2006年11月23日

イッツ・オンリー・トーク(絲山秋子)

年齢を重ねるにつれて、恋愛というものの意味がどんどんと変わっていくのだろう。
いや、違うな。恋愛というものの意味が、どんどんと増えていくだろう。こっちだな。
若いうちは、好きになった人と、特に何も難しいことを考えず、ただ好きという理由だけで、ただ愛してるという理由だけで、恋愛をずっとずっと楽しむことが出来る。若いというのは、まあきっとそういうことなんだろう。
しかし、年齢と共に、それがそううまくはいかなくなってくるのだろうと思う。
つまりそれは、結婚というものを多くの人が意識し始めるからだ、ということだ。
若いうちは、好きだから付き合おう、でよかったものが、団々年を経ていくと、付き合うということが結婚前提ということになってしまう。付き合う前にそんな決め事をしなくても、なんとなくそんな雰囲気になっていくものなんだろう。
それが、年を取るということである。なんて分かった風に書いてみましたが。
さてしかし世の中には、結婚をしたいと特に思っているわけではない男女も数多くいるわけだ。特に最近は晩婚化が進んでいて、今まで結婚適齢期だとか言われていた時期を大幅に過ぎてから結婚することが多くなってきている。まあこの辺は、女性の社会進出がどうのこうのという話なんだろうけど。
さて、そこに落とし穴があるのである。
世の中の多くの人が、まだ結婚はいいや、と思っている現実がある。しかし一方で、このくらいの年齢なら社会的にはそろそろ結婚という話が出るよな、という幻想がある。
この二つが、そういう微妙な時期にいる男女の付き合いを、微妙に歪ませているのではないかと思う。
つまり、なかなか相手に踏み込まない、という距離感が生まれるのではないか。
あるいは、まあ別にいいや、というような諦めが生じるのではないか。
相手の結婚に対する考え方が読めないからこそ相手に踏み込むのを恐れ、一方でそういう駆け引きをめんどくさがって、私はそういうの関係ないから、という退廃的な雰囲気を見に付けたりするのではないだろうか。
僕の勝手な印象ではあるが、男は前者のようになりやすく、女は後者のようになりやすいのではないか、と思うのだ。
男は、結婚という重さから逃げたくて臆病になり、女は臆病になった男を安心させたくて諦めのオーラを発散する。そうやって、なんとも言えない、微妙で歪んだ恋愛というものが形成されるのではないか、と思うのだ。
別に、それがいいか悪いかという話をしているのではないのだが、僕は馬鹿馬鹿しいな、と思うのだ。
いつになったら、恋愛と結婚はまるで別のものだ、という根本的な発想が浸透するのだろうか。そうなれば、男と女は、年齢に関係なく気軽に恋愛を楽しむことができ、歪んでしまうようなことはないだろう。
僕の周りの人間も、チラホラと結婚という言葉を口にするようになった。実際結婚したやつはいないが、結婚したいと思っているやつは多いようだ。なるほど、こういう連中が結婚への幻想を生み出し続けている元凶なのだな、と思うのだけど。
年齢と共に恋愛というものがどんどんと窮屈なものになるのだろうな、と思うと、若いうちに恋愛をしておきたいものだ、と思うのだが、なかなかそううまくいくわけもなく、八方塞なのでありました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、2編の中編(短編?)を収録した中篇集になっています。それぞれ内容を紹介しようと思います。

「イッツ・オンリー・トーク」
橘優子は、直感で蒲田に住むことに決めた。
今朝、男に振られたばかりだ。何のとりえもないどうしようもない男に、「別れよう」と言われて。それで、蒲田に住むことにしたのだ。うつ病のために仕事を辞めた今は、貯金を切り崩しながら、絵を描いての生活だ。
優子の元を、ありとあらゆる男が通り過ぎていく。
蒲田で選挙活動をしていた大学時代の友人。彼はEDで童貞だった。
出会い系サイトで知り合った、卑猥なことをされるためだけに会う痴漢。
福岡で自殺しようとして失敗したいとこ。彼をすぐに呼んで、一緒に住むことになる。
ネットで知り合った、うつ病のヤクザ。
大学時代に告白され、それきり合ってない男。あだ名はバッハで、EDの立候補の事務所の手伝いをしている。
そういう男が、優子との関係を築きながら、しかしどこか歪なままで、その歪さを解消できないままで時間だけが過ぎていく。唯一、初めから歪なままで出会い歪なままの関係が自然である痴漢だけは別なのだが。
そんな優子の、退廃的ではあるが後ろ向きではない日常を描いた作品。

「第七障害」
早坂順子は、自分が馬を殺したということをいつまでも悔いていた。
障害レースの大会でのこと。その第七障害で順子は、人馬転をやってしまった。そのために足の骨を折った馬は、安楽死させられてしまったのだ。
順子に責任はない、と周りに言われるも、いたたまれなかった順子は、乗馬クラブを辞めた。
順子は合コンで出会った警官と付き合っていたのだが、その人馬転の日を境に関係がうまくいかなくなる。ついには別れるのだが、東京に住んでいるその警官の妹と気が合い、高崎なんかにいないでルームシェアして東京に住もうよと言われて東京へ出て行く。
そこで、乗馬クラブ時代のライバルだった永田篤と本当に偶然再会するのだけど…。

というような話です。
まず、この二編の違いを、ルービックキューブに例えて説明してみようかなと思います。
ルービックキューブというのは、僕は全然出来ないのだけど(1面揃えるのがやっと)、でもあれは定石というかやり方があります。そのやり方をきっちりと守って1面1面丁寧に作って言って最後まで完成させる、というやり方なのが「第七障害」です。
しかし世の中には化け物のような人間がいまして、シャシャシャシャシャッと何回かカチャカチャやっただけで完成形にしてしまうような達人もいるわけです。そういうやり方なのが「イッツ・オンリー・トーク」ですね。
なんとなく意味はわかりますでしょうか?
「第七障害」の方は、ドミノが倒れていくように展開が分かりやすいんですけど、「イッツ・オンリー・トーク」の方は、いつの間にこうなったの?とか、どうやったわけそれ?みたいなことが積み重なって、でも最終的にきちんと形になってしまうのだな、という感じの小説でした。
どっちも、男女の微妙に変わっているおかしな歪んだ関係を描いた作品ですけど、その主人公の女性に共感できるかどうかで、読んだ人の感想が大きく変わるでしょうね。僕は、ものすごく共感できたというわけではないけど、そういう退廃的な女性がまとう雰囲気というのが結構好きなので、悪くない作品でした。
「イッツ・オンリー・トーク」の方では、やはり痴漢との関係が一番いいですね。解説にも同じことが書いてありました。他の男とはいささか消化不良という感じがしないでもないけど、痴漢との関係はかなり昇華されている感じで、見ていて清々しいというか、いいと思いました。解説ではこんな風に書いています。
『日本中の悩める女子に「痴漢」を。もちろん彼氏とは別枠で!』
うーむ、そんなこと言われたら、僕も痴漢になってしまおうかしら(笑)
こういう人間関係、というか男女関係もアリだよなぁ、という、ある意味で優しさに包まれた作品という感じがしました。
「第七障害」の方は、「イッツ・オンリー・トーク」と比べると地味な作品で、あまりこれと言ったところはないのだけど、まあ警官の妹と再会した永田のキャラが、まあ結構よかったですかね。
さて、本作で一番羨ましいことは何かと言えば、解説を書いているのが書店員、ということですね。なんでも、本作のハードカバーが発売された時、直感で大量に注文し、6面平積みをしたとかで、そういういろんな縁があったのでしょう。僕も、昔は直感で平積みする本を選んでいたのだけど、最近はホントに保守的になったなぁ、と思います。直感でいいと思わせる作品が少なかったというのもあるのだけど。
まあそんなわけで、書店員が解説を書くというのは今まで見たことがなくて、すっごく羨ましい限りですけど(帯のコメントとかはよくあるけど、解説を書店員に書かせるなんてのはないと思う)、俺もいつかそんなチャンスを夢見て、直感を働かせながら本を選んでいこうと思います。
まあそんなわけで、割といいと思います。女性が読んだら、結構いいかもです。若い女性向けという感じではないですけど。気が向いたらどうぞ。

絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」


イッツ・オンリー・トーク文庫

イッツ・オンリー・トーク文庫
 

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/white_night/tb.cgi/4578104
この記事へのトラックバック
イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)絲山 秋子 内容紹介(文藝春秋) うつ病のヤクザに痴漢の友だち、シンドい事情を抱えた奇妙な人々のメゲない、挫けない、すねない生き様を描いた鮮烈なデビュー作 居候は..
『イッツ・オンリー・トーク』絲山秋子 を読んで【そういうのがいいな、わたしは。(読書日記)】 at 2008年01月10日 12:20