけ激しく変わってしまうのだから、基本的に中身が変わらないはずの人間がそれに追いつくのは大変だろうな、なんて思いました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
尾島健太は、今流行の(?)フリーター…じゃなかった、ニートになっちゃったんだっけ。ついこないだ、バイトで働いてた居酒屋を辞めちまった。くそっ、フロアチーフのヤマグチめ。ネチネチとうざったいっ。
そんなささくれた気分をどうにかしようと海までやってきた。サーフボードに乗っていい波を待つのだけど、どうも気分は晴れない。
そうやってしばらく波と戯れていたところ、突然ボードから落ちた感覚がある。なんだ。いつもと違うぞ。どうなってるんだ、これ…。
目覚めると、健太は海を漂っていた。この時の健太には想像も至らなかったが、なんと健太が目覚めたのは、昭和19年の日本。戦争真っ只中の日本だ。そこで健太は、どうやらいなくなったらしい空軍兵だった男と間違われ、軍隊での生活を強いられることになる。
一方、五十年前の同じ時間同じ海域。初の単独での飛行訓練真っ最中である一人の空軍兵がいた。
石庭吾一。終戦間近(であることを石庭は知らないが)の戦局をひっくり返すための極秘作戦のために飛行訓練をしている。しかし、どうにも操縦というのは慣れない。
雷鳴がなったと同時に、変な感覚に見舞われた。機体が反転してる?計器類がおかしい。エンジンが…回ってない?どうなってるんだ…。
気付いた時目に入ったのは、白い天井だった。この時の石庭には想像も至らなかったが、なんと石庭が目覚めたのは、2000年の日本。ちょうど、9.11のテロの頃だ。そこで健太は、海で溺れた健太という男に間違えられ、その未来の日本での生活を強いられることになる…。
というような話です。
いや〜、いい話でしたね。戦争モノの小説は、いろんな人がいろんな形で書いているんだろうけど、まさかこんな切り口で来るとは、って感じですね。戦争モノと言えば、律儀に戦時中を舞台にした感動作にしようとする作品が多い中で、この作品はもう異色である。全然、重くない。なんと言っても、フリーターだったどうしようもない男が軍隊で生活をするのだから、たとえ時代背景があっても緊張感は薄れるだろう。軍人だった男が未来で生活するところなど、もう爆笑の連続である。
しかし、本作は軽薄というのとは違う。戦争というものを、少なくとも僕が感じられる限りで非常にリアルに描いていると思う。
つまり、戦争モノの多くは、いろんなことを美化しすぎているように思う。特に映像作品はそうだ。戦争中だったからと言って、今の時代の人間とそう資質が大して違ったとは思えない(まあ体力的な面では惨敗だろうけど)。それを、さも戦争を経験した人間は美しく見事で立派である、というような描き方をする。
本作は、それとはちょっと違う。戦争中でも、人間は大して変わらない、ということを描こうとしているように僕には思える。もちろん、時代というものが違うから、思想的なものは大きくことなる。しかし、人間が本来持っているものは、そんなに大きく変わるはずがないのだ。
だから、健太が図らずも経験することになった終戦間際の戦争体験は、非常にリアルなものに僕には映る。もちろん、戦争というものを知らずに言っているわけで、無責任にもほどがあるけど、それでもそう思う。
健太は、初めこそもうとにかく逃げることしか考えていなかったけど、途中から段々と考えが変わっていく。ダメ人間の見本みたいな人間だった健太が、どんどんと変わっていくのである。その成長の過程を見るのは、非常に面白かった。
同時に、未来へ飛ばされてしまった石庭は、逆に少しずつだけどダメに、というか弱くなっていく。逆の成長が見られるのである。
そう考えるとやはり、冒頭で書いたように、結局人間というものは大きく変わるわけではなく、時代というものによってその資質が左右されるのだろうな、と思う。昔の人に比べて、今の若者は、努力を嫌うし功を急ぎすぎる。やりたくないことはしないし、やりたいことはなんとしてもやる。そんな若者の姿を見て、昔の人間は…と言いたい大人もいることだろう。
しかし、そういう彼らが若い時から今の時代にいれば、結局同じ事をするはずだ。逆に、今を生きる僕らがそっくりそのままで戦争中に生まれたって、結局当時の人間と同じようになるだろう。
だからどうだ、ということはないんだけど、そうなんだろうな、と思う。
未来に飛ばされた石庭の方は、本当に面白かった。荻原浩という作家の想像力というのはなかなかのもので、五十年前の人間が現代のありとあらゆるものを見てどう感じるかをきちんと描いている。それが本当に面白い。初めは、町に溢れる「7」や「M」を象ったマーク、と言われてなんのことかすぐにはわからなかったのだけど、そのうちわかった。20代の女性を年増と捉える発想も、寿命が短かった昔の基準だろうし、携帯電話なんて本当に驚くばかりのものだろう(まあ携帯電話について言えば、僕らだって登場した頃は驚いていたはずだからなんとも言えないけど)。
そんなもう未知の世界の中で、石庭はなんとか努力して生き抜こうとする。その姿も、すごくいい。戦争とは無縁の時代に飛ばされてもまだ五十年前の戦局を気にかける辺りとか(日本が負けるということを歴史の教科書で知ってもなお、である)、健太の恋人で、石庭を健太だと間違えているミナミを徐々に愛する気持ちが強くなっていく辺りとか、すごくいい。健太の話も石庭の話も、とにかくどっちもとてもいいのである。
ラストの終わり方も、僕はかなり好きだ。おおいう終わらせ方を嫌う人もいるかもしれないけど。僕としては、最後にもう一回小説内世界が広がるような感じがして、いいなと思った。
荻原浩という作家は、取材した情報を小説の中に取り込むのが非常にうまいな、と思う。作家の中には、例えばある街やある時代を表現するのに説明的な文章で描こうとするけど、荻原浩は違う。例えば、石庭が健太の父親の髭を見て、昔見た喜劇役者に似ているな、というような、そうい形で情報が描かれていく。だから、小説にものすごく厚みがある。ちょっとした描写の中にも、時代や背景を取り込んだ情報が小出しに出されていて、ホントうまいなぁ、と思ったものである。
本作は、横山秀夫の「出口のない海」にちょっとだけ通じるものがあるけど、雰囲気はかなり対照的だ。なんにしても、共に映像化された、という共通点もあって、戦争を知らない世代が書いた戦争小説として割と残る作品ではないか(うーん、それは言い過ぎかもしれないけど)と思ったりもする。
とにかく、すごくいい話だった。戦争モノが苦手という人でも全然読めると思うし、荻原浩という作家を知らない人にも手にとりやすい作品だと思う。是非読んで欲しいな、と思います。すごくいいです。戦争について考える、なんて偽善的なことは言わないけど、それでも、何か考えるところはあるだろうし、何か残るものもあると思います。
荻原浩「僕たちの戦争」

僕たちの戦争文庫