今回の話は船の中でのお話だけど、そこに至るまでしばらく掛かる。
大笛梨枝は、羽村怜人という男と出会う。めくるめく、というような、静かでつましく、ゆったりとそれでいて激しい恋愛をしていく、わけです。梨枝は瀬在丸と知り合い、恋愛の話しをし、羽村と船に乗ることになって、かなりの豪華客船で、うきうき、ということ。
一方、いつもの悪巧み男保呂草は、今回もまたよろしくない仕事を引き受ける。前作で出てきた関根という画家の初期の自画像が、ある船で取引される云々。それを盗むよう以来を受けた保呂草は、一方で鈴鹿という大富豪の家を香具山とともに張り込みをしたりする。仕事、ということで保呂草と一緒に船に乗ることになった香具山はうきうきで、夢心地。
そんなわけで舞台は揃い、大笛やら羽村やら、鈴鹿一家やらフランスの大富豪やら、そして香具山、保呂草だけでなく、何故か無賃乗船で小鳥無と瀬在丸のおまけつき。銃声と共に羽村とおぼしき男が船外へ落ちるのが目撃され、行方を捜すも見付からず。おまけに鈴鹿氏が船内に持ち込んだ、あの関根の自画像が盗まれるに至り、飛行機で何故か現れた愛知県警の祖父江を筆頭に、絵と人の捜索が行われるも見付からず・・・というようなお話。
いつものことだけど、森博嗣のミステリーは(森博嗣の作品は、とは言っていない)、見える現象をどう見るか、ということで様相が一変してしまうところがいい。推理だとか捜査だとか、そういう過程が綺麗に省略あるいは簡潔にされているのもいい。探偵役は何かを立証しようとするわけでもなく、ただ解釈のみを与える。時には本人の独断で、恣意的に別の物語を語ることさえある。それが優しさであることに後から気づくので、悪い気はしない。
今回の作品は、消えたもの二つの対比がなかなか綺麗で、消えたものはなかったり、なかったものはあったり、そういう美しさをやはり追求しているんだろうな、と思う。
まあ、やはりそんなに出来のよくないと思うVシリーズだけど、まあまあかな、と思う。
今回保呂草は、少しだけいい奴。悪くない。
ただ一つ、とても気になることがあって、人物一覧表では「松村」となっている登場人物が、本文中では「村松」になっていること。森博嗣のことだからなんか意味があるのかと思っていたけど、恐らく誤植だろうと思う。珍しい。
というわけで、いつものように、気になったことなんかをざっと。今回は多いかも。
(前略)たとえば私の場合、孤独の信号を感じるときというのは、身近に大勢の人間たちがいる、そんな状況がほとんどなのだ。(中略)
つまりそれが、孤独の力。
貴重なその暗さと軋みを、実際に肌で感じた最初のときには、それらはただのマークだった。その記憶が、いつのまにか記号になる。文字になる。それが孤独というものの性格だ。
独り船に乗り、大海をさまよっている。周囲のどこにも逃げ場はない。助けてくれる仲間もいない。そんな状況が孤独だと勘違いしている者が多いようだ。まったく違う。それは孤独とは別のものである。
場所など、どこであっても同じこと。私たちの周囲には、そもそも逃げ場など存在しない環境ばかりだ。(中略)
むしろ、そういった逃げ場のない設定こそが、人間に「安心」という幻想を見せる条件でさえあるのだ。周囲のどちらへもいける自由とは、すなわち砂漠の真ん中に取り残された夜のようなもので、つまりそれが、孤独の必要条件でもある。
だから、自由と孤独は切り放せない。
道が一本あれば行く手は自然にその一つに決まる。選択する機会が失われる。その不自由さに、人は安堵して、歩み続けるだろう。立ち尽くすよりも歩く方が楽だからだ。
そして、その歩かされている営みを「意志」だと思い込み、その楽さ加減を、「幸せ」だと錯覚する。
孤独という自由を、人は恐れ、
その価値を評価しないよう、
真の意志の存在を忘れるよう、人は努力する。
(後略)
(前略)
つまり、物語とは、それを語る人物(すなわち私)が意図的に線を引き、輪を描いて囲ったうえで、ばらばらに存在する内容物を都合良く順序づけて並べた記号である。
おおかたは、事実に沿っているといえるが、
だが、文字にした瞬間、
文章にした段階で、
それは確実に虚構のものとなる。
たとえば、自分が認識した順に性格に情報を記述することは不可能である。文章に現れる単語の順に人は世界を観察しているわけではない。文法に従って活動しているものなどないからだ。そもそも、言葉によって物体を認識するわけでもない。
すなわち、文字に変換したとき、すべては嘘になる。
たとえ文章にしなくても、
文字にしなくても、
認識し記憶したものが既に、
現実からは乖離しているはずだ。
(後略)
(前略)
アパートに帰り、玄関で靴の紐を解いたとき、いつもなら少し無理をして足を抜いてしまうのに、何故か今夜は、手間をかけてやろう、細かいことを無視しないで、生活からこぼれ落ちているものたちを拾ってやりたい、と彼女は思った。
(後略)
(前略)
どうして変化に対して人は臆病になるのだろうか、と考える。そんなことを考える自分を自覚して驚く。きっと、失敗したとき元どおりに戻れない、という心配(あるいは予測)があるからだろう。結局のところ、失敗の大きさをどう見積もるか、にすべての判断が帰着するように思える。しかし、人はどんなときでも、逆戻りはできないのだから、永遠に真の答えなど得られない。
(後略)
(前略)
人は、自分と比較しないと他人を認識できない。
同様に、他人と比較しないと、自分を評価できない。
自分の存在の大部分が、他人との関係の上に成り立っている。そんな相対的な自己存在に対して、とても抵抗を感じる。だが、それ以外の方法はないようにも思える。きっとないだろう。
(後略)
(前略)
「人が人を殺すことって、実はとても簡単なことなの」紅子は優しい口調だった。「難しいと思っているだけ。人間だけが、その価値も、その怖さも、知っている。難しいものだと思い込もうとしている」
(後略)
「(前略)私なんか、もう何もないのよ。全部なくなってしまった。全部取られてしまったのよ。だけどね、どうしても取られないもの、誰にも渡せないものがあります。それが、人の価値を決めるものです。それだけは、最後まで、死ぬまで、誰のものでもありません。立ち上がりなさい。人の誇りを持ちなさい!」
(後略)
(前略)甘えられる人がいなければ、結局、人は泣き続けたりはしないものだ。
(後略)
森博嗣「恋恋蓮歩の演習」
恋恋蓮歩の演習講談社ノベルス
恋恋蓮歩の演習―A Sea of Deceits講談社文庫