例えば、最近の電化製品というのはものすごく性能がいい。大きさもどんどん小さくなっていって、軽量化という観点からも日々進歩が進んでいる。
しかし、電化製品が進化すればするほど、壊れやすくなるし、壊れた時の対処が難しい。これが、まさに人間の精神のようではないだろうか。
一昔の電化製品ならば、分解して中を見れば、小学生でもその仕組みはなんとなくわかったそうだし(ラジオを分解したことがある、という世代はあるのだろう)、直そうと思えばなんとか自力で直せたようだ。恐らく人間という種も、初めはこれぐらいのスペックだったのだろうと思う。複雑な精神を持つことはなく、動物らしい、本能的な行動に支配されていた頃というのは間違いなくあっただろう。どちらがよかったか、という話ではなく。
進化した電化製品が壊れやすく直しにくいように、人間の複雑な精神も、壊れやすく直しにくい。ちょっとしたことで混乱を起こし、それを解消するのは並大抵のことではない。
精神を病んだり、あるいは器質的に脳に障害があったりなどという形で、今ではありとあらゆる病気が見つかっている。有名なのは多重人格(統合失調症というのだっけ)や幻覚などだろう。かなり稀なものとしては、人の顔を識別できなくなるとか、自分が誰かに操られていると感じる病気とか、近しい人が誰かのなりすましであると思い込んだりする病気など、様々なものがある。
これらの病気の発症は、ある意味で人間を守るための一種の機構なのだろうとは思う。例えば人間は、痛みというものを感じることによって、危険から遠ざかろうという本能がある。痛みを感じない、という病気もあるが、そういう病気を持つ人は、危険なことの区別をすることが出来ない。熱いものを触ったり、何かで体をぶつけても痛みを感じないので、それを危険なことだと認識できない。痛みがあるお陰で僕らは危険から守られているといえる。
それと同じく、精神を病むというのは、一種の防衛だろうと思う。そのままでいれば、さらに悪い状態になると判断した意識だか無意識だかが、とりあえず分かりやすい形でそれを表面化して悪化を回避しようという本能が、そういう病気の発症を促すのだろうと思う。まあブレーカーが落ちるようなものだろうか。
いずれにしても、精神を病んでしまうのは恐ろしいことだ。一番恐ろしいのは、自分を客観的に見ておかしいという風に思えなくなることだ。今の僕は、自分を客観的に見ておかしいと思っている。それは、非常に正常なことだと思う。精神を病むことで、これが期待できなくなってしまうということが一番恐ろしい。
そうした病気が、いつ自分に忍び寄ってくるのか、本当にわからない。僕も一時期、精神を病んでいたな、と軽く思うような時期があった。なかなか大変だった。周囲にもかなりの迷惑を掛けた。もうああいうのは嫌だな、と思う。
自らの意思で避けることが出来るものとは思えないけど、なんとか正常な精神のまま生き続けていたいものである。
そろそろ内容に入ろうと思います。
我茂鳳介は小学生で、今は父洋一郎と二人で暮らしている。母咲枝は、ついこの間死んでしまった。癌だった。人は死んだらどうなるの、と母に聞いてから三年。いなくなって、それだけなの、と答えた母は、死んでしまった。
母の死からしばらくして、小学校の同級生である水城亜紀の母親が死んだ。屋上から飛び降りたようだ。どうやら、自殺らしい。その後、続くようにして亜紀が車にはねられて怪我を負う。
母が死んでから、日常の様々な場面で気に掛かることが増えた。それぞれは、些細な大したことないものなのだけど、積もり積もってなんだか不思議な感じになっている。
一体僕の周りで、何が起こっているのだろう…。
というような感じです。内容紹介が、ちょっと難しい。
この作品は、まあまあという感じでした。多少期待しすぎたからかもしれないですね、思ったほどではなかったです。
この道尾秀介という作家は、今年のこのミスで20位以内に二作がランクインした作家で、作家別得票数では1位を獲得するというめざましい活躍をした作家です。本作も、このミスの3位にランクインした作品で、期待して読んだんですが、自分の期待した方向には進まなかった感じがします。
ミステリとしては、本当にすごい作品だと思います。まず絶対にラストを予測出来る人間はいないと思うし、伏線の張り巡らせ方が本当にうまいと思いました。二重三重にミスリードを促すような伏線の配置と、それぞれがまったく不自然ではない伏線の配置には、驚きました。最近ミステリをあんまり読んでなかったこともあるかもしれないけど、ここまで伏線の処理のうまい作家も珍しいな、と思いました。
ただ、伏線関係で一つ不満があるとすれば、張り巡らせた伏線が一つに収束しない、ということですね。いろんな伏線が様々なところにあるのだけど、それらが、ただ一つの場所へ収束するわけではなく、いくつかの謎(細かいものも含めて)のそれぞれの伏線、という形だったことです。本筋に関係のある伏線はいいのだけど、本筋とはあまり関係のない伏線というのもたくさんあって、ストーリー的にはそれは面白いとは思ったけど、ミステリとしてはどうかな、と思いました。
というわけで、ミステリとしてはかなり評価できるし、この作家の別の作品も読んでみたいな、という風に思ったんですけど、でもストーリー的にちょっと淡々としすぎているな、という感じがありました。たぶん、伏線をいかに配するかということに囚われすぎて、ストーリーの展開というところまで回らなかったのだとは思うのだけど、もう少し起伏のある物語だったらよかったのにな、と思いました。
あと一点どうしても気になったのが、人称の問題です。本作は、章ごとに視点が変わる一人称の小説なのだけど、誰に視点からでも地の分での各登場人物の呼び方が変わらないです。例えば、鳳介が母親のこと「咲枝」と呼んだり、父親のことを「洋一郎」と呼んだりします。高校生とか大学生ぐらいの設定ならまだ分かるけど、鳳介はまだ小学生なわけで、父とか母とか呼ばせればいいんじゃないか、と思いました。なんだか、最後までその人称というか呼称というかそういうところが気になってしまいました。
僕の中では、もう少し何かがうまく変わればすごい作品だっただろうな、というような微妙な残念さがあって、それがこの作品をうまく評価することを妨げているような気がします。
ただ、ラストは本当に見事だと思ったしミステリとして読めば出来はかなり高いと思います。ちょっとこれからも注目したいところです。特に、「向日葵の咲かない夏」がかなり気になります。これは是非読みたいところです。これを読んでみて、道尾秀介という作家の評価が決まるかな、という感じです。
まあ、ミステリが好きという人には悪くないかもです。でも、このミス3位だからと言って、過剰な期待をすると外れるかもしれないです。
道尾秀介「シャドウ」

シャドウハード