どう死にたいか、という問題は、なかなか生きている間に考えることは少ないかもしれない。特に、若いうちはそうだ。生きていることに精一杯で、死ぬことについてなんか真剣に考えられるものでもないだろう。
僕は、結構よく考える。死というものが、生と対極ではなく、むしろ生と寄り添うものである、という風に考えているからかもしれない。
僕は、出来ることならば一瞬で死にたい、と思うのだ。
死後の尊厳などというものは、もはやどうでもいい。どれだけ死体がグチャグチャであろうとも、どれだけその死を蹂躙されようとも、そんなことはむしろどうでもいい。死体を丁寧に埋葬するような、そんな必要すら僕には感じられない。
だからこそ、何かの大事故で一瞬で死ぬ、みたいな最後が素敵である。あるいは、脳卒中なんかで一瞬で死んでしまうのもいい。これから自分は近いうちに死ぬのだな、と意識してから死ぬまでの時間が短ければ短いほどいい、と思う。死の本当の恐ろしさというのは、死そのものではなく、死にゆく過程で、自らがそれを意識し認めていかなくてはいけない現実にあると思うからである。
しかし、まあ現実的にはそううまくはいかないだろう。病気を患って長く苦しむかもしれない、思いのほか長生きしてしまい、老衰で死ぬ、みたいなこともあるかもしれない。どちらも最悪な最後であるが、しかし死を自らで選ぶことは難しい。
例えば、癌になった時、自分はどうするのか、と考える。
初期のもので、簡単な手術さえ受ければまあ完治するというものであれば、仕方なく手術を受けるだろう。しかし、もう手遅れであったり、あるいは完治するかどうか微妙な状態ということであれば、僕としては寧ろそこから何もしないことを望むだろう。放射線治療などもちろん受けず、出来るだけモルヒネで痛みを緩和して、そのまま死んでいきたいと思う。
それがきっと、生と寄り添った死、という形なのだろうと僕は思う。つまり、生と死を明確に区別するのではなく、混合した状態もきちんと受け入れよう、という意識があるからこそ、そういう発想になるのだろうと思う。
人によっては、放射線治療を受ける、という人もいるだろう。恐らくそういう人は、生の対極として死を認識しているのだと思う。死とは、抗い退けるものであって、そこから脱出して初めて生という世界に戻ることが出来る、と考えているのだろう。どちらがいいという話ではない。
死と闘うのではなく、例えそれがどんなにかりそめのものであっても、死の瞬間まで生者として生きたいなと思うのだ。それこそが尊厳という意味だと僕は思うし、人間らしいとも思う。
なるほどそう考えると、やはり本作で描かれる病院のシステムは面白い。
それは、入院患者にも病院内の雑務を負担してもらうことで、院内の効率化を図ると共に、まさに死に行こうとしている者を最後まで生者として扱うことが出来る、というシステムだ。
病人だからと言って、ベッドに縛り付けておくから余計に悪くなるのだ、という持論のもと、病人にも仕事を分担する。それによって、生き甲斐のようなものを得ることが出来、もう少し生きたいという願いから生が少しずつ延びていく。最後の最後まで生者として生き続けることができる。本作では、様々に問題を孕んだシステムではあったのだが、しかしこのシステムは、僕には魅力的に映るし、多くの病人にとって望まれるものではないか、と思う。
死がどんな形で訪れようとも、病院のベッドの上でただ漫然とそれを待っているだけというのは望ましくない。仕方なく病院のベッドで死ぬとしても、最後まで生者として、病人としてではなく生者として扱われたいと思う。その上で、死を享受できれば、それは恐らく幸せだろうと思う。誰にでも死は訪れるからこそ、死だけはすべて平等であって欲しいと思う。
そろそろ内容に入ろうと思います。
小学校からの同級生であり、時風新報という弱小新聞社の社会部主任補佐でもある葉子が、またいつものように僕に仕事を押し付けようとしている。取材で何か必要があると、いつも僕を呼び出すのだ。まあ僕も、留年ばかりを繰り返しているダメ医学生の身、時間だけは腐るほどあるので文句を言うことでもないのだが。
今回の話は、医療法人碧翠院桜宮病院への潜入取材、である。厚生労働省からの取材以来から端を発した話ではあるが、どうやらかなりワケありの、怪しい話らしい。それを葉子がしなくてはいけないのは、上司が葉子に丸投げしたからだが、それを葉子は僕に今まさに丸投げしようとしているのである。
何故潜入取材なのかといえば、桜宮病院への取材依頼が完璧に断られたからで、ならばと、桜宮病院で募集していたボランティアに潜り込む、というのが今回の話だ。へっ、ボランティアと来たもんだ。僕がやるわけないだろう。葉子からの依頼は、完璧に撥ねつけたのである。
しかし、様々な予想外の現実の前に、僕は桜宮病院への潜入取材を受け入れなくてはいけなくなった。しかも、別のミッションをオプションにつけて。やれやれ、なんてことだ。
入ってみると、桜宮病院というのは、落ちこぼれ医学生から見てもかなり異常な病院だった。寺院と火葬場を併設する病院で、終末医療を掲げ、死んだ後も面倒をみてくれる、ということで評判はいいのだが、黒い噂が渦巻いているらしい。それに、病人を会社のスタッフとして雇用し雑用を任せたり、あるいは人が死にすぎていたりと、不審な点ばかりである。
また僕も、姫宮という超どんくさい看護婦のあらゆるミスのために、桜宮病院に長期入院することになり、その深みへとどんどんと入り込んでいくことになるのだけど…。
今回の作品も面白いと僕は思いました。今までの作品の順位を決めれば、
バチスタ>螺鈿>ナイチンゲール
という感じですね。
まず、桜宮病院の設定がすごく面白いと思いました。先ほども書いたけど、患者に雑用をやらせるというシステムは、やり方の問題はあるのだろうけどすごく面白いシステムだと思うし、終末医療にも積極的に取り組み(多少表現に語弊があることは否めないけど)、終末医療という問題にも深く考えさせられる感じでした。性格的にはホスピスのような病院なのだけど、しかしそこで入院している人間は皆端から見れば元気で、とてもこれから死を迎えようとしている人間とは思えないくらいです。そういう人であれば、むしろ何か仕事をさせるくらいの方が生き甲斐を見出せるというのは当然で、なるほど本当に面白い発想だ、という風に思いました。
また、病院での死亡時の解剖実績が5%にも満たないこの時代に、解剖率100%を誇り、死んでから即解剖、そして隣の火葬場で即焼却、そして隣の寺で即葬儀、という流れ作業のようなシステムも、まあこれも問題を孕んでいるのだけど、しかしただそれだけを見る分には面白いと思ったし、現実に採用してもいいようなアイデアだな、と思いました。
ストーリー的には、派手な事件は特に起こらなくて、これは「バチスタ」の時と同じですね。本作では、桜宮病院がちょっと怪しいから調べてきて、という始まりで、でそこからも、ちょっとずつ怪しいなぁ、みたいな断片が見え隠れするだけで、派手に死体が見つかったり、ものすごい展開がある、ということもありません。
それでも、読ませますね。特に何も起こらないくせに面白い。キャラクターがそれぞれに良いのもあるけど、やっぱり著者の文章のテンポがいいんだろうな、と思います。多彩な比喩表現と、リズム感のいい言葉の繰り出しのお陰で、軽やかに文章を読み進められるな、という印象があります。これはもちろん、デビュー作の時からそうだったわけで、すごい作家だなとあらためて思います。
本作にも、あのモンスター白鳥が出てくるし、またこれまでのシリーズの中で、白鳥の唯一の部下であるという形で名前だけ出てきた姫宮も登場ということで、一層面白いという感じです、また、「ナイチンゲール」の時は、視点があちこち入れ替わってちょっと読みにくさを感じたりもしたけど、でも本作ではほぼ「僕」の一人称で、そういう意味でも読みやすい作品だと思います。
出来れば、少なくとも「バチスタ」を読んでから読んで欲しい作品ではあるけど、本作単体でも充分に楽しめます(白鳥のキャラクターは、やはり「バチスタ」の時が最高潮に全開なので、その白鳥を先に知って欲しいというのはあるけども)。相変わらず面白い作品なので、是非読んでみてください。
海堂尊「螺鈿迷宮」

螺鈿迷宮ハード